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2013年1月

1月 26 2013

超集団ストーカー

少し前に、集団ストーカーに遭われている人から相談を受けたことがありますが、その人、自殺も考えているといわれていましたが、今の私の状況はその人以上でしょう。

だって、道を歩けばあちこちの人から見られる、バスやトラックの運転手は私のことを知っている(どこかの全国区の運送業者のトラックなど、そこらじゅう走ってますからね、どこ歩いてても見ます)どこかの店に入れば、その店の従業員も知っているんですから、おかしなとこ入れません。(笑)

見られているだけなので(たまに、いやな顔されたり、嫌がらせされたりはするんですけどね〔笑〕)こちらは痛くもかゆくもありません。気にしなければいいのですが(別に集団ストーカーに遭ったからとはいえ、自殺するほどの大げさな話でもないでしょう、何でそこまで思いつめるのかよく分かりませんが?)しかし、それだけ多くの人が私のことを知っていて、嫌がらせする人しかいないというのも残念な話ですね。神の教えに興味がある、従順になる、というレベルの高い人は一人もいないのでしょうか?

あまりにそのような人が少ない(というか、今のところ皆無です)ので、もう私に嫌がらせなどしようものなら即座に祈っています。(男女、子供に年寄り関係なしにです。すべて心は大人ですから)

もちろん私に祈られれば、それなりの現象はある程度の時間内に現われると思いますよ。何せ祈って地震が起きたり、台風や大雪を降らせたりしたことがある者ですからね(そういえば、ちょうど去年の今頃でしたね、あの超異常寒波に襲われ大雪が降ったのは)何らかの形で祈られた人は結果が現れると思います。

そのようなことが、理解できない人も気の毒だとは思いますが、やはり一番よくないのはその人でしょう、私のことを知っていてそのような嫌がらせをするのですから。(祈って、地震が起きたり、台風や大雪を降らせることができる人も、そうはいないと思うのですが、それを承知でその人に嫌がらせするのです。普通はそんな人にそんなことをすれば、何か起きたら怖いと考えるはずですが、そういう考えはまるでないんですね。自分にだけは何も起きないと思ってやっているのでしょうか?というより、そのような人はやはり感情が先にきてしまうんでしょう)

何が起きても別によいと思ってやっているのか、私のやっていることが間違っている(または面白くない)と思ってやっているのか知りませんが、少なくとも、自分のやっていることは間違っていないと思ってやっているんでしょう。しかし、人に嫌がらせをすることが間違っていないとは私には思えません。そんなことする人はたぶん、他の人にもそんなことやっているんでしょう。人に嫌がらせすることが正しいか間違いかは、口でいって分からなければ天にきくほかありません。そのような人たちはやはり徹底的に祈るべきだと思います。(そういう人たちを私はいい人だとは思いませんから。というより、そんな性格は直した方がいいと思いますので遠慮なく祈れます)

それに私、近所で何が起きているのかまったく知りません。ということは、自分の祈りがどれくらいきかれているのか分からないんですから、祈りを加減するということもできません。もし、ひどい現象が近所に現れているということを知れば、さすがに祈るのをやめようと思うかもしれませんが、自分の祈りなど全然きかれていなくて、何も起きていないかも知れないのです。そうであるなら、もっともっと真剣に必死に祈らなければいけませんので、天にも「どうぞ、今以上の現象を現してください」としか祈れないわけです。(当然ですよね、私のことをなめて嫌がらせする人はいても、畏れて神の教えに従順になる人はいないんですから。ということは、たいして現象も現れていないとしか思えません)

従って、これまで以上の祈りは当然必要だと思います。(だって、たいしたこと起きてないんですよね、皆さんの態度を見ていれば分かります。どう考えてもたいしたこと起きてません。私に嫌がらせはしても、誰一人協力してくれないんですから)

ずいぶん救急車のサイレンも聞こえてきますが、きっと、ノロウイルスか何か流行っているんでしょう、私の祈りとは何のかかわりもありません。マァ、私のように超集団ストーカーに遭ってるわけでもないのですから、皆さん気楽なものでしょう。うらやましい限りです。

神の教えを勉強しないことが悪いことなんだ、と分かってくれる人がたくさん出てくるまで、やり続けるしかありません。

それが神の命なのですから。

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1月 25 2013

心の程度

それにしても私のブログは話題沸騰ですね(一日百人くらいの人しか読んでいないというのが信じられません。もっといるんじゃないか?と思ってしまいます)少し危なそうなことを書いただけで、あちこちで嫌がらせされるんですからね、笑ってしまいます。(そんなに怖いなら神の運動を手伝えばいいのに、それはしないんですね〔笑〕)

特にバスの運転手は反応がいい、昨日など二、三の人に同じようなことされました。(ブシュとね…何か打ち合わせでもしてるんですか?)そんなことしてくるものですから、私がその運転手を祈ると、ムッとした顔をしてこちらをにらんでくるんですから呆れます。なら、そんなことしなきゃいいのに、なぜそんなことをしておいてこちらをにらむのでしょうか?ほんと不思議です。

一人とぼけた運転手がいましたね。おもいっきり私の横でふかしておいて、さも私がいるのに気づかなかった、という顔でこちらを見ていましたので、その運転手もおもいっきり祈ってあげました。すると、その運転手、すごい顔でこちらをにらんでいました。(笑)

私がする祈りの意味をよく分かっていないようなので、その運ちゃんに一言いっておきます。あなたがもし私がいることに気づかず、そのようなことをしたというのであれば、私がどれだけ祈ろうと、あなたに何か起きることはありませんのでご安心ください。しかし、私に向けて嫌がらせしたにもかかわず、とぼけてそのような態度をとったというのであれば、あなたは二重の罪を犯したことになります。(私に嫌がらせしたことと、それをごまかそうとしたことです)あなたに起きる現象はよけい早まるでしょう。それはご了承ください。あなたが悪いのです。

私の祈りは絶対に間違いはないのです。それはどういう意味かといえば、私が何かされたと思い、その嫌がらせをしたと思った人を祈っても、その人にそんな心がなければ、その人に何か起きることはないからです。すべて、私たちの心は天から見通されています。私が嫌がらせされたと勝手に勘違いして、どれだけその人を祈ろうと、その人にそんな心が少しもなければ、その人に何か起きることはありません。だから私は片っ端から祈っているのです。

間違いがないし(私は間違えても天は間違えません。おかしな心がない人にいくら私が祈ろうと、天が何か起こすはずがないのであって、もし、何かその人に起きたとしたら、それは反省しなければならない心がその人にあるからです。それを謙虚に反省するしかないのです)口で(ブログで)いっていても誰も私のいうことなど聞かないからです。(これだけいろいろな現象が、次々に起きていてそれでも聞かないのに、口だけでいっていては誰も聞くわけありません)それではいつまでたっても法は拡がりません。逆にいえば私には祈るしか手がないのです。だから、片っ端から祈るのです。

しかし、私もずいぶん有名になったようで、私に嫌がらせする人、道など歩いていれば、そこらの会社からバスにトラック、はては電車までたくさんいます。(よほど嫌われているんでしょう〔笑〕)しかし、そんな中でも、前から見ていて感じたことなのですが、まったく私に嫌がらせをしようとしない会社もあるのです。(もちろん一人、二人はそんなことする人いますが、それは仕方がないでしょう)むしろ私に気を使っているように見えるところもあるのです。

例えば、同じトヨタ系の近所のディーラーなどでも、私に嫌がらせする従業員のいるところと、私が通るとむしろ気を使うところがあります。大きな運送会社でも(全国区の誰でも知ってる会社です)そこのトラックの運転手は、私に嫌がらせをしないで気を使っているところもあります。

なぜ、これだけ人により(会社により)やることが違うのでしょうか?

答えは簡単ですね、その人(またはその会社の従業員)の意識レベルが違うからです。

つまり、心の程度が違うということです。結局、私に嫌がらせしない気を使うという人は、私がやっていることの価値が分かっているのです。(その人たちがどのような言い方をしていようとです)価値が分かっているから何もしないのです。価値が分からない人(心が低い人)は、私は一人でやっているだけですので、何だこいつと、何かおかしなことが起きれば短絡的に、それはおまえのせいと平気で嫌がらせをしてくるのです。意識レベルが低いから、起きている現象の意味も価値も分からないからです。

こいうところにも意識の差、心の程度の差が現れるわけですが、やはり意識の低い人は、どれだけ現象が起きても分からないのです。これだけ現象が次々に起きているにもかかわらず(それも、それはおまえのせいと自ら認めていながら)それでもまだ私に嫌がらせをしてくるのです。それをして悪いことが起きた人がいるということを知っていても、やらずにいられないのです。

なぜそうなるのか?

心の程度の低い人は感情が先に来るからです。そういうことをしてはいけない、なぜこのようなことが起きたのか、と思うより、この野郎という気持ちが先に来てしまうのです。これでは正しい判断はできないでしょう。(こういう人は小さいところばかり見て大きいところは見えません。心が狭いからです。だから、私がしていることの価値がまったく分からないのです)

このような人を救うには、意識レベルの高い人が私に協力してもらうほかないのです。(私に協力してくれる人が増えれば、そんな多くの人が協力しているなら自分も、と思うからです。意識の低い人は、多くの人が動かなければ自分も動こうとしないのです)

昨夜から今日にかけて、救急車のサイレンがなりっぱなしですね(今もしていますが)明らかに何か始まったようです。

世は正法の世にすでに替わっています。正法の世に末法の心の人はいられません。もう心を変えるしかない時代が来ているのです。(そのような現象も次々に起き始めました)もちろん末法の世の心が深い人(心の程度が低い人)から現象が現れてきますが、しかし、私に嫌がらせをしない人(それはすなわち心の程度の高い人)も、すぐに現象が現れることはありませんが、いずれはそのような人にも現象は現れます。(結局そのような人も、法をしっかり勉強しなければ、正法の世の人とはなりえないからです)

そのような人から立ち上がらなければ、心の程度の低い人も救えないのです。このブログを読まれている方で、この教えに賛同できる方は少しで結構です。ご協力ください。

そうしなければ恐ろしい現象は止まらないからです。

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1月 24 2013

教育の大事さ

例の自殺した子の父親が、学校の先生を告訴したらしいですが、こういうことが起きてもいけないから、私は親にも一言いわないといけないといったのです。

あの傲慢市長はシャーシャーとして「大変重く受け止めている」とか「学校再生に向けてしっかり議論を」とかいってますけど、よくいいます、自分が八つ当たりしたばかりに、このような騒ぎになっているというのに。(まったく他人事のようにいっていますが、大きな騒ぎになればなるほど、この人罪をつくることになります。〔この人がその原因をつくったんですからね〕そうすると、この人自身に何が起きるてくるか分かりません。恐ろしいことをしたということは後で分かります)

そればかりか何か大騒ぎになってきたようですね、あちこちの学校で体罰が問題になり、告訴騒ぎが起きはじめました。

このようなアメリカのように、訴訟ばかり起こす社会をつくってはいけないのです。そこはお互いに話し合って、調和する社会をつくらないといけないのです。まして教育の問題です。行き過ぎがあるなら、保護者と教師がよく話し合い、よりよい教育のあり方を目指さないといけないのです。

もちろん体罰の隠蔽はいけませんが、あまり大げさに騒ぐのもいけないのです。体罰はいけませんが、愛のムチは仕方がない部分もあるのです。そうしなければ教育にならない子もいるし、ある程度の我慢や根性もつけなければ、後々そのような教育を受けなかったその子が一番困るのです。

昨日も少しあんなブログを書いただけで、もう嫌がらせしてくる人もたくさんいましたが、そんなバカ親的な人が多ければ、まともな子供も育たなければ、まともな社会にもならないのです。

だから現在のような(通り魔やストーカーなど異常な犯罪が多発する)おかしな世の中になっているのです。我慢することやけじめをしっかり教えていなければ、そのような社会ができるに決まっているのに、自分たちの教育が悪いとは一つも思わないのです。やれ、社会が悪い、政治が悪いと責任転嫁ばかりしているのです。これでよい世の中が来るわけありません。(そんなことばかりいってるから、視野が狭く自己中で心の狭い人しか出てこないのです。責任転嫁ばかりしていては心が成長していかないからです)

そういう犯罪が少なかったころの(数十年前までは、そんな犯罪はほとんどなかったのですから)教育に戻すべきなのです。(だいたいストーカーなどという犯罪など、私たちの小さなころは考えられませんでした。男が女の子を付け回すなど女々しいといわれ笑われたものです。オカマのいうことを聞いていては、そういうけじめは全然理解できません)

子供のうちに厳しさを教え、けじめを教え、悪いことをすれば痛い目にあうという、しっかりした教育が必要なのです。それがよい世の中につながるのです。(そのような教育を否定する人は、ではどうすれば、今のような異常犯罪が多発する世の中から脱するのか、そのやり方を教えてください。ただ、そんな教育はだめの書生論では話になりません。いってはいけませんが、そういう甘い考えの人が世の中を悪くしているのです)

しかし、これからは子供に痛い目などさせる必要はない、などといっている人が痛い目を見るようになります。

また、近所で何か起き始めたようですね。(雰囲気が変わるのですぐ分かります)当然でしょう、私たちの本当の親(神)はそれほど甘くはないからです。悪いことをしていて、そんなことをしていてはいけないと、何度いっても分からなければひどい目にあうのです。(何か、私が祈っても、何も出ないからいいと思っている人も多いかもしれませんが、とんでもありません。それは一日、二日では何も出ないということであって、半年一年のスパンで考えないといけないのです。私に何度も祈られている人は〔そのような人は、いつまでたっても反省できないという人ですので〕確実に現象は現れるのです。それがひどい現象か、それほどでもない現象かは分かりませんが〔その人の心のあり方によりますので〕そのような人には確実に現れます。〔すでに、いろいろな人に現象は現れているはずですが、まだ分かりませんか?〕だから反省しないといけないと私は何度もいっているのです)

それが当然の人の道であり神の心だからです。

これからは正しいことをしなければ、子供だけでなく大人も痛い目にあいます。神の心など知らないなどと、そのような自分勝手な意見はもう許されないのです。

大人も子供も同じです。甘い考えなど許されない時代がすでに来ているからです。

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1月 23 2013

日本の教育のおかしさ

しかし、あのヘリいつまで飛んでくるつもりでしょうか?(この前など夜に、ライトで下を照らしながら飛んでいましたが、ちょっとやりすぎでしょう。別に私脱獄犯じゃないんですから〔笑〕)

ヘリを見る度に「ああまた二百万が消えるのか」と思ってしまいます。(笑)もったいない話ですよね、あのヘリにかかるお金を少しでも寄付していただければ、私もこの法の活動ができますので、あの傲慢市長の好きにはさせないのですが、この状況では何もできません。ほんともったいない話です。(自分でいうのもなんですが、宝の持ち腐れですね、安部総理GTS心の研究所にも補助金ください)

もったいないといえば、河村市長が中学校の教室に設置する、冷房設備の設置費用が高すぎると難色を示していられるそうですが、冷房設備?最近の中学校は冷房がついているんですね。(私たちの時代にはなかったもので)高すぎるとかいうよりいらないんじゃないんですか、そんなもの。

本当に最近は甘やかすとか、過保護という言葉は死語になりました。これはある意味、人を堕落させますね。

なんでもそうですが、例えばどれだけ資質のあるスポーツ選手でも、その資質を引き出すには練習しないと引き出せません。練習をサボっていては、たとえ一流のスポーツ選手になれる資質があっても、その選手は一流にはなれないのです。

これと同じで、たとえその人が、すばらしい人になれる資質を持っていたとしても、その資質を引き出す努力をしなければすばらしい人にはなれません。甘やかしていては、その人のよい資質など現れてこないのです。過保護はよい芽をつんでいることと同じなのです。だから私は甘えや過保護は人を堕落させるといっているのです。

私は前に狼に育てられた少女の話を書きましたが、特に子供がまだ小さな時は、ある程度厳しく育て我慢を教えておいた方がいいのです。その方が大人になってからの我慢もできますし、成長過程で健全な育ち方をします。しかし、小さな時にしっかり育てないとやはり健全な育ち方はしません。(あちこち道を外れることが多いということです)すると後々支障をきたすことがたくさん出てくるのです。

狼に育てられた子の例を見ても分かりますが、小さい時に狼に育てられれば、人間でも狼のようになるのです。小さな時の教育はそれほど大事であるということです。

現実に最近の新入社員は、上司のいうことを聞かないし、少し上司に文句をいわれただけで、すぐその会社を辞めてしまう、そんな人が多いと聞きました。そんな少しの我慢もできないで、その人はどうやってその先働いていくのでしょうか?どうやって暮らしていくのでしょうか?小さな時に甘やかせば、結局大人になって不幸になるのです。

その子の将来を考えるのであれば(どちらにしても社会に出れば苦労はするのですから)少しでも早く苦労を覚えさせた方がいいのです。それが、将来のその子のためになるからです。今の教育方法はその逆をやっているのです。

考えてみてください。男でも女でもないオカマのような人など、所詮は変質者でしかないのです。ところが現在の日本は、なんとそのオカマが教育評論家をやり、そのオカマのいうことを多くの人は真剣に聞いているのです。多くの人が変質者のいうことを真剣に聞いているのですから明らかに変でしょう。

しかし、その異常な教育論がまかり通っているのが現在の日本なのです。

このように考えますと、男でいえば“質実剛健”や“清廉潔白”など、女でいえばやはり“良妻賢母”ですか、このような男や女になることが一番よいのであって正常なのです。

このような男や女になるには、やはり小さな時から、そういう男や女になれるよう努力しなければなりません。それには甘いことをいうより厳しいことをいう方がよいのであって、それがその人のためになるのです。

こういう男や女はだめと否定したのは、変質者のオカマの評論家や、神の心からもっとも遠い心を持つ、社会、共産主義の評論家たちなのです。

男は男らしく、女は女らしく、そうすることが男と生まれた、または女と生まれ人の第一の使命なのであって、まず、その使命を果たさないと次の使命は果たせません。最初の使命が果たせないということであれば、当然、自分の本当の使命など果たせるわけがないのです。(だいたい甘やかせていたら、どっちみち自分の使命は果たせないんですけどね、そんな簡単に果たせるような使命など誰も決めてきていないからです。そんな簡単に使命が果たせたら、自分がこの世に肉体を持つ意味がないし、それでは、まるで心の修行にならないからです)

甘やかしや過保護は百害あって一利なしです。人の育て方を間違えてはならないのです。

追伸…傲慢市長が、また適当なこといって自分の責任を煙に巻こうとしていますが、何で教育などしたことがない人が、大阪の教育現場は自分が預かってるなどと、えらそうにいってるんでしょうか?自分の教育さえしっかりできていないんですよ、この人。(うちの市長や知事に詫び一ついれられないんですから礼儀知らないでしょう)

分からないことまで口出してるんですからギャグでしかありません。そんなとこでギャグなどやられたら周りが迷惑です。ヤンキー先生、この傲慢市長ボコボコにしたってください、ボコボコに。

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1月 22 2013

勘違いの愚かさ

あの自殺者が出た高校の体育科の募集が中止されました。傲慢市長の傲慢な主張が通ったということになります。世も末ですね、教育委員会の存在意義ゼロです。あの市長のいうことなど無視して、普通に入試を行えばよかったのです。そうすればあの市長、予算を減らすとかいってるだけで、実際はそんなことしなかったんですから。

やれませんよ、だって今回のこの高校の入試中止など、ただの傲慢市長の憂さ晴らしだったんですからね。憂さ晴らしで予算を減らすことなどできないでしょう。

考えてみてください、今回のこの傲慢市長の異常な態度、おかしいと思われなかったでしょうか。いつもなら、これだけ大騒ぎになれば、さすがに傲慢市長も引くはずですが、まったく引こうとしませんでした。そればかりか世論の反対の声が高まれば高まるほど、よけい強硬な態度にでてきたのです。(おまけに間違っているなら選挙で落とせなどと開き直るし)いくらなんでもこのような態度おかしいでしょう。

おかしいはずです、このような態度は学校を思ってしたわけでも、生徒のことを思ってしたわけでもないからです。八つ当たりしただけだからです。(本人はそれが分かっていますからね、さすがに予算を減らすことなどできないでしょう。脅していただけです)

最近は安部総理ばかり目立っていましたからね、自分がほとんど相手にされてなくて面白くなかったところに、私がこの傲慢市長のことを少々批判しました。それで切れてしまったのです。

傲慢市長が、自殺した子の両親のところに詫びに行ったのを、私が批判したすぐ後くらいからでしょう、あの傲慢市長が強硬な態度に出始めたのは。(十五日くらいでしたっけ?)

この人、私には言い返せないものですから(過去に私に文句をいって何度もおかしな現象が起きたものですから、また何か起きるのが怖くて私には言い返せないのです)それでくやしいので自分に逆らえない人たちに、無理難題をいって八つ当たりしたのです。

だから、あのような異常な強硬姿勢を続けたのです。(そのような理由でもなければあんな強硬な態度とらないでしょう)

私はそれが分かっていましたので必要以上に怒ったのです。あまりにもやってることが幼稚だったからです。

しかし、無駄でしたね。それどころか、私が何かいえばいうほど強硬な態度をとるのですからガキ丸出しです。

この人、自分が間違っているなら選挙で落とせばいいといっていましたが、当然そうなるでしょう、こんなことをしては人心も離れるからです。

この人、一時は光も出ていたのですがやはり長続きしませんでした。一時は神の心に近くとも、それを持続することがいかに難しいか、この人を見ていてもそれがよく分かります。この人も最初は大阪を何とかしたい、日本を何とかしたいと本気で考えていたと思います。しかし、時を経るうちに大阪や日本のことより、自分が、自分がという、自分を一とする心に変わっていってしまったのです。

そうなってしまうと、もう周りの声は聞かない、自分の意見(我)は通すという、現在のこの人そのままの勘違いした増上慢な市長ができあがるわけです。

仕方ありません、このようになるのも世の常です。こうなってしまっては誰が何をいおうと聞きません。いずれこの人から人心は離れ政治家ではいられなくなるでしょう。それもこの人が選んだ道です。どのような道を進まれようがそれはその人の勝手ですからね。このような人祈るまでもありません、どうせ死んでも自分の考えを変えようとしないのですから、もうほっておきましょう。(そういう人、私の周りでもたくさんいます)

こういう人を見ますと、本当に世の中勘違いした人が多いなと改めて思います。(途中で勘違いしてしまう人も多いのですが)

そのような立場になっただけで(例えば国会議員でもそうですが)もうそうなったと勘違いしてしまい、謙虚さや向上心を忘れて、人の意見を素直に聞くとか、一生懸命勉強するとかいう心を忘れてしまうのです。そのような立場になっただけで、その人がその立場どうりの人になったわけではなく、そこから努力向上して、はじめてその立場の人になったと皆が認めるのであり、それまでは誰もその人を認めてなどいないのです。(単にその立場にあるというだけに過ぎないのです)

最初は謙虚で一生懸命勉強していても、それでもこの市長のように、途中で傲慢に変わってしまう人がいくらでもいるのです。

立場が変わっただけで、即傲慢になっていては話になりません。最初の何年間は便所掃除くらいやって、黙って一から勉強するくらいの謙虚な気持ちがなくて、どうしてその世界で成功するでしょうか。(高橋先生など、あれだけ偉大な力をもたれ、多くの人の師となられた後も、まだ便所掃除を続けていられたくらいですから)

勘違いしてしまえば、その人の人生はそこで終わってしまいます。(それではもう心の成長がなくなりますからね)謙虚な心を持ち続けてこそ、その人のよりよい人生は続き心の成長もあるのです。

謙虚な心を忘れないようにしたいものです。

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