8月 13 2010
愛の心②
愛といえばやはりイエス・キリストという名が出てまいります。
イエス・キリストは多くの人に愛(福音)を説いて正しい道に導き、神と同等の力を縦横に駆使され、多くの怪我人や病人を癒されました。キリストの伝道期間はわずかではありましたが、キリストが出ている間のイスラエルでは多くの奇跡が起こり、多くの人が救われたのでした。まさに救世主と呼ばれるにふさわしい方でありました。
しかし、ではキリストが癒されたことはなかったのでしょうか?多くの人を癒されたキリストが、自分自身が癒されたということはなかったのでしょうか……次のような話が聖書には書いてあります。
キリストが伝道先でよく泊まる、知り合いのラザロという人の家に姉妹がいました。その姉妹は姉はマルタ妹はマリア(この当時、マリアという名はよくつけられていたようで、キリストの母の名もマリアで、キリストが十字架にかけられ昇天された後、埋葬を手伝った人の中にマグダラのマリアと呼ばれる女もいました)という名で、姉のマルタはしっかり者でよく働き、妹のマリアはキリストが家に来られると、付きっ切りでキリストの話を聞いていました。
あるとき姉のマルタがキリストに「主よ、私の妹のマリアは主が来られると、私にだけもてなしをさせて自分は何もしません。なんともお思いになりませんか。妹に私の手伝いをするようおっしゃってください」といいました。
するとキリストは「マルタよ、あなたは多くのことを思い悩み心を乱している。しかし、必要なことは一つだけである。マリアはよい方を選んだ。それを取り上げてはならない」
マルタのように、人が来たとき忙しく働いてもてなすのも大事なことであるが、それ以上に大事なことは福音を聞くことである。せっかく人をもてなしても、思い悩み心を乱しているようでは何もならない。その心の悩みをとることができるのが、キリストの福音である。だからマリアはその福音を聞くことを一としているのだ。一番よいことをしているマリアから、それを取り上げてはならない、とキリストは言われたのです。
このころのキリストの身には危険が迫っていました。十字架のときがもうそこまで来ていたのです。それにもかかわらずキリストは、多くの人に福音を説き癒しを行っていました。
ある人からキリストと弟子たちが食事の招待を受け、その人の家で食事をしていたときのことです。マリアがいきなりその家に高価な香油をもって入ってきて、キリストの足元に伏し、その香油をキリストの足に塗り始めました。そうしてキリストの足に塗った香油を、涙を流しながら自分の長い髪の毛で拭いています。
それを見た弟子たちは「なぜ、その香油を売って貧しい人に施さないのか」といって、マリアの行為を非難します。
しかし、キリストは「この人のするがままにさせておきなさい。私の葬りの日のためにそれを取っておいたのだから。貧しい人々はいつもあなたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない」といわれ、マリアの行為を許されます。
弟子たちには分からなかったのでしょう、このマリアの行っている行為の意味が、それが分かっていたのはキリストだけでした。
キリストのことが書かれている福音書の中にも、この女(マリア)は自分の罪を許されたいがために、キリストにこのような行為を行ったと書かれたものもあり、そのように解釈している人もたくさんいますが、私はそうは思いません。
自分の罪を許されたいのなら、キリストの前にひれ伏して自分の罪を詫びればすむことです。キリストはどのような罪をその人が犯そうと、その罪を心から懺悔するなら許されました。わざわざ高い香油を買ってきてキリストの足に塗り、それを自分の髪の毛で拭く、ということまでする必要はないはずです。それにマリアから自分の罪を懺悔する言葉もありません。マリアが自分の罪の償いだけに来たのなら、キリストがマリアに対し「この人のするがままにさせておきなさい。私の葬りの日のために……」という言葉も不自然です。
なぜマリアはこのような行為をしたのでしょうか?
それはマリアがキリストを愛していたからです。マリアはキリストを愛していたため、キリストの人には言えない苦しみが分かっていたのです。
マリアはキリストが自分の家に来られると、いつも熱心にキリストの話を聞いていました。それはもちろんマリアはキリストが話される福音は、正しいと理解していましたし、多くの奇跡をキリストが起していられることも知っていました。キリストが偉大な方であるということを、十分マリアは分かっていましたが、キリストを師と尊敬する以上に、一人の男としてキリストを見たとき、マリアは深い愛をキリストに感じていたのです。
そのことをキリストも知っていました。しかし、キリストは今生は一人で法を説くと決めてこの世に出てきていますので、マリアを娶るわけにはいきません。
キリストは十字架の時が迫っていることを感じていました。キリストが十字架にかかることで、その福音が全世界に伝播していくことを、キリストは知っていましたが、それでも自分が十字架にかからなければならないという苦しみは、常にあったと思います。(それはオリーブ山の祈りの時でもキリストの苦しみがよく分かります)
しかし、キリストはその苦しみをおくびにも出さず、多くの人に福音を説き癒しを行っていたのです。周りの誰もキリストの苦しみなど分かりませんでした。救世主に苦しみがあるなど誰も思いもしませんでした。そのような人たちばかりの中で、キリストを最も愛するマリアは、その苦しみに一人気づいておりました。
「キリストの心を少しでも癒したい」それがマリアにキリストの足に香油を塗り涙を流しながらそれを拭く、という行為をさせた理由です。



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