3月 18 2013
ちょっとした行為の違い
この辺りの波動が、ずいぶん変わってきているようですし、このようなことが全国規模で起きてくれば、大調和の世界(菩薩界)がこの世に現れるのも一気に早まるでしょう。その時のために、もう少し詳しく、今起きてること、大調和の世界のことを書いておきましょう。
もう起きた現象だけを見ている時ではありません。なぜ、そのようなことが起きているのか、その本当の意味を一人一人が知らなければならない時がきているのです。
なぜ、この辺りはおそろしい現象が続いているのか? この辺りの波動が一変によくなったからです。なぜ、よくなったのか? この辺りの多くの人が神に心を向けたからです。多くの人が神に心を向けるとどうなるのか? 因果応報の現象が早く現れるようになり、祈りもきかれるようになります。
これはいい加減なことでもなんでもありません。現にこの辺りの多くの人が私を知り(ということは神の存在を知った、神に心を向けた、ということになります)だから、私に起きていることが、多くの人にも起き始めたということに過ぎないからです。
だって私の祈りは(もちろん正しい祈りでなくてはいけませんが)きかれますし、私が何か悪いことでもすれば、それが自分に即座に返ってきて反省させられます。(そのような出来事は何度かこのブログに書いています)
そう考えるのであれば、私に起きていることが、この辺りの多くの人に起きているだけなのですから、特別不思議なことが起きているわけではないのではないでしょうか。
その場所の波動が精妙になれば、起きるべくして起きることだからです。(ということは、私の回りの波動は精妙であったということです。当然法を知っているならそうなります。だから祈りもきかれるのです)
悪いことばかり起きているから、悪いことのように思えますが、多くの人が心を変えれば一変によい世の中になるのです。
せっかく多くの人が神の方に心を向けたのです。そうであるなら、どうすればよいことが起きるようになり、何でこの辺りは恐ろしいことがよく起きるようになったのか、もう少し詳しく書いておきましょう。
よいことをすればよいことが即座に自分に返り、祈ればその祈りがきかれるのです。普通に考えれば、こんなよい世に中はないのではないでしょうか? 多くの人はそのような世の中を望んでいるのではないのでしょうか。
なら、よいことをすればいいのです。そうすればいいことが返ってくるのですから。
よいことといっても、どんなことをすればいいのか分からないという人もいますが、普段の生活をしているだけで、十分よいことはできます。普段の生活態度を少し変えるだけでも十分でしょう。
ちょっとしたことでいいのです。例えば工事などをしていた人がいたとします。その横を人が通る時、あまり大きな音を立ててもいけないと思い、少しその工事を加減してやるとか、バスやトラックが人の多いところを走る時は、やはり少しスピードを緩めて、ゆっくり静かに走るとか、あるいは歩いていて人とすれ違う時などでも、前から来る人にも気を使って少し頭を下げてすれ違うくらいの、そのような相手に対する思いやりの気持ちを持つだけでいいのです。
そのくらいの少しの思いやり、それを持つか持たないかで全然違うのです。そのような心で、そのような行為をするだけで、十分愛が多くの人に放たれることになるのです。そのような少しの愛を出しているだけでも、それが積み重なれば大きな愛となるからです。
そうなれば当然その出してる愛が自分にも返ってきて、自分もその愛で満たされるということになります。そのような普段のちょっとした行為でも、十分愛を出すことができますし、その積み重ねが自分自身の大きな徳となり、愛で満たされた生活もできることになるのです。
そのような少しの思いやりの行為をするだけで、十分に幸せな生活ができるのに、現代の多くの人は、そのまったく逆の行為をしているのです。
工事をしている人の横を通れば、工事をしている連中がわざとでかい音をたてて、横を通る人の嫌がらせをする。バスやトラックは人を見ればスピードをゆるめるどころか上げて、ブシュブシュでかい音をたてて嫌がらせをする。(ほんとよくやられました〔笑〕)人とすれ違うだけでも、頭を下げるどころか、わざわざこちらに寄ってきて、足で地面をザツと引きずって嫌がらせをする、などなどろくなことしていません。
これではいいこと起きません。それどころか、このようなちょっとした嫌がらせが、積み重なると大きな自分の罪となるのです。(先ほどとまったく逆の目がでるということです)
ちょっとしたことでも、これだけ愛のない行為をしている人が多いのです。よいことが起きるわけがありません。
ちょっとくらいいいだろう、これくらいどうということはない、そう思っているのは本人だけで、そのような小さなことでも、積み重ねるとどれだけ大きな罪になるのか、それが分かるような現象が、次々にこの辺りで現れているのです。
このようなことをしている人が多ければ、その場所の波動が精妙になればなるほど、その罪が即座にその場所に現れます。そのような小さな嫌がらせ、ちょっとしたことへの怒り、ねたみ、ひがみなどの心が、即座に返り、それが現象化されている、それが今この辺りで起きている恐ろしい現象でしょう。(心当たりがある人たくさんいると思います)
そのような小さな心を少し大きくおおらかにする。ちょっとした嫌がらせの行為を愛の行為に変える。怒り、ねたみ、ひがみの心をすべて捨てて、そんな心を持たないようにする、そのようなちょっとした行為を積み重ねれば、この辺りで起きている恐ろしい現象は収まるのです。また、そうしなければ恐ろしい現象はまだまだ現れます。
どちらにしても私たちは、そのような小さな心は捨て、愛で満たされた、広く大きく豊かな心を持つために、この世の修行に出てきているのです。そのような本来の大きな心にするための修行を、この辺りの人は本格的にはじめたということに過ぎません。
自分の心を少し変えるだけで、愛に満たされた、祈りが次々にきかれる菩薩界がこの場所に現れることになります。
多くの人が、ちょっとしたことをやれるか、やれないか、問題はそこだけでしょう。



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