9月 30 2020
神理を実践する者と逆らう者との違い
この辺りの皆さん。もはや感謝して布施した方がいいのではないでしょうか。
なぜかといえばもうあらゆるところに出ているようであるからです。天罰がです。
昨日でも、そういえばここ(の会社)はこの前、何かそれらしいことを(嫌がらせみたいなことを)してきたよな、と思うようなところまで出ているようなのです。天罰がです。
そこは昨日、私が通るとシャッターを閉め切り中で怒りながら仕事をしていたので、それがよく分かったのですが、こういうところが他にもあり、もう、それらしいところにもすぐに天罰が現れるようです。
私がしっかり意識していなくても、天はすべてお見通しであるからです。
だから神理を見ていながら感謝もせず、嫌がらせなどしようものなら、もうそんなところには即座に現れるのです。
天罰がです。
そうであるなら、まともに嫌がらせをしてくるところなどもはや凄いでしょう。
昨日もやたらキレているところが何社もありましたが、そこはこの前、通った時もキレていました。それが同じようにキレ続けているのです。
では、出続けているんでしょうね。そういうところは天罰がです。もう地獄でしょうね。そういうところはです。
いつ誰が病気になるか知れない。そういう状況で仕事をしていて楽しいですか?仕事に対してやる気が出ますか?
まだ、分かりませんか。そのような状況で何を一としないといけないのかがです。
仕事でしょうか?それとも神の教えへの帰依なのでしょうか?
だからいっているのです。もはや感謝して布施した方がいいとです。もう凄い勢いでこの辺りなど天罰が現れているようだからです。
だいたい、神理に逆らい続けていればそうなるのです。(くどいくらいいっていますが)それは今だけの話ではないからです。過去からそのようなことは(神理に不遜な人に対する天罰は)起き続けていることであるからです。
だから、ここ数日、私に嫌がらせをしてきた人たちなどもうすぐに現れているんじゃないですか。多くの天罰がです。
運転手連中や感情的に怒っていたオバちゃんたちなど大丈夫でしょうか?そういう人たちはもうすぐにでも感謝して布施された方がいいでしょう。
そうしないとこのような勢いで天罰が現れているのです。そのような人たちにはもうどれだけ天罰が現れるか知れないからです。そうしてその天罰の程度もです。どれだけひどい現象が現れるか知れないからです。(最悪コロッですから)
しかし、この教えに帰依までしなくても、少しでも感謝して布施されるなら、その天罰も止まりますし、仮に天罰が出てしまっている人でもです。
軽くですむからです。その天罰の害がです。奇跡も起きてです。
しかし、頑なにそれを拒むなら、その天罰はドンドンひどさを増し、最後にはコロッと逝ってしまうのです。すでにそうなっている人もいるからです。
だからもう私のいうことを、神理を説いている者のいうことを真剣にきいてはどうでしょう。本当にそういう恐ろしいことが、この辺りにはたくさん起きて来ているからです。
あまりに神理に逆らう人が多いからです。
この辺りなど特にです。いつまでもくだらない意地を張り続けている場合ではないのです。
一刻も早く神理に対する態度を改めないといけないのです。それだけ恐ろしいことがこの辺りにはすでにたくさん起きているからです。
単に、そういう自覚がない人が多いだけなのです。多くの人は、そのようなことを考えないようしているからです。だから現実逃避しているだけなのです。この辺りの多くの人たちがです。
真剣に起きていることを知るならあまりに恐ろしいからです。その起きていることがです。(だいたい、トラックが激減してしまったということだけ取っても恐ろしいのにです。それに加えて次々に天罰がくだっているなど恐ろしすぎますからね。真剣にそんなことを考えたらです。しかし、起きているのです。そのようなことは本当にです)
しかし、その起きていることを真剣に考えないと、まだこれからどれだけ多くの天罰がくだるか知れません。
どれだけ恐れてもそれでも恐れきれない、そのような恐ろしい現象が実際にこの辺りにはたくさん出ているということです。
そうして、その恐ろしいことをはっきり書くなら、もうこの辺りには次々に病気になる人がたくさん現れているということです。
だからそういう自覚を多くの人が持たないといけないということです。この辺りの人たちはです。そういうすさまじいことが起きているのは事実であるからです。(だからキレている人が多いのです)
それでどうするかを真剣に考えないといけないということです。自分でです。
いつまでも心の低い人たちの大間違いな意見をまともにきいているのではなくです。
そのような心の低い人たちは、正しく現実を見ることも、神理に逆らう恐ろしさもまるで理解出来ない人たちなのです。
だからそのような人たちは平気で神理を、そうして神を、なめたような言い方も出来るわけです。
その心の低い人たちは、神の恐ろしさも、神理の正しさも、全然理解していないからです。
理解していないのなら、何とでもいえます。(適当なことがです)そういう何も分かっていない人の意見を多くの人たちはまともにきいているのです。だからこれほどの天罰もくだるのです。
それだけその人の意見は間違っているからです。
いい加減目を覚ましたらどうでしょう。そうして正しく見たらどうでしょう。今この辺りで起きている本当のことをです。
大変恐ろしいことが続いているからです。正しく見るなら、それが本当によく分かるからです。(自分でよく観ることです。そうして自分で判断することです。人の意見などきいているとその人の意見が間違っているなら自分も間違うからです。自分でよく観て正しい判断を自分でするのです)
だから正しく恐れないといけないということです。コロナ禍ではありませんが、何でも同じなのです。こちらで起きていることも、コロナ禍も、同じ禍には変わりがないからです。
しかし、こちらの禍の方がコロナ禍よりもはるかに恐ろしいのです。
こちらで起きている禍は、治す薬もなければ、マスクをしようが手をよく洗おうが、防ぎようがないからです。ドンドン広がっていくからです。心が変わらない限りはです。
しかし、私のように神理に合わせて心を変えている者はどうでしょう。
二、三日前でしたか私が庄内川にいくと、その日は何か知りませんが、やたら大きな魚が水面近くまでたくさん上がって来ていました。少し見渡しただけでも川のあちこちにでかい魚がいます。
今日はでかいのがたくさんいるなと思って川岸を歩いていくと、ずいぶん川の水も満ちていて、その水面のあっちからこっちから魚が川底から上がってきます。(ほとんど鯉のようでしたが)
その日は水が満ちていたので、川の水が私が歩いている岸のすぐ近くまで来ていて、だから私が歩いていくとすぐ横に大きな鯉がポッカリ浮いているのです。そんな岸のすぐ近くまで来ている、そんな鯉が何匹もいました。
「何やってんの、お前、そんなところで」などと声をかけて歩いていきますが、ほとんど逃げませんね。私が歩いているのをこの鯉たちはみな知っているようなのです。
だから、私が歩いているすぐ横まで寄ってくる鯉までいて、中には十匹くらいが固まって上がって来ている鯉たちもいました。大きさは三~五十センチくらいから大きいのは七~八十センチくらいのまでいました。
その鯉たちに声をかけていたら、いきなりデカいのがすぐ足元にぬっと現れ、こちらが驚いたということもありました。(笑)
こういう珍しい景色を私はよく見ます。本当に楽しいですよ。この正法神理を真剣にやっているとです。
ここにいろいろ書いていますが不思議なことが(愛ある奇跡が)次々に起きてくるからです。
そうして、この神理に心を合わせて生活するなら、悪いこともよい方に段々変わってきて(悪いことがいつの間にか起きなくなったとか、自分の悪い性格がいつの間にか直っていたとか、後で気づくのです。そういうことをです)そうして持病など持っている人でも、その持病が治る人までいて、もちろん不治の病が治った人もいます。
例えば、偏頭痛持ちの人など多いようですが、偏頭痛は考えが偏っているからなるのであって(だから頭の偏った一部分が痛くなるのです。考えが偏っているからです)だからそういう人は、神理に合わせてどちらにも偏らない中道の心になるなら、その偏頭痛は治るのです。
こういう例などその典型なのです。神理に合わせて心が中道に変わるなら、いつの間にか偏頭痛は治っているのです。そういうことがよく起きるということです。神理を実践しているとです。
段々心が変わってくるなら起きてくることは変わってきます。だから、よいことも起きてくるのです。心がよい方に変わればです。
神理に合わせるなら、当然心はよい方に変わります。だからこのようなよい現象も起きてくるわけです。その心に合わせてです。
いま書いたことは神理に従った場合のよいことの一例ですが、しかし、逆らい続けているのならです。
それだけ恐ろしいことも起きてくるということです。こちらで起きていることはその典型なのです。
もう少し真剣に考えてみませんか。
いま起きていることを、そうしてこの正法神理のことをです。いつまでも現実逃避などしていないでです。
ここ数年、起きて来たことを考えるなら、とてもこの正法神理を無視することなど出来ないと思うのですが、いかがでしょうか。
もう神理のことを真剣に考えなければいけない時が来ています。
この神理に従わなければです。まだこれからどれだけ多くの災いが起きてくるか知れませんが、もしこの神理に従うならです。
どれだけ多くの奇跡が起きてくるか知れません。
もう災いはいらないのではないですか。それだけ多くの災いをすでに私たちは体験しているからです。(この辺りだけではなく日本全国の災いも含めて)
一緒に奇跡を起こしませんか。この神理に従うならいくらでも奇跡は起きてくるからです。
少しずつでも実践しませんか。この神理をです。
そうすれば必ず奇跡は現れるからです。
(このブログは午前中、公開したはずなのになぜか公開されていませんでした。なぜ???)