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2015年1月

1月 09 2015

別の考え

何か民主党の代表選、バッタバタですね。(笑)

代表選で暴露合戦をしてもねぇ。(どこかの国じゃないんですから〔笑〕)見苦しいだけです。日本は日本のやり方があります。正々堂々政策論で勝負していただきたいものです。

そうしないと、ただでさえ落ち目の民主党です。そういう(陰口のいいあいのような)代表選をすればするだけ有権者は引きます。

マァ、民主党の代表選はいいんですが(ついつい書いてしまいます〔苦笑〕)昨日のブログを公開したあとのことです。東海地方で地震がありました。(静岡で震度3、名古屋で震度1~2くらいでした)

「だからなんだ」といわれれば、はっきりしたことはいえませんが、昨日書いたブログ、やはりこの地域に影響を及ぼすのではないかと思えたからです。(だって、このサイレンが響いているのは名古屋だけではありません。名古屋の周辺でこの現象は起きています。わたし名古屋近辺にいた時でも、サイレンがよく聞こえてきましたから)

地震が起きた時間も、ブログを公開してちょうど一時間くらいたった時でした。とても偶然とは思えません。天は何かを教えているのではないか、そう思えてなりません。

では、昨日のブログの内容をよく吟味された方がよいのではないでしょうか。

どちらにしても、昨日私が外に出て行くと、ブシュブシュやるトラックやバスが、ずいぶん少なかったです。(さすがこのブログの内容、多くの運転手関係の人よく知っています。無線かなんかですぐ伝わるようです。〔笑〕)

そうしたら、昨日と違って今日はサイレンが少ないです。(マァ、今だけかもしれませんが)

一度試してみたらどうですか、このサイレン、私が原因というなら、その私に嫌がらせをしない方もです。(たしか試したことありませんよね。そちらの方は。〔苦笑〕)

現に昨日の夕方もサイレンは少なかったです。それに私に、トラックがブシュとやった瞬間にサイレンがしだしたということもありました。(これもたまたまですかね?何かを暗示しているように感じましたが)

同じことをしていても同じ結果しか出ません。別のやり方も試すべきではないですか?名古屋は(とその周辺もでしょうが)これだけ多くの人が毎日のように病気になっているのですから。(これは名古屋の人しか分かりませんが)

一度、私にしている嫌がらせをやめたらどうでしょう。それでサイレンが止まるなら、その方がよほどいいからです。(それとも、病人がどれだけ出ようがお前に嫌がらせをした方がいいという人がいますか?もしそんな人がいるなら、その人、完全に悪魔にやられています)

マァ、それは皆さん方の判断で決めてください。しかし、このサイレンを私のせいにし続け、これだけ嫌がらせを続けても一向にサイレンは止まりません。

では、このサイレンは私が悪いわけではないのではないでしょうか。

どちらにしても少し考えを変えてみるのも手でしょう。そうしないとこの現象、収めようがないからです。(それとも他に何か手がありますか?)

よく考えてみてください。自分の家族が救急車で運ばれるようなことにでもなれば、その家族はどうなるでしょう。

子供がそのようなことにでもなれば、親の心配はいかばかりでしょう。逆に親がそんなことになれば、その家族は途方にくれます。どちらにしても、急病で救急車で運ばれる人が家族から一人でも出れば、その家族は不幸のどん底に落ちてしまいます。

そういう不幸なことが現実に毎日起きているのです。とても、あてずっぽうで、このサイレンの犯人を仕立て上げている場合ではないでしょう。(あてずっぽうですよね。こんな現象これまで起きたことがないんだから、誰がこのサイレンを起こしている原因かなど、そんなに簡単に分かるわけがありません。それにこのサイレンの原因が人がどうかも分からないのです)

ことは急を要しているのです。一度考え方を変えられてはいかがでしょう。もしかしたら救いの道はそこしかないかもしれないからです。

名古屋は毎日大変なことが起きているのです。その自覚、もう少し持たれてはいかがでしょうか。

追伸…昨夜も歌番組を観ていたのですが、この前の紅白でも感じましたが、最近の歌は歌詞がよくなりましたよね。(昨夜もいい歌詞の歌を歌っていた人いたし)

少し前までは、本当にアホみたいな歌詞を歌っている歌手も多かったんですが、最近は少し変わってきたように感じます。非常によいことですね。

このような流行歌も、元々は、釈尊の説法を分かりやすく庶民に聞かせるためのものであったのですから、その原点に戻りつつあるように思います。(仏教が日本に初めて伝わった時〔千五百年ほど前です〕お経の意味を〔お経は釈尊の説法が書かれてあるのです〕多くの人に〔訳経僧、書写僧、説教僧などの〕坊さんが伝えました。その坊さんたちから伝えられた釈尊の教えが、説教節や浪花節、浄瑠璃や講談、謡曲、小唄、民謡などになっていったのです)

歌は多くの人々の心をとらえ感化させます。だから、その歌の歌詞がよければ、その歌を聞いた、多くの人々が救われるということにもなるのです。

これから、このような歌詞のいい歌がたくさん出てくることを願ってやみません。

そうすれば、この法は黙っていても拡がっていくからです。(その歌自体が法だからです)

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1月 08 2015

本当の原因

北日本は大荒れの天気になっているようです。(猛吹雪になっているところがあるようです)

現在の日本は、このような異常気象ばかりでなく、地震は起こる、火山の噴火は起こるなどの異常現象が次々に起きて、一変に人が亡くなるような現象(広島の土砂災害や御嶽山の噴火など)まで起こり始めています。

何か(世紀末でもないのに)世紀末のような様相を呈しています。

時が来ているのに、いつまでたっても自分のことしかしない、そのような人が多いからでしょう。

いつになったら、それを理解されるのですか?この異常現象は、神の心を理解する人がたくさん出て来るまで続くのです。

名古屋もまた今日は朝からサイレンが凄いんですが、これが私のせいなのでしょうか?

何で私が、自分の全然知らない人たちを次々に病気(けがかもしれませんが)にしないといけないのでしょう。そんなことをしたところで恨みを買うだけではないですか。どうせ病気にするなら私に嫌がらせをして来た人たちをします。

私に嫌がらせをしている人たちが、次々に病気になり救急車で病院に運ばれている、というのであれば、このサイレンは私のせいということになるんでしょうが、そういう人ばかりじゃないんでしょう。(私に嫌がらせをしている人で、ピンピンしている人いくらでもこの近所にいます)

そりゃ、私に嫌がらせした人も運ばれていると思いますよ。これだけ毎日救急車のサイレンがたくさん聞こえてくるんですから。(何せ、毎日何十人という人がしてきますから)しかし、この現象をすべて私のせいにするのは、どう考えても無理があるのではないでしょうか。

名古屋にこれほどのことが起きているのです。そんな安易に原因を私のせいにしていてよいのでしょうか。もし、その原因が違っているなら、このサイレンはずっと止まらないということになります。

これほどの現象が起きているのです。こんなことが起きているのは多分、世界でも名古屋だけだと思います。なぜ、世界のどこにも起きていないような現象が名古屋に起きてきたのか、もう少し真剣に考えた方がよいのではないしょうか。(多くの人の命に関わることですから)

世界のどこにも起きていない現象が名古屋で起きている、よく考えてみれば(名古屋弁でいえば)どえらいことが名古屋で起きているということになりますが、その、どえらいことが起きている原因が私ということでしょうか。

もしかしたらそれは、ある意味当たっているのかもしれません。

だって、よく考えてみれば、確かにこの現象が現れた最初の原因は私であったからです。

確かにそうでした。(この現象の始まりは、ちゃんとこのブログに書いてあります)その私にバスやトラック、電車の運転手たちがブシュブシュ嫌がらせを始めたのです。(どういう理由かは分かりませんが)

それからです。この恐ろしい現象が始まったのは。そうしてこの現象は止まらなくなったのです。

いま名古屋で起きている現象の始まりはここからです。では、原因はここにあるのではないでしょうか。

この始まりだけを考えると、私に(バスやトラックの運転手が)嫌がらせをしなければ、この現象は始まっていなかったように思えますが、これでも私のせいなのですか?

ちょっと、これだけでは分かりにくいので別な書き方をしてみましょう。

例えば、こういうことをされたのが、私のようなただのオッサンではなく、釈尊やキリストであったとします。(例えですからいいですよね)

では、釈尊やキリストに、バスやトラック、あるいは電車の運転手がブシュブシュ嫌がらせをしたらどうなるでしょう。

いま名古屋で起きているような現象が、現れてくると思われないでしょうか?つまり、そんな偉大な方に嫌がらせなどすれば当然、天罰は下る、そう思われないでしょうか。

もちろん私は釈尊やキリストのような偉大な者ではありません。しかし、現実を見ていただければ分かりますように、私は多くの人に法を説き、多くの人の意識を変え、鳥や魚たちがたくさん寄ってきて、そうして祈って奇跡(大雨や地震を起こしたこともありますし、大洪水を引かしたこともあります。末期癌の人の癌の痛みをなくしたということもあります)も起こしているのです。

こういうことが起きる者に、そんなことをしたら、天罰が下るとは思いませんか?(名古屋の人たちは、それを認めるのは死んでも嫌かも知れませんが事実です。それに私を悪者に仕立て上げているから認めるのが嫌なだけであり、本当の私など誰もよく知らないでしょう。何で実際の私を知ろうともしないで、勝手に悪者にしてしまうんでしょう。本当に人の噂とは恐ろしいものです)

では、この名古屋で起きている現象は天罰なんでしょうか?それとも私が祈った(呪った?)から起きている現象なんでしょうか?どちらなんでしょう。

それでもお前のせいという人はいうでしょう。では、名古屋の人たちに逆に私がいいたいです。

それだけ心が変わったのは誰のお蔭なんですか。(唯物無神論から唯心有神論に考えが変わり、ずいぶん心が軽くなったと思いますが)

それだけの知識がついたのは誰のお蔭でしょう。(この世のことはともかく〔頭のいい人はたくさんいますから〕あの世のことはどれだけ知っていたのでしょう。それに過去世のこともです。そういうことは全然知りませんでしたよね。というより信じていなかったですよね。信じていなかったことを信じたということは、それだけ知識がついたということです)

これだけの奇跡が目の前で見られたのは一体誰のお蔭なんですか?(祈って、地震や大雨を降らせる人がこれまでいたでしょうか?多くの鳥や魚たちがたくさん集まってくる、そんな人がこれまでいたでしょうか。そんな人、見たことも聞いたこともなかったはずです。しかし、そのようなことが目の前で行われているのです。これほどの貴重な経験は早々できるものではありません)

心を救ってもらい、これだけのことを教えられ、稀有な経験までしていて、そうして私にはお礼一ついわないのです。(そんなに悪い奴がこんなことしますかね)

このような体験は、自身の心の勉強だけで考えれば、どれだけ進んだか分からないくらいよい勉強になっているのです。それなのに、その心の部分は一切考えず、地震など起こせば皆が迷惑するの、大雨が降れば大きな被害が出るだの、そのような物質面だけ見て、お前が悪いです。

この世の修行を甘く見てはいけません。

そのような困難なことも、すべてその人自身の心の修行なのであり、自分の心の修行ができているなら、どのような天変地変が起きても、自分たちは助かるのであって、どういう状況になろうと自分の周りには奇跡が起きる、そのような心と行いを常に心がけないといけないのです。

何か悪いことが起きて、それはお前のせいなど、泣き言以外の何ものでもないのです。どれだけ危ない状況になろうとも、心さえよければ救われるからです。(現に園頭先生は、敵のただ中で、爆弾や銃弾が自分に向かい飛んできても、心を神に合わせ禅定されることにより無傷で助かった、そんな体験をされているのです)

名古屋の人たちは、散々心を救ってもらい、知らないことまで教えてもらい、いろいろな奇跡の体験までさせてもらった者に、感謝一つせず、あろうことか自分たちが原因で起きてきた恐ろしい現象まで、その者のせいにして、現在に至るも嫌がらせを続けているのです。

これでは天罰が下らない方が逆におかしく思えますが、そこはどうなんでしょう。

どちらにしても、名古屋で起きているサイレンは止まりません。(さっきもしていましたが、今日は本当によくしています)

明日は我が身となるかもしれないのです。このような現象が起きている、本当の原因を知らないと、名古屋の人々は大変なことになるかもしれません。

人の噂ばかり信じるのではなく、現実をよく見て、正しい判断をしてもらいたいものです。正しい判断ができないと、現在の名古屋はもう何が起きるか分からないからです。

全国で、これほどの異常気象となっています。いま名古屋で起きている現象だけ人のせいには出来ないのです。

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1月 07 2015

末法の宗教と正しい宗教の出現

今日から全国的に冬型が強まり、北日本など大荒れの天気となる予報が出ています。またこれから荒れた天気が続き雪も降り続くようです。雪国の人たちはお気をつけください。

今日は民主党の代表選の告示日です。

この今日からの荒れた天気と、民主党の代表選の告示は決して無関係ではないでしょう。

このような天気を見るなら「やはり天は民主党を望んではいない」そう思えてなりません。

今度の代表選で、誰が民主党の代表になるか分かりませんが、よほど改革をしないと民主党が天から望まれる党にはならないでしょう。(だから、これまで通りの民主党を、継承するような人が代表になってはいけないということです)

天から望まれないような党では、そんな党は消滅するしかないのです。

マァ、民主党のことはいいでしょう。昨夜のことです。私が家の近くまで帰ってくると、またある家からでかい音がしました。

その家とは、この前書いた、ある政党の看板がかかった、その政党を支援する宗教団体の信仰をされていると思われる人の家です。

その家から、この前、私が祈ったオバちゃんが出てきて(あの私が祈ると逃げだした人です〔笑〕)ドンとか、ガンとか、私が通るすぐ横ででかい音を立てていました。明らかに私に対する嫌がらせでしょう。

何で昨夜、その人はそういうことをしたのか?

多分、昨日書いたブログが気にいらなかったからではないでしょうか。(昨日のブログは、既存の宗教の祈り方を真っ向から否定しましたので、信仰をしている人から見たら面白くないでしょう)

それでそんなことをしたんだと思いますが、この人のこのような態度を見て、ますます今の宗教では人を救うことはできないなと思いました。

その人も信仰をしているのです。(直接聞いたことはありませんが、このような態度を取るなら多分間違いないでしょう)そうであるなら、私が間違ったことを書いていると思うのなら、愛の心ではっきり私に意見をいうか、いっても聞かないと思うのなら、その人を「正しくお導きください」と神に祈ってあげればいいのであって、私に対し嫌がらせをするという選択は、愛ある信仰者であるならありえないはずです。

しかし、この人は信仰者としてはありえない選択をしているのです。(私が目の前を通っているにもかかわらずです)

なんという愛のない行為でしょうか。この人が入っていると思われる宗教団体は、昔は強引な勧誘で、今は集団ストーカーなどで問題になっています。

本当に信者に何を教えているのでしょう。このような宗教団体の教義を信じたまま死を迎えるのであれば、その人は確実に地獄に堕ちることになります。

本当にこのような宗教の教義を、そのまま信じている人たちが哀れです。

本当によいのですか?特別この団体の人たちだけではありませんが、他の宗教をしている人たちでもです。

昨日、私が書いたような祈りをさせているところなど、皆その教えは間違っているのです。(ということは、既存のほとんど全部の宗教が間違いということになりますね。そのような祈りをほとんどの宗教がさせているからです)

そういう教えでは救われません。この法を知らないと本当の救いはえられないのです。

それはもう名古屋の人であるなら、誰でも分かるはずです。名古屋で起きているこの現象を、現在あるどの宗教も止めることが出来ないからです。

止められるわけがありません。先ほどもいいましたように、今あるどの宗教の教義も正しくないのです。では、この現象を止めることは出来ないでしょう。

この名古屋で起きている現象こそ、正しい宗教とは何かを教える現象であるからです。

もう認めるしかないのではないでしょうか。自分たちの宗教が間違っているということをです。間違っているから、名古屋で起きている現象の前にはその宗教は無力なのです。どれだけ祈ろうと奇跡が起きないのです。

自分が信じている宗教が間違っているからです。

これだけの現象が現れているのです。では、自分たちの宗教の間違いを潔く認め、その教義を変えられてはどうでしょう。教義を変えられ、その教義に合わせた心にその宗教団体の信者の人たちが変われば、その人たちは救われるのです。

では、変えられたらどうですか、その宗教団体の教義をです。

私は何も、自分たちが信じている宗教をやめろといっているのではないのです。間違った部分だけ変えればいいといっているだけなのです。(どの宗教団体の教義も、多くの部分は法と共通していると思います。〔人に愛や慈悲を示せなどという部分です〕共通していない部分だけ変えればいいのです)

どちらにしても、日本に住む人は宗教をしています。(仏教にしても、キリスト教にしても、他の新興宗教にしてもです)では、その宗教の教義を変えれば、多くの人の心も変わるということになります。(何がしかの影響は受けていますからね。自分たちがしている宗教のです)

もう末法の宗教を続けていても、救われることはありません。それは名古屋で起きている現象で証明されています。

その現象とは、サイレンが止まらない、ということだけではありません。多くの人が私がいう、神の存在、あの世の存在、人の輪廻転生を信じるということも含めてです。

つまり現在の名古屋では(サイレンが止まらないという)恐ろしい現象も起きていますが、それと相まって、唯心有神論を多くの人が信じる始めるという、意識改革まで起きているのです。

現象と意識改革が同時に起きる、これこそ本当の神の教えである正しい宗教が現れた証拠であり、現在の名古屋に本当の正しい宗教が出現したのです。

宗教とは宇宙を示す教えと書きます。(うかんむりは宇宙を現します。そのうかんむりに示す教えと書くのが宗教という文字です)つまり宗教とは、この大宇宙の法則を教えるものであり、そうであるなら、すべての人類が学ばなければいけないものなのであって、宗教をやるとかやらないとかのレベルではなく、この世に生きるものなら(それは動物植物すべてのものを含めてです)絶対に知らなければいけない(勉強しなければいけない)法則であるのです。(だから、釈尊が説法をする時には、その場所にいる鳥や鹿などの動物たちも聞きに来ていたのです。そのような動物たちも、釈尊の説法は〔すなわち正しい宗教は〕聞かないといけないからです)

その正しい宗教が名古屋に現れたのです。そうであるなら、その教えに従わなければ救いの道はないということになります。

既存の宗教をやめろとはいいません。しかし、少し教義を変えられてはどうでしょう。(その正しい宗教に従ってです)それだけで、多くの人が救われることになるからです。

(今日のブログを書いていて、鳥や魚たちが、なぜ私に寄ってくるようになったのか分かりました。正しい教えを説いていたからです。それで鳥や魚たちが私に集まってきたのです。その教えが聞きたいからです。〔それですずめたちを祈ってやったら喜んだんですね。その意味がよく分かりました〕このような現象が現れることでも、私のいっていることの正しさがよく分かります。名古屋の人たちは、私を悪魔に仕立て上げ逆らってばかりいますが、それをしている間は名古屋が救われることはありません。〔今もサイレンが聞こえていましたが〕私のいうことに従わないと救われないのです。そのことが正しいという証明が次々になされています。いつまで私のいうことに耳をふさいでいるのですか?その時間が長ければ長いほど苦しみが長く続くのです)

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1月 06 2015

正しい教えと正しい祈り

原油安が止まらないようです。

今年に入り食品の値上げが相次ぐところに、この急激な原油安です。ガソリンなどの油が下がることで、食品の値上げの影響もかなり相殺されるでしょう。

この原油安を、経済界では神風とまで呼んでいるそうですが、アベノミクスではありませんが、アベノミラクル(安倍総理の奇跡)はまだ続いているようです。

せっかく政治や経済で奇跡が起きているのです。それ以外のところでも奇跡を起こされてはどうでしょう。それ以外のところで災いばかりが起きていては、その災いに足を引っ張られ景気がよくなることはありません。

本当に日本をよくしたいのであれば、この数々起きる災いをなくすことです。

その災いをなくすには、日本の人々の心を変えねば出来ません。いい加減本当の神の心に気づかれてはどうでしょうか。神の心に気づかないとよい方向に心が変わらないからです。

例えば、今年も多くの人がいろいろな神社などに初詣に行きました。

しかし、その初詣に訪れた人が祈ることといえば「家内安全」とか「交通安全」とか「今年は景気がよくなりますように」とか「よい大学に入れますように」とか「よい会社に入れますように」とかいうことばかりです。

一見このような祈りは正しいように思いますが、このような祈り自体、すでに神を冒涜しているのです。

いい加減それに気づきませんか。このような祈りがいかに浅ましいかです。(こういう祈りが正しいと思っているから災いが次々に起きるのです)

だって、そうでしょう。このような祈りは、すべて自分たちの欲望を祈っているだけで、誰も神に対しての祈りをしていないのです。

神を下僕のように思い、あれをしてくれこれをしてくれと頼むだけ頼んで、そうして自分たちがよくなればそれでいいという、自分たちだけの祈りなのです。こんな祈りをしていて神を冒涜していると思わない方がおかしいのです。

初詣に行き「今年は神のために尽くします」とか「今年は神の心を知るため一生懸命勉強します」という祈りをする人などいません。(いってはいけませんが、神の子の人間としてこういう祈りが普通の祈りなのです)

神に対し、あれをくださいこれをください。天変地変を起こさないようにしてくださいなど、頼むだけ頼んでおいて、そうしてわずかなお賽銭を出すだけで、あとはお礼さえいいません。(いわないですよね。何か幸運が続いても日本で神に感謝する人などいませんし、よい天気が続いても、それを神に感謝する人はいません。自分で神に祈っておいてです)

わずかなお賽銭を払うだけで、その何十倍何百倍もの物をもらおうというのです。物だけでなく、天変地変が起きたら、一体どれくらいの損害が出るのか分かりません。そのもの凄い損害も出ないようにしてくれと頼むのです。

考えてみれば神に対し、どれだけ浅ましく厚かましい祈りをしているんでしょうか。(よく恥ずかしくありませんね)

これではいけないでしょう。こういう自分のことだけ自分の欲望ばかり祈ることが、いかに神を冒涜しているのか、それに気づかなければ、この日本に起きている災いは収まらないのです。

だから私は、神に対し傲慢な人が多いといっているのであり、もっと謙虚にならないといけないといっているのです。

これがこれまでの宗教の教えであり(末法の宗教)このような祈りで、その祈ったことがきかれるはずがないのです。

これまでこういう祈りをしていて、祈りがきかれたようなことが起きているなら、それは自分がそうなるよう努力した結果、そのような結果を得られたのか、元々そうなるような順序があったからそうなったのかのどちらかであり、決して祈りがきかれたからではないということです。

それは、先ほど書いたことを知ってもらえれば分かると思います。そんな祈りを神がきいてくださるわけがないからです。

そういうきかれるはずのない祈りの方法で祈らせておいて、そうして何かいいことがあると、それは祈りのお蔭ですと、後付けみたいなことをいうのがこれまでの宗教でした。(現代の科学とよく似ています。末法の世の科学や宗教とはこのようなものでしょう)

だから、これまでの宗教が教える祈りでは、その祈りがきかれたのか、きかれていないのか、よく分からなかったのです。よく分からないはずです。そんな祈り方では祈りなどきかれるはずがないからです。

しかし、この法の祈りは違います。確実に祈りがきかれたか、きかれていないのか分かるのです。

祈りが何らかの形で現象として現れるからです。

正しい祈りをすれば、その祈りはきかれます。間違った祈り方をすればきかれませんが、そのどこに間違いがあったのか、それも教えてくれます。

正しい教えを実践すると、確実に天の導きがあることが分かるのです。

正しい教えを学ぶのであれば、これまでの宗教ではあやふやであった祈りが、確実にきかれているということも分かり、現象も次々に現れ、そうしてこの世の理(ことわり)だけではなく、あの世の理まで分かり(ということは死への恐怖も段々なくなっていきます)そうしてこれからの自分は何をなすべきなのか、その道まで天が導いてくださるのです。

これ以上よいことはないのではないでしょうか。

この法を学ぶのなら、どのような心になればいいのか、それも分かり多くの人がこの法に従い心を変えるなら、現在の日本に起きている災いも段々減っていくのです。

ただ、心を変えてもこの災いはなくなりません。よい方に変えないと災いはなくなっていかないのです。そのよい方向を教えるのが、この法なのです。

本当に日本をよくしたいのであれば、多くの人がこの法を学び実践するしかないのです。

いつまで、この法を無視しているのですか?いつまで私一人を悪者にしているのでしょう。そんなに悪い者が、これだけ多くのことを伝えることが出来ますか?これだけ多くの人の心を救うことが出来るのでしょうか?

私は口だけではありません。それだけのことをしているのです。

悪いことを私のせいにしているだけではなく、その行いを見て(また鳥が寄ってくるなどの起きている現象も見て)正しい判断をしていただきたいものです。

そうして、この次々に起きる現象を知るのであれば、この教えはとても無視できる代物ではないと分かるはずです。

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1月 05 2015

法を知ろうとしない罪

これだけ多くの人の意識を変える教えが出ているにもかかわらず、なかなか行いを変えようとする人が出てきません。

しかし、今年の初めからすでに起きているこの全国的な荒れた天気、行いを変える人が出て来なければ、この「災」が収まることはないでしょう。もうとっくに時は来ているからです。

私の周りでは、朝から鳥が騒ぎ、誰が救い主であるのかを教えています。

いつになったら人はそれに気づくのでしょう。それに気づかない間は「災」は止まらないのです。(相変わらずこの辺り、サイレンがよく聞こえてきますし)

この辺りの人は私一人を悪者にしていますが、では、私を悪者にしている人たちはそれほどいい人たち(善人)なのですか?

昨日も書きましたが、心を救ってくれた人に、感謝もしないで嫌がらせをする人がそれほどの善人なのでしょうか。その人がやっているというちゃんとした証拠もないのに、一人の者を犯人に仕立て上げることが善人のすることなのでしょうか。

「サイレンが全部お前のせいではないかもしれないが、現に、お前が祈ったせいで病気になった人もいるではないか」

といわれる人がいるなら、では、その人は何で私に祈られたのですか?

その人は、私に嫌がらせをしなかったでしょうか?その人は、この法の流布のじゃまをしなかったでしょうか?その人は多くの人に(でかい音など出して)迷惑をかけなかったでしょうか。

少なくとも私は、人として、そのようなことをやってはいけない、ということをやっている人に対しては祈ります。

しかし、そういうことをしている人たちを「この人を正しくお導きください」と天に祈ることが、なぜそんなにいけないことなのですか。

その人たちは悪いことをしているのです。

その悪いことをしている人たちを、見て見ぬふりをしている方がよほど悪いことでしょう。私はよいことをしているのです。

「人に対する少々の嫌がらせや、このブログを邪魔することなどたいしたことではないだろう、なんでそれくらいで祈るのか」といわれる人もいるかもしれませんが、人に嫌がらせばかりされ(いじめられ)自殺する人もいるくらいです。

決して、それくらいのことではないでしょう。(特に私など、どれくらいの人に嫌がらせをされているのか分からないくらいですから)

それに私は、何度もそういうことをしてはいけない、といっているのです。(この法の価値を知っているからです)

しかし、口でいったくらいでは誰も、その悪いことをやめようとしないから祈っているのであり、それくらいのことといわれますが、昨日も書きましたが、このブログのお蔭で日本の多くの人の意識が変わったのです。(多くの人の心を救ったのです)

その多くの人の意識を、変える(救う)ほどのブログをじゃますることがそれくらいのことなのですか?その多くの人の意識を変えた私に嫌がらせをすることが、そのくらいのことなのでしょうか?

もし私に祈られて病気になった人が仮にいるなら、その人は大変な罪を犯しているのです。だから、そのような恐ろしい現象がその人に現れたのです。

それほどの大罪を自分たちが分かっていないだけなのです。

法の勉強をしていない人ばかりなのですから、その罪の重さが理解できないというのも分かりますが、しかし、これだけのことが起きているのです。(人が病気になったり、天変地変が起きたりです)

いい加減、この法の偉大さを理解すべきなのではないでしょうか。どれだけ法の勉強をしていないとはいえです。

例えば、この仏像に何かすると必ず祟られるという仏像があったとします。それを知らずにその仏像に何かした人がいたとします。それで、その人に何か起きたら、それはその仏像に何かしたら祟られるということを知らなかった、その人が悪いということにならないでしょうか。(それを、その仏像が悪いと名古屋の多くの人はいっているのです)

簡単にいえば、私に何かするということは、それと同じことなのであり、私の説いているこの法は、人の意識や行いを大きく変えるだけではなく、天変地変や人を病気にさせることまで出来る、それほど偉大な教えなのです。

そのような価値を考えるなら(先ほどの仏像どころの話ではありません)その法の流布をじゃますることや、私に嫌がらせをすることがどれほどの罪になるのかは分かるはずです。

私が祈って病気になった人がいるのなら、それはそのような自分の行いに問題があったのであり、決して私が祈ったせいではないということです。もし私が祈らなければ、その人はもっと大きな罪をつくっていたことになり、もっとひどい目に遭っていたのです。(それはそうでしょう。祈って現象が現れなければ、その人たちは私に対する悪いことをやめません。そうなれば、その罪は自分だけでなく、自分の家族やその周りの人にまで広がるのです。〔現にそうなっている会社があります〕そうなっては取り返しがつかないのです。人を病気にしたり、天変地変まで起きる教えの流布のじゃまをしているのです。それがどれだけ恐ろしいことか理解できない方が悪いのです)

この法は人を病気にさせることもできれば、天変地変も起こすこともできます。しかしそれは、この法に逆らう人だけに限定して起こる出来事にしかすぎません。

しかし、そのような現象も、決してその人を(その人たちを)単に不幸にする、ということではなく、そのような経験を積ませて、心を成長させる、そのような現象であるのです。

そうして、この法の原点は『奇跡』ということであり、この教えは本来は人を幸せにする教えなのです。(天変地変が起こせるということは、日照りのところに雨を降らせることが出来るということですし、人を病気にさせることが出来るということは、人の病気も治すことが出来るということです)

その教えを無視し、あろうことか流布の邪魔までしているため、現在の日本には災いしか起きないという悲惨な状況になっていますが、この教えに従い、この教えを実践する人が増えてくれば、この災いばかり起きている日本に奇跡が起きてくるのです。

私は、この日本を救うために法を説いているのです。

その私をなぜ悪者にするのですか?

これほどの偉大な教えを、理解しない人の方に罪があるのではないでしょうか。

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