1月 07 2020
感謝が条件
正月休みの前にやたら怒っているところがいくつもあったんですが、そのうちの一つのところ(工事現場)を昨日通ったのです。
そうしたら、まあ、正月休みの前に負けないくらい怒っていました。(苦笑)
どこも一緒ですね。(どこかの会社同様にです)こういうところも正月休みに何か起きた人がいるのではないでしょうか。
だとしたら、ほんと哀れですね。
しかし、こういう人たち、私に何かする前にこれだけ悪いことが起きたのでしょうか?
起きてないでしょうね。私に嫌がらせをしてからですよね。災いがそれだけ起き出したのはです。
ではそれは、私に嫌がらせをしたことに原因があるのではないですか。そういう悪いことをしたから自分たちに災いが起きているのです。
そうであるなら、その悪いことを反省しない限り(そうして私に詫びを入れない限り)その災いは止まらないのではないですか。
その私に対する嫌がらせが起きている災いの原因であるはずだからです。
だから私に頭を下げろといっているのです。私が歩いているだけで一方的に嫌がらせをして来たのはそちらであるからです。
そういう悪いことを自分たちで散々しておきながら、起きた災いだけをお前のせいだといって怒っている。
こんな勝手な話があるでしょうか。
こういう自分本位な人が多いのです。この辺りはです。そんなの自分たちが悪いに決まっているのに、何でこんな分かり切ったことがいつまでも分からないのでしょう。
先ほども書きましたが哀れというしかないですね。くだらない意地を張り通しているから、それだけの災いが現れているからです。
素直に自分たちが悪かったと頭を下げるなら、そんな災いはすぐにでも止まるのにです。
しかし、こういう人たちをあまり笑えませんか。私もです。今年はいきなり天上界から教えられたからです。
しかし、もう少し優しい教え方は出来ないものでしょうか。(苦笑)いきなり病気のような現象を現されてもこちらも苦しいだけです。
もっと『こうすると正しいのですよ。よしよし』くらいしてくれると(笑)こっちも安心して反省出来るのですが、自分の間違いをです。(笑)
しかし、そんな優しくはないでしょう。天上界はです。こちらは修業でこの世に出てきているのです。修行をタラタラやっていても修行にならないからです。
それに食べ物は大事ですからね。それを適当に食べているようではひどい叱られ方もするでしょう。自業自得ですね。
人にいっていて自分がやられていては世話ありませんが(苦笑)しかし、この前、少し(丸一日)身体の調子が悪くなっただけでも十分苦しいのです。(ほんと気持ち悪かったですよ。便が出そうで出ないなどです)
では、もっと長く苦しい病気療養などしている人たちはどうなるのでしょう。
癌やら何やら重い病気になればなるほど、さぞ苦しいでしょうね。療養生活などです。
しかし、地獄に堕ちるなら、その数倍、数十倍苦しいのです。特に先ほども書きましたが、私に(この教えに)逆らい(嫌がらせなどして)病気になっている人たちは、その病気で苦しいまま死ねば確実に地獄に堕ちるのです。(だから死後はもっと苦しい世界が待っているということです)
もう心を入れ替え真剣にこの教えを勉強されてはどうでしょう。この正法神理に帰依すれば救われていくからです。
そういう人たちは、この教えの凄さはもう十分お分かりであると思います。
凄い教えでしょう。この正法神理はです。
人に嫌がらせをしたくらいで、そのような天罰を普通食らうでしょうか?
しかし、この正法神理はそんな天罰などいくらでも現れてくるのです。(この辺りは私に嫌がらせをして罰が当たっている人などごまんといますから)そうして、その逆の現象である奇跡もです。
いくらでも現れます。神の力は無限であるからです。奇跡も災いもいくらでも起こせるのです。
この教えに帰依するなら、その本物の神と本気で(もっと強くという意味です)つながることになります。
では、奇跡も災いも起きてくるでしょう。この正法神理に帰依している人(私)には、その神の力が降りてくるからです。
だから、私に嫌がらせなどすると罰が当たるのです。この教えを実践するなら自分の心もきれいになって、その反動もあり、そうして神の力(光)が常に降りて神からも守られているからです。
だから、そのダブルパンチで凄い(ひどい)現象も現れるのです。
そういうことが目の前で次々に起きているのです。いい加減、その起きていることを正しく理解し(お前のせいでこうなったとかいっているのではなくです)この教えに帰依されませんか?
そうすれば誰にでも起きてくる現象であるからです。(だから、ウナッシーさんにも当然起きるのです。そのようなことはことはです。ウナッシーさんにひどい嫌がらせなどすればです)
自分の心もきれいになって、奇跡も起きて、神からも守られる。これだけよい話もないのではないでしょうか。特にこのような時代(正法の世)にはです。
この正法神理に帰依するなら、このようなことが次々に起きて来て本当に救われていくからです。
自分は感謝も出来ず、悪いこともしているので神とつながるのは嫌だという人はいいのですが(そういう人もいますからね。しかし、そういう人は死ねば確実に地獄行きなのです)そうではなく、救われたいと思っている人はもちろんですが、まあ、自分はよいこともするが悪いこともする、だからそんな教えに縛られたくはない、などと思っている人でもよいのです。
この正法神理はそんなにカチカチの四角四面の教えではないからです。中道であるからです。
ほどほどでもよいからやってみればいいのです。やれる範囲をです。そうすればこの教えのよさが分かり、よさが分かって来て初めて真剣にやり始めてもそれは大丈夫であるからです。(私もそうでしたから)
神はそんなに狭量ではないからです。(この教えに帰依した以上、絶対にこの教えを守らなければ罰を当てるなどというです)その人の出来る範囲の中で様々な現象を現して導いてくださるからです。
つまり、この正法神理がいっている神とは(創造主である本物の神と天上界の光の天使たち)この人にはこの程度のところで現象を現す、この人にはこの辺りのところで現象を現すなど、その人の心のレベルに合わせて様々な現象を現して導いてくださる、本当の神(天)であるからです。
だから、四角四面でこうでなくてはいけないということではないということです。いろいろな導きをいただけるということです。
この正法神理に帰依するならです。
だから、他の信仰をしていようとかまいません。それはウナッシーさんを見てもらっても分かると思います。
ウナッシーさんなどそうではないでしょうか。自分の家の信仰は家の信仰としてやっていられるはずです。しかし、こちらの正法神理も真剣にされているのです。
いくらこちらの信仰の方が正しいと思っていても、そこで自分の我を出して、こちらの信仰の方が正しいからこちらにしろ、宗旨替えしろ、などと家の中で騒げば家庭内がうまくいかなくなります。
だから、まず家庭の調和を優先され、自分の家の信仰は家の信仰として、そうして、この正法神理は正法神理として、しっかりされている。
それでいいと思います。時がくるまではです。私だってそうだからです。家の信仰を無視しているわけではないからです。
家は家でしていて(仏壇などもありますしね)そうしてこの教えを説いているのです。
現状ではそうするしかないからです。
まだ、この正法神理はほとんど知られていないのであるし、今の状況で母に信仰を変えろといったところできくわけはないのだし、しかし、周りで起きている不思議なことは母でも分かります。
だから、この教えを多くの人が信仰し出してから母にしっかり伝えても遅くはないからです。というより、現状はその方法しかないからです。
だから、私でも家は家での信仰は信仰で、それはそれで認めて、そうして、この正法神理とその流布を一生懸命実践しているわけです。
しかし、それでもボンボン奇跡が現れてくるのです。
これは神がこのようなやり方を認めている証拠であり、神の度量といいましょうか。広量さがよく分かります。
この教えをしっかりやるなら、間違った信仰を続けていようと別にかまわないのです。
要はこの教えをしっかり実践できればよいということです。
いま現在の日本を見るならです。この正法神理を知らない人たちはもちろんのこと、知っている人たちにもかまわず、次々に災いが現れているのです。
しかもその災いは年々ひどく激しくなって行きます。
皆、心が汚いまま、今の(間違った)生活をし続けているからです。しかし、この正法の世にこれだけ危ない生活もないのです。
だから、この正法神理を実践しなければいけないのだし(実践すれば、心も段々きれいになり、生活も正されていくからです)帰依するなら神の力が降りて来て守られてもいくからです。
だから帰依されたらどうですか、といっているのです。この正法神理にです。そうすれば平和で(安全で)幸せな生活が送れるからです。
そのための条件は、神と私に(この正法神理に)しっかり感謝できるかどうかなのです。
それが条件なのです。そのような正しい感謝が(神と正法神理に)出来れば帰依は出来るからです。
私にも(この正法神理にも)そうして神にも絶対に感謝など出来ないと、そういう人は仕方ありませんが、しかし、感謝できる人はです。
すぐにでもされて、そうしてこの教えに帰依された方がいいでしょう。それがこのような時代には一番正しく安全なやり方であるからです。
この正法神理に帰依されるなら、多くの奇跡が現れ、幸せな生活も出来ていきます。そうして死後の世界も天上界に行けるのです。
このようなことが本当に実現するのはこの正法神理に帰依された人のみです。
帰依されませんか?
そのための条件は、神と私への(正法神理への)感謝、それのみなのです。



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