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2017年8月

8月 15 2017

おかしな信仰

昨日のコメントにも書きましたが、今年のウナッシーさんなど見てもらえれば分かると思いますが、この法を実践して感謝の心で布施されると次々に奇跡が起きてくるのです。

こういうのを「お陰がある」というのであって、どこどこのお寺が霊験あらたかだから、そこにお参りしたからお陰があるとか、どこどこの有名なお寺でお参りしたからパワーをもらったとか、そういうことをいっていても、後で奇跡が起きてこないようでは何のお陰もないのであって、そういうあちこちのお寺や神社に行ってお参りすれば、それでお陰があると思い込んでしまう、このような無節操な信仰の仕方が一体いつから始まったのか、ちょっと書いておきましょう。

正法誌の1979年十月号から抜粋します。

<3、祈祷寺、流行仏

徳川幕府は1631年(寛永八年)宗教統制の必要上、新しく寺をつくることを禁止する、新地建立禁止令を出した。幕府の保護を受けられない寺が、寺の経営を成り立たせるためには祈祷寺としていろいろの祈祷(きとう)をして祈祷料をあげる以外になかった。檀家がないから、いきおい多数の人を集めて、その霊験を説くことに熱中し、また霊験あらたかだとして諸仏菩薩などの像を安置して拝ませてお賽銭をあげさせる以外になかった。

本尊の外に、不動明王、勢至、観音、薬師、弁天、水天、聖天、大黒天、愛染明王など、とにかく何でもかんでも寺の境内に祭って収入をあげることを考えた。そうして縁日をこしらえた。八日は薬師、十五日は阿弥陀、十八日は観音、二十四日は地蔵、二十八日は不動明王の縁日として開帳して人を集めてお賽銭をあげさせる。正月と盆の十六日は「やぶ入り」と称してお参りをさせる。

縁日をひらいて開帳しても足を運ばない人からも金を集める手段として考え出されたのが「お札」を配るということであった。「お札」をはってそれを拝むと、直接、お寺や神社に足を運ばなくても足を運んだのと同じことであるというのである。

現世利益を願い、苦しみから逃れたいと思っている民衆に対して、坊さんたちは、仏教とは関係のないバラモンの神々である帝釈天、弁財天、吉祥天、水天、聖天などを拝ませたことが、ますます仏教というものを分からなくさせてしまった。

江戸時代の民衆の「おかげがあれば見境いなしに何でも拝む」という江戸時代独特の信仰は、今でも続いている>

この園頭先生が書かれた正法誌を読まれれば、お寺や神社に行ってお参りしても何のお陰もないと分かるはずです。

なぜなら、このようなことは(いろいろな寺などに行ってお参りさせることは)宗教的な意義があって始まったことではなかったからです。

仏像を拝ませたり、縁日などと称して人を集めたのは、その寺の生活のために始めたことであり、ただの商売であったからです。(人によっては衝撃の事実でしょうが、しかし、事実は事実です)

宗教的な意義がまったくなく、商売でしているものにいくら祈ったところでお陰があるわけがありません。

だからそういうところにいくら行って祈っても、何の奇跡も起きないのです。まったくお陰がないからです。

それをあるように見せているだけなのです。その寺の生活のためにです。

だから現在の寺は(はっきりいうなら)詐欺団体であるということです。そうして、そのようなところにお陰があると思いこんでお参りに行っている人たちは、詐欺に騙されお金を取られている(お賽銭など出してです)哀れな被害者であるということです。

今の坊さんたちが、このような事実を知っているのかどうかは知りませんが、知らずにやっていたとしても悪いことは悪いことです。(寺が、このような宗教とは縁もゆかりもない商売を江戸時代から急に始めたのですから)

そこに来てくれた人を本当に救いたいのであれば、こんなことをやらせているより、自分が説法されることです。

本来、坊さんとは、人の心を救ってその代償として布施をもらって生活するのが、正しい坊さんのあり方であるからです。(釈尊やキリスト、皆そうです)

そういう点でいうなら、私がしていることこそ本来坊さんがしなくてはいけないことなのであり、その坊さんたちがしなくなった本当の正しい信仰の仕方を実践しているのが私なのであり、だから、私のいっていることを実践すると奇跡が起きるのです。

私がしていることこそ、正しい信仰の仕方であるからです。(物に祈るのではなく〔こういうのを偶像崇拝というのです〕正しいことの実践)

とはいえ、別に私が特別なことをしているわけではありません。昔から坊さんたちがしていたことをしているに過ぎないのです。

今の坊さんたちが(坊さんたちだけではありませんが。今の宗教家といわれる人たちがです)大きな間違いをしているだけなのです。

おかしな信仰をいつまでも続けていても何のお陰もありません。

正しい信仰に目覚めませんか。

正しい信仰を始めない限り、本当に救われる道はついてこないからです。

追伸…あちこち回ると本当によく分かります。私のブログを読んでいる人たちの多さがです。(昨日でもそうです。「このブログを見ている人がコロコロ…」といって回っていたら、ゴロゴロ私のブログを見ている人が見つかりました。この脅し文句は〔本当の脅しかどうかは知りませんが〕私のブログを読んでいる人を見つける分には本当に効き目があります。〔笑〕)

しかし、これだけ多くの人が私に心を救われているにもかかわらず、感謝の変わりに嫌がらせをし続けていたというのですから呆れますね。

昨日も、そういう話をするといやらしそうな顔をして歩いていく人がたくさんいました。(ほとんどの人がそういう態度ですね。〔少しは良心があるようです〕怒り出す人もいますが、そういう程度の低い人は十人に一人くらいです)

それで、そういう人たちは、ただいやらしそうな顔をして歩いていくだけでそれでよいのですか?いまだ私に心を救われ続けていてです。(そういう人の中にも、まだ、このブログを読んでいる人も多いんでしょう)

布施くらいされたらどうですか。それだけ罰当たりなことを続けていたのだし(というか、心が痛みませんか?私に対してです)どちらにしても、それくらいの愛の行為は行わないと、そのままではもうよいことは起きないからです。

せっかく法と巡り合う幸運を得たのです。少しくらいの愛の実践は行うべきでしょう。

それに東京の人たちもそうです。

何か東京は今日で十五日連続の雨だそうですね。八月にこれだけ雨が降るのは四十年ぶりとのことですが、前に発表された天気の長期予報では今年は記録的な暑い夏となるということでした。(だから、その暑さのせいで景気もよくなると期待されていました。それだけ暑ければエアコンなどもよく売れて、ビールなどの飲食も、そうして海や山やプールなどにも人がよく出てです)

その予報が大はずれして(まったく真逆の天気ですから)売れるものも売れず、人も出てこず、また農家の人たちも大迷惑している(夏野菜がこの天気で不作でです)その原因はすべてこのブログを見ている東京の人たちにあるのです。(それはもう自覚のある人も多いのではないでしょうか。だからテレビのニュースなど出ている人は「今日も天気が悪いですね」というのではなく「この天気が悪いのは私のせいです。どうもすいません」と謝らないといけないのです。〔苦笑〕)

だから東京の人たちも心を入れかえ少しくらいの報恩の行為はされるべきなのです。

すべては法を教えてもらっていながら、報恩の行為をしようとしない人々が原因でこのような災いは起きているからです。

正しい信仰とはこういうものなのです。(必ずお陰があるのです。よい方も悪い方もです)

本当の神の教えを教えてもらったのなら必ず(必ずです)報恩の行為はしないといけないのです。

それが教えてもらった側の義務であるからです。

それをしないから(その義務を果たそうとしないから)悪いことが起きてくるのです。(それも、もうとっくに気づいている人が多いと思いますが。気づいていてやらないのです)

その悪いことは、自分たちの間違いに気づくまで続きます。(その間違いを直すまで続きます)

早く気づいてください。(早く直してください)法を教えてもらっている人たちが間違いに気づかなければ(間違いを直さなければ)災いはいつまでも続くからです。

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8月 14 2017

哀れな国

ウナッシーさんには次々に奇跡が現れているようですね。(祈りで子供さんのひどい湿疹が治ってしまうなど、キリスト並みの癒しですね。〔笑〕)

法の実践をされる人が少ない中、特に布施の実践など誰もしていない中(このブログを読んでいる人たちはです)月に一度必ず布施をされる、そのような(多くの徳を得る)実践をされているウナッシーさんの祈りを神がきいてくれないはずがありません。

キリスト並みの祈りの奇跡も起きるでしょう。

この辺りの人たちも少しは見習えばいいのに(皆、私のブログを見ているのですから。〔苦笑〕)そういうところは頑として見習おうとはしません。(というか、逆らいまくりです)

それではモーゼ並みの災い(過越の祭り)が起されるのもまた仕方がないことでしょう。それほどの悪いことをこの辺りの人たちはし続けているからです。

さて、それはそれとしてです。

昨日北朝鮮のことを少し書きましたが、その北朝鮮が今度は潜水艦のミサイルの発射準備まで進めているとか何とか、また昨日ニュースでいっていました。(もう連日〔盆だというのに〕北朝鮮のニュースばかりです)

なんでも力ずくで解決しようという哀れな行いを、この国はし続けているようですが、そんな哀れな北朝鮮のような国にどう対処したらいいのか、ちょっと書いておきましょう。(政府が用意しているPAC3でも潜水艦からぶっ放されたらどうしようもありませんよね。どこから撃つか分からないんですから)

園頭先生が書かれていた正法誌の1979年(昭和五十四年)の九月号に次のようなことが書かれてあります。

<昭和四十九年十月であった。私は「なぜお釈迦様が二千五百年して日本に生まれることを予言されたか」ということについて、高橋信次先生にきいたことがあった。

その時に「如来は、未来のこともすべて見通す力を持つのである。日本に生まれることを予言したのは、二千五百年たった時に日本が世界に大きな影響力を持ち、正法(法)を説くにふさわしい国になることが、分かっていたからである。日本という国があって、正法が全世界にひろがっていくのであり、日本という国がだめになれば正法が説けないことになるから、日本という国は、どんなことがあっても守られるということになるのである。たとえばソ連が、日本を侵略しようと意図すれば、必ずソ連には食料飢饉が起こり、ソ連の国内に問題が起こって、日本に手を出すことが出来なくなってくるのである」といわれた。

ソ連は昨年も小麦が不作であった。今年もすでに大不作である。先般、ソ連が、アメリカの小麦を大量に買付けたことが新聞に載っていた。

ソ連がどんなに軍隊を持っていても食料がなければ軍隊を動かすことは出来ないだろうし「いよいよという時には、ソ連には国内に暴動が起こるのである。日本は米がたくさん取れることになっているのである」といわれた。

日本という国は、全世界に正法をひろめる基礎となる国なのであるから、日本という国は愛していかなければならないのである>

実際に釈尊の予言の通り、現在の日本は世界に大きな影響力を持つ国になっていますが、しかし、釈尊の教えは説かれてはいません。

この正法誌に書かれた部分の「ソ連」(現在はロシア)のところを北朝鮮に置き換えて考えてもらえれば(あるいは中国にでもいいんですが)分かると思います。

この法さえ日本に拡がるなら、このようなことが(食料飢饉や暴動が)その国の国内に起きてきて、日本にかまっていられなくなるのです。(もっというなら、米が毎年豊作なのは、日本に法を説く使命があるからです。その使命がなければ、日本人の主食である米が毎年食べきれないほど取れるということもないのです。ひどく不作の年があってもおかしくはないのです。そういうところでも日本の人々はこの法に感謝しないといけないのです)

しかし、日本にどれだけちょっかいをかけても、このような国々(北朝鮮や中国)にそのようなことは起きてきません。(実際は起きているのですが〔食料飢饉や暴動などはです〕日本にかまっていられなくなるほどのことは起きていません)

それは日本が真の使命を果たしていないからです。(釈尊が〔高橋先生が〕説かれた法を世界に拡めていないからです)

二千五百年前からすでに決められている大きな使命を(正法神理を世界に伝える)日本の多くの人々が反故(ほご)にしようとしているのです。これでは日本にいいことが起きてくるわけがありません。

だから悪いことばかりが起きているのです。(数々の天変地変や多くの災い)

そのことを分かっている人がたくさんいるにもかかわらず、それでも無視している。

本当に哀れな国とは、神から与えられた大きな使命が分かっているのに、それを無視し次々に災いを受けている、この日本であるのです。

追伸…最近、奇跡ばかりが起きている(別に災いばかりが起きている人たちへの皮肉ではありませんが。〔苦笑〕)ウナッシーさんにちょっとおききします。

去年はウナッシーさんは私に布施をされませんでした。そうして今年は毎月のように布施してくれています。

その去年と今年で(つまり私に布施をしている時としていない時で)起きてくることに何か違いはありますか?

もし、あるようならその違いを教えてください。(なければ別にいいです)

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8月 13 2017

奇跡と災いの境目

さすがに今回ばかりはずいぶん静かになったようです。(運転手以外の人たちはですけど)反省する人もいるのではないかと思われます。(心を救われている人に嫌がらせを続けていた、さすがに負い目はあるでしょうね)

それでもまだ怒って嫌がらせして来る人もいるにはいますが、少ないですね。そこまで程度の低い人たちはです。(だから昨日、怒って私に嫌がらせをしてきた人たちは一部の心の低い人たちであるということです。少しは反省されてはどうでしょう。そのような心の低い人たちもです)

これでまた元に戻ってしまっては意味がありません。(そういうことがこれまで何度もありましたから)今回は(今だけではなく)心から反省される人が出て来ることを願ってやみません。

そうしないと、今回もまた戻るようなら(また、お前が悪いと多くの人がいい始めるようなら)天の怒りは相当なものとなるからです。

それこそ一変に多くの人が実在界に引き上げられかねません。

今回ばかりは、素直に反省されてはどうでしょう。何度もいいますが、悪いのはすべてそちら(このブログを読んでいる人)の方であるからです。

この辺りの多くの人たちが(それもかなりいますね。大人から子供までです)このブログを読んで心が救われていたにもかかわらず、それには一切感謝しようとせず、嫌がらせをし続けていたのです。

しかも、そのような自分たちの悪行が原因で起きてきたサイレンなどの悪いことを、すべて私のせいにして本気で怒って、大勢でよってたかって嫌がらせを繰り返していたのもまた事実なのです。

しかし、そういうひどい嫌がらせを私にしておきながら、このブログだけは読み続け、神や心のことを私からきき続け、自分たちの心だけは救われていたというのですから、これだけ都合のいい話もありません。

そんなひどい(わけの分からない)ことを多くの人が平気でしているから、ドンドン悪いことが起きてくるのです。

そうして、それ(その悪いこと)まで私のせいです。いくらなんでもやりすぎでしょう。

そんな態度を取っていた人たちは、そのままでは全員が不幸になるのです。自分たちの態度があまりに悪すぎるからです。(あまりに愛がなさすぎるからです)

だから今回こそは反省しないといけないと私はいっているのです。

ここまでの(悪い)ことを何年にも渡り続けていて、それでも反省しないというのであるなら、さすがに天もここまでと、多くの人を引き上げてしまうであろうからです。(もちろんあの世、実在界にです)

そのような傾向がすでに出ているのです。(どこかの会社やこの近辺にはです)

だから怒っている人や引いている人が増えたのです。それだけ恐ろしい現象が起きる頻度が増しているからです。

そのようなこの辺りの人たちだけではなく、ただでさえ日本はひどい目にあっているのです。

よく考えてみて下さい。日本の隣には中国のような大国や北朝鮮のような独裁国家が存在しているのです。(今回その北朝鮮がグアム近郊にミサイルを発射するとか何とか騒いでいますが、今はそちらよりこちらの人たちのことを優先しなければいけません。そうしないとこの辺りの多く人たちに不幸なことが今日にでも起きるかも知れないからです。いつ発射するか分からないミサイルのことより、今日にでも起きるかもしれない不幸を抑える方がやはり優先されるでしょう)

しかし、日本は、そのような国よりも天変地変がたくさん起きているのです。

いっている意味がお分かりですか?

そのことを少し詳しく書きますが、例えば中国は国が大きいだけではなく多くの人々が住んでいます。

そういう国であるなら、天変地変がたくさん起きるのはある意味当然なのです。

それだけ多くの人が住んでいるということは、それだけ多くの心の(レベルの)人がいるということであり、では、心の低い人もたくさんいるからです。(心の低い人が多いところには天変地変は起きますから)

そうして、中国も北朝鮮同様(共産党一党支配の)独裁国家であり、では、不平不満を持つ人はどれだけいるのか分からないくらいなのです。(何せ、人口が十三億といわれていますから)

そうして南シナ海問題や東シナ海問題、チベットなどへの侵略行為などで他国にもちょっかいをかけ、それは北朝鮮なども同じで国内の粛清の激しさはもちろんのこと、日本近海にまでボンボンミサイルを撃ち込み、世界を不安に陥れています。

だから私はいっているのです。

こういう国に天変地変がたくさん起きることはある意味当然であるとです。天変地変は天罰(気づきの現象)であるからです。

気づかなければいけないことがたくさんある国に、気づきの現象がたくさん起きるのは当然のことなのです。

それにもかかわらず、日本にはこのような(気づかなければいけないことがたくさんある)国以上に天変地変が起きているのです。(起きているでしょうね。日本は災害国家とまでいわれているのですから。こんな国は他にありません)

これは一体どういうことなのか?ということです。

ということは、このような国(中国、北朝鮮)以上に気づかなければいけないことが日本にはあるということです。

それが何かはもうお分かりでしょう。このブログを読んでいる人たちにはです。(というか、このブログを読んでいる人にしか分かりません)

だから私はいっているのです。反省しないといけないとです。

そのような天変地変が最近はなお一層激しく起きだしたのは、多くの人がいつまでも神のことを思わず、無反省な態度を(私がどれだけいっても)取り続けているからです。

そのような態度が直るなら、起きている災いも減ってくるのです。いつまでも直そうとしないから災いも激しくなるのです。

何回でもいいますが(また、バシバシが始まりましたので。どこかのマンションの連中がです。急に始めます。この連中もどこかの会社と同じように情緒不安定ですね)私のブログを読んでいて(自分たちの心が救われていて)一切感謝しようとしないことは(一切報恩の行為をしようとしないことは)悪いことなのです。

そういうことを続けているからよい事が起きてこないのです。(それプラス嫌がらせです。悪いことが起きるのが当たり前でしょう)

しかし、そういう態度を反省するなら、災いは止まり奇跡まで起きてくるのです。(もちろんそれは愛の行為を行えばということですが)

だから、間違った態度を反省できるか否かが、災いが起きるか、それとも奇跡が起きてくるかの境目ということになります。

間違った態度を反省し、愛の行為を行えば行うだけ奇跡が起き、間違った態度を続ければ続けるだけ災いが起きるのです。

今のような(間違った)態度を続けるのは自由ですが、あなたたちは人として、神の子の人間として「愛」という心はないのですか?

もし、少しでも愛の心があるのなら、私にこれだけ心が救われ、その私にこれだけ多くの迷惑をかけているのです。

少しくらいの愛の行為はしても当然なのではないでしょうか。(それにこのブログを楽しみにしている人も多いのではないですか?特に年寄りなどこのブログは老後の楽しみ程度ではすまないはずです。心がドンドン救われ、死後の世界まで教えてくれているからです。老い先短い年寄りにとってこれだけ希望がわくブログもないはずです。このブログを書くだけでも私は多くの愛の行為を行っているのです)

そういう心がまったく出てこないというのであれば、それだけ愛のない人もいないでしょう。そういう人は無理して報恩の行為などしていただかなくて結構ですが、しかし、愛がなければ多くの不幸を呼ぶのです。

そのような愛のない行為を続けている人が多いから災いが多く起きているのです。

愛の行為を行えば行うだけ愛が自分に返ってきます。

愛の行為は人のためではなく、自分のために行うのです。そうして、その愛の行為が広がれば広がるだけ災いは減っていくのです。

「悪いことはお前のせい」といっている暇があるなら、愛の行為を行ってください。

それが一番、悪いことが起きない方法であるからです。

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8月 12 2017

心が救われることの有り難さ

昨日は名古屋で激しいゲリラ豪雨がありました。(熱田区で一時間に七十五ミリ)

私も外にいて降られたんですが(ほんと凄い雨でした。傘など役に立ちませんでした)昨日のブログに、このブログは天まで動く、あまり皆さんが動こうとしないとまた天の怒りが爆発する、などと書いたとたんの激しい雨です。

名古屋の人たちはもう少し動かれたらどうでしょう。(せっかく多くの人が法を知らせてもらっているのですから。このブログでです。〔笑〕)

そうしないとやはり天の怒りは激しそうであるからです。(でしょうね。本当の神の教えを教えられて感謝も何もないなど〔何もないどころか、その恩を仇で返しています〕これ以上の過ちもありませんから)

世は盆休みのようですが、私に休みはありませんね。法を伝えられた多くの人々が大きな間違いを犯しているからです。(その間違いを正さないと天の怒りも激しいでしょうから。ということは悪いことが起きる人がたくさん出るということですから)

今日も朝から怒っているマンションの人がありました。(朝からバシッという〔窓を閉める〕でかい音を何度も立てていましたから)

私が人を病気に出来るのなら、前の会社の連中はとっくに全員が病人です。(この連中がどれだけ私に嫌がらせをしているのか知っていますよね)しかし、いまだ元気な者も多いのです。

このような事実が私が人を病気にしているわけではないということを物語っています。(私が人を病気に出来るのなら、嫌がらせをして来る者を片っ端から病気にします。どれだけ私が普段から嫌がらせを受けているのか、あなたたちは知らないのです)

人が病気にするのでなく、自分たちの心がその病気をつくっているのです。(病気という漢字をよく見てください。気の病と書かれているではないですか)

その間違いに早く気づかなければいけないのです。

昨日も私はあちこちでいい回っていました。「このブログをただで読んでいる人がコロコロいっている」とです。

するともうあちこちの人がビクついています。そういう人に畳み掛けます。

「人のブログ読んで散々心が救われたくせにまったく感謝もせず、嫌がらせばかり、そういうことをしていて悪いとは思わないのか」「そういう態度を皆が皆していて、それで自分たちに悪いことが起きて来ると、それは全部俺のせい。皆さん、自分のしていることがお分かりですか?」「何で自分たちがそんな恩を仇で返すようなことをしていて、あのサイレンが皆、俺のせいなの」「自分たちのやっていることを棚に上げ、よってたかって俺一人を悪者にして心は痛まないんですか?」「皆さん、良心はないんですか?」など、もうここぞとばかりにいいたい放題いいます。

するともう多くの人がいやらしそうな顔をして逃げるように歩いていきます。(実際に逃げていく人もいますし)

別に憂さ晴らし(うさばらし)でやっているわけではありません。(マァ、少しくらいはそういうのもあるかもしれませんが…)気づいてほしいからやっているのです。(とにかく凄まじい勘違いぶりですから。これだけ罰当たりなことをしていては、この辺りにたくさん病人が出るはずです。しかし、その病人まで私のせいです。ほんとどこまで行ってしまうのでしょう。この辺りの人たちはです)

このことに(自分の大きな間違いに)気づかないと、その人は絶対に幸せになれないからです。

心が救われることの有り難さをこの辺りの人たちはまったく理解していないのです。(それはこの辺りの人たちだけではありませんが)

「心が救われることの有り難さ」それは普段の生活から考えてみても分かるはずです。

普通に生活をしていて、心が救われることがありますか?そんなに頻繁に心が救われているのなら、これだけ思い悩む人は多くはないでしょうし、自殺者が年間三万人も出ることもないでしょう。

それに普段は悩みがないような顔をしている人たちでも、実際は悩みを持っている人は多く、それを遊びか何かでごまかしているだけなのです。

だから多くの人が救われたいと、神社やお寺などのパワースポットに行ったり、占いなどに頼ったりしているのです。

それは多くの人が心が救われたいと願っているからです。(肉体が救われたいのなら病院に行くはずですから)

では、その心が救われるブログがあるのなら、誰もそのブログを読むのではないでしょうか。その心を救われたいと願っている人が一番多いからです。

その心をこのブログを読んでいる多くの人は救われているのです。(程度の差こそあれです)

このブログには神のことや心のことが詳しく書かれ、死後の生(あの世の存在)まではっきり書いて、奇跡から災いまで実際に起こしているのです。

これだけ物質以外の(精神の部分、つまり心の)部分が分かるブログはありません。(実際に書いた通りのことが起きているのですから)では、それだけ心の部分が分かってくれば、その心が救われた人は多いのではないでしょうか。

このようなブログに巡り合ってです。

それにもかかわらず、感謝する人がほとんどいないというのはどういうことでしょうか?

自分が一番救われたいと願っていた心が救われているにもかかわらずです。

そういうことをしていれば、いいことは起きないと、ちゃんとこのブログの中に書いています。

その書いた通りのことが起きているだけではないですか。それが何で私のせいになるのでしょうか?

このブログをしっかり読まなかった(それを行おうとしなかった)自分たちの責任でしょう。私のせいではありません。

このブログは多くの人の心を救っているのであり、感謝されこそすれ、恨まれる筋合いのものではないのです。

ここに書いた通りのことを行えばちゃんと奇跡は起きるのです。(それを証明した人は私以外でもたくさんいます)

奇跡が起こせるはずのブログに書いてある通りのことをせず、それで悪いことが起きて、それを私のせいにされても、それは(自分たちの智慧が足りないばかりの)逆恨み以外の何ものでもないのです。(智慧が足りないからやろうとしないのです。〔智慧が足りないからこの教えの大事さが分からないのです〕)

だからよけい悪いことが起きてくるのです。ただでさえ悪いことをしているうえに(この教えに逆らってです)悪いことを重ねているからです。(逆恨みして嫌がらせをしているからです)

このブログは小さな子供から(それこそ小学生くらいから見ていますね)年寄りまで広い範囲の人が読んでいるのです。

では、それだけ多くの人の心を私は救っているということになります。(正確には救い続けているということですね。いまだブログを続けているのですから)それなのに、そのような人々が感謝一つしない、それではそのような(感謝もしない)人々にいいことが起きるはずがないのです。

自分の行いが間違っているからです。心を救ってもらったのなら、少しくらいの報恩の行為は当然しないといけないからです。(報恩の行為があって初めて感謝したといえるのですから)

それくらいのことはしないといけないのです。こちらはこちらで人々の心を救うための努力はし続けているからです。

そこまで広い範囲の人々に読まれるためには、それだけの努力は(勉強は)していますし、そういう正しい努力をし続けているから、それだけの奇跡もまた起きてくるのです。(善因善果、悪因悪果)

何度もいいますが、私の周りに多くの奇跡が現れていることが、私が正しいことをしている証拠でありますし、また、それだけ多くの人々の心を救っている証拠でもあるのです。

それだけ多くの人の心を救っているから(それだけのよい行いをしているから)それだけ多くの奇跡も現れて来るのです。(それだけのよい行いが返って来るのです)

起きていることの大きな違いが、やっていることの大きな違いなのです。それを起きて来ることが教えているのです。

大きな間違いをしているのは自分たちなのです。(いつまで〔自分たちの悪い行いを棚にあげ〕悪いことを人のせいにして怒っているつもりですか?それでは悪いことしか起きないのです)

心が救われることの有り難さをもう少し理解されませんか?

その理解が深ければ深いほど、自分も救われていくからです。

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8月 11 2017

救われていく道

今日はどこかの会社も休みのようです…この連中、最近はおかしいのに拍車がかかっています。

ずいぶん出ているんでしょうね。(もちろん恐ろしい現象がです)朝から晩までテンパっているのがいますから。

それは恐ろしい現象がたくさん出ると思いますよ、この会社にはです。だってずいぶんこのブログを読んでいる人がいるようだからです。

このブログを読めば心が救われるのです。では、多くの人の心を救っている、このブログを書くことのじゃまをし続けているどこかの会社に罰が当たらないわけがありません。

だから最近は罰が当たるのがまた一段と増えたのでしょう。それだけ多くの人に影響を与えているこのブログのじゃまを天が許すはずがないからです。

昨日もたくさんいましたね。私のブログを読んでいる人たちがです。(もうそこらじゅうで確認していますから。〔苦笑〕)

昨日は堀川の辺りを歩いていたのですが、あそこを歩いている人たちはみな私のブログを読んでいるようです。

本当に呆れてしまいました。私に散々心を救われていながら、この人たちは嫌がらせしかしなかったというのですから。

それでは悪いことが起きるのが当たり前です。何でこんなことが分からなかったんでしょうか?皆いい年をした大人ばかりであるのにです。(昨日あの辺りを歩いていた人たちは爺ちゃん婆ちゃんが多かったものですから)

あの辺りは私もよく歩いていましたので、私の顔を見ると本気で怒っている人がたくさんいました。(そりゃ悪いこともたくさん起きたでしょう。悪いこと〔嫌がらせ〕をして来る人が本当にたくさんいましたから)

しかし、自分たちの行いが悪いから、そういうことが起きていると考える人は一人もいなかったんでしょうか?

いなかったんでしょうね。昨日も私が「何であんたら俺のブログを読んで心が救われているくせに、嫌がらせなんかしていたの」ときいても、答えられる人は一人もいなかったんですから。

皆(顔を引きつらせて)黙り込むか、逃げるように歩いていくかする人たちばかりであったのですから。

よく考えてみれば分かりますよね。このブログのことを知れば誰でも読むとです。

だって、天まで動くブログなどそうはないからです。(というか、このブログだけでしょう。そんなブログはです)では、このブログのことを知れば読む人も多いでしょう。

また、誰にでも読めるような書き方をわざとしています。

だから難しい漢字はあまり使わず、出来るだけ分かりやすく書いているのです。大人から子供まで読めるようにです。

実際に大人から子供までこのブログは読んでいます。ある意味そこはねらい通りですね。

しかし、ねらいではなかったことは、まさかこのブログを読んでいる人たちの多くが、感謝もせずに嫌がらせをして来るとは思いもしませんでした。

そのようなことを多くの人がしたばかりに、凄まじい災いが現われたのです。

最初私は、法を知る人が増えるのなら奇跡が起きてくる人も増えると、それしか頭になかったのです。(だからそのようなブログの書き方をしたのです。大人から子供まで法を知ってほしかったからです。その法を素直に知って行うなら、大人から子供まで奇跡が起きて来るはずだからです)

しかし、この辺りは時間がたてばたつほど逆の現象が次々に現れて来るのです。

何でこんなにこの辺りは災いばかりが起きてくるのか不思議でしたが、この辺りで私のブログを読んでいる人が増えたのはいいんですが、その人たちが誰も私に感謝せず、嫌がらせをしながらこのブログを読んでいたというのですから、それでは奇跡が起きるわけがありません。

そんなことを大勢の人がしてしまったばかりに、奇跡どころか、凄まじい災いが起きだしたのです。

法に従えば奇跡が起きますが、その法に逆らうなら災いが起きるからです。

法を伝えてもらっている人に感謝もせず、嫌がらせを続けながら、その法を学んでいる(私のブログを読み続けているということはそういうことになります。私に法を教えてもらっているのです)これだけ法に逆らっている行為もないのです。

その間違った心と行いを直さない限り、このブログを読めば読むほど災いが起きてきます。

心と行いが間違っているのに、どれだけ正しいことをきいても、その間違った心と行いをし続けている間は、正しいことは出来ないからです。

自分たちが間違ったことをし続けている限り、どれだけ正しいことをしても、それは正しくはならないからです。

間違ったことをやめて、正しいことだけをしないと、正しいことをしているとはいわないからです。

つまり、私に嫌がらせをしながら(悪い感情を持ちながら)このブログを読み続けている人は意味のないことを続けているということです。

意味がないどころか、そういう人はどこかで災いが起きるのです。そういう間違った心を正すのがこの法であるからです。

その災いとは気づきの現象であるからです。

だから、この辺りでたくさんの人が私のブログを読んでいるということはよいことでありますが、私に反目するような心で読んでいるようでは、決してよいことは起きてこないということです。

そういう心を直されたらどうですか。せっかく奇跡が起きる教えを教えられているのですから。

これまでのことを反省し、私に感謝して(そうしてもちろん神にもです。この法とめぐり合わせてくださったのですから)このブログに書かれてある心になるなら(そういう法の心に〔それは即ち神の心〕なればなるだけ)多くの奇跡が現れてくるのです。

では、そうされたらどうですか。そうしない限り(奇跡が起きない限り)この法を知った意味も価値もないからです。(この法を知って周りに奇跡が現れてこないようでは法を知った意味がないということです)

そうして心がきれいになり、そのような心が死ぬまで持続できるなら死後の世界は確実に天上界に行けるのです。

このブログは年寄りの人もたくさん見ています。そういう人たちは死後の世界はもうすぐそこに迫っているのです。

決して(若い人たちのように)無視してよいという問題ではないのではないですか。そういう人たちにはです。(別に年寄りに限ったことではありませんが)

もう死後のことを真剣に考えなくてはいけない世代なのです。(ただ怖がっているだけではなくです)

お経をどれだけ上げても、どれだけ有名な仏像に祈っても、天上界には行けないのです。

それは、そのようなことをした後、何の奇跡も起きないということがその事実を物語っています。

本当によいことをしたのなら、その後に奇跡が起きてこないといけないのです。そのような奇跡が起きる心にならないと天上界には行けないからです。

だから心をきれいにしないといけないということです。(お経や仏像にどれだけ祈っても心はきれいになりませんから)

心をきれいにするなら奇跡は起きてくるからです。奇跡は心で起こすものであるからです。

それは釈尊やキリストを知れば分かります。

釈尊やキリストが天上界に行かれていないはずがありませんが、釈尊もキリストもお経を上げたり仏像に祈ったりしたことはないのです。(お経も仏像も釈尊がいられた時にはありませんでした。釈尊滅後につくられたものです。キリストももちろんそうです。キリストがお経を上げるわけがありませんし、祈りもキリストは天に向かってされていただけです。決して〔仏像のような〕物に向かってされてはいなかったのです。〔偶像崇拝〕)

ただ祈りと反省をされて心をきれいにし、そうして数々の奇跡を起こされたのです。

では、その釈尊やキリストに習えば天上界には行けるということになります。(そうして奇跡も起きるということになります)

だから、意味のないお経や仏像を拝むより、心をきれいにしなさいと私はいっているのです。(法ではいっているのです)

釈尊やキリストと同じことをいっているのは、ここに書かれてある法(正法神理)だけなのです。

だから天まで動くのです。釈尊やキリストが説かれた神理は天まで動かすからです。

最近の天気予報など見ると、一変に天気が悪くなっています。(何か梅雨に戻ったかのような天気の悪い〔雨や曇りの〕日がこの後も続くようです)

この時期は一番天気が安定し晴れが続かないといけない時期なのに、それがこれだけ悪い天気が続くということの意味を分かっているのは、このブログを読んでいる人たちだけなのです。

即ち法を知っている人だけなのです。

少し前の天気予報は梅雨明けのこの時期は、今年は暑い日が(ということは天気のいい日が)続くと予想されていたのに、それがこれだけ外れるのは、もちろん法を知っている多くの人がこの法に非協力的であるからです。(それはもう前からいっています)

今のまま、多くの人が法に対す態度を変えないでいるなら、この天気が悪いのはまだまだ続き、また凄まじい現象を(この前の台風五号のようなです。あまりに皆さんが動こうとしないとまた天の怒りが爆発するからです)現されることになるのです。

それが分かっているのもまた、このブログを読んでいる人(法を知っている人)だけなのです。(だから私に布施する人が増えれば一変に天気もよくなるということです。やってみたらどうですか。私がいっていることが嘘か本当かはやってみればすぐに分かるからです。どちらにしてもこの辺りの人たちはそのままでは罰が当たります。〔ずいぶん嫌がらせをしましたよね、私に〕布施くらいはしないといけないのです)

このブログを読んでいる人が(法を知っている人が)心を入れかえ行いを変えるしか、この先、自分たちも日本もよくなる道はないのです。

それももう、このブログを見ている多くの人たちはご存知でしょう。

心を入れかえ、行いを変えませんか。このブログを見ている人たちが(法を知っている人たちが)それを行わない限り、日本がよくなる道はないからです。

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