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2014年11月

11月 12 2014

すべての元凶は心

動物の話をもう少し書きますが、昨日ちょうどNHKで孤立する老人とペットのことをやっていました。

孤立している老人はペットを大事にして(しすぎて)自分の体さえ二の次にしている人もいるとのことですが、これは明らかにやりすぎでしょう。

だいたいアニマルセラピーなどやっていてはいけないのです。動物に癒されているようでは心の修行にならないからです。(園頭先生は犬さえも飼ってはいけないといわれていました)

それはそうでしょう。動物は餌さえ与えていれば自分のいうことをきいてくれます。これで心の修行になるわけがありません。それで自分が癒されているなどただのごまかしに過ぎないのです。(私のように愛で動物が寄ってくるというのはまた別です。それだけ心に愛があるから小動物たちが好きで寄って来ているのであり、これは逆に心の修行ができているからそういう現象が起きるのです)

どのようなつきあいずらい人がいようと、そのような中で仲良くする努力を続け、調和していくから自分の心は成長していくのであって、ちょっとつきあいずらいからと、そこから逃げていたのでは心は成長しません。

そういう意味では、昨日のNHKの番組の中でもやっていましたが、動物(犬)をきっかけとして人とのつきあいが増えたという人はよいのですが、人とのつきあいが減ってしまって、その動物とばかり一緒にいるという人はダメですね。

犬や猫の世話ばかりしているのではなく、人の世話をもう少しされたらどうでしょう。その方が人とのつきあいも増えてくるからです。

そういう意味では、最近、捨て猫や犬などに餌をやって里親を探したり、不妊治療など行うため寄付を集め運動している団体がたくさんありますが、ああいう運動をやるなとはいいませんが、少し本末転倒ではないかと思うのです。

というのも、結局あのような運動をしたところで、それで捨て猫や捨て犬が減るかといえば減りません。むしろ最近は増えているのではないでしょうか。(現在でも犬の大量遺棄(いき)事件がニュースになっていますし)

そういう行為は立派なことですが、しかし、そのような行為をいくら続けても犬や猫を捨てる人は減らないのです。それでは、いつまでたってもいたちごっこで不幸になる犬や猫を救うことはできません。

結局、そのような(犬や猫を捨てる)行為をやめさせないと、そういう犬や猫は減らないのであり、そうであるなら、そういう人にならないよう指導、教育する方が先であって、だから私は本末転倒ではないかというのです。

犬や猫を救うことも大事なことですが、まず、そのような(愛のない)人を減らすことがより大事なことであり、自分に愛がないことに気づき愛のある人が増えるのであれば(犬や猫が救われるのはもちろんですが)多くの人もまた救われていくことになります。

では、愛ある人を増やせば必然的に不幸なことは減るということになり、だから私は、心の勉強を多くの人がしないといけないといっているのです。

心の勉強をする人が増えれば、愛ある人が増え、愛ある人が増えれば、先ほどの孤独なお年寄りを気にかけ、そういうお年寄りの相手をする人も増えるでしょうし、もちろん家で飼っているペットを捨てる人も減るでしょう。逆に捨てられている犬や猫の世話をする人は増えるはずです。

すべてのことにおいて愛ある人が増えればよい方に作用するのです。(最近増えだした危険ドラッグやストカーをする人も減るでしょうし)

そのような不幸の元凶はすべて人々の心にあるからです。

だから私はいっているのです。何をおいても一番先にまずこの法を勉強しないといけないとです。

人々の心がよい方に変われば、そのような社会の諸問題から、政治、経済、気象に至るまで、すべてよい方に変わっていくからです。

いつまで、この法の価値を理解されないのですか?

法の価値を理解されない間は不幸な現象は続くのです。

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11月 11 2014

人間の本来の姿

日中首脳の会談が行われましたが……マァ、今後に期待しましょう。(それぞれのお立場があるでしょうから)

それはそうと昨日などヘリが凄かったですね。午前中からガンガンこの辺りを飛んでいました。

午後からもうるさかったんで、地下鉄に乗って瑞穂公園(瑞穂競技場があるです)まで行ったんですが、なんとそこまで飛んできていました。(家から十キロくらい離れていると思うんですが…そういえばこの前太田川まで行った時も飛んできていましたね。私、発信機でもつけられているんでしょうか?)

どちらにしても少しやりすぎです。本当にもうご遠慮ください。

瑞穂公園はこの前(二週間ほど前)行った以来なんですが、もうあの川(山崎川)の魚たちは完全に私のことを知ったようで、私が川に向かって声をかけると、あちこちで小魚たちが跳ね出して凄ったです。

川のかなり向こうの方まで小魚が勢いよく跳ねているのです。あれには驚きました。(動画に撮ることは撮ったんですが、その迫力がどれくらい伝わるのか分かりません)

山崎川は、名古屋の川にしては珍しく水がきれいで(生活水を排水処理してから流しているからだそうですが)川底までよく見えます。そうすると、川の中にいる魚がどのようにしているのかよく分かるのです。

私が声をかけると、それまで普通に川の中を泳いでいた小魚たちが凄い勢いで泳ぎ回るのです。(すべての小魚がということではありませんが、一部の小魚たちが集団で凄い勢いで泳ぎ回っていました)そうしてそのうちの何匹かが水面に上がってきて跳ねるのです。

私が声をかけただけで、水の中にいる多くの魚たちの動きが変わってしまうのですから、不思議なものです。

しかし、こういう奇跡が起きているのに、ほとんどの人がそれを無視しています。(昨日の山崎川でも犬の散歩をしていた爺さんが一人、その光景を面白そうに見ていただけでした)

もう少し、このような不思議な光景に興味を持ってはいかがでしょうか。非常に意味がある光景であるからです。

それまで全く静かだった川が、私が行くと魚があちこちで跳ね出すんですよ。それだけではなく鳥なども騒ぎだして飛び回っているのに、多くの人が、その不思議な光景に関心を示さないんですから、これもまた不思議な話です。

関心を示さないどころか、鳥の鳴き声がうるさいと怒っている人がいるくらいですから、話になりません。これだけ愛の心がなく、神から心を離してしまうと、それは災いが起きるわけです。

これでは天罰をいくら食らっても仕方がないということになります。(その天罰さえ責任転嫁しているんですから話になりませんが)

しかし、自分のことばかりやって、どうでもいいようなことばかりに関心を示すより、自然の生き物が自然に寄ってくる、このようなことに少しは関心を示されたらどうでしょうか。こちらの方がよほど大事なことだからです。

近いうちにまた、動物の不思議の動画ができると思いますが、その動画を観れば私が通るだけで、小さな動物が喜んではしゃぎ回る、そのような姿がたくさん撮れています。

本来、人間と動物とはそうあるべきであり、私たちが本当の愛の心(神の心)を思い出すのであれば、どのような小さな動物であろうと人間を怖がることなく、誰にでもみな嬉しそうに寄ってくるのです。

なぜなら私たち人間は、そのようなすべての動物たちの管理を任され、そのような生き物を含めたすべての物を、大調和させる使命を持って、神の意志を受け継ぐ万物の霊長としてこの世に現されているからです。

そうであるなら、動物が寄ってこない方がおかしいのであり(私たちは動物の長なのですから)本来は、どんな小さな動物であろうと人間に喜んで寄ってこなければいけないのです。

しかし、実際は人間に喜んで小動物が寄ってくるということはありません。ほとんどすべての小動物は人間を見ると逃げるのです。

こういうところでも、神から心を離してしまった、本来の神の心ではなくなっている人々の姿が垣間見えています。

私の周りに起きていることは、実は不思議なことでもなんでもなく、どの人にも当たり前に起きないといけないことであったのです。

だから、このようにいろいろな小動物が寄ってくる私の姿を見て、本来、人はああでなくてはいけないと、反省しなければいけなかったんですが、ほとんどの人が自分の心を反省するどころか、このような現象に関心も示しません。(怒っている人までいるくらいですから)

一体どこまで神の心から離れれば気がすむのですか?

悪い現象を責任転嫁しているなど、全くのお門違いなのです。

愛の心があまりにないからそのようなことが起きているのです。私に起きている現象を見て、多くの人が早く本来の本当の神の心を思いださなくてはいけないのです。

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11月 10 2014

後悔先に立たず

ここ二、三日、先日癌で亡くなった、やしきたかじんさんの癌になってから亡くなるまでの、最後の二年間の特集をしている番組をよく放送しているようですが(そのことを書いた本が出版されるからみたいですが)昨夜私もその特集番組を観ていました。

たかじんさんの癌が、次から次に転移していくのを奥さんが必死で支えるというものでしたが、壮絶ですね。癌とは、あれだけの苦しみを伴うものなのでしょうか。

それに、やしきたかじんさんは豪快な人といわれ暴飲暴食を平気で重ねて、そうして「太く短い人生」を公言され「自分は六十で死ぬ」とまでいわれていたのに、実際は「こんなに早く死ぬのは嫌だ」といわれて(六十四で亡くなられたそうですが)最後まで生にこだわったそうです。

人とは、表と裏で(表面上と腹の中では)こうも違うものなのでしょうか。

特集番組は、奥さんのたかじんさんを思う愛を強調したかったんでしょうが、私は何でそんなに無理をしていたのか、たかじんさんのそのような心に驚きましたね。

それだけ生にこだわるなら、何で普段からもう少し健康に気をつけなかったんでしょう?死ぬのが嫌なら、もっと神仏に頼ればよかったのに、そのような信仰心も持たれなかったんでしょうか?

健康な時は好き勝手にやっておいて、自分の体がどうにもならなくなって初めてその間違いに気づいても、もはやそれではどうにもなりません。どうにもならなくなる前に気づかれてはどうでしょうか。

いってはいけませんが、やしきたかじんさんのような人生を歩まれては、それこそ地獄に行かなければいけなくなります。(この方、よいこともいろいろされて慕っている人もたくさんいられるようですが、それでも、それだけ自分の体や神仏を考えない生き方は間違っています。だから最後に悩み苦しまれたのです)

やはり自分が健康な時から、自分の体のことはもちろんのこと、神仏や死後の世界のことはしっかり考えて、よく勉強していないといけないのです。私たちはみな神の子であり、神仏を思うことは神の子として当たり前のことだからです。(神仏のことを考えない人の方がよほど異常なのです)

そういう考えさえあれば、死の直前にこれだけ悩み苦しむこともないでしょうし、寿命も延びたのです。

しかし、そういう先のことをほとんどの人が考えません。だから、このような悲劇が繰り返されるのです。死の間際になりジタバタするのです。

しかし、やしきたかじんさんは、最後の二年間に奥さんの愛をたくさんいただいたようです。その愛が、地獄に堕ちたたかじんさんをまた救うことになるのです。

それでも、やしきたかじんさんがこの法を知ってよく法の勉強をしていたのであれば、これだけ苦しみを味わうことはなかったでしょう。それは残念ですね。

そういう残念な人が巷にあふれていますが、大丈夫なんでしょうか?自分が健康な間は、自分のことばかりやっていて、自分の体がいうことをきかなくなって「まだ死にたくない」などジタバタしたところで、人間死ぬ時は死にます。

その時に、この法を無視したり、逆らったりしている人は、死ぬほど後悔することになるのです。(死んだ後はもっと後悔するんですけどね)

健康な時に法に気づいて勉強した人でも、それでも失敗する人が続出しているのです。(高橋先生や園頭先生の弟子たちです。もう正しい法が分からなくなっているんですから、この人たちも失敗です)

それだけ、この世の修行とは難しいものなのです。

しかし、法に気づいて法をよく勉強し、正しい道を自分が進むことになるなら、先ほどのような間違いも苦しみもない人生を送れることになります。(現に高橋先生や園頭先生の弟子であれば、そのような苦しみがあっても、奇跡が起こり救われる方法を教えてもらえますから)

現在、法を説いて、奇跡が起きているのは私だけなのです。

その私のいうことをいつまでも無視したり、嫌がらせをしたりしていて、それでよいのでしょうか。(嫌がらせしている人に、次々に先ほどの癌のような恐ろしい現象が現れているようですが、それは天罰ではないのですか?では、これほど正しい教えもないということです。その教えに逆らっていると、それだけ恐ろしい天罰が下るからです)

中途半端に実践しても、なかなか奇跡も起きないでしょう。やるならしっかりやらないと救われることはありません。

法をしっかり勉強できる時など限られています。やれる時にやらないと後で大変な後悔をすることになるのです。

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11月 09 2014

経済大国の責任

昨日はまた回線がおかしかったですね。(全然切り替わりませんでした)

それでブログを書くのをやめたんですが、最近こういうことが多いです。何が原因なんでしょうか?

家のパソコンの回線がおかしくなる原因は分かりませんが、いつ行われるか分からないといわれていた、日中首脳会談は決まったそうですね。(全然レベルの違う話ですけど、無理やりつなげました。〔笑〕)

それはよかった。では、あの密漁者たちを祈るのを少し待ちましょう。あまり私がよけいな祈りなどやって、日中首脳会談に水を差してもいけないからです。(私の祈りくらいで、日中首脳会談に水を差すわけありませんが〔笑〕)

よい会談ができますよう期待しております。

しかし昨日の日中外相会談で、そのような中断状態の閣僚級の「日中ハイレベル経済対話」や外務次官級の戦略対話を含む、政府間対話を早期に再開する方向では一致したのに、肝心の安倍総理と習近平国家主席との会談の日時がまだ決まっていないとのこと。

せっかく明日から(今日からでしたっけ?)安倍総理が中国に行かれるのです。日中トップ同士の会談をされてはどうでしょうか。

尖閣や歴史問題など複雑な問題はあるにせよです。世界第二位と三位の経済大国のトップが、いつまでも言葉を交わさずギクシャクしたままでは、日本や中国の範疇(はんちゅう)を超えアジアや世界が困ります。

お国の事情はあるにせよ、やはり二大経済大国のトップとして腹の太いところは(器の大きいところは)世界に見せるべきでしょう。その方が両国にとって、よほど有益だからです。

どちらにしても、日本と中国がいつまでも小さなことにこだわり、ソッポを向いていては両国にとって損です。

これを機に何度も対話を重ね、よい関係を築いていっていただきたいものです。それが両国だけでなく先ほども申しましたように、アジアのため、世界のためになるからです。

中国の偉人であり、日本でも大人気の、かの諸葛孔明も私欲を捨て大義に生きられたのです。両国のトップがそれくらいの心がなくて、どうして国が収まりましょう。

二大経済大国であるという自覚を忘れることなく、互いに協力し合い調和していただきたいものです。そうすれば神の奇跡は起きるからです。(この二大国に奇跡が起きれば、それが世界に波及します)

これからの時代、陰口をいって足を引っ張ったところで、そのお返しはすぐに現れます。そのようなやり方をしていて損なのは、結局そのようなやり方をしているところなのです。

よいことも悪いことも、すぐに返ってくる時代となったのですから(本当ですよ、日本など、そのような現象が次々に現れています。ただ、多くの人が責任転嫁をしていて、それに気づいていないだけです)では、悪いことをするよりよいことをした方が、自分たちにとっても得であるということです。

世界第二位と三位の経済大国が手を握ることが出来るかどうかで、この先の世界の経済状況は大きく変わってくると思います。

現在は、世界第一位の経済大国(アメリカ)が混迷しているのです。二位と三位の経済大国の責任の大きさ、その自覚だけは持たれてはいかがでしょうか。

世界経済の未来がかかっているというのであれば、両国間の小さなことにこだわっている場合ではありません。それこそ小我を捨て大我に生きなければいけないでしょう。

明日からのAPEC期待しております。(日中だけでなく世界の人たちがです)

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11月 07 2014

善人を悪人に仕立て上げている間違い

私など道を歩いていると、よくすずめや他の鳥たちが騒いで、頭上をビュンビュン飛び回ったりしています。

どこか外で座っていても、よくいろいろな鳥が近くに飛んできて鳴いています。

川のほとりを歩いていて、川に向かって声をかけると、川面のあちこちでさざ波が立ち魚が顔を出します。飛び跳ねる魚までいます。

どこの場所でもこのようなことは起きるのです。

二~三日前でも、名鉄に乗り太田川の駅まで行きました。その太田川の駅で降りたのは初めてだったんですが、駅を出て歩いていると川(太田川)が見えてきました。

当然その川は初めて来たんですが、その川に向かい声をかけてしばらくすると、あちこちで魚が跳ね出し、回りにはすずめや他の鳥が何羽も集まって来ました。その場面はビデオで撮ってあります。(撮ったことは撮ったんですが、鳥はともかく、魚はどこで跳ねるか分からないものですから、あまり魚がしっかり跳ねたところは撮れていませんが、それでも何匹か跳ねたところは撮れました)

その後、近くにある大きな公園(大池公園)にも行き、その公園内を散策したのですが、その公園にある大きな池でも、同じように魚が跳ね、鳥が騒いでいました。もちろん近くに飛んできた鳥も何羽もいました。(その場面もビデオで撮りました)

もう次のメモリーカードは、ホームページの会社の方に送ってありますので、またしばらくすると、瑞穂公園や荒子川公園(名古屋市内)野間(愛知県知多郡)で起きた動物の不思議が公開できると思います。

こういうことが私は毎日のように起きているのですが、こういうことが起きる人が悪人なのでしょうか?

私の周りの人たちは、相変わらず私が歩いていると嫌がらせをしていく人はいる、家や工場の横を通ればでかい音を立てられる、バスや電車にはブシュブシュやられると(マァ、前よりはかなり減りましたが)こういうことも、また私が道を歩いていれば毎日のようにやられます。

しかし、こういうことをやる人のほとんどは、私に鳥や魚が集まってくることを知っているのです。そういうことを知っていて、それでもまだ私を悪者だと思っているようですが、何で悪者にこういうことが起きるのでしょうか?

まったく不思議ですね。常識的に考えて、喜んで鳥や魚が寄ってくる人が悪者とは思えませんが、そういうことが起きない人が、なぜ、そういう奇跡が起きている私を悪者だと思っているんでしょうか?(そういうことが起きない人の方が、よほど私には悪者に見えますけどね。嫌がらせまで一方的にしてくるんですから。〔笑〕)

結局、こういういいことは全部スルーして、悪いことだけを私のせいにしているからでしょう。現に(さっきも聞こえていましたが)サイレンはまだ止まっていないからです。

それに私に祈られて病気になった人もいるからでしょう。私はよく知りませんが。

しかし祈りはしますが、何度もいっているように、私は人を呪うような祈りなどただの一度もしたことがありませんし、嫌がらせをしてくるから、人にそういうことばかりしていてもいけないということで、天に「この人を正しくお導きください」と祈るだけです。

何でそういう祈りがいけないのでしょう。私は悪意があって嫌がらせをしてきた人に、善意の祈りで返しているのです。これくらいよい行いもないのではないでしょうか。悪の行為を善の行為で返しているからです。(私は善行を行っているんですよ。そのどこがいけないのでしょうか?悪いことをしている人を見過ごす人の方がよほどいけないでしょう)

私は、そのようなよい行いをしているから、先ほど書いた鳥や魚が寄って来るという奇跡も起きるようになったのであり、もし私の祈りの行為が悪いことであるなら、もうとっくに悪いことが起きています。(どれだけの人を祈ったか分からないくらいだからです)

しかし、私には何年たっても悪いことは起きないのです。では私は、誰よりもよいことをしていると思われないでしょうか。

そのようなよい現象が、毎日のように現れているからです。

では「お前に祈られ悪いことが起きている人はどうなるのか」ということですが、それは自分が悪いでしょう。天に指導を受け、そうして悪い現象が現れたのなら、その人は遅かれ早かれそのような現象が現れるのです。

現在自分がしている心と行いはよいことではないからです。では、そのような人はいずれそのような現象(病気かなにか知りませんが)が現れるのであって、それは自分が悪いからそうなるのです。

その悪いところを反省するべき現象が現れたのですから、その現象に感謝して素直に反省すればいいのです。そうすればその人は救われるからです。(心がですが)

昨日でもそうでした。ここ数日(前と比べればですが)静かだった前の会社の連中が、まうるさくし始めたのです。(何か二~三日何も起きないとまた前のようにうるさくするようです。この人たち何度天罰を食らっても、自分たちが悪いことをしているという自覚が持てないようです)

このブログを書いている最中に、あまりにうるさかったものですから「うるさいな」とかいいながら、前の会社の連中を祈っていたんですが、そうしたら急に静かになったのです。

一変に雰囲気が変わったのです。すぐにピンときました。「また何か起きたな」とです。

だから私が「オイまた何か起きたんじゃないのか」と声をかけると、しばらく静かでしたが急に怒り出したように、また大きな音を立て始めたのです。その後は感情的に怒っているような感じでしたが、今日は朝から(多少ガンガンやっていますが)昨日のようなうるささはありません。

昨日と今日では、すでに態度が変わっているのです。だから、昨日何か起きたということはすぐに分かるのですが、結局それもこれも全部自分たちが悪いのです。私の祈りはきっかけにすぎないのです。

自分たちが悪い行為をし続けているから、そのような悪い現象が次々に起きてくるのであって、その悪い現象は誰のせいでもないのです。みな自分のせいなのです。(散々でかい音を立てて、私や回りに迷惑をかけ続けているのに、それを悪いことだと自覚していない自分たちが悪いのであって、それが仕事でそうしているだけなら、自分たちに悪いことが起きてくることはないのです。天は、そのような人の心の中をすべてお見通しだからです。仕事にかこつけて人に嫌がらせをしているから悪いことが起きてくるのです)

その自分のせいを全部私のせいにしているから、いつまでも同じように悪いことが起きてくるのです。私のせいにしている限り、そのような心と行いを反省しないからです。

しかし、起きている現象がまるで違います。いい加減、そんな奇跡が毎日起きているような善人を(それも超がつくほどのです)悪人に仕立て上げるのはやめたらどうでしょう。そのような行為も悪いことだからです。

そういう悪の行為ばかり重ね、罪ばかりつくっているなら、そのような人々には当然天罰が下ります。

そうであるなら、もうそのよう悪の行為はやめられたらどうでしょうか。

そうして毎日奇跡が起きている善人の意見を聞いたらどうでしょう。その意見を聞くなら、その人にも同じ奇跡が起きてくるからです。

しかし、それが一番、自分を幸せにする方法なのです。

追伸…悪の行為といえば、台風が過ぎ去ったら、また中国の密漁船が集まり始めているようですね。これも悪の行為です。

神風まで吹かせて、天が日本にそのような密漁船を近づかせないようにしたのですから、その天の意志を理解して、そのような連中をこれ以上日本に近づけてはならないのです。

政府は密漁船対策を講じているようですが、日本単独ではなく、ぜひ中国政府とも連携してやっていただきたいものです。(中国政府も、あの密漁者たちには頭を痛めているそうですから)

天が、そのようなことをされているんですからもちろん私もやりますよ。(天が動かれているのに私が動かないわけにはいきませんから)

また、密漁船が百隻、二百隻と日本近海に集まってくるようなら、今度はその船団を祈ることにします。(この方々を正しくお導きくださいとです)

私が祈れば、何らかの結果が現れると思いますよ。先ほども書きましたが、悪いことをしている人たちに反省を促すような現象が、現にこの辺り続出しているからです。

だから私が祈れば、悪いことをしている人たちにです。その悪いことを反省させるような現象が現れると思いますが、それは天が行うことですから別に問題ないわけです。(天はすべてお見通しですからね)

ですから、日本政府だけでなく、中国政府のお歴々もご安心ください。私の祈りは悪い人にしか作用しません。だから私が祈れば、中国政府も頭を痛めている、あの密漁者たちに天罰が下るかもしれませんが、それはご了承ください。天がされることですから。

繰り返しますが、私が祈ると悪いことをしている人に天罰が下るのです。それはお間違いのないように。(まさか中国政府が、裏であの密漁者たちの糸を引いているとは思いませんが、もしそんなことをしているのなら、そういう人たちに天罰が下るかもしれません。それはお気をつけください。ああ、こんなこと書いたら中国政府に失礼ですね。そんな腹黒い人たちなど中国のお歴々にいるはずがありませんから〔笑〕)

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