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2016年9月

9月 30 2016

法則を知らない不幸

今日は前のバカ会社が静かそうなのでブログを書きます。(この一日、二日で何があったのでしょうか?私はいなかったものですからよく分かりません)

それにしても本当にあちこちで怒っています。

昨日、一昨日と朝から出ていたのですが(一昨日は東山動物園、昨日は男子プロゴルフの東海クラシックを観に行きました…どちらも早めに出て来たんですが)不思議と家から離れれば離れるほど静かになり(出て行った辺りでも辻説法はしましたので、その辺りの様子は分かります)家に近づけば近づくほど怒っている人が増えるのです。

何ででしょうか?

私の家から遠い人たちは、少し冷静に見えるから、いま起きていることの異常性が分かり、いくら何でもこれだけの現象が一人の者に出来るはずがないと冷静に理解出来、家から近い人たちは、冷静さがなくなっているため、その起きている現象の異常さが分からず、何でもかんでも悪いことが起きると私のせいにして怒っているからでしょうか?

マァ、こういう考えがどこまで当たっているのか分かりませんが、あたらずと雖(いえど)も遠からずでしょう。

やはり私とよく顔を合わせれば合わせるだけ感情的になる人は多いと思うからです。

感情的になればなるほど、冷静な判断は出来なくなります。冷静な判断が出来なくなるなら、必然的に間違った判断をする人は増えます。

では、遠くの人より、この辺りの人の方が不幸になる人は増えるということになります。そういう間違った判断が不幸を呼んでいるからです。

いい加減、法則を理解していただけないでしょうか。そうすれば、なぜ自分たちに不幸ばかりが起きるのか、それも理解できるからです。

因果応報、善因善果、悪因悪果という法則は絶対なのです。

必ず誰に対しても作用することであり、それは大人から子供までみな同じなのです。年寄りはかわいそうだから作用しないとか、小さな子供はまだ分からないから作用しないとか、そういうことは絶対にありません。

みな一様に正しく作用するのです。(ただし「親の因果が子に報い」ということはあります。そこも正しく知らないといけないのです)

その法則を知っているのならば、自分たちに起きている災いを人のせいにすることもないし、そのような災いが起きたのなら、その災いが自分たちに起きなくなる方法も分かるのですが、その法則を知らないばかりに(または知っていても、それが作用しているとは思わないばかりに)同じような災いが自分たちに何度も起きているのです。

自分たちに災いが起きているのは、自分たちに原因があると理解できないからです。(あるいは理解出来ていても、それを認めたくないという人が多いのかもしれませんが)

いま運転手連中がなぜ次々に病気になっているのか?それはあのサイレンの原因を自分たちがつくったからです。(その理由は何度も書いているので書きませんが)

多くの人を自分たちが病気にしたため、いま自分たちが次々に病気になっているのです。

因果応報です。

では、その周りの人たちもなぜ病気になる人が多いのか?

それは、その運転手連中の口車の乗って、あのサイレンをすべて私のせいと思いこみ、私に少しも感謝せず、怒って嫌がらせを繰り返しているからです。(つまり騙されているということです)

この辺りの多くの人は私の顔を見ると、すぐに嫌がらせをしてきます。そのような怒りの心と行いが、災いを呼んでいるのです。(騙されて悪いことをしていてよいことが起きるわけがありません。早く騙されていることに気づかないといいことは起きてこないのです)

これも因果応報ですが、では、なぜ私が病気もせずにピンピンしているのか?

それは私が誰一人病気になどしていないからです。だから未だに健康でいられるのです。

もし私が誰か一人でも恨みに思い、その人を病気にするよう祈るなら、その祈りは即座に私に返って来て私も病気をしているはずです。(私はよいことも悪いことも返って来るのが早いですから)

しかし、私が未だに病気などしていないのは、私は人を病気にするような祈りなど一度もしていないからです。

これも因果応報なのです。

この法則だけは嘘も隠しも出来ません。必ず正しく現れるのです。(だから、次々に病人が出ている〔だからいつもより静かなんでしょうが〕どこかの会社などいかに自分たちの行いが悪いか分かります。私は人を病気にする祈りなど、ただの一度もしていないからです)

なぜ、私に鳥が寄ってくるような愛ある奇跡が毎日のように起きているのか?

それはそれだけ多くの愛の行為を私は人々に行っているからです。だから、その愛の行為が(人からは愛されませんが)今度は鳥や他の動物から愛されるという愛の行為として返ってきているのです。

その愛の行為とは、もちろん多くの人の心を救っていることです。

私は、このブログを読んでいる人たちだけではなく、私を憎み、嫌がらせをして来ている人たちの心まで救っているのです。

そのような私の評判と辻説法でです。(悪評でも私のことを知るなら心は救われます。〔いくらかでも唯物論から唯心論に変わってです〕また辻説法などは、私に嫌がらせをしてくる人たちにしているのですから、そういう人たちが、そこで自分たちの間違いに気づくということも多々あります。現に私の辻説法を聞いて嫌がらせをやめたという人もたくさんいるからです)

ここまで多くの人の心を唯物論から唯心論に変え、そうして、多くの人がしている間違いも(私に対する嫌がらせ)正しているのです。

これ以上の愛の行為はありません。

だから、動物たちから毎日のように愛される(愛の行為を受ける)という愛の現象が次々に現れているのです。

それだけの愛の行為を私は毎日のように行っているからです。

これもまた因果応報であるのです。

このように、因果応報、善因善果、悪因悪果という法則をよく理解しているのであれば、私になぜよいことばかりが起き、私に嫌がらせをしている人たちに悪いことばかりが起きるのか、それもすぐに理解出来るのです。

ずべて自分たちの行いに原因があるからです。

しかし、多くの人が、この因果応報や善因善果、悪因悪果という法則を知っているにもかかわらず、なぜ不幸になるのか?

それはこういう法則を頭で知っているだけで、甘くみているからです。

こういう法則があることは知っていても、全部が全部、自分にかかってくるわけではないだろうとです。

だから自分には甘く人には厳しくとなるのです。そういう法則を甘くみているからです。

また多くの人は人の悪はよく見えても、自分の悪をよく見ることが出来ません。

そういう甘さが自分たちを不幸にしているのです。自分たちは知らず知らずのうちに多くの悪を犯しているからです。(それとこれくらいのことはいいだろうという考えの甘さからです)

だから、本当は自分に厳しく人には甘くにした方がいいのです。その方が自分は幸せになれるからです。(法則によってです)

このような因果応報、善因善果、悪因悪果という法則も含めてです。

そういう悪の基準、善の基準をよく知らないということが一番の問題なのです。だから、こういう時代(心の時代、自分たちがやったよいことも悪いこともすぐに返ってくる時代)になると悪いことばかりが起きるのです。

正しい心の基準を知らないからです。

だから、表面上だけよい顔をしていればそれでいいだろうとか、これくらいのことはいいだろうとか、この程度のことで何でこんなひどい目に遭わないといけないのだ、などという甘い考えが出てくるのであり、表面上もよければ心もよい、そういう人にならなければいけないし、悪いことは人には絶対にしないという強い心を持たなければいけないし、悪いことをしたら、どんな悪いことが返ってきても仕方がないという潔さを持たなければいけないし、だからよいことをするのであると、そう思い、それを実践しなければいけないし、そういう善の実践が出来ている者だけに奇跡が起きるのです。

だから、そういう善の実践をするのなら、奇跡は起きるのだし、その善の実践が多ければ多いほど奇跡もまた多く現れるということです。

そういう諸々のことを考えればです。これからは心の時代が深まっていくのです。

では、これだけ正しい心の基準が分からない人たちに危険な時代はありません。だからこれだけ危険なことが起きているのです。(この辺りだけではなく、各地で起きる激しい天変地変や不慮の事故や事件など)

正しい心の基準が分かっている人が少ないからです。だからそういう不幸に遭う人が多いのです。

そのような不幸は正しい心をしているのであれば、すべて(すべてです)防げる(逃れる)ことが出来るからです。

心の時代になればなるだけ(心の時代が深まれば深まるだけ)正しい心の基準を知らないといけなくなるのです。

つまり法に帰依しなければ、これからの時代、危なくて仕方がないということです。

それでもまだこの法を無視するのですか?

ずいぶん危ないことが好きなのですね。(苦笑)

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9月 25 2016

正しい判断

今日も日曜日だというのに朝から(でかい音をたてて)怒っている人がいました。

どこかの会社はもちろんですが、本当にそこらじゅうで怒っている人がいますね。昨日も外を歩いていてつくづくそう思いました。(あちこちで怒っているところがありましたから)

昨日など、ある大手の運送会社の近くを歩いていると、その会社の従業員が歩いていました。(その会社の作業服を着ていましたのですぐに分かりました)

「あっ、S運輸の運転手だな」と思っていると、なんと、その従業員が私の顔を見ると凄い顔でにらみつけてくるのです。

凄い怒りようです。

そういう連中は多分(大型トラックの運転手でしょうから)何か起きたから怒っているのではなく、私が最近の辻説法を、あのサイレンの原因の話ばかりしていますので(あのサイレンはバスやトラックの運転手連中がブシュブシュやったのが原因とです)それが気に食わなくて怒っているのでしょう。

本当のことが多くの人に知られると自分たちの立場が悪くなるからです。

しかし、そういう態度には呆れますね。

では、この運転手は本当のことをいわなくてもいいというのでしょうか?

自分たちが判断を間違え(私に嫌がらせなどして)大嘘をついたため(あのサイレンは私のせい)これだけ多くの人が病気をし、また私にも迷惑がかかって、この辺りの状況も(自分たちも含めてです)大変な状況になっているというのにです。

そういう状況はまるで考えず、自分たちの立場ばかりを考え、嘘と分かっているのに、その嘘を認めようとせず、いつまでも嘘をつき通そうとする。(まだ運転手連中は私の顔を見ると平気でブシュブシュやってきますから)

そのような(自分本位な)態度が大きな災いを呼んでいるのです。

もうあのサイレンの原因は自分たちと分かっているのです。早くそれをみなに正直にいって反省されてはどうでしょう。

それ以外、自分たちに起きている災いを止める手立てはないからです。またそれ以外で、この大変な状況を収める手立てもないからです。

多くの人々は、早く自分たちが騙されていることに気づいて(運転手連中にです)神に頭を下げてください。そうすれば(そういう謙虚な心になれば)災いは減り奇跡が起きてくるからです。(大分気づいてきた人が増えてきたようですけどね。私の辻説法でです。だから、さっきの運転手も怒っているのでしょうし)

早く自分たちの間違いに気づいてほしいものですが、そのような騙し、騙されている人たちの話はこれくらいにしましょう。(もう書きすぎていますから)

前回に続いて、もう少し政治のことを書きますが、最近はまた解散総選挙の話題がちらほら聞こえてきているようですが、近いうちにされるでしょうね。解散総選挙はです。(機を見るに敏な安倍総理です。この時期は逃さないでしょう)

次々に外交で成果を上げ、今度は(十二月には)ロシアのプーチン大統領まで来日されるとか。

これで北方領土問題で何らかの進展があり、野党がガタガタしているというのであれば、アメリカの大統領選を考えるなら、近いうちに解散総選挙はしておかないといけません。

もし、アメリカの大統領次第で世界が混乱するようなら(またアメリカの世界に対する影響が段々落ちて行くようなら)そういう最中に解散総選挙などしている場合ではなくなるかもしれないからです。

だから、当然そういう先を見据えた長期政権の準備はしておかなくてはいけないからです。

だから、解散総選挙は近いうちに必ずあると思うのですが、それにしても民進党はひどいですね。

だって二重国籍問題のあった人を平気で代表にしているのですから。(普通の人ならともかく国会議員はまずいでしょう。さらに、そういう問題のある人を党の代表にまでしてしまう。もし、そういう問題のあった人が総理大臣にでもなったら日本はどうなるのでしょう。〔その人は日本か台湾、どちらの総理大臣か分からなくなります〕もう民進党はやることがメチャクチャですね)

こういうバカなことをしていて、解散総選挙になったら民進党は戦えるのですか?(すでにずいぶん党内が揉めているようですが)

それに国会が始まれば新代表のボロも出てくるでしょうし(だってあの人まだ参議院の二期目くらいの人でしょう。経済だけでなく、家庭、教育、安全保障、憲法問題など多義にわたってよく理解されているのでしょうか?まだ二期目くらいの人でです)いくら何でも代表には早すぎると思うんですが、よほど民進党には人がいないのか?と普通の有権者なら思うでしょうね。

これだけ野党第一党が突っ込みどころ満載なら、近いうちに解散総選挙は当然されるでしょう。

国内、国外の情勢を考えるなら、今をスルーしていては解散総選挙の時機を逸すると思われるからです。

どちらにしてもアメリカ大統領が代われば、世界の混乱は拍車がかかると思います。

その根拠は「アメリカは没落する」という高橋先生の予言です。

これからアメリカが没落していくのであれば、当然アメリカの世界に対する影響力はなくなっていきます。だからこれから世界の混乱に拍車がかかると思うのです。

また、もしトランプ氏がアメリカ大統領にでもなれば世界がどうなるのかはまったく分からないのです。(ご本人が政治などやったことがないのですから、トランプ氏自身もやってみなければ分からないのではないでしょうか)

トランプ氏は政治などやったことがないのだから、周りの意見を聞いてそれほどひどいことは(かけ離れたことは)しないだろうと、そうなればいいのですが、もし、そうならなかったらどうなるのでしょう。(ずいぶん我の強そうな方ですし)

私はどうも高橋先生の予言が気になるのです。

これから世界は、もっと混乱すると考えていた方がいいのではないでしょうか。(現在でもイスラム国のテロ問題、中国やロシアの領土、領海問題や北朝鮮問題など、すぐに解決出来そうもない問題が山ほどあるのですから)

このように、これからの世界情勢(もちろん国内事情もありますが)を考えればです。

やはり安定した政権、そのような世界情勢に対応できる政権を日本がつくっておくのは、急務であると思います。

アメリカの新政権の誕生を見極め、それに合わせた安定政権は当然日本はつくらないといけないでしょう。

それが出来るのは(その安定した政権をつくれるのは)今のところ安倍政権しかないと思うのですがどうでしょうか。

また、そのアメリカ新政権後の(アメリカはもちろんですが)他国とのつきあい方は非常に大事になってくると思いますが、そのアメリカ新政権後の他国とのつきあい方もすでに見据えて、安倍総理は動いていられるようにも思えるのです。(特にロシアなど大事でしょう。もしアメリカの影響力が減ってくれば、このアジアで中国、北朝鮮などに大きな影響を与えるのはやはりロシアであるからです。〔北方領土だけではなく〕そういう今後のことも見越して、安倍総理はロシアとの関係を密にしているのではないかと思われるのですが…)

そういう諸々のことを考えるのであれば(少なくともここ数年は)自民党の(安倍総理の)安定政権をつくることが日本にとって一番よいことであると思われるのです。

前回も書きましたが、これからは(より)難しい時代となります。

間違った判断だけはしないようにしたいものです。

(それは人に対してだけではなく、神に対してもそうです)

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9月 22 2016

時代に合った行い

今日は前のバカ会社が休みですね。

お蔭でブログが書けますが、それにしても何なんですかね、あの怒りようはです。必ず昼前後になるとキレだす奴がいて騒ぎだすのです。(昨日など夜の七時過ぎにも急にキレていました)

毎日のように何か起きているんでしょうか?

しかし、毎日何か悪いことが起きるなど、漫画でもあるまいし、そんなことがあるのかと少々不思議ですが、どちらにしてもこの連中はいいこと起きないでしょう。

毎日、法の流布のじゃまをし続けているからです。(それでは災いも出続けるでしょうね)

その悪いことといえば、台風十六号はまた凄かったですね。各地に大きな被害をもたらしました。

この十六号台風、最初鹿児島を直撃したのですが(こちらの愛知県にも来ましたが)その時にずいぶん強い勢力のまま鹿児島を直撃したようで(台風が「非常に強い」勢力で鹿児島に上陸したのは二十三年ぶりとのことですが)鹿児島や宮崎は大変な被害が出ました。

せっかく鹿児島は異常な大雨被害がなくなったと思ったら、またこの台風被害です。(土石流で橋が流されたそうですが)

鹿児島の新しい知事がよけいなことをいうからこういうことになるのです。(原発を止めろとか何とかです)

何度もいいますが、原発をやめるような方向にはいかない方がいいのです。日本はこの原発を何とかしないといけない、そのような使命があるからです。

それにもかかわらず、もんじゅの廃炉を含めた抜本的な見直しをされるとか。

しかし、もんじゅの見直しをされても、核燃料サイクルは続けられ、また新たな高速炉をつくる話も進められるとか。

そうであるなら、今度こそ核燃料サイクルが本当に出来る、本腰を入れた高速炉をつくっていただきたいものです。

核燃料サイクルは人類の本当の夢であるからです。これがもし出来るのであれば、核廃棄物の問題も大きく前進するからです。

だから、人類の夢なのではなく、絶対に核燃料サイクルはやらなければいけないことなのです。核廃棄物の問題はこのままでは人類の大きな負の遺産にしかならないからです。

核廃棄物を何とかすることは、原発をつくりだし我々の責任であるのです。だから石にかじりついても、何らかのメドは(私たちの世代で)つけないといけないのです。

だから核燃料サイクルを途中でやめるわけにはいかないのです。(だから、技術的に無理だからやめろでは、少々無責任なのではないでしょうか。今度の高速炉は「舎利弗」〔しゃりほつ〕という名前にされてはどうでしょう。舎利弗は釈尊の弟子の中ではナンバーワンであった方であるからです。もんじゅやフゲンなどはダメ弟子の代表でしかなかったからです。〔仏典などに書かれてあるもんじゅやフゲンなどの活躍は間違いです〕だから名前が悪かったと思うのです。そんなもんじゅなどの〔ダメ弟子の〕名前では天からの導きは得られないからです。しかし、智慧第一の舎利弗の名前の高速炉であるならば、その舎利弗の智慧が確実に降りてきます。その舎利弗の智慧と合わせるなら、あるいは高速炉も今度こそ成功するように思えるからです。どちらにしてもこのような大きな事業は天の力を借りないと成功しないのです)

そういう難問も国内は山積していますが、それは世界を見ても同じで、このような時にアメリカの大統領選が行われます。(十一月でしたから、再来月ですね)

そのアメリカの大統領選が、世界の難問をまた増やすことになりはしないかと心配でなりませんね。

なにせ、どちらの方が大統領になるのか、まったく分からない状態であるからです。(分からないでしょう。候補者のお二人ともいろいろ問題が続出中ですから。まだこれから出るかもしれないし)

しかし、どちらにしてもです。どちらの方がなられてもアメリカの世界への影響力が減って行くのは自明でしょう。

片方の方は、まったく世界の安全保障など関係のない方であり(アメリカがよければそれでいいという感じですから)もう一方の女性の方も口ではアジアの安全保障など重視されているようですが、どこまでそれが本当か分からない方であるからです。(嘘つきなどともいわれているようですし)

どちらにしても、片方の方は政治経験がない方であり(ということは、もしそういう人が大統領になったら何をするか分からないということですよね。あの民主党が政権を取った時の日本を考えてみてください。民主党の人たちはみな政治家です。〔しかも政治経験が豊富な人もいたのです〕しかし、初めて政権を取ったらてんでダメだったのです。では、政治経験のない方が世界のリーダーであるアメリカの大統領になったら、一体世界はどうなるのでしょう。まったく予想がつきません。本当に漫画のような話です)もう一方の方は初の女性大統領となられる方なのです。

では、どちも初なのですから、どちらにせよ、なってみないと分からないということになります。

では、アメリカの世界の影響力が増えるか減るかも分からないということになりますが、マァ、混乱することだけは確かでしょう。

初物がそうもうまくいくはずがないからです。

では、今度アメリカ大統領が代われば、世界の混乱は確実に増すということになりますが、そういう時に日本はどうすればいいのかということになります。

今自民党など総裁任期の延長論が出て来ているようですが、自民党内のことはともかくです。日本のことを考えればです。

これから世界が混乱することは目に見えているのですから、こういう世界の混乱期に一番大事なことはなにかということになります。

それは外交でしょうね。

こんな時に、どれだけ経済的に豊かになったところで、混乱に乗じて外国にその富を取られてしまっては意味がないからです。(もし、大統領が代わって沖縄からアメリカ兵が引いたら〔男性の方がアメリカ大統領になったらそれをしかねませんから〕尖閣を中国に取られかねません。〔下手すれば沖縄もです〕そうなったら、日本国内でどれだけ儲けようと、ざるで水を汲んでいるようなものですから)

では、その外交がうまい人は誰かということになります。その外交が一番うまい人が自民党の総裁(ということは日本の総理大臣ということですから)になっていなければ、これからの世界情勢を考えるなら、日本が危なくなるということです。

なにせ、日本の周辺にはやばい国がたくさんあるからです。(中国、北朝鮮、ロシアなどなど)

それを考えるなら、この先(次のアメリカ大統領のことも考えれば)少なくとも数年はです。その外交の一番うまい人が自民党の総裁になっていなければいけないということになります。

それが日本にとって一番よいことであるからです。

安倍総理の外交は出色の様に思えますが、他によい人がいるのなら、その人が総裁になってもらえればいいのです。

そうしないとこれからの日本が危ないからです。

これから世界は難しい局面に入ります。

そうであるなら、適材適所、その時代に合った人が日本の総理大臣になられることが、日本にとって一番よいことであると思います。

しかし、何をするにもです。「時代に合った行い」それが一番大事なことであると思います。

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9月 19 2016

神に逆らうのか、それとも従うのか

それにしても多いですね。怒っている人がです。(今日も朝からやたら怒っている人がいましたし)

どこかの会社の連中も毎日のように急にキレて大騒ぎを始めるのです。(今日は休みだからブログを書いていますが)一体、何をそんなに怒ることがあるのでしょう。

私からすれば不思議で仕方ないですね。私の周りに起きることといえばです。愛らしい現象しか起きないからです。(愛らしい現象が起きて怒ることはないですから)

といっても、その愛らしい現象は人は関係ありません。みな他の動物が起こすことばかりですが(苦笑)一体全体怒るような現象ってどんな現象なんでしょう?

そんな現象、私には起きたことがないので分かりませんが(人に怒るようなことをされるということはよくありますが。〔笑〕)それもこれも心と行いの違いでしょう。

その心と行いが違うから起きることが違うのです。

私に怒っている人たちは皆です。私に多かれ少なかれ心が救われているのです。

しかし、誰一人、私にその恩を返した人はいません。

受けた恩をまったく返そうとせず、また、その恩のお返しをしたとしても、それを仇で返しているようではよいことが起きるわけがありません。

だから、私に対し怒っている人は悪いことが起きているのです。受けた恩をしっかり恩で返そうとしないからです。

私が多くの人を病気にしているなど、デマ以外の何ものでもないのです。

因果応報、善因善果、悪因悪果という法則を知るなら、それは分かるはずです。私が人を病気になどしているのであれば、もうとっくに私は病気をしていなければいけません。(私はずいぶん多くの人を病気にしているようですから)

しかし、病気をするどころか、私には奇跡ばかりが起きているのです。

この起きている奇跡こそ、私が何も悪いことをしていない、普通の人以上によいことをしているという何よりの証拠なのです。(この起きて来る現象ばかりは嘘もごまかしも出来ませんから。それともこの辺りの人たちは善因悪果、悪因善果などという法則があるとでもいうのでしょうか?もし、そんなことをいう人がいるのなら勝手に法則をつくるなといいたいです。そういうのを屁理屈というのです)

よく考えてみてください。未だに起きているサイレンでもそうです。

何度も書いているように、あのサイレンは運転手連中が私に対しブシュブシュやり始めてから始まったのです。

私がまだ多くの人に知られる前には、こんなにサイレンなどしていなかったのです。

しかし、私は(多くの人に名前が知られる前から)祈りもし、同じようなブログを書き続けていました。

私は昔も今も同じことをしかしていないのに、途中から急にこのようなサイレンがするようになったのです。

その始まりが、私の名前が多くの人に知られ始めた頃でした。

バスやトラック(電車)の運転手連中が、急に私の顔を見るとブシュブシュ嫌がらせを始めたのです。(私のブログが気に食わなかったのか、やっていることが気に食わなかったのか、それは知りませんが)

それからです。この恐ろしいサイレンが始まったのはです。そうして、このサイレンは段々増えていったのです。

では、何でこのような恐ろしい現象が(次々に人が病気になり救急車で運ばれるということが)起き出したのでしょう。

その理由は何でしょうか?

よく考えてみてください。私の名前が拡がり始めた頃ということは、多くの人たちの心が救われ始めた頃ということです。(私の名前が拡がると同時に曲がりなりにも法も拡がり、多くの人の心が救われたからです)

ということは、これから多くの人の心が救われようとしているその時に、その多くの人の心を救おうとしている者を、この運転手たちは潰そうとしたのです。(よってたかって私に嫌がらせをしてです)

これだけ天を怒らせる行為があるのでしょうか?これだけ罰当たりな行為があるのでしょうか?

私の名前が拡がれば拡がるほど、多くの人の心が救われるというのにです。

だから始まったのです。このような恐ろしい現象がです。

それだけこの運転手たちは天を怒らせたということです。そうでなければ、これほどの現象を天から現されるはずがないからです。(これほどの現象を人が出来ると思いますか?この現象は人の業なのではなく天の業なのです。人がこれほどのことをやれるはずがないからです)

この運転手連中がやっている行為が、どれだけ天を怒らせたのか?

それは、その後のこの現象の拡がりを知るなら分かるはずです。

最初、この辺りで起き出した多くのサイレンは、その後、名古屋中に、愛知県中に、そうして東海三県中に広がり、現在はどの程度広がっているのか分からないほどなのです。

これほどの恐ろしい現象が、これだけの広がりを見せているということは、それだけの悪の行為を(それだけの天を怒らせる行為を)多くの人々が行っているということです。

だからこれだけの神の業が(天罰が)現在現されているのです。それだけの神を怒らせる行為をこの辺りの人たちが行っているからです。

そうでなければ、これだけの神の業がこの辺りに現れるはずがないのです。

そのそれだけの悪の行為とは(神を怒らせる行為とは)運転手連中のブシュブシュだけではありません。その運転手連中に騙され、このサイレンをすべて私のせいにして、そこら中の人が私に嫌がらせをするようになった、その行為も含めてです。

そのような行為自体が(いくら騙されている人が多いとはいえです)大変な悪なのです。(大変神を怒らせているのです)

その大変な悪をすでにもう東海三県の多くの人たちが私に行っているのです。だから、それだけ恐ろしい現象も広がったのです。

それだけ多くの人が間違った噂を信じ、大きな悪を(神を怒らせる行為を)平気で行い続けているからです。

いい加減気づいてください。自分たちの間違いをです。自分たちがどれだけ神を怒らせているのかということをです。

よほど神を怒らせていなければ、これだけの現象がこの辺りに現れるわけがないのです。この辺りに現れている現象は世界のどこにも起こり得ない現象であるからです。(こんなに次々に人が救急車で運ばれるなど、戦争でも起きていない限り起こり得ないでしょう)

その大きな悪の原因をつくった運転手たちは次々に病気になっています。(それはやたら怒っている態度や、急に静かになってしまった態度で分かります)

この連中は自分たちも心が救われているくせに、それに少しも感謝せず、私に自分たちの罪を全部かぶせ、未だに間違った噂を流し続け、まだ私に嫌がらせをし続けているのです。

このような(無反省な)態度が大いに天を(神を)怒らせ自分たちを病気にしているのです。(だからこの運転手連中は、これからまだドンドン病気になって行きます。私に嫌がらせをしているだけではなく、多くの人を騙してもいるからです。自分たちの罪を全部私にかぶせてです)

この辺りは世界でも起きえない神の業が現れているのです。それほどの業を現した原因は何なのか?それをしっかり知らないといけないのです。

この辺りの人たちは、それだけ大きな悪を犯し神を怒らせたということです。

ではなぜ、これほど神が怒り世界でも起きえない神の業がこの辺りに現れているのか?

それは、この場所に唯一の本当の神の教えが存在するからです。

その唯一の本当の神の教えが存在するのに、その教えの有難さが分からず、都合のいいところだけは聞き(だからこの教えを聞いた分は心が救われているはずです)後は聞かずに、感謝もせず、人の噂を簡単に信じて、その唯一の神の教えを説いている者を悪人と思いこみ、嫌がらせをし続けている、これだけの悪もないのです。

そうして、これだけ神を怒らせる行為もないのです。

だから、騙した人、騙された人に関わらず、悪いことが起きているのです。

これほどの悪を犯させる騙す方も悪いが、騙される方も悪いからです。(それほど罪が大きいということです)

私に嫌がらせをし続けているのなら災いしか起きません。(現にそうでしょう)しかし、私に協力するのであれば(それは、この法に従うということになりますので。それは即ち神に従うということになりますので)自ずと奇跡は起きてきます。

この私が唯一、その本当の神の教えを説いている者であるからです。(それは私の周りに起きている愛ある現象を見れば分かるはずです。それをいつまでも認めないからいけないのです)

いい加減目を覚まし、この教えに従いませんか?そうすれば(自分ばかりでなく)これだけ災いばかりが起きている世の中まで救うことが出来るからです。

神に従うのか、それとも逆らい続けるのか、その判断次第で、その後の人生は大きく変わるのです。

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9月 18 2016

愛を持つことの大事さ

二日ほど前の話ですが、女子プロゴルフのトーナメント(マンシングウェアレディース)を観に行ってきました。

しかし、相変わらずあちこちで怒っている人がたくさんいます。(本当に何年たっても変わりません)

そういう態度の人たちに、こちらは辟易(へきえき)しているものですから、昼頃トーナメント会場を出て近くにある野間の海に行ったのですが、そこではまた不思議なことが起きました。(これもまた恒例ですね。〔笑〕)

海岸につくと私はコンビニで買ったおにぎりを食べ始めたのですが、近くにカモメの集団がいました。(たしか二~三十羽いたと思います)

その集団が、私が近くにいたからかどうか分かりませんが(多分私が近くにいたからでしょう)大騒ぎを始めたのです。(その中の半数くらいのカモメがです。後の半分は知らん顔をしていたようですが、そのギャップがまた面白かったです。〔苦笑〕)

ギャーギャー鳴き始めるもの、水面で堀川のカモメたちのようにバシャバシャし始めるもの、近くを飛び回っているものと、にぎやかなものです。

「お前ら少し静かにしろ」と声をかけながらおにぎりを食べていました。

しばらく、そのカモメたちを眺(なが)めながらおにぎりを食べていたのですが、ふっと目の前の波打ち際を見て驚きました。

なんとそこに、また小魚が来ていてバシャバシャやっていたからです。

いつからいたのか気づきませんでしたが「……?何やってんのこいつら、すぐそこにあれだけカモメがいるのに」と私は少し呆然として、その小魚たちを見ていました。

少し離れたところにたくさんのカモメたちがいるのです。(また近くにサギも二、三羽いました)それにもかかわらず、この小魚たちは平気で波打ち際まで泳いできてそこでバシャバシャやっているのです。

私は驚いて、おにぎりを持ったままで「お前らこんなところにいると危ないぞ。早く沖に帰れ」と近くまで行って小魚たちを追っ払おうとしましたが、その小魚たちは私が近くまで行くと、逃げるどころか嬉しそうに泳ぎ回っています。

何度追っ払おうとしても逃げて行かないのです。

「困ったな」と思っていると、少し離れた場所ではカモメたちがまだ大騒ぎしています。

私が近くにいればカモメも寄って来ないだろうと、そこでおにぎりを食べ少し休んでいましたが、小魚たちは逃げるどころか段々数が増えて来ました。(最初は小さな一団が波打ち際で騒いでいただけでしたが、そのような集団が、あちこちに出来はじめ、最初にいた小魚たちの集団の数も知らぬ間に増えていました)

それでしばらくはそこにいましたが、あまり小魚たちが寄ってくると、さすがにカモメたちもこちらに飛んできかねないので(だって、魚をとっている漁師の回りなどカモメたちがたかっていますからね。餌がそこにあれば人がいようがいまいがカモメたちは飛んできます)私は「お前らまたな」とその小魚たちやカモメたちにいって、その場を離れました。

私があそこにいつまでもいては、小魚たちがどれだけ波打ち際まで寄ってくるか分からなかったからです。

しかし、私はあまりの違いに愕然(がくぜん)としました。

何の違いに愕然としたのかといえば、その海にいた魚やカモメたちと、先ほどのトーナメント会場にいた人たちとの心の違いにです。

一方は、私が悪いことをやっていると信じ込んで怒って嫌がらせばかりして来るのに対し、もう一方は、なんと自分たちの命が危険にさらされていても、それでも私の近くまで喜んで寄ってくるのです。

これだけやることが違っていては、それは愕然とします。

あまりにその心が違っているからです。

動物たちは法の偉大さを理解しているから命を懸けても私の近くに寄ってくるのであり、人間たちは、この法の偉大さが理解出来ないから、いつまでたっても多くの人が私に対し怒っているのです。

そうして協力しようともしないのです。

法の偉大さが分からないからです。

法の偉大さが分かるのであれば、率先して私に協力するでしょうし、私が悪者か、それとも普通の人以上の善人かは分かるのです。(だから動物たちは命懸けで私の近くに来るのでありますし)

しかし、それがいつまでたっても分からない、これこそ法が理解出来ない、典型的な例なのであり、だから不幸が続くのです。

では、何で今いる人たちは法をいつまでたっても理解出来ないのでしょう。その理由は何か?ということですが、それはやはり愛がないからでしょう。

愛がない人に法は理解出来ないのです。

最近の多くの人の狭量さは目に余るものがあります。

例えば、子供がうるさいので保育園をつくるなとか、最近は風鈴の音さえうるさく感じる人も多いとか。

昔は自分も同じように周りに迷惑をかけ世話になったはずなのに、そんなことはなかったかのように振る舞い、風流と思えるようなことまでうるさいと感じてしまう。

昔では考えられないことですが、それだけ最近の人は狭量になり愛がなくなったということです。

こういう事例は、その典型であると思うからです。

これでは法は理解出来ないのです。心があまりに狭く小さくなっているからです。

法はその心を広く大きくするものです。あまりに心が狭く小さくなっている人たちばかりでは、その法の偉大さを理解出来ないのは至極当然のことであり、だからたくさんの不幸が起きているのです。

そういう法を理解出来ない、狭く小さな心は多くの不幸を呼ぶからです。

愛を持とうとしないから不幸になるのです。愛があるなら、そんな不幸は寄ってこないのです。

愛は不幸を遠ざけ、幸福を呼ぶからです。

少し愛を持つなら、自分たちがお世話になり、自分たちも迷惑をかけた保育園をつくるな、などとは決して思わないはずです。

自分も過去同じことをしてきたからです。同じように小さい時は周りに迷惑をかけ、周りに世話になってきたからです。

では、お互いさまという心は当然あるはずです。

しかし、そういう心がまるで出てこない、これこそ愛がない証拠なのです。

しかし、結局、そのような愛のない心は損なのです。そのような心が回り回って自分に返ってくるからです。

愛のないことをしていると、愛のない人生しか送れないのであり、愛のない人生しか送れないのであれば、結局その人は不幸な人生であったということになるのです。

愛のない人生など不幸以外の何ものでもないからです。

少し心を広げ愛を持たれてはどうでしょう。そうすれば、その愛が自分に返って来て、幸福な人生を歩むことが出来るからです。

(その究極の愛が先ほどの命を懸けても近くに寄ってくるという魚たちの愛であり、その対極にあるのが、命を懸けても神に逆らうという、この法の流布をじゃましている人たちです。毎日のように悪いことが起きているようですが〔何か本当に凄そうです〕いつまでそんなことを続けるのですか?本当に滅ぼされますよ)

追伸…2018年のNHKの大河ドラマが「西郷(せご)どん」に決まったそうですね。

私が尊敬する西郷さんが大河ドラマの主役ということになると本当に楽しみなのですが、今回は女性の方が脚本を手掛けるとのこと。

そうであるなら女性ならではの視点で、西郷さんの深い愛をぜひ多くの視聴者に伝えてほしいものです。

西郷さんは人以上に愛深い、慈悲深い方であり、天を思いながら行動された方です。(その西郷さんの心は「敬天愛人」を知るなら分かります)

それをより深く伝えてほしいのです。

女性はそのような愛の深さを伝えるにはうってつけであると思うからです。(男では、なかなか西郷さんの愛深さまでは伝えることが出来ないと思いますから)

この愛がなくなった世の中に西郷さんの広く深い愛を伝えることは、まさに時代に即したドラマであると思います。

それを思うなら再来年のNHKの大河ドラマは本当に楽しみですね。

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