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12月 30 2017

愛があふれるすばらしい教え

昨日は久しぶりに熱田神宮に行ったんですが、入り口近くまで行って諦めました。

中は凄い人のようであったからです。(駐車場が満杯でしたので)年が明ける前なのにずいぶん人が多かったですね。

私はてっきり新年の直前だから人も少ないだろう、今のうちなら行っても大丈夫だろうと思って行ったんですが、甘かったですね。あれでは入れません。

あんなに人が多くては、どれだけちょっかいをかけられ、そのちょっかいをかけてきた人がどれだけ病気なるのか分からないからです。

もう熱田神宮に入る前から、近くを歩いているだけで熱田神宮の中にいる鳥たちが(特にムクドリなど)ギャーギャー鳴くので、私が近くにいることが多くの人たちに一発で分かります。

あちこちで歩いている人にジロジロ見られるし、そういう歩いている連中までちょっかいをかけてきます。

とても無理だなと行くのを諦めました。(鳥と人の両方にじゃまされてです。残念です。〔涙〕)

しかし、熱田神宮にお参りするのもいいんですが、その近くにこれだけ鳥にかまわれている者がいるのです。(鳥が騒いでいるだけではなく、すずめたちなども、ちょこちょこ飛んできたりもしていましたので)

まったく他の人と起きることが違う者がいるのに、その者の話をきこうともせず嫌がらせしかしない、本当にバカなことをしています。

それで病気をしているというのですから世話はありません。

いつになったら気づくのでしょう。自分たちの間違いにです。(間違ったことをしているから病気になるのです)滅ぼされる時間は刻々と迫ってきています。

いい加減理解していただけないでしょうか。私のいうことをヘラヘラ笑ってきいているのなら(まあ、昨日はやたら怒っている人も多かったんですが)大変なことになるからです。

もう何度も危ないことが起きているのに、まだ多くの人は自分のことだけをしているんでしょうか。

昨日書いたことは嘘ではありません。今のまま多くの人がこの教えを無視し続ければ、最後には滅ぼされるのです。

このような状況で、あの巨大な南海トラフ地震が来れば(そうして、よくいわれるようになった富士山の噴火などが同時に起きれば)日本の大方の大都市はやられてしまいます。(名古屋や大阪は南海トラフで、そうして東京は富士山の噴火で)

そうなったらもう日本は再起不能となり衰退して滅びるしかなくなるのです。(ローマが滅びたベスビオ火山の大噴火の時よりひどそうです)

そういうことが起きるのです。これは予言しておきます。今のままなら必ずそうなるからです。

本当の神の教えが出現した国は、その教えを(自国だけではなく)他の国にまで伝えなければいけないのです。

それがその国に生まれた人々の大きな使命であるからです。

釈尊が正法を説かれたインドの人々も、そうしてキリストが福音を説かれたイスラエルの人々も、その偉大な師の教えを拡げたからいま現在、世界中の人々が釈尊やキリストのことを知っているのです。(主に釈尊やキリストのことを伝えたのは、その弟子たちですが、しかし、弟子たちだけではこれだけ釈尊やキリストのことが世に大きく伝わることはなかったでしょう。弟子以外の人たちも協力したからこれだけ多くの人が、釈尊やキリストを知り、その教えを知ってたくさんの人が救われたのです)

もし、当時の法をきいた人たちが現在の日本の人々のように何もしなかったら、今頃はほんの一部の人しか釈尊やキリストのことを知る人はいなかったでしょう。

それどころか、もしかしたら釈尊やキリストの存在は忘れ去られていたかもしれないのです。

もし、そんなことになっていたら今ごろ世の中はどうなっていたでしょうか?

少なくとも今以上の暗黒の世界になっていたことだけは確かでしょう。何度もいいますが、釈尊やキリストの昇天後でも、その教えによって天文学的な数の人たちが救われているからです。

だから、本当の神の教えをきいた人たちは責任が大きいといっているのです。

この教えを多くの人が伝えるならば(そのことに協力するならば)今だけではなく、日本だけではなく、後世の世界中の人々を救うことになるからです。

しかし、それをしようとしなければ、どれだけ多くの人が不幸になるのか分からないのです。(これもまた天文学的な数でしょう。先ほど書いたことと逆のことが起きるからです)

だから、天もこれほどの怒りを日本の人々に(このブログを見ている人々に)現しているわけです。

それこそ、この教えを拡げることをじゃまする者は実在界(あの世)に引き上げるくらいの勢いでです。(だから、激しい天変地変だけではなく、この辺りは多くの人が病気になり不幸になっているのです。この辺りは、その法の流布をじゃまする者たちが〔大人から子供まで〕たくさんいるからです)

だから、私のすることに協力しないといけないと(じゃまするなどもってのほかであると)くどいくらいいっているのですが、なんとこの辺りの人たちは、その私のいうことに逆らう人ばかりです。

これでは病気が多発するのも分かります。これだけ神の心に逆らっている人たちはいないからです。(ほんと協力すればいいのにとつくづく思います)

私のいっていることが間違いなら奇跡など起きません。しかし、先ほども書きましたが、私はどこに行っても不思議な奇跡が次々に現れてくるのです。

鳥がギャーギャー騒いで寄ってくるなど不思議ではないですか?(少々うるさいという難はありますが。〔笑〕)

よく行く堀川など、私が行くと必ず嬉しそうにカモメたちが近くまで飛んできます。(今年はカモメが少ないので少々寂しいのですが)そうして水面に浮かんでいるカモメはバシャバシャやり始めたり、ギャーギャー鳴いたり、飛んだり跳ねたりにぎやかなものです。(飛んだり跳ねたりの意味が分からないかもしれませんが、私が水面に浮かんでいるカモメたちを見ていると、中にはちょっと飛び上がったかと思うとすぐに水面に落ちて来て、バシャバシャやっているのもいるからです。本当に異様な動きをするカモメがいるのです。〔笑〕)

すずめたちもよく回りに集まってきますし、他の鳥たちも同じように私の近くに飛んでくるものがあります。

暖かくなってくれば、今度は魚たちが水面近くまで上がってきて、飛び跳ねているものもたくさんいます。(その跳ね方が半端ないのもいるんですけどね。〔笑〕)

岸から魚たちに声をかけると、たくさんの魚たちが岸近くまで泳いできて、私の近くをバシャバシャ跳ねながらを泳いでいるなどということも何度もありました。

内海の海など出かければ、波打ち際まで寄ってくる魚たちがいます。

考えられますか?多くの小魚が波打ち際まで寄ってきて、波が引いて行く時にその波に乗りきれず、次の波が来るまで砂浜でジッとしている小魚までいるくらいなのです。(オイオイ、お前、大丈夫か?と声をかけますが。明らかにやりすぎです。〔笑〕)

その他、そのような愛ある行為を私に見せてくれる生き物は数知れません。もしかしたら、この世のすべての生き物が(もちろん人間以外のですが。〔笑〕)そういう愛ある態度を私に取ってくるかもしれないのです。(多分そうでしょう。それは水族館の生き物も、動物園の生き物も、砂浜などにいる貝にいたるまで同じような態度を取るからです)

この教えを勉強するなら、誰からも愛されているということを実感する、本当の愛のある不思議な奇跡が次から次に現れるのです。(もちろんそれ以外の奇跡も現れてきます。ウナッシーさんのコメントなど参考にしてもらえればそれは分かります)

すばらしいことではないですか?これだけ多くの生き物に愛される教えなど他にはないからです。(この一点だけ見ても他の教えと違います。これだけ愛があふれる教えなど他にないからです)

この教えを勉強し拡げることに協力してくれるのなら、このような愛ある奇跡は誰にでも起きるのです。

そうして、このような奇跡はこの教えをやればやるだけもっと発展して現れてきます。(多分、周り中に愛があふれてきますよ。私など人がいなければそういう状況になりますから。〔苦笑〕)

前にも書きましたが、やれば天国、やらねば地獄です。

そういう世界が目の前に本当に展開していくのです。

それでもやろうとはしないのですか?

もう自分のことだけしていてはいけないのです。すでに時は来ているからです。

(「神の国は近づけり、悔い改めて、福音を信ぜよ」ですね)

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12月 29 2017

人類史上類を見ない愚行

だから、このブログを見ている人たちの今のような態度は大変危険なのです。(すでに私に協力し法の勉強をしているウナッシーさんたちは別ですが)

特にこの辺りの人たちなど、神の教えを伝えてもらっていながら、感謝するどころか嫌がらせです。しかもひどいのになると石を投げてきたり、前は車にぶつけられそうになったこともあります。

一つ間違えばこちらがけがをするかもしれないのです。(もし、石や車にぶつけられ当たり所が悪ければ死ぬかもしれないし)

法を伝えている者に、そんなことをする人もいれば(いくら脅しのつもりでやったとしても、こういう人は無事ではいられないでしょう)ここまではしなくても何か嫌がらせをして来る人ばかりです。

これでは、この辺りにいいことが起きてくるわけがありませんし、一番いけないのは、法を説いているのに(正しい神の教えを説いているのに)それをほとんどの人が無視しているということなのです。

何がいけないかって、これが一番いけない。このようなことは、これまでの人類の歴史上ありえなかったことであるからです。

これまで、本当の神の教えが出現して、それが分かっているのにここまで無視した民族はいませんでした。

あのキリストの弟子たちを迫害し滅ぼされたローマでさえ、当時のキリスト教に改宗した人はたくさんいたのです。

ローマの人々さえ、キリストの弟子たちの説く教えとキリストのことをきき、そうして弟子たちが現す奇跡を見て、多くの人がキリストの教えに帰依したのです。

この教えこそ本当の神の教えであると理解したからです。

それにもかかわらず、日本の多くの人々は、どんなによい(心が救われる)話をきいても、どんな現象が現れても、そうしてこの教えが本当の神の教えだと分かっても、すべて他人事で、この教えを真剣に学ぼうともせず布施一つしようとしないのです。

それどころか、自分たちのそういう態度が間違いで当たっている天罰を、なんと法を説いている私のせいにして、よけい怒り狂っているというのですから、もはやそれは悪魔の所業といっても間違いではないのです。

こういう人たちは史上初でしょう。これまでの歴史上、本当の神の教えをこれだけ無視し逆らった民族はいなかったからです。

もちろん一部はそういう人もいましたが、しかし、現在の日本は大部分の人が法を無視する人たちだというのですから(この教えを真剣にきいているのは二、三の人しかいませんから)では、そのような国によいことが起きると思いますか?

なぜ日本に近年、これだけ多くの災いが起きているのか、そうして起きる頻度が段々増しているのか、その意味がこれで分かると思います。

これまでの歴史上、どの国の人もしなかった、これだけ神を怒らせる、大変な愚行を日本の多くの人々がしているからです。(本当の神の教えをこれだけ多くの人が無視しているなどありえませんね。それでは神も怒ります)

だから、凄まじい大雨や大地震、ゲリラ豪雨にゲリラ雷雨、異常な猛暑に日照り、長雨、異常な寒波に異常な大雪、火山の噴火に竜巻、とありとあらゆる天変地変が次々に日本に起き、そうしてこの辺りに現れているような恐ろしい現象(次々に人が病気になる)まで現れるのです。

これだけ多くの人が、本当の神の教えを無視し、金儲け(仕事)や遊びばかりに夢中になっている民族は、これまで存在しなかったからです。

このような人たちは、そういう心と行いが大いに神を怒らせているとまったく気づかないのです。

こういう心を持たない、多くの人が本当の神の教えに帰依したローマでさえ火山が噴火し滅ぼされたのです。(一部のキリストの弟子たちを迫害する人たちがいたためにです)

では、そのローマの人々よりも、もっとひどい思いと態度を(神に対して)取り続けている人々がたくさんいる日本は、一体どうなるのでしょうか?

簡単な話です。確実に滅ぼされるということです。

いつまでたっても多くの人が神を恐れようとせず、神の心を知ろうとしないからです。

イエス・キリスト以来、二千年ぶりに本当の神の教えが日本に出現したのです。

キリスト昇天後の二千年の間、本当の神の教えは、この地上に存在していなかったのです。

その間に説かれた教えは、すべてそのような偉大な如来(釈尊やキリスト、モーゼなど)が説かれた教えの一部を取って説かれていただけの偽の教えであったのです。

しかし、その偉大な如来が二千年ぶりに日本に肉体を持たれ(高橋先生、園頭先生)そうして本当の神の教えである正法神理が、この日本で説かれることになったのです。

二千年ぶりの大奇跡が(如来がこの世で法を説かれるほどの奇跡もありませんから)この日本に現れたというのに、その教えを無視し伝えることを怠るなら、そのような行為はどれだけ神の心に背き、多くの人々の救いを無にするのか分からないくらいなのです。

本当の神の教えを知ることの責任の大きさをもっと自覚しないといけないのです。そういう自覚のない人ばかりだから、これほどの現象を日本に現されるのです。

皆さん方が動かなければ、神の怒りは増すばかりです。このまま日本の人々が本当の神の教えを無視し続け、自分のことだけをやり続けるなら、日本は人類史上初の本当の神の教えを世に伝えなかった国として、最大の汚点を世界の宗教史上に残すことになります。

そうしてもちろんではありますが、その神の怒りが頂点に達した時、日本は滅ぼされるのです。(南海トラフの三十年以内の発生確率が七~八十パーセントになったそうですが、実際に起きると思います。このまま多くの人がこの教えを無視し続けるならです)

今のままの態度をこのブログを見ている人たちが続けるなら、日本の先はありません。

それでもまだ、そのような(愚かな)態度を続けるのですか?

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12月 28 2017

善因善果、悪因悪果の恐ろしさ

北日本や北陸は強風が吹き荒れ大雪になっているようですね。

一日で一メートル以上の雪が降ったところもあるようですが、本当に今年は(も、ですか)最後の最後まで凄い天気が現されました。

天の怒りがよく分かります。

こういう天気は何とか出来るんですけどね。(ほんと書いた字のごとく天の気分は私たちの心で変わりますから)本当に残念です。ほとんどの人が本当の神の教えを真剣に勉強しようとしないからです。

今日で仕事納めのところも多そうですが、これから正月休みということで、遊びに行くのも、どこに行くのも、それは自由なんですが、少なくともやることをやってから行ってもらいたいものです。(このブログを見ている人たちはです)

そうすれば、こういう激しい天気もずいぶん減ると思うからです。(また正月休みも楽しく過ごせるはずだからです。ちゃんと筋を通しておけばです)

このブログを見て救われたと思う人はいないのですか?よいことを知ったと思う人はいないのでしょうか?

もし、そういう人がいるのなら(全然そうは思わないという人はいいです。そういう人はいますから)今年も終わりですし、今年の最後に少々の布施くらいはしていただけないでしょうか。

毎年毎年、本当の神の教えをきいているにもかかわらず、何もしないでは天も(神も)怒るからです。

というより、今のままでは本当に危ないのです。このブログを見ている人たちはです。

善因善果、悪因悪果という法則は必ず作用するからです。(いっている意味がお分かりですか?)

布施などは、その人の気持ちに任せるのが当たり前のことなんですが(布施をする、しないは、その人の自由ですから)しかし、これだけ激しい現象が現されているのです。

そうして、それについて私は、今のままではこうなりますと説明し、その通りのことが起きているのです。

そういうことが何度も起きているにもかかわらず、それでも知らん顔をしている人たちばかりです。それどころか、そういう現象を私のせいにして(自分たちのせいなのにです)怒っている人たちまでいるというのですから、ここまでずれた人が多いと、また、まったくことの恐ろしさを理解していない人が多いと、半分強制的ないい方もせざるを得ません。

そうして気づいてもらわないと、先ほども書きましたが、このブログを見ている人たちは本当に危ないからです。

何度もいいますが、このブログを見ている人たちは善因善果、悪因悪果という法則をまるで分かっていないのです。

いっている意味が分かりませんか?今回の爆弾低気圧もそうなんですが、これだけ激しい現象をもう何年にも渡り現されているのです。

皆さん方が原因でです。(それが皆さん方が原因であるということは、私の解説通りのことが何度も起きているということでも、その事実が分かるのです。そうでなければ私の解説通りのことが起きるはずがないからです)

ということは、それだけ多くの人が不幸になる原因を(そのような激しい天変地変でどれだけ多くの人が不幸になったか知れないのです)このブログを見ている人たちがつくっているということになります。

分かりますか?いっていることの大変な意味がです。

つまり、それだけの悪因を、このブログを見ている人たちがつくっているのですから、いずれ、その分の悪果は、必ず(必ずです)このブログを見ている人たちには現れて来るということです。

善因善果、悪因悪果という法則は絶対であるからです。現れない人はいないからです。

何年にも渡り、多くの激しい現象を現した原因を、このブログを見ている人たちがつくっていたということであれば、では、そのお返しは一体どれだけ激しいものになるのか分からないのです。

だから私はこのブログを見ている人たちは本当に危ないといっているのです。それだけの危ないことを(自分たちが気づいていないだけで)すでにしているからです。

そうして、その自分たちがした危ないことは、必ず自分たちに返って来るからです。

だから私はくどいくらいいっているのです。少々でいいから布施してくださいとです。(本当は少々では足りないんですけどね。このブログを見ている人たちは、それだけ激しい現象をもう何度も現されているからです)

このブログを見ている人たちは、善因をつくらないと、今のままでは凄まじい悪果が現れるからです。

一人一人の人にです。

それだけ本当の神の教えを知るということは責任があることなのです。

本当の神の教えを説かれたキリストやキリストの弟子たちを、迫害したローマは火山が噴火して滅びたのです。

本当の神の教えを抹殺しようとしたからです。

それと似たようなことをしているのが、いま現在の日本の(このブログを見ている)人たちなのです。

そうではないでしょうか。私に嫌がらせをして本当の神の教えを無視する態度に出ているではないですか。

そのような態度はキリスト教を迫害したローマの人たちとさほど変わらないのです。(私は、石を投げられたこともカンやビンまで投げられたこともありますから。ローマにいたキリスト教の人たちと大してかわりません)

本当の神の教えを説いている者に、そういうことをしていれば滅ぼされるのです。それは歴史が証明しています。

この辺りの人たちが、次々に癌になっているのは、そういう理由なのでしょう。

この辺りの多くの人たちは、私のブログを見ているにもかかわらず、まったく感謝せず迫害に近いことまでしています。

では(凄まじい)悪果が現れる人が出てきても不思議ではありません。

それだけ多くの人たちが凄まじい悪因をつくり続けているからです。(だから大人から子供にまで癌が出ているのでしょう。この辺りでは大人から子供までが、そのような不遜きわまりない態度を私に取っているからです)

だとしたら、今のままの態度を続けるなら、まだこれからドンドン災いは現れるということになります。この辺りの誰一人(特別この辺りだけではありませんが)私に感謝の行為を行った人はいないからです。

それどころか迫害に近い態度を取り続けているからです。

今のような態度を多くの人が取り続けるなら、いずれは(神に)滅ぼされるのです。それは歴史が証明しています。

法を説いている人に対し、そのようなぞんざいな態度を取り続けていては絶対にいけないからです。(神の心を述べ伝えている者にぞんざいな態度を取るということは、神にぞんざいな態度を取るということと同じですから)

それでもまだ、そのような態度を取り続けるのでしょうか?くだらない意地など張ってです。

しかし、それでは不幸になるだけなのです。善い原因を何もつくっていないからです。善い原因どころか大変な悪因をつくり続けているからです。

悪因をつくり続けるなら悪果しか現れてきません。善因をつくりませんか。

そうすれば黙っていても善果が現れてくるからです。

(くだらない意地など捨てませんか。そうすれば次々に奇跡が起きる、すばらしい神の世界が現れてくるからです。この法を実践するなら、本当にそのような奇跡が現れる世界が実現するのです。このブログを見ている人たちの責任の大きさをもっと自覚してください)

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12月 27 2017

正しい人の道

例の爆弾低気圧の影響で北海道がえらいことになっているようですね。

凄い暴風雪で、家のトタン屋根が飛んでしまったり、ホワイトアウト状態となって車の事故が続出したり、極めつけは留萌市の海にあった灯台がへし折れてしまったらしいではないですか。(高波で)

地元の人が、いまだかって(高波で)灯台が折れたところなどないのではないかといっていましたから、これまで起きたことがないような大荒れの天気になっているようです。(ほんとデタラメな天気です)

今日も一日、北日本や北陸などこんな暴風雪が続くようですが(名古屋も朝から雪がチラついています)今年最後にまた大変な天気を現されました。

今年を象徴しているかのような天気ではありますね。今年もまた多くの人が神を怒らせたからです。

もちろんその多くの人たちとは、このブログを見ている人たちが大勢を占めているんですが(本当に皆さん、今年もまたずいぶん神の怒りを買いました。知りませんよ、来年どうなってもです)このブログを見ている人たちが、いつまでたっても正しい信仰をしようとしないからこういう現象が起きるのです。

それだけ天が怒っているということです。(それともまだ温暖化の影響で…とかいってごまかしますか)

どうですか、今年も最後ということで少々の布施などされたら。今年もこのブログでずいぶん心が救われた人も多いと思うからです。

それに対し、少しばかりのお返しをするのは当然の人の道であるからです。

年明けでもかまいませんよ。初詣のかわりにです。

初詣に行っても、特別いいことも起きないんでしょうが(それを期待して行ってるんでしょう。今年はいい年になりますようにとです。しかし別に初詣に行ったからといって特別よいことが起きたということもないはずです。起きるわけがありません。初詣など正しい信仰でも何でもないからです)私に布施するなら、その年は本当にいいことが起こります。

それもまた正しい信仰の一環であるからです。(それはそうです。正しい法を説いている人に布施するのですから、それは法を説いている人に対する愛の実践になるのですから、正しい信仰の一つです)

そういう実践を行うなら何か運のよいことは起きてきます。そのように私のいうことをきいて運のいいことが起きた人などいくらでもいるからです。

ただそういう人たちの中には、都合のいいことだけきいて後は知らん顔をしている人もいますので、その後、悪いことが起きた人もいますが、私のいうことをきき続けている人など(ウナッシーさんなど)次々に奇跡が起きています。

要は、私のいうことをきいてこの教えを実践すればいいのです。そうすればいいことばかりが起きてくるからです。

この教えこそ正しい教えであるからです。(だから、その正しい教えを実践することこそ正しい信仰なのです)

昨日もウナッシーさんから寄付をいただきましたが(毎月、毎月ありがとうございます。ずいぶん違いますね。他の人たちとはです。〔苦笑〕)先ほども書きましたが、少しでもお世話になったのなら(そういう気持ちが全然ないのなら仕方ありませんが)そのお返しをするのは人として当たり前の礼儀なのです。

それをしないから悪いことが起きるのであり(それは正しいことではありませんから)それを多くの人がしないから、これだけ凄まじい現象まで現われているのです。

特にこの辺りの人たちなど法を伝えられているにもかかわらず、それを嫌がらせで返しているのです。それでは恐ろしい現象が現れるのも道理でしょう。

あまりにやっていることが、人の道から外れているからです。(恩を仇で返しているようではいいことが起きるわけがありません)

だから特別、正しい信仰をするだのしないだのというほどの話ではなく、人の道から外れた行為はやめてはどうですか?といっているだけなのです。

あまりに多くの人が道を外れた行為をしてしまうと、こういう大きな災いも起きてくるからです。

どちらにしても、今のままではドンドン悪いことが起きてきます。多くの人が人の道から外れたままであるからです。

今年最後に(または来年の初めに)それを正しませんか。

正真正銘の愛の行為を実践されたらどうでしょう。(これまでありがとうございますという、ただそれだけの心での布施の実践です。そういう行為が尊いのです。何も求めてはいないからです)

そうすれば来年は本当によい年になるからです。(人の道が正されてです。そのような尊い行いが元となってです)

正しい人の道を進まれる人が増えれば、このような凄まじい現象も減ってきます。本当に来年こそはいい年としたいものです。

(それには皆さん方の行いが大きくかかわってくるということです)

追伸…だからどちらにしても初詣など行ったところでよいことは起きないのです。

なぜなら、初詣でどういう寺など行ったところで、やることは変わりないからです。賽銭を投げてこちらの望みをいうだけだからです。(今年はよい年になりますようにとか、家族が安全に暮らせますようにとか、交通安全とかです)

賽銭を投げてこちらの望みをいうのであれば、それはお金を出して何か神に頼みごとをしているだけなのですから、取引にすぎません。

信仰でも何でもないのです。

本当に神を思うのであれば、賽銭を投げて、ただ神を祝福するのが本当に神を思う信仰であるからです。

しかし、初詣に行って、そういう殊勲な祈りをしている人など一人もいないのです。欲望丸出しで祈っている人ばかりなのです。(心を観るとです。表面的には殊勲には見えますが。〔苦笑〕)

では、初詣に行っている人は誰もまともな信仰などしていなくて、神と取引に行っているだけということになります。

それではいいことが起きるわけがないのです。

だから、感謝だけの心で布施されたらどうですか?と書いたのです。そういう損得抜きの心で、そのような愛の実践を行うことこそ本当の信仰であり、自分の徳となるからです。

これからは徳がない人は危なくて仕方ないのです。(そういう時代になりましたから)もう少し徳を得る努力をされてはどうですか?

それが一番自分のためになるからです。

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12月 26 2017

究極の反省

しかし、参りましたね。

何に参ったかといえばです。私が祈ってもいない人たちにまでドンドン災いが現れているようだからです。

三日、四日前のことです。近くで家をつくっているところがあるんですが、そこの大工連中は珍しく私に何もしてこなかったのです。

「へぇーこういうところもあるんだ。珍しいな」と思っていたのですが、急に、その三日、四日前から私が通るとガンガンやり始めたのです。

二、三週間くらい前からではなかったでしょうか。その大工連中がそこで家をつくりはじめたのはです。しかし、それまでは私が何度近くを通ろうと何もしてこなかったのに、急に怒り出したのです。

その時、ちょっとピンと来たことがありました。

たしかにそこの大工連中は私に何もしてこなかったのですが、もう一人、ガードマンみたいなオッちゃんがいて(狭い道のところで家をつくっているので、そのガードマンのオッちゃんは人や車の誘導などしていたようです)そのオッちゃんは私が近くを通るとよく嫌がらせみたいなことをしてきていたのです。

近くを通る時に何度かそんなことをされたものですから、私も少し祈り「オッちゃん、そんなことをしていると何が起きても知らないからな」といっておいたのです。

もしかしたら、そのオッちゃんに何か起きたのかもしれないなと思い、その時に怒っていた大工に「もしかしたら、あのガードマンみたいなオッちゃんに何か起きたのか?だとしたらそっちが嫌がらせをしてきたからそうなったんだぜ」と声をかけておいたのです。

そうしたら、一瞬シーンとなりましたので、案外図星だったのかもしれませんが、しばらくしたらまた怒ってガンガンやっているのがいました。

まあしかし、この程度のことはたいしたことではありません。(私はそこらじゅうの大工にもっとやかましいことをされていますから)ちょっかいをかけてきたのは、そのオッさんなんだから、そのうち分かってくれるだろうと、こちらは気にも留めなかったのです。

そうして昨日また近くを通ったのですが、そうしたらもう皆がカンカンに怒っているのです。

「えっ」と少し驚きました。もうそこの大工たちのことなど忘れていたくらいだったからです。(私は毎日、そこらじゅうで嫌がらせを受けています。気に留めていないことなどすぐに忘れてしまいますから)

この前は一人の者がガンガンやっていただけでしたが、昨日はもう何人ガンガンやっているのか分からないくらい、何人かの大工がガンガンやって凄い怒りようです。

この連中の怒りようからすると、どうもあの後もまた何か起きたようで、それで怒っているようなのです。

あまりの怒りように「こちらは祈ってもいないのだから、嫌がらせなどしたらいけない」とか何とかいろいろいったのですが、もう聞く耳持たないといった感じでみな凄い怒りようでした。

こちらは別に怒っているわけでもなく、祈っているわけでもないのに、相手が私に嫌がらせなどしてしまうと(その後も悪いことを私のせいになどしていると)どうも、とたんに災いが現れてしまうようで(しかも次から次にです)それで参ったと書いているのです。

こちらにその気がなくても、勝手に現象が現れてしまうようだからです。(当然、そういうパターンで何か起きれば全部私のせいになりますから。だから法を説いている人への態度を考えないといけないのです。あまりに皆、法を説いている人に対する態度が悪いのです)

しかし、起きない人は起きないのですが、何で起きる人はこうも簡単に起きてしまうのでしょう。そこらへんは申し訳ありませんが、こちらの事情ではなく(私が祈ったり何なりしたわけではないのですから)そちらの事情なのです。(自分たちのこれまでの行いや心のあり方)

だから、そういう場合は(私がかかわって何か起きたら)逆に、自分の悪いところを教えてくださりありがとうございますと私に感謝しないといけないのです。

そうすれば悪いことが起きていても、そのあと奇跡が起き、その悪いこともすぐに解決の道がついてくるからです。(だから、そういう心になれば病気などになっても、奇跡が起きてすぐにその病気も治るということです)

そうなったのは自分に悪いところがあったから、そういうことが起きたからです。

直すべき悪いところがなかったらそういうことは起きないのです。極端な話、釈尊やキリストなら私がいくらかかわっても何も起きないからです。

しかし、私がかかわり何か悪いことが起きたのなら、それは自分に直すべきところがあったからそういうことが起きたのです。

もうそういう時代になっているからです。(自分の悪いところがすぐに現象化する)

だから、きつい言い方になりますが、私とかかわって何か悪いことが起きた場合、悪いことが起きる方が悪いのです。

そういう天罰を食らうような心と行いをしているから、その人は、そういう天罰を食らっているからです。

それを私のせいにして怒っていますが、まったくのお門違いなのです。私にどれだけかかわろうが悪いことが起きない人はたくさんいるからです。

だから「自分に問題があるのですよ」と私はいっているのです。

しかし、まったく私が影響していないということもないでしょう。(前から書いていますが、私に何かすれば自分の罪が早く現れる人はいますから)だから自分の悪いところが(早く)現象化するのが嫌なら、私にかかわらなければいいのであり(何があってもです)別にそんなことは関係ないという人はかかわってくればいいのです。

自分の心が悪ければ(私に何かすれば)ちゃんと自分にそのような悪い現象が現れてくるからです。

だから、そういう人たちは自分の悪いのがよく分かって、私に感謝しないといけないといっているのですが、何で怒る人ばかりなのでしょう。

これほど有難い話はないのにです。

有難い話でしょう。すぐに自分の悪いところが分かるというのですから。そういう人たちは口で何かいったところで分からない人たちばかりなのです。(だから、そういう病気になるのです)

ところが病気にでもなれば何か、かにかそういう人たちでも反省するのです。(あるいは回りに感謝したりです。自分の体が悪くなれば回りに世話にならざるを得ないのですから感謝せざるを得ません。自分さえよければいいといっていた人も回りの人がいて自分があるのだと分かるからです)

とにかく、傲慢な人などは病気をするのが一番反省が早いのです。(それでもしない人はしませんが)

では、よかったのではないですか?そういう現象が出たお陰で自分の反省も早くなるからです。

まあ、こういう時代になるとです。そういう究極の反省の仕方も次々に現れてくるということです。真のユートピアが現れる日も段々近づいているからです。(あとわずか七百年後ですから)

その時には、そのような傲慢な人は一人もいなくなります。そのユートピアにいる人たちは、みな愛と慈悲と調和に満ちた人たちばかりであるのです。

では、そんな(傲慢な)人たちがいつまでも反省しないでいて、それでよいことが起きると思いますか?

当然、そのような人たちにはもう次々に天罰がくだり究極の反省をさせられるのです。

そのような(真のユートピアが現れる)時が近づいているからです。

この辺りに起きている出来事は(私がかかわっていることもそうですが)その究極の反省の一つに過ぎないのです。

天変地変が激しくなっているのもそうです。それもまた究極の反省の仕方でしょう。人によってはその天変地変で命を失う人までいるからです。

しかし、そういうことが起きた場所では、皆の愛が集まり(寄付やらボランティアやらしてです)被害を受けた人たちは、嫌でも多くの人の愛を知ることになって感謝するのです。

傲慢な人たちも傲慢でなくなるのです。

残念ではありますが、こうならないと愛が分からない、傲慢さ(我の強さ)がなくならない、そういう人もいるからです。(というか、多いんですけどね。そういう人がです)

だからこういう現象が最近は増えているのです。もう心を変えないといけない時がきているからです。

こういうことになって皆から愛をもらっているにもかかわらず、それでもまだ不足をいっている人がいます。(あるいは、それを口にしなくても不足を思っている人がいます)

そういう人たちが、その後、病気をしたりするわけです。

そういう不幸はすべて反省の材料であり、その時、反省できないと、その後もっと悪いことが起きてくるということです。(そうしないと反省しないからです)

だから早く反省しないといけないと私は何度もここに書いているのです。

反省しないと、そのような(命にかかわる)究極の反省を最後にはさせられるからです。

しかし、もうそのような現象は次々に現れているのです。(もちろんこの辺りだけではなく、例の爆弾低気圧でもそうです。〔北日本など大荒れの天気になっていますが〕そういう荒れた天気がもう夏から続いています。これも究極の反省の一つなのです。いつまでも多くの人が〔特に神への心を〕反省しようとしないから、こういう現象がずっと続いているのです)

反省せずに責任転嫁ばかりしていたところで、起きている悪い現象は止まりません。

自分たちに悪いことが起きている間は徹底的に反省しないといけないのです。そのような悪いことはすべて自分たちに責任があるからです。

その反省がしっかり出来た人から奇跡が現れてくるのです。

自分には愛があるのですか?感謝はしていますか?人の悪口ばかりをいっていませんか?考えてみればです。反省することなどいくらでもあるはずです。

そういうところで出来ていないところがあるから、自分たちに悪いことが起きているのです。

何度もいいますが、そのような反省をしないといけない時代にすでになっているからです。

反省できない限り、自分が救われることはありません。

責任転嫁はやめ、悪いのはすべて自分のせいであると考えを改めませんか?(もちろん、このような荒れた天気も含めてです)

そういう心になってはじめて救われる道がついてくるからです。

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