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4月 17 2013

神の使いに対する態度

11:09 AM ブログ

私はこの近辺では非常に評判が悪いのですが、少し場所が離れるとまた様子が違ってきます。(この近辺ほど評判は悪くないと思います)

この違いはどこから来るのでしょうか?その理由を書いてみましょう。

一言でいうなら、肉体を見ているか心を観ているか、その違いでしょう。

この辺りの人は心も観ているのでしょうが、その前に私の肉体を見ます。するとどうしても、先にその肉体にとらわれてしまい、心だけを正しく観る(判断する)ことができないのです。

それが判断を誤る大きな理由になるのです。

私が近くにいれば、私の姿はいやでも目に入ります。すると「何だあいつはたいしたことないではないか」とか「自分たちとやること変わらないではないか」と姿形だけを見てそのように思い、なめてしまうのです。

これが肉体にとらわれるという意味なのです。

そうすると、どのような現象を祈って起こしたとしても、先に「たいしたことはない」とか「自分たちと変わらない」という思いが自分の心に入ってしまっているものですから、どうしてもその思いを通してしか、私のやっていることを見ることが(判断することが)できないのです。

すると、私がどんな現象を起こそうと、たいしたことではないとか、あんな被害が出るようなことをしてあいつは悪い奴だ、と、そのような現象が起きる不思議さや偉大さなど二の次にして、そのように思うわけです。

私がどのような現象を起こしても、こういう人たちは悪くしかとらないわけです。(肉体の私を見てなめてしまっているからです)こういう現象を自分たちは一つも起こせないくせに、決してそのような現象を認めようとはせず、私をなめて悪く思ってしまうものですから、平気で嫌がらせができるわけです。(普通は、そんな祈っていろいろ起きる者に何かしようとは思わないのいですが、私をなめた心が強ければ強いほど、そのようなことが平気でできてしまうのです)

しかし、明らかにそのような判断は間違いであり、その証拠に、私に嫌がらせをした人たちに次々に(一人や二人ではないと思います)おかしな現象が現れているにもかかわらず、それでもまだ自分たちが悪いことをしていることを認めようとせず(それも大変なです)私に嫌がらせを続けているわけです。(最初に「たいしたことはない」「自分たちと変わらない」という思いが入ってしまうと、どれだけ恐ろしいことが起きても「あいつに嫌がらせしたくらいで、何が起きてもたいしたことではない」と、その恐ろしいことまで判断を鈍らせ、起きていることをなめてしまい、どれだけそのような恐ろしいことが起きても、同じことを私に繰り返すのです。私に対する「たいしたことはない」「自分たちと変わらない」という心が抜けるまでです。そのような心が完全に抜けないと私に対する嫌がらせはやめないのです。〔ということは、それまで恐ろしいことが続くということです〕肉体にとらわれるということはそれだけ恐ろしいのです)

そのせいで、この辺りではおかしな現象が日常茶飯事のように現れてしまい、それでますます私の評判も悪くなる(私のせいでこのようなことが起きている)というわけです。

しかし、場所が離れたところに住んでいて、私のことを知っている人は、そこまで悪く私のことを見ていないと思います。

その理由は、少し場所が離れてしまうと私の肉体は見えません。(私は歩いていけるくらいの範囲にしか出没しません。何せお金がないですから、そんな遠くまでいけません〔笑〕)そうすると当然ではありますが、私の肉体は見ずに心だけを観るのです。

その私の心とは、この書いているブログであったり、起きている現象であったりということです。

私の肉体を見ていない人たちは、そのようなものだけで純粋に私を判断をするわけです。

そうすると、同じように私が祈り地震が起きたり、台風が来たりして被害が出ても、そのことだけで、こんなに多くの被害を出させて悪い奴と、すぐに思わず、なぜ、この人が祈ってこんなことが起きるのかとか、この人が祈るとこのようなことが続くのか、という不思議さが先に来て(マァ私のことをそれほどすごいと思っている人は少ないようですが)ただ、単純に悪い奴とは思わないわけです。(これくらいのことたいしたことではない、とも思わないわけです。純粋に起きてる現象を見るわけですから)

そのような理由から、近くにいる人と遠くにいる人とでは、評価が別れるわけですが、その遠くにいる人(私の心を純粋に観られる人)でも正しい判断ができていないのです。(私に協力する人がいないということがその証拠です。正しい判断ができていません)

まして近くにいる(肉体にとらわれている)人たちが正しい判断ができるでしょうか?

百パーセント無理ですね。私の近くに住んでいる人で、私に対する正しい評価をしている人は皆無でしょう。(人によっては五十、あるいは七十パーセントくらいの正しい評価をしている人はいるかもしれません)

多くの人たちは本物の神の使いを知りません。ということは、神の使いに対する態度を知らないということになります。しかし、それをいやでも知らなければならない時がきているのです。

今この辺りで何が起きているのか、それはこの辺りの人が一番分かっているはずです。もし、悪いことが起き続けているのなら、自分の態度を反省し、私に逆の態度を取られてみたらいかがでしょうか?そうすれば、逆の現象が現れてくるとは思わないのでしょうか?

神の使いに対する態度を間違わなければ、そこに次々に奇跡が現れ、本当の神の心を様々な体験を通して知ることができるのです。(これだけ恐ろしい現象が現れているのですから、その逆の現象もお分かりいただけると思います。それは愛と慈悲がそのまま現れる奇跡の現象です)

しかし、そのことがいつまでたっても分からず、神の使いに対する態度を間違い、嫌がらせを続けるのであれば、恐ろしい現象は、そのような人たちがいなくなるまで続くことになるのです。

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