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11月 29 2017

大悪党

昨日はブログを書いたのですが、途中から次々に気づきをもらって段々内容が変わってきて、それで時間がなくなってブログを書くのを諦めました。

それで今日はその続きを書いているのですが、しかし皆さん、本当にお怒りです。(ほんと、そこらじゅうで怒っています。普段あまり歩かないところを歩くと凄いですよ。昨日は金山に行っていましたが、あちこちの人からちょっかいをかけられ大変でした)

そのように怒っているばかりでなく誰か折れる人はいないんでしょうか?自分たちが折れない限り(悪かったと反省しない限り)どれだけ怒っていても災いは終わらないからです。

多くの人が、私のブログを読んでいるにもかかわらず、感謝一つせず一方的に嫌がらせをしているのです。

それで悪いことが起きて、それを私のせいにされても、それはどう考えてもそういう態度を取っている、そちらの方が悪いでしょう。

何でそれを私のせいにし続けているんですか。

どこをどうとっても、そんなのは人のブログを読むだけ読んで心が救われているくせに、少しも感謝せず嫌がらせをしている方が悪いからです。

それなのに、その自分たちがつくっている悪い原因を全部スルーして、なぜ私に、その悪いことが起きている原因をすべてかぶせてくるのでしょう。

本当に不思議ですね。誰が見ても悪いのはそちらの方であると分かりそうなものだからです。

しかし、この辺りの人たちは、自分たちが悪いとは一切認めず、私が悪いといい続け、嫌がらせをし続けているのです。どれだけ悪いことが起きてもです。

他の地域の人たちは不思議ではありませんか。この辺りの多くの人が、これだけ頑なな態度を取っていることがです。

冷静に見ればです。これだけ悪いことを一人の者のせいにしなくてもいいだろうと、少しくらいは自分たちも悪いと、それを認めてもおかしくはないのではないかと思う人も多いのではないでしょうか。

他の地域の人たちから見たらです。

ところが、この辺りの人たちはそれを一切認めないのです。自分たちは少しも反省せず悪いことを私のせいにし続けているのです。

もう何年にも渡ってです。(凄まじい執念です)

そのせいで(あまりに頑ななせいで)すでに多くの人が病気になっているようです。しかし、それでも自分たちが悪いとは認めないのです。

この辺りで病気になる人が多いのは、自分たちが悪の原因をつくり続けているにもかかわらず、その罪を誰も認めようとせず、全部私にかぶせているからです。

そのような悪を反省しない限り、起きている現象は止まらないのですが、そういう現象がなお一層、この辺りの人たちを頑なにしているようです。

しかし、なぜこれだけ頑なな人が多いのでしょう?

この辺りの人たちは、特別、頑固な人たちが多いとでもいうのでしょうか?

そうではないでしょう。この辺りの人たちがなぜこれほど頑ななのか、それは簡単な話なのです。

この辺りの人たちは皆、私のことをこれほどの悪党はいないと思い込んでいるからです。

だから、大勢の人が自分の悪いことを認めないのです。一番の悪党に少々の悪いことをしてもどうということはないでしょうし、自分が反省することよりも、まず大悪党のお前が先に反省しろと思っている人が多いからです。

だから、自分が悪いと認めることも出来ないし、反省することもないし、まして謝ることなど出来るわけがないのです。

そんな大悪党にそんなことをすれば悪の軍門に自分がくだったことになるからです。

そんなことをすれば、自分の正義の心が汚されるとでも思っている人が多いのではないでしょうか。(笑)だから、どれだけ悪いことが起きてきても、自分たちが頭を下げることはないのです。

そんな大悪党の軍門にくだるくらいなら死んだ方がましだからです。

だから、何が起きようと悪いのは私であり大悪党の軍門には絶対にくだれないと、みな命がけで自分たちの正しさを押し通しているつもりなんでしょう。

まあ、それが自分たちなりの正義なんでしょうが、残念ではありますが、そういう態度が実は大間違いなのです。(間違いも間違い、凄まじい勘違いです。よくこれだけこの辺りの人たちは勘違いが出来ます)

しかし、そのような大間違いをするのも無理はないのかもしれません。

大雨は降らす、地震は起こす、台風は呼ぶ、おまけに人を次々に病気にしている、などという噂が流れていたらです。

それで不幸になっている人がたくさんいるなどときいたら、皆いきり立って、そんな悪党を許せるかということになって、そんな悪い奴のいうことなどきけるかということにもなるでしょう。(なんかメチャクチャですね。私って。〔苦笑〕)

しかも、そんな悪い奴にもかかわらず、なんと鳥や魚がたくさん寄ってくるというのです。

大雨や地震を起こしてあちこちメチャメチャにして、人を病気にして多くの人を不幸にしているのに、何でそんな悪い奴に動物たちが寄っていくのかとよけい腹が立ち、それで自分の悪など棚に上げ私の顔を見れば嫌がらせをしてくるのでしょう。

正義の心だけではなく、ねたみやひがみの心も入り混じり(正義の人がねたんでいてはいけませんが。〔苦笑〕)だから、自分たちが仮に悪いことを私にしたところで別に悪いことではないと、そういう大悪党をこらしめているのだからむしろよいことであると、そう思っている人が多いのです。

そういう気持ちも分からないではありません。私もそんなメチャクチャな奴がいたら嫌がらせをするかもしれないからです。(苦笑)

だから、みな私を親の仇のように思い、私のいうことなど一切きかないのでしょう。そうして自分の悪も認めないのです。

親の仇(というより多くの人たちの仇ですね。実際にそういう悪いことが起きているのですから)のいうことなどきけるわけがないですし、親の仇に少々の悪いことをしたところでどうということはないからです。

だから、この辺りの誰もどれだけ悪いことが起きても、自分が悪いと認めないし、私に対し嫌がらせをやめようとしないのです。

私を人類の敵であると思っている人が多いからです。(苦笑)

また、そのように思う人たちがこの辺りだけではなく、東海三県辺りにまで広がっているというのですから、もう目も当てられません。

しかし、ちょっと待ってください。そういう発想はあまりといえばあまりの発想なのではないでしょうか。

少し考えてみれば、そのような噂はおかしいとすぐに分かるからです。

そうではないでしょうか。まず(私がいつもいっていますが)そんなに悪い奴に鳥や魚などの動物たちがそれだけ寄ってくるのはおかしいからです。(そうですよね。何でそれほど悪い者に鳥や魚が寄って行くのですか?)

それにそれだけメチャクチャなことを私がしているのなら、そのメチャクチャなことは自分に返ってこないといけません。

因果応報という法則は必ず作用するからです。そんなメチャクチャなことを私がしているのなら、私はただではすまないはずです。

私の家がグチャグチャになるのはもちろんですが(私は人の家などグチャグチャにしているんですよね。大雨や地震で。なら自分の家もそうならないとおかしいのですが、しかし、別に私の家はそういう天災で壊れてはいません。壊れているに近い家ではあるんですけどね。古くてぼろいから。〔苦笑〕)私自身も病気にならないとおかしいのです。(私は多くの人を病気にしているんでしょう)

しかし、私は何年たってもピンピンしているのです。そうして悪いことが起きるどころか、次々に奇跡が起きています。(それはこのブログでいろいろ書いていますのでお分かりの人も多いと思います)

なぜでしょうか?善因善果、悪因悪果という法則があるなら、私に災いは起きても奇跡が起きるのはおかしいはずです。

しかし、私に災いなど起きていないのです。それどころか次々に奇跡が起きているのです。

そうして、そのような現象面ばかりでなく、もし私が、それだけ多くの人を不幸にしているのなら、さぞ私はおどろおどろしい雰囲気になっていてもおかしくはないはずですが、そんな雰囲気の者にあの臆病な鳥や魚たちが寄ってくるわけがないですし、そればかりか年寄りから小さな子供にいたるまで平気で私に寄ってきて、嫌がらせをしていくのです。

私がそんな凄まじいことをして多くの人を不幸にしているのなら、凄まじい雰囲気になっていてもおかしくはないはずです。

しかし、私にそんな雰囲気など微塵も感じられないようで、だから、動物たちにせよ、年寄りにせよ、小さな子供にせよ、平気で寄ってくるのです。

それこそ、どこをどうとっても、そういう噂と私の置かれている状況が合わないのです。

だから、少し考えればその噂はおかしいとすぐに分かるといっているのですが、なぜでしょうか?

なぜ、これだけいわれている噂と私の状況が乖離(かいり)しているのでしょうか?

これこそ、そのような噂が間違っている何よりの証拠なのです。しかも間違いも間違い、大間違いなのです。

そのような噂はです。(私は大悪人ではなく大善人なのです)

だから、私に起きている状況がまるっきり違うのであるし、そんな間違った噂を信じている人たちに悪いことが起きているのです。

大間違いな噂を真に受け愛ある(愛があるから鳥や魚が寄ってくるのです)大善人に(自分でいうのも何なんですが)嫌がらせなどしているからです。

それでは当然罰が当たるのです。(だから私は書いているのです。凄まじい勘違いであるとです)

口ではどうとでもいえますが、その噂がまったく違っているということは、そのような私に様々に起きている現象が証明しているのです。

その起きている現象を信じ、そんなデタラメな噂をこの辺りの多くの人たちは信じていけなかったのです。そうすれば、これだけの災いは起きなかったからです。

もうクドクドもうしませんが(これまでもいろいろ書いていますので)とにかくです。そういうバカげた噂を信じるのではなく、私に起きている現象を信じてください。

その方がよほど正しくよいことも起きてくるからです。私を悪く思うのは間違いなのです。私は善人なのです。(愛の深いです)だから、鳥も魚たちも寄ってくるし、奇跡も起きるのです。

それだけのことです。私を悪人と思うから起きている現象の説明が出来ないのです。私を善人だと思えば起きている現象の意味も理解できるはずです。(善人であるから、鳥や魚も寄ってくるし奇跡も起きる)

私が悪いといっている人たちは、間違っているのです。だから、そのような人たちに災いが起きているのです。

大間違いをしているからです。

最近起きだした様々な現象は私が説いている法を勉強されるなら、段々分かってきます。なぜ、こんなことが起きだしたのかということはです。

ただ、一ついえることは、このような現象は決して人が起せるものではないということです。このような現象は神が起こされているのです。人ではありません。

では、このような現象を人のせいにするのは間違っているのではありませんか?

そういう様々な問題が入り混じり、今このようなことが起きているのですが、このような時は、人がいうことより起きている現象を信じることです。

そうすれば間違うことはないからです。(特に現代は多くの人が多くのことを発信します。よけい何を信じていいのか分からなくなるのです。だからこそ、その人に起きている現象を信じることです。起きる現象に嘘はないからです)

また、どこかの会社も怒りだしたようですが、しかし、残念ですね。

その起きている恐ろしい現象は、私が祈れば止まるかもしれないのにです。

そうではないですか。(皆さんは認めたくはないのでしょうが)これだけ善行を行っている私が(だから奇跡が起きるのです)神に祈るのです。

神はその願いをきき入れてはくれないのでしょうか?

誰もそれを頼みに来る人がいないのですから、そういうことを書いていても仕方がないのですが、しかし、法を理解している者が祈れば何か奇跡が起こります。

いま災いが起きているところがこの辺りにはたくさんあるはずです。

そういうところを私が祈ったのなら、まず、そのようなところの多くは災いが起きなくなるのです。(まあ、そこらの坊さんや神主が祈るよりは私の祈りの方が効くと思いますよ。起きてくる現象が違いますから)

もし、このブログを読んで心変わりをする人がいるのなら、そういう人は連絡ください。私が祈れば奇跡が起きるからです。

私をいつまでも憎んでいても、一つもいいことは起きないのです。

そのきいている噂はまったく違っているからです。起きている現象を信じてください。

もし、私のいうことを信じるならば、その人には必ず大きな奇跡が現れてくるからです。

(私のいうことを信じないからそれだけ大きな災いが現れているのです。信じてみませんか?私のいうことを信じ行った人で奇跡が起きた人はたくさんいるからです)

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11月 27 2017

本当の正しさの基準

今日も朝からお怒りのようです。(どこかの会社だけではなくあちこちでです)

しかし、毎日怒っている人はともかく、そうでない人たちはもう自分たちの小さな常識など捨てませんか。

唯物論であった人たちなど、どれだけ小さな常識しか持っていなかったかしれないからです。(だって、物質界以外の世界〔意識界〕の方がはるかに広いのですから)

この世の常識だけで生活しているから、多くの人が間違った判断ばかりして、これだけ多くの不幸が起きているのです。

誰も意識界の正しさの基準を知らないからです。

しかし、意識界の正しさの基準を知らないと(それが神の心ですから)悪いことばかりが起されます。(その基準に合わないと気づきの現象が現れますから)だからこそ本当の正しい基準をしっかり知っておかないといけないのです。

もう、そういう時代になっているからです。(正しいことを知らないと次々に悪いことが起きる)

意識界の正しさの基準はこの世にある法律ではないのです。意識界の正しさの基準とは良心なのです。

それをよく知っておかないといけないのです。その良心が基準ということを誰も知らないから、これだけ悪いことが起きているからです。

よく考えてみてください。良心が基準なら人の悪口はいけないし、嘘をつくこともいけない、いじめや嫌がらせなどもちろんいけないし、だますこともいけない、その他、法律には触れなくても、良心に照らしてみればいけないことはたくさんあるはずです。(だから最近はやり〔?〕の不倫などもそうですが。〔苦笑〕)

そのようないけないことを、多くの人がたくさんしているからこれだけの災いが起きているのです。

正法の世となり、その反動が(気づきの現象が)より早く現れるようになったからです。

だから、最近になり(特に2000年以降は)これだけ多くの災いが現れるようになったのです。

そのような(良心に照らしてみれば)悪いことをしている人が多いからです。

そのことに気づかせるために、天上界は次々に不思議な現象を現します。その解説を私がしているだけなのです。

だから、このブログに書いたことが比較的よく起きるのです。このブログは神の心の解説ブログであるからです。

それをこの辺りの人たちは、ここに書いていることがよく起きるものですから、それはお前がやっていると、よく神の心を理解もせず私に嫌がらせなどして来るから、即、災いが現れているのであって、一歩下がって冷静に考えるのなら、私が悪いことをしているのではなく、自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きていると分かるはずなのです。

それをいつまでも認めようとせず、災いを私のせいにし続けているから、その災いが止まらないのです。

しかし、そういう正しい基準を知って、では、良心に照らし合わせて考えてみて、自分たちは本当によいことをしているのでしょうか?

普段の行いからしてです。

自分は悪いことをしていないというのであれば、普段から人の悪口もいわないし、嘘をついたこともない、もちろんいじめや嫌がらせなどしたことはないし、困った人がいれば手助けする、とにかく自分はよいことはしても悪いことなどするどころか、考えたこともない、そういう人であるなら、たしかにその人はいい人でしょう。

そういう人に私が祈って何か起きたというのであれば、それは私のせいになるのでしょうが(だいたいそういう人を私は祈ったりしませんから。何で私に何もしない人を私がわざわざ祈らないといけないのでしょう)しかし、私のせいで何か起きたという人たちは、それほどの善人ではないのではないですか?

何がしかの悪いことをしている人たちばかりなのではないでしょうか。

良心に照らしてみればです。(だいたい、そこまでのいい人たちばかりであるなら、私がどんなに祈っても悪いことなど起きませんから。その人たちは神に守られてです)

だから悪いことが起きているのです。自分たちが悪いことをしているからです。

自分たちは悪いことをしてない、ではなく単に悪いことの基準が違っているだけなのです。本当の正しさの基準を自分たちが知らないだけなのです。

だから自分たちに悪いことが起きているのです。自分たちは悪いことをしていないと勝手に思っているだけで、実は多くの悪いことをすでにしているからです。

だから私には悪いことが起きずに奇跡が起きているのです。そのような本当の正しさの基準を知っていて、それを守っているからです。

何でもそうですが、どのようなことでも自分が知っていると思っているだけで、実はそれが間違っていたということはよくある話です。

正しさも同じです。これは別に悪いことではないと自分がいくら思っていても、そうではなくそれは悪いことである、ということはいくらでもあります。

そういう(自分たちが悪いと思っていないだけで本当は)悪いことを自分たちはしているのです。だから、自分たちに悪いことが起きているのです。

いい加減くどいんで、これくらいで同じことを書くのをやめますが、これくらい書いてもまだこの辺りの人たちは自分たちが悪いと自覚する人は少ないでしょう。

それだけ我の強い人が多いからです。(大人から子供までです。〔苦笑〕)

このように考えてみればです。

こういう神や心の部分の大事なことをです。何度も(くどいくらいです…というか、私が書いているものはくどいといわれたことがよくありますが。〔苦笑〕)教え続けている私に少しも感謝しないということはよいことなのですか?

良心に照らして考えてみてです。

ここに書いたことを実践して奇跡が起きた人もいるでしょう。心が救われた人もいるはずです。知らないことを知ったという人もいるでしょう。

それに対し、少しも感謝せず嫌がらせなどしていることがよいことなのですか?

自分たちの良心に照らしてみれば、自分たちがしていることが本当に正しいことなのかどうなのかは、人に頼らずとも自分で判断できるはずです。

本当の正しさの基準は良心なのです。

その基準に沿って自分が正しい生活をしていくのなら不幸が起きることはありません。しかし、それに反しているなら当たり前のように悪いことは起きるのです。(善因善果、悪因悪果)

本当の正しさの基準をよく知ってください。

(どこかの会社がアホみたいに怒っています。〔物を投げたくってです〕いつまで責任転嫁しているのでしょう。自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きているのです。そのままでは滅ぼされます。早くそのことに気づいてほしいものです。もうあまり時間もなさそうだからです)

追伸…ブログ内にも少し書きましたが、この正しさの基準(良心)はこの世だけの基準ではありません。

あの世の基準でもあるのです。

高橋先生がいわれるには、自分たちが死んだ時、みな三途の川を渡って(本当に三途の川ってあるそうです)あの世に行くのですが、その前に、あの世の収容所のようなところで自分の生前の行いを反省させられるそうです。

その時に自分の前に菩薩が一人現れ、その菩薩にいろいろ質問され(例えば「あなたは生前、何をしてきましたか?」とかです…これで仕事や遊びばかりと答えているようでは失格です。菩薩はどれだけ愛を与えてきたかをきいているからです)反省していくのですが、この世で悪いことばかりしてきた人は、その菩薩の顔が鬼のようにも閻魔大王のようにも見えて怖くて仕方がないそうです。(こういうところから、閻魔大王の話は出てきたようです)

しかし、生前によいことを(人に愛を施すようなです)たくさんしてきた人は、その菩薩の顔が、ニコニコ笑っている神か光の天使のように見えて嬉しくて仕方がないそうです。

だからといって、その菩薩がその人を裁くのではなく、その菩薩はあくまで立会人なだけなのです。

その菩薩の前で自分が生前の行いを反省し、自分で天上界に行くのか、それとも地獄界に行くのかを自分で決めるそうです。(もちろんずるは許されません。そのために立会人である菩薩がいるのです)

その反省する時の基準が良心だそうです。自分の良心に従って自分の生前の行いを自分で反省し、そうして自分で天上界に行くのか、地獄界に堕ちて行くのかを決めるのです。

人が裁くのではなく、自分で自分を裁くのです。

そのようにすべて、自分で決めるのですが(だから自力だといっているのです。どれだけ責任転嫁したところで、最後は全部自分の責任になるからです。その時にあいつのせいでこうなった、などといっている人は、即、地獄行きなのです)その基準は良心なのです。

だから、良心で判断するということは大事なことなのです。この世だけではなく、あの世まで通用する基準であるからです。

なぜ、こんなことを追伸に書いたかといえばです。もうあの世に行く人がこれからは増えるのではないかと思ってです。(もうどこかの会社を筆頭にテンパっているところが多いからです)

その時に迷わないように高橋先生から教えてもらったことを書いておきました。

正しい判断をしてもらえることを願っています。

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11月 26 2017

常識にとらわれるな

今週は静かでしたね。

もちろんどこかの会社なんですがやれば出来るじゃないですか。やっと反省してくれたようです……などということは百パーセントないでしょうね。(ところどころではやたら怒っていましたし)

よほど災いが起きだしたんでしょう。だから嫌がらせをしたくても出来なかったんではないでしょうか。露骨に嫌がらせをすれば、必ず、災いが現れるからです。

どこかの会社以外でもそんな感じでしたからね。相当現れ出しているのではないでしょうか。恐ろしい現象がです。

しかし、多くの人たちはいつ正しいことが分かるのでしょう。

いま現在起きているこのような現象は、人の業なんでしょうか?それとも神の業なんでしょうか?

多くの人が私に怒っていますが、こういう(人が次々に病気になるなどという)ことを人がやれると思いますか?やれるわけがないのです。

もう時代が変わって、神(霊)の力が次々に現れだしたのです。(昨日も書きましたが)だからこういうことが起きているんでしょう。

それ以外でどういう理由があるというのでしょう。こういうこと(一種のポルターガイスト現象)は、もうこの辺りだけではなく他の地域でも起きているからです。

だから私はもう皆が(くだらない、無神論などという間違った考えでいつまでもいるのではなく)早く神を思い、神に手を合わせなくてはいけないといっているのです。

そういう心にならないと救われる道はないからです。

それともまだ神などいるはずがないと、このような現象はお前がやっていると、そういうのでしょうか?

バカも休み休みいえといいたいです。人のせいにしたいのは分かりますが(神が起しているなど認めようがないからです。無神論の人たちにとってはです)しかし、こんなことは人の力では逆立ちしたって出来ません。

とても人の力でやれることではないのです。これは神の力が働いているからこそ起きていることなのです。

それは、このような(皆が怒っている)恐ろしい現象ばかりでなく、私の回りに鳥や魚が集まってくるという事実でも分かるのです。

鳥や魚を集めるといっても、餌をやって鳥や魚たちを集めるということなら誰だって出来るのでしょうが、それとは規模が違います。

時には、何百、何千、何万という鳥や魚たちが集まってくるのです。(そういう場面を私は動画にとっているのですから、これ以上の証拠はありません)

数、数十くらいの数であるならば餌をまけば集めることも出来るのでしょうが、数百、数千、数万、という数の鳥や魚たちを一変に集めるということはいくらなんでも無理でしょう。

しかし私は、数百、数千、数万、あるいは、それ以上の数の生き物たちを一度に集めたことが何度もあるのです。(庄内川や堀川で魚たちが〔カニもそうですが〕そうして町中でも、どれだけいるのか分からないほどのすずめたちが集まった動画をすでに撮っています。それはもう公開していますので疑う人は見てください。〔動物の不思議で検索してもらえれば分かります〕)

こういうことは人の力で出来ることではありません。神の力が(霊の力が)働かなくては起きることではないのです。

悪い現象ばかりでなく、よい現象もこれだけ(大規模に)現れているのです。

だから私は、時代が変わったのですよと、そうして、その時代が変わって神の力がこれまで以上に現れだしているから、こういうことが起きているのですよ、といっているのです。

起きていることと、説明していることが合っているのですから、信じればいいではないですか。これまでの常識ばかりにとらわれているのではなくです。

すでに、その常識では説明がつかないことが次から次に起きているからです。

この辺りで次々に人が病気になっていることを、医者がしっかり説明できるのですか?

私に実際に起きていることでもそうです。

何で私にこれだけ多くの動物たちが集まって来るのですか?それをしっかり説明できる生物学者がいるのでしょうか?

これは(目に見えない)霊がああしたこうしたといっているわけではないのです。(これが、これまでの霊能者といわれる人たちと私との違いです。これまでの霊能者といわれる人たちは目に見えないもの〔霊〕がどうとかこうとかいっているだけでした。それではどうとでもいえますし正しいかどうかの判断も出来ません。〔目に見えないのですから〕しかし私は、その奇跡が目の前にはっきり現れるのです。この違いはずいぶん大きいと思いますが…)

実際にいる動物たちがこういうことをしているのですから、これだけ不思議で分かりやすい話もないわけです。

しかし、こういうことが出来るのは(恐ろしい数の動物たちを集めることが出来るのは)神しかいないのですから、だから私は神の力が働いているといっているのです。(それともこういうことも人がやれるとでもいうのでしょうか?〔じゃあ、お前がしてみろといいたいですが〕もし、そういうことをいう人がいたとしたら、その人は相当なバカです)

これだけ分かりやすい話もないのではないですか。そのいった通りのことが起きているからです。

だからもうこれまでの常識にとらわれていてはいけないのです。すでにもうその常識から外れていることがたくさん起きているからです。

そうであるなら、あまりにこれまでの常識にとらわれていては間違えるということになります。

すでにこれまでの常識を超えたことが次々に起きているからです。

だから、多くの人が間違えているのです。そのこれまでの常識の範囲内でいま起きていることを判断しているからです。

それでは間違えて当然なのです。そんな小さな心でいては一部しか見えないのであり、一部しか見えていなければ大きく変わりつつある世の中で、正しい判断など出来るわけがないからです。

もう常識にはとらわれない大きな心が必要なのです。

その大きな心で広く世の中を見て、そのような大きな目で判断するしか、正しい判断は出来ないのです。

すでにこの世は大きく時代が変わりつつある過渡期に入っているからです。

入っているのです。だからこれだけ常識外のことが起きだしているのです。だからこれだけの不幸が日本中に(もっというなら世界中に)起きているのです。

多くの人々が、これまでの常識で判断して常識内のことしかしていないからです。それでは正しいことは出来ません。

だから多くの人が不幸になっているのです。その判断が間違っているからです。

これからは本当の神の力を信じ、その(本当の)神の心を知った者だけが救われていくのです。

すでにその兆候は現れています。(現れていますよね。私やウナッシーさんにです。次々に奇跡が現れているのは私たちだけですから)

これまでのように物ばかり追いかけても、もう幸せになれないのです。そういう時代になっているからです。(実際そうでしょう。どれだけ多くの物を持っていても、天変地変が来たら終わりですし〔グチャグチャになって〕どれだけ体が丈夫であっても病気をしたら終わりです。もうそういう不幸が次々に現れているのです)

本当の神の心を知ることこそ、これからの時代、本当に幸せになれるのです。(神の心を知るならば、そういう不幸が寄ってこないからです)

いつまで常識にとらわれているのですか?それでは不幸にしかならないのです。

(だから私は、神の心に従ってください、私に協力してください、といっているのです。それをすることが唯一〔本当の〕幸せになれる道であるからです。今の〔常識にとらわれた〕ままでは不幸にしかならないのです。何度もいいますが、そういう時代〔物質の時代から心の時代〕に入っているからです)

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11月 25 2017

ポルターガイスト現象

なんか、そこらじゅうでメチャメチャ怒っていますね。(大丈夫ですか、ほんとに)

昨日は庄内川に行ってきたんですが、庄内川の工事をしている作業員が(この前書いた作業員とは別の場所のです)やたら怒っているし、その庄内川から出て帰ってくる時に公園で小学校低学年の子供らが遊んでいたんですが、その小学生連中がまたすごい怒りようで(ガチャンとかやっていましたので)あまりの剣幕にもう少しでこちらが謝るところでした。(苦笑)

そのあと家の近くまで帰って来るとあちこちでアホみたいに怒っています。(あっちでガチャン、こちらでゴンとかです)そういえば、一昨日の帰りもそんな感じでしたね。

あちこちでやたら怒っていました。

そこらを歩いていれば爺さん婆さんが近よってきて音を立ててきます。

そういう爺さん婆さんに「なんだなんだ、人のブログ見て散々心が救われているくせに感謝もせずに嫌がらせをしているのか。自分たちのそういう行いを棚に上げて悪いことが起きたら俺のせいなのか。じゃあ自分たちのやっていることはどうなんだ」とかいうと、とたんに逃げ出します。

早足で歩いて行くんですが、そういう爺さん婆さんの後を追いかけて「オバちゃん(オジちゃん)本当の神の教えをきいていながら感謝もせずに嫌がらせなどしていたら罰は当たるんだよ。その年でそんなことも分からないのか」と追い討ちをかけます。(苦笑)

すると、ほとんどの爺さん婆さんが顔を引きつらせて慌てて歩いて行ってしまいます。(私もずいぶん年寄りを追いかけますので、後でその年寄り連中が心筋梗塞で死んでたりして。〔笑〕)

まったく大人(爺さん婆さん)から子供まで独りよがりもいいとこです。これでは救いようがありませんね。

何でそんなに私が怒られないといけないのでしょう。間違ったことをして罰が当たっているのはその怒っている連中の方なのにです。

いつまでも突っ張って自分たちの悪を認めず責任転嫁し続けているから、次々に災いが起きるのであって、そこを謙虚に反省し、感謝して布施でもしようという気になるなら悪いことなど起きてこないのです。

そういう心にならないから災いが現れているのであって、心が変われば災いは現れないのです。

逆にいうなら、そういう心にならない限り、災いは現れ続けるということです。

ずいぶん怒っている人が増えています。(反面、思いっきり引いているところも増えています。怒っている人、引いている人ともに段々増えていきます…一体どうなっているんでしょうか。〔汗〕)しかし、心を変えない限り災いは止まりません。

早く神の心に目覚めてほしいものです。そうしない限り救われる道はないからです。

何度もいいますが、奇跡が起きている私がいっているのだから間違いないでしょう。適当なことをいっている者に奇跡など起きてこないからです。

災いが起きている人たちを救えるのは、その奇跡が起きている人だけなのです。

よく考えてみてください。災いが起きている人はもちろんですが、何も起きてこない人たちに、災いが起きている人たちを救える力があると思いますか?

あるわけがないでしょう。そんな力がないから何も起きてこないのです。

人を救う力のある人はちゃんと奇跡が現れてきます。(釈尊しかりキリストしかりです)

では、怒っている人たちを救えるのは私しかいないということになります。私以外でそんな奇跡が起きている人などいないからです。

そういう現実をよく見ないといけないのです。(単に怒っているだけではなくです)

この辺りの多くの人たちは、現実をしっかり見ずにただ多くの災いが起きてきたことに怒り、いわれている噂だけを信じて、その災いを私のせいにして怒っているだけなのです。

しかし、その人たちは誰一人私のことを知らないのです。(知りませんよね。私と話したこともない人たちばかりなんですから)そればかりか、自分のことさえも理解していないのです。(先ほどの逃げ出した爺さん婆さんがそのよい例です。自分の悪いところさえ知らない人ばかりです)

はっきりいうなら自分たちは(こと神や心に関していうなら)知らないことばかりなのです。

では、正しいことが分かるのですか?そのような人たちにです。

「お前に何が分かる」「お前のいうことなどきけるか」という傲慢な心ばかりでなく「正しいことを教えてください」という謙虚な心を忘れてはならないのです。

そうしないとここに書いている大事なことがよく分からないからです。

何度もいいますが、もう時代が変わっているのです。その時代が変わったことを早く理解しないといけないのです。

もう時代が変わり、これまでの自分たちが犯した諸々の悪が次々に現象として現れているのです。

そうして神の力もです。その神の力がより以上に現れる世になっているからです。

多くの人たちは、そのように時代が変わったということをいつまでたっても理解しないのです。

しかしそれは、起きてくる現象で分かるのです。

気づいていませんか?起きている現象がこれまでとは全然違うとです。

例えば、この辺りで起きている現象もそうですが、日本中で起きている激しい天変地変や東京などで起きているポルターガイスト現象(電車のガラスが急に割れたり、電線がショートしたり)のような出来事でもそれは分かるのです。(激しい天変地変も正確にいうなら大きなポルターガイスト現象なんですけどね)

こういうことはこれまで起きなかったのです。

激しい天変地変はもちろんですが、例えば東京などで頻繁に起きているポルターガイスト現象(分かりやすいからこう書いていますが)でもそうです。

なかったでしょう。これまで走っている電車の窓ガラスが急に割れたりすることなどです。

つい最近でも埼玉かどこかで起きていたようですが、こういう原因不明のことが頻繁に起きているのです。

そればかりか、点検したばかりの電線がショートしたり(またこの電線がショートすることも頻繁に起きています)雨の日に線路の枕木が燃え出したり(よりにもよって雨の日に枕木が燃え出しますかね)不思議なことが次々に起きています。

こういう不可思議なことはこれまで起きていませんでしたが、最近はこんなことばかりが起きているのです。

不思議といえば、天変地変でもそうです。雨の日が続いたり(梅雨でもないのに一ヶ月も二ヶ月も雨や曇りの日が続くのですから度がすぎています)極端なゲリラ豪雨が毎日起きたり、これまでに起きなかったような現象が次々に起きているのです。

なぜですか?なぜこんな不思議なことばかりが頻繁に起きだしているのでしょう?

そうして、この不思議な現象の原因は一体何なのでしょう?

それが神の力(霊の力)なのであり、そういう霊の力がより強く頻繁に現れるようになったということです。時代が変わったからです。(霊の力が極端に現れだしたから原因が分からないことが増えたのです)

だから、こういうことが起きだしたのであり、だから、こういうところで時代が変わったことに気づかないといけないと私はいっているのです。

明らかにこれまでとは異質の現象が次々に現れてきているからです。

お分かりいただけたでしょうか?この辺りでなぜ、次々に病気になる人が増えているのかがです。

それは時代が変わったからです。時代が変わったからこういう現象が現れだしたのです。

皆さんの心と(行い)そうして神の力(霊の力)がより現れる時代になったからです。

だから心が悪い人には多くの災いが、心のきれいな人には多くの奇跡が次々に現れるようになったのです。

そういう時代になったからです。

だから私はいっているのです。

それは私のせいではないとです。自分の心が悪いからそうなるとです。そうして時代はすでに変わっているのだとです。

だから、この辺りの多くの人たちは、時代が変わっていることに気づかず、時代が変わって起きてきたポルターガイスト現象を、いつまでも私のせいにして右往左往している哀れな人たちであるということです。

早く気づいてください。このような時代になったということをです。

自分たちの心がまともに現れ、そうして、それとともに霊の力もまともに現れる時代になったのです。

それが正法の世です。

だから、このような不可思議なことが(この辺りだけではなく)もうそこらじゅうで起きだしているのです。(日本だけではなく世界中でです)

こういう時代になっているにもかかわらず、それでもまだ私のいうことをきかず、罪を私になすりつけ続けるのですか?

しかし、それではポルターガイスト現象は止まることはないのです。

自分を救うのは自分しかいません。(こういう時代になっているにもかかわらず、法を理解しようとせずにいて本当に大丈夫ですか?)

自分の心を高めれば高めるだけ、次々に奇跡が現れてきます。いつまで災いが起きたとオロオロしているのでしょう。

もう先に進んでいる人はドンドン進んでいるのです。それが一目見て分かる時代になったのです。

いつまで責任転嫁を続けるのですか。しかし、そんなことは時代遅れの行い以外の何ものでもないのです。

そんな時代遅れなことをしているから不幸になるのです。

幸福になりたければ積極的に法を学ぶことです。法の実践以外でこの時代、幸せになることは出来ないからです。

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11月 24 2017

今の心が死後の世界を決める

昨日は祝日でしたが、ちょこちょこやっている会社がありました。みな怒っていましたね。昨日のようなブログを書けば当然そうなるのでしょう。(笑)

私に詫びをいれ布施するしか救われる道はないと書いているからです。それだけは死んでも嫌だという人たちばかりであるからです。(笑)

しかし、それ以外ないのです。散々、嫌がらせをしたところなどほっといてもいずれ災いは現れるでしょうし、それに怒って嫌がらせを重ねれば重ねるだけよけい災いは現れてきます。(そういう行いが自分たちに返ってきているのですから)

そのことが長引けば長引くだけ災いはたくさん現れてくるのです。(それが現実です。どこかの会社などもう悲惨の一言です。〔所々で怒っているようですが、前と比べれば静かなものです〕何が起きても頑としてきかず嫌がらせをし続けていたところが急に静かになったのです。一体、何が起きているんでしょうか?)

では、早く反省した方がいいということになります。それが一番、罰が当たらない方法であるからです。

ここに書いていることに従うなら奇跡が起き、逆らうなら災いが起きる、そういうブログを読んでいるのです。

それに従うも従わないも自由ですが、災いが起きて怒るくらいなら、災いが起きない方法もここにはちゃんと書いているのですから、そちらを行えばいいのです。

そうすれば怒る理由もなくなるからです。

とにかくそのような災いは生きている時だけにとどまりません。そのままでは死んでからも起きるのです。(死んだ後の地獄でも〔怒りの心のまま死ぬのであれば死後は当然地獄に堕ちますから〕そのようなことが起きるのです。死後の世界はこの世の心のままの世界に行かなくてはいけないからです。いつ自分が病気になるのかとヒヤヒヤしながら生活し、本当にその恐ろしい病気になり死ぬことになれば、死後の生活も同じようにいつ自分が病気になるのかとヒヤヒヤしながら〔地獄で〕生活し、本当にその病気になり苦しんで死んでまたしばらくすると生き返り、またヒヤヒヤしながら生活し、また恐ろしい病気になって死んで、また生き返るという同じ生活を繰り返すのです。そのような生活が自分が悪かったと反省できるまで続くのです。この世と違い地獄は楽しみがまったくありません。怒りと恐怖の生活がずっと続くのです。そういう場所で自分が悪かったと反省できるのでしょうか?)

どれだけ怒ろうが、泣こうが、わめこうが、いま悪いことを私のせいにして怒り続けている人たちは、そのような未来しか待っていないのです。(奇跡が起き続けている私がいうのですから間違いありません。適当なことをいう者に奇跡は起きませんから)

それでも考えを変えず、今の自分の考えを押し通すのですか?

結構ですよ、それは本人の自由であるからです。しかし、今の考えのまま死ぬのなら大人子供に関係なく、多くの人が地獄に堕ちなければいけません。(もちろん人数も関係ありませんから)

地獄は苦しい世界です。(本当に苦しく恐ろしい世界です)それでもよろしいのですか?(誰であろうと死は必ずやってくるのです。だから、どれだけ若かろうが、忙しかろうが、この世のこともあの世ことも両方考えて行動しないといけないのです。死はいつやってくるか分からないからです。その時に後悔しても遅いからです)

昨日、私は久しぶりに荒子川公園まで行ってきました。

冬が近くなるともうあの辺り川は水鳥で一杯です。魚のさの字もありません。(皆もぐってしまってです。それはそれで少々寂しいです。〔笑〕)

半年振りくらいに、その水鳥たちを見たのですが、みな私を知っているようで、羽をバタバタさしたり、ピーピー鳴いたりしているのがところどころにいました。

その中でもやはりカモメは愛想がいいです。

私の近くまで飛んできたり川面でバシャバシャやっているのがたくさんいました。(カモメも嬉しそうでしたが、今年はそのカモメが少ないですね。昨日の荒子川公園も少なかったし〔去年、一昨年などよりです〕堀川なんてほとんど来ていません。そのせいで今年は堀川はいまだに魚が跳ねたり、川面近くまでたくさん魚が〔ボラですけどね〕上がってきたりしています。カモメが少ないので魚たちが喜んでいるようです。〔笑〕)

私にはこういう愛ある現象がどこに行っても起きてきます。ということは、私は死後の世界もそういう愛ある世界(もちろん天上界です)に行くということになります。

この法に従うなら、こういう愛ある奇跡が、そこかしこで起こり、それは死後の世界まで続くのです。(ただし、そのような心で死ぬ間際までいないといけませんが。だから、心変わりせずに死ぬまで法を実践できれば確実にその人は天上界に行けるということです…これがなかなか難しいんですけどね。いま現在ではほとんどの人たちが失敗しているからです。〔高橋先生や園頭先生の弟子たちなどです〕)

その荒子川公園で、帰り際にスカーフのような布を頭からかぶった女性二人とすれ違いましたが(いかにもイスラム教という感じの女性たちです。日本人ではありませんでした)その二人も私のことは知っているようで、私が近くまで来ると一人の女性がゴホゴホと咳き込むようなことをしていました。

それで私が「間違った信仰は平気で人に嫌がらせするんだな」というと、その女性はビクッとしたようでした。

それを見て私は立て続けに「正しい教えは人に嫌がらせなどしないんだ。日本にはその本当の神の教えがあるのだから、それを自分の国に帰ったら国の人に伝えておいてな。その教えは俺のブログを読めば、誰だって分かるのだから」といっておきました。

その女性二人は私のいうことを無視して行ってしまいましたが、自分の国に帰れば(どこの国の人か知りませんが)私のことは、その国の人たちに伝わるでしょう。そのような女性たちが当然しゃべるからです。(まあ、いいことはいわないでしょうが。〔笑〕)

日本にはたくさんの外国人が来ていますが(観光ばかりじゃなく出稼ぎ労働者などもです。すでに日本は移民大国ですから。〔苦笑〕)そういう人たちが、私の噂をきき、自国に帰って私のことを話すなら、法は黙っていても他国に伝わっていくのです。

最初は悪い噂でもよいのです。(悪名は無名に勝りますから。〔笑〕)いずれ正しいことは分かるからです。

しかし、本当の神の教えを知ったのなら、いつまでも間違った考えでいてはいけないのです。本当の神の教えを知り、いつまでも間違った考えのままでいれば、その人は本当に罰が当たるからです。

それをいつまでも理解せず(認めず)本当の罰が当たっている人が現在の日本にはたくさんいるのですが、しかし、どこかで、その間違いに、本当の事実に、気づくことになるのです。

そうしなければ、その民族は滅ぼされることになるからです。(神に逆らい続けるのなら滅ぼされるのが当たり前だからです)

それが早いか遅いかだけなのですが(ちょっと遅すぎの感はありますが)それにいつ気づくのですか?

しかし、日本の人々が気づこうが気づくまいが、この教えは着々と世界に拡がりつつあります。

この教えが世界に拡まり、世界の人々が正しくこの教えを理解するなら世界中で奇跡が起きることになるのです。

小さな考えはいい加減捨てませんか?

日本の人々が、この教えを実践し、世界に拡げるなら、本当の神の世が、世界に現れることになるのです。

それが実現するか否かは、いま法を知っている人たちの心次第なのです。

いま現在、法を知っている人たちのやる気次第で、この本当の神の教えはいち早く世界に拡がりもするし、なかなか拡がらないということにもなるのです。

この法が拡がれば拡がるだけ自分も周りも幸せになります。

今だけではなく、死後の世界まで救われていく、この教えを世界に拡げませんか?

それに協力するのなら、これほど徳となる行いもないからです。

(徳となる行いをたくさんするなら当然その人は死後、天上界に行きます。ただ、本当の神の教えが拡がれば間違ったことをすれば罰が当たります。それが怖いというのなら、そういう人は協力してくれなくて結構です。〔笑〕いいことも悪いこともして適当に生きられればそれでいいという人もいるからです。〔もちろんそういう人は死後の世界は地獄でしょう〕しかし、それでは向上していきません。自分の心の向上を目指したいのであれば協力すべきでしょう。〔法を実践するくらい心が向上することもないからです〕そうすれば自分の知らなかった本当の幸せも体験できることになるからです)

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