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2014年9月

9月 30 2014

危険な場所と安全で安らぎのある場所

まだ私のいうことを無視ですか?これほどのことが起きているのに凄いですね。

一変に人がいなくなる(私が一年前に天から教えられた通りのことです)このような恐ろしいことが立て続けに起きて、それでもまだ誰も神の運動をやろうとしない(神を思おうとしない)いやはやすさまじいほどの不信心ぶりです。

それではまた、これと同じ恐ろしい現象が起きることになります。あまりに罰当たりの度が過ぎているのではないでしょうか。

昨日のようなブログを書くと、必ず、怒りたくっている人がいます。(悪いことを私のせいにしているのか、それとも私に八つ当たりしているのかよく分かりませんが)いつまで自分たちの責任を人のせいにしているのでしょう。何年たっても同じ態度を続けるその進歩のなさ、本当に呆れます。

これだけ恐ろしいことが立て続けに起きているのです。いい加減自分が悪かったと反省されてはどうでしょうか。

御嶽山の被害は本当にひどいものです。聞けば聞くほど悲惨さが伝わってきます。

しかし、その必要以上の悲惨な状況は、明らかにつくられたものなのです。

つくられたものというのもおかしないい方ですが、今回のこの噴火、どう考えてもおかしいからです。あまりに運が悪すぎるからです。

噴火が起きたのは今月の二十七日のことですが、ちょうどこの九月の末頃は、この御嶽山の山頂は紅葉がきれいな時で、その紅葉を見るためたくさんの人が登山をされるそうです。

ただでさえ人がたくさん登山されるところにもってきて、噴火が起きた日が土曜日(休日)です。それに起きた時間が昼の少し前であり、この御嶽山に登っている人の多くが、昼食を景色のいい山頂で食べたいと、山頂付近に集結しているまさにその時噴火が起きたのです。

そうして運の悪いことはまだ続きました。

火山が噴火をしたのなら、普通はその火山灰は上に吹き上がるものですが、この時はなぜか横に広がったそうです。

上に火山灰が吹き上がれば、逃げ切れる人はもっと多かったでしょう。しかし、上に吹き上がるはずの火山灰が横に広がってしまったため、その普通以上に早く広がる火山灰で、よけい犠牲者が増えたのです。

ざっと書いても、運が悪いことがこれだけ重なっているのです。明らかに起き方がおかしいと思わないでしょうか。

一番人が集まる時期の休日で、一番人が山頂に集まる時間帯に噴火が起き、しかも普通なら上に上がるはずの火山灰が横に広がった。

いくらなんでも運が悪すぎるのではないでしょうか。

これでは、より多くの犠牲者を出すために、神が、このような噴火を起こしたとしか思えません。神がこんな無慈悲なことをされるのでしょうか?

いつまでも神に逆らい続けていると、このようなことが起きるのです。(起こされるのです)このように必要以上に運が悪いことがです。

昔の人々は、火山の噴火は神の怒りと考えていたそうですが、このようなことばかり起きると、さすがに科学全盛の世とはいえ、そう考えざるを得ない部分も出てくるのではないでしょうか。

去年の伊豆大島の土石流災害から、広島の土砂災害、それからわずか一ヶ月で、また同じような多くの人が一変に亡くなるという火山の噴火、これまで、このようなことが起きても、これだけ多くの人が、立て続けに亡くなるということはなかったはずです。(単発ではありましたが、これだけ続けて起きたことなどなかったはずです)

普通では、考えられないほどの不運なことが続いている、ということは、それだけ神の(天の)怒りは激しいものであるということです。

それだけ多くの人が、あまりに神の心から離れているからです。

もし、御嶽山と同じような条件下で(一番人が集まっている時に)富士山が噴火したらどうなるでしょう。

富士山は、世界遺産に登録されたばかりで登山者は御嶽山の比ではありません。そこで今回のような(または今回以上の)噴火が起これば、一体どれくらいの死傷者が出るのか想像がつきません。

富士山一帯が一変で地獄絵図と化してしまうのです。(富士山はどこかで噴火します。高橋先生が予言されていますので)

そうなってもいいのですか?これは脅しでもなんでもありません。ここに書いたことは実際に起きているからです。

このままではそのようになります。もはや天の怒りは相当なものだからです。

何度もいっていますが、このような状況になっているその原因は、すべて、このブログを読んでいる人が何もしようとしなかったからです。

私のいうことに無視を続け、そうしてあろうことか、このままではこのようになりますと、起きることを予言している私に、その罪を全部かぶせ、嫌がらせをし続けている人たちに、その責任のほとんどがあるということです。

今日は、その責任の大きい前の会社の連中が多少静かです。(少々はやっていますが、いつもと比べると半分以下です。〔切れかかっているのはいるようですが〕また何か起きたんでしょうか?)

いつまでも私のいうことを無視しているなら、次々に恐ろしい現象は現れ、その恐ろしさは増すばかりでしょう。

しかし、これも何度もいっていますが、私の周りでは奇跡が次々に起き、それこそ、その奇跡の度合いが増しています。(鳥に続き、魚、トンボ、コウモリなど最近は何でも寄って来ます)

人間以外の他の動物たちは、この世に起きていることを敏感に察知します。私の下が一番愛があり、そうして安全であるということを知っているのでしょう。(だから多くの人たちが神の怒りを買い、危険であるということも知っているのでしょう)

法の下に集まるなら、自身も守られ、そうして幸せな人生を送れることになります。

法を知らない人は、闇夜を灯りもなしに歩いている人と同じなのです。危険極まりないのです。

いつまでそんな無謀な人生を歩まれるつもりですか?

多くの人が神の怒りを買い、次々に災いが起こされている現代、法の下ほど安全で安らぎのある場所はないのです。(周りにいろいろな動物たちが寄ってきて、嬉しそうに騒いでいる場など、安らぎを得ませんか?〔かわいい犬や猫などと、たわむれていたら安らぎを覚えるでしょう〕私はそのような場所がそこらじゅうにあるのです。どこに行っても、そのような動物たちが寄ってくるからです)

その安全で安らぎのある場所へ行くのを、多くの人は自ら拒否しているのです。

いつになったら多くの人は、それに気づかれるのでしょうか。(危険な場が好きな人はそれはそれでしょうがありませんが)

何度もいいますが、気づかれるのが遅れれば遅れるほど災いは起きます。自分を救う意味でも、そうして多くの人を救う意味でも、一刻も早く法の下に来るべきでしょう。

それが神の怒りをとく唯一の方法だからです。

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9月 29 2014

人の意識と天変地変

御嶽山の噴火で多くの犠牲者が出ているようです。

心肺停止の人が三十一人とか、火山灰に埋まり動かない人がいたとか、仰向けに倒れたまま動かない人がいたとか、御嶽山は大変なことになっているようです。

このような状況下で昨夜の気象庁の記者会見には呆れました。

ここまでの状況は予想できなかったとか、地震が起きていたので噴火警戒レベルを上げればよかったとか、上げるほどの前兆ではなかったとか、これまで起きたことがない現象が起きたとか、くだらない言い訳にしか聞こえません。

そのような甘い読みであったばかりに、多くの犠牲者が出ているのです。

火山の研究をしていて、それで今回何も分かりませんでした、ではすまないでしょう。

今後の研究にも影響を及ぼします。研究責任者の一人や二人は辞めないとまずいのではないでしょうか。それくらいの責任は当然あるからです。(でなければ、今回の噴火で亡くなった人も遺族も納得できないでしょう)

民間で、これほどの犠牲者が出ていたら、首どころか犯罪者です。

そこまで科学が発達していない、ではすまないでしょう。

というか、やはりこれまでの科学は甘やかされてきました。(科学が神聖化されていましたので)信賞必罰をはっきりさせねば科学の発達もありません。税金が使われているのです。必罰は必要でしょう。(研究が進んでいる分野と進んでいない分野〔地震や火山などの自然科学〕で色分けはされた方がいいと思います)

そうしなければ科学の遅れた分野の発達も望めないからです。

私がなぜこれほど科学者に厳しいことをいうのか?

そうしないと現在の物質科学は変わらないからです。私が前から何度もいっている、人の意識を、いつまでたっても調べようとしないからです。

いつまでも物質のみにこだわり、それ以上の研究をしようとしないのです。これでは正しいことは永遠に分かりません。(特に自然科学ではです)

それでは、このような地震やら火山やらの予測は永遠に出来ませんので、これからまだ多くの犠牲者が出ます。いつまでもそれではいけないから、こういうことも書いているのです。

現に私のいうことは当たっているではないですか、なぜそれを多くの人は認めようとしないんでしょうか?

共産思想が強いところや脱原発を進めているところには、天変地変がよく起きています。(また昨日は茨木南部で震度3の地震が起きたようです)

そのような意識が天変地変を呼ぶからです。私など自然科学の勉強などしたことはありませんが、しかし、そのような勉強をしたことがないのに、災害が起きるところが分かるのです。

なぜでしょうか?天の意識を知っているからです。その天が天変地変を起こしている本当の原因だからです。

それが嘘ではないという証拠に、私は、今回の御嶽山のような大変な被害もこれから出るようになると、すでにこのブログに書いています。

私は一年ほど前、このブログに「これからは、多くの人が一変にいなくなるようなことが起きます」と書いたことがありますが、そのしばらく後に、あの伊豆大島の土石流災害が起きたのです。

あの時は、三十数名の方が亡くなられたのですが「多くの人が心(意識)を変えようとしないと、これからこういうことが起きます」と私は再度このブログに書きました。

しかし、私のいうことは無視されました。誰も私のいうことを聞こうとしなかったのです。

その結果、一年も経ずして広島の土砂災害が起きたのです。(伊豆大島の土石流災害は去年の十月十六日、広島の土砂災害は今年の八月二十日です)

広島の土砂災害は、伊豆大島の土石流災害の死者を大きく上回り、七十数名の方が亡くなられたのです。

そうして今回の御嶽山の噴火です。現在だけで三十数名の方が心肺停止状態です。そうしてまだ多くの方が御嶽山には取り残されています。まだこれからどれだけの被害が出るのか分からないのです。

しかし、このようなことはすべて防げたということです。

私のいうことを多くの人が聞いてさえくれていたらです。(多くの人の意識が変わっていたらという意味です)

科学者が私のいうことに耳を傾け、そうして意識調査をしてくれていたら、または多くの人が私のいうことを聞き、法の流布を手伝ってくれていたら(ということは、多くの人の意識が変えられたということになりますので)今回のこれほどの(大規模で急な)火山の噴火はなかったでしょうし、広島の土砂災害も起きることはなかったでしょう。

まだ「そんなことお前に分かるわけがない」ですか?それとも「お前のいうことなど聞けるか」ですか?

もうそのような口だけ大将では、何が起きるか分からないのです。

何も日本に起きていることは自然災害だけではありません。異常なまでの疫病の発生(インフルエンザ、ノロウイルス、風疹、デング熱など)でもそうです。これも私は、このような疫病も異常発生することになると、ちゃんとこのブログに書いています。

そういうことを知っている人は、このブログを読んでいる人の中にはたくさんいるでしょう。

このように次々に天変地変が起きている日本で、そうなることを予言し、そうして災いが次々に日本の人々に起きる中、私の周りでは奇跡が次々に起きているのです。(それもこのブログに書いていますので皆さんお分かりでしょう)

何でこれだけいうことが当たり、そうして多くの人々とは、正反対の現象が起きている者のいうことを無視しているのですか?

その結果が現在のような災いを呼んでいるのです。

人の意識で、そのような災いはすべて防ぐことが出来ます。科学が人の意識まで調べてもらえるなら、私のいうことが正しいと多くの人が分かるのです。

これまで多くのことをいい当ててきた私が、はっきりここに書いておきます。

この後に及んで、それでもまだ、考えを変えず行いを変えない人が多ければ、必ずです。必ずまた、今回のような多くの人が一変にいなくなるという、このような恐ろしい現象は起きるのです。

それでもまだ同じ行動を取り続けますか?(この辺りの人は悪いことをみな私のせいにし続けますか?)

そのような態度を取り続ければ、続けるだけより恐ろしい現象が現れます。(それもまた当たっています。だんだん起きる現象が恐ろしくなってきています。それに、恐ろしいことが起きまくっている会社もあるようですし)

一刻も早く私のいうことをお聞きください。

それが災いを減らす唯一の方法だからです。

追伸…昨夜、軍師官兵衛を見ている時あることを教えられました。(昨日の官兵衛は家督を譲るという内容のもので、跡を継ぐ者のことを主にやっていました)

私は、法を伝えるだけではいけないようです。(全く仕事させすぎです)

それを改めて教えられ、ますます女性の(心の)レベルを上げないといけないと思いました。(苦笑)

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9月 28 2014

災いと奇跡

御岳山が噴火しましたね。あそこは小さい頃、父によく連れていってもらいましたので驚きました。

死傷者もたくさん出ているようですが、この噴火がどれくらいの規模になるのか心配ですね。(学者連中は、そういうことが全然分からないんでしょう。起きてから騒ぐことなど誰でもできます。噴火の予知も出来なければ、噴火の規模も分からない、一体何の研究をしているんでしょうか?)

これは、いよいよ富士山の噴火も近いのではないでしょうか。その富士山の噴火も大きな噴火になるのか、それとも小さな噴火になるのかは皆さんの心次第です。

今のような心の人が多ければ、もちろん規模の大きな噴火となるでしょう。(残念です)

相変わらず災いが次々に起きているんですが、私は昨日また不思議なことが起きました。それを書いておきましょう。

昨日私は、中川運河を通りましたので、例の昭和橋の横から運河の近くまで下りていきました。

すると昨日は珍しく中川運河の水がきれいで、底の辺りまで透き通って見えていました。(いつもは運河の水は真っ黒で水の中など全く見えません)

「珍しいな」と思い、運河の中をのぞいてみましたが魚がいる気配はありません。

それで、これは魚がよく見えるチャンスだと思い「オイ、お前ら元気か」と呼びかけてみたのです。そうして運河を見ていたら、少し先の水の中でチラチラ白い物が見えました。

「ンッ、あれなんだ?」と目を凝らしていると、その白い物の数がだんだん増えて、それがこちらに近づいて来ます。

よく見るとその白い物とは魚の腹だったのです。

魚が水の中で勢いよく泳ぎ回っていて、中には反転しながら泳いでいる魚もいたものですから、その反転した時に魚の白い腹が見えます。(魚の体の上の部分は黒いうろこに覆われていますので)その白い腹が先ほどからチラチラこちらに見えていたのでした。

その勢いよく泳ぎ回っている魚たちが、こちらに近づいて来ました。辺りを見渡すとあちこちにさざ波が立っていて、かなり広い範囲に魚がいるようです。

そうして私の目の前に魚たちが集まってきたのですが、驚きました。何に驚いたかって、その数にです。

これまで中川運河のその場所は、水が汚くて上からは全く魚影が見えませんでした。

それで飛び跳ねる魚がいますので、その辺りか、またはさざ波が立っているところもありますので、そのさざ波が立っているところは、水の中には、たくさん魚がいるのだろうと想像していましたが、しかし、その水中にいる魚を実際に見たことはありませんでした。

だから想像するしかなかったんですが、昨日は水が透き通っていましたので、運河の水の中までしっかり見えたのですが、実際に魚が水中を泳いでいるところを見て驚きました。

自分が想像していたよりも、ずっと魚の数が多かったからです。

私の目の前を凄い数の魚が泳いでいるのです。それこそ跳ねたり、水面のギリギリまで出てきてさざ波を立てている魚など、ほんの一部で、多くの魚たちが水の中を泳ぎ回っていました。三~四センチほどの大きさの魚から、十五~二十センチくらいまでの大きさの魚まで、大小様々な魚がです。(それ以上大きな魚はいなかったようです)

「凄い数だな」「ようけおるわ」(…これ名古屋弁ですかね?)「こんなにいるの」と、私はその魚たちを見て一人でしゃべっていました。

とにかく水の中の見える範囲に魚がたくさん泳いでいるのです。(だから何百匹もいたんじゃないでしょうか。かなり広い範囲にさざ波が立っていましたから)

「水の中にこんなにいたのか」と改めて驚きました。

しばらくそこにいましたが、私があまり長くいては、魚たちも疲れるだろうと思い「またな」と魚たちにいって中川運河を離れました。(ほんと、これはこれで気を使います〔笑〕)

そうして今度は堀川にいったんですが、そこで不思議なことが起きたのです。

堀川に行くと、すでにあちこちでさざ波が立っていて、魚たちが水面に上がってきているようでした。

こういう時は、私が叫ぶとすぐに何匹かの魚が跳ねます。だから「オイ元気か」と堀川に向かって叫けびましたが、案の定、何匹かの魚がすぐに跳ねたのです。

しかし、これは別に驚くことではありません。いつものことです。不思議なことが起きたのはその後のことです。

たくさん魚が水面にいたので「オオ、元気いいな」とか「頑張れよ」とかいいながら、堀川の土手(舗装してあります)をゆっくり歩いていましたが、ある場所まで行くと魚も飛ばなくなり、水面に出ている魚もいなくなりました。(水面が静かになりましたので)

魚の気配もあまりしなくなったので、この辺りで一度呼びかけたらどうなるかなと思い「オイ、お前ら元気か」「いるなら顔見せろよ」と堀川に向かって呼びかけたのです。

そうしたらです。少し遠いところを見ていましたが、その辺りは水面もシーンとしていて魚がいるような気配はありませんでした。

「やっぱりこの辺りはいないのかな」と思い、フッと自分の足元の水面を見たのです。

すると(それこそ昨日今日卵から孵化〔ふか〕したばかりくらいの)細かい魚たちが数匹ほど上がってきていました。

「ハハ、何だお前らも俺のこと知っているのか」と笑いながら話かけていると、あちらから数匹、こちらから数匹と、その同じくらいの細かい魚たちが上がってきて、私のすぐ前の水面に数十匹ほどの細かい魚たちが集まってきたのです。

またまた私は「うそっ」と思いました。何でこんな生まれたばかりのような細かな魚たちまで、私のことを知っているんでしょうか。

その細かい魚たちは私が立ち去るまで、私の前で泳いでいました。

まったく不思議でしたが、しかし、このような現象をまじかに見ると、脳でものを考えたり思いついたりしているのではないということが、改めて分かります。

こんな細かな魚たちまで私のことを知っているのです。もし脳でものを考えているのであれば、こんな細かな魚たちの脳みそなど、それこそ顕微鏡で見なければ分からないくらい小さなものでしょう。そんな小さな脳で私のことが把握できるわけがありません。

しかし、実際にこのようなことが起きているのです。このような現象を、科学者はどのように説明されるのでしょうか?

こういう魚たちの態度を見れば分かります。この魚たちは、明らかに脳以外の部分で私のことを理解し、そうして寄ってきているのだなということがです。

それが心であるということです。心に教えられ、そうして心で理解し、それで私の近くに寄ってきているのです。(これは鳥たちも同じでしょう)

鳥や魚に理解できることが、なぜ人間に理解できないのでしょう。

法を知っている人間こそ、愛ある人であり、そうしてその法こそ、すべての物を生かし癒し育てるものであるということを、魚や鳥たちは理解しているのです。

しかし、それが人間には全く理解できないようです。

今日のこのブログを書いている間だけでも、このブログからいろいろなことを教えてもらった、そのような事実は一切無視し、窓をバシバシやって嫌がらせをしている人たちがいます。

しかし、そのような法を理解しようとしない人たちは、愛のない人たちであり、自らの心の狭さゆえ自らを殺しているのです。それが現象として現れるのです。(自分で自分を殺しているんですから私のせいではありません)

法を知っている者に愛をかければ愛が、憎しみをかければ憎しみが、その人自身に戻ってきます。

鳥や魚たちが分かることを、なぜ人間が分からないのでしょう。

少しは改心されてはどうでしょう。それが万物の霊長である人間の当たり前の姿だからです。

追伸…昨日テレビでカジノの特集をしていましたが、やはりカジノ賛成の人が多いですね。

しかし、聞いていると日本の周りにはマカオ、シンガポール、韓国とすでにカジノ大国があるので(マカオなど現在は、ラスベガスを抜いてカジノの売り上げがダントツNo1です)そこから客を日本に引きこもうとするなら、相当大きくて、いろいろな施設が入った複合施設をつくらないといけないようで、東京以外にカジノをつくっても勝算はないそうです。

とてもではありませんが、カジノをつくれば、外国の観光客が激増するなど夢のまた夢のような感じでした。(現実はやはり厳しそうです)

他の手を考えた方がいいと思いますよ、カジノなんかつくれば、また何が起きてくるか分からないですし。

私の周りは次々に奇跡が起きているのです。もう少しこの法を活用されてはいかがでしょうか。

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9月 27 2014

法を拡げないことの罪

イラクやシリアで勢力を拡大する「イスラム国」の脅威が止まりません。

アメリカを中心とした数ヶ国が空爆を行い、G7(先進七ヶ国)とEU(欧州連合)が共同声明を発表し、拘束している外国人らの即時かつ無条件の解放を要求しているにもかかわらず、それに従おうとせず、続々と戦闘員を増やして反抗姿勢を鮮明にしています。

世界を敵に回しても、反抗姿勢を崩そうとしないその背景には、信仰(イスラム教)と貧困があるようです。(このテロ集団、資金は豊富なようです。銀行を乗っ取ったり石油の密輸などしてますから)

潤沢な資金で誘い信仰でその結束を図る、これ以上の手はないわけです。(人の心をつかむです)

こうなるといくら世界が相手とはいえ、ちょっとやそっとで、このイスラム国を壊滅させるのは難しいでしょう。信仰で結びついているだけでも難しいのに(宗教戦争など見ても分かりますが)プラス潤沢な資金まであるからです。貧困層は資金だけでもついて行きます。

現にアメリカなどが空爆を行っても、戦闘員が減るどころか増えています。

このような状況を見ても、このイスラム国の壊滅の難しさがよく分かります。(それにこのイスラム国、ずいぶん残忍です。人質の処刑を平気でネットで流しています。これではどこの国がテロ攻撃を受けるかもしれません)

このままでは世界の平和も脅(おびや)かされかねませんが、しかし、もう少し平和的に、しかも完全に、このようなテロ集団を壊滅させる手立てはないものでしょうか?それができる人はいないのでしょうか?

これだけの国が集まっているのです。いくら信仰と資金で結びついているとはいえ、イスラム国は、昨日今日できたばかりの所詮は寄せ集めの集団にしかすぎません。瓦解させることもさほど難しくはないと思います。

では、それができる人が、一人や二人いてもよさそうなものですが誰もいないのでしょうか?…マァ、私なら出来ますけどね。

……。

……。

「専門家が集まり、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をし、それでもよい考えが浮かばないから、空爆を行って壊滅を図っているのに、何でそれ以上に平和的に、しかも完全に、このイスラム国を壊滅させることがお前に出来るのか。バカも休み休みいえ」ということに普通はなりますが、別に嘘ではありません。

私なら出来るから「私なら出来る」といっているのです。

だって私のこの辺りの評判を知らないんですか?(このブログを前から読んでいる人ならお分かりですよね)

私はこの辺りでは、大雨を降らせ、地震を起こし、巨大台風を発生させ、そうして人を次々に病気させる、そんな悪魔のような男と思われているのです。(他の地域の皆さん笑ってあげてください〔笑〕)

そんな悪魔のような男なら、そのような信仰と資金だけで結びついているようなテロ集団、壊滅させるのは造作もないことです。

そうではないですか?だって、テロ集団イスラム国の本拠地(イラクやシリア)に嵐を呼び、地震を起こし、そうしてイスラム国の人々を次々に病気にする、そういうことが起きれば、そのような寄せ集めの集団は段々瓦解していくはずです。

それなら十分平和です。武器で攻撃するわけでもなんでもないんですから。

それに、このような現象はみな自然現象です。誰の恨みを買うわけでもないので、テロの心配もありません。

そればかりではなく私には法があります。信仰の部分でも十分そのような人たちの心を補えるのです。

私に頼みに来てくれるならすぐにでも祈りますが、オバマ大統領か誰か来ていただけないでしょうか?そうすれば、あのテロ集団に次々に災いを起こして壊滅させて見せますよ……何てね、ここに書いたことは半分は冗談ですが、法があるならこのようなことも十分可能なのです。

しかし、まじめな話ですが(間違った)信仰と資金で結びついている集団など、本当に怖いのです。みな死を恐れませんからね。(死ねば天国に行く、来世はお金持ちに生まれるなどいわれてです)どれだけ近代兵器で攻めようと、それを恐れず平気で向かってくるのです。(それに向こうも潤沢な資金がありますので、近代兵器で向かってきますし)

だから、このイスラム国との戦いは悲惨な戦いになりますよ。(宗教戦争だけでも十分悲惨だからです。日本だけ見ても島原の乱など、凄い死傷者が出ました)

このような集団は、人の業をどれだけくりだそうと収まらないのです。このような集団を収めようとするならば、神の業が必要なのです。(神の業が〔嵐や地震など〕次々に現れれば、信仰をしているだけに、そのような現象を普通以上に恐れるからです)

だから法を拡げねばならないし、本当の神の教えが拡がらないと、このような邪法が蔓延(はびこ)り災いがあちこちで起きるのです。

世界の天変地変を鎮め、そうして悪のテロ集団まで収めることが出来るのは、この法しかありません。

法を、日本の人々が世界に広めないばかりに、どれほどの災いが世界中で起きているか知れないのです。

法(本当の神の教え)が出ているのに、それを無視していることの罪の重さ、少しはお分かりいただけるでしょうか。

このような大きな罪を、日本の人々は犯し続けているのです。

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9月 26 2014

この世の修行の難しさ

カリフォルニアにも少々雨が降っているみたいですね。(ここ一日~二日一部地域で雨が降ったみたいです)

やはり五百年に一度といわれるくらいの(ということは、これまでにないほどの)大干ばつです。ちょっとやそっとの祈りではきかれませんね。とても八月中に雨を降らせることなどできませんでした。

九月に多少の雨が降り、これ以降は(カリフォルニアの天気予報を見ていると)何日か雨が続くところもありそうですので、しばらくしたらカリフォルニアも雨が降りだすんじゃないですか?(分かりませんが)

しかし、今年中はカリフォルニアは雨が降らないといわれていたのに、それが九月に雨が降り、以降も雨が降り出しそうなところもあるんですから、それだけ道をつければ私一人の祈りとしては十分でしょう。

もう私が祈ることもないでしょう。あとはカリフォルニアの皆さんの心次第です。(もう少し祈ってもいいんですが、誰も乗ってこないのでこれくらいにしておきます。日本のこともありますし)

もうちょっと日本で話題になれば、私も祈ってもいいんですが、相変わらずの無関心です。それに、この近辺も、もう朝から思いきりテンパっている会社もあります。(次々に何か起きているようですね)まず日本のことに集中しましょう。(ということは、これまでカリフォルニアにいっていた祈りの分も、その会社を集中して祈れるということになります。覚悟してください)

しかし、テンパろうが怒ろうが、自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きるのです。(因果応報、善因善果、悪因悪果)そんなこと(責任転嫁)をしている暇があるなら反省することです。

昨日も一昨日も書きましたが、自分たちに愛がないから災いが起きるのです。災いが起きるのが嫌なら、これまでの自分たちの行いを反省し、もう少し愛ある行いをされることです。(私は、ただ家の中でパソコンをしているだけなのに、それに怒り、自分たちが私に散々嫌がらせをして、それで自分たちが天罰食らっているだけなのに、何でこれだけパニくっているんでしょうか?意味が分かりません)

そういうことを一切せず、パニくって怒りたくっているのは見苦しいの一語につきます。

反省が、できないならできないで仕方ないですが、では、その時を静かに待ったらどうでしょう。常軌を逸したような騒ぎ方は哀れというしかありません。(こんなこと書く予定なかったんですが、前の会社があまりに異常な騒ぎ方をしますんでね。〔そうすると周りもつられて騒ぎ出しますので〕無視するわけにもいかないんで、ついつい書いてしまいました。本当に迷惑です。自分たちが悪いのに)

この世の修行に甘えは許されません。悪いことをした人は、その報いを自ら受けるのです。

愛のない人たちの話ばかりでもいけませんが、家庭内の愛の大事さを書いていた昨日、歌手であった夫婦の、夫の方が自殺したというニュースが流れていました。

こういう時に、こういうことを書くのは傷口に塩をすり込むことになりますが、しかし、先ほども書きましたが、この世の修行はそれほど厳しいのです。こういう時に同情していたわってくれる人など、周りにいくらでもいるでしょう。

だから私は、あえてきついことを書きますが、自分の夫が死ぬほど悩んでいるのに、そのことにまるで気づかない妻など、全く夫に対する愛がなかったといっても過言ではないのです。

「夫を愛していた」と、その妻はいうのかもしれませんが、本当に夫を愛していたのであれば、夫の何気ない仕草にも夫の死ぬほどの悩みは現れます。

本当に夫を愛していたのなら、その夫の心の中の悩みを妻が気づかないはずがないのです。

夫が、死ぬほどの悩みを心に抱いていたのであれば、それは昨日今日のことではないでしょう。もうずいぶん前から悩んでいたと思います。その死ぬほどの悩みを一緒にいる妻がまるで気づかないのです。

夫はどれほど悲しかったことでしょう。どれほど寂しかったことでしょう。

そのような夫の心さえ、その妻は分からなかったのです。

どれだけ自殺した夫は妻に「お前は俺のことを何も分かっていない」と叫びたかったことでしょう。「もう少し俺のことを分かってくれ」と頼みたかったことでしょう。しかし、夫は、そのようなことを一切妻にいうことなくこの世を去ったのです。

遺書が残されているということですが、その遺書も、どこまで本心が書かれてあるか分かりません。そのような妻への思いを夫は死んでもいえないからです。

それこそ妻への愛が、死ぬ間際に、そんな恨みのようなことを妻にいうことを拒むからです。それが男の心だからです。

私は、その夫の心を思うといたたまれなくなります。もし、妻がもう少し夫の心を理解してくれていたのであれば、この夫は自殺することはなかったからです。

もう少し妻の愛が深ければ、この夫は幸せな結婚生活を送れたからです。

こういう愚痴のようなことを、死にゆく夫が妻にいえるわけがありません。だから私が代わりにいいました。

この私の言葉で妻が反省してくれるなら、その夫が地獄に堕ちても(自殺した人は例外なく地獄に堕ちます。それこそどのような言い訳も通用しないのです。自分にとって一番悪いことを自分にしたからです)早く天上界に上がることが出来るからです。

だからあえて書いたのです。

このように、この世の修行とはそれだけ厳しいものであり、また誰に対しても公平なものであるのです。

愛を出せば、その分自分にも愛が返ってきて、幸せな人生を送ることが出来ますが、その愛が中途半端なものであってはいけないし(それだと不幸になります。愛を出すなら心から本物の愛を出さないといけないのです)愛を出さずに怒りばかり出しているなら、それは不幸な人生しか送れないということです。

幸せな人生を送っている人は、自ら幸せになることを実践しているから、幸せになっているのであり、不幸な人生を送っている人は、自ら不幸になることを実践しているから、不幸になっているのです。

誰の責任でもなく、すべてそれは自分の責任であり、起きていることに言い逃れは出来ないのです。

今のあなたの人生は幸せですか?それとも不幸なのですか?

不幸な人生を送っている人は、これまでの心と行いを少し反省されてはどうでしょう。そうすれば人生も変わってくるからです。

しかし、本当に不幸な人とは、そのような反省を全くできない人なのです。

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あなたは人目の訪問者です。