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2016年4月

4月 13 2016

愛と慈悲と我

昨日はブシュブシュやっていくトラックが多かったですね。

何ででしょうか?

もし、昨日のブログに開き直っての態度であるなら、そういう人は百パーセント癌になるでしょう。(百パーセントです。百パーセント)このブログを読んでいて感謝どころか、そのお返しが嫌がらせなのです。

では、その嫌がらせのお返しも当然癌のような災いとなります。

これ以上の悪い態度もないと思うからです。

相変わらず怒っている人も多いのですが、もし私がこの法を日本に復活させなかったら、今頃日本はありません。(あの東日本大震災の時に終わっていたでしょう。それはあの原発事故を思えば分かるはずです。ギリギリのところで止められたのです。神にです。〔原発の大爆発から、チャイナ・シンドロームから、何から何までです〕)

それを考えるなら、いま起きていることが何ほどのことがありましょう。(地震か、津波か、あるいは放射能まみれになって死ぬよりよほどいいはずです。生きてるだけで丸儲けです)

悪いことを人のせいばかりにしているのではなく、少しは反省してはどうでしょう。反省して、法の実践さえ行えば幸せな生活が送れるからです。

それが非常に難しい人が多いようですが(それは現状に甘えているのです)これほどの現象が現れていて、それでもまだ反省出来ないのですか?(全部責任転嫁ですか)

法が信じられないのでしょうか?(これだけ奇跡が次々に起きてもですか)

そうなると「バカは死ななきゃ直らない」ということになりますが、それでもよろしいのですか?

そうなる前に気づいてほしいものです。(そうなりそうな人がこの辺りたくさんいるようです。特にどこかの会社はかなりやばそうです。皆テンパってます)

ここに法のことを少し書くだけで、その法を意識した人の多い場所に奇跡が現れるのです。これほどの教えが他にあるのでしょうか。

場所に関わらずですからね。パワースポットも今日の運勢もくそもありません。

そういうことには一切関係なく、そこにいる人たちの心の在り方一つで、奇跡も現れれば災いも現れるのです。

これだけ影響のある、すさまじい教えもないでしょう。

この法に比べれば、風水だのパワースポットだのいっている人たちが哀れになります。たいした現象も現れないのに騒いでいるからです。(それは他の宗教でも同じですけどね。何の奇跡も起きないのに一生懸命やっているのです。バカじゃないかと思います)

では、もう少し真剣にこの教えを勉強されてはどうでしょう。(この教えからすればたいしたことがない)風水やらパワースポットやらは真剣に勉強している人が多いからです。(他の宗教も同様ですが)

この世は愛と慈悲の心を実践するための修行の場なのです。決して金儲けの場ではないのです。

それなのに、愛と慈悲などそっちのけにして金儲けばかりです。(何でも仕事、仕事ですから)実践することといえば愚痴や怒りやねたみやひがみ、これではいいことが起きるわけがありません。

実践していることが間違っているからです。(愛と慈悲とは正反対のことやっています)

少しは愛や慈悲の行いを実践されてはどうでしょう。そうすれば、起きてくることもずいぶん変わってくるからです。

間違った宗教ばかりに金が集まれば日本は滅びます。

これだけ奇跡が起きる教えもないのです。

この教えに対し、少し愛と慈悲の心を実践してみませんか。

そうすれば、奇跡を実感出来る人も増えてくるからです。

追伸…そういうえば、動物の臓器や細胞を人に移植する「異種移植」を厚生省が容認したらしいですね。(これまでは禁止していたのに)

動物の細胞を(豚の細胞が多いということですが)人間に移植するなど、考えただけでもゾッとしますが、こういうことはやめた方がいいでしょう。

人間が動物の細胞を移植してまで健康になることは間違っているからです。(それは同じ人間の細胞でも同じなんですが)

不自由な体で生まれたのなら、その体でこの世を渡って行くのがその人のこの世の勉強であるのだし(それで寿命を縮めることになってもです。そういう体でしか勉強できない、貴重な勉強をその人はしているからです。この世にいる時間の短長ではないのです)また、事故や病気で不自由な体になったのなら、それもまた何でそういう体になったのか(何でそういう事故や病気をしたのか)という反省の機会を、その人は与えられているのです。

ただかわいそうだという同情心から(移植などして)そういう個々の人の勉強の機会を奪ってはならないということです。

この世の修行とは、それだけ厳しいものであるからです。(どのような困難な状況に置かれても、そのような状況下で心を磨く)

そう考えるなら、少々苦しいからとすぐに自殺を考えることがいかに間違っているかお分かりになると思います。

その厳しさが自分の心の勉強であるからです。

ちょっと話が横にそれましたが、とにかく間違ったことをするとまたそこに災いが現れます。(だから、豚の細胞など移植された人が、おかしな病気にならないか心配です)

そういう時代になったのです。益々、この法は多くの人に知ってもらわねばいけないということです。

この法を基準としない限り、いつそこに災いが現れるか分からないからです。

(おかしな心で生活していては、もういつ災いに巻き込まれるか分からないのです。そういえば、渋谷の警察署で結核の集団感染があったそうですが、あそこもやばいでしょう。何せ、あの同性婚を一番最初に認めた場所であるからです)

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4月 12 2016

ツキのなさ

今日もお怒りのようですが、終わりに近い人たちはほっておいて、もう少し昨日のゴルフ(マスターズ)のことを書きましょう。

あちこちのニュースでやっていましたが、マスターズの最終日に奇跡が起きたようですね。

なんとあの日、三人の選手がホールインワンを達成したとのことで、これはマスターズ史上初の出来事であったようです。

しかも、そのホールインワンを最後に達成した選手など、その選手が打ったボールが、グリーン上にあった先に打った選手のボールに当たって入ったということで、よけい話題になっていました。(こういうホールインワンの出方も珍しいのではないでしょうか。三人の選手がホールインワンをしただけでも凄いのに、その最後の選手のホールインワンの出方がまた劇的であったというのですから、奇跡の上にまた奇跡が起きたようなものです)

マスターズで、ホールインワンを達成した選手も四年ぶりとかなんとかいわれていました。そういう選手が最終日だけで(最終日だけでですよ)三人も出て、そのうえ最後のホールインワンの出方まで奇跡的だったのです。

これ、人の業でやれることでしょうか?

それだけではなく、昨日も書きましたが、あの最終日だけコースの状況がずいぶん変わっていたのです。(それは解説を聞いていてよく分かりました。「何であのコースキレれないの」とか「あそこに落ちたら昨日までは〔ボールが〕戻っていたはずなのに、何で戻らないの」とか、よくそういう解説をしていたからです。コースのことをよく分かっている解説者がああいう解説をするのも珍しいでしょう)

なんで最終日に限ってこんなことが起きたのでしょう。明らかにこの日だけ何か別の力が働いていたと思われないでしょうか。(別の力が働いていたから、これだけ珍しいことが立て続けに起きたのです。何か力が加わっていない限りこれだけ変わったことは起きないからです)

それこそ神の力なのです。

このような現象は、そこに神の力が働いていなければ起き得ないことなのです。

だから私はいっているのです。あの日は神の力が現れたとです。前々日に私が書いたブログを多くの選手が意識したからです。(だから二連覇を阻止されると思った選手が途中で急に崩れてしまったのです。法のことをよく思わなかったからです。それでツキがなくなったのです)

もし、あの日本人選手が私のいうことを少しでも聞いて「では、少し真剣に法を勉強してみよう」とか「ちょっと寄付でもしようか」と思ったのなら、それだけで(その心だけで)あの選手は優勝していたのです。

それだけあの時、あの場所に多くの神の力が作用していたからです。

あの最終日は先ほども書きましたが、同じコースなのに、コースの状況が一変していたのです。

心さえ変わるなら、それがよい方に作用して、あの選手がぶっちぎりで優勝できたのです。

現にあの最終日は、そのコースの状況が変化していたため、選手たちが戸惑い、大混戦になっていたからです。

それがよい方に作用するなら、ぶっちぎり優勝は可能であったのです。他の選手が(その変わったコースのせいで)スコアをのばすことが出来なかったからです。

しかし、この選手はそういう考えを少しも持たなかったようです。

それが証拠に最終日、この選手はアイアンの調子が一変に悪くなったようですが、そのような現象が現れたのが何よりの証拠でしょう。

あの日、神の力がそこに現れているのに、その神を少しも思おうとしなかった、それが自分の調子に現れたのです。

まったく持って惜しいことをしましたね。私のいうことを少しでもきくなら、十分優勝は出来たからです。

本当に残念です。もう少し私のいうことを真剣にきくなら(自分の都合のいいことだけきくのではなく)もっともっとよい成績があげられるのにです。

しかし、これはこの選手だけではないでしょう。他の選手も同じなのです。

去年、このブログを読んで奇跡が起きた人たちが総じて今年はダメなのです。

けがをしたり、あまりよい成績を上げられなかったり、またよいピッチングをしているのに勝てなかったり、まったくツキがないのです。(いってみれば、あの奇跡が起きていた時はツキまくっていたということですから)

去年の奇跡を再現している選手など皆無なのです。

なぜでしょうか?

もうお分かりの人も多いと思います。こういう奇跡が起きた人たちの中に、私に報恩の行為をした人が一人もいなかったからです。

だから一変にツキがなくなったのです。

中には、神がかりとか、神の領域とかいわれる選手もいたのに、そのような選手が、そのきっかけを与えてくれた人に感謝の言葉も報恩の行為もないというのです。

それでは、そのような選手たちは実は神ではなく悪魔であったといわれても仕方ないでしょう。

それだけ狭量な神などいないからです。(悪魔がかりに悪魔の領域ですね。〔苦笑〕)

普通の人でもです。ツキが一変に上がったのなら、そのお返しはするでしょう。(例えば、ある人の助言で、競馬の大穴など当てたら誰だって、その助言をくれた人に少しくらいのお礼はするはずです)

自分たちのツキが一変に上がってよい結果が出ているのに、それに対するお返しをまったくしようとしない、そんなことをしていれば当然ツキはなくなります。

そのような選手たちが、今年はまったくつかない結果しか出ていないのは当たり前のことなのではないでしょうか。

あまりにやっていることが自分本位であるからです。

誰であろうとです。よいことをしてくれた人には、それなりのお返しはしないといけないのです。(そんな礼儀も知らないのでしょうか?)

そういうことをしないから、よい循環にならないのです。

この世のことはすべて輪廻しています。よいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが自分に返ってきます。(善因善果、悪因悪果)

いつまでも悪いことをしているから(よい循環を行わないから)よいことが(去年ほどの奇跡が)起きないのです。

いつまで悪いことをし続けるのですか?

よいことをするのなら、自分も、そうして世の中も、もっともっとよくなるのにです。

追伸…まして、神に関することなんですから、より以上に協力しないといけないのです。

それなのに、多くの人がより以上に協力しません。(というか、より以上にじゃましています)

これではいいことは起きて来ないでしょう。いつまでたっても本当の神の教えを拡げることに誰も真剣に協力しようとしないからです。(真剣にじゃましている人たちはたくさんいますが。〔苦笑〕)

このブログを読み、心が救われた人も多いと思います。そういう人もそのお返しの行為は当然しないといけないのです。

なぜ、誰も協力してくれないのですか?

一人でも多くの人が協力してくれるのなら、世界が一変によい方に変わるのにです。

(法にはそれほどの力があるからです。ゴルフの大会だけでも、そこにいる選手が少し意識しただけであれだけの奇跡が現れるのです。では、多くの人が、法を意識して実践したら一体どれほどの奇跡が現れるでしょう。この法を実践する以上の世の中をよくできる方法はないのです。テロが怖いだの、ISが怖いだのいっているのなら、この本当の神の教えをもっと実践することです。そうすれば、そのような恐怖以上の奇跡が起きてくるからです)

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4月 11 2016

法の影響

しかし、今日も朝から大騒ぎですね。(朝もはよから、やかましいことしていましたし)

何かその騒ぎが、段々災いを呼ぶ儀式のようにも思えてきました。(毎日同じことをしているからです。まったく学習しないからです)どれだけ自分たちで災いを呼べば気がすむのでしょう。

滅ぼされるまで分からないとは本当に哀れなものです。

そういう人がこの辺りはたくさんいるのですが、悪いことばかりではなく私のようによいこともたくさん起きています。(よいことは私が中心ですが)

こういうことを考えると、本当に法の影響はすさまじいなとつくづく思います。

ここに法が出現したばかりにこれだけのことが起きているからです。

その法の影響が遠くアメリカにまで届いたようです。

昨日、私がこのブログに(ほんの少しだけ)そのアメリカでやっているゴルフのことを書いてしまったからです。

ここに書けば、そのゴルフをやっている選手は法のことを意識します。(このブログを読んでいる選手は確実にいますから)

そこにいる選手たちが、この法のことを意識すればするだけ法の影響はその場所に強く現れます。

今日の朝テレビを観ていましたが、法の影響は確実に現れていたようです。

この法をしっかり勉強すると誓わなかったのは残念でした。だからそういう結果となったのです。(首位との差が五打もなかったんですね。では、もっと優勝できる確率は上がったのに)

別に法のことを意識したのはこの選手だけではなかったでしょう。(私を意識するということは、法を意識するということと同じですから)

あまり法の(私の)ことをよく思わなかった選手が突然崩れたり、コースの状況がまったく変わってしまったりしたのは、法のことをより意識した選手が多かったからです。

だから、そこかしこに法の影響が(神の力が)現れたのです。(解説の人が困っていましたね。〔選手はもっと困ったんでしょうが〕昨日までキレていたコースのボールがまったくキレなかったり、戻ってくるはずのボールが戻らなかったりしてです。「傾斜がかわったんでしょうか?」とか「一日で傾斜はかわらないでしょう」などというおかしな解説をしていました。〔苦笑〕)

法は少し強く意識しただけでも、その場所に様々な影響を与えるのです。

それは、どこにいても神に祈れば、その祈りがきかれるように(ただし、正しければという条件つきですが)法を強く意識するということは神を強く意識するのと同じだからです。

だから、法を意識する人が多ければ、そこに神の力が現れるのです。本当の神の教えとは、それほど影響がある(神の力が現れる)ものであるからです。

だから、釈尊やキリストの周りにも(もちろんモーゼも同じですが)あれ程の奇跡が現れたのです。

このような偉大な方々は、当たり前ではありますが本当の神の教えを説かれていたからです。

その時、預言者といわれる方々が説いていた同じ教えが現代に現れているのです。

だからそういうことが起きるのであり、つまり、その正しい教えには、それほどの力があるのであり、だから、釈尊は「人を依りどころとせず、法を依りどころとしなさい」といわれたのです。

その法に神の力が宿っているからです。そうして、その法はなくなることがないからです。(法は自分が知って覚えている限り自分に残りますが、人はいつかはいなくなります。〔如来といえどもいつかは天上界に帰られるのです〕法を依りどころとしているのなら、自分はいつでもどこでも救われるのです。偉大な人ばかりでなくその法にも神の力が宿っているからです)

だから法を依りどころとしないといけないのです。人を依りどころにしていては、その人がいなくなったら法が分からなくなるからです。

その間違いを今回の多くの如来の弟子たちは犯したのです。だから法が分からなくなったのです。(多くの弟子たちが、高橋先生〔人〕ばかりあてにして法をしっかり学ばなかったのです。それで、高橋先生がいなくなったとたんに法が分からなくなったのです。園頭先生以外の如来の弟子たちが高橋先生がいなくなったとたん神通力がなくなったのがそのよい例です。正しい法が分からなくなったとたん神通力をなくしてしまったのです。その法に神通力が宿っていたからです)

しかし、その正しい法がここにまた復活したのです。だから、これほどの影響が現れているのです。

正しい法には、それほど大きな神通力が宿っているからです。(その神通力も人の心の大きさにより、大きく引き出せる人と小さくしか引き出せない人で違いますが)

今はまだ一部の場所にしか、このような神通力は現れていませんが、いずれ嫌でもこの法の影響は世界中に現れるのです。

すでに正法の世となっているからです。

その時になって慌てるか、それとも早めに法を実践し出来るだけ心を高めていくかで、その法の影響が現れだした時の状況は大きく変わってくるのです。(もう名古屋の辺りは半分パニックです。その法の影響が拡がり始めているのに、いつまでたっても肝心の法を誰も勉強しようとしないからです)

いつまで法から離れたところにいて(時々近いところに来ていますが)災いばかりを受けているのですか?

泣こうがわめこうが、もうそういう世の中に(法の世に)なっているのです。

では、出来るだけ早く法の勉強をされてはどうでしょう。

現に、それをしっかりされている人には奇跡しか起きないからです。

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4月 10 2016

正しい信仰と間違った信仰

昨日もいろいろ起きたみたいですね。怒りたくっていましたから。(どこかの会社です)

怒っているのはどこかの会社だけではありませんが、この近所のバカガキも昨日は嫌がらせをしてくるのが何人かいました。

何かの信仰でもしているのでしょうか?

親がしているのなら、自分たちも小さな時からその信仰をしているはずなので、その信仰は正しいと思い込んでいる子供たちも多いと思いますが、その信仰が正しいのなら、私と同じ(釈尊やキリストと同じ)奇跡が起きて来ないといけません。

同じ信仰をしている人たちに(あるいは自分でもいいのですが)私と同じ奇跡が起きている人がいるのですか?

いないのであれば、その信仰は間違っているのです。

親がいおうが、誰がいおうが間違いは間違いなのです。人にくだらない嫌がらせをしている暇があるなら、早くその間違いに気づくことです。

そうしないと天罰を食らうことになるからです。(そういう現象が現れることでもどちらが正しいかは分かります)

とにかく、昨日のブログで、私は一般の人だけではなく信心している人たちまで怒らせたでしょう。

また嫌がらせをする人が増えるのかもしれませんが(信仰をしていて嫌がらせをしてくるようでは話になりませんが。それでは自ら、自分の信仰は間違いだと認めているようなものだからです)間違いは間違いです。

もう間違ったことをしていては天罰がくだる時代になったのです。

無信仰もいけなければ、間違った信仰をしていてもいけない、正しい信仰をしなければ奇跡どころか、まともな生活さえ出来なくなるのです。(これだけサイレンが響いていてはそれはそうでしょう)

早く正しい信仰に目覚めてください。そうすれば幸せになれるからです。

では、正しい信仰をしているとどういうことが起きるのか?

それを少し書いておきましょう。

一昨日東山動物園に行った時のことを書きますが、相変わらず動物たちの愛想はいいです。

私が動物園に行くと、そこらじゅうで動物が鳴き出しますので、私がいるとすぐに分かります。(おまけにすずめなども騒ぐのでよけいにです)

あの愛想のなさそうなゾウやカンガルーなども嬉しそうな態度を取りますし(カンガルーなど私の前でピョンピョン飛び跳ねるのはいる、蹴りあいをしだすのはいると面白いですし、ゾウなどもこちらに寄って来て私の前で餌を食べたり、鼻をふり上げたり面白い仕草をしています)インコなどはもう園内に響き渡るような声で鳴いて、檻の中で暴れ回って(飛び回って)います。(笑)

あのコンドルやワシのような恐ろしい顔をした鳥から、おとなしそうな鶴まで、檻の中で飛び回ったり「ギャーギャー」鳴いたりして騒いでいるのです。

そうして、あのライオンやヒョウやオオカミまで可愛らしい仕草をします。

愛想のなさそうな生き物からおとなしそうな生き物、そうして怖そうな顔をした生き物から猛獣に至るまで、すべて愛想がいいのです。

法を実践して愛が出てくると、その愛が動物にまで伝わるということがよく分かります。

そのような動物たちのいろいろな愛らしい場面を、私は動画に撮ってあります。その動画を観て、自分たちに対する動物たちの態度と(あるいはテレビで観る動物たちの態度と)私に対する動物たちの態度がどれだけ違うか確認してください。

法を実践している人(愛ある人)には、動物たちがどれだけ愛ある態度を取るのか分かると思うからです。

その愛ある態度で、今回、東山動物園に行った時に一番印象深かったのはシマウマでした。

シマウマとは意外と思われる人もいるでしょうが、その意外と思われる動物が、意外にも人に対する愛が強かったと分かるのが、この法です。(笑)

だから、法を実践すると面白いのです。そのような意外なことが次々に分かってくるからです。

この前テレビでシマウマは人になつかないといっていました。

そういわれれば、たしかに東山動物園のシマウマは愛想がありません。私が行って声をかけてもただボーっと立っているだけです。(しばらくすると向こうに行ってしまいますし)

「シマウマは人になつかないのか、それであのシマウマもどれだけ声をかけても、愛想も何もないんだな」と思い、一昨日行った時に、そのシマウマに「お前、人になつかないんだってな」と声をかけたのです。

そうしたらです。何かそのシマウマがビクッとしたように感じましたが、私がそう声をかけたとたん、そのシマウマが急に頭を振りだしたり耳を前や後ろに回転させたり動きだしたのです。(まるで「それは違う」といっているようでした。〔笑〕)

そのシマウマが何か変わった動きをしだしたので、私は動画を撮り始めたました。

するとシマウマが体をぶるぶると振りだしたり、そのまま足をついて、ゴロンと地面に転がり、地面でゴロゴロし出して愛想のいい態度を取るではありませんか。

驚きました。さっきも書いたようにです。シマウマは人になつかないといわれていたからです。

しかし、私の目の前のシマウマは非常に愛想がいいのです。

人になつかないどころか、私の前で地面に寝転がり腹まで出しています。

私は「何をやってんだろう?」と奇異に感じました。まさかシマウマがこんなに可愛らしい態度を取るとは思ってもいなかったからです。

そのシマウマの意外な態度はしっかり動画に撮ってあります。

シマウマは人になつかない?そんな学者の説は嘘であると私は思います。どんな動物でも人に愛があるならいくらでもなつくのです。(このようなシマウマ以外でも、その前に東山に行った時など〔前に書きましたが〕爬虫類のオオトカゲが私の前で大暴れしました。その映像も撮ってあります)

例えばこのようなです。世の常識といわれることでも違っていることがたくさんあるのです。

それぞれの人がもっと愛を出すなら、意外な事実がまだたくさん分かってくるのです。

その人が出す愛とは(もちろん慈悲もそうですが)それだけ奇跡を現す力があるということです。

これは一つの例ですが、正しい信仰を行えば、このようなこれまでには分からなかった奇跡の事実が次々に明らかになるのです。

このようなこと以外でも、祈れば天気も変わるし、人さえも神がかり的な力を発揮することが出来るのです。

そのような奇跡も、すでに起きていることでありますのですべて事実であると分かるはずです。

正しい信仰とはこのようなもので、次々に奇跡が起きる(新しい事実が分かる)ものであるのです。

正しい信仰と間違った信仰ではこれほどの差があるのです。(正しい信仰は次々に奇跡が起き、間違った信仰は、そういう奇跡は全然起きず〔悪魔が現す、おどろおどろしい現象は起きるかもしれませんが〕災いばかりが次々に起きる)

それでもまだ間違った信仰を続けるのですか?

昔からやっているからとか、親がやっているからとかいうのであれば、それだけくだらない理由もないでしょう。

親がやっていようが、昔からやっていようが、間違っているものは間違っているからです。

間違っていることをどれだけ続けようと、それが正しいことに変わるものではないのです。正しいことをやって初めて自分は正しくなれるのです。

これまでは間違ったことをしていた人が多かったのです。(それを正しいと勘違いしてです)だから、これだけの天罰がくだっているのです。(その間違いを天が正そうとしてです)

早くその間違いに気づかなければいけないのです。そうしなければ災いは止まらないからです。

奇跡を次々に起こしてみませんか?

そうすれば、正しい信仰がいかに大事かよく分かると思うからです。

追伸…首位と五打差ですか…普通であるなら逆転は難しいのでしょうが(勢いが違うようですし)この教えをよく勉強し、私に協力すると神に誓えるなら奇跡は起こります。

どうされますか?

(このようなチャンスはめったにないですよ。〔来年以降まだいくらでもチャンスがあるといっても、人はどうなるか分からないのだし〕そう神に誓い、私が祈るなら、多分奇跡は起きるでしょう。私はこれまで祈って奇跡を起こしたことが何度もあるからです。どちらにしても、この教えは一生ものです。どっちみち一生やり続けなければいけないのです。ここらで中途半端な態度はやめて真剣に勉強すると誓われたらどうでしょう。そうすれば歴史に名を遺すことになるからです。〔笑〕)

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4月 09 2016

宗教団体の無意味さ

今日も朝から激しくお怒りです。

毎日同じことをしていてよく飽きませんが、これだけ天罰をたくさん食らう人たちもいないでしょう。(毎日何か起きているようですから)

ある意味、凄い体験をしていますね。

なかなかこういう人生も送れないでしょう。だいたいの人なら、二、三度天罰を受ければ反省するからです。

しかし、この辺り、こういう人が多いのです。

何度天罰を受けても、それでもまだ立ち上がる不屈の精神を持った人たちが多いということです。(苦笑)

しかし、それをどれだけ私のせいにされても苦しんでいるのは皆さん方なのです。その苦しみを私のせいにされても、その苦しみが取れるわけではありません。

天罰を、いつまでも私のせいにしてるのではなく、その苦しみがどうやったら取れるのか、真剣に考えてはどうでしょう。

不屈の精神でいつまでも神に逆らい続けていては、必ず滅ぼされるからです。(神に逆らっているから、それだけの苦しみを与えられているのです。いい加減それに気づいてください)

昨日は東山動物園に行ってきました。

それでブログを書かなかったのですが、特別な理由はありません。気候もよくなってきたことと、どこかの会社などが毎日のように朝から怒り狂っています。

そういう人たちに付き合うのも疲れます。だから気分転換も兼ねてです。

しかし、私が別なところに行ってもあまり気分転換にはならないんですけどね。同じように怒り狂っている人たちがあちこちにいるからです。

動物園でのことはまた後日書くとして、昨日は少し早めの二時過ぎには動物園を出てきました。(いつもは朝一に行って夕方四時過ぎくらいまでいるのですが)やはり気候もよくなり動物園に来ている人が多かったからです。(ということは、うっとうしい人が多かったということです)

うっとうしい人は確かに多かったんですが、しかし、理由はそれだけではありませんでした。

私は動物園内でも来ている人にいろいろちょっかいをかけられるのです。

では、この辺りでも私の悪い噂は相当広がっているだろうなと思い、それなら辻説法をしながら帰ろうと思ったからです。

東山動物園からある程度のところまで歩いて行って、途中から地下鉄に乗ればいいと思い歩き始めたのですが、もうすずめたちが大騒ぎです。

しばらく歩くと、そこにいるすずめたちが騒ぎ、またしばらく歩くとその場所にいるすずめたちが騒ぎます。

お蔭で、多くの人が私のいることに気づき、私の辻説法を聞いたことでしょう。(苦笑)

釈尊の時代は、釈尊が説法をされる時は鐘をガンガン鳴らして人々に知らせたといわれますが、私の場合、その鐘のかわりを鳥たちがしてくれます。

その点は楽でいいですね。(笑)

そんな感じですので、大きな工事現場の近くを通るともう遠くからでも私が歩いているのが分かるのでしょう。その工事現場の連中に遠くにいてもガンガンでかい音を立てられます。(相当私の評判は悪いようです)

そうすると少々離れたところからでも辻説法が出来るわけで(少なくとも、その工事現場の人たちは私の辻説法を聞いていますので)より多くの人に辻説法が聞いてもらえるわけです。

そういう感じで、あちこちで辻説法をしながら帰ってきたのですが、あるところを通ると、大きな建物が目に入ってきました。

それは明らかに宗教団体の建物でした。(見るからにそれっぽかったので)

それでそちらに行ってみると、それは天理教の建物でした。大きな建物が道を挟んで、二つも三つも建てられています。

「でかいなあ」と思いながら、その建物の横の道を歩いていました。

そうして「いつまでこんな間違った宗教してるんだろう」としゃべりながら歩いていたのです。

すると建物の中から「ガチャン」という大きな音が聞こえました。誰か中にいるようで、それで私の声に怒ってでかい音を立てたようでした。

私が近くにいることは、中の人には分かっていたと思います。すでにその辺りの鳥たちが騒いでいたからです。

私はチャンスと思い「間違っているから、俺に起きているのと同じ奇跡が起きないのだろう。この奇跡は、釈尊やキリストにも起きていた現象だ。正しい宗教であるなら釈尊やキリストと同じ現象が起きなきゃおかしだろう」といいました。

その言葉に返事はありませんでした。

だから私はわざと天理教の建物に挟まれている道を進みました。中に誰かいたら何かいってやろうと思ってです。

その道を歩いて行くと建物の中がよく見えました。本当に広くて大きな建物です。

右側の建物を見ると前が広い駐車場になっていて、そこで小学校の低学年くらいの子供が五、六人、遊んでいました。

「何だ子供か」と思いましたが、その子供たちに「お前ら、なんで間違った信仰してんの」と声をかけました。

その私の声を無視してその子らは遊んでいましたので、左側の建物の方に目を移しました。

すると一人の信者が(かどうかは、はっきり分かりませんが多分そうでしょう。三十歳前後の男性でした)バケツを持って歩いていました。

私が近くを通ると、その持っていたバケツを大きな音を立てて下に置いたのです。(向こうからケンカを売ってくるんですからやりやすいです。〔笑〕)

「何だ、何だ、天理教は人に嫌がらせをするのか」「あんたらが正しというなら、俺と同じ奇跡が起きているのがいるのか、いたら呼んで来いよ」「俺と祈りの勝負でもするか」と立て続けに文句…ではなく(苦笑)説法をしました。

向こうは何もしゃべりません。

ちょうどその時、その天理教の建物の中にいたすずめたちが騒ぎだしたものですから、これ以上の奇跡の証明はありませんでした。

その信者の人は何もいわず建物の中に入って行ってしまいましたが、目の前でこれだけ分かりやすい現象が起きているのです。

私には釈尊やキリストと同じ現象が起き、その人たちには私に起きているような現象が起きている人はいないのです。(もし、私と同じ現象が起きている人がいるのなら反論したでしょうから)

では、この人は何で「あなたがしている信仰こそ本物である」と認めて「あなたがしている信仰を教えてください」とその場で帰依しないのでしょう。

それが信仰者としてあるべき態度のはずなのにです。

信仰者であるなら、正しい現象が目の前で現れれば「ああ、この人がいっていることこそ正しい」と即座に認め、その教えに帰依するのが当たり前のことでしょう。

しかし、この人は、仏典や聖書に書かれてある奇跡が目の前で起きているにもかかわらず、それでも自分たちのしている信仰が間違っているとは認めないのです。

まだ、その間違った信仰にしがみつき、救われない教えを信じようとしているのです。

これだけ信仰者として愚かな態度もないでしょう。

正しい教えが目の前にあるのに、それを無視しているからです。

私は最後に「間違った教えにはこれだけ金が集まり、正しい教えにはまったく金が集まらない。本当に世も末だな」と捨て台詞(すてぜりふ)を残して帰りました。

その天理教の人たちにも気づいてほしかったからです。

天理教の建物から少し離れたところでサイレンが聞こえてきました。

そうしたら近くを歩いていたオバちゃんが凄い顔をして私のことを見ています。

それで私が「そこの天理教に何とかしてもらえよ。あれだけ大きな建物をつくっているんだから、それくらいのことは出来るだろう」とその人にいいました。

そのオバちゃんは少しビクッとして下を向いて歩いて行きました。

本当にこの人たち何も分かっていません。

私一人で、このようなこと(サイレン)が出来るのなら、あのような大きな宗教団体は一体何のためにあるのでしょう。

これだけ災いがあちこちで起き出したのです。では、その宗教団体はその災いを祓わなければいけないはずです。

しかし、災いは減るどころか、増えているのです。

これでは、そのようなたくさんある宗教団体は何もしていないといわれても仕方がないのではないでしょうか?(これは坊さんなどの既存の宗教も同じですが)

このようなことが起きて来て、一番責められなければいけないのは私ではなく、そのような宗教団体なのではないでしょうか。

こういう時に一番力を発揮しなければいけないのが宗教団体であるからです。

この名古屋にある宗教団体は、何もしていないわけではなく、すでに多くの信者が祈っているとでもいうのでしょうか?

しかし、何の効果もないというのでしょうか?

では、たった一人の者にやりたい放題やられているということになります。

だとしたら、そのような宗教団体は何の意味も力もなかったということになります。(そうですよね。たった一人の者の祈りさえ抑えることが出来ないのですから)

いま起きている現象は、そのような宗教団体の無能、無力さをあらわす現象でもあったということです。

いつまで間違った信仰を続け、正しい信仰にソッポを向いているのですか?

だから、多くの人が不幸になっているのです。

追伸…昨日の夕方はひどかったですね。

ヘリがこの辺りをずっと旋回していたからです。(というか、私の頭上なんですけどね。しかも二機でです)

近所の人が何人も出て来て空を見上げていましたが、あれはうるさいでしょう。

本当にやめてもらえませんか。ただでさえ私の評判が悪いのによけい悪くなります。

未だヘリがよく飛んできますが、何度もいいますが、お金の無駄です。(本当に一体いくらかかっているんでしょう。天文学的な金額だと思いますよ。もう何年にもわたってですから)

そういう金があるなら私に回してください。

そうすれば天理教に負けないくらいの建物を建てて、そこで法を拡げるからです。

そうすれば、この名古屋で起きている災いも止めることが出来ると思うからです。

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