2月 17 2013
これまでの経緯
これまでの経緯をもう一度振り返ってみましょう。
この日本に数千年ぶりに如来が肉体を持たれました。それが高橋信次先生であり、高橋先生は神理を説かれ様々な奇跡を現し、この世を去られます。その後を継がれたのが園頭広周先生であり、園頭先生も高橋先生の説かれた神理を、より分かりやすく説かれ多くの人に癒しの奇跡を現されたのです。
しかし、残念ではありますが、本物の如来が日本に現れ、本当の神理を説き奇跡を現されても、多くの人がそのお二方が本物の如来であり、本当の神の教えを説いているのはそのお二人だけである、ということに気づきませんでした。
高橋先生と園頭先生も、他のどこにでもいるような、霊能者やら霊媒師やらいわれる人とさして変わらないだろう、立派なことをいい不思議なことをいくらしたところで、そんな人は世の中いくらでもいる、お二方だけが特別な存在とはとても思えない、と世の多くの人は思ったわけです。
それは高橋先生や園頭先生の弟子たちも同じで、だから、高橋先生や園頭先生が亡くなられた(肉体を無くされた)とたん、師を裏切るような行為を平気でしたのです。高橋先生と園頭先生の弟子たちの多くでさえ、お二人を軽く見ていたのですから、それ以外の人が、お二人を他の霊能者とか霊媒者とかいわれる人たちと、同じように見てしまっても無理のない話でした。
しかし、だからといって、弟子がダメだったから私たちもダメでした、などといういい訳は、この世の修行に出てきている以上通用しません。
弟子がダメであろうと誰がダメであろうと、すべての人は神の子であり、神の心を悟るためこの世に生まれているのです。皆、人は一人で生まれ、そのことを自分で知るよう仕組まれています。この世に生まれて、法と縁のある人から法を教えてもらうことができず、計画が狂ったとしても、その狂った計画の中で、どのように法を知ればいいのか、自分で考えそれを行わなければなりません。それはどんな困難な状況になろうと、自分で気づいてやらなければならないことなのです。
誰々のせいでできませんでした、など、いい訳以外の何ものでもありません。法に気づかなかった自分が悪いのです。法に気づいて自分で勉強する、これは、この世に生まれた以上、絶対に達成しなければならない目的なのです。この世に生まれ、この目的に達すればその人の心は豊かに成長しますが、その目的が果たせなければ、心が成長しないばかりか後退してしまう、それだけ、この世で法を知るか知らないかは、自分の心の成長に欠かせないことなのです。
しかるに現在の人たちは、高橋先生や園頭先生との縁を得る、という幸運に恵まれているにもかかわらず、お二人を軽く見たばかりか、法の勉強さえしっかりしようとしなかったのです。
そこで天(天上界)はいよいよ強制的に法を分からせる手段に出ます。そのことを世の人々に知らせるため選ばれたのが私でした。
だから、ここに書いたことが次々と実現したのです。
考えてみてください。ここに私が“祈ります”と書いて、それから一ヶ月も二ヶ月も過ぎてから、地震が起きたとしても、その地震は私が祈ったから起きたとは誰も思いません。また、その地震がすぐに起きたとしても、一度や二度では、それはただの偶然だろうとしか多くの人は思わないのです。
ここに私が祈ると書いてすぐ(一週間ないしは十日以内くらい)何か起きて、しかもそれが何度も起きなければ、誰も私が祈ったから何か起きたとは思わないでしょう。だから、そのとおりのことが起きたのです。私が祈ってすぐ地震起き、大雨が降り、巨大な台風まで来るということが何度も起きたのです。
そのようなことすべて、多くの人々に神の存在を知らせるため、法の存在を知らせるため起こされたものであったのです。
ところが多くの人が、私が神の命により、多くの人々に法に気づかせるため、そのようなことをしているとは思わず、その現象だけを見て、そんなことをしているこいつが悪いと、私に嫌がらせを始めたのです。(おまえのせいで不幸になった人もいるという人もいるかもしれませんが、私がそれをしなければもっと多くの人が不幸になるのです。やらなければいけないことは何があってもやらなければいけないのです。不幸になる人は不幸になるだけの理由が必ずあるのです。それを反省するしかないのです。この世の修行に甘えは許されないのです)
この世に生まれ絶対に知らなければならない法を知らせるため、神の命によって、やりたくもないことをやむにやまれずやっている、私の気持ちなどまるで考えず(しかもやっていることの真の意味を知れば、この世に生まれたすべての人に感謝されることにもかかわらず)ただそんなことをしているお前が悪いと、とんでもないことをしだした人たちがいたのです。
私はこれはまずいと思いました。この人たちこんなことを続けていれば、この人たちが罪を負うばかりでなく、へたすれば東日本大震災級の大災害を、天よりまた起こされるかもしれない、と思ったわけです。(それほど危ないことをこの人たちはやっていたのです)
だから私は去年の初め頃、園頭先生の悪口をいった人がどうなったのかをブログに書いて、その人たちの嫌がらせを止めようとしましたが、残念ではありますが、そくらいのことで止めるような人たちではありませんでした。そこで私は大きな災いが起きてもいけないと思い祈ったのです。その祈りはきかれ、私に嫌がらせをした何人かの人に災いが起きたと思います。
しかし、ことはそれで済みませんでした。私のことが知られるにつれ嫌がらせをする人が増えていったのです。
私のことが知られるにつれ、協力する人が増えたのではなく、嫌がらせする人が増えたのです。「これはただではすまない」と、さすがに私も焦りましたが、どうすることもできません。散々このブログに脅すようなことも書いて、そのような行為を止めさせようとしましたが、やはり止めることなどできなかったのです。
その結果、現在のような毎日あちこちから救急車のサイレンが聞こえる(ということは毎日病人が続出している)という、考えられない恐ろしい現象が名古屋に現れています。
このような現象を見ていただいても分かるはずです。私はこの世に生まれたら、絶対に気づかなければいけないことを多くの人に気づかせ、救いの道を指し示している者であるということが。
そうして、その者に嫌がらせなどしたことが、どれだけ大きな罪をつくるのかということも。
それが事実であるということは、次々に起きている名古屋の恐ろしい現象を知るのであれば分かるはずです。
これだけ大きな現象が現れている現在、何を一番最初にしなければならないか、自分で気づかなければならないのです。



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