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2016年10月

10月 23 2016

なぜ多死社会となったのか

前のバカ会社の最近の態度は本当におかしいです。

朝はいつものようにガチャガチャやりだすんですが、途中で静かになります。そうして中でやたら怒っている者がいるのです。

ああいう態度を見ていて思うんですが、多分、次から次へと災いが起きてきて、こちらに嫌がらせをしたくても出来ないのではないでしょうか。(また何か起きはしないかとヒヤヒヤでです)

だから、途中で静かになるのでしょうが、それならもう嫌がらせをやめておけばいいのに、その嫌がらせだけは意地になってやっているのです。

本当に哀れなものです。それでは災いは止まらないからです。

それにしても相変わらずの視野の狭さです。自分たちがやっていることがどれだけ危ないことなのか、未だに分かっていないからです。

だってもうこういう危ない現象は、この辺りだけではなく日本中で起きているのです。(起きているはずです)

それをちっとも理解していないから、相変わらず視野が狭いといっているのです。

そういう危ない現象は何も天変地変だけではありません。この辺りで起きているようなことと同じような災いが(多くの人が病気となり死んでいく)あちこちでも起きているということです。

そうでなければ、日本が多死社会になるなどおかしいからです。

現在の日本は、年間の死者数が2011年には百二十万人を超え、去年(2015年)は百三十万人を超えました。

今年はもっと増える予想が出ています。

毎年亡くなる人が数万人単位で〔今年はもっと多いかもしれませんが〕増え続けるなど、どう考えてもおかしいのです。

それに、その亡くなっている人の多くが天変地変で亡くなっているわけでも(東日本大震災級の大災害が起きれば別ですが〔あれほどの大災害が起きれば数万の人が一変に亡くなるということもありますから〕そうでなければ、そんなに多くの人が一変に亡くなるということはありません)交通事故や事件などで亡くなっているということでもないのです。(そんな事件や事故で数万単位の人がよけいに死ぬなどありえないからです)

では、なんで毎年、毎年、数万単位の人がよけいに死んでいくのか?ということになります。

日本はペストか何か、おかしな伝染病でも流行っているのでしょうか?もちろん、そういうこともありません。

ではなぜ、これだけ多くの人が毎年よけいに亡くなっているのでしょう?

だから私は、この辺りで起きていることと同じようなことが日本全国で起きている、といっているのです。

こういうことはニュースになどなりません。(よほど何か一つの病気が固まって出るようなら話は別でしょうが)だから皆が知らないだけなのであって、この辺りで起きているようなことなど(多くの人が次々に不治の病にかかり亡くなる)もう全国で起きているのです。

そうでなければ、これだけ多くの人が毎年よけいに死んでいくなど考えられないからです。

このような現象を、この辺りの人たちは私のせいにして騒いでいるから、何かこの辺りだけ特別、そのような人が(私のせいで不治の病になる人が)多いように思っていますが、何のことはない、こんなことはもうどこでも起きているのです。

そうでなければ、多死社会になるわけがないからです。(火葬場の三日待ちや一週間待ちなど、もうそこら中で起きているそうです。それだけ亡くなる人が多いからです)

それなのに、この辺りの人はそのような不幸をすべて私のせいにして怒っているだけなのです。

どれだけ愚かなのでしょう。

もう日本全体を見れば、このような不幸なことはそこら中で起きていると分かるはずなのにです。

その怒っている人たちは、なぜこんなことが起きているのか(毎年死者数が増えているのか)分からないんでしょうが(マァ、分からないのは、そのような人たちばかりではないのでしょうが)しかし、私はこういうことが起きるということをもう何年も前からいっていました。(ここに書いていました)

そのいった通りのことが起きているだけなのです。すでに時代は変わっているからです。(末法の世から正法の世にです)

末法の心のままの人は正法の世にいられないのです。心が時代に合わないため、そのような人は病気をしたり、事故などしたりして、あの世に引き上げられてしまうからです。

だから、死ぬ人が増えているのです。(老若男女問わずです)ほとんどの人が、まだ末法の心のままでいるからです。

だから私は「法を知らないといけない」「法を基準としないといけない」と、くどいくらいいっているのです。

そうしないと(正しい心の基準を知らないと)もうどういう悪いことが起きるのか分からない時代になっているからです。(それも命に関わるです)

その時代が変わって起きてきている現象を、この辺りの人たちはみな私のせいにしていますが、それがどれだけ愚かな行為なのかは日本全体を見るならば分かるはずです。

この法こそ、正法の世の心、そのものであるのです。

もう現実逃避していても危ないだけなのです。実際に不幸なことが次々に(ニュースにならないので知らないだけで)起きているからです。

帰依されてはどうでしょうか?この教えにです。

それが一番の安心、安全の道であり、幸せの道であるからです。

不幸が起きてからやる人は智慧のない人です。

不幸が起きても、それでもやろうとしない人は愚かな人です。

不幸が起きる前に、これこそ幸せの道であると悟り、やる人こそ智慧ある人なのです。

次々に不幸が起きています。

この教えに帰依することこそ唯一の救われる道であるのです。

追伸…今日の朝方、また不思議な夢を観ました。(というか懐かしい夢ですね)

その夢とは次のようなものでした。

私が自宅で一人で何か資料を読んでいました。ふと時間を見るともう会社に行かなければいけない時間を過ぎています。

これは遅刻すると、急いで家を出るのですが、出る時に家の門にカギをかけて行こうとすると、家の中から誰か出て来て、そのかけたばかりのカギをガチャガチャ外そうとしていました。

誰か家の中にいたかと思い、振り返ると、なんとそのカギを外そうとしていたのは亡くなった父であったのです。

「あれ、何で親父がいるの?」と不思議に思い「待て、待て、俺があけてやるから」と門のカギをあけていると、家の中から母と妹も出てきます。

そうして、父と一緒に散歩に行くというのですが、よく見ると、父も母も、そうして妹もずいぶん若いのです。(二~三十歳くらい若く見えました)

私は「ずいぶん若いな」と思って門から出て行く三人を見ていましたが、それで行こうとすると、今度は家の玄関のドアがあいています。

中をのぞくと、婆ちゃんと親戚のオバちゃん二人がいました。(もう亡くなっている人たちばかりです)

これは久しぶりだなと思い、家に入っていって親戚のオバちゃんに「オバちゃん元気」と聞くと、三人は怪訝(けげん)な顔をして「元気だよ」といいます。(どうも私は、先ほどまでここにいたという設定になっているようです。〔笑〕)

それで家の中を見回すと家の中もきれいになっていて(家も三十年ほど前くらいのつくりになっていました)前に飼っていた犬までいました。(その犬はずいぶん前に飼っていた犬でしたけどね)

「あれ、お前もいるのか」と、私はその犬に話しかけ、嬉しかったので、その犬をさわりまくっているところで目が覚めたのですが、ずいぶん懐かしい夢を観たものです。

父も母も妹も婆ちゃんまでみな若く、ずいぶん前に死んだ犬まで出てきました。

この夢にどういう意味があるのかよく分かりませんが、よいことをしていると、よい夢も(懐かしい夢も)観せてくれるということでしょうか?

昨日書いたブログに、天上界にいる光の天使はいろいろな力を持った天使がいると書いたからです。(だから、高橋先生のような夢を操る能力を持った天使もいるのでしょう。それを証明してくれたのではないでしょうか)

とにかく法を勉強していれば、このような不思議な夢も頻繁に観ることがあります。そうして、そのような夢の中でも教えられるのです。(このような死んだ人のこととか、先に起きることとか、これからこうするとよいということなどです)

法を真剣に勉強されてはどうでしょう。

それが神の子の人間として正しい道であるからです。

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10月 22 2016

本当の原因

鳥取で震度6の地震が起きました。

その後、震度1~3クラスの地震が続いているようですが、大きな地震がまた起きましたね。

今年は熊本地震もありました。だから、地震と聞くとまたかとちょっとゾッとするんですが(あとからもっと大きな地震が来るかもしれないし〔何ですかね、あの前震とか本震とかはです。熊本地震の時、初めて聞きましたが〕小さな余震が止まらない状況では生活もまともに出来なくなりますし)それにしても多いですね。

このような天変地変がです。

北海道はたくさんの初雪が降り(北海道の人が、これだけ初雪がたくさん降ったのは初めてだとかいっていましたが)また荒れた天気になっているようですし、九州南部など今日は大雨が降る予報が出ています。

こういう天変地変が、今年は必ず日本のどこかで起きているような気がして、何か悪いことが起きっぱなしのような気がするんですが気のせいでしょうか?

そうでもないでしょう。実際に起きていると思います。こういう不幸な現象が各地でです。

温暖化だの、日本は地震大国だから仕方がないだのいっていたところで、それでこの現象が収まるわけではありませんし、何でも責任転嫁していたところで、それでこういう問題が解決出来るわけでもありません。

そうではないのです。何でもそうなのです。必ずどこかに原因があるのです。

だからその本当の原因を知らないといけないのです。

その本当の原因を知らないため、このような悪いことが連続して起きているからです。

今年など、これだけ大きな地震が立て続けに起きたり、日照りで水不足になったり、そうかと思えばぐずついた天気が続いたり、あるいは台風が急に日本近海で発生して、それがボンボン日本を直撃したりと何か起きていることが不自然なのです。(悪いことが起きすぎています)

もうこういう時代になったのです。そのような皆さんの心が現れる時代にです。

これだけ悪いことが続くのは多くの人々の心に原因があるのです。

学者はよく地震プレートの上で地震が起きているといいますが(その地震プレートが震源となってです)今回の鳥取などプレートの上でもなんでもなく、まったく関係ないところが震源となり起きているのです。

では、学者のいうプレートを震源としなくても地震は起きるということになります。その理由を学者はいろいろいうのでしょうが(学者はそういう知識はたくさんありますから。起きた後ではいくらでも理由はつけられます)はっきりいって地震はどこで起きるのか分からないのです。

簡単にいうなら、地震が起きるも、起きないも、すべて、天のエネルギーが、その地にかかるか、かからないか、その違いなだけであるからです。

考えてみてください。よく学者は地震プレートがこの大地震で片方に寄ってしまったので、そのプレートに戻る力が加わって、いつかはまたそこで地震が起きる、などということを平気でいいますが、一見聞くともっともらしいのですが、しかし、よく考えてみるとおかしなことをいっています。

おかしくはないでしょうか?だって、プレートがひとりでに動くようなそんな言い方を学者はしているからです。

地面は鉱物なのです。

鉱物が自分の力で動くということはありません。つまり鉱物が片方にずれたらずれたままでないとけないはずなのに、その鉱物がまた元あった位置に戻るというのです。

何か鉱物が自力で動くような言い方をしています。

だからおかしいのではないですか、といっているのですが、別に私は、学者にそういうなん癖をつけたいのではなく、もう少し学者の意見も疑って聞いた方がいいといっているだけなのです。

鉱物は自力では動きません。鉱物が動くのなら、その鉱物が動くだけのエネルギーが、その鉱物にかからないといけないのです。

私が何がいいたいのかといえば、たとえ地震プレートが大きな地震でずれたとしても、そのプレートに大きなエネルギーがかからない限りは、そのプレートは動くことはない(そのプレートが戻ることはない)ということです。

では、その大きなエネルギーとは何かということです。

それを学者は、他の場所がこうなるからかかるだのなんだのいいますが、そういう連動した力はかかるにせよ、そのプレートを動かす元々の力は天からかかっているのです。

だから、プレートが動くのです。そのような天のエネルギーがプレートにかかってです。

私が祈るといろいろ奇跡的なことが起きると書いていますが、私が祈ると、そういう不思議な現象が現れることは知っている人も多いと思います。(前は天気さえも変えたことがありますから)

何でこんなことが起きると思いますか?

それは私の祈りが天に通じ、その天に通じた祈りを天がきいてくださり(そういう力を持った光の天使たちがです)そうして天のエネルギーが(光の天使のそれぞれの力がです)この世に降りて来て、それでそういう不思議だと思える現象が起きるわけです。

祈って不思議なことが起きる、そのすべての原因は全部天からのエネルギーにあるのです。

つまり、天からエネルギーが降りてくれば不思議なことが起きるし、天からエネルギーが降りて来なければ何も起きないということなのです。

私の祈りも、いま起きている自然現象も同じなのです。

災いが起きているところは、その人たちの心が天に通じ(天がその人たちの心を観て)そのようなエネルギーを天から降ろされているのであり、今回の鳥取の地震などもそうですが、鳥取はもう前から小さな地震が続いており数日前から地鳴りまでしていたそうですね。

だから近いうちに大きな地震があると、その辺りの人たちは予想していたそうですが、そうではないのです。

そういう地震の兆候があったのなら、その辺りに住んでいる人たちは心を変えないといけなかったのです。(もちろんよい方にです)

そうすれば、その地震は起きなかったのです。

そのような地震の兆候は、天がその辺りの人の心を変えなさいといっている警告であったからです。

だから、その辺りの人たちが自分たちの心の悪いところを反省し、もっと愛を出すのなら、その地震の兆候は段々収まって行ったのです。

その地震は、その辺りの人たちの反省を促すために起こされることであるからです。(そういう大きな地震が起きれば、周りの人たちにいろいろお世話になります。その時に愛の大事さに気づくとかです)

ところが誰もそういうことに気づかず、心はそのままに大きな地震が起きるのではないかという心配だけしていた。

これではその大きな地震は起きるのです。

だから心の在り方が大事なのです。その心が基準となって、このようなすべての現象は起きているからです。

学者がいう意見より、私がいう意見の方を信じられてはどうでしょう。私は、その地震学者がいう地震も、気象庁が予報を出している大雨も祈りで現したことがあるからです。

では、そのような天変地変もすべて祈りで(心で)何とかなるという証明を私はしていることになり、そうであるなら、私のいうことを信じた方がいいのではないでしょうか。

そういう証明をしている私のいっていることの方が正しいと思うからです。

すべてこの世に現れる現象は、すべて天のエネルギーによってなされていることであり、その天のエネルギーは、人々の心が元となり現されているのです。

そうであるなら、すべての人の心を正せば、この世に起きる悪いことは一切起きなくなるということになります。

悪いことが起きる本当の原因は、人々の心にあるからです。

人々の心を正す、この私の説いている『法』がいかに大事か、いい加減お分かりいただけないでしょうか。

(こういう時代になって、法を無視していて大丈夫ですか?〔本当の正しい心の基準ってお分かりですか?〕自分流でやっているといつ悪いことが起きるか分かりませんよ。もう、そのような時代になっているからです)

追伸…ずいぶん恐ろしい現象が立て続けに起きているようですね。(今日も昨日と同様、最初ゴチャゴチャやっていましたが、途中で静かになりました)

そのような起きる現象もすべて同じです。天のエネルギーがかかり起こされているのです。

悪いことが起きているのはあなたたちだけではありません。もう日本中で起きているのです。

自分たちの心を正しませんか?

それ以外で救われる道はないからです。

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10月 21 2016

正しく祈ることの大事さ

プロ野球のドラフト会議も終わりましたね。

地元のチームは、完璧で百パーセントのドラフトであったと、監督が喜んでいる談話が新聞に載っていましたが、マァ、地元チームの誰かがドラフト前に祈ったのかどうなのか、それは知りませんが(その可能性はゼロではありません。このブログは誰でも読めますし、そのチームのために誰が祈ってもかまわないんですから)ゲン担ぎなどするより、祈った方がよほどよい結果が出ます。

だから何をする時でも、ゲン担ぎなどする暇があるのなら神に祈った方がいいのです。

神に祈るなら、必ず神がよい方向に導いてくださるからです。(もちろん正しい祈りでないときいてはくれませんが。だから正しく祈るということは大事なことなのです)

しかし、もし今回、神に祈った人がいるのであれば、必ず「神よこのような結果を現してくださり、ありがとうございました」というお礼の祈りだけはしてください。

何でもそうですが、そういうお礼をするのは当たり前の礼儀であるからです。

また、頼むだけ頼んでおいてお礼の祈りを全然しないということであれば、そういう礼儀知らずの人は、そのうち祈っても、その祈りをきいてもらえなくなります。(もちろん神が怒ってそういうことをされるのではなく、間違ったことをその人がしているから、その間違いに気づかせるため神はそのような態度を取られるのです)

誰に対しても、そのような道に外れた行為はしてはいけないと思いますが、それは神に対しても同じなのです。

このブログを読んでいる人たちは、そういうお礼をいわない人が大変多いのです。(それは私に対してですが)だから悪いことが起きる人が多いのです。

道に外れた行為を平気でしているからです。

そういうことにも早く気づかなければいけないのですが、それはともかく、正しい行いを実践していると一体何が起きてくるのか?ちょっと書いておきましょう。

私が祈ると、いろいろな奇跡が起きるのはご存知の方も多いと思いますが、それは正しい祈りをしてちゃんと神へのお礼の祈りも欠かさずしているからです。

そういう祈りを常にしていると(もう私などしょっちゅう神に祈っていますから)非常に神との距離も近くなってきます。(高橋先生は正しい祈りは神〔光の天使〕との会話であるといわれていました。では、しょっちゅう祈っているということは、しょっちゅう光の天使と会話しているということになります。それは距離も近くなるわけです)

そうすると歩いているだけでいろいろ愛ある現象が起きてくるわけです。(神〔光の天使〕との距離が近くなれば、その光の天使の愛〔神の光〕が常に周りに作用しているということになります。その光の天使の愛が周りに作用するのであれば当然愛ある現象は現れてきます)

この前、庄内川に行ったんですが、その時は雨あがりであったのです。(朝方雨が降っていて、その後やみました)

そういう時は庄内川の川岸にはよくカニが出てきています。この前いった時もそうでしたが、しかし、この前いった時は、そのカニの数が半端なかったのです。

もう凄い数でした。

行く時も「今日はカニの数が多いな」と思って歩いて行きましたが、何と帰りはもう凄まじい数のカニたちが出てきていました。(本当にあれだけ数が多かったのは初めてでした)

もう歩く道の横などびっしりカニがいるのです。(ほんと気持ち悪いくらいいました。〔苦笑〕)そうして、そのカニが道の真ん中までたくさん出てきていて(あふれている感じです)ある場所など、あまりにカニが多すぎて歩けないくらいでした。(道いっぱいにカニがいてです)

「お前ら、どけどけ」と声をかけながら歩いて行きました。カニを踏んづけそうであったからです。(川岸の横が道路でトラックがたくさん走っています。あのたくさんの数のカニを見た運転手もいたのではないでしょうか)

これだけの数のカニが出て来たのは初めてですが(本当に凄い数でしたから。前もたくさん出て来た時はありましたが〔その時は動画に撮ったんですが、今回は撮りませんでした。まさかこれほどのことが庄内川で起きると思わずビデオを持っていきませんでしたから〕その時より多かったです)雨が降った後などカニたちが特に帰り道にはたくさん出てきています。(同じところを通っていても行きと帰りでは全然違います。明らかに帰りの方が多いですね)

それも数多くのです。こういう現象も愛ある現象といえるのではないでしょうか。出てきている数が異常であるからです。(出てきている時などめちゃくちゃな数が出てきていますから。普通はそこまで多くのカニが出てくるとは思えませんから)

また道など歩いていると鳥が喜んで寄って来たり、騒いでいたりするのはもちろんですが、この前、名古屋港水族館に行った時のことです。

あれだけ生き物が多い場所に行くと、どれだけ自分が愛に満たされているのかということが非常によく分かります。

私が行くともう、あそこにいる魚たちの態度が明らかに変わるからです。

急に暴れ出す魚はいる、喜んで泳ぎ回る魚はいる、そういうことが一番分かるのが、比較的大きな生き物ですね。(大きいと分かりやすいですから)

シャチやベルーガなども面白い態度を取りますし(もうそういう場面はたくさん動画に撮ってあります)この前いった時など、イルカのプールを見ていたら中の一頭が(そのプールの中には三頭のイルカがいました)私が見ている前に泳いできて、私の前にとまりプールの中からジッと見ているのです。

目をパッと見開いて(可愛らしい目でしたよ)こちらをマジマジと見ています。

それを周りで見ていた人たちから声が上がりました。

「何、このイルカ、凄い人に寄って来ている」「ここのイルカ、すごく人になついている」中には「この人、イルカ語が分かるんだよ。だからイルカがこんなに寄って来ているだよ」などという人までいて(さすがにその人には私も苦笑いで返すしかありませんでしたが。〔苦笑〕)みな驚いているようでしたが、私の周りに天使の愛があふれているのであればこういうことは当然起きてきます。

その愛に人は気づかなくても動物たちは気づくからです。(人より動物たちの方が〔その心は〕断然天に近いからです)

こういう愛ある現象が私には毎日のように起こるのです。

だからいくらでもこういうことは書くことが出来ますが(もちろんすべて本当に起きていることです。ここに嘘は書きません)神への祈り〔光の天使との会話〕を常にしているのであれば、こういう愛ある奇跡も普通に起きてくるということです。

何度もいいますが、少し真面目にこの法の勉強をされませんか?(本当にこと法については不真面目な人が多いですから。自分に都合のいいことだけ実践するという不真面目な人がです)

そうすれば、考えられないような奇跡がたくさん起きてくるからです。

(じゃまをしかけると悪いことが起きて静かになります。本当に大変そうですね。反省されませんか?そうすれば、その災いは止まるからです)

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10月 20 2016

法則が支配する世界

朝からパニくっています。(前のバカ会社です。一人凄いのがいて朝から大騒ぎです)

このバカ会社の連中、ここ一日、二日はずいぶん引いていたのです。(悪いことが起きっぱなしなんでしょう、きっと)しかし、ずいぶん引いているのですがブログを書き始めるとまだガタガタやりだすのがいて、このブログのじゃまだけはしてきます。

それで昨日、一昨日など、途中まではブログを書いていたのですが、あまりにしつこくじゃましてくるものですから、途中で書くのをやめこの連中をガンガン祈ってやりました。(法の流布のじゃまなど一番してはいけないことですから)

そうしたら今日は朝からパニくっているのがいて大騒ぎをしています。(一人だけ朝から大騒ぎです。ほんとみっともないったらありゃしない。それにやかましくて本当に迷惑ですよねぇ、ご近所の皆さん)

一体何が起きているんでしょうね。この会社にです。

しかし、本当にこの者たちは物分かりが悪いです。結局そういう嫌がらせを私にし続けているから、災いが起き続けているのであり、その嫌がらせをやめれば、その災いも止まるのです。

しかしこの連中は、何が起きても(このようにパニックになりながらでも)それでも嫌がらせ(悪い行い)をやめようとしないのです。

それでは災いは止まりません。その自分たちがしている悪い行いが自分たちに災いとなって返ってきているだけだからです。

この連中はどれだけいっても、また、どれだけ災いが起きても、それを理解しようとしないのです。

本当に哀れとしかいいようがありませんが、この会社はこういう哀れな人たちが集まっているようです。(誰も自分たちの間違いを理解しようとしないからです)

こういう人たちは何度でも同じ間違いを繰り返します。そういう心のレベルの人たちの集まりであるからです。(はっきりいってあまり心の高くない人たちが集まっているのです)

心の低い人たちは神の存在が分からず、起きていることの意味をしっかり理解できません。だから同じ間違いを何度も繰り返すのです。

その起きていることの意味を理解し、自分たちがしている間違いを自覚できるほど心が成長していないからです。

しかし、その自分たちがしている間違いを自覚し反省出来るまで(そこまで心が成長するまで)この災いは続きます。

それがこの世の(心の)修行であるからです。だからこの世の修行は厳しいのです。

自分たちが分かるまでその修行は続くからです。

三日ほど前は庄内川に行ってきたんですが、帰りにまたガンガンやる人がいて、そこで辻説法です。

あの辺りではもう何度も辻説法をしているんですが、入れ替わり立ち替り、そういうことをしてくる人がいます。

はっきりいってあの辺りも心の高い人が少ないようです。だから辻説法を何度もしないといけなくなるのです。

場所によっては一度辻説法をしたら、一変に静かになってしまったところもあるからです。(そういう場所は心の高い人が多く住んでいるのです。だから正しいことが一度で分かるのです)

場所によってずいぶん違うのですが、このような類は類をもって集まる(類は友を呼ぶ)これを「波長共鳴(はちょうきょうめい)の法則」といいます。

いつもいっている「原因結果、作用反作用の法則」。(因果応報)

そうしてこのような「波長共鳴の法則」。

心の傾向性をいう「慣性の法則」。(クセや業のことです)

すべての物は循環しているという「循環の法則」。(地球は自転しながら公転していますし、それは水や空気も同じです。〔水は水蒸気となって蒸発し雨となってまた降る。空気は私たち人間などが吐き出した二酸化炭素を植物が吸って酸素を出す。これらは水や空気の循環です〕人間も同じように循環しています。〔輪廻転生〕)

エネルギーは増えることも減ることもなく(永遠不滅)ただ別の形に変わるだけという「エネルギー不滅(保存)の法則」。(だから人間も消滅することはない〔エネルギーの数量が変わらないということがその証明です〕人間はこの肉体の世界〔この世〕を去れば、あの世の霊の世界で生活するのです)

この世界はこの五つの法則に支配されているのであり、どこにいても(たとえあの世であっても)この五つの法則の支配からは逃れることは出来ないのです。

すべての世界が、この神がつくられた五つの法則で支配されているからです。

この法則に従って、いま私たちの周りの出来事は起きているのです。

だから、この法則を無視して何かが起きることはありません。だから、いつまでも責任転嫁していてはいけないと私はいっているのです。

悪いことをいくら私のせいにしたところで、原因結果の法則を知るならばそれは自分のせいと分かるのであるのだし、それを人のせいにし続けるのであれば(同じことをいう人が周りに多いのは、それは波長共鳴の法則に従ってそういう人ばかりが集まっているだけなのです。そういう人たち全員のいっていることが間違っているのです)それは慣性の法則に従って、それが悪い業となって自分に残り、その悪い業がなくなるまで苦しい修行を続けなければいけなくなるのです。

その苦しい修行が、例えば今どこかの会社がやっているようなことなのです。(災いが何度でも起きて来る)

それが心の修行なのであり、この心の修行に甘えは許されません。自分の間違いを自分で悟り、その間違を反省するまで、その災いは続くのです。

それはどこかの会社だけではないでしょう。この辺りは、そのような(自分の間違いが原因で)災いが起きている人がたくさんいるからです。

そのような自分の周りに起きて来ることすべては自分に責任があるのです。

この世界は先ほど書きました五つの法則が支配する世界です。その法則の支配から一歩も外に出ることは出来ません。

いい加減認めてはどうでしょう。自分の間違いをです。

ここに次々に奇跡が起きている者がいます。

その者のいうことを参考にされてはどうでしょう。奇跡が起きている者のいうことだけが、その災いを封じる唯一の手段であるからです。(災いが起きている人たちのいうことをいくら聞いても災いしか起きませんから。それではまったく参考になりませんよね)

心と行いを変えるなら次々に奇跡が起きてきます。

いつまで時代遅れの行いをしているのでしょう。(末法の世のです)そのようなことをしていてはもう救われる道はないのです。

追伸…今日はプロ野球のドラフト会議がありますね。

験を担ぐ(げんをかつぐ)監督も中にはいるのでしょうが、もうそういうことはやめられてはどうでしょう。

そういうことはもう時代遅れでしかないからです。(だって、そういうことをしてよい時もあればよくない時もあるんでしょう。では、あまり意味がないのではないでしょうか)

二十一世紀は法の時代です。そうであるなら、その法に従った行いをすればいいのです。そうすれば確実によいことが起きる(よいドラフトになる)からです。

では、法に従った行いとは一体どのようなものなのか?ということになりますが、それはマァ、私がいつもいっている祈るということでしょうね。

ドラフト会議の前にしばらく心を落ち着け静かに神に祈るとよいのです。

もちろん、その祈り方を間違えたらなんにもなりませんが、こういう場合は「神よ、今日のドラフトでチームにとってもっともよい選手が来ていただけますように」と祈るのが正解なのです。

そういう祈りをしてからドラフトに臨むと、チームにとって一番よい選手がドラフトで取れることになり、その選手もそのチームに行って活躍することになりますが、いけないのが、この選手がほしいからと、この選手が来てもらえますようにという祈りなのです。

祈るというとこういう祈りをしがちですが、こういう祈りが実は一番よくないのです。

そのような祈りは自分の我の祈りでしかないからです。

そういう我の祈りは仮にきかれても、その選手が活躍しなかったり故障したりとあまりいいことが起きないのです。自分の我の強さで、その選手が行くべきではなかったチームに行ってしまうことがあるからです。

ただし、その選手がそのチームに行くべきであった選手であるなら、その選手は活躍しますが、一番間違いのない、正しい祈りが先ほど書きました「チームにとってもっともよい選手が来ていただけますように」という祈りなのです。

そういう祈りをしてドラフトに臨むなら、チームにとって一番よい、そうして、その選手にとっても一番よい球団に入団できることになります。

すべて神が正しく導いてくださるからです。(ただしその選手にとっては希望の球団ではないかもしれませんが。その自分の希望の球団と自分が行かなければいけない〔本当の自分の使命を果たせる〕球団は違うこともありますから。しかし、神に祈るのであれば、その自分が行くべき正しい球団を神が導いてくださるのです。だから、ドラフト前に祈るということは監督や球団側だけではなく選手にもいえることなのです)

もう正法の世となっています。

そうであるなら、ゲン担ぎなどという意味のないことをするよりも正しく祈った方がよほどよい結果が得られることになるのです。

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10月 17 2016

知らずにしている不遜な態度

朝方はずいぶん激しい雨が降っていました。

今は小ぶりになりましたが、今日は激しい雨になるところも多いとか。気をつけないといけませんね。(最近の雨の降り方は異常ですから)

この辺りでは雨だけではなく、激しくお怒りの人もいるようですが(ほんと朝からうるさいです。どうせバカ会社でしょう。今もやっていますから)怒っているだけでは何も解決しません。

心を入れ替えるしかないのです。そうしない限り状況は変わらないからです。

土曜日もずいぶんお怒りでした。(どこかのバカ会社の人たちです)今も変わらず怒っていますが(ずっと怒りっぱなしなんですかね。よく体が持ちますね。だから病気になっているんじゃないですか?)自分たちが罰当たりなことをしているのですから罰は当たります。

悪いことをいつまでも人のせいにして怒っているのではなく、自分たちの行いをよく考えてはどうでしょう。

自分たちがしていることは、例えば、高名な坊さんが(神通力を使えるような釈尊やキリストのようなです)説法をしている横で、その説法をじゃましているようなものなのです。

そんなことをしていて罰は当たらないのでしょうか?

そんな悪い行いをしていたら当然罰は当たります。(その坊さんの説法を聞けば多くの人が救われるのですから)

だから罰が当たっているのです。

このブログを止めている間はずいぶん天気が悪かったのです。あなたたちが法の流布を止めてしまったからです。(台風もずいぶん来ましたし。あれだけ立て続けに台風が来たのも、きっとこの連中が法を説くのを止めてしまったせいでしょうね)

これだけ影響のある教えを止めてしまっては、それはひどい罰も当たるでしょう。大きな影響を多くの人に与える教えであるからです。

だからそれだけ悪いことが起きているんでしょうが、それはどこかの運転手連中も同じなのです。

これだけ(影響のある)教えを説いている者に徹底的に嫌がらせをしているのです。

それは恐ろしい現象も降りてきます。

しかも、その恐ろしい現象をすべて法を説いている者のせいにし、法を説いている者を稀代の悪人に仕立て上げている、一体どれだけ皆さん悪い(恐ろしい)ことをしているのでしょう。

本当に想像できないくらいの罪を現代の人々はつくっているのです。(そういう自覚があまりなさそうですが)

それだけ悪いことをしているのなら、こういう激しい天気に(頻繁に)なっても仕方がないでしょう。

あなたたち以上に天の怒りは凄まじいからです。

凄まじくもなります。この教えに素直に従い、多くの人にこの教えを伝えるのなら、どれだけ多くの奇跡が起き、どれだけ多くの人が幸せになれるのか分からないくらいだからです。

しかし、あなたたちはまったく逆のことをしているのです。だからこれだけ多くの人が不幸になっているのです。

あなたたちのしていることがまったくの反対のことであるからです。(法の流布のじゃまをし、悪いことをすべて法を説いている者のせいにして嫌がらせをし続けている。本当にこれだけ逆の行いもありません。法を拡げることに協力し、よいことを法を説いている者のお蔭と称賛し〔そのくらいの謙虚な心は持たないといけません〕喜んで布施をする、これが本来の〔神の子としての〕人間のあるべき姿であるからです)

それだけ人として反対の行いもないのです。だから「あなたたち以上に天の怒りは凄まじい」と私は書いているのです。

だから悪いことばかり起きるのです。自分たちのやっていることが、神の子である人間としてしてはいけない行為をし続けているからです。(ということは、天に逆らい続けているということです)

それを直してください。そうすれば、よいことが起きてくるからです。(そうしないとよいことは絶対に起きません)

法を説いている者に心を救われているのは事実なのです。では、そのことに感謝し、法を拡げることに協力し、その法を実践することで奇跡が起きたのなら、それは法を説いてくれた人のお蔭ですと(決して自分の手柄にするのではなく)法を説いてくれた人を褒め「あなたのお蔭でまた奇跡が起きました」と、ちゃんと報恩の行為(布施)をするのです。

そういう行いが出来れば、悪いことなど起きなくなり、周りに奇跡ばかりが起きてくるからです。

また、そうすることが当たり前のことなのです。古来より、法を説く人がこの世に現れた時、多くの人々は皆そうしてきたからです。

釈尊やキリストがこの世に現れた時、そうする人が多かったのです。だから、これだけ多くの人が〔後世に至るまでです〕救われたのです。

そのようなよい行いを多くの人がすることで多くの人に法が伝わったからです。

法が多くの人に伝わるなら、それだけで多くの人が救われるのです。だから、そのような態度を取ることが(神の子である)人間として当たり前のことであるのです。

しかし、現代の人たちは、その当たり前のことさえ出来ないのです。といより、そういう当たり前の態度を取ることさえ知らないようです。

神などいないと神を否定し(無神論)この世がすべてと金儲けだけにうつつを抜かしてきたからです。(唯物論)

だから、法を説いている人に対する正しい態度が出来ない(分からない)のです。(無視したり、逆らったり、そういう態度を平気で取る人ばかりです。どれだけ正しい態度を知らず傲慢不遜なのでしょう)

そのような(法を説いている者に対する)態度が悪い人たちばかりだから、これだけの災いを起こされるのです。(それはこの辺りだけではなく、数々起きる天変地変でもよく分かります)

現代の人たちは、昔の人がしていた法を説く人に対する当たり前の態度さえ出来ていないのです。

自分たちのそのような態度を反省してみませんか?

法を説いている者に(心が救われている人に)それだけ不遜な態度もないからです。

追伸…昨日大坂の寝屋川市で豪栄道の祝勝パレードがあったそうですね。

この前の大相撲秋場所でのまさかの豪栄道の全勝優勝、驚きましたね。(ちょっと失礼ですか?でも、豪栄道ってあんなに強かったですかね)

しかし、意外な力士が出てきます。最近の相撲は本当に面白いですね。(その分、稀勢の里にはがっくりですが…マァ、稀勢の里にはまたここからの頑張りを期待しましょう)

日本人力士がずいぶん頑張っているからです。(日本の国技なんですからそうでないといけません)

今度の九州場所はまた日本人横綱が誕生するか否かの場所となりますが、今度こそ日本人横綱の誕生を見たいものです。

しかし、モンゴル勢はやはり強いですし(今度は白鵬も出てくるようですし)ただ勝負にだけこだわるというのも日本の国技である相撲道に反しています。

元々日本の相撲は神事であったからです。(古代での相撲は豊作の吉凶を占う農耕神事であったそうです)

では、神に祈って、日本古来の相撲の心を思いだし、そのような心で相撲をとるならば、よい結果は必ず得られるということになります。(相撲の神に導かれてです)

どちらにしても力士の方々には、そのような日本古来の相撲の心を忘れないようにしてほしいものです。

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