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1月 07 2020

感謝が条件

正月休みの前にやたら怒っているところがいくつもあったんですが、そのうちの一つのところ(工事現場)を昨日通ったのです。

そうしたら、まあ、正月休みの前に負けないくらい怒っていました。(苦笑)

どこも一緒ですね。(どこかの会社同様にです)こういうところも正月休みに何か起きた人がいるのではないでしょうか。

だとしたら、ほんと哀れですね。

しかし、こういう人たち、私に何かする前にこれだけ悪いことが起きたのでしょうか?

起きてないでしょうね。私に嫌がらせをしてからですよね。災いがそれだけ起き出したのはです。

ではそれは、私に嫌がらせをしたことに原因があるのではないですか。そういう悪いことをしたから自分たちに災いが起きているのです。

そうであるなら、その悪いことを反省しない限り(そうして私に詫びを入れない限り)その災いは止まらないのではないですか。

その私に対する嫌がらせが起きている災いの原因であるはずだからです。

だから私に頭を下げろといっているのです。私が歩いているだけで一方的に嫌がらせをして来たのはそちらであるからです。

そういう悪いことを自分たちで散々しておきながら、起きた災いだけをお前のせいだといって怒っている。

こんな勝手な話があるでしょうか。

こういう自分本位な人が多いのです。この辺りはです。そんなの自分たちが悪いに決まっているのに、何でこんな分かり切ったことがいつまでも分からないのでしょう。

先ほども書きましたが哀れというしかないですね。くだらない意地を張り通しているから、それだけの災いが現れているからです。

素直に自分たちが悪かったと頭を下げるなら、そんな災いはすぐにでも止まるのにです。

しかし、こういう人たちをあまり笑えませんか。私もです。今年はいきなり天上界から教えられたからです。

しかし、もう少し優しい教え方は出来ないものでしょうか。(苦笑)いきなり病気のような現象を現されてもこちらも苦しいだけです。

もっと『こうすると正しいのですよ。よしよし』くらいしてくれると(笑)こっちも安心して反省出来るのですが、自分の間違いをです。(笑)

しかし、そんな優しくはないでしょう。天上界はです。こちらは修業でこの世に出てきているのです。修行をタラタラやっていても修行にならないからです。

それに食べ物は大事ですからね。それを適当に食べているようではひどい叱られ方もするでしょう。自業自得ですね。

人にいっていて自分がやられていては世話ありませんが(苦笑)しかし、この前、少し(丸一日)身体の調子が悪くなっただけでも十分苦しいのです。(ほんと気持ち悪かったですよ。便が出そうで出ないなどです)

では、もっと長く苦しい病気療養などしている人たちはどうなるのでしょう。

癌やら何やら重い病気になればなるほど、さぞ苦しいでしょうね。療養生活などです。

しかし、地獄に堕ちるなら、その数倍、数十倍苦しいのです。特に先ほども書きましたが、私に(この教えに)逆らい(嫌がらせなどして)病気になっている人たちは、その病気で苦しいまま死ねば確実に地獄に堕ちるのです。(だから死後はもっと苦しい世界が待っているということです)

もう心を入れ替え真剣にこの教えを勉強されてはどうでしょう。この正法神理に帰依すれば救われていくからです。

そういう人たちは、この教えの凄さはもう十分お分かりであると思います。

凄い教えでしょう。この正法神理はです。

人に嫌がらせをしたくらいで、そのような天罰を普通食らうでしょうか?

しかし、この正法神理はそんな天罰などいくらでも現れてくるのです。(この辺りは私に嫌がらせをして罰が当たっている人などごまんといますから)そうして、その逆の現象である奇跡もです。

いくらでも現れます。神の力は無限であるからです。奇跡も災いもいくらでも起こせるのです。

この教えに帰依するなら、その本物の神と本気で(もっと強くという意味です)つながることになります。

では、奇跡も災いも起きてくるでしょう。この正法神理に帰依している人(私)には、その神の力が降りてくるからです。

だから、私に嫌がらせなどすると罰が当たるのです。この教えを実践するなら自分の心もきれいになって、その反動もあり、そうして神の力(光)が常に降りて神からも守られているからです。

だから、そのダブルパンチで凄い(ひどい)現象も現れるのです。

そういうことが目の前で次々に起きているのです。いい加減、その起きていることを正しく理解し(お前のせいでこうなったとかいっているのではなくです)この教えに帰依されませんか?

そうすれば誰にでも起きてくる現象であるからです。(だから、ウナッシーさんにも当然起きるのです。そのようなことはことはです。ウナッシーさんにひどい嫌がらせなどすればです)

自分の心もきれいになって、奇跡も起きて、神からも守られる。これだけよい話もないのではないでしょうか。特にこのような時代(正法の世)にはです。

この正法神理に帰依するなら、このようなことが次々に起きて来て本当に救われていくからです。

自分は感謝も出来ず、悪いこともしているので神とつながるのは嫌だという人はいいのですが(そういう人もいますからね。しかし、そういう人は死ねば確実に地獄行きなのです)そうではなく、救われたいと思っている人はもちろんですが、まあ、自分はよいこともするが悪いこともする、だからそんな教えに縛られたくはない、などと思っている人でもよいのです。

この正法神理はそんなにカチカチの四角四面の教えではないからです。中道であるからです。

ほどほどでもよいからやってみればいいのです。やれる範囲をです。そうすればこの教えのよさが分かり、よさが分かって来て初めて真剣にやり始めてもそれは大丈夫であるからです。(私もそうでしたから)

神はそんなに狭量ではないからです。(この教えに帰依した以上、絶対にこの教えを守らなければ罰を当てるなどというです)その人の出来る範囲の中で様々な現象を現して導いてくださるからです。

つまり、この正法神理がいっている神とは(創造主である本物の神と天上界の光の天使たち)この人にはこの程度のところで現象を現す、この人にはこの辺りのところで現象を現すなど、その人の心のレベルに合わせて様々な現象を現して導いてくださる、本当の神(天)であるからです。

だから、四角四面でこうでなくてはいけないということではないということです。いろいろな導きをいただけるということです。

この正法神理に帰依するならです。

だから、他の信仰をしていようとかまいません。それはウナッシーさんを見てもらっても分かると思います。

ウナッシーさんなどそうではないでしょうか。自分の家の信仰は家の信仰としてやっていられるはずです。しかし、こちらの正法神理も真剣にされているのです。

いくらこちらの信仰の方が正しいと思っていても、そこで自分の我を出して、こちらの信仰の方が正しいからこちらにしろ、宗旨替えしろ、などと家の中で騒げば家庭内がうまくいかなくなります。

だから、まず家庭の調和を優先され、自分の家の信仰は家の信仰として、そうして、この正法神理は正法神理として、しっかりされている。

それでいいと思います。時がくるまではです。私だってそうだからです。家の信仰を無視しているわけではないからです。

家は家でしていて(仏壇などもありますしね)そうしてこの教えを説いているのです。

現状ではそうするしかないからです。

まだ、この正法神理はほとんど知られていないのであるし、今の状況で母に信仰を変えろといったところできくわけはないのだし、しかし、周りで起きている不思議なことは母でも分かります。

だから、この教えを多くの人が信仰し出してから母にしっかり伝えても遅くはないからです。というより、現状はその方法しかないからです。

だから、私でも家は家での信仰は信仰で、それはそれで認めて、そうして、この正法神理とその流布を一生懸命実践しているわけです。

しかし、それでもボンボン奇跡が現れてくるのです。

これは神がこのようなやり方を認めている証拠であり、神の度量といいましょうか。広量さがよく分かります。

この教えをしっかりやるなら、間違った信仰を続けていようと別にかまわないのです。

要はこの教えをしっかり実践できればよいということです。

いま現在の日本を見るならです。この正法神理を知らない人たちはもちろんのこと、知っている人たちにもかまわず、次々に災いが現れているのです。

しかもその災いは年々ひどく激しくなって行きます。

皆、心が汚いまま、今の(間違った)生活をし続けているからです。しかし、この正法の世にこれだけ危ない生活もないのです。

だから、この正法神理を実践しなければいけないのだし(実践すれば、心も段々きれいになり、生活も正されていくからです)帰依するなら神の力が降りて来て守られてもいくからです。

だから帰依されたらどうですか、といっているのです。この正法神理にです。そうすれば平和で(安全で)幸せな生活が送れるからです。

そのための条件は、神と私に(この正法神理に)しっかり感謝できるかどうかなのです。

それが条件なのです。そのような正しい感謝が(神と正法神理に)出来れば帰依は出来るからです。

私にも(この正法神理にも)そうして神にも絶対に感謝など出来ないと、そういう人は仕方ありませんが、しかし、感謝できる人はです。

すぐにでもされて、そうしてこの教えに帰依された方がいいでしょう。それがこのような時代には一番正しく安全なやり方であるからです。

この正法神理に帰依されるなら、多くの奇跡が現れ、幸せな生活も出来ていきます。そうして死後の世界も天上界に行けるのです。

このようなことが本当に実現するのはこの正法神理に帰依された人のみです。

帰依されませんか?

そのための条件は、神と私への(正法神理への)感謝、それのみなのです。

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1月 06 2020

適当の間違い

新年早々どこかの会社など朝からお怒りのようです。

しかし、この会社の連中が一週間も休みがあって何も起きないわけがありません。(凄いレベルです)怒る暇があるなら心を入れ替えることです。そうしない限り、災いは止まらないからです。

昨日、一昨日は身体の調子が悪かったですね。

四、五日前からでしょうか。便秘みたいになって、大便が全然でなかったのです。一日、二日でない時はよくあるのであまり気にも留めなかったんですが、一昨日くらいからでしょうか。(だから前回のブログを書いた後くらいから)

便が出そうで出なくなったのです。

何か腹が張って来て、それでトイレに行くのですが、もうちょっとで出そうなところで便が出ないものですから、気持ちの悪いこと悪いこと、それでこちらは何回でもトイレに行くのですが、何度行っても出そうで出ないのです。

飯もしっかり食べていないし、やばいなと思って一昨日の昼くらいからしっかり食べ出しましたが(母親に頼み込んで来月もらう金を先にもらって)それでも出ません。

お陰様で(苦笑)一昨日の夜など、夜中に何度トイレに行ったのか分からないくらいで全然寝られませんでした。

だから昨日はだるくてブログも書かなかったのですが、それだけではなく気持ちも悪くて便が少しずつ漏れてくるような感じで(ひどい下痢のようになって)それでよけいトイレに行く回数が増えます。

「参ったなこれ」と思っているうちに昼になったんですが、あまり食欲もありません。しかし、これで飯を食わないとよけい調子が悪くなるようにも思えたので、無理して食べたのです。

昼食をです。

そうしたらです。昼食後しばらくしたらまたもようして来てトイレに行きました。どうせだめだろうとは思いましたが。

しかし、今度は、しばらく座っていてふんばると一変に便が出たのです。

「えっー」と思いました。あれだけ出そうで出なかった大便が急に出たからです。

あの時つくづく思いましたね。「ああ、やっぱり食事は大事なのだな」とです。

それまでは全然出なかったのです。出ないどころか、出そうで出ないという気持ちの悪い状態がずっと続いていて、それが気になって夜も寝られない状況であったのですが、それが三食ほどしっかり食べたら、とたんに便が出て腹が楽になったのです。

元に戻ったということです。しっかり食事をしたら体調がです。

前回のブログで適当にしか食事をしていないと書いたら、即これです。(苦笑)

本当に間違ったことを書くととたんに現象が現れます。恐ろしいものですね。この教えはです。

間違ったことはすぐに教えられるからです。(だからそれは私も例外ではないということです)

何でもそうですが、適当ではダメなのです。ちゃんとしないとダメなのです。

今年も初詣に行った人はたくさんいるようですね。(ニュースでやっていますが)

しかし、中には初詣に行ったばかりに神社の参道の階段から落ちて亡くなった人もいました。こういうことを考えると、初詣もいいのか悪いのか分かりませんね。だって、この亡くなった人は初詣に行かなければ亡くなることはなかったからです。

こういう人は初詣のご利益はなかったんでしょうか?そもそも初詣にご利益があるのでしょうか?もし、ご利益があるのならこんな初詣に行って亡くなるような運の悪いことは起きないと思うんですが、そこはどうなんでしょう。

初詣など行ったところでご利益などないのです。だって初詣は正しい信仰ではないからです。

だから、毎年、毎年、あれだけ多くの人が初詣に行っても(毎年、数千万の人が行くといわれています)一向に日本に起きる天変地変などおさまらないのです。

もし、初詣が正しい信仰であるなら、あれだけ多くの人が毎年神社など行って祈るのです。(数千万人ですよ。〔九千万人ともいわれているそうです。凄い数です〕)本当の信仰であるなら、これだけ多くの人が祈れば、その祈りがきかれないわけがないからです。

だから、少しは現れている災いがおさまってもおかしくはないはずですが(初詣に来ている人の中には当然、これだけ多くの天変地変がおさまりますようにとか、静かな日本になりますようにと祈る人はたくさんいるはずだからです)おさまるどころか災いは増えています。

なぜでしょう。なぜ、初詣にくる多くの人の祈りがきかれないのでしょうか?

それは初詣は信仰でも何でもないからです。初詣など日本の人々が勝手につくり出した、ただの習慣にすぎないからです。

だから、そんな習慣などいくら続けたところで祈りもきかれないし、何の奇跡も起きて来ないのです。習慣はどこまで行っても習慣なのであって、神への信仰ではないからです。

神への正しい信仰でなければ祈りはきかれないし奇跡も現れて来ないからです。

だから信仰も同じなのです。適当にやっていてはいいことは起きて来ないのです。だから初詣に行って死ぬ人も出てくるのです。

正しい信仰でもないものを適当にやっているからです。

正しい信仰をしっかりやらないとお蔭もないし、奇跡も起きて来ないのです。

今年は本気で考えたらどうでしょう。正しい信仰への本気の帰依をです。そのような神への信仰も多くの人が適当にやっているから、これだけ多くの人が不幸になっているからです。

適当にやっていては何事もいいことは起きてきません。(ほんとつくづく今回はそれが分かりました。〔笑〕)

真剣にやりませんか?

特に神への信仰はです。

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1月 04 2020

負け将棋

まったくどこに行っても怒っている人たちばかりですね。(今日も朝からやたら怒っている人がいるし。〔苦笑〕)

前から歩いてくる人、歩いてくる人、皆ちょっかいをかけていきますが、大丈夫ですか。そういうバカな態度ばかり取っていてです。

もう自分たちが間違っているのは分かり切っているのです。くだらない八つ当たりもいい加減にしたらどうでしょう。

そういう態度を続けていてはいいことなど起きないからです。(ほんとガキかといいたいです)自分たちが悪いのにそれを認めず意固地になって、私に八つ当たりしているだけだからです。

自分たちが正しいのであれば私のように奇跡が起きてくるのです。

自分たちに一つの奇跡も起きないで一体何をもって自分が正しいと思っているのでしょう。いい加減、その勘違いを理解されることです。

そうしないと悪いことはいつまでも続くからです。

自分たちのどこかに間違いがあるから奇跡が起きないのです。にもかかわらず、奇跡が起きている私に対し、そんな(嫌がらせのような)バカげた態度を取り続けている。

何で間違ったことをしている人が、正しい人に向かってよけい間違った態度を取っているのでしょう。

それではいいことが起きるわけがありませんし、それに見苦しいだけですよ。そういう態度はです。

もう私が正しくて自分たちが間違っているということは、そのような起きてくる現象でも証明されていることだからです。

自分たちに悪いことが起きているからと、私に八つ当たりすればするだけ、自分たちは間違ったことをしていますと、アピールしているようなものだからです。

だから、もうそんなくだらないことをするのではなく「自分たちが間違っていました。正しいことを教えてください」と素直に私に頭を下げることです。

そうすれば自分たちの株も、心のレベルも上がりますし、それだけ潔い正しい態度もないからです。

年も変わったことだし心も変えて正しい態度を取りませんか。その方がよほどよいことが起きてくるからです。

残念ではありますが、もう詰んでいるのです。とっくの昔にです。皆さん方の方がです。

いい加減分かりませんか。もう自分たちが何をしようがよいこと(奇跡)など起きて来ないとです。

しかし、私には奇跡ばかりが起きているのです。悪いことなど起きて来ないのです。

これだけ起きることが違うのです。

どう考えても自分たち(災いが起きている人たち)の負けでしょう。私のいうことをきくしかないのではないですか。間違った人の話をいくらきいていても決していいことは起きないからです。

災いは止まらないのです。そういう考えのままではです。

だから早くこの教えに帰依されてはどうですか、といっているのです。この教えに帰依すれば(私同様)よいことが起きてくるからです。

自分たちの考えだけではもう災いしか起きて来ないのです。そうして、その災いはもはや日本中に広がっているのです。

ではもう日本中の人々が考えを変えるしかないのではないですか。(私がいうようにです)そうしないと日本中に起きている災いは止まらないからです。

だから私はいっているのです。もう詰んでいますよ、とです。この辺りだけではなくすでに日本中で災いがあふれているからです。

これだけ災いが起きていてはもうどこにも逃げ場はないからです。

では、潔く認めるべきでしょう。自分たちの間違いをです。そうして素直にきくべきでしょう。私のいうことをです。

もうこういう状況なのですから、自分たちの負けを素直に認めて考えを変えるしかないのに、いつまでたっても自分たちの負けを(間違いを)認めず、負け将棋をやり続けている。

だからいいことが起きないのです。特にこの辺りの人たちなどはです。

負け将棋をいくら続けていても、よいことなど起きるわけがないからです。負けはどこまで行っても負けでしかないからです。

だから早く負けを認めて、ご破算で願いましてはにしないと(悔い改めないと)いいことは起きてこないのですが、その負けをいつまでたっても認めません。

だから、ご破算で願いましてはに(悔い改めに)ならないのです。自分たちの負けを(間違いを)認めないからです。

それでいつまで続けるつもりですか。こんな負け将棋をです。負け将棋をどれだけ続けても負けは負けであり、絶対に勝ちにはなりません。

すでに詰んでいるからです。

潔く負けを認めてください。そうすればご破算で願いましてはとなって、やり直すことが出来るからです。

追伸……二、三日前でしたかね。体重を計るとなんと五十キロくらいしかありませんでした。

三~四年前までは七十二、三キロありましたけどね。それがドンドン減って(血糖値も高いし胃の調子もあまりよくなくて食事を減らしていったものですから)五十五キロくらいになり、ちょうどいいくらいの体重になったなと(私は身長が百六十八センチくらいですから)思っていたら、食事を二食にすることでもっと体重が減り、それでも一、二ヶ月くらい前までは五十三キロくらいあったんですが、それがもう五十キロです。

もうドンドン減りますね。体重が減らないなどといっている人たちが不思議で仕方ありません。(笑)

私もかつてはそうで(体重が一番多い時で八十キロくらいありましたから)腹が減ると食わずにおれなかったんですが、食事を減らし出したら、腹が減ることがそんなに苦ではなくなって来て、こういう(金に)苦しい時など、安い物ばかり買ってきて、もう晩飯は菓子だけでいいやとか、今日は少々カロリーが少ないけどいいやとかやっているものですから(そうして午後からは辻説法をしながら歩き回っているものですから)よけい体重が減ってしまったようです。(苦笑)

こういう適当な食事の仕方をしていると栄養失調で死にますかね。(笑)そういう死に方もかっこ悪いんですが状況が状況です。それもまた致し方ないでしょう。

しかし、私が死ねばこの辺りの人たちなど大喜びでしょうね。(苦笑)

ずいぶん恨んでいる人が多いようだからです。私のことをです。(完全な逆恨みですが)

しかし、私が死ねば、もうこの辺りに大きな災いを起こせない理由もなくなります。(天上界もです)名古屋大震災とか、東海大震災とか、起きるかもしれませんので、そこはお気をつけください。

東海地方の人たちはずいぶん私につらく当たっているからです。私のブログを(如来の教えを)見ているくせにです。

しかし、もう何度も書いていますが、そういうことも(大災害)いつ起きるか知れないのです。今の日本の状況ではです。

今年はよい年になるといいといくらいっても、現在の日本では絶対にいい年にはならないのです。

心を変える人がいないからです。

この教えに帰依されないでどうしたら救われるのですか?

心の変え方を知らない人たちばかりであるのにです。

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1月 02 2020

わずかな望みと運命をよくする方法

明けましておめでとうございます……しかし、本当におめでたいんでしょうか。今年はです。

でも、心を変えた人などいないんでしょう。(年末年始で)じゃあ、あまりおめでたくはないでしょうね。

そういう人ばかりでは、今年も去年同様、危ない年になりそうだからです。

十年たってもダメですか……誰一人、布施しようとしませんが、もう十年たっても変わらない人たちは何年たっても変わりませんかね。

しかし、それでは不幸は止まらないし、ドンドン不幸になる人が増えるし、こちらはもうとっくに投げ出したいんですが、それがしたくても出来ないから困るのです。

私が投げ出せば日本は災いが起き放題になります。(お前のせいだーとか、温暖化のせいだーなどといっている人ばかりになりますから)そうなるともう日本はメチャメチャにされるでしょう。(今でさえ神を怒らせてこれほどの現象が現されているのですから)

だから「もう知らん」といいたくても出来ないのです。神理を悟らない人たちばかりでは日本は滅ぼされるからです。

しかし、こう布施をもらえなくてはやりたくても出来ませんからね。まったくする気がない人たちばかりであるからです。どれだけ悪いことが自分たちに起きてもです。(特にこの辺りの人たちは筋金入りですから。〔苦笑〕)

もう最近などこちらは飯もまともに食べられないくらいですからね。母からあまり金をもらえないからです。(そりゃそうでしょう。もう何年こんなことしてるんでしょう)

最近は一日に二食(昼と晩)ですね。食事代もないからです。

しかし、これが逆によかったようで、一日二食にしたら胃の調子もよくなって血糖値も上がらなくなったというのですから、ほんと分からないものです。(笑)

ちょっと前に知ったんですが、一日二食の方がいいらしいですね。朝を抜いた方がです。

朝は抜いたらダメだという人もいるんですが、私のように胃腸が弱い者は一日三食だと胃の調子が悪くなるのです。(一日三食だと胃に負担がかかりすぎるみたいで)

それで胃の調子はずっとよくなかったんですが、二食にしたら胃の調子がよくなって、やっぱりあまり食べない方が胃にはいいのかなと漠然と思っていたのですが、ちょうどテレビかなんかで(雑誌だったかな、ちょっと忘れましたが)一日二食がいいと、それも朝をあけて一日に十五時間以上胃を休ませると、胃腸の調子はよくなると医者がいっていましたので、ああ、やっぱり二食の方がいいんだと合点がいったわけです。

そうして一日二食にしたら血糖値の調子もよくなって来たみたいで(トイレが近くなくなりましたから。それでよく分かるのです。血糖値が高いと小便ばかりいくものですから)結局、一日二食だと一日に取る総カロリーも減りますので、それで血糖値も上がらなくなったようで(お陰様でずいぶんやせました)一変に健康になってしまったのです。

一日三食、食べていた時よりです。(笑)

そういえば高橋先生もいわれていました。数百年前、高橋先生がソ連(ロシア)の山の中に生まれた時があったそうですが、その時は二百歳くらいまで生きたとです。

その時が食事は一日二度で腹六分目であったそうです。

それくらい胃腸に負担をかけないと長生き出来るようですが、これまではそれが出来なかったのです。腹が減りすぎて一日二食など絶対に無理だと思い込んでいたからです。

しかし、必要にかられ(単に金がないだけですが。〔笑〕)やってみると案外できるものなのです。(夜は少し腹が減りますが〔でも多少、多めに食べれば大丈夫です〕朝おきて昼くらいまではそうでもありませんから。あとはなれですね)

食うに食えなくなり、一日二食にしたら前より健康になったというのですから、ほんと幸運なのか不幸なのかよく分かりませんが(笑)どちらにしても、もうギリギリの生活には変わりありません。

これだけ預言者がひもじい思いをして法を説いて(ブログを書いて)いるのです。このブログを平気でただで見て、そうして自分たちばかりよい生活をしている人たちによいことが起きてくるわけがない。

あまりに自分本位であるからです。

それにもかかわらず、そういうことなど関係なさそうに人の顔を見れば嫌がらせしてくる人がたくさんいますが、こちらがこういう状況です。そういう態度をいつまでも続けているとまたいつ病気になるか(あるいは不慮の事故にでも遭うか)とにかくよいことは起きないでしょう。

少しくらいの愛を出されてはどうでしょう。そうすればよいことは起きてくるからです。

しかし、何かこちらの人たちなど反抗期みたいですよね。(笑)

いつまでもそのような間違った態度を取り続け(だいたい、人に嫌がらせするってよいことですか?)頑として変えないからです。どれだけ自分たちに悪いことが起きて来てもです。(ほんと子供のこといえません。〔笑〕しかし、いい年した大人のこんな子供のような態度を見ると反抗期などないのだなと改めて思います。結局、そういう態度を〔心を〕表に露骨に現すか、現さないか、その違いなだけでしょう。大人と子供の違いはです。しかし、そういう〔子供のような〕心を直さない限りよいことは起きて来ないのです)

態度を変えるなら、これまでの自分の間違いを認めたことになりますので、その自分の間違いを認めたくはないのでしょうが(あとは、ねたみとかひがみとかも入ってます?)しかし、いつまでもそういう甘えた態度を取り続けているからよいことも起きないのです。

甘えた態度でしょう。自分を厳しく見つめて反省するなどということが出来ないんですから。

それをするなら自分の間違いがすぐに分かってしまうからです。

だからしようとしないのでしょうが、しかし、今年はです。そういう内面で少しは成長した大人が出て来てくれることを願ってやみません。

心がそれでは(子供と変わらないでは)あまりに情けないし、そんな幼い心では肝心の災いが止まらないからです。(ほんと、いつまでもお若い人が多いです。心だけはです。〔苦笑〕)

年の初めから文句ばかりいっていてもいけませんが、私も来年で六十です。

もう老人ですよ。この年であれもこれも望むわけもなく、私が望むものは「法の流布」これのみなのです。(だから当然、若いオネエチャンなど望むわけもなく、もう無理でしょう。〔年も年ですし、状況が状況ですから〕時間なども遊びで合わせているだけですから、どうぞこちらのことは気にせずやってください。〔笑〕)

だから、それくらいの(布施くらいの)協力はしていただけないでしょうか。このブログを長年見ている人たちはです。(そういう面でも少しは成長していただけませんか?心がです)

それ以上のものなど何も望んでいないからです。それと、その私に協力するなら奇跡も起きてくるからです。

布施くらいの愛は出してはもらえませんか?そのような愛を出せるなら、その愛が自分にも返って来てよく持てるようにもなるからです。

愛を出せば愛が返ってきます。その愛とは男女の愛も含めてなのです。(私は好きですけどね。そういう愛を出せる優しい女性はです。……さっきといっていること違いますが〔笑〕しかし、せこい人など男でも女でも持てないでしょう。私などたくさん愛を出しているから〔このブログを通して〕動物たちにまで持てるのです)

まあ、自分の運命を変えるのも、少し厳しく自分を見つめて反省し、そのような愛ある行いをするなら変わってくるのです。もちろん愛を出せば出すほどよい方にです。

本当に変わってくるのですから、やってみてはどうですか。私のいう通りのことをです。(愛の心で私に布施をです。そうすればたくさんの愛をもらえますよ)

今年のはじめに運命がよくなる方法を書いておきました。これだけ年初めにピッタリの話題もないのではないでしょうか。(笑)

初詣に行く暇があるなら、そのお賽銭分(プラスもう少し。〔笑〕)こちらに布施してください。そういう愛ある行いが出来るなら、すぐに運命もよくなり持てるようにもなるからです。(笑)

今年も……ではなく、今年こそは本当によろしくお願い致します。

(といっても、いつまでやれるか分からない状況ではありますがね。〔なにせ金欠ですから〕今年こそ、皆さん方の愛ある行いを期待します)

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12月 31 2019

本物の預言者

昨日のようなブログを書けば、面白くないのでしょうか。この辺りの人たちは、皆、怒っています。(笑)しかし、事実は事実です。

今年も今日で終わりです。今年の最後の最後にこれまでの貸しを少しでも返されてはどうでしょう。そうすればすっきりした形で新しい年を迎えることが出来るからです。

皆さん方はずいぶん、私に(預言者に)心を救われているからです。

しかし、何一つお返しなどありません。お返しどころか感謝もありません。それでは罰も当たります。

そのような態度は、とても法を(神の言葉を)説いてくれている預言者に対する態度ではないからです。

では、そのような態度を今年最後に反省され、感謝の心で布施されたらどうでしょう。そうしないとまた来年もすさまじい年になるのは必然であるからです。

このまま(の心で)年を越してもです。よい年になると思いますか?来年がです。

なるわけないでしょう。今年以上の悪い年にしかなりません。それはこのブログを見ている人たちなら誰だって分かるはずです。もうシロウトではないからです。(クロウトです。クロウト。災いのです。もうどれだけ災いを受けているか知れないからです。このブログを見ている人たちはです。〔苦笑〕)

だって、心を広げようとする人など皆無であるのです。今日は大晦日で除夜の鐘が鳴り響くのでしょうが、その除夜の鐘をうるさいという人まで出てきています。(除夜の鐘どころか風鈴をうるさいという人までいるくらいです)

こちらでもそうです。このブログを書くためパソコンを打っていますが、このパソコンのカチカチいう音をうるさいと怒る人がこの辺りいくらでもいるのです。

考えられますか?部屋の中でパソコンを打っているだけなのに、その音に腹を立てる人がたくさんいるのです。しかもその怒っている人たちもこのブログを読んでいるというのにです。

このブログにはまったく感謝せず、耳をすまさなければきこえないような小さなパソコンの音をうるさがり、怒って嫌がらせです。

これだけ小さな心で小さなことをしていて、それでよいことが起きると思いますか?こういう人がドンドン増えているのです。

だから、このまま心を変えないのなら(変えない人たちばかりなら)来年はもっとひどい災いが起きてくるといっているのです。心の狭い人がドンドン増えているのですから、悪いことがドンドン起きてくるのは必然であるからです。

そのような人々の心に合わせてこの世の現象は現れてくるからです。

これではコロッと逝く人まで出始めているというのも分かる話ではないでしょうか。それだけ心が狭く小さい人たちが増えて来たということです。

もうすぐにでも(あの世に)引き上げなければいけないような小さな人たちがです。(これ以上、この世にいても修行にならないということでです。あまりに心が小さすぎてです)

だから、私は今年最後に感謝して布施してくださいといっているのです。それくらいの愛ある行いをしなければ、そのような小さな人たちの心は広がらないからです。

そのような心が狭いまま年を越すならです。それこそ、正月三が日にも何が起きてくるか知れないからです。

めでたい、めでたい、といっている間にコロッと逝ってしまうかもしれないからです。(そんな人は本当におめでたい〔バカ丸出しの〕人なのです)

いつまでも心をそっちのけにして自己中なことをしていては、それだけ危ないということです。

もうそのようなところまで来ているのです。このブログを読んでいる多くの人たちはです。だから、ドンドン不幸が起きているのです。このブログを読んでいる人たちにもです。

このブログを知らない人たち同様にまったく心を広げようとしないからです。(それではこのブログを読んでいる意味がないでしょう)

だからもう素直に私(預言者)のいうことをきいてくださいといっているのです。そういう人たちは必ず救われていくからです。

しかし、私に従いたくない人は(さっきも書きましたが)もう怒るしかないでしょうね。今さら私が預言者ではないなどと、否定出来る人(あるいは笑ったりする人)などいないでしょうからです。

このブログを見ている人たちならです。

もう私の周りにどれだけ奇跡が起きているのか、そうして災いも起きているのかを知っている人たちばかりであるからです。

しかし、そのような事実も、私が預言者であるということなら説明がつきます。(本物の預言者であるから奇跡も起きるし、その預言者に嫌がらせするなら罰も当たる。〔災いも起きる〕)

だからもう観念しましょう。私が法を(神の言葉を)説き始めてから十年になります。その間、どれだけの奇跡が起き、災いが起きたことでしょう。

それもこれも、すべて私が預言者であったため起きたことであり、その私の言葉を信じてもらうために起こされたことであったのです。

私が説くことは神の言葉であるからです。(昨日も書きましたが、預言者とは『神の言葉を預かり正しく伝える者』でありますから)

だから、私のいうことに逆らい続けているから不幸になっているのであり、従えば幸せになれるのです。

私がいうことは神がいわれていることと同じであるからです。

現にウナッシーさんがそうであるのだし、それは起きる奇跡が証明しています。(神がいわれることをきくから奇跡が起きるのです)これまでは、そういうことをいっても誰も信じようとしなかったからあまりいわなかったのですが(まだ時が来ていないと思ってです)しかし、もう私が神の言葉を説き始めて十年たち、そうしてこれだけ奇跡や災いが現れ続けているのです。

それにもかかわらず、このブログを見ている人たちの態度は一切、変わりません。その結果、すさまじい災いが、すさまじい数、起き出したのです。

これ以上、黙っていてはいけないと、もう正しいことを(本当のことを)強くいわなければいけないと、そうしないとドンドン災いが現れ、不幸な人が増えていくだけだと、そう思ったからこういうことも(自分で)書き始めたのです。

本当は自分で自分を預言者などと書くことではありませんが、それくらいしないと、このブログを見ている多くの人たちは本当の私のことを理解しないのです。

昨日も書きましたが、このブログを見ている人たちは神を信じない時代に生まれた人たちばかりであるからです。

そういう人たちは、神や神の言葉を伝える預言者などという者には恐ろしく疎(うと)いからです。

いつまでもそれではどれだけ神の逆鱗に触れるか知れないのです。(もう触れすぎていますけどね。現代の人たちはあまりに神に疎すぎて)

だからもう自分でいうしかないのです。正しいことをはっきりいって、私のことを正しく理解してくれないことには、感謝もしてくれないでしょうし布施ももらえません。

感謝の布施をもらえなければ、この正法神理も(神の言葉も)説けなくなりますし拡げることも出来なくなります。

それでは元も子もないので、自分は誰であるのかをはっきり書いて、だから、こういうことが起きるのですと、すべてはっきりした方がよく理解できると思ったからです。

これだけ神を信じようとしない人たちにはです。

だから、はっきり書きます。もうしないとダメだからです。感謝の布施などはです。それをしていない人たちに次々にすさまじい災いが現れて来ているからです。

こちらだけ見てもそうなのです。すさまじい数の災いが現れているのです。

しかし、それを目の前で見ている人たちが、いつまでたってもただ怒っているだけで何もしようとしません。

そのせいで、起きる災いは凄い勢いで広がりつつあるのです。それはこれまで書いた、この近辺のことだけでも(どこかの会社やその周りの会社の人たち)想像できると思います。

とにかくえらいことになっているのですが、この辺りの人たちは、その災いを全然止めようとしないのです。起きるがままにしているのです。(まあ、止め方が分からないといった方が正確でしょうが)

だからもうこれではいけないと、このドンドン広がる災いを本気で止めなければいけないと(そうしないとこの災いはどれだけ広がるか知れないと)それではっきり書いているのです。

私が誰であるかをです。そうして、私が書いていることがどれだけ大事なことであるかをです。

私は、神の言葉を託された本物の預言者なのですから、その神の言葉を託された者のいうことをきくなら災いは止まるのです。

だから、少しでもいいので、まず感謝の布施をしなさいと、そうしないと災いは止まらないといっているのです。

皆さん方に(災いが現れている人たちに)足りないのは、そのような愛であり、心の広さであるからです。

だから、それをしない限り、災いは止まらないのであるし、災いが止まらなければもうよい年などくるわけがないのだし、よい年が来なければ自分はもちろんですが、多くの人々が不幸になるのだし、そうなれば日本は滅んで行くしかないということになるのです。

実際、そちらの道に(滅びの道に)進んでいるのではないですか。現在の日本はです。

それは、本物の預言者が日本に出ているのに、その預言者のいうことを無視し、自分たちの心をドンドン狭めていっているからです。

それではドンドン災いが起き、滅びの道に進むのも致し方ないでしょう。自らが、そのような道に突き進んでいるからです。

その道から外れるには、本物の預言者のいうことを素直にききそれを行うことです。

そうすれば、その人たちは救われていき幸せの道を進むことが出来るのです。

その通りのことがすでに起きています。(ウナッシーさんとこのブログを見ている他の人たちとの違い)では、私のいうことを信じ行ってください。

私がいう感謝の布施をです。そうすれば、それを行った人から救われていくからです。(それが出来れば、とりあえず次々現れている災いが自分たちに現れることはありません)

私のいうことをいつまでも無視し逆らうということは、それは本物の預言者のいうことを無視し逆らうということであり、それは神を無視し逆らうということになるのです。

それではよいことが起きるわけがありません。

それが分かるのはこのブログを見ている人たちだけなのです。このブログを見ていた幸運に感謝してください。その人は(素直にここに書かれたことを行うなら)救われるからです。

今年最後に善徳を積み(預言者に布施するくらいの善徳はないでしょう。悪徳ばかり積んでいるからよいことが起きないのです)そうして、心を広げてから年越しを行ってください。

そうすれば、その人は来年は必ずよい年となるからです。

今年最後に大変重要なことをお知らせしておきました。まさかとは思いますが、今さらここに書いていることを信じない人もいないと思います。

このブログを長年読んでいる人ならです。(ずいぶん長いこと預言者のブログを読まれているのですね。それだけ幸運なこともないでしょう)

今年もいろいろありがとうございました。(嫌がらせなり何なりされてです。〔苦笑〕)

どうぞ、今年最後に善徳を積まれ(本当にそのような人は幸せです。今年の最後の最後に預言者に布施出来るというこれ以上ない善徳を積めるからです。〔笑〕)そうしてよい年をお迎えください。

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