>>ブログトップへ

2016年10月

10月 31 2016

至極当然な意見

すでに何か起きたんでしょうか?(先ほど何か騒いでいたし、その後、急に静かになったし)

本当に災いが止まらないようですが罰当たりな行いを続けているのです。では、当然罰は当たります。(本当に凄まじいですね。そんなに起きるものですか?悪いことばかりです)

その罰が当たらなくなるにはどうすればいいのか?

そのような罰当たりな行いをやめればいいのです。簡単な話なのではないでしょうか。

これまでの行いを反省し、私に布施でもされませんか?そうすれば、その災いはすぐにでも止まるからです。(最近コメントをくれた人など、すぐに布施してくれましたが…法を知らせてもらっているのですから、そのような態度が当たり前のことなのです。それなのに布施ではなく嫌がらせをしているというのですから話になりません。それでは罰が当たるのもまた当たり前のことなのです)

そういう罰当たりな人たちの話はこれくらいにしまして、一昨日でしたか堀川に行ってみるともうカモメが来ていました。(まだ数羽程度でしたけどね)

「アレ、ちょっと早いんじゃないか」とも思いましたが、すでに十月の末です。

「もうそろそろ来る頃か」とも思って「お前ら久しぶりだな」と声をかけたんですが、そこにいたカモメたちは何か知らん顔をして堀川に浮かんでいました。

「何だ愛想がない連中だな」と思って、トコトコ堀川沿いを歩いていましたら、いきなり私の頭上を何羽かのカモメが飛んで行きます。(四~五羽くらいいたと思いますが)

そのカモメたちを見ていたら、またこちらに戻ってきて、高く飛んだり低く飛んだりしています。

何か喜んでいるようなのです。

「何だお前ら嬉しかったのか」と声をかけ、それから「オイオイ、ずいぶん元気だな」とか声をかけていたら、喜んで私の近くを飛び回っていました。

そんなにうれしいのなら最初から喜べばいいのに(最初は無視していましたから)素直じゃないカモメも中に入るようです。(そういう人はたくさん見ていますが。〔笑〕)

ひとしきりカモメが私の周りを飛び回ると、そのうちに行ってしまいました。

上空にカモメがいなくなったとたん、何匹かの魚がバシャと跳ねました。「チョ、おい」とこちらが驚きました。(笑)

カモメが来ても、それでも跳ねる、まったく命知らずな魚たちです。(笑)

魚だけではなく(魚のそのような行為は、愛の心から出て来たものですから神も喜ばれるのでしょうが)そういう命知らずな人たちがこの辺りはたくさんおります。(私に命懸けで嫌がらせをしてくるのですから呆れます)

くだらない意地など捨てて、愛ある行いをされてはどうでしょう。(魚たちのようにです)そうしないともう命まで危ないからです。(どこかの会社も意地になってチョコチョコ嫌がらせだけはしています。本当に哀れなものです。それが全部自分たちに返って来るというのにです)

先ほど少し書きましたが、この法を伝えてもらったのであれば、感謝して布施するのが当たり前のことなのです。

それだけ有難い(「有難い」とは有ることが難しい、本当に稀で珍しいという意味です)教えを伝えてもらって心も救われたからです。

しかし、その当たり前のことさえ、現代の人たちは出来ないのです。

その心を救われる有難さが理解できないからです。心を救われても、別に大したことではないと思っているからです。

しかし、心を救われる有難さは何ものにも代えがたいものなのです。

それは物、金がどれだけあっても、心に悩みがあるのなら何も嬉しくはないということでも、その事実は分かるはずです。

どれだけ物や金がたくさんあったところで、心に悩みがあるなら何も楽しくはないのです。

まず、その心の悩みを解決しないことには、物がある喜びも、金を使える喜びも出てきません。

すべてのことにおいて、一番最初に来るのは心であるからです。だから、その心がまず健康でないと、それ以外のものはみな不健康になってしまうのです。(うつの人がいくら健康であろうと、いくらお金があろうと幸せでないのと同じです。まず、そのうつを治さないことには、その人は幸せになれないのです)

法は、その一番最初に来る、心を救うのです。では、これ以上、有難いことはないのではないでしょうか。

逆にいえば、心さえ健康であるなら、物がなくても金がなくても、いくらでも後からそういうものは手に入れる(稼ぐ)ことが出来るからです。

だから、その一番大切な心を救える教えであるから、それを伝えてもらったのなら、感謝するのが当たり前のことでしょう、といっているのであり、感謝するのであれば報恩の行為は当然せねばならないのですから(何度もいいますが、感謝とは、感謝の心と報恩の行為、それが揃って初めて感謝したといえるのです)布施ぐらいされてはどうですか、といっているのです。(別に他のことでもいいんですが、他のことで報恩の行為など皆さんしないでしょう)

至極当然な意見だと思いますが、なぜ、これくらいのことが分からないのでしょうか?(というか、それを認めないのでしょうか)

そういう報恩の行為をしないで、嫌がらせなどしているから天罰がくだるのです。

これもまた至極当然な意見であると思いますが、なんでそんなことがいつまでも分からないのでしょう?

本当に不思議ですね。この辺りの人たちは、自ら間違ったことをし続け、それで天罰を食らっているにもかかわらず、それさえも私のせいにして、よけい天罰を食らう、負の連鎖もいいとこです。

いつになったら分かりますか?これだけ簡単な間違いがです。(というか、いつになったら、その自分の間違いを認めようとしない我を直されるのですか?)

そういう簡単な間違いをいつまでもしているから(いつまでも認めようとしないから)命まで危なくなるのであり、その間違いを正すなら、奇跡が起きて来るのです。(それほど有難いものに今生出会えたからです)

物、金をもらってもそれは一時の喜びにしかすぎません。(前回も書きましたが、物や金はなくなったらそれで終わりだからです)しかし、心が救われるのなら(その心が変わらない限り)それは永遠の喜びとなって、その幸せは永遠に続くのです。

そのような心の在り方が、大きく作用する時代になっています。(だから、そういう時代に合わせて、法と出会うべくして出会ったということです。この時代に法が現れなければ、不幸のどん底となるからです。〔現在そういう感じです。心の正しい在り方を知らず法を無視している人が多いからです〕)

早く心と行いを法に合わせてください。そうすれば、愛ある奇跡が次々に現れるようになるからです。

(本当にくだらない意地を張り続ければ命がなくなります。もうそういう時代であり、この世の〔心の〕修行とはそのようなものであるからです。〔皆さんが思っているほど甘くはないということです〕)

0コメント

10月 30 2016

本当に価値あるもの

やはり何か変ですね。

どこかの会社の落ち込みようもそうですし、この辺りでも、普段土曜日など休まない会社が休んでいたり、私に対し散々嫌がらせをしていたところが急に嫌がらせをやめてしまったり、そうかと思うとやたら怒っているところもあります。

それに運転手連中まで変なのです。

ブシュブシュやる者はやってきますが、少し前のように「この野郎」という感じではないのです。

何か仕方なしにやっているように見えます。

私の顔を見たからやらざるをえないみたいな感じで、やりたくはないがイヤイヤやっている、そんな感じなのです。

気のせいでしょうか?

それとも、それだけ多くの人が恐れるくらいの勢いで災いが現れだしたのでしょうか?

それは気のせいで、私があまりに嫌がらせをされすぎて、それで希望的観測でそのように見えているだけならよいのですが(私的にはよくありませんが)しかし、もし、多くの人が恐れだすくらいの災いが起きてきているのだとしたら、もう私に対する嫌がらせはやめた方がいいでしょう。

そうしないと、これからどれだけ多くの人が引き上げられるか分からないからです。(もちろん、あの世にです)

園頭先生は、これからいま多くの人が入っているビルにも人がいなくなってガラガラになり、廃墟となるビルもたくさん出て来るといわれました。

ということは、大きな天変地変が起きて人がいなくなるということではなく(もし、大きな天変地変が起きて大勢の人がいなくなるなら、ビルなど残っているわけがないからです。東日本大震災のような大災害が起きたら町が跡形〔あとかた〕もなく、なくなって残骸しか残らないからです)別の理由で多くの人がいなくなるということになります。

では、その別な理由とは何か?ということです。

それが今この辺りで起き始めた(皆さん方が恐れ始めた)現象なのではないでしょうか。

そのいま起きている恐ろしい現象がこれからもっともっと激しく現れる、そういうことではないのでしょうか。

その起きている現象は、どれだけ現れても、家が壊れるわけでも、町が跡形もなくなるわけでもないからです。

ただ、人がいなくなるだけであると思うからです。(では、園頭先生の予言の通りです)

あまり過激なことは書きたくはありませんが、しかし、起きていることを正確に書いておかねばなりません。(このブログは法の証明となりますから)

それに正確に書かないと、このブログを読んでいる人たちが、いつまでたっても自分たちの間違いに気づきません。

だから、書いているのですが、違いますか?起きる災いのレベルが違ってきているのではないのでしょうか?

だから、態度が変わってきた人が増えているのでしょう。

もしそうであるなら、もういい加減分かりませんか。自分たちの間違いがです。

これまで通りでいいというその考えが間違いなのです。

すでに時代は変わっているからです。だから、これまで通りの考えではいけないのです。

そのような考えでは(末法の心のままでは)もう災いが起きる時代となったのです。だから、これだけ災いが多いのです。前時代の心のままの人が多いからです。

今この辺りで起きている恐ろしい現象は私のせいではありません。

それは、この辺りで起きているようなことが他でも起きているということでも分かりますし(そうでなければ多死社会になどなりません)天変地変の激しさでも分かるのです。

時代が変わったから、これだけ多くの人が不幸になっているのであって、時代が変わったことに気づいて、その時代に合わせた心になっている人たちにはすでに数々の奇跡が現れているのです。

そのような人たちは、一時にせよ、時代に合った心になっているからです。(その時代に合った心になった時だけ奇跡が現れるのです。だから、前に奇跡が起きたのに、今は奇跡が起きないという人も出て来るのです。前と心が変わっているからです。私のように常に時代に合った心であるなら、常に奇跡は起きますが)

そういう日本全体に起きていることを考えるのであれば、私がいっていることの正しさが分かるはずです。

しかし、この辺りの人たちは、私しか見ていないのです。(不幸ばかり起きている人たちはという意味です)

何か悪いことが起きると、それを私のせいにして怒っているだけなのです。

「悪いことはすべてあいつのせい。自分は何も悪いことはしていない。前から何も変わらずやっているのだから」そう思っている人が多いのでしょうが、その何も変わらず(一切心を変えず)やっていることが、一番悪いことなのです。

だから、悪いことが起きているのですが、その「悪いことは自分のせい」ということにいつまでたっても気づかないのです。

そういう人は視野が狭く、無反省であるからです。(そういう人は心が成長しませんから)

だから、いつまでたっても、神など認めず(これだけ神の業が現れていてもです)仕事が第一、仕事がなくなれば生活が出来なくなると、そればかり思っているのです。

その神を認めようとしないため、その(自分が一番だと思っている)仕事さえも出来なくなるかもしれない危ない状況になっているにもかかわらずです。

そのような危なさが理解出来ないのです。というより、他のやり方が分からないのです。いつまでも自分の心を変えようとしないからです。

しかし、そのような遅れた考えでは、もうこの時代通用しません。(通用していないから悪いことばかりが起きているのです)

神が一であり、その自分の心をよくすることが二であり、仕事(金儲け)などもっとずーと後のことであるのです。

この時代は、まず第一に神を思わなければいけないのと、自分の心を向上させることに力を注がないといけないのです。

そうしないと、危ないことがいつ起きるか分からないからです。(もうそういう時代なのです)

本当の価値あるものに早く気づかないといけないのです。そうすれば、その人は救われて行くからです。

金や物など、そういう形のあるものに価値などないのです。(なくなったらそれで終わりであるからです。だから、そういうものを得るための仕事ばかりをあまり考えていてはいけないということです)

しかし、心は永遠になくなりません。(もちろん神も同じなのです。神は永遠不滅です)

そういうなくならないものこそが本当に価値あるものなのであり、そのなくならないものを向上させていけるものこそ、最も価値あるものなのです。

法を勉強し続ける限り、心は永遠に救われ続けます。

では、最も価値あるものとはこの法であるといえるのではないでしょうか。

もう他の考えでは通用しない時代になっています。(法を元にした考え以外ではです)

それは他の宗教でも政治、経済の考え方でもなんでも同じなのです。そのようなものをどれだけ勉強しても奇跡は起きないからです。

その奇跡が何よりの証拠なのです。

そのようなものは正しい部分はあってもどこかに間違いがあるからです。だから、そのようなものをどれだけ勉強しても奇跡が起きないのです。(だから、そういう勉強をしっかりしている人たちも病気になっているのです。そういう考えだけではもう通用しない時代となっているからです)

しかし、この本当の神の教えである法(正法神理)は違うのです。

この教えを勉強すればするほど奇跡が起きて来るのです。(それは私が証明しています)

この教こそ真の神の心であるからです。

だから、その(本当の)神の心を元にしていれば、何をしてもうまくいくのであり、だから、何をするにしても法の心を忘れてはいけないということです。(そういう心でいれば、もちろん神にも守られますし)

その法の心を元とするなら、何をやるにせよ、成功するということです。(法の心を元にして政治や経済の勉強をする、あるいはスポーツの練習をするなら、その人は必ず成功するということです。現に法の心を知り奇跡が起きたスポーツ選手もたくさんいますし)

心を入れ替え、法を勉強し実践してみませんか。

そうすれば、自分も救われ、奇跡まで次々に現れるようになるからです。

(くだらない意地をいつまでも張り続けていると本当に命が危ない時代となったのです。〔だから恐ろしいことが次々に起きているんでしょう〕もう時代が〔大きく〕変わっているのです。それに早く気づいてください。法を粗末にしていてはいけないのです。この法は多くの人を救う教えであるからです。法がどれだけ価値あるものなのか、早くそれに気づかないといけないのです)

0コメント

10月 29 2016

法の価値

昨日は家の隣で工事をやっていて、それがうるさくてブログが書けなかったんですが、一昨日は内海に行っていました。

暖かいのは一昨日が最後とか何とか天気予報でいっていたので、暖かいうちに行っておきたいと思ったからです。(寒くなると魚もあまり出て来なくなりますから)

ところが一昨日は天気がいいだけで風が強くて波も荒く、ちょっと失敗したなと思ったんですが、それでもいろいろな鳥たちは騒ぐし魚もたくさん出て来て楽しかったです。

私が歩いていると、大きな鳥の影が行ったり来たりしているので、上を見るとまたトビが頭上を何羽も飛んできていて「何だお前ら、そんなに近くにいたのか」と声をかけると、急に元気よく飛び出すのがいて、急降下したかと思うと急上昇したり、電線にとまったかと思うとすぐに空高く飛んで行ったりしています。

小さな鳥は小さな鳥で、大きな鳥は大きな鳥で、それぞれ愛らしい態度を取りますので可愛らしいんですが、あの強面のトビがそういう愛らしいことをすると、ギャップが激しいんでよけい可愛く見えます。(笑)

姿かたちは怖そうでも、心はみな同じで、すべての生き物の心には愛があるようです。

愛がある者には、ちゃんとその愛で応えてくれるのです。

そんなこんなで鳥たちにかまったり、内海につながる川など見ていたら小魚がたくさん出てきたりして、そういう魚たちにかまったりしていたら(また、小魚がたくさん水面に上がってきてピチャピチャやるものですから)あっという間に時間が過ぎます。

本当に海など行くといろいろな生き物たちに愛をもらえます。だから、チョコチョコ行っているのですが、一昨日行った時は肝心の海の魚が全然出てきませんでした。

あまりに海岸の風が強すぎて波も荒く寄ってもこれないようでした。

それでも海に向かって呼びかけていると、近くでピチャピチャ跳ねる魚たちがいました。

「おっ、寄ってきたな」と思っていると、また、波がたつとその波の中に魚がいっぱい見えます。

「うわ、すげぇー」と思って、その場面を動画に撮りました。(もうほとんどSDカードの残量もないんですが、その残っている分だけ撮りました)

画面が見にくいので、あまりうまくは撮れませんでしたが、それでもいくつか波の中にたくさんの魚がいる場面が撮れています。

マァ、あの動画を見れば私のいうことを信じてもらえると思います。

どうも、私が呼びかけると少し沖の底にいる魚たちがたくさん水面に上がってきて、岸の近くまで寄ってくるようです。

そういう魚が、少ない時で数十匹(一昨日などそうでした。それほど数はいませんでしたから)多い時は、数百から数千匹(大げさではなくもっといるかもしれません。水面上にいる魚だけではなく水中にいて見えない魚もたくさんいるでしょうし、そういう波に乗っかっている魚たちが数百メートルの距離でいた時もありますから)も寄って来るのです。(それに波打ち際まで来ている細かい魚たちもいっぱいいますし)

一昨日など、多くの魚があれだけ荒い波に乗かっていて(その波に乗って、そのままバシャと水面に叩きつけられますから)大丈夫かと思うんですが(マァ、私がやらせているんですが…〔汗〕)こういう愛ある奇跡が次々に現れるのです。(普通ならこういうことは絶対起きないと思います。あれは、絶対魚も危ないですから。〔大汗〕)

こういう奇跡ばかりが起きるのです。私が海に行きたくなる気持ちもお分かりいただけるのではないでしょうか。

別に私だけに特別このようなことが起きるのではなく、法を実践していると、こういうことも起きてくるということです。(実践すればするほどです。法を実践すればするだけ愛が表にあふれてくるからです。その愛に生き物たちは寄ってくるのです)

それだけ法とは価値ある(愛ある)ものであるからです。

そうして、そのような愛をたくさんもらってこちらに帰ってくると、何か様子が違っていました。(マァ、こちらに愛がないのは変わらないのですが)

やたら怒っているところもあれば、今まで散々嫌がらせをしていたのにピタリとやめてしまったところもある。

「それは別に変わったことではないだろう」といわれそうですが、そういうところがずいぶん増えているように感じました。(またサイレンもよく聞こえてきますし)

それに、どこかの会社の落ち込みぶりはひどいですし(今日もずいぶん元気がありません。それでも無理してじゃましています。決して無理はなさいませんように。〔苦笑〕)昨日などトラック連中も静かでした。(雨が降っていたからたまたまですかね?ここ二、三日、何か様子が変なんですが)

もしかしたら、私が書いたことが起きてきたのかもしれません。(園頭先生の予言〔多くのビルから人がいなくなり廃墟になる〕が実現しつつあり、災いのレベルが上がる)

どちらにしてもです。よいことも悪いことも(奇跡にせよ、災いにせよ)この法の実践を続ける限り、大きくはなっても小さくなることはありません。

よいことも悪いことも、法にかかわればかかわるだけ大きく現れて来るのです。

それだけ法の価値とは大きなものであるからです。(価値があるから、それだけのことが起きるのです。よい悪いにかかわらずです)

法はこの世で最も価値あるものであるのです。

その最も価値あるものに対し、逆らい続けているのなら、当然その反動は大きくなりますし、従い続けているのなら、当然その祝福は大きなものとなります。

その通りのことが起きているのです。

この法の価値をいい加減理解されてはどうでしょう。

その法にかかわった人たちは、どれだけ災いが起きようと、どれだけ奇跡が起きようと、どちらにしても法を知って救われていることには変わりがないからです。

(法を知らなかったら、そんな体験は出来なかったのです。知らない体験が出来ているのなら、その分、心は進歩します。その心が進歩した分は救われているのです)

追伸…しかし、こちらが元気がなくなったり、怒りまくったりするというのならまだ話も分かりますが(私はよってたかって大勢の人にいじめられているわけですから)私をよってたかっていじめている大勢の人たちが、そのような態度を取るというのは一体どういうわけなのでしょう。(本当に最近はそういう人が増えました)

普通は逆ですよね。(本当に私の立場がありません。〔苦笑〕)

大勢からよってたかって嫌がらせを受けている者が、急に元気がなくなったり、急に怒り出したりと情緒不安定になるのなら話も分かりますが、私に嫌がらせをしている大勢の人たちの方が情緒不安定になっているというのですから、これ如何にといったところでしょうか。(苦笑)

それだけ価値がある法は、それだけ起きる現象も凄まじいということです。(起きる現象の数も大きさも限りがありませんから。神が現す力は永遠不滅です)

自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きるのです。

それを早く認め、この法に従いませんか?

そうすれば私と同じような奇跡も起きてくるからです。(もう何度もいっていますがね。そういうことはです。しかし、最近は起きる現象のレベルもさらに上がっているように思います。急がれてはどうでしょうか?私に嫌がらせをしていればいるほど、その人はやばいからです)

2コメント

10月 26 2016

心の基準

今日はすでに何か起きたようですね。(朝の八時過ぎくらいでしょうか、急に怒り出すのがいて、それから一変に静かになりました)

いま妙に静かで空気が重く感じますが、それでもしばらくするとじゃましてきます。もはやまともではないですね。(前のバカ会社はです)

昨日のようなブログを私が書くということは、何か天上界が警告しているのです。(つまりこれから昨日書いたようなことが起きるということなどです)だから、災いが朝一から起きているのでしょう。(それも気づきの現象です)

早くその警告に気づいてほしいものです。

そういう気づきが次々に現れているにもかかわらず、それでも心を入れ替えようとしない、本当にまともではありませんが、そういうまともでない人たちがこの辺りは他にもたくさんいるようです。(本当に神をも恐れぬ人たちです)

あんなブログを書いたからでしょうか、昨日は運転手の皆さんはずいぶんお怒りでした。(特に市バスの皆さんはお怒りでした)

しかし、なぜ怒るんでしょうか?こちらは今のままでは早死にしますよと教えてあげているだけなのにです。(「よいことを教えてくれた、あなたは命の恩人です」と感謝されるかと思いましたが…)

しかし、どれだけ怒ろうがわめこうが事実は事実です。早く私に詫びを入れて「助けてください」と懇願されてはどうでしょう。

それ以外であなたたちが早死にしない方法はないからです。(あれ、神経、逆撫でですか?)

しかし、こればっかりは事実です。土下座でもされて私に許しを乞うてはどうでしょう。

そうしないと、あなたたちが早死にするのはもはや避けられない決定的な事実であるからです。

だってそうでしょう。それだけの悪いことをすでにあなたたちはしているのです。

だから私は、今のままではあなたたちは早死にします(早々にあの世に引き上げらます)といっているのです。(何度もいいますが、そのことを私はあなたたちに教えてあげているのです。もっと感謝されてはどうでしょうか?)

自分たちが現したサイレンをすべて私のせいにして、私一人を悪者に仕立て上げ、自分たちは善人のふりをして「あいつがすべて悪い」と根も葉もない噂をいいふらし、よってたかって私への嫌がらせ。

そのせいで、私はあなたたちだけではなく、そこらじゅうの人たちから(それこそ大人から子供までです)嫌がらせを受ける羽目になり、そればかりか、そんな根も葉もない噂を信じて私に嫌がらせをしたばかりに、多くの人が病気になっているのです。(そんな罰当たりな行いもないからです。心を救われている者に感謝もせず嫌がらせです。これでは天罰も食らいます)

これだけ恐ろしい現象(サイレン)を世に現したにもかかわらず、それをすべて法を説いている者のせいにして、法を説いている者を大悪人に仕立て上げ、その噂を信じた多くの人まで病気にしている。

これだけ極悪非道の所業はありません。(これだけの悪事、そうは出来ません)

だから『あなたたちが早死にするのはもはや避けられない決定的な事実である』といっているのです。

それだけの悪行を(知ってか知らずかは知りませんが)すでにあなたたちはしているからです。(「知らなかった」ではすまされないほどの悪事です)

ただでさえ法を説く人への悪事は罪が重いのです。

それは、法の流布のじゃま、法を説いている人への嫌がらせは、殺人を犯すことよりも重いと昨日書いた通りです。

なぜ、そんなことがいえるのか?

それは天罰の多さを知るなら分かるはずです。

殺人を犯した者に、この辺りで起きているような天罰がくだるでしょうか?

もし、法のじゃまをすることより、殺人の方が罪が重いのなら、天はこの辺りで起きているよりもっと重い罰を殺人者には与えるでしょう。

しかし、殺人を犯した者にそんなに次々に天罰がくだるようなことはないのです。

なぜでしょうか?

それは、法をじゃますることより、まだ殺人の方が罪が軽いからです。だから、天はそのような殺人者に罰はくださないのです。

肉体を殺す罪は心を殺す罪よりずっと軽いからです。

そういう起きている現象で、自分たちがどれだけ悪いことをしているのか理解しないといけないのですが、これが唯物無神論の弊害なのです。

日本の人々は長く唯物無神論であったため、その天罰の意味がまったく分かりません。

天が罰をくだすわけがないと頭から思っているのです。だから、どれだけ天罰を食らっても、それは一個人がやっていると思い込んでいるのです。(そういうことを一人の者がやれるのかまったく疑問ですがね。都合のいいこじつけとしか思えませんが)

しかし、あまりに重い罪をこの世の人が犯した場合、天は罰をくだすのです。

それがこの辺りで起きている恐ろしい災いなのです。

罰が当たっている人がより重い罪を犯しているのです。いい加減それを理解しないといけないのです。

この世の罪で、およそ法に関わる罪ほど重い罪はないのです。(無差別殺人の犯人でも、これだけの天罰はくだりません。なぜ、天がこれほどの罰をこの辺りの人たちにくだしているのか?それは、無差別殺人を犯すよりも〔ずっと〕重い罪をこの辺りの人たちは犯しているからです)

これくらい説明すればもうお分かりでしょう。(それともまだ分かりませんか?そういう人はよほどの無知です)

これだけの天罰が次々にくだるような恐ろしく重い罪を、あなたたちは(自分だけでなく)多くの人に科してしまったのです。

その罪は凄まじいものになっているのです。(あなたたちが知らないだけでです)

この世の基準と心の基準は違います。その心の基準を基準としないといけないのです。(とはいえ、では、この世の法律を守らなくてもいいのか、といえばそうではありません。この世の法律も当然心の基準の中に入っています)

この世の基準を知っていても心の基準(法)を知らない人は多いのです。

しかし、心の基準を知らないと、知らず知らずのうちに大きな悪を犯してしまい、天罰を受けるということは往々にしてあるのです。

これからは特に、この心の基準を知らないと、どこでどんな天罰を食らうか(どこでどんな罪をつくるのか)分からない時代となっています。

いい加減反省されてはどうでしょう。

悪いのは、その心の基準をそっちのけにして自分のことばかりしていた多くの人々であるからです。

追伸…本当にどこかの会社の様子が変ですね。(よく電話がかかって来てバタバタしています。それでもたまにキレていますが)

昨日書いたブログのようなことが起きてきたのではないでしょうね。(次々に病気になる人が出だしたとか)だとしたら、もう怒っている場合ではありません。

怒れば怒るほど病人(天罰)が増えていくからです。

私が祈れば、その現象も止まるかもしれませんが…どこかの運転手より先に来られたらどうでしょう。

あなたたちを救えるのは(もちろん私などではなく)この法しかないからです。

2コメント

10月 25 2016

無知の罪の重さ

昨日はバカ会社がうるさくて書けませんでした。

そうしたらまた何か起きたようで、昼前くらいからずいぶん引いていました。

災いが起きることが分かっていても悪いことをやめよとしない(というか、どちらにしても悪いことが起きるので〔こうも無反省では当然そうなります〕やけくそなんでしょうが)本当に哀れなものです。

この連中が(昨日の災いもあり)引いているうちに書けるだけブログを書きましょう。

最近の名古屋は、最も魅力がない街とか、日本一の嫌われ都市とかいわれて、ずいぶん人気がないようですね。

それに加えて、もう日本全国で起きている現象を(人が次々に病気になる)私一人のせいにして、その現象を強調して(まるでこの辺りだけに起きているようにです)「あいつのせいでこうなった」と怒っている人が多いというのですから、よけい嫌われるでしょうね。

そんな人が次々に病気になっているような街など呪われているとです。(苦笑)

しかし、この頃はそういう噂が立つと逆に怖いもの見たさで名古屋に来る人が増えるのかもしれません。

最近はそういう怖いもの知らずの人が増えたからです。

しかし、それは単に、怖いものを知らないだけなのであって、その怖いもの(天罰)の本当の怖さを自分たちが知らないから平気でそのようなことが出来るのです。(先ほどのバカ会社の連中と同じです。そういうことをしていたら〔やけくそな態度〕後でどれだけ恐ろしい目に遭うのか、それをこの連中は知らないのです)

それは自分の無知さの現れなんですが、その無知ということが分からない、だから、これだけ悪いことが起きる人が多いのです。

自分たちが神のことも、心のことも、まるで分かっていないといつまでも気づかないからです。(だから、この時代、神のことも心のこともよく知らないと、どれだけ危ないのかということも分からないということです)

昨日テレビでやっていましたが、すでに日本は多死社会となり、火葬場が不足しているそうです。

つまり、亡くなる人が増えたため、人が亡くなっても火葬が追い付かず、すぐに火葬が出来ない自治体が増えているのです。(昨日やっていた埼玉の火葬場など早くて三日待ち、混んでいる時は十日待ちだそうです)

現在の日本は年間百三十万人の人が亡くなっているのですが、これが先々(十年~二十年先です)百六十万くらいにはなるのではないかと昨日のテレビではいっていたようですが、ずいぶん甘い予想ですね。

私はその程度ではすまないと思います。というのも、園頭先生が気になることをいわれていたからです。

前にも書いたのですが、名古屋に先生が講演会で来られた時に、名古屋駅など今ビルがたって人がいっぱい入っていますが、これから人が減っていって、今いっぱいに人が入っているビルもガラガラになって、廃墟になるビルも増えるといわれていたのです。

それはもう二十年以上も前にいわれたことです。

その時は、これだけ多くの人が亡くなっているわけでもなく、日本の人口の減少のことをそれほどいわれている時代ではありませんでした。(マァ、多少はいわれていましたが)

だから、そんなことが起きるのだろうかと不思議でしたし(というか、ピンと来なかったですね。いくら園頭先生のお話とはいえ、あまりに現実離れのした話であったからです)仮にそういうことが起きたとしても、それは百年も二百年も先の話であろうと思っていました。

しかし、今の現実を知ると、園頭先生は近いうちにこういう時代が来ると(多死社会)すでに知っていられたのですね。

だから、そういうことを、私たちにいわれていたのだと思います。

しかし、いま多くの人が亡くなっているといったところで、名古屋駅にあるビルにはまだまだ人があふれています。

そんなガラガラのところなどありませんし〔まだ新しいビルを建てているくらいですから〕廃墟となっているようなビルもありません。(マァ、古いビルでそういうところはあるのかもしれませんが)

やはり園頭先生がいわれたことは、外れているか、それとも、もっとずっと先のことをいわれていたのでしょうか?

そうではないでしょう。園頭先生は、この先(それも近い将来です)日本の人口が急激に減るということを天上界から教えられていたのだと思います。

だから先生は、私たちにそのようなことをいわれていたのであって、そんな先の話なら、その時にそういうことわりを入れるはずであるからです。(これは百年、二百年先の話ですと)

それに、よく考えてみれば今あるビルが百年も二百年も持つわけがありません。(せいぜい数十年です)ということは、やはりこの数十年以内に、日本に大きな人口減少が起きるということを園頭先生は予言されていたのです。

二十年以上も前に誰がそんなことを考えたでしょう。これからまだまだ医学は発達していくのです。

では、日本は今以上の長寿社会となり、先々、日本の人口は増えるのではないかとさえ思えた時に、園頭先生はそういう話をされたのです。

しかし実際に、その時には考えもしなかった多死社会などということが起き始め、亡くなる人が年々増えているのです。

だから、その時、園頭先生がいわれていたこと(予言)は当たっているのであり、その園頭先生の予言に従って、今このようなこと(多死社会)になっているのではないかと思えるのです。

でなければ、毎年毎年(数万単位で)亡くなる人が増えていくなど、どう考えてもおかしいからです。(昨日のテレビでも、ではなぜ、毎年毎年亡くなる人が増えているのか?ということについては一言も触れませんでした。つまりその理由は分からないということです)

しかし、数万単位で亡くなる人が増えたとしても、それで今あるビルがガラガラになり、廃墟になるビルが増えるのかといえば、そうなるまでにはまだ数十年もかかるということになります。

そういう先の予言をその時、園頭先生はされたのでしょうか?

違うでしょうね。仮に数万づつの人がこれからよけいに亡くなっていっても、十年、二十年先の年間の死者の予想が百六十万くらいなのです。

そのくらいの人が亡くなっても、多くのビルが廃墟になるくらい人が減るとは思えないからです。

ということは、どこかでもっとペースが上がるということです。そうでないと、園頭先生がいわれた予言は外れることになるからです。

園頭先生の予言は外れないでしょう。当たると思います。(つまり年間で亡くなる人のペースはもっともっと上がるということです)

なぜそう思うのか?

それはこの辺りの人たちを見ていれば分かるからです。

特にどこかのバカ会社など顕著ですが(相も変らずじゃましています)この辺り、こういう態度を取っている人がたくさんいるのです。(私のブログを読んで心が救われていながら、感謝一つせず、そのお返しが嫌がらせ)

これでは多くの人が罰が当たるのが必然なのです。

それは、どこかのバカ会社やどこかの運転手連中を見ればわかるはずです。(罰が当たりっぱなしですから)

そういう態度をとっていれば、罰が当たるという見本のような人たちがたくさんいるにもかかわらず、それでも、そういう間違った態度を改めない、そういう人が、この辺りわんさといるのです。

では、罰が当たって死ぬ人も増えるということになります。現実に亡くなっている人もいると思うからです。

これはどこも似たり寄ったりでしょう。それは、いま起きている天変地変の激しさでも分かります。(私のブログを前から読んでいて、少しも布施しようともしない、そのような人が多いことでもそれは分かるのです)

そういう人が多ければ、罰が当たる人がこれからもたくさん出てくるということになります。そうであるなら、亡くなる人はもっともっと増えるでしょう。

これからは正法の世がより深まっていくからです。(ということは、よけい罰が当たりやすくなるということです)

この辺り、そういう(神のことも心のことも知ろうとせず不遜な態度を続けている)人たちに次々に罰が当たっているのです。

法の流布のじゃまはもっとも悪いことなのです。それこそ、殺人を犯すよりもです。(法は心を救うのです。肉体よりも心を救うことの方がより大事なのであり、ということは、法の流布のじゃまは心を救うことをじゃましているというということになり、それは心を救わない〔即ち心を殺す〕ということであり、それは肉体を殺すことより罪が重いのです)

そういうこの世で一番悪いことを平気でして、心が救われている人にこれまた平気で無視や嫌がらせです。(それも非常に悪いことです。心が救われるほどのよいことはないのですから。それだけよいことをしている人に嫌がらせや無視を決め込んでいるのです。だから、それも非常に悪いことであるといっているのです)

これではよいことが起きるわけがなく、この辺りに次から次に悪いことが起きるのはある意味、当然のことなのです。

その一番悪いことをいつまでたっても理解しようとしない人が多いからです。(だからこの数年でこの辺りずいぶん人が減るのではないかと思えてなりません。特にこの辺りは、そのような無理解な人が多いからです)

だから、これから亡くなる人は急激に増えるのではないかと思えるのです。

そのような神や心のことにいつまでも無知な人が多いからです。

いつまでも勉強する気がないのであれば、いつまでも無知なままなのです。しかし、もう無知では危ない時代になっています。

しかし、それさえも無知な人は気づかないのです。

釈尊は、この世で一番悪い人は「知るべきことを知らない(無知な)人である」といわれました。

その釈尊がいわれた神理はいつの時代においても正しいのです。

0コメント

Next »


あなたは人目の訪問者です。