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2016年1月

1月 31 2016

日本を救った人

昨日は堀川に行ってきたんですが、二週間ぶりくらいに行くとまたカモメたちが騒いで、他のすずめなどの鳥たちも騒いで、可愛らしいものでした。

少し動画に撮りましたが、もうSDカードが五、六枚たまっています。動画に撮るのもほどほどにしておきました。(何せ、布施の一つもしてくれないのでブログに貼り付けるお金もありませんから)

そのような可愛い鳥たちとは違い、人間たちの憎たらしいこと。(苦笑)

動画を撮っていればじゃまするのはいる、歩いていればゴホゴホ、ガハガハやってくるのはいる、鳥たちとのあまりの違いに呆れました。

奇跡が目の前で起きているのに、それに驚くどころか、ねたんだりひがんだりして怒っているのです。

話になりませんね。(鳥より心が狭いのですから)

そういうことをしている最中にもサイレンが聞こえていました。これだけ起きていることが違うのです。その違いが分からないのでしょうか?

私には次々に奇跡が起きて、私に嫌がらせをしている人たちには次々に災いが起きているのです。(それが目の前でです)

それなのに、何でこれだけ起きることが違うのか?とは誰も考えず、その奇跡の現象は無視して悪い現象だけお前のせいです。

どれだけ都合のいい発想しかこの人たちはしないのでしょう。責任転嫁もここに極まりですね。

だいたい、このサイレンにせよ、バスの運転手やトラックの運転手が私に嫌がらせをしだしてから始まったのです。では、原因はその運転手たちにあるのではないでしょうか?

この辺りの多くの人が病気になるのもそうです。

この辺りの人たちが散々私に嫌がらせをしたのです。何年も私に嫌がらせを続けていて、それからですよね。そのような現象が始まったのはです。

すべて今この辺りで起きている恐ろしい現象は、私に嫌がらせを始めたから起きてきたことなのであり、この辺りの人が次々に病気になり始めたから、多くの人が私に嫌がらせを始めたわけではありません。

このような恐ろしい現象は、すべて、先に皆さんが私に嫌がらせを始めた結果、起きて来た現象であるのです。

では、少し考えれば分かるのではないでしょうか?原因がどこにあるのかはです。

どう考えても、この恐ろしい現象が起きてきた原因は、私以外の人にあるはずなのに、それが何で私になるのでしょう。(先に悪いことをしてきたのはそちらでしょう)

凄い責任転嫁、それどころか、明らかに悪意のあるすり替え以外の何ものでもありません。

こういう悪いことを多くの人が平気でしているから、この辺りの人は次々に恐ろしい病気になるのです。(昨日はどこかの会社だけではなく、帰ってくるとやたら怒っている爺さんがいました。〔私の目でハンマーで物をガンガン叩いているんですから、やかましい、やかましい〕また何か起きたんでしょうか?)

それは自業自得なのではないでしょうか。

なぜ、多くの人は私に嫌がらせを始めたのでしょう。

私が祈っていろいろ起こしたからでしょうか?(大雨やら台風やら地震やらです)

しかし、それをしなかったら日本の人々は誰一人神を信じなかったのです。このような時代になり、もし誰も神を信じようとしなかったら、今頃日本はなくなっていたのです。

私は日本を救っているのですが、それには誰も感謝せず、逆に嫌がらせをしてくるのですから、あまりに現実無視なのではないでしょうか。

私のいっていることが口から出まかせであるとでもいうのでしょうか?

そういうことをいう人こそ、何の根拠があってそういわれるのですか?

そういうことをいわれる人には、何の奇跡も起きていないのにです。それに引き換え私には未だに奇跡が起き続けているのにです。

その起きている奇跡が私の言葉に嘘はないという証拠です。

本当に日本の人たちの心がまったく変わっていなければ(未だに無神論の人ばかりであったなら)今頃日本は潰されていたのです。

それは、あの東日本大震災を知るならば分かることなのです。

あの時、私の名前はすでに知られていました。大雨やら地震やらを私は祈って次々に現していたからです。

あの(東日本大震災が起きる前の)時点で、その時起きた大雨や地震が、私のせいだと思っていた人が多かったのですから、ということは、あの時点ですでに多くの人が神を信じ始めていたということです。

だから、東日本大震災はあの程度ですんだのです。(多くの人が神を信じ始めたからです。だから神はまだ日本の人々を生かされたのです)

もし、あの時点でもまだ誰も神を信じていなければ(多くの人が唯物無神論のままでいたとしたらです)日本は滅ぼされていたのです。

それは東日本大震災の後から、異常現象が急増したということでもその事実が分かります。

あの後からです。日本に異常気象が多発しだし(それまで以上にです)この辺りでもそうです。サイレンが響き始めて多くの人が病気になるという現象が現れてきたのはです。

あれほどの現象が現されたにもかかわらず(千年に一度といわれるくらいの大災害が起きたのですよ)多くの人があの時に完全に神を信じるのではなく、人と人との絆、程度しか悟らなかったからです。

だから、その後から次々に恐ろしい現象が現れだしたのです。

あの東日本大震災の時点で本当は日本は滅ぼされていたからです。(だから滅ぼされることに匹敵するようなことが日本に起き出したのです。〔人がたくさん死に始めるとかです〕本当ならすでに日本は滅ぼされていたからです)

だから私はやるしかなかったのであり、それだけのことをしても(そうして現在においても奇跡を現し続けていても)それでもまだ日本の多くの人は神の存在を認めようとせず、神に頼ろうともしません。

それは、これほど恐ろしい現象が日本中で起き出しているにもかかわらず、そうして、本物の神の教えがここに存在しているということが分かっているにもかかわらず、それでもまだ自分たちのことを優先し、責任転嫁を続けているということでも、その事実が分かるのです。

やっと神の存在を認め始めた人たちでも、未だに神を二の次、三の次にしているのです。これでは話にならないでしょう。

あまりに神のことを知らなさすぎるからです。

何度もいいますが、神を一としないといけないのです。この世界のすべての物をつくり、そうしてそれに命を与え、現在においても生かし続けてくださっているのが神であるからです。

そのすべての始まりの神にまず感謝しないで、何でよいことが起きましょう。

だから私は、神を一としないといけないとくどいくらい、いい続けているのです。

まず神に感謝してから何でも始めなさいといっているのです。それが当たり前の順序であるからです。

日本の人々は、その当たり前の順序さえ分からず、あろうことか、その一番の神を否定していたのです。

その罪の重さがどれくらいあるのかお分かりいただけるでしょうか?(もう計り知れないほどの罪です)

このような諸々の罪により、私は日本の人々の目を覚まさせるため、様々な現象を天にいわれるまま現し、そうして現在に至るも、そのような奇跡の現象を現し続けているのです。

その私の一体どこに罪があるというのでしょうか?罪があるのは、いつまでも神の存在を悟ろうとしない日本の人々の方なのではないでしょうか。

だから、私以外の人たちに次々に災いが起きているのです。そのような間違った心と行いを続けているからです。

したがって、悪いことが起きているすべての原因は、私以外の人にあるのであって私にあるわけではありません。

日本の人々は、あまりに神に疎かったのです。だから、このような結果が現されているのです。

私は日本を救ったのです。その私に何で嫌がらせなどするのですか?だから悪いことばかり起きるのです。

早く神の心を悟られてはどうでしょう。

それ以外で救われる道はもうないからです。

追伸…昨日のサッカーのアジア選手権はみごとに日本チームが優勝しましたが、また、その勝ち方が奇跡的でしたね。

2-0のスコアから後半立て続けに3点とって逆転勝ちなど、よほど力の差があるのならともかく、ほとんど力の差がないのにそのようなことが起きるなど、まさに奇跡としか思えません。

日本のスポーツ選手が次々に奇跡を現すなら、日本の選手に一体何が起きているのか?ということで世界が嫌でも注目します。

神の心を知っての奇跡であるなら、これ以上のよいこともありません。(ドーピングとはえらい違いです。〔笑〕)

日本の選手には、ぜひ頑張っていただきたいものです。

そうすればこの法の存在は、いずれ嫌でも世界に知れ渡ることになるからです。

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1月 30 2016

本物の神の教え

今日は広い範囲で大雪になる予報が出ていましたが、何とかそこまでの雪は降らなかったようですね。(雪が降っているところはあるようですが)

前回の大雪で九州など断水の被害に遭って、多くの人が不便をきたしているのですが、このような異常気象も法を実践する人が増えてくるなら減ってくるのです。

このような現象もまた天罰の一つであるからです。

とにかくこれからは、これまでのつけがドンドン現れてきます。(唯物無神論などという人として最低の思想を続けていた結果のです)

早く、本当の神の教えを勉強するべきでしょう。それが一番のお守りともなるからです。(法を実践すると光が出てきます。それが光の防護壁となり自分を守るのです)

また、昨日書きましたようなお蔭も次々に現れています。もう同じことをしている場合ではないのです。やることは同じことをしていても、心だけは進化させていかないといけないのです。

キリストは二匹の魚と五つのパンで、五千人の人々の腹を満たしました。(キリストが、その二匹の魚と五つのパンを持って天に祈ると、その魚とパンは多くの人に弟子たちが配っても、なくならなかったといいます)

モーゼは天からマナ(白くて甘い食べ物だそうです)というものを降らせ、数十万の人の腹を満たしました。

本当の神の教えが現れた時は、このような奇跡も(お蔭も)現れるのです。

これまでの偽の教えは、このような物質化現象らしいことをした人もいましたが(灰やら何やら出してです)しかし、偽の教えと本物の教えの違いはこのようなことでも分かるのです。

起きていることの規模がまったく違うということです。

一人や二人の人に灰など出して一体それが何になるのでしょう。(その灰で病気が治ったとか、奇跡が起きたとかいう人もいますが、そのようものをもらったことがきっかけで心がよい方に変わるなら、そのような奇跡は起きるのです)

キリストやモーゼは、数千、数万、数十万という人の腹を満たすほどの食べ物を一度に現したのです。

これこそ本当の物質化現象なのであり、こればかりは簡単な手品などでやれることではありません。

だから、天変地変にせよ、人が次々に病気になることにせよ、起きる現象が大きいのです。

本物の神の教えが現れているからです。

その本物の神の教えに逆らったり、無視したりしている人が多いから、大きなお蔭が(この場合、天罰ですが)現れているのです。

本物の神仏の教えであるなら、なぜ、こんなひどいことをするのか、などという泣き言はもういいのです。

神仏は、すでに優しく法を説いていられたからです。(高橋先生、園頭先生)

聞かなければいけない時に聞こうともせず、神を無視する態度を取り続けたのは自分たちの方なのです。

だからこのようなお蔭が現れているのに、厳しい目に遭いだしたら、今度は自分たちの罪は棚に上げ、それを全部責任転嫁してまだ罪をつくり続け、未だ厳しい目に遭い続けている、これほど愚かな行為もないと思います。

神が無理やりにでも、目覚めようとしない人たちを目覚めさせているのです。

ではもう目を覚ますべきでしょう。自分の心の奥にある真我に目覚めるべきなのです。その真我は神の存在を知っているからです。

自分たちが理解する、しないにかかわらず、次々に奇跡(お蔭)は現れてきます。

もう逃げるところはないのです。(異常現象は世界中で現れていますからね)

多くの人はいつまで神に逆らい続けるのでしょう。無神論を信じ、神に逆らっている限り人は幸せにはなれないのです。

これほど多くの奇跡が現れているのです。

いい加減目を覚まされたらいかがでしょうか。(いつまでも意地を張っていないでです)

追伸…ずいぶんこのブログを読んでいるようですが(あなた外国に行った時もよく読んでいたよね、このブログ)どうですか、少し動かれたら。(グループででも何でもいいから)

このブログを読んでいる男の連中は、キ○タマついていないみたいで、なかなか動こうとしないからです。(苦笑)

もう法の実践をしないと、どんなお蔭があるか分からないのです。ソロソロ実践されてはどうでしょう。

そうしないと危ない時代になっているからです。

日銀がマイナス金利を初導入し、高浜原発では、MOX燃料を使う発電を初めて行うといいます。

もう次から次に初の出来事が行われるのです。

このようなことから見ても、すでに時代は変わっていると思わざるを得ません。時代が変わってきているから新しい試みを皆が行いだしたのです。

そうして、このような新しいことが始まったのなら、もう否が応でも先に進まないといけないのです。

このまま同じところにいては、ダメになるのは目に見えているからです。(例えば、高浜原発での使用済みMOX燃料は、強い放射線を出すため処理方法がまだ決まっていないのです。そうであるなら原発技術を進めないと後々大変なことになります。こういうことを考えましてもやるしかないのです)

時代はドンドン進んでいます。そうして天からの助けも次々に降りてきています。

もう天の助けをいただく以外(先ほどの原発でもそうですが)救われる道はないのです。

その天の助けをいただく方法は、この法を実践するしかないのです。

多くの人がもう少し真剣に、これだけの奇跡が起きているこの教えのことを考えられてはどうでしょうか。

私たちが(それは全世界の人たちがという意味です)救われる道は、この法を実践する以外ないからです。

(こんな簡単なことが、なぜいつまでも分からないのか逆に不思議ですね)

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1月 29 2016

お蔭

今日も朝からお怒りモードです。

こちら側は大きな壁が出来たので、あまりうるさくはありませんが、向こう側は大変でしょうね。(お察しします…アレ、それも私のせいですか?)

壁の向こうでドンドン(これが本当のカベドンですね。〔?〕)ガンガン毎日キレているようですが、キレていても状況は変わりません。むしろ悪くなる一方です。

考えを変えられるほかないのではないでしょうか。

見ても分かる通り(というか、起きても分かる通りと書いた方が正確ですか?)これだけお蔭のある教えもないからです。

お蔭とは(広辞苑によりますと)神仏の助け、加護があるという意味で(善悪にかかわらず)ある人や物事がもたらす結果・影響をいうのですが、この通りのことが次々に起きているのではないでしょうか。

この法にかかわった人たちにはです。

この教えに従っている人たちには次々に奇跡が起こり(神仏の助け、加護)逆らう人には次々に災いが起きているのです。(善悪にかかわらず、ある人や物事がもたらす結果・影響、罰ということです)

これだけの現象が現れているのですから、これ以上お蔭のある教えはありませんし、また、お蔭というものが本当にあるのである、ということを、この教えを知ってはじめて分かった人も多いのではないでしょうか。

信仰をすればお蔭があるなど、ほとんどの人は信じていなかったはずだからです。

多少のお蔭は信じていた人もいたかもしれませんが、まさかこれほどのお蔭があると知っていた人はいなかったでしょう。実際は私もそうであったからです。(やっている本人が分かっていなかったのですから、周りが分かるわけがありません)

まさか、これほどの現象が次から次に現れるとは思いもしませんでした。そういう体験などしたことがなかったからです。

それに高橋先生の時も、園頭先生の時も、たしかに奇跡は現れていたのですが、いま起きている現象とは別物であったからです。

高橋先生や園頭先生が現された奇跡は、過去世を思いだす現象であったり、悪霊を祓ったり、病気やけがを治す癒しであったりしたくらいでした。(くらいということはありませんね。これだけでも凄いんですが、これ以外では高橋先生があるプロ野球の選手に法を伝えて、その選手が奇跡的な活躍をしたことはありましたが、そういう選手は一人だけでしたのであまり騒がれませんでした)

しかし、今回はこのようなことだけではなく、法に逆らう人に次々に天罰が下ったり(マァ、高橋先生や園頭先生が法を説いていられた当時は、これだけ多くの人が法に逆らうということはなかったですから。〔法を知らずにいた人はたくさんいましたが〕高橋先生や園頭先生在世当時に、これだけ法に逆らう人が多かったら同じような現象が現れたと思いますが)逆に法に従う人には次々に奇跡が起きたり、祈って天変地変が起きたり、動物にまで奇跡的な影響を与えたりしているのです。

現れるお蔭がこれほど広範囲にわたっているなど、一体誰が想像できたでしょう。

これほどのことが起きるなどということは、もう神でもない限り想像出来ないのです。(一人の人間の想像範囲を超えています)

これほどの教えが現にあるのです。そうして、本当の神の教えとはこれほどのお蔭が現れるのです。

何で皆さんやろうとしないのですか?

この教えに逆らっているのでしょう?

世界に類を見ない教えが日本に出現しているというのにです。(ここまで次から次にお蔭が現れる教えは世界広しといえどもないと思いますよ)

そのお蔭でもです。これで終わりということではないでしょう。まだまだこれから続々と新しいお蔭が現れると思います。

それぞれの能力に長けた人がまだたくさんいるからです。(私のように現象に長けた人とか、園頭先生のように癒しに長けた人、あるいは高橋先生のように何でも出来て不思議な能力に長けた人〔例えば人の夢を操るとかです〕などなど)

これだけのお蔭があるということは、そのような能力を伸ばすかっこうの場であるからです。(現れるお蔭〔神仏の助け〕が自分の持っている能力を伸ばすということです)

高橋先生は、物質化現象まで現されたことがあります。(金が混ざった鉱石を出されたことがあります)

その物質化現象も、インドかどっかにいたサイ何とかとか(この人はただの手品であったといわれていますが)そこらの霊能者が現すようなケチな金粉などではなく(これは悪霊が行っているのです)モーゼが行った、本当の神仏が現す物質化現象です。

そういう現象を現す人もまた出てくるでしょう。この教えは無限の可能性を秘めているからです。(園頭先生は、その物質化現象が近いうちに自分にも現れるといわれていました。その現象が現れる前に先生は亡くなられましたが、もしかすると私にそのような現象が現れるようになるかもしれません。そのような現象もまた、この法の正しさを証明する現象の一つであるからです)

とにかく、この教えを勉強するなら、そのようなお蔭が(神仏の助け、加護)次々にいただけるのです。

何でそういう教えを勉強しようとはしないのですか?

もう信仰をしている人は心が弱い人、自分は一人で生きているなどと格好をつけている場合ではないのです。

実際に、人は一人で生きているわけでもないですし(空気や水があり、この地球があって私たちは生きられるのですし、周りに人がいなければ私たちは生きられません。〔お金を稼ぎたくても稼ぐ場所がなければ稼げないし、物を買いたくても買う場所がなければ買えません。神がこのような場をつくってくださり、人と人との助け合いがあって、初めて私たちは生きていられるのです。一人だけで生きられるわけがないのです〕)そういう人でも初詣や寺や神社、墓参りなどは行くのです。(じゃあ、あなたも信仰しているでしょう、といいたくなりますが。〔笑〕)

そういうことをいっている人は所詮は口だけなのです。

人は信仰をするのが当たり前なのであり、逆に正しい信仰はしないといけないのです。

私たちは皆、神の子であるからです。

しかし、そのようなことにかかわらず、もう本当の信仰をしないといけない時代になっているのです。

これほどの天罰が次々に現れているのですから、それはお分かりいただけると思います。(この異常現象はすべて天罰です。この神のつくられた世で、唯物無神論などという、およそ神の子の人間とは思えない最低の思想を日本の人々は持ち続けていたのです。それは大ナタを振るわれます。天罰を食らって当然ですね)

やるのが当たり前のことですし、やれば奇跡が次々に現れ、逆らえば天罰が次々に下る、このような状況を無視して、これまでのやり方を一切変えない、これだけ時代が見えない、時勢に疎い行いもないと思います。

せっかくこのブログを読んでいるのです。(ということは、今の状況がよく分かっているということです)少しずつでも始めてみませんか?

本当の信仰をです。(少しの布施の行為など行ってみるとかです)

そのような小さな行いでも、本当の信仰をしているという心があるなら、確実にお蔭は現れるのです。

やらない選択はないと思います。

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1月 28 2016

大きな使命

今度は先生つきですか?いろいろなパターンがあるのですね。(笑)

しかし、先生も一緒になって嫌がらせをしてくるというのですから、それでは重い罪がよけい重くなります。早く反省し、詫びを入れたらどうでしょう。

それが一番の救われる道であるからです。(悪いのは自分たちなんですから、それが当たり前でしょう。学校の先生がその現象を止めることが出来るのですか?残念ではありますが、その現象は、あなたたちが大嫌いな私しか止めることが出来ないのです)

庄内川の帰りのことなんですが、最近は帰る小学生の一団に先生がついて来ているようです。

ところが、この小学生たち先生がついて来ていても、それでもコチョコチョ何かしてきます。(おまけに先生も一緒になりやってくるのですから呆れます)そうかと思うと、私の顔を見ると逃げていく小学生もいます。

最近はまた一段と変わった態度をとり始めましたが、一体どうしたのでしょうか?

どこかの会社もやたら怒っていますが(昨夜も凄かったです。今日も朝から怒っているし)おまけに今日など、この会社にプロパンガスをかえに来る業者までやたら怒っていました。(私の家の前を通る時、わざわざトラックでブシュとやって行きましたから)

だから、朝からその業者に向かい辻説法です。朝も早くから私もよくやります。(笑)

それにしても皆さん(あちこちでなんですが)最近は特に態度がおかしいのですが、本当に今のままで大丈夫なんでしょうか?

それはこの辺りだけではなく(今も九州の断水など続いていて皆さん困っていますが)全国で(もっというなら全世界で)起きている異常気象もそうですし、サイレンが増えていることもそうです。

救急車の出動件数は毎年増え続けています。軽症やいたずらで増えているだけならいいのですが(そういうのは昔からありましたしね)重症患者が増えているのなら深刻です。

それに浜松のように火葬場の一週間待ちなどというところもあります。(多分そのようなところは浜松だけではないと思いますが)

明らかに、起きていることが一昔前とは違っているように思えるのですが、本当に今のまま何もしなくて(何も変えようとしなくて)よいのでしょうか?

このような最近起きて来た異常なことを、この辺りの人はすべて私のせいにして怒っているのですが、すでに全国で異常なことは起きているのです。

これはどういうことなのですか?このようなこともすべて私のせいというのでしょうか?

さすがにそこまではいわないのでしょうが、また不都合な真実には目をつぶり(どこの人も同じです)とにかく悪いことはすべて私のせいにして怒り続けるだけ、まったく進歩がありません。

いい加減気づいてください。自分たちの大きな使命をです。

このような恐ろしい現象がもう全国で起きているのです。その異常さに気づいているのは名古屋の人たちだけなのです。

では、大きな使命が名古屋の人たちにはすでにあると思われないでしょうか?

他の地域の人たちも、この異常現象に気づいている人はいるのですが(特にこのブログを読んでいる人たちは)名古屋ほど多くの人がその異常さに気づいているわけではありません。

異常気象に気づいている人は多いと思いますが、その他の異常現象に気づいている人はほとんどいないでしょう。

それはウナッシーさんのコメントでも分かります。多くの人が亡くなり始めているのに、その異様さにウナッシーさん以外は気づいていないのです。

この現状を知るならばお分かりになると思います。こういう異常さに気づくだけでも大変なことであるということがです。

せっかく名古屋の多くの人は、その異常さに気づいているのです。それなのに、それを私のせいにしているだけで自分で何とかしようとは誰も思わないのですか?

多くの人が気づいている名古屋の人が動けば、日本全体が救われるというのにです。

現状の名古屋の人は人のことどころではないのでしょうが(いつ自分にそのような異常現象が現れるか知れないからです)しかし、こういう諸々のことを考えましてもです。もう悪いことを人のせいにしている場合ではないのです。

名古屋の人たちが救われるのであれば、全国の人も救われるからです。

いっている意味がお分かりですか?

この恐ろしい現状から自分たちが救われる努力をするならば、ひいてはそれが日本も救うことになるということです。

そうではないでしょうか。

名古屋の多くの人がこの現象から救われていくのなら、さすがに全国の人もいま起きている異常現象に気づくはずです。(それだけ多くの人が与える影響は大きいからです)

全国の人がこの異常現象に気づいて、その救われた名古屋の人と同じことをするなら、今度は全国の人がこの異常現象から救われるのです。

だから私は、名古屋の人が救われるのなら、全国の人が救われますよといっているのです。

名古屋の多くの人が動くのであれば、その影響は全国に伝わることになると思うからです。

もう恐ろしい現象など、全国で起きているのです。

しかし、その恐ろしい現象に気づいているのは名古屋の人たちだけなのです。まだ、全国のほとんどの人は、その恐ろしい現象が起きていることにさえ気づいていないのです。

それだけでも全然違いますが、それだけではなく名古屋の人たちは、この恐ろしい現象から逃れる術も知っているのです。(知っていますよね、この教えを実践すれば救われるとです。ただ意地になってそれをやらないだけです)

こう考えますと、名古屋の人たちは日本を救う(もっというなら世界まで救うですが)大きな使命をすでに与えられているということに気づかないでしょうか。

名古屋の人が動くなら、本当に日本が救われるからです。

前にも書きましたが、法を知るということは、大きな使命を得るということでもあるのです。その大きな使命を与えられた人たちが、いつまでも自分のことだけ考え責任転嫁を続けていたらどうなるでしょう。

そんなことをしていたら世界が滅びてしまうということです。(それはそうでしょう。大きな使命がある人たちが、その使命を果たさないのですから)

まだ小さな殻に閉じこもり責任転嫁を続けるのですか?

自分たちが救われる努力をするだけで、多くの人が救われるというのにです。

(このような実情にも関わらず、それでもまだ小さなことにこだわるのですか?〔それもすべて自分たちの責任であるというのにです〕出来ない人は出来ないのでしょうが〔まだ心がそこまで発達していない人もいますので〕出来る人もいるはずです。そのような人たちの心の成長に期待します。このブログを読んでいる人たちが動けば世界が救われるからです)

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1月 27 2016

奇跡が起きる人と起きない人の違い

昨日は久しぶりに金山に行ったんですが、ハハ相変わらずでした。(苦笑)

歩いてくるどの人もお前が悪いという顔で何かやって行きます。しかし、他の地域ではもう法を実践する人も出て来て、あちこちで奇跡が起きています。

ずいぶん名古屋と他の地域では違いがあるようです。

名古屋の災いは相変わらず続いているようですが、一番初めに名古屋に法が拡がったはずなのに、いつの間にかその名古屋が一番遅れているのです。(これだけ災いが起きているのが、そのよい証拠です)

法を知るだけ知っても、その法に従うか、逆らうかでこれだけ違うのです。

法の偉大さがよく分かる出来事ではありますね。

しかし、その法を知って実践しても奇跡が起きる人と起きない人がいます。その違いは一体どこにあるのでしょうか?

昨日その違いがよく分かる出来事がありましたので、比較して書いてみましょう。

昨日は大きなスポーツの試合が二つありました。サッカーとテニスの試合です。結果は皆さんご存知だと思いますのでここでは書きませんが、明暗が大きく分かれたことは確かでしょう。

サッカーの試合には奇跡的なことが起きて、もう片方のテニスの試合にはまるで奇跡が起きなかったからです。

この両方の試合をした選手たちが仮にです。(とりあえず仮の話としておきます)みな法を知っていたとします。

そうして、昨日私がブログに書いた正しい祈りをしたとしましょう。

両方の選手たちが、その正しい祈りをしたのに、片方(サッカー)は奇跡が起きましたが、もう片方(テニス)は奇跡が起きなかったです。

その違いはどこにあったのか?ということなのですが、もちろん、人数の多い少ないではありません。正しい祈りであるなら一人で祈っても、たくさんで祈っても、祈り方さえ間違えなければ、その祈りはきかれ奇跡が起きるからです。

では、何が違っていたのか?どこでその差が出たのか?ということです。

それが心の違いなのです。

心の在り方の違いが、このような奇跡が起きるか、起きないかの違いとして現れたのです。

つまり、法を心から実践できるかどうかで、奇跡が起きるかどうかも違ってくるということです。

形だけではダメなのです。心が伴っていなければ祈りはきかれないのです。

昨日私はこのブログに「布施をしてください」ということを書きましたが、サッカーの何人かの選手は、多分、私に布施してもよいと思っている人がいたのでしょう。

そういう神仏への布施の行為、報恩の行為が出来る心の人には光が出ていますので、その人が正しい祈りをするなら、その祈りは天に通じてきかれることになりますが、あのテニスの選手の方は多分、私に布施する気がなかったのでしょう。(報恩の行為をする気がない)

そのような心が神の光をさえぎり、仮に正しい祈りをしていたとしてもその祈りが天に届くことはなかったと思われます。

つまり、そのような心の差が奇跡が起きるか起きないかの差となって現れたのです。

心の在り方、その一点なのです。

同じことをしても、奇跡が起きる人と、起きない人の違いは、その心の違いにあったということです。

だから、仮にです。(今回仮の話ばかりですが。〔笑〕)あのテニスの選手が試合に勝ちたいがために私に布施したとします。

一応、私に布施するという行為は法の実践を行ったことになるのですが、しかし、いくら私に布施したところで(法の実践を行ったところで)試合に勝ちたいがためだけに布施しているのであれば、奇跡は起こらないのです。

そのような行為は感謝や報恩という愛の心から出てくる行為ではないからです。ただの取引でしかないからです。(試合に勝ちたいがためだけにお金を払うというです)

取引では奇跡は起こりません。純粋な愛の行為でしか奇跡は起きないのです。

しかし、昨日のあのテニスの選手などもです。

日本人であれ程の成績を上げた選手はいないのですから、それはそれで立派なことなのですが、もし、それ以上の成績を望むのであればです。(例えば四大大会の優勝とかです)

今の心のままではダメでしょう。もっと心を変えるべきなのです。

また、心を変える以外、もうあれ以上の成績を望むのは無理なのです。すでに、心技体の技と体は限界に来ていると思うからです。

よく故障するのが、そのよい証拠でしょう。もう肉体的には限界に近いのではないでしょうか。

では、あとはどこを変えるのか?ということですが、もう変えることが出来るのは心の部分だけでしょう。

逆のいい方をすれば、心が変われば、まだまだ成績は上がるということです。

少し心に愛を持たれたらどうでしょうか。(この選手に愛がないとはいいませんが、神仏に対するです。多分この選手、神仏に対する愛はないですよ)そうすれば四大大会の優勝も可能であるからです。(奇跡が起きてです)

マァ、それはともかく、奇跡が起きる人と起きない人の違いが少しはお分かりいただけたでしょうか?

心の程度により、起きる奇跡も違ってくるのです。

だから、奇跡が起きている人たちが、私に布施するなら、もっと奇跡が起きるということです。(ただし、それを期待して布施してもダメですけどね。あくまで感謝の心で布施しないといけませんが)

法を実践するかしないかで、起きる現象の違いが大きく現れてきましたし(逆らっている人たちなど悲惨なものです)その法の実践をしている人たちの中でも、奇跡が現れる人と大して現れない人(そこそこ運がいい程度の人)の違いも現れて来ています。

これから、このような違いはますます顕著に現れて来るでしょう。

もう、これからは奇跡が現れない人はダメな人、と見られるようになるのです。起きる現象に心が現れるということが多くの人たちに理解されてくるからです。(だから災いなど現れている人たちは、もう超ダメな人たちです)

法の実践をされたらどうでしょう。

それをしないともう許される時代ではないからです。

(こちらからすれば、これだけ災いが起きる時代になって、法をまったく勉強しようとしない人の方がよほど怖いですけどね)

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