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2011年2月

2月 04 2011

税の確保③

現在の多くの政治家が大教団の票に頼っているため、この「宗教法人に課税」するという法案はすぐ立ち消えになってしまうのですが、もうそんなことを言ってる場合ではないでしょう。国が破綻しかけおかしな宗教が蔓延しているのです。

どちらにしても、民主政権は長くはありません。次の総選挙では大幅に票を減らすのは目に見えています。どっちみち票が減るのだから、もう宗教団体の票を当てにしても仕方ないでしょう。逆に宗教法人に課税する法案を通せば、宗教団体以外の人たちから票が集まるかもしれないし、起死回生の一発になるかもしれません。それに国会議員が皆賛成すれば票は減りようがありません。公明党も政教分離の原則を、多くの人々に、口だけではなく行動で示していただきたいと思います。

政治家が世直しを真剣に考えないで誰が考えると言うのでしょう。

正しい宗教家もいるのでそのような人たちは考えている、と言うのであれば、そんな教祖であるなら、こんな国がつぶれそうな時に、宗教法人に課税することを拒むはずがありません。諸手をあげて賛成することでしょう。反対する教祖などすでに神の心から外れた、人を導くことなどできない偽の教祖ということになります。

まして、そんな法案など通したらあなたに票など入れないぞ、などと脅しをかける教祖がいたとしたら、そんな人など教祖でもなんでもなくただの犯罪者です。

税金は儲かっていないところから取るのではないのです。(赤字のところからは税金は取れませんから)儲けた分から少し利益を国に税金として収めてください、と言っているだけなのです。こんな道理の通った話しはないではないですか。

それに宗教など企業と違って、設備投資や開発資金など要らないのですから、必要以上に利益を上げる必要などないはずです。もちろんその教団の人件費や運営などの諸経費はかかりますので、多少は利益を残していかなければなりませんが、必要以上の利益があれば困っている人に与えたり、社会に還元するのは、宗教としての当然とるべき態度でないでしょうか。

このようなときに、それを言い出す宗教家が一人もいないと言うのは、少しおかしいでしょう。愛と慈悲の塊で、我々などよりズッーと広い心をお持ちになった教祖様たちが、自分の身を削り、国を救おうとされないのはずいぶんおかしな話です。それに大教団の信者の人たちには破産される人もいますが、なぜ、そんな人が出るのでしょうか?

これ以上書く必要もないでしょう。

極端な言い方をすれば、現在はまともな宗教家などいないのです。

肝心の法が伝わっていないのですから、当たり前のことです。法が伝わっていないと言うことは、今だ末法の世にあり、その時代の宗教家は自分の心の程度にあわせた、正しい部分もあり、正しくない部分もある教えしか説けないからです。そればかりではなく悪魔に支配された、完全に人をだまして自分だけよい目を見ようという、宗教に名を借りた犯罪者も混じり、オウム真理教のようなまったく頭のおかしい教祖がつくる、カルト教団もあります。

だから自ら進んで、国に税金を差し出そうとする宗教家がいないのです。国のことより自分のことのほうが大事なのですから。

このような人しかいないから、宗教法人に課税するということは大事なことなのです。

いくらここで宗教法人に課税しろと書いても、肝心の政府がそれに気づいて本気になって取り組まねば何も変わりません。(そんな政府は変えなければいけませんね)

明後日は、いよいよその国を変えるべく愛知で選挙が行われます。

平成の鳥羽・伏見の戦いが先陣を切って、愛知から始まります。

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2月 02 2011

税の確保②

私がいう、課税される人も喜び、多くの人も救い世の中も健全化するという課税とは、度々議題には上りますが、すぐ立ち消えになってしまう「宗教法人に課税」することです。

課税される人も喜ぶというのは、日本の借金が増え国が破綻しそうなのです。困った人を救うのが宗教なのですから、これほど国が困っているのなら、きっと大教団の教祖様たちは喜んで税金を納められると思います。(皆、愛と慈悲の塊の心を持たれた人たちばかりのはずですから)

それに宗教法人に課税すれば、その宗教団体の売り上げや利益がはっきり分かります。すると、あきらかに利益が出すぎている団体など、信者から布施を強要しすぎているのではないかということになり、口では慈悲だの愛だの言いながら、実際の教祖は欲の皮の突っ張った、ただの詐欺師であった、ということがそこの信者たちにもよく分かります。

そうなれば、今まで霊感商法のようなものにだまされていた多くの信者たちも目が覚め、おかしな宗教から足を洗う人もでてきます。

これが多くの人を救い世の中も健全化するという理由です。

実際に、高橋先生の名を散々利用して巨大化したある教団の教祖は、(ただいま離婚協議中でありますが)数千万の腕時計をして愛人をはべらせ、豪遊しているそうですので、こんな教祖の下で何を学ぼうと言うのでしょう。(このバカ教祖はそれがどれだけ恐ろしいことをしているのか、まったく自覚がありません。しかし、高橋先生の名を利用し、好き勝手にやっている者がどれほど恐ろしい目にあうのか、それはいずれ自分自身で知ることになります)

こんな詐欺師のような教祖の下では、何も得るものなどありませんし、金もむしりとられますが、間違ったことを正しいように教えられ、一生間違った人生を正しいと思い込まされて歩むことになりますので、このような人たちは生きている間だけではなく、死んだその後も苦労しなければならず(間違った心のままで死ななければなりませんので、当然地獄行きです)、実際は何一つよいことはありません。しかし、それが本人にはまったく分からないのです。

宗教は阿片とはよく言ったものです。間違った宗教は体だけでなく、心まで蝕んでしまうのです。

宗教法人に課税することは、このような人々も救い、間違った宗教にだまされる人が減れば社会も健全化しますし、一番の問題である恒久的な税が得られることになります。これ以上よい課税はないのではないでしょうか。

何も十パーも二十パーも課税しろと言うのではないのです。ほんの数パーセント課税するだけで、数兆からの税金が毎年入ってくるのです。こちらの増税をやらないで、他のものを増税するのはおかしいでしょう。

この宗教法人に課税する、ということは恒久的な税を得られるということもありますが、一番の目的は、おかしな宗教にだまされている人を救うということです。

寺社奉行制度がない現在、宗教はやりたい放題です。人をだまして金をとっても、それは神様がそう言われたからと言えば、その宗教を盲信、狂信している信者たちはそれをそのまま信じてしまいます。周りが何を言っても聞かないのです。

しかし、その教団が利益を上げすぎていると分かり、より多くの人があの教団はおかしいのではないかと騒ぎ出せば、さすがに盲信、狂信している人たちも、少しおかしいのではないかと気づき目を覚ます人たちも出てきます。

このような、宗教とは名ばかりの詐欺団体を白日の下にさらし、多くのだまされている人たちをも救うのが、宗教法人に課税するということなのです。

新燃岳の噴火が止まりません。なぜ大教団の教祖様たちはそれを指をくわえて見ているだけなのでしょう。大教団の教祖様たちは神や釈尊、キリスト以上の方々がたくさんいられるはずです。(さすがに釈尊もキリストも自分を神とは一度も言われなかったですし)神などと言われている方がいるのであれば、火山の噴火など簡単に鎮められるはずです。宮崎、鹿児島の方々は困っているのですから、新燃岳の噴火を鎮めていただきたいと思っています。

釈尊やキリストでもそれくらいのことはできます。神や釈尊、キリスト以上の方々ならそれくらいのことは朝飯前なのではないでしょうか。もし、そのような方が一人も現れないとなれば、日本にいる教祖は皆偽者ということになってしまいます。大教団の信者の人たちもぜひ教祖様に「新燃岳の噴火を鎮め宮崎、鹿児島の人たちをお救いください」と頼んであげてください。でないと、あなたたちの教祖は偽者と世間の人たちに思われてしまいますよ。

申し訳ありませんが、新燃岳の噴火を鎮めることのできる教祖など、現在の日本には一人もいないでしょう。ということは皆偽者ということになってしまいます(笑)。

マァ私ならできますが……ハハ、冗談です。宮崎県は鳥インフルエンザも拡大しているとのこと、どちらにせよ知事の心が変わらないと収まらないでしょう。

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