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2015年10月

10月 18 2015

知多の海での奇跡①

鳥取で震度4の地震が立て続けに起きているようですね。(昨日一回、今日二回)

法の流布のじゃまをすると本当にいいこと起きません。一昨日はともかく、昨日じゃました悪魔軍団は反省されてはどうでしょう。そのような行いは神の怒りを買う以外の何ものでもないからです。

昨日は、その悪魔軍団にじゃまされてブログを書けませんでした。(本当に日によって態度がコロコロ変わります。困ったものです)

仕方がないのでブログの時間を祈りと説法の時間にしました。(部屋の中で、表に向かって話すだけでこの辺りの人たちは私のいうことを聞いていますから、すぐにその場で説法が出来ます。〔笑〕)

そうしたらまた悪魔軍団に何か起きたようです。(午後の三時過ぎくらいから急にキレだし、それからガタガタうるさかったですから)何度悪いことが起きても自分たちが悪いと理解出来ないようです。

本当に哀れです。

マァ、哀れな連中の話はほどほどにして、一昨日は知多の海に行ってきました。

別に特別な理由はありませんでしたが、庄内川に行くだけでいろいろな奇跡が起きるのです。では、他のところに行ったらもっと起きるのではないかと思ったからです。(それに久しぶりに南知多ビーチランドの動物たちにも会いたかったし)

しかし(自分の勝手な期待だけで)だいたいそういう予想は外れるものですが、正しいことをしているとそのような予想も外れません。

自分の予想以上の奇跡が知多の海で起きたのです。

それで一昨日、私は名鉄電車に乗り知多奥田の駅まで行きました。駅につくと駅の天上の柱にすずめが何羽もとまってピィピィ鳴いています。(私がその電車に乗っていると知っているかのようでした)

私が駅に降りると、もうすずめたちの何羽かが駅の中をピィピィ鳴きながら飛び回り大騒ぎです。

「お前ら早いな。何で分かるんだ」と感心してすずめたちを見ていると、その駅は大学生がたくさん降りるのですが(福祉大学がありますので)皆そのような光景を無視して通り過ぎて行きます。

中には「ゴホゴホ」と咳をしたり鼻をすすったりしていく大学生もいます。ここの大学生連中もみな私のことを知っているのです。

私は呆れて「オイオイ、こんなことが起きているのにみな無視かい。普通こういうことが起きたら驚くだろう。何で驚かずに怒っているのがいるんだ。こういうことが起きている奴が何でそんな悪者なんだ」と声をかけます。

当然みな無視して行くのですが。立て続けにいっておきました。

「そんな嘘話を信じているから天罰が当たるんだ。どう考えてもそんな(私がすべて悪いというような)噂話が正しいわけないだろう、何でそんな悪い者にこれだけ鳥が寄ってくるんだ」「名古屋はそんな適当な嘘話を信じて俺に嫌がらせをする人ばかりだから、多くの人に癌が流行り出したんだ。そんな考えのままだとあんたらにも同じことが起きるぜ」

そういうと、ちょっとビクッとした大学生もいたようですが、そうして「名古屋の人たちに天罰が当たり始めたんだよ。嘘じゃないからな、嘘などついたらこんな奇跡はすぐに起きなくなる。このような奇跡が起きていることが嘘をいっていない証拠だよ」と続け、最後に「もう嘘話を信じて俺の悪口をいったり嫌がらせをするのはやめてな。そうしないとあんたらにも同じことが起きることになるからな。友達にもよくいっといて」といっておきました。

知多奥田の駅でいきなり説教ですが(というか、ほとんど文句ですが。〔笑〕)そういう現象が起きているところで説教をするのです。

これだけ効き目のある説教もないでしょう。口だけではなく、目の前で鳥が寄ってくるという奇跡が起きているからです。

しかし、事実そのようなことが起こり始めています。(悪魔軍団はもちろんのこと、運転手連中や今日など、どこかのマンションもやけに静かです。〔二、三日前まではバシバシうるさかったのにです〕次々に何か起こり始めたようです)よくいっておかないとダメでしょう。

私へのバカげた噂話は東海三県(愛知、岐阜、三重)くらいの多くの人が信じています。その(私がすべて悪いというような)大嘘話を信じていては、そのような人たちにどんな災いが現れるか分かりません。(それも私のせいになりますし)

外に出たのなら、このような話はしっかりしていきたいと思います。そうでないと、どれだけ多くの人に恐ろしい現象が現れるか分からないからです。

しかし、本当に恐ろしい時代(逆にいえば楽しい時代)となりました。自分の悪い心が(よい心もですが)すぐに現れるからです。(しかし、こんな時代となったのです。神の心を勉強しようとせずにいて本当に大丈夫ですか?それでは救われないと思うのですが…)

では、よい心でいるとどのような現象が現れるのか?話の続きを書きましょう。

知多奥田の駅を出た私は、そのまま南知多ビーチランドに向かいました。先に南知多ビーチランドに行って、午後からは知多の海で鳥やら魚やらを動画に撮ろうと思ったからです。

ところがです。十時少し前に南知多ビーチランドについたのですが、もう大型バスは何台も来ている、車も列になっている、中を見たら駐車場がすでに小学生であふれています。

もうそれを見た瞬間、南知多ビーチランドに行くの諦めました。あれだけ人がいては、とてもゆっくり動物たちを見られそうもなかったからです。

それで仕方がないので、そのまま知多の海に行き(南知多ビーチランドのすぐ先がもう海岸ですので)海辺を歩いていました。

砂浜なども歩いて海に向かって呼びかけるのですが、なかなか魚は跳ねません。

「今日は跳ねないな」と思いながら砂浜を歩いていました。すると、あちこちからいろいろな鳥たちが飛んできます。

カラスや鳩、トビまで飛んで来て楽しいものです。サギも飛んできたしカモメもいました。そうして小さな鳥たちも飛んできます。

白黒の鳥(あれどういう名前の鳥でしょう?)が近くまで飛んできて「ピーピー」鳴いています。可愛らしい鳥が私の横をチョコチョコ歩いて行きます。

その鳥など「撮ったるから待て」と声をかけると、急に足を止めて私の横で待っているのです。本当に可愛いものです。

そのような鳥たちをいろいろ動画には撮りましたが、海に来ているのです。鳥ばかり撮っていても仕方ありません。

海の主役の魚を撮らないと意味がないと思い、海に向かって呼びかけますが、鳥はよく寄ってきても、その肝心の魚がほとんど跳ねないのです。(ところどころで一匹、二匹は跳ねましたが、それくらいでは動画に撮れません)

「なんだよ、せっかく海に来たのに魚が全然跳ねないな」とブツブツいいながら砂浜を歩いて行きました。

知多奥田の海岸から野間の灯台がある辺りまで歩いて、その先の小野浦の海岸辺りでコンビニで買った握り飯を食べていました。

ずっと海に向かって「お前らいないのか、いたら顔を出せ」と声をかけて歩いてきましたが、結局魚はほとんど跳ねませんでした。

握り飯を食べながら昼からどうしようかと考えていました。時計を見るとちょうどお昼の十二時を少し過ぎたころでした。

海岸にいても魚はあまり跳ねる様子がありません。魚が動画に撮れないのなら海岸にいても仕方ありません。

それでまた海岸を戻って南知多ビーチランドに行こうと決めました。昼からなら大分すいただろうと思ったからです。

そうしてきた海岸をまた戻ったのですが、南知多ビーチランド辺りまできて時計を見るともう二時近くになっていました。

四時過ぎの電車に乗らないといけないので、このまま南知多ビーチランドに行っても二時間もいられないくらいです。

せっかく行くのなら中の動物たちをゆっくり見たいし(またじっくり動物たちとも遊びたいですし。〔笑〕)時間を気にして急いで見ていては見た気もしません。

それで、行こうかやめようかと悩んでいましたが、結局時間がないので、今日は南知多ビーチランドに行くのはやめようと決めたのです。

しかし、それがよかったのです。

その南知多ビーチランドに行くのをやめたことで、その場所(海岸)で凄い奇跡が起きたのです。

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10月 15 2015

天上界と地獄界

よほど恐ろしいことが起きているのでしょう。ずいぶん静かです。(そんなことが起き続けたら確かに怖いです。昨日も一昨日も起きたようですね。〔怖〕)

何が起きているのかは、さすがにそれをそのまま書いてしまうと、このブログを読んでいる人たちも引くでしょうから書きませんが、それが神の恐ろしさが分かるような現象であることだけは確かでしょう。

あまりに神を恐れ(畏れ)ない人が多いからです。

それでもこのブログを書きだすとうるさくすると思います。悪魔に憑かれる人が出てくるからです。そうなると恐れよりも怒りが先に来るからです。(そのような行いの方がよほど怖いです。恐れよりも怒りが勝るというのですから)

しかし、そのままでは地獄行きは確実でしょう。(そこは私が保証します)これほどの現象が現されているのです。いい加減、心と行いを変えられたらどうでしょう。所詮我々人間は神には勝てないからです。

神の前にはひれ伏すしかないからです。(そういう心に誰もなろうとしません。その傲慢さ、本当に恐ろしいです)

昨日のブログではありませんが、死んでからが長いのです。今の生きている間など永い輪廻転生の期間を考えるなら、ほんの一瞬の出来事なのであり、瞬(まばた)きをするのと変わらないのです。

そんなまたたく間の出来事にそれほど執着し、神に逆らい続けてはどれだけ損をするか分かりません。(どれほど自分の修行が遅れるか分からないくらいです)

何度もいいますが、心を入れかえらえてはどうでしょう。今のままでは確実に地獄行きとなるからです。

昨日も書きましたが、地獄は恐ろしくて苦しいところです。

高橋先生のご本に書かれてありますが、地獄界は太陽の光もまともに届かない(薄暗い世界だそうです)寒くて寂しいところです。

人がいてもどの人も愛がなく、いつ他の人たちに何をされるか分からない、そのような恐ろしい世界なのです。

そうして自分の体に悪いところがあっても、それを治す薬もなければ、治してくれる人もいない、悪いところは悪いまま、痛いところは痛いまま、そのような苦しみの中で生活して行かなければいけないのです。

人の体など指先にほんの小さなものが刺さっているだけでも、それが気になりピリピリ痛むのです。

地獄界で体験する痛みはそんな痛みの比ではないのです。どれだけ苦しいものとなるのか、それだけでも想像していただけると思います。

癌で亡くなるのなら、その癌の痛みを持ったまま(癌の末期はひどく痛むそうですから)交通事故で亡くなったのなら、そのひどい事故に遭った姿で痛みを持ったまま、地獄界で苦しむのです。(最近はよくテレビなどで、そのような悲惨な霊たちの姿を映しています。〔心霊写真や映像など〕あれなどまさに地獄界の映像でしょう。同じような死に方をしても、そのような死に方に執着がなければ、あれほどひどい姿にはなりませんが)

とにかく、地獄界になど行けばよいことなど一つもありません。そのような恐ろしくて苦しい世界が地獄界なのです。そのようなところで自分が悪かったと反省出来るまで修行するのです。

それとは逆に天上界は、それこそ絵にも描けないくらい美しくて楽しい世界です。

高橋先生が菩薩界といわれる場所に行かれた時の話です。

その場所は太陽の光がこうこうと輝き(その光は、夏のような強い日差しではなく柔らかで安らぎのある光であったそうです)一面にきれいな芝生が生えていて、その芝生を踏みしめると、その足を押し返してくるくらい生き生きとした芝生であったそうです。

あちこちで鳥の声などが聞かれ、生きる息吹がそこかしこに感じられ、そのような大自然があふれる中、あちこちに人の集団があり、その場所で静かに祈りを捧げている人や瞑想をしている人、あるいは神のことを語っている人たちなどが、たくさんいたそうです。

そのような人たちの集団を見ると、日本人だけとか、アメリカ人だけ、などというのでなく、いろいろな国の人たちが集まっていて、互いに心の勉強をしていたそうです。

そのような場所に大きな舞台のようなものがあり、高橋先生はその舞台のような場所から、芝生に腰を下ろしている多くの人々(菩薩界の人々)に向かって講演をされたそうですが(もちろんその場に腰を下ろしている人々は、白人から黒人から黄色人種から、いろいろ国の人が集まっていたそうです)そこは非常に心安らぐ調和された世界であったそうです。

少し書いただけですが、地獄界と天上界ではこれだけ違うのです。

死後、どちらの世界に往きたいのでしょうか?誰だって天上界であると思います。(完全に地獄霊に憑かれている人は地獄界というかもしれませんが)

天上界に往くには、この世の今の生活が連動してくるのです。

昨日私はまた庄内川に行きました。例の場所(南陽大橋の下)で休憩をしていると、しばらくすると前の水面にたくさんの小魚が集まってきました。(五~六センチくらいの小魚です)

こういうことは初めてです。もっと小さな小魚が目の前に集まってきたことはありますが、ある程度育つと魚たちはあまり近くには警戒してこなくなります。(手すりなどが前にあれば別ですけどね)

しかし昨日は、私が手で捕まえられるくらいのところにまで(五~六センチクラスの)小魚たちが寄って来て泳ぎ回っていました。

「お前ら元気だな」と声をかけると、嬉しそうにバシャバシャ勢いよく泳ぎ回ります。鳥たちも騒いでいましたし、カニなども何匹か出てきていました。

このような楽しそうな生き物たちの姿を見ていたら、まるでそこがそのまま天上界のようでした。(ちょっと川の水が汚いのが〔何せ黒く濁っていますから〕玉に瑕ですが)

いってはいけませんが、私は前には起きていなかったような善いことが、だんだん起きてくるのです。

それに引き換えこの辺りの人たちは、前には起きていなかったような悪いことがだんだん激しく起きてきています。(予想通りチョコチョコじゃましていますが、大丈夫ですか?また恐ろしいことが起きないか心配です)

このような現象一つとっても、どちらがよいことをし続け、どちらが悪いことをし続けているのかは一目瞭然であると思います。

どれだけやけくそになったところで、その間違いは後できっちり反省させられるのです。(地獄界で)

これだけ世の中が変わってきたのです。(善悪がはっきりと分かる世の中にです)

早く今の時代に追いつかなくてはいけないのです。

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10月 14 2015

災い転じて福となす

昨日ちょっと不思議な夢を観ました。それを書いておきます。

その夢の中で私は人がたくさんいるところを歩いていました。

私は両方の手に紙袋を持っています。その紙袋の中には大変甘くておいしいお菓子がたくさん入っています。

私は、そのお菓子を皆に配ろうとしているのですが、誰も私に関心がなく、それよりも自分たちがしている遊びに夢中です。

私は、その人ゴミの中で誰にお菓子を渡そうかと思って歩いていると、知り合いの人に会いました。

しかし、その人にお菓子を渡そうとはなぜか思いませんでした。

私がその人に「お久しぶりです」というと「元気」と返してきました。その人とはそんな話を二言、三言して別れました。

そうして歩いていると、段々周りにいる人が減っていき、人がいなくなった道を私は一人で歩いていました。すると先ほどの知り合いの人が後ろからついて来ていて「いま何をしているの」とかいろいろ聞いてきます。

それで適当に答えながら歩いていると、下の道の前方から(私たちが歩いている道は上の道で、少し下にもう一本道がありました)一人の男の人が歩いて来ました。

私はそれが誰だか分かりませんでしたが、後ろにいる人がその人を見て「森田の社長」と声をかけたのです。

私は「えっ」と思いました。あまりに風貌が変わっていたからです。森田の社長とは私の伯父さんであったからです。

その後ろからついてきた人は、確かに私の伯父さんを知っている人でした。

だからその人は前から歩いて来た人が、私の伯父さんとすぐに分かったんでしょうが、それにしても顔も体もずいぶんスマートです。(私の知っている伯父さんは顔も丸くて太っていました)それに片方の足を引きずりながら歩いています。

何か様子が変なのです。(服装も薄汚れた黒い服を着ていました)

後ろにいる人が近くまで来た下の道にいる伯父さんと「元気」とかいいながら話しています。伯父さんも「元気だよ」とかいっていますが、前と比べて顔色も悪ければ、体もずいぶんやせているし足まで引きずって歩いているのです。

私にはとても元気には思えませんでした。

「伯父さん本当に元気なの?」と私が聞くと「おお由紀夫か、ちょうどよかった。お前に聞きたいことがあったんだ」といいます。

「なに?」と聞くと、いきなりチラシのような物を私に見せました。

そのチラシを見るとGTS心の研究所のチラシです。(そういうチラシをつくったことはありませんが、夢の中にはありました)

「これお前の会社のチラシだろ」と聞きます。「そうだよ」と答えると、チラシの中に書かれてある「神」というところを指さして「これはどういう意味なのか教えてくれ」と聞いてきました。

「伯父さんは神を知らないのだな」と思いながら、その神の説明をしようとしたところで目が覚めたのです。

と、このような夢を観たのですが思い当たる節は多々ありました。

私の伯父さんは木材会社の社長をしていて一代でずいぶん儲けたそうです。家にも行ったことがありますが、豪華な家で別荘まで持っていました。(たいした別荘ではなかったそうですが。〔笑〕)

そうしてお金に細かくてずいぶんケチだったそうです。

何年か前に病気で亡くなりましたが、いい家にも住んでお金に細かくてケチであったのなら、亡くなっても、さぞこの世に執着を残しているんだろうなと思ったからです。

多分、伯父さんはまだ地獄にいるのでしょう。

そうでなければあれだけ(やせて)風貌が変わり、足まで引きずったみすぼらしい姿で私の前に現れるわけがありません。そうして神のことまで聞いてくるのです。

生前伯父さんは神のことをよく知らなかったのでしょう。そのような伯父さんの今の状況を私は夢の中で観せられたのです。

それにしても生きている時とは全然違いますね。顔も違うなら(私は全然分からなかったくらいですから)体もやせてしまい(マァ、普通くらいの体系ではありましたが、元々太っていた方なので)足も痛そうに引きずっていました。

あの世(地獄界)に行くとああも違ってしまうのでしょうか。(天上界に行っていてもやはり姿は違うようです。もちろん天上界に行くなら、もっと垢抜けして肌つやもよく若くて生き生きしているそうです。高橋先生のご本に書かれてあります。この世の人たちが野暮ったく見えるそうです)ずいぶん苦労されているようです。

私の伯父さんは別に悪いことをしたわけではありません。普通に仕事をして会社を興して、その会社を潰すことなく一生を終えられたのです。

誰にも迷惑をかけたわけではないのに、それでも地獄に堕ちているのです。

そうして、その地獄界で顔が変わるほどの苦労をして、なおかつ足まで痛めているのです。体がやせるほどの苦労をして体の痛みもまったくとれない、地獄とはそのようなところなのです。

伯父さんはそんな世界にもう何年もいるのです。(もう伯父さんが亡くなって十年以上過ぎたかもしれません)

死後、そういう世界に往きたいのでしょうか?

「自分は何も悪いことはしていない」そんな考えがいかに甘いか、このようなことからもお分かりいただけると思います。

行いが悪くなくても心が悪ければ地獄に堕ちるのです。(それに神のことをよく知らなくてもです。そういう人、たくさんいますよね)

では、心と行いが両方悪ければその人はどれだけ深い地獄に往くのでしょう。そのような人たちが私の周りにはたくさんいるのです。

もうクドクドいう必要もないでしょう。いった通りのことが起きて今日は完全に腰が引けているどこかの会社の人たちもいます。(腰を引いているのならやめとけばいいものを、それでもチョコチョコじゃましているんですから呆れます。これでは今日もまた起きますね。その恐ろしいことがです)

昨日など、人がたくさんいる交差点でブシュブシュではなくファンファン、クラクションを鳴らして通り過ぎていったトラックまでありました。

まるでパニくってでもいるようでしたがどうしたのでしょう?

そうかと思えば何もしていかないトラックもずいぶん増えました。(少し前まではほとんどのトラックにブシュブシュやられたのにです)やっても小さな音でブシュです。それならやらない方がいいと思うんですが…やっていることがずいぶん極端です。

もしかしたら(どこかの会社ではありませんが)私のいった通りのことが次々に起きているのではないですか?

そうであるなら、早く私に詫びを入れたらどうでしょう。この現象はまだ始まったばかりであるからです。これから何年続くか分からないからです。

そうして、そのような人たちが私がいった通りの現象が現れ死ぬのであれば、その行き先は、先ほど私が書いた伯父さんが行っているような地獄では済まないでしょう。

もっともっと深く苦しい世界に堕ちて行かなければいけなくなるからです。(私は嘘は書きません。嘘など書けば奇跡が起きなくなるからです。ここに書かれたことはすべて本当です)

悪いことをしたのは自分たちなのですから、そのまま一生を終えるのであれば地獄に行くのは当然のことです。

だから詫びを入れられたらどうでしょう。

そうして、これまでやったことを反省し、少し心を入れかえられてはどうでしょう。そうすればこれからの人生もよくなり、死後の世界も天上界に往くことになるからです。

災い転じて福となす、まだ今ならそれが間に合うのです。

しかし、その災い転じて福をなしたいのであれば、私が夢の中で持っていた甘くておいしいお菓子を食べなければいけないのです。

(その甘くておいしいお菓子とは法のことです。そのお菓子を食べるとは法を知って実践するという意味です。そうして初めて救われるのです)

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10月 13 2015

動物の不思議43(庄内川、その他)

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10月 13 2015

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