>>ブログトップへ

2012年10月

10月 31 2012

大きな罪

悪魔のささやきに従えば不幸になるのですから、いい加減観念され神の使いに従われたらどうでしょうか?(私などの言うことを聞くのは死んでもいやですか?)

前回も書きましたが、その方がよほど幸福になります。現実に悪魔のささやきに従った結果、多くの人が不幸になったではありませんか。

多くの人が私にちょっかいをかけたばかりに、名古屋は大変なことになっています。(相変わらず救急車のサイレンよくしてますし)それにちょっかいをかけた人、もういつどのような病気になるかわからないのです。(名古屋にいる人はその意味よく分かられると思います。このような状況ではね…ラグエルでしょうね、やってるの)

朝起きてどこかにしこりができてたり、トイレに入って血便が出たらビビるでしょう。そのようなことがいつ起きてもおかしくないのです。そんなんでは生きた心地しません。仮にそのようなこと起らなくても、毎日そんな心配していたら一生楽しくありません。

言ってはいけませんが、そのような生活を私にちょっかいをかけた人は、これから続けるしかないのです。(私の周りでは次々に奇跡が起きています。そのような現象は必ず起きますよ。脅しではありません。本当のことを言っているのです)

バスの運転手の皆さんよろしいのでしょうか?名鉄の皆さんはどうですか?(名鉄など昨日も人身事故があったようですね。二、三日前にもありましたよね。ここ二、三週間くらいの間に、もう四回ほどそんなことなかったですか?最近ろくなことありませんね、やはり神の使いに嫌がらせなどするといいこと起きません)

神の使いにおかしなことをすれば、おかしなことが起きるのです。(だからよいことをすればよいことが起きます。逆もまたしかりです)どれだけ怒っても無駄です。起きるものは起きるからです。神の使いに従うのは死んでもいやだと言うなら、本当に死ぬことになるのです。

そのくらいのことで、などと考えている人がもしいたとしたら、あまりに考えが甘いですね。あの異様な事件が起きた未来の連中でも、園頭先生に直接どうこうしたわけではないのです。ただ陰で(というか堂々と言っていましたが)散々園頭先生の悪口を言ったのです。それだけで先生が亡くなられた数年後、あのような恐ろしい出来事が次々に起きたのです。

それほど神の使いを汚すことは(本人がいてもいなくても)罪になるのです。(だから私は言ったのです。釈尊やキリストの悪口を言い続けてみなさいと。そんなことをすれば必ず恐ろしいことが起きますよと。それほど偉大な人への悪口は、それをするだけでも大きな罪になるのです)

私に嫌がらせしている連中など、陰でも私のことをボロカス言っているでしょう。ということはどれだけ深い罪を負っているか分からないのです。だから私は必ず恐ろしい現象は起きると言っているのです。(特別このような人たちだけではありませんが、現代の人はあまりに神の使いを低く見すぎています)

たった一人で、本当の神の教えを伝えている者の悪口などもってのほかなのです。本当はこの世に出ているすべての人が、その者の手伝いをしなければならないのです。それなのに手伝いをしないばかりか、悪口を言って嫌がらせまでするなど言語道断です。どれだけ大きな罪をつくっているかしれないのです。(そんなことを天が許すはずがありません。だから名古屋には恐ろしいことが現在起きているのです)

このままでは、そのような人たちの罪はどれだけ深く大きくなるか分かりません。それでも意地を張ってバカなことを続けますか?それとも、それを反省し詫びられますか?

どこかの総理だけでなく、そのような人たちの決断も間違えると大変なことになるのです。何度も言いますが、よくよくお考えください。

追伸…前回、賛助会員のお母さんの話を少し書きましたが(末期癌の人の痛みがくなったという話ですが)私はこの方を亡くなられた後も(亡くなられたと連絡をいただいたものですから)正しい道に進まれるよう神に祈っておきました。(だから亡くなられた後も、あまり迷うことなくご自身を反省され、天上界に昇られたと思います)

本当に“引導を渡す”とはこのようなことを言うのです。

現在のように坊さんが来て、ただお経を上げているだけで死者が悟って成仏すると思われますか?(だって皆さんお経の意味知らないんですよ、亡くなっても意識はそのままなのです。いくらお経を上げられても、死んだ後どうすればいいのかさっぱり分からないでしょう)

しかし、私のような祈りをしておけば、死んでもちゃんとその人を導いてくださる霊がきてくれます。(その人の守護、指導霊はいられるのですが、より高い方もきていただいた方が、その亡くなった人も悟りやすいでしょう)だから、そのような祈りの方がよほど死者を正しい道に導けるのです。

最近あの世の話が多いのですが、このままだと死ぬ人たくさん出てきそうなので、ちょっと詳しく書いています(誰も反省しそうにありませんしね、どれだけ言っても皆さんあまり真剣に聞かないようです)…優しいでしょう私。

0コメント

10月 29 2012

悪魔のささやき

昨日は市バス連中にずいぶんシュシュやられました(近所で反省できない連中も似たようなもんなんでしょうが)何でしょうねあの態度は。私がワザワザ地獄界を具体的に教えてあげているのに、感謝もせず余計に怒るとは子供と同じです。本当に感謝を知らない人たちです。名古屋の救急車のサイレンも止まらないはずです。

このような連中は人がどうなろうが関係ないのでしょう、もっと言えば自分がどうなっても関係ないのでしょう。このような態度こそ本当に命を粗末にしています。命は自分が与えたのではありません。それも神より与えられているのです。(自分で自分の肉体を作ったわけではありませんからね、この世のすべてのものは神からの借り物なのです)神からの借り物を、何一つ大事にできない人が幸せになれるはずがないのです。

しかし、分かりませんね、もういつ癌になるかもしれないのに怖くはないのでしょうか?

そうではありませんね、本当は怖くて怖くて仕方がないのです。それが悔しくて私に八つ当たりしているのです。まさに子供のようですが、このような人たちは普通の人よりもっと臆病なのでしょう、逆に私に何かしないと怖くて仕方がないのです。普通の人以上に気が小さいのです。

それなら素直に詫びればいいものを、気が小さいのでそんな勇気もないのです。しかし、私は前回書いた、末期癌の人の、その癌の痛みが無くなった、という奇跡を起こしたことがあります。(賛助会員の岩田さんのお母さんですが、この方の最期は眠るように亡くなられたそうです。このような方は、癌で亡くなられたとはいえ救われるのも早いでしょうね、生きているうちにすでに救われたのですから)

このような奇跡も起きているのです。神の教えを信じ、その教えを伝えている者を信じてくだされば、このような有り得ない奇跡が起きるのです。(末期癌の患者の痛みがとれるなど、医者も不思議がっていたそうですから)

そのような奇跡が起きている者の言うことに何で逆らうんでしょうか?(もちろんそれ以外でも奇跡は起きています。皆さんそれはよくご存知だと思いますが…他はあまりよい奇跡ではないのかもしれませんが、奇跡は奇跡です)

きっと、私の悪口を扇動している人がいるのでしょう。多くの人はその扇動に乗っかっているのです。その人が完全に悪魔の虜(とりこ)となっていることも知らずに。

今騒がれている、兵庫県の尼崎の変死事件で起訴されている角田被告は、怒ると人が変わったようになったといいますが、あれなど完全に悪魔に支配されていますね。怒った途端、地獄と心が同通し、地獄界から悪魔を呼び寄せてしまうのです。その悪魔に角田被告は憑かれてしまうものですから、人が変わったようになるのです。(現実に心は入れ代わっているからです、悪魔と)

またやっていたことも(あの何人もの人を監禁し殺した事件ですが)地獄界の住人がやっていることとそっくりなのです。(高橋先生のご著書「心の指針」に書かれてある“ある地獄界への旅”の部分に、あの連中のやっていたことと、同じようなことが書かれてあります)

やはり地獄の悪魔に憑かれてしまうと、やることも地獄界のそれと同じになるのです。

私の悪口を言って嫌がらせを扇動している人など、まさにそれでしょう。地獄の悪魔は私が邪魔で仕方がないのです。私さえいなければ、この日本はもう悪魔の天下ですからね。(他の弟子たちはまるでダメだし、法はまったく拡がっていないのに、自由、平等、男女同権、男女平等、そういう考えこそ正しいと、間違った考えは十分拡がっているのです。そんな考えが拡がれば世の中バラバラになってしまいます。これからも徹底的にそんな考えに私は異を唱えます)

私を悪く見て、悪口ばかり言い、嫌がらせしている人など、悪魔の虜となっている人に過ぎません。そんな悪魔のささやきにのってはならないのです。(現実にそんな人の言うことを聞くから不幸になっているのです)

神の心に目覚めなければ、幸福などやってこないのです。私の悪口ばかり言う人の意見を聞いていて奇跡が起きたでしょうか?私は常に奇跡が起きています。

人の言うことなど聞くのではなく、自身で判断してください。そのようにして正しい判断ができた時、初めてその人に神の光が届きそこに奇跡が起きるのです。

0コメント

10月 28 2012

地獄界

救急車のサイレンも少し減ってきたようです。多い時は朝から、救急車のサイレンがあちこちで鳴っていましたからね、それよりは多少ましになったようですが、その分、七大天使がこちらに意識を向けたということですので、それはそれで怖いです。

現在の名古屋では、毎日多くの人が救急車で運ばれているのですが、例えば、この人たちが全員癌患者(癌患者が救急車で運ばれるなど普通は考えられませんが…だから例え話なのです)であり、あちこちから癌患者が続出したとします。(もちろん例え話ですが、そのようなことが、私が前に入っていた“教育研究会 未来”で実際に起きたものですから書くのです)そうして、その癌になった人がバタバタ死んでいったとします。その死んだ癌患者はどうなるのかと申しますと、行き先は地獄界です。

死と申しますと、これまでは死んだら無になる、だから意識も何もなくなる、と思われていましたが、残念ではありますが、釈尊の過去世を持たれた高橋先生が、この日本に生まれられ、あの世のことも細かく説明され、霊の存在まで証明されました。(現象を現されて)ですから、死んだら無になる、あの世などない、と言っている人たちは、ただ口でそう言っているだけであり、何の証明もされたわけではありませんので、そのような口先だけの人の意見を信じるわけにはいかなくなりました。

従って、あの世や霊の証明までされた高橋先生の言われることを、当然私は信じます。高橋先生が癌で亡くなった人が、どのような世界に行くのか、説明されてみえましたのでそれを書きます。

まず、癌で亡くなった人は(当然ではありますが、癌患者は亡くなる時にひどい痛みに襲われます…特に末期癌の患者の痛みはひどいそうですね)死んでも、その意識のままです。つまり意識はそのままで、その意識だけが肉体から離れますので、肉体だけ見れば楽になったように見えますが、しかし、その肉体を抜け出た意識は、それが理解できず、実際は肉体から抜け出ているのですから、肉体の痛みは無くなっているはずなのに、その意識(霊)は末期癌の痛みを引きずりそのままの痛みが続くのです。(この世は薬で痛みを和らげることなどできますが、あの世に行けばそのようなことできません。末期癌のひどい痛みがそのままずっと続くのです)

その霊が自分が肉体を抜けて死んだと分かるまでです。そんなことすぐ分かるだろうと思えますが、実際はそれがなかなか理解されないようです。自分に置き換えて考えてみれば分かりますが、実際に自分の肉体に痛みがある時、その痛みがひどければひどいほど他のことが考えられなくなります。それにほとんどの人が死んだら無になると思っていますので、意識があるうちは生きていると思っています。死の自覚などそう簡単には得られないのです。

ということで癌で死んだ人は、肉体だけ見れば楽になったように見えますが、実際はその死んだ時点のひどい痛みを感じたまま、死んでも(肉体を意識が抜け出ても)ずっと苦しみ続けているのです。自分が死んだと理解できるまでです。(これが人によっては数年から数十年苦しみ続ける人がいるそうです。ほとんどの人があの世などないと思っているからです。これなど唯物論の最たる弊害です)

当然このような人は真っ暗な地獄界で苦しみ続けるのです。(痛い、苦しいという心はそのような世界を想像します〔まさか痛みや苦しみのある人が、明るく楽しい世界など想像できるわけもありませんので〕その想像した通りの世界に行くことになります)

そのような世界で長い人は数百年も一人苦しみ続けるのです。自分で気づくまでです。ゾッとしませんか?

だから私は、早く神の教えに気づかないといけない、反省しないといけないと言っているのです。(この世でそのような心グセをつけておかないと、死んでからではなかなかできないからです。誰も教えてくれないからです。実際は教えてくれる人がいるのですが…自分の守護、指導霊ですが、その声が痛みで耳に入らないのです。ですから実際は自分で気づくしかないのです)

これは癌で死んだだけの人ですが、これが神の使いに逆らって死んだということになりますと、その苦しみも桁が違ってきます。(神の使いにこの世で出会えただけでも、それほどの幸運はないはずなのに、その方に逆らって自分が命をなくしたのですから、どれほどの罪を負ったか分かりません。だから苦しみの桁も違ってくるのです)

どのような世界にいかなければならないかは、その人の心の程度(どれだけ神の使いに逆らったか)により分かりませんが、私は園頭先生の悪口を、先頭きって言っていた先ほど書いた“教育研究会 未来”の主宰者である北村氏(女性)が、大きな激流の河のど真ん中を、カッと目を見開いて流されていく姿が心に映ったことがあります。

しかも、その激流の大きな河に流れているのは水ではなく、すべて真っ赤な血で、その血の河を北村氏はずっと流されていったのです。

この人はまだ生きていますが、園頭先生の悪口を散々言った心のままで、この人が死ねば、そのような(想像を絶する地獄の)世界に堕ちていくのです。そこで自分が悪かったと反省できるまで、そのゾッとするような地獄の血の河を流され続けるのです。私はそれを十年以上前に天から観せられました。(それを観せられたのはほんの一瞬でしたが、それでも鳥肌もんの気持ちが悪い世界でした。そんなこの世では考えられない気味の悪い世界で、血の河の中をずっと流され続けるのです。そんな状態で自分は悪かったと反省できると思いますか?ちょっとやそっとでは反省できるものではありません。ということは、その苦しみが長く続くということです…下手をすれば数百年もです)

この北村氏の例を見ても分かりますが、神の使いの悪口を言ったり、無視したり、嫌がらせしたりすることは、どれだけの罪をつくっているのか分からないのです。それをこの世の人々は軽く考えすぎているのです。(地獄に堕ちてもしょうがないなどと考えている人が、もしいたとしたら恐ろしいくらい考えが甘いです。地獄とは、そんなに軽く思える世界ではないのです。想像を絶する苦しみの世界なのです)

神の使いに対する思い態度を間違えれば大変なことになります。

今現在の心と行いがどれだけ大事なことなのか、このような地獄界を少しでも知るのであれば分かられるのではないでしょうか。

追伸…やってはいけないことをやってはいけない者にやり、ただで見てはいけないものをただで見ていては天も怒ります。

ということであれば、やってはいけないことをやらず、ただで見てはいけないものにお金を払えば、天の怒りもとけ恐ろしい現象も収まるということになります。

もちろんそれは、その者が本当の神の使いで天からの使者ならば、と言う前提条件がつきますが、しかし、どれだけその者を多くの人が認めなくても、その者の祈りはきかれ、言うことは起り、その者の警告を無視しているばかりに、多くの人が苦しんでいるのです。

そうであるならば、まず、そのことを知っている人がその態度を直さなくて、どうしてその人々の苦しみがなくなるのでしょうか?知っている人から始めなければ何も始まらないのです。

知っている人から始めることが恐ろしい出来事が収まる唯一の方法なのです。そうしなければ恐ろしい出来事は続き、最後は自分自身が滅ぶことになるのです。

0コメント

10月 26 2012

いろいろされた皆さんへ

いつまで知らん顔していれば気がすむんでしょうか、このまま救急車走りっぱなしにさせておくつもりですか?

よくこれだけ名古屋を混乱させてくれましたね、これだけ多くの病人やらけが人やら出したんですから、もうあなたたちただではすみません。その責任はとっていただきます。

一向に詫びを入れず反省した態度もないということですので(だって未だに嫌がらせみたいなことやってる人いますし)強制的に責任をとらせるほかありません。それを天が行うことになりました。

もちろんその方法はあります。すでにそれはこのブログの中に書いております。そちらをお読みください。

「園頭先生に悪口を言った人に起きた恐ろしい出来事」です。(今年の一月始めから中頃にかけて書いたと思いますが)そこに書いてある現象と同じ現象が、あなたたちにも現れることになります。

あまりにも態度が不遜でしたね(それを少しも反省しようともしないし)天はカンカンです。もうこれ以上はそのままにしてはおけないそうです。

それはそうでしょう、名古屋にこれだけのことが起きているのです。(救急車が毎日走り回っています。日に十回も二十回も救急車のサイレン聞くんですから異常もいいとこです。それがもう二十日以上も続いているのです)これほどの現象が起きているにもかかわらず、神の心を知ろうとしないばかりか、自分たちの態度を改めようともしないのです。(ということは、そのような人は、多くの人が不幸になっていても知ったことではない、と思っているということになります)それは万死に値するほどの罪を犯していることになります。だから、そのようなことを本人に起こすしかない、ということを天は決められたのです。

自分でそのような態度を取ったのです。もう覚悟を決められた方がいいと思います。

このように書いたことに怒り、また私に八つ当たり的な嫌がらせでもしてみなさい、今度は、その現象はそれをした人だけでなく、その家族にまで及びます。天はそのような人たち(そのような心の人間を育てた家族にも責任があるということで)をことごとく引き上げられることに決められたのです。あなたたちが私にくだらないことをすればするほど、恐ろしい現象は、あなたたちの縁ある人たちにどんどん拡がっていくのです。

それは現在名古屋に起きている現象を知るのであれば、理解していただけると思います。(今、名古屋に起きている怪奇現象は、あなたたちにそのようなことが本当に起きるということを知らせる、デモンストレーションの意味もあるのです)

ここ二、三日で救急車のサイレンが減ってきたように思いますが、それはなぜだか分かりますか?それは七大天使が不特定多数の人に向けていた意識を、あなた方に向け始めたからです。(しこりができたり、血便やらでたら即病院行かれた方がいいと思います。が、そんな病状が現れたらすでに手遅れでしょう、前にいた会で癌になって助かった人、一人もいなかったのですから)

たしかあの「園頭先生に悪口を言った人に起きた恐ろしい出来事」を書いた、しばらく後からじゃなかったでしょうか、私の近所に恐ろしいことが起き始めたのは。

ここに書いたことを誰も信じないのであればそれもいいでしょう、しかし前回そのようなことを書いて警告したにもかかわらず、それを無視したばかりに恐ろしい現象が起き始めました。(それが現在に至るまで続き、しかも被害が拡大しています)今回も同じです。ここに書いたことを無視し、多くの人が態度を変えないというのであれば、ここに書いたことは起きるでしょう。(これが最後通牒です。これだけ書いて、それでも私の言ったことに従はない、というのであればそれで終わりです。言ったことを速やかに行ってください)

多くの人が神を信じ、神の心を実践しようとしない限り恐ろしい現象は続きます。多くの人が天の命には従うほかないのです。

追伸…「園頭先生に悪口を言った人に起きた恐ろしい現象」に起きたことは、私に嫌がらせした人だけに起きるわけではないそうです。何年も前から私のブログを読んでいて何もしようとしない人、そのような人にも起きるそうです。(そのような態度は嫌がらせしていることとなんら変わらないそうですので…従って賛助会員の方々は除外されます)

もし、自分がヤバそうだと思った人は(これは少し前から読み出した人とか入るかもしれないし、少しでも私に嫌がらせした人も入るかもしれません。とにかく名古屋で多くの人が次々に病院に運ばれる、という考えられない怪奇現象が起きているのです。どれだけ対象が広がっているのか分かりません)ご寄付ください。(私のブログを見ている方その方が安心でしょう、厄払いでもありますし、徳にもなるんですから何も問題ないはずですが…加藤さん、あなたも危ないです〔汗〕)

繰り返し言っておきますが、現象(病状)が出たらもう救えないのです。私はそのような人たちをたくさん見ています。そのように天に急に引き上げられる人などは、それは百人が百人地獄行きです。前回書いた話とはまったく逆のことをその人はしたからです。

現在の名古屋にはそれほど恐ろしいことが起きています。今起きている現象の恐ろしさをご理解ください。

0コメント

10月 24 2012

一番大事なものとは

昨日は局地的大雨や突風など各地荒れた天気になりました。民主党のことなど書いていると天気まで荒れます。

そういえば北海道の泊原発の件どうなっているんでしょうか?さすが民主党です。票にならないことはやろうともしません。北海道のことなどどうでもいいようです。今年の冬どうするんでしょうか、大丈夫なんですかね北海道は。(北海道の方々もう民主政権を何とかするしかないと思います)

その原発の問題ですが、今度安全性が見直され活断層の厳格化がされるそうですが、たしかに原子力を扱うのですから、安全が重視されるのは大事なことですが、活断層の基準を拡大し、そんなに厳格化されてしまったら、これ以降原発をつくることはできるのでしょうか?(脱原発が言われていますので、それを推進している人たちには好都合でしょうが)何十万年も前に動いた断層まで活断層と見るのは本当に正しいのでしょうか?

この前イタリアで、地震予知に失敗した地震学者が実刑判決を受けましたが、実刑まではともかく、明らかに大きな地震が来るのを予測すらできなかった地震学者には(例えばこの前の東日本大震災などそうですが)何らかのペナルティを課すべきだと思いますよ、そうしないと地震学も進歩していかないのではないでしょうか。まだ地震学はそこまで進んでいない、で済ましていては地震学も発展していかないと思います。

あまり危険危険と言われてしまっては、大きい仕事ができなくなります。どこまで信用していいか分からない地震学者の言うことを、鵜呑みにしていては何もできません、あまり臆病では進歩しないのです。

命が一番大事だから原発はいらない、子供たちのためにも原発廃止、などと叫んでデモしている人が多いのですが、一番大事なものとは本当に命なんでしょうか?それ以上に大事なものはないのでしょうか?

命より大事なものなどない、とそのような人たちは声高に叫ぶのでしょうが、では、そのような人たちにお聞きします。

今年の夏は暑かったのですが(何せ九月の気温が観測史上最高でしたから)暑い日には必ずと言ってもいいくらい水の事故が起き、亡くなる人がいます。そのような人たちは気の毒ではありますが、そればかりか、そのような人たちを助けようとして亡くなる人たちまでいます。

このようなことを考えますと、命が一番大事と叫んでいる人たちは、水の事故で亡くなる人は気の毒だと思っても、それを助けようとして自分の命をなくした人たちは気の毒だとは思わない、ということですね。

だってそうですよね、命が一番大事なんですから。

人の命を助けようと自分の命までかけて、その一番大事な自分の命をなくしているのです。命が一番大事といわれる人から見れば、このような人は、自分の命を粗末にしたこんなバカはいない、ということになります。

私は、自分の命までかけて人を助けようとした人は、これだけ立派な人はいない、と思うのですが、命が一番大事と言われる人たちとは相当の意見の相違があるようです。

意見のまったく違う人たちに何を言っても無駄なので、私は私の知っていることを書いておきます。

このようにして亡くなられた人は、百パーセント天上界にいきます。自分の命までかけて人を救おうとされたのです。これ以上の善行はこの世にありません。従って、このような行為をされて亡くなられた方は、すべて天上の世界に生まれるのです。

それは、命を救おうとした人を救えても救えなくても同じです。自分の命をかけてまで人を救おうとした、そのような心と行いが尊いのであり、結果は関係ないのです。だから私はこれほど立派な人はいないと先ほど書いたのです。

このようなことを考えますと、一番大事なものとは本当に命なのでしょうか?

そうではありません。その大事な命をかけて何をするのか、ということが一番大事なのであり、そのような心を私たちは決して忘れてはならないのです。(そうしないと人は進歩していかないからです)

原発を進めるなら進めるで、その安全性(震度七や八以上の地震がきても絶対壊れない原発をつくればいいのです)利便性はもちろんのこと、放射性廃棄物の処理までしっかりできるようにすることです。そこまで完璧なものをつくるのであれば、何十万年も前の断層まで気にすることはなく、何も原発を反対する理由はないはずです。(原子力のような超巨大なエネルギーをコントロールすることができれば、これほどの恩恵はありませんから)

中途半端なものをつくるからダメなのであり、完璧なものをつくれるのであれば、多くの人がその恩恵を得ることになるのですから、文明の発展も計り知れません。

それをできないと諦めるのではなく、できる努力をすることです。その努力を命をかけてするのであれば、私たちに不可能はないのです。なぜなら私たちは神の子だからです。神につくられた私たちには、元々神の能力が備わっているのです。しかし、その能力を引き出すには(その能力が大きければ大きいほど)命をかけて必死でやらなければ引き出せないということです。

だから、私は言っているのです。原発を捨ててはならないと。必ずこの超巨大なエネルギーである原子力をコントロールする方法はあるのであり、それをこの世に現さなければ、その使命を持って生まれてきた人たちは、自分の使命を果たしたことにならないのです。

仮に原発をやめるにせよ放射性廃棄物の問題は残るのです。それをどうするのですか?原発の研究を続けなければ、それこそ子供たちの時代まで禍根(放射性廃棄物)を残すことになります。(脱原発を言っている人たちなど、進歩も成長も妨げる思考停止理論を言っているに過ぎないのです)それをどうにかするまでは、やめるにやめられないのではないでしょうか。逆に言えば放射性廃棄物の処理は、ちょっとやそっとでできることではありません。あらゆる面で科学が発達していかないとできないのです。であるならば余計原発は必要なのではないでしょうか。すべてのエネルギーを使って発展していかなければ、科学の発達など進まないし日本の発展も望めないからです。(それに放射性廃棄物は、原発があるどこの国でも処理に困っているのです。核燃料サイクルにもし日本が成功するのであれば、日本は世界を救うことになります)

後ろ向きの発想では天啓は得られません。一番大事なものは命、そこで止まっていては進歩はありません。人にはそれぞれ持って生まれた使命があります。その使命は簡単に果たせるものではありません。(また自分の本当の使命に気づくことも容易ではありません)

しかし、その使命に気づき果たすことは命がけでそれに取り組まなくてはできません。従ってこの世で一番大事なものとは、命がけで自分のやるべきことに取り組む、そのような心こそ一番大事なものなのです。

(未だに私に詫びようともせず嫌がらせなどしている人たちがいますが、そのような人たち次回のブログちょっと怖いです)

0コメント

Next »


あなたは人目の訪問者です。