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3月 23 2013

本当の教え

11:36 AM ブログ

正法会だった方もこのブログを読み始められたようですし、どこかの高橋先生のダメ弟子たちも、相変わらず読んでいます。これからこのブログは、高橋先生や園頭先生の弟子だった人たちも読むようになるでしょう。なぜなら他に法が書かれたものがないからです。

いくら、そのような人たちを指導している指導者が、あれはサタンが書かせているのだから読んではいけない、といおうと、そのようなことをいう人たちは法を説けていないのです。多くの本当の神の教えを知りたいという方々は、そんな偽の教えを、いつまでも聞いていることに満足できなくなるのです。

やがて、そのような方々はこのブログに気づき、ここにしか本当の教えが書かれていないということを知るでしょう。それは自分たちが指導を受けている指導者たちが、何一つ現象を起こせないということに、このブログを読めば多くの人が気づくからです。自分たちが指導を受けていた人は口だけであったと分かるからです。

これは、それ以外の宗教をしている人たちも同じでしょう。自分たちがやっている宗教は間違いだと思うのは勇気がいることだと思います。(それまでずっとその教えを信じてきたのですから。それに間違った教えは、この教えに背くと罰が当たると教えますから)

しかし、その教えは間違いだと認めるべきでしょう。なぜなら、どのような教えを、その宗教指導者が行っていたとしても、その人は口だけなのです。口だけであるならば、その人は宗教の指導者としては無能なのです。奇跡一つ起こせないのであれば、その人は宗教の指導者ではなく、それらしいことをいって、信者から金を取り騙し続ける詐欺師といっても過言ではないのです。

本当の宗教の指導者とは釈尊、キリスト、モーゼといわれた方々、またその弟子であった方々のように、次々に奇跡が起こせる人ではなければならないのです。天の奇跡がそこかしこに現れてくる人でなければならないのです。

そのような奇跡の現象が次々に起きる、そのような人こそ正しいことを説いている人なのです。本当の神の教えを説いている人なのです。

一度や二度、何か奇跡的なことが起きたことに大騒ぎしている、そんな指導者では話にならないのです。(それくらいのこと、普通にまじめに生活しているだけでも起きるからです)

その神の教えにせよ、私のように毎日このようなブログにその教えを書き、発信している人が他にいるのでしょうか? せいぜい一週間か十日に一度、それらしいことを書いているのが、関の山の人たちばかりなのではないでしょうか。

その人が、本当の神の教えを説いているというのであれば、私のように毎日でもその教えを書けるはずです。「如来の智慧は、心の奥より泉のごとくこんこんと湧き上がり尽きることがない」といわれますが、まさにその言葉のごとく、本当の神の教えを書いている者は、書かなければならないことが、次々に心の奥より浮かんでこなければならないからです。

このように毎日のように法が書けて、次々に奇跡を起こせる、そのような人こそ本物の神使いであり、本当の神の教えを伝えている人なのです。

私は、そこまでいうなら現象を見せてみろ、といわれれば見せもしますし(もちろんそのようにいう人は、自分もやってもらわねばなりませんが)毎日法を説いているのかということは、このブログを読んでもらえれば分かります。

それに特別奇跡を現そうとしなくても、私の周りでは次々に現象が現れ、私のことに注目せざるをえないような状況ともなっています。(もちろんこのような現象はこれで終わりということはありません。多くの人たちが、神の教えに気づくまで続くのです)

同じ園頭先生の弟子であって、浜松で責任者までしていられた方が「大矢先生、いろいろご指導よろしくお願いします」というメールまでくれるのです。このブログを読めば、誰が本当の教えを説き、本当の神の奇跡が現れているのか、このような法をよく勉強されていつまでも謙虚な方には分かるのです。

謙虚さのかけらもない、法をまともに理解していない、どこかのオジちゃんやオバちゃんでは分かりませんが、そのような人たちでさえ、口で否定しているだけで、実際はこのブログを毎日のように見ているのです。

自分こそ本物という人がいるのであれば、私はいつでも現象の勝負をする気でいます。

誰が本当の教えを伝えそれを体現しているのか、もうそれを理解されて、協力していただいてもいいのではないでしょうか。

そうしなければ、それをしなければならないという現象はいつまでも続くのです。

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