11月 22 2024
なんで奇跡が起きるのか
いい加減、反省すればいいのにね。
昨日は途中から一昨日と同じコースを歩いていったんですが、そうしたら一昨日あれほど怒っていたところがどこもおとなしい。
「あれ、昨日通ったのはこの道じゃなかったっけ?」と勘違いするくらいでした。
わずか一日でこうも変わるものかと少々驚くんですが、もう即座に降りてくるようです。天罰がです。
それはどこも同じのはずです。昨日もブシュブシュやっていった運転手がたくさんいましたが、もうそんなことをした運転手にはすべて降りていることでしょう。天罰がです。
そちらの確認は出来ませんが、こちらで確認出来るところはすべて降りているからです。私に嫌がらせをした翌日には誰かに天罰がです。
では、確実に降りていることでしょう。私が確認出来ていないところにも天罰がです。
もう反省されませんか。そんなそれだけ一方的に天罰が降りていて、それはお前のせいもないからです。それだけ悪い現象が嫌がらせしてすぐに現れるのだから、それはどう考えても、そんなことをした(神理に感謝もせず嫌がらせした)その人自身への天罰であるからです。
では(それが天罰であるなら)それは誰のせいでもない自分のせい以外のなにものでもないのです。
それだけ悪いことが(災いが)現れてくるということは、それだけよいことも(奇跡も)現れてくるということです。何度も書いていますが、力は必ず二つあるからです。単独で存在する力などないからです。
感謝しませんか。神理を知ったのであるなら神理にです。そうすれば、そのようなよいことは必ず現れてくるからです。
ロシアがICBM(大陸間弾道ミサイル)を発射したようですね。それをロシアやアメリカは否定していますが、どちらにしてももうこれ以上の争いはやめないといけない。
これ以上、争いが激しくなるなら第三次世界大戦は免れないからです。そうして、誰がそれを望み挑発しているのかはもう明らかであるからです。
それが分かっていてもやらざるを得ない。いつもの悪魔たちの手なんですが、であるからこそ神の(光の天使たちの)軍団は、そんな安い挑発に乗ってはならないのです。もうすぐそこに光明は観えているからです。
そこまでは悪魔たちの手を智慧をもって防ぎに防ぎ、かわしにかわし、進まれることです。その光明まで進むなら、その先にはまた光の道がついてくるからです。
神は困難な道を調和と安らぎのうちに進めば進むだけ、大きな奇跡を現わし導いてくださるのです。
キリストはもちろん、モーゼがよい例なのではないのですか。旧約聖書にはモーゼは戦いながら異国民の地を進まれたと書かれてありますが、その部分は間違いなのです。
モーゼは60万の民を連れながらカナンの地にいかれるまでの間、多くの異国を通られますが、その異国の民と話が合わないからと戦われたわけではありません。
モーゼはその時、その異国の民と多くの会話を重ね異国の民が納得するまでその地にとどまり、そうして調和と安らぎの中、平和に進んでいかれたのです。そのような異国の民の国々をです。もちろん、その間に多くの奇跡も現わされながらです。
3000年前と現在では条件も違い、状況も違うのですが、やることは同じなのです。
どれだけじゃまされようが、挑発されようが、それでも調和と安らぎの中、話し合いを続け、平和に物事は進めなければいけないというやることはです。
現在と違い3000年前など、いま以上に人の命など軽く見られていたことでしょう。奴隷制度まで当たり前のように存在していたのですから、人の命など大して重いものではなかったはずです。
だから話がまとまらなければ殺しあいでも平気でする、そんな民族もいたことでしょう。そういう異国を60万もの民を連れてモーゼは進んでいかれるのです。その道はどれほど困難を極めたかしれません。
しかし、それほど困難な道をなんとモーゼは調和と安らぎのうちに(一切戦わず)進んでいかれたのです。
それがどれだけむつかしいことなのかはお分かりいただけると思います。特にいま現在、戦いなど実際に行っている指導者の方々はです。
これは別に私の作り話ではありません。そういう資料が残っているわけではありませんが、そのような話を高橋先生がされていたからです。(ビデオの中で。実際は、高橋先生が七大天使の天使長であるミカエルを天から降ろされて〔娘の桂子氏に〕そのミカエル大天使長が語られていたことではありますが)
高橋先生がいわれていたことが嘘ではないということは、高橋先生が行われた多くの奇跡が証明していますし、それを何度も語っている(このブログに書いている)私にもいまだ多くの奇跡が現れているということでも証明出来ます。
嘘をいう者に奇跡は起きないからです。
だから、モーゼはあれほどの奇跡も現わされたのです。一切争いなどせず、調和と安らぎのうちに神理を説きながらカナンの地までの道を進んでいかれたからです。
間違えてはならないのですが、先に奇跡があったわけではないということです。モーゼは多くの神理を話し合いの中で語られていたから、そこに多くの奇跡が現れたということです。
そこは誰も同じであるのです。キリストもいきなり奇跡を現わされたように多くの人たちは思っているのかもしれませんが、キリストはそれまでに多くの神理を語られているのです。
キリストは12歳の頃、エルサレムの神殿で聖書学者たちと議論し、その智慧と知識に学者たちは驚いたという記述が聖書にも書かれてありますが、キリストはすでにそんな小さな頃から神理を理解され、そうして神理を述べられていたのです。
だから、あれほどの奇跡も現わされたということです。多くの人を癒したあのような偉大な奇跡もです。
その語られる神理の中に神の力が宿っているからです。その神の力が現れてくるということです。神理を語っている人にはです。だから私に嫌がらせをしてくる人にも罰が当たる。私も神理を語っているからです。
だから同じ話し合いをするでも神理を知って神理を説きながら話し合いをするのと、それを知らずに(ただ自分たちの利益ばかりの)話し合いをするのとでは全然結果は違うということです。
神理をまじえた話し合いが出来るなら、そこは調和と安らぎのうちに話し合いはまとまっていくのです。
だからそれを実践してもらうしかないということです。もうこのような状況になるならです。(核戦争前夜)やられたらやり返すではなく、やられた神の心で返すとそのようにです。
どちらにしても、もう悪魔たちの安い挑発に乗っていてはいけないのです。このような状況であるのです。もう重要な立場であればあるだけ神の心を(神理を)理解してもらわなければいけないからです。
その神の心が自国を守り、地球も守ることになるのです。
神理を学び説かれませんか。そうすれば必ず奇跡は起きてくるからです。



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