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7月 22 2013

心の変化

10:45 AM ブログ

参院選も終わりました。予想通り自民党の圧勝でしたが、その話は参院選がちゃんと確定してから書きましょう。

それより罰当たりな人多いですから、一刻も早くその心を変えていただかねばなりません。(そうしないと罰ばかり当たりますからね。現実に当たっている人多いですし)ですからそちらの話を書きましょう。

最近このような話題が多いのですが、なぜだか分かりますか?

それだけ法の流布を急いでいる、という理由ももちろんあるのですが、そればかりではなく、多くの人の心が変わりかけているからです。だから、この話題を多く書いているのです。

なぜ、そんなことが分かるのか?

実はそれは簡単に分かるのです。なぜかといえば、このブログを見る人の人数を見ればそれが分かるからです。

私は毎日のように、今日どれくらいの人がこのブログを読んだのか、チェックしているのですが、少し前までは、このような(耳の痛い)話を書くと、そのような話を書いた時はガクッとこのブログを読む人が減っていました。政治の話題など書いた時は、読む人が増えたりしていたのです。ところがここ最近は(二~三週間くらい前からでしょうか)このような耳の痛い話を書くと、多くの人がこのブログを読むようになり、逆に政治の話などを書くと読む人が減るという状況になっているのです。(いつもは一日百人前後の人がこのブログを読んでいますが、最近は、このような話題を書きますと、多い時で二百人近くの人が読んでいます)

明らかに読む人も増えているのですが、この状況は何を意味しているのでしょうか?

それが多くの人の心が変わりつつあるのではないか、ということです。

そうではないですか?多くの人の心が変わってこなければ、耳の痛いような話などそうは読みません。多くの人の心が変わりかけてきたから、このような話を書くと読む人が増えるようになったのです。(そうすると、いつまでも心を変えようとしない人たちは、かなり遅れていくということになりますが…)

これだけ、毎日のように救急車のサイレンが聞こえてくるのです。そりゃこの辺りの人は、心を変えなきゃ逆に変ですよね。(これだけサイレンが聞こえてそれでも何も心が変化しなければ、そのような人はよほどの鈍感か、または、まともな感覚がないとしか思えませんもんね)

また他の地域の方もそうです。この辺りほど救急車のサイレンが響いているわけではないと思いますが、この異常気象は誰でも分かります。やはり、このような気象はおかしいと気づく人も出てくるでしょうし、このブログに書くことが次々に起きれば、このブログに書いたような心になった方がいいのではないか、と素直に聞く人も出てきます。

それが人としての当たり前の考えであるし、このような異常現象が立て続けに起きているのです。心が変わるのが普通ですし、変わらない方がおかしいのです。

だから、耳の痛い話を積極的に聞けるようになった方々は、気づいているかどうか分かりませんが、心が進歩しているのです。(よかったですね、そのような方々は少しは神の心に近づいているということです…まだ少しですけどね)

唯物無神論(超・責任転嫁論)など信じているようでは、絶対に心は進歩しません。ということは、そのような人たちは(まだ完全ではないかもしれませんが)唯物無神論を信じなくなり、唯心有神論を信じるようになった人たちということになります。(だから心が進歩したのです)

やっと、そのような人たちが出てきましたか。(ここまで長かったです〔涙〕)しかし、これだけの現象を神が起こされていて、それでも少し心が変わってくるのに三年以上もかかるとは、本当に“唯物無神論”という思想は恐ろしいですね。改めてそう思います。

せっかく、心が変わりだした人が出てきていますので、重ねていっておきますが、今全国で起きている異常気象やこの辺りで起きている(次々に救急車で人が運ばれるという)異常現象は神が起こしているのです。(決して私ではありません)

その現象に怒り、人に八つ当たりしているなどという行いは天に唾する行為である、ということを知ってください。そんなことをすればするほど神に逆らうことになり、自分に返ってくる罪は大きくなるということです。(天に向けて唾を吐けば、その唾は自分に返ってきます。そのような愚かな行為を、私に嫌がらせなどしている人たちは続けているということです)

このような神の業に怒りを覚えるなど大変恐ろしい行為なのです。(普通はこのような現象が現れたら、恐れ入って神を畏れないといけないのに、その現象に怒るというのは、いくらなんでも愚かすぎます。そのような人たちは、どれだけ恐ろしい行為をしているか分からないほどです)

このようなことが起きた時は、自分の心と行いに間違いがなかったか、深く反省されることです。そうして、自分に間違いがあったと気づいた時は、その間違いを心から神に詫び、二度とそのような間違いは犯さないと神に誓われることです。そのような反省をしっかり自分が行えば、それまで間違いを犯していたその罪は許されます。神は反省という慈悲をすべての人に与えていられるからです。(そのような反省をして、初めて恐ろしい現象は収まるのです)

それができて初めて、そこから神の運動を始められることになります。(つまりこの時点でやっと普通の人のレベルに達したということです)

これまでのような考えは、まともな神の子としての人間の考え方ではないのです。(それはそうでしょう、全部責任転嫁して、自分は自由だ平等だと、まったく自分の罪を認めようとせず、好き勝手したいなどという発想、とてもまともな人間の考えることではありません)

謙虚に自分を反省できてこそ、神の子としてのまともな人間であるのだし、また、私たちは神につくられた神の子である、ということを知ったのであれば、その神の心を勉強し拡げようと思うのも、まともな神の子としてのまともな人間の発想であると思います。

だから反省を忘れてはならないし、この神の運動に協力することは、神の子の人間として当然の義務でもあるのです。

世は唯物無神論に加え、共産主義全盛の時代でもあります。神の心に従うだの、義務だのといえば、その言葉だけに拒絶反応を示し、やろうとしない人も多いのですが、その心自体、悪魔の心である、ということを知ってください。

やっと心が変わり始める人が出てこられたようです。

あとは神の運動を実践することができるかどうか、それだけでしょう。

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