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2016年4月

4月 07 2016

知るべきことを知らない悪

今日は春の嵐となる予報が出ています。

暴風や激しい雨に注意とのことですが、こちらはすでに暴風雨が吹いています。(どこかの会社のことです)朝からもう凄い怒りようです。(苦笑)

何をそんなに怒っているのでしょう。また、よほどのことが起きたようですが哀れなものです。どれだけ悪いことが起きても反省しようとしないからです。

しかし、この会社の連中には呆れましたね。この連中の本心が昨日また分かったからです。

この連中、昨日もまた朝から散々このブログのじゃまをしていたのです。(ドンとかガンとか音を立ててです)

昨日は近くで家をつくっているようで、その大工たちが出す音もうるさかったので、ブログを書いていてもあまり考えがまとまりませんでした。

それで「今日は、もううるさいから書くのやめようかな」とぼそっと私がどこかの会社の連中に向けいったのです。

そうしたらです。その声を聞いたとたん、この連中、一変に静かになるではありませんか。

私は「ハァ」と思いました。

どうもこの連中、これだけこのブログを書くのをじゃましているのに、このブログが読みたいようで、それで私が「うるさいから書けない」といったとたん静かにしたようなのです。(その後も〔わりと〕静かでした。だから昨日はブログが書けたのです)

それで呆れたのです。自分たちもこのブログを読みたいくせに、ブログを書くのを散々じゃましているのです。

一体どういう神経をしているのだと思ってです。

こういうことをしているから、次々に災いが起きてくるのです。それなのに、その自分たちの行いは一切反省しようとせず、悪いことが起きるとみな私のせいにして烈火のごとく怒っています。

本当に呆れますが、こういう連中をバカといわないで一体誰をバカというのでしょう?

こういう連中こそ正真正銘のバカなのです。どれだけ自分たちがバカな行いをしているのか、いつまでたっても理解出来ないからです。

しかし、この辺りは、同じような連中が多いのです。私のブログを散々見ていながら、それでも私に嫌がらせを続けている人がたくさんいるからです。

そのような人たちも同じでしょう。正真正銘のバカというしかありませんね。

そうではないでしょうか?

私のブログを見ているということは、それだけ私にいろいろなことを教えてもらっているということです。(全然自分のためにならないようなブログなど、誰も読まないでしょうから)

それなのに、そのことにはまるで感謝せず、私のブログを読んでも、怒りやねたみやひがみの心しか持たないというのですから、そういう人はバカというしかありません。

少しの恩さえも分からないようだからです。

犬や猫でさえ、餌を与えれば恩を感じてくれます。しかし、私たち人間は何か物をもらったから恩を感じるだけではないでしょう。

知らないことを教えてもらった人には恩を感じるはずです。(学校の先生などそうですが)

私のブログを見ているということは、何かためになると自分で思っているから見続けているのであり、実際、私のブログを読んで心が救われた人も多いと思います。

では、そういうことに恩は感じないのですか?まったく感謝しないのでしょうか?

だからバカだというのです。動物たちでさえ分かる恩をその人たちは分からないからです。(私に嫌がらせしてくるということは、そういう恩も感謝もないということですよね)

そういう恩も感謝も知らない人たちばかりだから、起きているのです。これだけの災いがです。(今日も朝から何度もサイレンがしています。どうもすぐ近くで誰か運ばれて行ったようです)

自分たちは恩を知れとか、感謝しろとかいうくせに(そういうことは少し気の利く人なら誰でもいいますから)そういっている自分が一番それが出来ていないのです。(口だけなのです)

それでは罰も当たるでしょう。

その罰さえ人のせいにしています。こういう人たちはもうバカもバカ、大バカ者ですね。

昨日も私は庄内川に行きました。

そうして川に向かって叫ぶと、多くの小魚たちが出てきました。それこそ数百、数千、数万の小魚たちがです。(それは動画に撮りましたので、また確認してください)

少し川に向かい声をかけるだけで、これだけの奇跡が起きるのです。(このブログを見ている人たちはそういう光景を見たことがありますか?川で数百、数千、数万の〔数十万の〕小魚たちが一斉に浮かんでくるなどという光景をです。私はそういう光景などいくらでも見ることが出来るのです)

釈尊は、この世で一番悪い人は知るべきことを知らない人である(バカな人である)といわれていました。

人として知るべき最低のことくらい知ってはどうでしょう。

それを知らない間は不幸にしかならないからです。

追伸…「自分はそんなことはない、ちゃんと恩も感謝も知っている」という人も多いのでしょうが、そうではないのです。

私に恩も感謝も感じないという人は、実は本物の恩も感謝も知らなかったのです。

これまで自分がしていた恩や感謝は偽物であったということです。

恩や感謝に本物や偽物があるかと思う人もいるのでしょうが、本当の恩や感謝と、うわべだけの見せかけだけの恩や感謝の違いはあります。

そのような人たちは所詮は見せかけだけの恩や感謝しかしてこなかったのです。

それがこのような時代となり、はっきり分かったということです。(何度も書きますが、多くの人がうわべが善人であるだけの偽善者であったからです)

だから私に感謝できないのです。これまで人に対しうわべだけの感謝しかしてこなかったからです。

そうでなければ、感謝するところは感謝できるはずです。

悪いところは悪いところとして、しかし、自分の心が救われたのは事実なのですから、その部分は感謝するはずです。

しかし、そういうこともひっくるめて恩も感謝も感じないというのですから、これまでどれだけ薄っぺらな感謝しかしてこなかったのか、その人の人生がよく分かります。

そういうこれまでの悪いところをすべて反省しないといけないのです。

そういう時代になったからです。(自分の悪いところすべてを気づかされる、そういう時代になったということです)

元々この世の修行とはそのようなもので、この世に出てきたら自分の悪いところを直さないといけないのです。

それが、これまでのほとんどの人は、自分の悪いところを直さぬまま死んで行ったのです。(我を張ったまま)しかし、それではこの世に生まれて来た意味がないのであり、自分の悪いところをこの世で直してこそ、意味のある人生であったといえるのです。(だから、本来の修行が出来るようになったということです)

そう考えるのであれば、これだけ意味のある人生もないと思います。悪いことをし続けている人たちに次々に天罰がくだっているからです。(人の振り見て我が振り直せ、これだけ反省がしやすい環境もないということです)

これだけ分かりやすい現象が現れているのに、それでもまだ反省しないという人も多いのですが、これだけ天罰がくだっているのです。(いい加減それを認めてください。時代が変わってきたから起きて来た現象を多くの人は私のせいにしているだけなのです)

いつまでも、それを人のせいにしているのではなく「自分が悪かった」と心から反省されてはどうでしょう。

そうすれば、本当の恩も感謝も分かり、奇跡が起きてくるからです。

昨日もまだブシュブシュやっていた運転手もいましたし、嫌がらせをしていく人もいました。しかし、そのような人に一つの奇跡も起きていないのです。(それどころか災いばかりが起きています)

しかし、法に従っている私には次々に奇跡が起きています。

法に逆らっていては絶対に幸せになれません。

この法に従うことこそ、このような時代に幸せになれる唯一の方法なのです。

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4月 06 2016

正しいから奇跡が、間違っているから災いが起きる

明らかに現れている現象が激しくなっているようです。態度が変わっている人がたくさんいるからです。

もうこういう状況になっては、どうしていいのか誰も分からないでしょう。

なぜなら、今この辺りで何が起きているのか、しっかり分かる人など誰もいないからです。

これまでは末法の世であり、日本など特に唯物無神論が全盛で、神に関わることは二の次、三の次にされ神のことなど知らない人が多いのです。

そういうところに本当の神の業が次々に現れだしたら、対処の仕方など分かるわけがありません。ほとんどの人が神に関することはシロウトであるからです。

これまでは神など信じていない人が多かったのです。そうして既存の宗教は菩薩が説いたものが中心であり(親鸞、日蓮、キリスト教はパウロ)新興宗教は現世利益を中心として説かれています。これでは本当の神の業が現れだしてはどうしようもありません。

本当の神の教えがどこにもないからです。

神を信じない人と、菩薩が説かれたもの(昨日も書きましたが菩薩は、如来のように完璧に法が説けるわけではありません。つまり菩薩が説いた教えでは間違った部分がいくつもあるということです)そうして現世利益を中心に説かれたものしか、現代の日本にはないのですから、本当の神の業が次々に現れだせばどう対処していいのか分からなくなるわけです。

既存の教えでは、本当の神の業は止められないからです。(だから、お経をどれだけ上げても仏像にどれだけ祈っても、このサイレンは止まらないのです。〔間違いが混ざる〕菩薩の教えでは本当の神の業は止めることが出来ないからです。完璧な如来の教え以外ではこの神の業は止められないからです)

しかし、数十年前にすでに本当の神の教えはこの日本で説かれていたのです。

その本当の神の教えを日本の人々が(これは世界の人々も同じなのでしょうが)勉強しようとしなかったことが、このようなことが起きて来たすべての原因であるのです。

この世に出ているすべての人が、この如来の教えは勉強しないといけないからです。

最近激しくなった天変地変も同じです。本当の神の教えが出ているのに誰も真剣に勉強しようとしないことが原因なのです。

要は、本当の神の教えが出ているにもかかわらず、いつまでたってもその神の教えを真剣に勉強しようとしなかったため、激しい天罰が(世界中で)くだっているということです。

それは釈尊やキリストの教えを知ってもらえれば分かると思います。本当の神の教えは一国だけのものではないのです。世界中の人のものなのです。

その本当の神の教えが日本に出現しているのに、その教えが世界に拡がるどころか日本にも拡がっていないのです。

これだけ神に対する背信行為もありません。だから、世界中に天罰がくだり始めたのです。

この教えを知らないということは(出ている)日本だけの責任ではないからです。世界中の人の責任であるからです。(連帯責任であるということです。それはそうです。もうパソコンがある時代です。世界中の誰でも高橋先生を知ることは出来ますし、その説かれた法も知ることが出来るのです。どこの国の人であろうと、それを知ろうとしないということは本人の努力不足であるからです)

世界の人が知らないといけない教えであるから、私はこれだけのことをしているのであるし(自分の身を犠牲にしてです)それほどの教えであるからこれほどの神の業が現れているのです。

私は昨日は庄内川に行ってきました。そうしたらまた面白いことが起きました。

庄内川の川岸を歩いていると、もうツバメが飛んで来ていました。

そのツバメが鳴きながら飛んで行くのです。(例のガチャガチャとです。〔笑〕)まるでこっちを見てくれといわんばかりです。本当に可愛いものです。

そうして、他の鳥もあちこちから出て来て「ピーピー」「ギャーギャー」鳴いて飛んで行きます。

そういう鳥たちを相手にしながら歩いて、そうして南陽大橋の下で休んでいると、昨日はやけに川の水が多かったのです。

どうも一昨日の雨の影響のようなのですが、その水が多い川に向かい声をかけていると、水面のあちこちにさざ波が立ったりわっかが出来たりします。

「なんだ?」と思って水面をよく見ていると、細かい魚たちがたくさん浮かんで来ていました。水面を泳いでいるのもいます。

私の声を聞いて、川底にいた小魚たちがたくさん水面に上がってきたようでした。

これもまた可愛いもので「おう、お前ら元気か」と声をかけると嬉しそうに水面を泳いでいます。

その小魚たちを見ていて、ふと横を見ると少し大きめの魚が一匹、水面から背びれを出しながら私の方に泳いでくるではありませんか。

「あれ、大きいのが一匹来たな」と思っていると、その魚は一度もぐり、私の目の前にまた上がってきました。(鯉かなと思っていたのですが、その魚をよく見たら二十センチほどのフナかなんかでした)

その魚は私の前を背びれを出しながらスーと泳いで行きましたが(「おい、どこに行くんだ」と声をかけましたが、無視して行ってしまいました。〔笑〕)こういう不思議なことが普通に起きるのです。

私は餌をやったわけでもなんでもないのです。

しかし、歩いていればいろいろな鳥たちが飛んでくる、川に向かって呼びかければいろいろな魚たちが私のいる岸近くまでたくさん寄ってくるのです。

いま現在、皆さん方に起きていることと私に起きていることの違いはどうでしょう。

如来が説かれた法をしっかり知るなら、このような愛ある奇跡が次々に現れるのです。

これほどの教えだから私は必死に世に伝えようとしているのであり、これほどの教えがすでに世に出ているのに、それを誰も知ろうとしないから、これほどの天罰がくだっているのです。

世界の人がこの法に従うなら、世界中で起きているすべての災いが止まるのです。そうして世界中のすべての人に、私と同じ奇跡が現れるのです。

いっていること、やっていることが正しいから奇跡が起こり、いっていること、やっていることが間違っているから災いが起きるのです。

このように天罰が次々にくだる(そうして次々に奇跡も起きる)時代となりました。

もう法を知らずにいることほど危ない(もったいない)ことはないのです。

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4月 05 2016

専門家

しかし、誰も折れませんね。

昨日もそうでした。金山の辺りに行ったんですが、歩いて帰ってくると何かそこらじゅうの人が怒っているのです。

怒っているんですが、何もしてこない人も多いのです。(バスやトラックの運転手連中などそういう人が多いように感じました)ブシュとやってくる人は少数なのですが、何かみな雰囲気が変です。

それに怒っている会社は相変わらず怒っています。

昨日など、またどこかの会社の連中が烈火のごとく怒っていて(朝からガンガンやってきたものですから)これではとてもブログは書けないと思ったから、ブログの時間を祈りの時間にしました。

そうしたら今日はやけに静かなのです。(何かいろいろ起きたみたいで)と、そう思っていたら電話の音が響いて、その後また急に怒り出すのがいます。

何かもうそこらじゅうで次々に災いが起き出したようにも感じますが、この辺りの皆さん、本当に大丈夫ですか?

マジでです。反省しないとまずいのではないでしょうか。そうしないとどれだけ病人が出るか分からないような雰囲気だからです。

何でもそうですが専門家はいます。

病気やけがをした時は医者に聞くのが一番ですし、テレビやパソコンが壊れた時は電気屋に聞くのが一番でしょう。

このような神の業が(天罰が)次々にくだりだした時は、その道の専門家に聞くのが一番なのです。

では、その専門家とは誰なのか?ということです。

普通に考えれば、天罰が次々にくだりだした時にどうしたらいいのか聞く人は、坊さんとか霊能者とかいわれる人たちでしょう。

だからそういう人に聞けばいいではないか、と思う人もいるのでしょうが、医者でもそうです。

名医からヤブ医者までたくさんいるのです。

名医に聞けば、自分がなっている病気もすぐに完治するのでしょうが、ヤブ医者に聞くなら、その病気が治らないどころかもっと重くなるかもしれません。

同じ聞くにしても名医に聞かないと意味がないのです。

では、どこに名医がいるのか?ということです。

こういう時の一番の名医は、いわずと知れた釈尊やキリストでしょう。このような方々は正しい人の道を説かれ、多くの奇跡を現し、天罰がくだりそうな人たちを(あるいは下っている人たちを)次々に救われたのです。

その次はこのような如来の弟子たちである菩薩でしょう。

菩薩も法を説いていくつかの霊能力を持ち、多くの人々を救って行かれるのです。(ただ菩薩は如来ほど完璧に法が説けるわけではありません。だから、救える人も限られるのです)

このような神・心の専門家が如来であり菩薩であるのですが、では、現在いる坊さんや霊能者といわれる人たちに、このような方々が果たしているのかどうかということです。

坊さんや霊能者の中に如来や菩薩がいるのなら、その人は名医ということになりますが、如来、菩薩といわれる人がいなかったら、その人たちはヤブ医者ばかりということになります。

では、そういう人がいるのでしょうか?

そういう人を見分ける基準は、このブログの中に何度も書いていますので、あえてここでまたそのことを書くことはしませんが、少なくともです。

少なくとも、このブログを書いている私には如来と同じ現象が現れているのです。(それも何度も書いていますのでここでは書きませんが)

では、こういう時は、その如来と同じ現象が現れている人に聞く方がよいのではないですか?如来と同じ現象が現れているということは、如来と同じことをいっているということになるからです。(同じことをいっているから同じ現象が現れるのです)

こういう時は、現象を見ないといけないのです。口だけを信じては絶対にいけないのです。

口だけでは何とでもいえるからです。(だってそうでしょう。口でなど、どうとでもいえるのです。自分を聖人君子のようにいうことも出来るし、スーパーマンのようにいうことも出来るからです)

しかし、実際にその人は本当に正しい人なのか、ということを見極めないといけないのです。

その人が自分とどれだけ意見があってもです。

その人に災いが起きているのなら、その人の意見は間違っているからです。その人の意見が正しいのであれば、よいことが起きて来ないといけないからです。

悪いことが起きているということは、その人の考え(やっていること)が間違っているというなによりの証拠だからです。(それは仕事でも同じです。正しい仕事の仕方をしていれば儲かるでしょうし、間違った仕事の仕方をしていれば赤字になります。赤字を出している人の意見をいくら聞いたところで、決して自分の会社はよくならないということです)

その人の考えが違っているから、その人に悪いことが起きてきたのですから、その人と自分が同じ考えであるなら、その考えは変えた方がいいということです。

同じ考えのままでは、その人と同じ(悪い)ことが起きてくるからです。(人の振り見て我が振り直せですよね)

結局、悪いことが起きている者同士でどれだけ話し合っても悪いことしか起きて来ないのです。(それは先ほど書いた会社の例と同じです)

その人たちは、よいことが起きる方法を知らないからです。(黒字の出し方を知らないからです)

だから、私はいっているのです。何でもそうですが、その道の専門家に聞かないといけないとです。

このような時代になったのなら(正法の世)もう、神・心の専門家に聞かないといけないのです。

その道の専門家でなければ、このような時代の対処の仕方など分からないと思うからです。

分かるわけがありません。これまでは末法の世であり、唯物無神論の世であったのです。(正法の世になど、ここ数千年〔キリストが出世されて以来〕なったことがありませんから)

物がすべてで、その物(地位、名誉、金など)をたくさん持っている人が偉い人であり、そのような人たちの意見が一番正しいという時代が長く続いたのです。

金持ちが一番幸せだと思われていたからです。

そういう時代が長く続けば、当然、神や心など二の次になり(それどころか日本では神の存在を否定し)正しい心の在り方など分からなくなります。

神や心が二の次ということになれば、当然ではありますが、その神や心の関係の人はヤブが多くなるということです。

そのような人たちの中に本当の神の教えが存在しないからです。

だから、神や心を説く人はヤブが多かったのですが(本当の神の教えが存在しないのですから、それもやむをえないのですが)その中で本物の如来が現れます。(それが高橋信次先生です)

もう時代が変わることが分かっていたからです。その時代に合わせて如来は現れるからです。

では、その如来の系統でないと名医はいないということになります。本物の神の教えはその本物の如来でなければ説けないからです。

本物の神の教えがないところに名医はいません。本物の神の教えを知らないと名医にはなれないからです。

では、名医がいるのは本物の系統だけということになります。(これは当たり前といえば当たり前の話だと思います。本物の教えがないところに本物が出てくるわけがないからです)

だから私のいうことを聞かないといけないといっているのです。私は本物の系統であるからです。(私は高橋先生の弟子である園頭先生の弟子ですから)

そうして、本物の証である、如来と同じ現象(奇跡)も次々に現れているのです。

本物は本物の系統にしか現れないのであり、その証が奇跡であるということです。

だから私はいっているのです。こういう時代になったら、現象で判断しないといけないとです。

現象以外では判断のしようがないからです。

ところが多くの人が現象を見ずに、口で判断してしまったのです。(適当な噂を真に受けたということです)

その結果、この辺りで大変な不幸が起きているのです。

間違った意見を多くの人が信じたためです。

多くの人が間違った意見を信じ、その間違ったことを行ってしまったのです。(私への嫌がらせ)

だから多くの人が不幸になっているのです。その意見が違っているからです。

災いが起きている人の意見をいくら聞いたところで、奇跡は起きてきません。

奇跡が起きている人の意見を聞いて(それを実践して)ようやく奇跡が起きて来るのです。

誰の意見を信じていいのか、まだお分かりになりませんか?

間違った意見をいつまでも聞いていては不幸にしかならないのです。

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4月 03 2016

善人か、それとも偽善者か

何か、昨日も食らっていたようですが、どれだけ天罰を食らえば分かるのでしょう。自分たちが悪いとです。(どこかの会社ですが)

外を歩けば、やたら怒っている人、黙ってしまった人などたくさんいますが、そういう人たちもまだ分からないんでしょうか?

自分たちが悪いとです。だから自分たちに悪いことが起きているのです。

多くの人はこれまでずいぶん悪いことをしてきているのです。

多くの悪いことをしてきているのですから、自分にその天罰がくだるのはある意味当然のことなのですが、その自分の悪に気づかず自分は善人だと思いこみ「何で何も悪いことをしていない自分に悪いことが起きるのか?」となって「だから悪いことが起きたのはお前のせい」ということになってしまうのでしょうが、まったく違います。(よくここまで勘違いが出来ます)

本当の自分は実は善人ではなく悪人であったのです。

それにこれまで気づいていなかっただけなのです。

人の悪口をいったことはありませんか?嘘をついて人を騙したことはないのでしょうか?人に嫌がらせをしたことはありませんか?

そのようなことは皆悪いことなのです。そういうことをしている人は、どれだけ善人のふりをしていても、それは偽善者でしかないのです。

「そんなことは誰でもしている」ではありません。そういうことをしているから天罰を食らうのです。

人の悪口がよいことでしょうか?嘘をついて騙すことが正しいことなのですか?(それ、ことが大きくなったら犯罪ですよ)人に対する嫌がらせはいうまでもないでしょう。(何とかハラスメントとかこれだけ問題になっているのに、平気でこの辺りの人たちは人に嫌がらせをしています。もう犯罪ですね)

小さな悪でも、そういうことを清算しなければいけない時代にすでになっているのです。

そのように時代が変わったから、こういう天罰(激しい天変地変、数々のサイレンや火葬場の一週間待ちなどです)が起きているのです。

だから時代が変わったのなら、早くそのことに気づき、その時代に合わせた心と行いをしないといけないのです。そうしないと不幸になるからです。(それは商売でも何でも同じです。時代が変わったら、その時代に合わせた売り方をしないとやって行けないのです。商売がやって行けなくなれば不幸になります。それと同じなのです)

つまり、二十一世紀は二十世紀より心のレベルを上げないといけないということです。そうしなければ不幸になるのです。

それは起きている現象で判断出来るのです。

ところが、そういう判断が何時までたっても出来ず(責任転嫁ばかりしてますから)同じ心のレベルのままでいるから不幸になる(天罰を食らう)のです。(これが商売なら倒産者続出といったところでしょうか)

もうこの辺り、相当やばい人たちもいるようですが、この辺りだけではなくです。

他の地域も同じでしょう。そういう偽善者が多いから天変地変が激しくなっているのです。

テレビなど見ていると、原発事故が起きた福島などよく映され「頑張ろう、福島」とかいいながら、多くの有名人が福島まで出かけてチャリティーなどしています。

その光景を見るなら大変立派な行為であると思いますが、それは本当の善なる心からやっていることなのでしょうか?

もしかしたら売名行為なのではないでしょうか?

それがどちらかよく分からないのです。

もちろん、善なる心からやっているのなら、本当の善人でありますが、売名行為でやっているのなら、それは偽善者でしかありません。

同じ行為であっても、心の在り方一つで、その行為が善にも悪にもなるということです。

「忙しい有名人が、わざわざ福島まで出かけて行き、そうして福島の人たちのために慈善活動を行っているのだ。それを売名行為とは何事か」と怒る人もいるでしょう。

しかし、私には、どちらかといえば売名行為なのではないかと思うのです。なぜなら、このような人たちは、そのような話題になる方にしか行っていないからです。

話題にならない方はまったく無視しているからです。

そうではないでしょうか?このテレビに出ている有名な人たちはもう私のことを知っている人も多いのです。

それなのに私のことをテレビの前でいった人は一人もいません。そうして布施してくれた人も一人もいないのです。

これは一体どういうことなのでしょう?(皆さん知っていますよね、私のことは)

こういうことをしているから、私は、福島などで有名人が行っているチャリティー活動などは売名行為ではないのか?といっているのです。

無名な者には、誰もはなもひっかけないからです。

例え有名人といえどもです。私のブログを読み、知らないことを知った人もいるでしょう。心が救われた人もいるはずです。奇跡が起きた人までいるのです。

それなのに、誰一人、布施どころかお礼もいわないのです。

こういう極端な態度を取っていて、福島や他の災害の復興の場所に行って「大震災を忘れるな」とか「絆」とかいわれてもこちらも引きます。

そのような人たちはまったくの偽善者にしか見えないからです。

こういう点から見ても、現在はいかに偽善者が多いのかよく分かります。だから災いも多いのです。

本当の善人は分け隔てなく、困っている人には慈悲の心を表すのであり、自分によいことをしてくれた人がいるなら、何らかの報恩の行為は必ず行うものなのです。

人によって、やったりやらなかったりするのはただの偽善者でしかないのです。

自分が偽善者であると気づいている人は少ないのかもしれませんが、これもまた気づかなければいけないことでしょう。

そういうことが罪となっているからです。

そういう悪いことをしているから、仮によいこと(奇跡)が起きても、それが続かないのです。

よいことをしてくれた人に、よいお返しをしようとしないからです。(いってはいけませんが、そういう人ばかりではないでしょうか。〔苦笑〕)

真の善人になってくれる人がこれから増えてくることを望むばかりです。

そのような本当の善人が増えれば増えるだけ災いが減るからです。

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4月 02 2016

本当の教え

昨日はこのブログを書いたすぐ後に、この辺りで地震が起きましたね。(震度3~4の)

その地震が南海トラフ大地震につながるのかどうなのか、専門家がテレビで話していましたがさっぱり分かりませんでした。

つながるかもしれないし、つながらないかもしれない、どちらともとれるようないい方しかしていなかったからです。(ああいういい方なら誰でもできると思うんですが。〔苦笑〕)

要するに分からないということでしょう。

実際分からないと思います。その南海トラフを起こすも起こさないも、そこに住む人たちの心次第だからです。

これからこの法が日本に拡がって行くなら南海トラフは起こらないし、今のような一部の人だけがこの法を実践しているだけで、ほとんどの人が無視するか、じゃまするかしかしないのであれば、南海トラフは起きるということです。

それを教えられたのでしょう。昨日は高橋先生の予言まで明らかにしたからです。

ここまで教えられて、それでも動こうとしないのなら南海トラフを起こすという警告だったのではないでしょうか。ずいぶんこちらでは激しい現象が起き出しているからです。(そうですよね。どこかの会社の皆さん、この辺りの人たち)

昨日書きましたが、どちらにしてもこの数百年の間に地軸が変わるのです。(高橋先生がいわれるには、三百年後〔高橋先生がそういわれてすでに四十年ほどたっています。ということはあと二百六十年以内〕にはもう日本の気候が変わっているのですから、それまでには変わります)

その地軸が変わる時には凄い天変地変が起きると予想されます。

だから、それが今起きても決して不思議ではないということです。どちらにしても、その激しい天変地異はここ数百年(二百六十年以内)のうちに起きることになるからです。

そのすさまじい天変地異から逃れることが出来るも、出来ないも、心次第なのです。だから私はいっているのです。

この法をもっと真剣に勉強しないといけないとです。

それぞれの人々の心が向上する、これ以上のものはないからです。

これだけお蔭が現れているのです。それはこのお蔭だけ見ても分かるはずです。

どれだけ霊験あらたかといわれる場所に行こうと、評判のいいパワースポットに行こうと、また、お蔭があるといわれる仏像に祈ろうと、どれだけお経を上げようと、これだけ多くの人にお蔭が現れることはないのです。(それはこの辺りの人たちだけではなく、このブログを読み奇跡が起きた人たちも含めてです)

そうして、その法を説いている私自身にも次々に奇跡が起きているのです。

説いている人にも奇跡が起き、それを信じ行った人にも奇跡が起き、そうして、それをじゃましてる人たちには次々に災いが起きる。

これだけはっきりお蔭が現れる教えがどこにありますか?世界中さがしたって、これほどお蔭が現れる教えなどないのです。

これほど分かりやすい現象が、これほど多くの人に現れているのに、何でいつまでも逆らい続けているのですか、もっと真剣に勉強しようとしないのでしょう。

まったく意味が分かりませんね。

この教えに逆らったって悪いことが起きるだけなのです。それに他のことをしたところで(例えば間違った信仰を続けたり、訳の分からないパワースポットに行ったところで)この法を実践するほどお蔭が現れることはないのです。(気分くらいは変わるかもしれませんが)

では、そういうことをしているだけ時間の無駄ではないでしょうか。何でそんな無駄なことを何時までも続けているのですか?

いいですか、よく考えてみてください。今、子供が生まれたとします。

キリストがこれから百四十年後にはこの世(アメリカかカナダ)に生まれられるのです。

では、その今、生まれた子の子か孫は確実にキリストに会えるということになるのです。(医学の発達でこれから平均寿命がもっとのびるかもしれません。〔それこそ平均寿命が百歳くらいにです〕そうなれば、子世代の人たちも会えるでしょうし、孫世代の人たちは確実にキリストに会えますね)

自分の子や孫たちは確実にキリストにお会い出来る人が出てくるのに、いつまでも法に逆らったり、他の間違った信仰を続けたりしていてよいのでしょうか?

もうそれが間違っているとはっきり分かっているのにです。

それではキリストにあわせる顔もないでしょう。

キリストも私と同じ、この法を説かれるからです。

キリストがこの世に出て来られる時期も迫っています。

それなのに、いつまでもこの法に逆らっていてはいけないのです。

追伸…私のこの世での最後の仕事をこの前教えられました。

それが、先ほど書きましたキリストが、この世に出世された時に誰が本物のキリストかを証明することだそうです。

私は死ぬ前にあの五大湖の辺りに行き、あの辺りに住んでいる人々に、今この辺りで起きている同じ奇跡を現さなければいけないそうです。

五大湖に住む多くの鳥や魚たちを呼びよせるのです。壮大な奇跡がその時、あの辺りで現れるそうです。

そうして、それを見ているそこに住む人たちに「これから百数十年後に、この地にキリストが生まれます。その方は今の私と同じ奇跡を現し多くの人を癒すでしょう。そのような奇跡を現される人こそ本物のイエス・キリストなのです。決して偽キリストに騙されてはいけないのです」と説くことになるでしょう。

私がこの世を去る前の最後の仕事がそれだそうです。

本物のキリストと偽キリストの見分け方を、その地に住む人たちに教えておくのです。

そうすれば、その人たちが(というか、世界の人たちが)偽キリストに騙されることはないからです。

偽キリストが世を惑わす時代ではもうないからです。

このように天上界では着々とキリストがこの世に誕生する準備が進められています。

しかし、それをするにもこの法が世界に拡がり、そうして多くの人が法を理解しないと何の意味もなくなるのです。

今の名古屋の人たちのように、鳥や魚が寄って来る奇跡をどれだけ現しても「それがどうした」という態度では、私のいうことなどその地の人たちは誰もきかないからです。

そういう意味でも、この法は嫌でも世界に拡げてもらはないといけないのです。そうしなければ、百数十年後に出世されるキリストの証明も出来なくなるからです。

法の流布は今だけではなく、将来にわたっての世界の命運を握っているといっても過言ではないのです。

日本の人たちの大きな使命が少しはお分かりいただけるでしょうか。

法を知っている人々がモタモタしていては、世界の運命が変わるのです。(もちろん悪い方にです)だから、これだけのことが起きているのです。

日本で起きていることは、日本の人たちだけの問題ではないからです。

早く手伝っていただけませんか?

そうしなければ大変なことになるからです。(もうなっている人たちもいるようですが…本当に大丈夫ですか?そのままでです)

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