11月 17 2010
園頭広周師⑮
昭和四十八年一月、このころ園頭先生はある教団に迎えられて、その教団の講師をされていました。ある日、暇ができた園頭先生は知り合いの家に出かけられたのですが、そこで運命の本とめぐり会うことになります。
久しぶりに会ったその人は、いきなり「素晴らしい方が出てこられました。この人こそ本物です。ぜひこの本を読んでください」と言われ、二冊の本を先生に渡されます。それが高橋先生の本であったのです。
その本は「縁生の船 神理篇」(えんしょうのふね しんりへん)と「原説・般若心経」で、園頭先生は家に帰って早速読まれました。(「縁生の船 神理篇」はのちに「心の発見 神理篇」と改題されます)
「イエスの教えもゴーダマの教えも神理は一つである。ただ方便が違うだけで、人間としての心のあり方を教えていることには変わりがない、私たちはそのことをよく悟るべきである」「信心とは、お経を上げたり賛美歌を歌ったりするものではなく、片寄らない心と正しい行いを実践することにある」……。
読み進んでいくうちに園頭先生は、この方こそ自分が捜し求めていた人に違いないという気がしてきて、一日も早く会って直接教えを乞いたいと思われ、高橋先生に手紙を出されます。
「今まで宗教界にいて神理を求めてきましたが、疑問ばかりが多くなって、現在の宗教界に失望しているものです。ご著書を読んでぜひ直接ご指導を仰ぎたく……」
と手紙を書かれ、返事がくるのを待たれました。
園頭先生は、高橋先生の著書の中で「神仏の意志こそ神理であり、人間の心の中には誰も、過去世で学んだ記憶が記録されている」という部分にも興味を引かれました。高橋先生の著書の「縁生の船」の中には、いろいろな人が過去世を思い出し、当時の言葉で語っているということも書かれてありました。
今までの宗教家の中には、これほど具体的に輪廻転生のことを書いている人はいませんでした。(最近は私の過去世は誰であなたは誰々であった。などという人があちこちに出て、異言を語る人もいますが、それは高橋先生が一番最初にされたことであり、それまではこのようなことを言う人もされる人もいませんでした。異言を語るといっても、これもやはり正しいものと正しくないものがあり、中にはでたらめを言っている人もあって、そのような不思議な現象だけにとらわれると、正しいものが分からなくなります。よくよくその異言を語っている人や、あなたの過去世は誰々といって、人を集めている人の人格を見極めないと正しい教えにはめぐり会えません。少なくとも現時点でそのようなことを言ったりやったりして人を集めている人たちは、高橋先生のまねをして人を集めているだけであって、法(神理)をよく分かっていないといっても間違いではないでしょう、誰々の霊言などといって教団を作ったある教祖などは、高橋先生の名を利用して人を集めた、でたらめな人たちの中でも最たるものでしょう)
手紙を送くられて二ヶ月ほどした時、園頭広周師①に書きました、二人の方が園頭先生の下に来られ、高橋先生も園頭先生に会いたがっていると言われて、それからお二人は会われることになりますが、私は前にも書きましたが、なぜ、高橋先生は園頭先生の下に二人も人を使わしたのでしょうか?
しかも高橋先生は「こういうところに園頭という人がおられる。この方は私にとって非常に大事な人であるから、電話などで行ってはいけません。一人で行ってもいけません。誰かと二人で行って、私がぜひ会いたいといっていたと伝えてください」とまで言われているのです。
他の弟子たちのほとんどは高橋先生の下に自ら行って、高橋先生の弟子になった人ばかりですが、園頭先生には「電話などして行ってもいけない、一人で行ってもいけない、誰かと二人で迎えに行ってください」とまで言われています。
高橋先生がこれだけ気を使われた弟子は他にいません。
高橋先生はお釈迦様であった方ですので、すべてのことを知っていられました。現に高橋先生は、園頭先生と会われたその日に、園頭先生が高橋先生の下に来られることを、五年前から周りの人たちに話していたということを言われていますし、園頭先生が戦地で体験された奇跡や宇宙即我のことも話されます。園頭先生のすべてのことを高橋先生は、すでに知っていられたのです。
高橋先生は、園頭先生の現在過去未来の三世を見通していられました。
だから高橋先生は園頭先生にわざわざ二人も人を使わして、園頭先生を迎えられたのです。それは「私の法を継ぐのはこの人だ」ということも、知っていたということになります。
高橋先生が、二人も人を使わして園頭先生を迎えられたということは、園頭先生が高橋先生に継ぐ心の持ち主であったということを、知っていられたということであり、自分の後継者となるべき人だということを、暗に他の弟子たちに示し、またそのことも言われていたのですが、高橋先生の弟子たちの中で、そのことに気づいた人は一人もいませんでした。