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2月 04 2013

悪をしないという心

11:12 AM ブログ

昨夜も夢を観たのですが、昨夜観た夢などおぼろげに覚えているだけで、どんな夢だったかも忘れてしまいました。一昨日観た夢とは段違いですね。(一昨日観た夢は鮮明に覚えていましたからね。カラーできれいな夢でしたよ。特に女性陣の服の色などきれいでした…もちろんお顔をもきれいでした〔笑〕)

私はよくこのような暗示的な夢を観ることがありますが、そういう夢ばかりではなく、昼に悪いことをやり(といっても、それほどの悪いことではないと思うのですが)その夜、ずいぶん気味の悪い夢を観たこともあります。

前に書きましたが、フッと気づくと真っ暗な洞穴の中にいて、そのうちに暗闇に目が慣れてくると、その洞穴は、周りにウヨウヨ虫がはっていて気持ちが悪いことこの上なしという場所で、その虫が体にはい上がってくるという夢も観たことがありますし(ゾッとするでしょう)数年後に、また、その同じ場所に自分が立っていて、そこで蛙の死骸を食べさせられたこともあります。(ゾッとするなんてもんじゃないでしょう)

それほど気持ちの悪い夢まで観せられますからね、少し悪いことをしただけで。とても悪いことする気なくなります。

一昨日観た夢は、天上界のようなきれいで落ち着く場所でしたし、前に見た気味の悪い夢は地獄界でしょうね、地獄界にはそのような気味の悪い世界もあるようです。

ずいぶん違う世界ですが、私たちの心のあり方ひとつで、地獄界にも通じれば天上界にも通じるということです。

私が、その気味が悪い夢を観た時は、たしかに悪いことをした時でした。しかし、それほどの悪いことでもないのです。(別に万引きしたとか、人を傷つけたとか、そんな法律に触れるようなことではないのです。何をやったかは敢えて書きませんが〔ちょっと読んでるメンバー知ってしまったものですから書きづらくなりました・笑〕大したことではありません)

そのような小さな悪でも地獄界に往って反省させられるのです。このブログを読んでる皆さんはどうでしょうか?法律に触れなければいいだろうと、小さな悪を犯し続けている人はいませんか?

例えば、私に嫌がらせする人でもそうですが、少々嫌がらせしたからといって法律に触れるわけではありません。だからこれくらいいいだろうと、そのような小さな悪を犯し続けるのであれば、後で大変な目に遭わされ反省させられることになるのです。(どうですか、先ほどのような場所にずっといたら気が狂うと思われないでしょうか?〔その洞穴の中びっしり虫だらけでした〕そういう苦しみを後で味わうことになるのです。特に私など、その嫌がらせにあわせて祈りますからね、より反省できる場所に連れて行かれると思います)

特別、私に嫌がらせしている人だけではありませんが、道など歩いていると、バスやトラックの運ちゃんが人の横を通る時に、わざとシューとエヤーなどふかしていく人いますが、あれなどどうなのでしょう。嫌がらせしているんじゃないですか?ああいうことなど、それがわざとじゃなく、自然にあるいは仕方なくそうなったというのであれば、それは罪に問われません。しかし、わざと嫌がらせでそうしているということであれば、すべて罪に問われます。

そのようなことをあちこちでやっている人など、大変な罪を負っていることになるのです。だから私は少しの嫌がらせでも怒るのです。(実際には叱ってるんですけどね、そういう人たちを)後で大変な罪の償いを、その人たちはしなければならなくなるからです。そのようなことをしている人たちで、そのことを知っている人たちは誰もいないからです。

この世は心の修行の場であり、自分が思ったことやったことはすべて心に記録されます。(自分の心は、今のパソコンよりも正確で精妙なものなのです)そうして、その記録を自分自身で観て、悪い部分は後でしっかり反省しなければならないのです。そうしてその反省がしっかりできた後、やっと天上界に上がれるのです。今生そうして死後の世界とはそのようなものであり、すべてにおいて修行の場であるということです。

だから私はいっているのです。進歩向上しなければいけないと。いつまでも同じところにとどまっているのは悪なのです。

私のやっていること、書いていることだけ見て、深く考えようともせず、小さな部分だけ見て嫌がらせしたり、ブログが自分の納得がいくものなら何もしないが、自分の納得がいかないものなら、とたんに嫌がらせするような、そんな小さな考えでは話にならないのです。もっと大きく深く見て、この人のやっていることは正しいのか、それとも正しくないのかを判断するのが大事なのであって、人の悪い部分だけ見ていたり、一回一回のブログでよく思ったり悪く思ったり、人の評価がコロコロ変っているようでは、正しい判断などできるわけがないのです。

私は前にも書きましたが、逃げ得などこの世界にはありません。悪いことをした分は(それを、本人や他の人が気づいていようといまいと、人が見ていようといまいと関係ありません。すべて自分のしたことは自分の心に記録されるのですから)きっちり自分自身で責任を取らなければいけないのです。

逆によいことをすれば、その恩恵も計り知れないのです。(悪いことをすれば、少しの悪でもしっかり責任を取らされるのと同様、よいことをすれば、それが少しのよいことであろうと、それがしっかり自分の徳となり、成長となるのです)

自分が思っている以上に、よいことをすればその恩恵は、悪いことをすればその罪は、大きいということです。

いつまでたっても小さなことにこだわり、小さな悪を犯し続ければ、自分の罪だけにとどまらず大きな罪となります。(後々、多くの人が迷惑するということです。それはよいことでも同じです。小さなよいことでもし続ければ、多くの人がその恩恵にあずかることになるからです)

悪はどんな小さな悪でもやってはならないのです。

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