5月 31 2013
姿かたち
大阪市長さんの問責決議が否決されました。
当然といえば当然でしょう。だって、市長さん本当のことをいっていただけですからね、本当のことをいっただけで首になっていたら、首がいくつあっても足りません。これまでのような政治家が、歴史問題など少し本当のことをいっただけで大騒ぎになり、辞めざるを得ないような状況になるのは異常です。今回お騒がせしたので、それが問題だということで、少々騒がれるのは仕方がない話ですが、このような決着になるのが当たり前でしょう。市長を首になるようなことをしたわけではないからです。
政治家が歴史問題を提起しなければ問題提起になりません。大阪市長さんには、少しほとぼりが冷めたらまたがんばっていただきましょう。(笑)
今回の大阪市長さんも、ずいぶんあちこちから文句をいわれていましたが、それに負けないくらい(文句をいわれるわけではありませんが)嫌がらせを受けているのが現在の私です。何せ、この辺りの人が皆私を知っているのです。誰に何されるか分かったもんじゃありません。(おまけに毎日のようにヘリまで飛んできますからね)毎日やせる思いです。(実際は少し太ったんですけどね〔笑〕)
しかし、分かりませんね、例えば、そこらの坊さんや行者みたいな人に、嫌がらせをして何か起きたら、嫌がらせをした人は“罰が当たった”とかいわれませんか?いわれますよね、そんな人にそんなことするからいけないと、皆いうのではないでしょうか。
そうして、そいうことが起きる人がいれば、なんて霊験あらたかな人だろうと喜ばれ、その人の話を聞いたり布施されたりするはずなのに、私の場合はまるでそんなことされないのです。むしろ、逆の態度をとられるのです。
なぜでしょうか?
結局皆さん、格好しか見ていないのです。だから私には、そのような態度を一切とらないのです。
私がもし、坊さんのような格好をして、同じようなことを話し行えば皆恐れ入って聞かれたでしょう。しかし、私が普通の、そこらのオッサンと変わらない格好をしているものですから、その格好だけ見てなめてしまって、いうことを聞こうとしないのです。
起きていることは、それこそ、そこらの坊さんや行者には起こりえないことが起きているにもかかわらずです。
祈って大雨を降らせたり地震が起きたりするのです。そうして、その者に嫌がらせする者に、次々におかしな現象が起きるとなれば、それこそ本当の神の使いの証拠となるはずなのに、多くの人は絶対そのようなことを認めないのです。
私が坊さんや行者のような姿かたちをしていないからです。
では、そこらの坊さんや行者に、こういうことをして、このような現象が次々に起きる人がいるのでしょうか?
格好だけつけて、お経や念仏など唱えているだけで、何も起きない人のいうことをありがたがり、何かすれば何か起きる者のいうことを、まるで聞こうとしないのです。明らかに多くの人の判断が、間違っているように思いますがそこはどうなのでしょうか。
ずいぶん私のことが広まったようですが、私のことを知る人が増えれば昨日の話ではないですが、もう巨大地震がこの辺りで起きることはないでしょう。(東海大地震は起きませんね、地震学者と意見が違いますが)なぜなら、私のことを知ったということは、同時に神の教えも知ったということになるからです。
この辺りのほとんどの人が、神の存在を知り、あの世の存在を知り、光の天使の存在まで知ったのです。では、他の地域の人がこのようなことを信じる人がどれくらいいるのでしょうか?ほとんどの人は、まだ、このようなことは信じないでしょう。
しかし、この辺りの多くの人は、そのような事実を信じ始めているのです。これは他の地域の人と比べ、この辺りの人の心のレベルが段違いに上がったということを意味します。(このようなことを、この地上界で信じるだけでも大変なことなのです。そうではないですか?)
皆さん、面白くはないでしょうが、私がこの辺りにいたばかりに知らず知らずのうちに、心のレベルが上がってしまったというわけです。
よほど、そのようなことに反抗して聞かない人ばかりなら別ですが、私のいうことを信じる人が多ければ、天はその場所に大災害など起こさないのです。なぜなら、もしその教えを信じる人がたくさんいる場所に、そんなことが起きれば、その教えが拡がらないからです。ただ、細かな現象は起きます。その場所にいる人たちに、その教えが正しいものであると、より信じさせるためにです。
今、私の周りで起きている現象はそれなのです。
私に嫌がらせする人に何か起きれば、私の噂はより多くの人に拡がっていくことになります。同時に、その教えを説いている者に嫌がらせなどすれば、よくないことが起きる、すなわちそれは、その教えが本当の神の教えだからである、という証明にもなるからです。
だから、そのような人たちに次々に現象が起きるのです。(例えば、前の会社の連中など毎日のように、このブログを書くのを邪魔しているのです。ということは、神の教えの流布を毎日のように邪魔しているということになります。だから、前の会社にはよほどのことが起きていると思います。神の教えの流布を邪魔することくらいの大罪はないからです)
そうして、この教えを勉強するのであれば、どんなに四面楚歌になろうと神が力を貸してくださる、ということを、私は実体験として伝えているのです。(今の私の状況などそうではないですか?誰も回りに味方などいないのです。しかし、祈れば次々に奇跡が起き進む道を天は示してくださるのです)
この世に生まれた者で、本当の神の教えを勉強した者だけが唯一の勝利者なのです。だから、どれだけ辛くてもこの教えを勉強しなければいけないのです。この教えを捨ててはいけないのです。だから私は、どれだけ嫌がらせを受けても、この教えを伝えることをやめないのです。そうすることが、神の子としての当たり前の使命だからです。
今、次々に奇跡が起き、この教えが本物であるという証明がなされています。このようなことは、どのような坊さんにも、また行者にも起きてはいません。私にだけ起きていることなのです。
では、この教えを学ぶべきではないでしょうか。
人の姿かたちに惑わされてはいけないのです。



人目の訪問者です。
