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2021年2月

2月 28 2021

本当の神の教えと偽の教えの違い すでに当たっている天罰

昨日も夜まで怒っていましたね。どこかの会社などです。

もう天罰が止まらないんでしょう。だからいっているのです。詫びを入れて感謝して布施しろとです。

それ以外では止まらないからです。その起きている天罰はです。

それにしても凄いですよね。だってずっと止まらないんですよ。起きる現象が(天罰が)です。

凄いと思いませんか。どこかの会社だけではなく、そんな現象が起きている会社や現場がこの辺りにはたくさんあるからです。

ということは、そんな現象が現れている人がこの辺りにはたくさんいるということになりますが、一体どこから出てくるんでしょうね。これほどの(現象を現す)エネルギーがです。(それだけのエネルギーがかからなければそんなことは起きませんから)

よく考えてみれば不思議な話です。

まあ、それが神の力なんですが、ところで昨日など私は、前はよく通っていたんですが最近は全然通らなくなった道を久しぶりに歩いていたのです。

その道にある、ある会社は創価学会の人がやっているようで(例の政党のポスターが貼ってありますので)その会社の横を歩いていると前はよくシューシュー音を立てられ嫌がらせをされていたのです。

しかし、ある時からそのような嫌がらせをしなくなりました。私も嫌がらせをしてくるたびに「祈るからな」といってよく祈っていたのできっと何か起きたのでしょう。

そうして昨日、久しぶりにその会社の横を通る時に「オッちゃん生きてるか」などといいながら歩いていったんですが、そうしたらまたガーガー音を立てて来ました。

それで「祈るからな」と声をかけたんですが、そうしたらパタッと音がしなくなりました。

「なんだ題目を上げても天罰は止まらないか」「もうどちらが正しい教えをしているかは明らかなんだから、そっちもこの教えに帰依しろよ。もう真剣に考えた方がいいぜ。間違った信仰などいくらしたって意味がないからな」などといいながら歩いていきました。

もう自分も体験しているんですから、どちらが正しい教えなのかは分かりそうなものですが、それでもやめられないんでしょうか? 間違った教えをです。

ずいぶん情けない話です。そういう人たちは私と直接対決して、そうして負けているんですから(祈りの勝負で)そうであるなら、私のいうことをきくべきでしょう。

いつまでもくだらない嫌がらせなどしていないでです。

そういう人があちこちにいます。(私は嫌がらせをしてくる宗教団体の信者たちによくいっていましたから。祈るからなと、そうして、そちらは何人で祈ってもかまわないからそっちも祈れと。しかし、祈っても、そっちに何か起きてくるようなら頭を下げてこちらの教えに従えと、です)

そのような宗教団体の信者たちは、早く、自分たちの負けを認めて帰依してほしいものです。この本当の神の教えである正法神理にです。

結果はもう明らかであるからです。私は、そういう宗教団体の信者たちをどれだけ祈ったか知れませんが、しかし、私には一切何も起きずに、そのような多くの宗教団体の信者たちにはいろいろ(天罰が)起きているようであるからです。

では、一方的な勝利なのではないでしょうか。こちらのです。そうであるならきいた方がいいのではないですか。私のいうことをです。

こちらが本当の神の教えを実践しているから、これだけ一方的な結果が現れているからです。

そのような結果が物語っているのです。この正法神理こそ正しい本当の神の教えであるということをです。

これが本当の神の教えと偽の教えの違いなのです。

本当の神の教えは祈れば必ず何か現象が現れてくるのです。しかし、偽の教えは何も起きません。どれだけ多くの人が、どれだけ祈ってもです。

間違った教えを信仰していては、どれだけそのような人たちが祈っても神は何も応えてはくれないからです。神は正しい教えでなければ応えてはくれないのです。

だからそれだけ結果が違ってくるわけです。(悪魔が憑いている場合は起きて来ますけどね。祈るとおかしな現象がです。それも起きたり起きなかったりいろいろです。悪魔は気まぐれだからです)

だからそれは他の人ばかりでなく、その信仰をしている自分自身にもいえることなのです。どれだけ正しい信仰をしていても、その人が間違ったことをするなら、自分自身にも天罰は現れてくるからです。

最近はそういうこともなかったんですが(ということは、最近はあまり悪いことをしていないということです。私はです。〔笑〕)しかし昨日、久しぶりにそれらしいことが起きましたので、そのことを書いておきます。

昨日私は、その辺りを回っているついでに洗濯にもいっていたんですが、その洗濯しているコインランドリーでのことです。

私は洗濯をしたコインランドリーで、洗濯し終わると、その場で洗濯物をたたんで、そうして持って帰るのですが、その洗濯物をたたんでいた時のことです。

昨日の洗濯物は何か分かりませんが、小さなごみがよくついていたのです。

それで今日は小さなゴミが多いなとか思いながらたたんでいたんですが、その小さなごみを最初はごみ入れに捨てていたんですが、そのうちにあまりにごみがたくさんついていたため、いちいちごみ入れに捨てるのがめんどくさくなり、小さなごみだからいいやと思って、そのごみを自分の回りに捨て出したのです。

そうしてしばらくしたらです。洗濯物をかごから取ろうとした瞬間、バチッと少し強めの静電気が起きたのです。

「いて」と思ったんですが、その時に気づきました。やはり小さなごみとはいえ、回りに捨てたのはまずかったなとです。

こういうことが私はすぐに起こりますからね。これだからやれないのです。悪いことを私はです。(苦笑)

神理を実践すればするだけ悪いことが出来なくなるのです。悪いことをすれば、すぐに天罰が現れてくるからです。

本当の神の教えと偽の教えの違いはこういうところにも現れてくるのです。

つまり、本当の神の教えを信仰するなら、常に正しく導いてもらえるということです。このように自分の周りにも起きてくる現象によってです。

だから神理を説いている私にでも起きるのです。天罰はです。そうして私を世話している母親にでもです。間違ったことをするならすぐに天罰がくだるのです。(私の祈りをじゃまなどすれば歯が痛くなったり、歯ぐきからの血が止まらなくなったり)

では、このブログを見ている人たちに起きないはずがないでしょう。嫌がらせをしてきたり、私のいうことを一切無視して長年布施もせずにこのブログを見続けている人たちに天罰がです。(感謝もせずこのブログを見続けている子供などにもです)

だからもう起きているのです。そういう人たちに天罰はです。

それに気づいていないだけなのです。このブログを見ている多くの人たちがです。なぜなら、いきなりひどい天罰など起きないからです。

天罰は最初は小さな天罰が何度も起き、それでも分からなければもっと大きな天罰が起き、それでも分からなければ、それこそ命にかかわるような天罰も起きてくるのです。

つまり、段階を踏んで出てくるということです。天罰はです。うんもすんもなくいきなり大きな天罰がくだるなら反省する間もないからです。それでは天罰の意味がありません。(それではただの罰でしかないからです)

だから天罰は段々大きくなってくるということです。その天罰に気づいて自分の行いを直さなければ(正さなければ)です。

だからもう周りに、それと分からないような小さな天罰が何度も起きているのです。そのような私のブログを布施もせずに長年見続けているような人たちにはです。

それに気づいていないだけなのです。このブログを見ている多くの人たちはです。

そうして、それでも気づかないと、もっとひどい天罰が起こり、それでも気づかない人には、例えば、癌になったり、コロッと逝ったりするわけです。(ただ、嫌がらせをしてくる人にはこの限りではありませんが。いきなりひどい現象が現れてくる時もあります。その人の心次第です)

だから気づかない人が多いのです。このブログを見ている人たちでもです。たまたまそんなことが起きたとしか思わないからです。

例えば、先ほどの静電気の話でも気づきますか? もし、そんなことが自分に起きてもです。

静電気など冬になれば、何かさわった時に起きるのは普通であり特別なことではありません。だから、自分が何か悪いことをしていて(その自覚が自分にあるかどうかも分からないし)そんなことが起きても、それを天罰だと認識出来る人の方が少ないのです。

しかし、私がその洗濯していた時の静電気を天罰だと認識せずに、その洗濯物をたたみ終わるまで、そのような行為を続けていたとします。(回りに小さなごみを捨て続けていたとします)

するとその後、もっとひどいことが起きてくるのです。天罰を天罰と認識していないからです。

それと分かって、その悪いことを反省しない限り、その天罰は現れ続けるのです。

それと同じことがこのブログを見ている人たちにも起き続けているということです。このブログを見ている多くの人が、その自覚がないだけでです。

ただ、そのような天罰は特別この教えを信仰していなくても起きては来ますが、本当の神の教えを信仰している方が、より早くそのような現象は現れてくるということです。

だから、本当の神の教えを信仰した方がいいのです。その方が早く悟れるからです。自分の間違いなどすぐに気づいて直すことが出来るからです。

こういうメリットが本当の神の教えを信仰するならありますが(人によってはそれをデメリットとしか感じない人もいるのでしょうが。〔苦笑〕)だから、このブログを見ている人たちで、もうそれと(天罰がくだっていると)認識出来るようなことがすでに起きている人は感謝の布施をされた方がいいのです。

そうしないと、もっとひどい天罰が起きてくるからです。必ずです。

そのような態度が間違っているため、そのような天罰が起きているからです。その態度を改めない限り、天罰は必ずくだるのです。

だから、様々な天罰がすでにくだっているということです。このブログを見ていて、私のいうことを一切無視している人たちにはです。

だからいっているのです。くどいくらいです。感謝して布施した方がいいとです。このブログを長年見続けて一切布施しない人たちには必ずどこかで天罰がくだるからです。

それをいつまでも無視しているのならひどいです。(こちらなど死人まで出ているくらいですから)

このブログを見ている多くの人たちは早くその天罰に気づかないと、後で死ぬほど後悔します。

気持ちだけでもいいので感謝の布施をされませんか。

せっかく本当の神の教えを知ったのです。少しくらい実践しなければ、神理を知った意味もないからです。

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2月 27 2021

止まらない不幸 布施の効用

栃木県足利市の山火事は、火を消しても消してもあちこちに飛び火して、そこからまた燃えだしてキリがないようですね。

やはり雨が降らないと消えないようです。この山火事はです。

昨日は雨は降らなかったようですね。近くくらいまでは降っていたようですが、残念ながら足利市まで雨は降らなかったようです。

もう少しだったんですがやはりきかれませんでしたか、私の祈りはです。

これくらいの祈りなら心ある人たちが数人で祈ればすぐにきかれるのですが、この状況ではそうなるでしょうね。

もう少し雨雲が上に上がればそこに雨は降ったのに、という惜しい状況にです。

私に布施して一緒に祈ってくれる人が何人も出てくるならこれくらいの祈りは(どこどこに雨を降らせることくらいです)すぐにきかれます。

早く目覚める人が出て来てくれることを願ってやみません。そうしないと不幸は止まらないからです。

だからこちらも不幸が止まらないようです。そのように目覚める人が全然出て来ないからです。

どこかの会社などももう凄いみたいですね。

今日も朝からバタバタ騒ぎっぱなしのようですし、昨日でも夜遅くまで騒いでいたし、コロッと逝く人まで出たようです。昨夜はこちら側の電気をつけっぱなしで帰ったようですからね。そういうことをする時は出ているのです。コロッと逝く人がです。

とにかくこの会社など朝から晩まで天罰が止まらないのです。

にもかかわらず、いつまでも平気で怒っています。怖くはないのでしょうか? 恐ろしい天罰が次々にくだっているのにです。

それなのに怒っている場合なんでしょうか。そんなことをしている間にも人が次々に病気になっているのにです。

そのようなところはここだけではないでしょう。昨日も烈火のごとく怒っていたところがありましたが、その起きている現象は怒るようことなんでしょうか?

怒るのではなく恐れないといけないのではないですか。

神の業を畏れもせず怒っているようでは、もうどれだけそのような神の業が現れてくるか知れないからです。(どれだけ傲慢なのかということでです)

現にその通りのことが起きているのです。災いが止まらないのです。そのようなところはです。

どれだけ恐ろしいことが起きたら分かるのですか。自分たちのその間違った態度がです。そういう態度だからドンドン起きてくるのです。

災いがです。

二、三日前にウナッシーさんからまた布施をいただきましたが、それをすればそのように起きている(激しくです)災いも止まりますが(少なくともずいぶん減ると思いますが)それでも嫌なんですか。

布施するくらいのことがです。

病気で死ぬよりよほどいいと思いますが、別に病気になろうが死のうがかまわないと、お前に頭を下げて布施するよりはよほどそっちの方がいいと本気でそう思っているんでしょうか? この辺りの多くの人たちはです。

本気ですか? 本当に出ているんですよ。この辺りは病気になって死ぬ人がです。しかもたくさんです。あまりに神理に逆らう人が多いからです。

本当に危ないのです。いつまでも神理に逆らっていてはです。というより、そのような心がいけない。

いつまでも責任転嫁しているのではなく、いま起きている恐ろしい現象の本当の原因を真剣に考えてはどうでしょう。同じことを繰り返しているだけでは同じことしか起きて来ないからです。

もうドン引きしているところも多いのですが、そういうところはどうなんでしょう。布施くらいしたらです。(そういう別な態度も取ったらどうですかといっているのです。態度を変えないと起きてくることは変わらないからです)

そうすれば、そこに起きている災いは止まるからです。心からの布施をするならです。

しかし、何もせずにいてただドン引きしているだけでは絶対にまた出ます。その恐ろしい現象はです。

しばらく静かだったが、また怒り出しているところも最近はあちこちにあるからです。だからドン引きして静かにしていても同じなのです。やたら怒っているところよりはマシというだけであって、それでは止まらないからです。

災いはです。

だからドン引きしていたところでいつまた誰が病気をするか分からないのですから、そうであるならした方がいいでしょう、といっているのです。布施くらいです。

その布施をするならまず大丈夫であるからです。

心からの布施が出来るなら、自分の心もずいぶん安らぎ、心が安らぐなら安心も得られます。

してはどうですか。感謝の布施くらいです。そうすれば本当に救われるからです。

しかし、今のまま態度を変えないのであれば自分もいつ病気になるか知れず不安でならないのです。そんな不安一杯の心が楽しいのですか?

金を出すのではなく心の安らぎを得るということなのです。愛ある布施をするということはです。

そこを間違えてはならないのです。多くの人は表面上のことだけしか見ませんが(金を出すとか、頭を下げるとかです)感謝の布施をするということは心の安らぎを得るということであり、その心が安らぐことで多くの災難から身を守ることが出来るのです。

心が安らぐことで神の光が、その安らいだ心から現れて来て(心は神と直結していますから)その光が自分を守るからです。

だから、まずです。まずその心の安らぎを得ないことには危なくて仕方ないのです。だから危ないこともこれだけ起きる。心に安らぎがない人ばかりであるからです。特にこの辺りはです。

そういう意味でも布施は大事なのです。布施のような愛ある行いを人に対してするということは、これだけ心が安らぐ行いもないからです。

それは自分で試してみれば分かるはずです。自分が人に対し怒っている時の心の中はどうでしょう。それに対し、自分が愛の行為を人に対し行った時の心の中はどうでしょうか。

一体どちらが心が安らぎますか? 試せば分かるはずです。どちらの心が安らぐかはです。

まあ、怒っていて心が安らぐ人などいないのですから、感謝の布施をする方が自分の心が安らぐのは誰だって分かるはずです。

その心の安らぎが強ければ強いだけ神の光は自分の回りに現れて来ます。

だから布施をするなら(心の安らぎを得るなら)安心だといっているのです。

それだけ神の心に叶う行いもないからです。そうであるなら、それだけ神から守られる人もいないはずであるからです。

だから、心からの布施が出来る人にはちゃんと奇跡も起きるということです。ウナッシーさんがよい例だからです。

だから、そういう心になれない人は仕方ありませんが(私に布施などしようものなら腹が立って仕方ないとです)もう出来る人はです。(心からの布施がです)

してください。それ以外ないからです。これだけ現れて来た災いから逃れる術はです。

しかし、もうこれだけ災いが現れて来ては、出来るとか出来ないとかいっている場合でもないでしょう。

出来ないなら出来るよう、自分の心を一歩前に進めることです。一歩でダメなら二歩、三歩と進めることです。同じところにいてはもう危ないだけであるからです。

いつまで同じところにいるのですか? 同じところにいては同じことしか起きては来ないのです。

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2月 26 2021

すべての原因

栃木県の足利市の山火事は鎮火のめどが立たないらしいですね。

今日は全国的に雨になりそうですので山火事鎮火の恵みの雨になるかと思いきや、なんと西日本に雨を降らせている雨雲は、東に移動するに従い南に下がって、関東の辺りを通過する時には関東の南の海上を通過していくだろうという予報が出ています。

つまり、西日本で雨を降らせた雨雲は東日本に移動していく頃には南の海の辺りにまで下がってしまい、関東には雨が降らないと天気予報ではいっているのですが、これだけ運の悪い話もありませんよね。

普通なら西日本に雨が降るなら、その雨雲はそのまま東に移動し関東にも同じように雨を降らせるはずであるからです。

しかし、今回のような関東の辺りでひどい山火事が発生し雨がほしい時に限って、その雨を降らせる雨雲が南に下がって関東には雨が降らないというのですから。

本当に運が悪いのですが、何でこんな運が悪いことが起きているのかはもちろんお分かりでしょう。このブログを見ている人たちであるならばです。

しかし、それではあまりに気の毒ですので(何も知らない足利市の人たちがです)昨夜は祈っておきましたが(あの辺りに雨が降るようにです)果たしてきかれますかね。私の祈りがです。

これだけ神理を無視し逆らっている人たちが多くてはです。

今日も朝からどこかの会社など大変お怒りのようです。(よく電話もかかって来ているし…それでまた怒っているし)

昨日も夜まで大変そうでしたが、そのようにやたら怒ったりドン引きしたりしている人たちばかりです。こちらはです。

そのような怒ったりドン引きしたりしていることは、私に詫びを入れ感謝して布施するなら止まります。(逆をいうなら、それをしない限り絶対に、絶対に、絶対に止まりません)

早く感謝して布施されることです。そのような災いを止めたいのであればです。

しかし、昨日でも嫌がらせをしてくる人や車(バスやトラック)が多かったですね。そういう人たちは、すでに今頃天罰がくだっている人も多いと思います。

ほんとよくやるわと思います。現代人と書いてバカと読むのでしょうか? 何で罰が当たるのが分かっていて、そんな罰当たりなことし続けているのでしょう。

意味が分かりませんが、そのような災いの(天罰の)すべての原因は、その自分自身の行いにあるのです。

そのような行いさえ変えれば災いは止まり、よいこと(愛あること)が起きて来ます。

くだらない意地をいつまではっているのでしょう。神理を見ていながら感謝もせず嫌がらせをしている自分たち(のそのような行い)が悪いのです。

早く、そのことを反省し感謝して布施されることです。そうすれば、その災いは止まるからです。しかし、そのような行いを直さない限り残念ではありますが、絶対にその災いは止まりません。

実際、その通りのことが起きています。行いなのです。すべて行いの違いが起きてくることの違いなのです。

昨日でも私は歩いていると、あちこちから様々な鳥たちが出て来て、私の周りを飛び回りピィピィ鳴きまくっていました。(少々うるさいんですが、かわいいものです)

昨日は天気もよく暖かかったため鳥たちも嬉しかったのか、たくさん私の周りを飛び回っていました。暖かいと鳥たちも元気がよくなるようです。

このような愛ある現象が私の周りにはしょっちゅう起きていますが、それもまた自分の行いが原因なのです。

これだけ愛ある神理を毎日ブログで発信していれば、その発信した愛は全部自分に返ってきます。

それが自分の周りに愛ある現象となって現れているのです。

自分の行いを変えさえすれば、自分の周りに起きていることは変わります。

愛ある行いをされませんか。それが自分が幸せになれる一番の方法であるからです。

(どこまで不幸が続けば、自分たちの行いの間違いに気づくのですか。もう分かり切っているのです。自分たちが悪いのはです。だから自分たちに悪いことが起きる、自分たちの行いが悪いからです。にもかかわらず反省出来ない。ほんと哀れというほかありません。しかし、そのような間違った行いを正さない限り災いは続きます。早く直してください。その分かり切った自分の行いの間違いをです)

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2月 25 2021

滅ぼされていく人々 負の連鎖 正しい行い

いい加減理解してもらえませんか。

どれだけ怒っても、またどれだけドン引きしても、止まらないのです。その起きている災いはです。

昨日もそういう人たちばかりでしたが、詫びを入れて感謝して布施しないと止まらないのです。そのそこらじゅうで起き出した災いはです。

それにきく耳を持たないなら持たないで仕方ありませんが、きく耳を持たないなら災いは止まりません。そうしてドンドン滅びていきます。

そういうことが現実に起きているのです。もっと真剣に考えてはどうでしょう。その起きている恐ろしいことをです。本当に人がドンドン滅びていっているからです。(ドンドン、ガンガンやってよく教えてくれるからです。滅びているということをあちこちの人がです)

そんなことが次々に起きるのなら、昔の人ならもうとっくに頭を下げ帰依していたのです。この神理にです。そのような事実に震え上がってです。

しかし、現代の人たちは、それほど恐ろしいことが起きているにもかかわらず誰も神理に従おうとせず恐れもしません。(しかもそれが大人から子供までです)

なんで恐れないんでしょうか? そのような恐ろしい現象をです。現代の多くの人たちはです。

それだけ無知であるということです。神のことに対してです。だから神の恐ろしさが分からないのです。神に対し無知だからです。

そのような自分の無知さも考えず、自分の親より上の人を無知などと公共の場でいってのけるバカ娘もいますが、まるで分かっていないのです。神の心をです。いま現在の多くの人たちはです。

だから、こんなバカなことを多くの人たちがしていても、それが愚かなことだと気づかない。昔の人たちならとっくに気づいていたことをです。

それをまったく理解しないのです。現代の人たちはです。

次々に周りに病気になる人、滅ぼされていく人が出ていても、その恐ろしさにまるで気づかない。それでもまだこの神理に逆らい続けている。

そういう人はどうなるのでしょうか? 昔の人ならすぐに分かるのです。そんなことをしていれば必ず滅ぶとです。

しかし、今の人は分からない。それだけ自分本位で傲慢な人が多いからです。

だから神の存在も、神の恐ろしさも、まるで分らない。自分だけの世界の中にいて、それ以外の世界を認めようとしないからです。

だから周りの人々がどれだけ滅ぼされていっても自分が滅ぼされるまで、その恐ろしさが分からない。それだけ自己中で無知な人が多いからです。

だから、それ以上のことを考えない。そこで考えを止めてしまうのです。周りに悪いことが起きた、それはお前のせいと、そこでです。それまでの過程などまったく考えようともせずにです。

どこかの会社などその典型でしょう。

昨夜も遅くまで何か起きていたようですが(八時過ぎか九時過ぎだったか忘れましたがガチャ―ンとか音がきこえて来て、それからやたら怒っていましたから)しかし、それでも神を恐れもしなければ自分たちの行いを反省しようともしない。

同じように怒って(最近はドン引きしながらですが)同じような嫌がらせを繰り返し、そうしてまた災いが起きる、ということを繰り返しています。

この会社はずっとこのような負の連鎖が続いているのです。

こういう会社が近くにあると本当によく分かるんですが(災いが起きているのがリアルにです)似たような会社がこの辺りにはたくさんあるということです。

だから、みな同じことをしているのです。怒ったりドン引きしたりを繰り返し、そうしてまた災いが起きるという、同じことをです。

いつまで繰り返すのですか? 神に対する同じ間違いをです。止めたくはないのですか? そのような負の連鎖をです。

間違った行いを続ける限り負の連鎖は止まりません。その間違いを反省し正しい行いを(神と神理に対するです)するまで続くのです。そのような負の連鎖はです。

正しい行いとは、これまでの間違った行いを反省し神理に対し感謝の布施を行うということです。

それが正しい行いであり、それがそのような負の連鎖を断ち切ることが出来る唯一の方法であるのです。

そのような正しい行いをしない限り、起きている負の連鎖は止まりません。

いつまでも自分たちの間違いに気づかなければ、いつまでも負の連鎖が続くどころか益々ひどくなっていくのです。(だからひどくなっています。どこも負の連鎖がです)

多くの人々がドンドン滅びていっています。

そのような事実は事実としてしっかり理解し、正しい行いをしてください。それが出来ない人たちは必ず滅んでいくことになるからです。

(まずいですね。やはり金を借りることは出来ませんでした。これ以上、このブログを見ている人たちが気づかなければ、ここで神理は終わりということになりますが、本当にそれでよいのですか。滅ぼされますよ。このままではです。すでにこちらでは多くの人が滅ぼされているからです。これ以上、このブログを見ている人たちが布施を無視するなら神理は終わります。最後に気づいてもらえませんか。神理に布施する大事さをです)

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2月 24 2021

神理を見ている側の責任 無理せず素直に

例えば、息を吸うばかりで吐かなかったらどうなるでしょう。ご飯を食べるばかりで下から出さなかったらどうなるでしょう。

そんなことをしていれば身体を壊すということです。(下手すりゃ死ぬかもしれないし)

このブログを(神理を)見ているばかりでまったく報恩の行為を(布施を)しないということはそれと同じことをしているのです。

だからそういう人が病気をしたり死ぬ人まで出て来ているのです。

神理をもらうばかりでお返しをしようとしないからです。神理をもらうばかりでお返しを何もしなければ、そういう悪いことも起きてくるということです。

それほど神理を知らされるということは有難いことであるからです。

もう布施をしたい人もいるようですのでしてはどうでしょう。そういう人が出てくるなら悪いことも(災いも)減ってくるからです。

しかし、それをしない限り、悪いことが増えはしても減ることはないからです。

しかし、神理を説いている者が金に困るとは一体どういうことなんでしょう。そういうことになるなど、では、その神理をきいている人たちは一体何をしているのか、ということになるからです。

その神理を説いている者が無茶な金の使い方をして、それで金がなくなったというのなら話は別でしょうが(そういう者に神理は説けませんが。そんなデタラメな金の使い方をする者に正しい神理はです)それ以外で神理を説いている者が金に困るなど、その神理をきいている人たちがよほど金を出そうとしなかったということになります。(実際その通りですが)

そうなると大変ですよ。このブログを見ている人たちは死んだ後、どれだけ叱られるか知れないからです。その責任はずいぶん大きいからです。

特に金に余裕がある人たちほど叱られるのでしょうが(金を出せるのに出さなかったということでです。松下幸之助さんがいい例です。あの人は死んでから相当叱られたようだからです)しかし、それは死んだ後だけではなく生きている時から段々そのようになっていくのです。

段々悪い方、悪い方に導かれ、だからこのブログを見ている人たちは運の悪い人が多いのではないでしょうか。特にこの辺りなどはです。

昨日もずいぶんお怒りの人が多かったんですが、そういう人は私の顔を知っているんだから、ではこのブログを見ている(見たことがある)ということになります。

それで感謝の(布施の)一つもしたのでしょうか?

してないでしょう。わずかな人からしか布施をもらっていないのですから、そういう人たちが布施などするわけがありません。それで怒っていても、それでは怒るようなことも起きてくるでしょう。

それだけ罰当たりな態度もないからです。(神理を見るだけ見てお礼一ついうわけでもなく知らん顔をしている、それだけ罰当たりな態度はありません)

だからいいことも起きて来ないのです。自分がしていることが悪いからです。

神理を見ているのですから、感謝の布施くらいするなら起きてくることも変わってくるのに、本当に残念です。それは絶対にしないからです。この辺りの人たちはです。(嫌がらせはしてもです。ほんと危ないことだけはしています。神理を説いている者に平気で嫌がらせです。それでは自分から罰を当たりにいっているようなものだからです)

しかし本当に変わってくるのにです。神理を実践するならです。

実践すれば周りに起きてくることがドンドンよく変わってくる教えを自ら見ていながら(自分からですよ。私がこのブログを読めとなど一言もいっていないのにです)全然それを実践しないなど、それではおいしくて栄養満点の食べ物が目の前にあるのに、それを食べようとしないで我慢していることと同じなのです。

そんなものが目の前にあるならみな食べたいですよね。しかし、多くの人が、それを食べずにやせ我慢しているのです。自分から、そのようなおいしいものが目の前にあるその席にいっていながらです。

それはなぜか? まだ他にも食べ物があるからです。

だからそちらを食べている。そのどの食べ物よりもっとおいしくて栄養があるものが目の前にあってもです。

それでも食べようとしない。一度その目の前にある栄養満点のおいしい食べ物を食べてしまうと、他の食べ物が食べたくなくなるからです。

つまり、それを認めたくないのです。その目の前にある食べ物がこれまで食べて来たどの食べ物よりもおいしくて栄養満点であるということをです。

しかし、その食べ物以外の食べ物は段々栄養不足になって来て数も少なくなっている。だから、そのような食べ物をどれだけ食べても自分の栄養にはならず、段々自分たちはやせ細っていっている(中には栄養不足で死ぬ人まで出て来ている)しかし、それでも食べようとしない。

くだらない意地を張ってです。今さらそんなものを食べられるかとです。

しかし、本当は食べたくて仕方がない。その目の前にある食べ物さえ食べるなら自分たちは救われるからです。

いま現在の神理を無視している人たちを例えるならこういうことになるのでしょうが、そのおいしくて栄養満点の食べ物もいつまでも目の前にあるものではありません。

それがなくなってからでは食べようがないのです。

それを自分で食べさえすれば自分は助かるのです。では、食べてはどうでしょう。そのようなおいしくて栄養満点のその食べ物(神理)を素直にです。

昨日は私は堀川の辺りを回っていましたが、その堀川に昨日はずいぶん鵜がたくさんいました。(大量の数いました。また鵜の大軍が来ていたようです)

そのたくさんの鵜が、私の前を行ったり来たりしていたのですが、そのうちにまた私の周りをたくさん飛び回り始め、凄い数の鵜が昨日はしばらく私の周りを飛び回っていました。(ビデオがあったらさぞ迫力ある映像が撮れたのですが、そこは残念です)

このように、この神理を実践するなら多くの人間を含めた生き物から祝福を受け(そうして神や天上界からも)多くの奇跡も現れて来ます。(神や天上界から祝福を受けるから多くの奇跡も現れるのです)

いつまで悪魔の側にいるのですか? だから奇跡の一つも現れず、よいことも起きて来ないのです。

神の側に来ませんか。そうすれば愛ある奇跡や不思議な奇跡が次々に現れ幸せになっていくからです。

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