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2014年12月

12月 15 2014

民意とは?

衆院選が終わりました。

三百議席を超えるのではないかといわれていた与党の自民党は、結局二百九十議席にとどまり(それでも十分な議席数ですが)公明党は議席を増やしたようです。

どちらにしても与党で衆院定数の三分の二を維持し、今回の選挙も(前回同様)与党の圧勝で終わりました。

民主党の代表が落選したのはよかったんですが、その反面民主党の議席は増え、共産党の議席も倍以上に増えたのが少々気にはなります。(共産思想の政治家が増えたということになりますので)

今回の選挙の投票率が戦後最低(五十二パーセント台)になったそうですが、だから、民意がないとはいえないでしょう。なぜなら選挙に行かないという選択肢もまた民意だからです。

前から不思議だったんですが、選挙に行かないというのは民意ではないのですか?

選ぶところがないとか、自分が投票に行っても何も変わらないとか、政治に興味がない、だから投票にはいかなかったという人は、それはそれでその人のそのような考えなのであり、教育などは押し付けはよくないとかすぐいうくせに(義務教育でもです)選挙は「国民の義務なんだから行かないといけない」というのは押し付けなのではないでしょうか。

教育は押し付けで、なぜ投票は押し付けではないのですか?

このように考えるなら、投票に行かないということもまた一つの民意なのであり、単に「投票率が低いから民意がない」といういい方はおかしいのではないかと思います。(だから今回の選挙は、そのような〔投票に行かないという〕民意が多かったということです)

そのような「選ぶところがない」とか「自分が投票に行っても何も変わらない」とか「政治に興味がない」とかいわれる政治が問題だといわれれば、それは反省すべき点もあるのかもしれませんが、政治よりも自分のことという人もいます。(私も若い時はそうでした)

そうであるなら、そのような民意もあると理解し、しかし、政治は多くの人に関わることだからと、それこそ教育を押し付けはいけない、詰め込みはいけないなどといわずに(政治だけに限りませんが)小さな時から、しっかりいろいろなことを教え、ちゃんと教育すべきなのです。

そういう教育は止めておいて(押し付けはいけないと)投票は国民の義務だから投票に行けといわれても、それは行く人も減るでしょう。私たちの生活と政治がどれだけかかわりが深いか分からないからです。(特に若い人にはピンとこないでしょう。それこそ、そういう教育をほとんどされていないからです)

何でもそうですが、ある部分を手を抜けば、そこは当然ひずみが出ます。

小さな時から、政治のことをしっかり教える(分からせる)そのようなことに手を抜いていて「若い者が投票に行かないから投票率が上がらない」というのも勝手な話であり、教育は押し付けというくせに、投票は押し付けといわないのもまた勝手な話であり、教育を押し付けてはいけないというのなら、投票も押し付けてはいけないのであり、投票に行かないのもまた民意であると理解すべきなのです。

だから「投票率が低いので今回の選挙は民意がない」といういい方はおかしいのではないでしょうか。(そのような考えすべてが民意です)

マァ、そういう議論は専門家に任せて(全然関係ない話をつい夢中になり書いてしまいました。またそんな不毛な議論をする人がたくさん出てくると思ったからです)私は、この選挙のあと日本に何が起きるのかということを書きたいと思います。

それにしても、また名古屋の小選挙区で民主党議員が復活し出しましたね。また次の選挙では、小選挙区は全部民主党が独占などということにならないでしょうね。(私が、安倍総理の演説を聞きに行った選挙区の議員も落ちたようですが〔比例で復活当選はしましたが〕あの演説の場所で、散々自民党の関係者からも嫌がらせをされました。あんなことを自民の関係者がしていたら落ちますよね)

知りませんよ、何が名古屋に起きてもです。(マァ、私がこの前書いたことが嘘か本当か分かるでしょうが)

明日からまた(明後日でしたっけ?)強い寒気が入り、各地で大雪になるところも出てくるようです。

今回の選挙、自民党は圧勝しましたが、その反面、民主、共産などの共産思想の議員は増えています。

選挙後すぐこんな天気になるのは、やはり今回の選挙は、あまりよい結果ではなかったということです。(日本にとってです)

よほど自民党の政策がよくないと異常気象が続くということになります。

選挙も終わってしまいました。ではもう共産思想の議員を減らすことはできません。

そうであるなら、この法に帰依する人がたくさん出て来ないと、この異常気象を収めることはできないでしょう。

いつまでも神にソッポを向いているのではなく、いい加減、神に顔を向けられてはいかがですか?

そういう人が増えないと、この異常気象も収まらないのです。

(なんか、よけいなこと〔さっきの投票率は民意かどうかの話です〕書いていたものですから、肝心なことがほとんど書けなかったです)

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12月 14 2014

政治家の人柄

衆院選の投票が始まったようですね。

私は期日前投票を済ませましたので(何せ私は休みなしですから。日曜日までブログを書いて法の流布を行っていますからね)天気は関係ありませんが、日本海側など雪が降っているところが多いようです。

今回の選挙はただでさえ関心度が低いのに、それに加えてこの天気です。投票率の最低を更新する可能性大ですね。

「投票しましょう」「投票しましょう」と、そこらじゅうでいっていますが、全く政治に興味がない人が投票所に行き、候補者の顔か何かで決められても、それはそれで困ります。

選挙に行かれる人は、ある程度の政治の知識を持って投票所に行ってもらいたいものです。(投票は国民の義務とかいわれますが、単に投票だけでなく、政治は自分たちの生活にかかわってくるのですから、ある程度の政治の知識を持つまでが国民の義務でしょう)

そういう意味では政治家のブログなど読んでも、その政治家の人柄などが分かります。そのようなものも参考にされてはいかがでしょうか。

ブログには、いいことしか書かない人もいるんでしょうが、それでもその人の考えや人柄は必ず出ます。選ぶ時の参考にはなりますよね。

しかし、そのいいことしか書かないはずの政治家のブログを読んでも、すこぶる評判が悪いのが民主党ですね。何であんなに評判が悪いんでしょうか?

この選挙の期間中だけでも、相手議員の誹謗中傷はする、約束は守ろうとしない、選挙違反じみたことまでやっていると書かれています。(今回だけでなく、前にも民主党議員はひどいヤジを飛ばしているとか書かれていました)

昨日の話ではありませんが、政治家のことを一番分かっているのは同じ政治家でしょう。そういう人たちが、口々にそのようなことをブログに書くということは、よほど民主党の議員は程度が悪いのではないかと思ってしまいますが、そこはどうなんでしょうか?

そこまでは分かりませんが、しかし、そういうことが事実なら、政策云々をいう前の人としてどうなんだという話になってしまいます。

まさか民主党の候補者はカメラの前で大泣きした、あの兵庫の県議のような人たちばかりということはないでしょうね。

そうであるなら、それこそ昨日の話ではありませんが、そういう人が国会議員になるのは大問題です。我々有権者は民主党だけは絶対に入れてはいけない、ということになるのではないでしょうか。

しかし、そんなことはないでしょう。そういう人もいるかもしれませんが、それは一部の人でしょう…ということかもしれませんが、こういうことを選挙期間中に、他の政治家のブログに書かれるということ自体が問題です。

やはり民主党は(私もボロカスでしたが)組織自体に問題があるような気がしてなりません。

投票日まで文句をいわなくてもいいんでしょうが、昨日書きましたように、国会議員は多くの人々に影響を与えます。

そのような評判は、多くの人が知っておいた方がいいと思い書きました。

国民に選ばれ、日本のために税金をもらって働くのですから、一番最初に襟を正さなければいけないのが政治家です。その政治家が、そんなことをしているようでは話にならないでしょう。

このように、自分たちの評判など、もうすぐに外に漏れてきます。これからの政治家は嫌でも心と行いを正すしかないのです。

しかし、そんなことは、政治家として当たり前のことであり、そういう口だけの政治家がいること自体がおかしいのであって、これからは、そのような政治家たちは不要となるのです。

これからは口だけの政治家は評判を落としていきます。先ほどの政治家のブログではありませんが、どのようなところから、その自分の口だけのところがばれるか知れないからです。

しかし、口だけの政治家がいなくなれば、当然ではありますが日本はよくなっていきます。

これだけパソコンなどの情報機器が発達した時代、もう自分たちの人柄をごまかすことなど出来ないのです。(それは私たちでも同じでしょうけどね)

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12月 13 2014

天の意に沿う大事さ

今日、明日はまた凄い寒気が入ってくるそうですね。

日本海側は大雪になるところも出てくるようですが、よりにもよって選挙戦最終日と衆院選の投票日が大雪では、ただでさえ苦しい野党がよけい苦しくなります。(優勢に選挙戦を進めている与党はもう選挙運動などしなくてもよいですし、大雪で投票率が下がれば、これまた組織票がある与党が有利です)

最後は天まで味方して与党有利の状況が現れています。

何でこんな逆桶狭間の戦い(奇襲戦法で天が味方して小が大を倒すというのではなく、奇襲戦法で天が味方して大が徹底的に小を叩く、という意味です)のようなことになったのでしょうか?

終盤に来て、天まで与党(自民党)に味方したのは次のような理由があったからです。

今週になって自民党は選挙戦術を少し変えました。それが天の意に叶ったのです。

その天の意に叶った戦術とは、あの他党の党首(幹部)への相次ぐ応援演説です。

今週に入り自民党は、競っているところはもちろんですが、民主党の党首や幹部の地元から剛腕といわれている人の地元にまで、安倍総理はじめ自民党の幹部が相次いで乗り込んで、応援演説を繰り広げました。

あれがよかったのです。

共産思想の政治家(民主党の党首や幹部)や調和できない政治家(剛腕といわれた人)は、国会議員でいてもらっては困るのであり(多くの国民が迷惑します)そのような政治家を落とそうと自民党は全力を尽くしている、その姿勢が天の意に叶い、それでこのような天気となったのです。(天の評価は結果ではありません。そのような姿勢を評価するのです)

結局、そのような政治家たちにいられては、もう日本に何が起きるか分からないのです。(現実に、共産思想の強い知事がいるところには天変地変がよく起きています。あの剛腕といわれる人の地元でも東日本大震災が起きました)

だから、そのような政治家を、一人でも落とそうと努力している自民党には天が味方して、今回こういうことが起きているのであり、これからの選挙戦は(というより、これまでもそうだったんですが)この政治家は日本によい影響を与えるのか、それとも与えないのか、そのようなことも見て(政治家のことは同じ政治家が一番分かっているでしょうから)そうしてこの政治家は日本にとってよい影響を与えないと思ったら、少々の自分たちの都合や議席を減らしてでも、その政治家を落とす、そういう努力も必要なのです。

それが日本のためになるからです。

自分のためではなく、日本のためになるかどうかなのです。

特に国会議員は日本に与える影響は大きいのです。その国会議員に日本を壊すような人がいてはいけないのであって、そのような政治家を全力で落とす努力をすることも同じ政治家としての使命、役割でもあるのです。(もちろんそれが私利私欲であってはいけませんが、政治家はよい政策を出すだけではなく、悪い政治家を落とす、それも仕事のうちなのです。悪い政治家が一人でも減ればそれだけで日本がよくなるからです)

自分たちのことだけでなく日本全体を考える、そのような、これまでより考えの広い選挙戦を自民党が行いだしたから、選挙戦終盤で天が味方してこんな天気になったのであり、これまで通りの狭い考えを自民党がしたままで、自分たちの議席を増やすことしか考えなかったら、このような天気にはなっていなかったということです。(ただ自民党が、どういう考えでこういう戦法を取ったのかは分かりませんが、そういう日本全体を考えてこのような戦法を取ったとしたら百点です)

地方選でもそうですが、国政選挙などは特にそうで、自分たちのことだけではなく日本と、その日本の後々のことも考えて、そうして選挙戦を展開していくのであれば、そのような心の広い候補者たちには天が味方し(前に書きましたが、不思議と無党派層などの票が集まったり、急に自分に風が吹き始め票が集まりだしたりしてです)当選しやすくなるでしょう。

これからは、すべてのことにおいて、そのような思い、即ち心が大事になるということです。

政治家であるならまず国民のこと(地方の政治家なら、県民や市民のことですが)を一に考え、そうして選挙や政策を出すのが当たり前のことなのであり、これまでのように自分のことしか考えない政治家の方がおかしいのであり(選挙や政策も全部自分のため)もうそのような政治家は必要ないのです。

これからの政治は、少々不人気な政策でも将来の日本のためになると思うのなら、それはやるべきなのです。(安倍総理はやられていますが)

これからはポピュリズムをするような政治家(共産主義者)は必要ありません。

これから必要な政治家とは、西郷さんがいわれた「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)そのような心を持つ政治家なのです。

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12月 12 2014

二つの諺(ことわざ)

今日くらいに公開できますかね、あの動画は。(マァ、ホームページの会社次第ですけど)遅くとも来週初めには出来ると思いますが、その動画を観てもらえれば分かります。

私の回りに鳥や魚が喜んで寄ってくるということがです。(もう何回も公開していますので、理解される人はされるのでしょうが)

コウモリが、やたらこちらに向かって飛んでくる場面や、すずめやカモメが嬉しそうにこちらに飛んでくるところ、魚たちも「飛べよ」というと、小魚が一斉に跳ね出したり「顔を出せ」というと大きな鯉がスッと顔を出すような場面も撮れています。

そのような仕草は本当に可愛いものです。それはよく観ていただければ、その可愛らしさは伝わると思います。(前にも書きましたが、そういう仕草を見るとあの無表情な魚さえ可愛く思えます)

このような小動物たちが、何で私にはそのような態度を取るのでしょうか?

少なくとも皆さん方よりも私の方が愛があるからではないですか。

こういう現象が起きているのに、それは一切無視して悪いことは全部私のせい、この辺りの人たちはあまりに見方が偏っているのではないでしょうか。

昨日もサイレンをよく聞いたのですが、あのサイレンがみな私のせいというのであれば、多分、そのサイレンを鳴らして走っている救急車で運ばれていく人は、私の知らない人でしょう。そうであるなら、私は自分が知らない人まで病気にさせているということになります。

何で私が、自分の知らない人まで病気にさせる必要があるのでしょう。

病気にさせるなら、私に嫌がらせをして来た人を病気にさせます。(そういう人でピンピンしている人いくらでもいますが…)

縁もゆかりもない人を病気させてもいらぬ恨みを買うだけです。そういうことはまったく意味がないと(むしろマイナスの方がはるかに大きいと)思いますが、このサイレンをみな私のせいにしている人たちは、そこをどのように説明されるのですか?

私が一人で数百人も数千人も病気にさせているだの、自分が全然知らない人まで次々に病気にさせているだの、このようなことを考えるなら、はっきりいって、このサイレンをみな私のせいにしている人たちは、どう考えてもまともな発想とは思えないのです。

または、起きていることの意味を深く考えず、単にこれまで起きていないことが起きてきたから(それが自分たちのせいとは思いもしないものですから)他の誰かのせいにしているだけとしか思えないのです。

そういう発想はあまりに短絡的なのではないでしょうか。(普通では子供でもしないような発想を、この辺りの子供から大人までがしているのです)

また、そんな発想で、その原因にされている者はどうなるでしょう。多くの人から悪魔のように嫌われ、嫌がらせを受けるのです。(現在の私がそうですが)

これだけのことが起きていて、それをそんなに簡単にあいつのせいと決めつけ、犯人にしてしまうことが正しいことなのでしょうか?

このサイレンを私のせいにしている人たちは、どこをどうとっても正しいことをしているとは思えないのですが、そこはどう思われるのですか?

そこらじゅうで説法をしていますが、私に反論してくる人が一人もいません。これは結局、自分たちが悪い(または反論しても勝てない)と知っているから誰も反論してこないのではないのでしょうか。

だって、自分たちが正しいと自信を持っていえるなら、反論してくる人がたくさんいてもいいはずだからです。(私などただの高卒です。私に嫌がらせをして来た人で、よい大学を出ている人はたくさんいるはずです。〔何せ公務員までやってくるのですから〕では、私より頭がいい人はいくらでもいるのですから、自分たちが間違っていないと思っているなら反論などどれだけでもできるはずです)

しかし、一人としてそんな人はいないのです。私が歩いていて、嫌がらせをしていく人は、何百人、何千人といるのに「お前のこういうところが悪い」といった人は一人もいない、これはどういうことでなのしょうか?

怖くて反論できない、ということであれば、そんな怖い人に嫌がらせができるわけがありません。(やくざや右翼に嫌がらせをする人いませんから)

さほど怖いわけでもなく、私のいったことになにも反論しないというのであれば、それは自分たちが悪いと自分が知っているからです。

では、自分たちが悪かったと認めたらどうでしょうか。その方がよほど人としてまともであるからです。

『過ちては則ち改めるに憚ること勿れ』(あやまちてはすなわちあらためるにはばかることなかれ)という諺があります。

この諺は(知っている人も多いでしょうが)「過ちを犯したことに気づいたのであれば、体裁や対面などにとらわれずただちに改めよ」という意味です。

なぜ、気づいているのに改めようとしないのですか?

そのような人は、次のような諺があるということも知っているはずです。

『過ちて改めざる、これを過ちという』(あやまちてあらためざる、これをあやまちという)この諺は「過ちを犯したことに気づきながらも、それを改めようとしない、これこそ本当の過ちである」という意味です。

どちらが人として正しく、どちらが正しくないかは子供でも分かると思います。

皆さんはどちらの諺を実践されるのですか?

それでこれからの自分の行き先が決まるのです。(幸せな人生を送れるか、それとも不幸な人生しか送れないか、また、その先の天上界に往くか地獄界に往くかということまでです)

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12月 11 2014

誰が正しく誰が正しくないのか

「私に逆らう人には災いばかりが起きている」昨日そう書きましたが、本当によく起きているようですね。その災いがです。

必ず週に一度くらいは何か起きているようですが、まだ突っ張るんですか?

私に突っ張っているのではないのです。神に突っ張っているのです。いい加減その自覚は持たれた方がいいでしょう。そうしないと最後には滅ぼされるからです。(本当に潰されますよ、その会社)

もうどこのことの話かはお分かりだと思いますが、申し訳ありませんが、あまりに近くで不幸が続出しているところがあります。

その件を書かせていただきますが、しかし、よく考えてみればもう書くこともありませんね。(散々その人たちにはいってきましたし)

あとは、自分たちのこれまでの行いを反省し、詫びを入れることが出来るかどうかだけでしょう。

それ以外ないのですから、それ以外書きようがありません。あなた方は一刻も早く『反省』されることです。それだけです。

出来なければ、出来るまで、その現象は続きます。早く反省してください。それ以上はいいようがありません。

この辺りの人は平気で私に嫌がらせをしてきます。(それも三つや四つくらいの小さな子から七十~八十くらいの年寄りまでです。本当に幅広い人気を保っています)

しかし、そんなことをした人は、この会社のように最後には不幸になります。(小さな子でも同じですよ。よい人生が歩めなくなります。年寄りは先も短いのであるし地獄行きです)神に嫌がらせをしたのと同じだからです。(神に嫌がらせをしたら当然不幸になりますから)

今すぐ何も起きないからと、平気でそんなことをしているといずれ不幸がやってくるのです。

肉体が若かろうが年を取っていようが同じです。心はすべて大人だからです。その心で正しい判断をしないといけないのです。周りがみんな私の悪口をいっていてもそれは同じです。その周りでいっていることが正しいのか、それとも正しくないのかは自分で判断するのです。

それが心の勉強だからです。

私も同じような判断を迫られたことがありました。教育研究会未来にいた時です。

未来の人々は、みな園頭先生の悪口をいっていました。しかし、私は、絶対に園頭先生は悪くないと一人言い張ったのです。

その結果、私には次々に奇跡が起きるようになったのです。その判断が正しかったからです。

私がそんなに悪人であるなら、鳥や魚が喜んで寄ってくるという奇跡は起きません。

そのような奇跡の現象をもう少し深く考えてみてください。

その鳥や魚たちが喜んで寄って来る映像が出来てきたようです。(あとは私がチェックするだけです)

誰が正しくて誰が正しくないのかは、そのような鳥や魚たちが教えているのです。

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