>>ブログトップへ

8月 29 2017

衝撃の事実

衝撃の事実が分かりました。そのことを皆さんにお知らせしておきます。

昨日のことです。

何が起きているのか知りませんが、どこかの会社がもう朝から凄まじい怒りようです。そうして、その怒りが伝染したのか、横の連中まで怒り出して朝から大騒ぎです。

最初は私も、そういう連中を祈ったりしていたのですが、もう凄まじい怒りようで手がつけられません。(ほんと大迷惑です)

さすがにこれは少々祈ったくらいでは収まらないと思ったものですから、私はその騒がしい中、部屋の真ん中に座り目を閉じて禅定をしながらその者たちを祈りました。

そうして、しばらくその者たちを祈っていると段々心が静かになっていきます。(外の連中は大騒ぎなんですが、それとは反対に私は目を閉じて心を落ち着かせ、その騒いでいる者たちを愛の心で祈っていると心は段々静まっていきました。不思議なものですが怒りより愛の心の方が勝るからでしょう)

その心が静まったところで(目を閉じながら)周りを見渡してみると、なんとあちこちに悪魔がいて凄い形相でこちらをにらんでいるのです。

どこの会社はもちろんですが、横の家から、前のマンションから、そうして反対の横の会社から悪魔たちが顔を出したり出てきたりしています。(ずいぶんたくさんいましたが、その悪魔たちは全身が真っ黒で顔には何か角のようなものまではえていました。そういうものに憑かれている人たちばかりであるということです)

朝から凄い光景です。(まったく夢かと思いました)

しかし、私は落ち着いていました。自分の体の回りを黄金色の光で覆われているイメージをして(その光の輪の中には悪魔は入って来れませんから)その悪魔たちをしっかり愛の心で祈っていました。

私の周りには、そのような悪魔たちばかりでなくちゃんと七大天使たちも来ていられたからです。

私は、その悪魔たちに向かって祈りながら光を与えていました。

ふと気がつくとその悪魔たちの後ろにたくさんの光の天使たちが来ています。(大きな黒い竜も来ていました。ブラックドラゴンでしょう)

私はその光の天使たちに「どうぞこの悪魔たちに光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」と祈りました。

そのようにしばらく祈り続けていると、いつの間にかその悪魔たちの顔が普通の人のようになり(先ほどまでは鬼の形相でしたが)姿かたちも人間とかわらない普通の姿に戻っています。

そうして先ほどまでたくさんいた悪魔たちがずいぶん減っていました。

多くの光の天使たちが光を与えた結果、その光の天使たちの光が悪魔たちの怒りを鎮め浄化したのです。(多くの悪魔たちが憑いている人から離れていったようでした)

しばらく祈っていましたが、神と七大天使と光の天使たちにお礼をいって(ブラックドラゴンにもですが)その祈りを終えたのですが、また昨日は朝から不思議な体験をしたものです。

夢なのか現実なのかよく分からない体験でしたが、その祈りを終えると周りの人々の怒りもずいぶん収まっているようでした。(この文を書いたのは、その祈りを終えてすぐですから。〔起きたことを忘れてもいけないと思ったからです〕前の会社の連中が同じように怒っていたのなら、とてもこんなことを書いていられませんから)

しかし、この後のことです。昼前くらいからまたどこかの会社の連中がひどく怒り出したのです。

凄い怒りようです。どうも恐ろしい現象が次から次に出でているようでした。

この連中、いつまでこういう態度を続けるつもりでしょう。こういう(怒りまくっているような)態度では、この連中がいなくなるまで恐ろしい現象は続きます。

ということは、この連中が反省しない限り、この会社の従業員から、その一人一人の家族、親戚にいたるまで、恐ろしい現象が現れる続けるということになります。

それでは、その現象が現れる人が凄い人数になってしまうのです。

例えば、一人の従業員が家族、親戚(わりと近いです。あまり遠い親戚に何か起きても何も知らされないでしょうから)合わせて二十人ほどいたとして、そういう従業員がこの会社に三十人いたとしたら、合わせて六百人の人に現象が現れるということになります…とそう思って、確認したところどうもこの会社の連中、この数年ですでに数百人レベルで癌になった人がいるようなのです。(何度も確認しましたが〔何百人も癌になったのがいるのかとです〕シーンとなって何もいいませんので〔ゴンともガンともやってきませんので〕本当にそれくらいの人数が癌になっているようです。その後〔今日も〕確認しましたので人数はほぼ間違いないようです)

数百人ですよ。

「ハァ?」と思いましたが、しかし、そんなことがありえるのでしょうか?数年で数百人もの人が次々に癌になるなどということがです。(漫画でもないような気がしますが…)

それでもです。もし、嘘をつくのであれば、これだけど外れた嘘はつかないでしょう。

数年で数十人の癌になる者が出たとでもいっておけば、それだけでも十分驚くからです。

しかし、この連中は数百人だといっているのです。(といっても、こちらが一方的に確認しているだけですが)

しかし、この者たちの態度を知るなら、それも合点がいくのです。

というのもこの連中は、もう何年も前から先ほどのような態度を取り続けているのです。毎日のように朝から怒り狂っていたり、急に怒り出したりです。

まるで一日のうちに何人もの人が病気になっているような、そんな態度で、しかもその現れている病気が何か非常に危ない、恐ろしい病気のように思われるのです。(そうでなければ、それほど怒り狂わないでしょうから)

本当に癌になる人が次から次に出ているような(トイレに行ったら血尿が出た)そのような怒り方を毎日のようにしています。(しかも一日に何度もです)

だから私は、そういう態度を取られるたびに(急に物を叩きつけてでかい音を立てたりしますので)「また癌になる者が出たのか」と声をかけていたのです。(またはじゃんじゃん電話がかかってきて、その電話にそのような態度で怒っている者がいましたから)

そのような気がしてならなかったからです。しかし、本心は「そんなに頻繁(ひんぱん)に人が癌などなるものなのか?」と半信半疑でした。(確かに私は、そういう現象が起きた経験がありますが、あの未来に起きた時とはまるでペースが違っています。あの時は月に一人か二人くらいのペースでしたから)

そんなに次々に癌になる者が出るなど考えられなかったからです。(いくら神の業とはいえです。そこまでの現象が起きるものなのか半信半疑でした)

しかし、昨日(この会社だけで)もう何百人という人が癌になっているということを知って、それならこの会社の連中が、そういう態度を取っても不思議ではないと初めて合点がいったのです。

そうして、この連中がそれほどのペースで癌になる者が出ているのなら、外でこれだけ怒っている人が多いのも合点がいったのです。

その点もまた私は前から疑問に思っていたのです。

あまりに怒っている人が多かったからです。

とにかく、走ってくるバスやトラックの運転手はやたら怒っているし、行くところ、行くところで感情的に怒っている人が必ず何人かいるのです。

そうして、私が祈ろうとするとギョッとする人やムッとする人も多いのです。

「何でこれだけ怒っている人が多いのだろう」「何で私が祈るだけでこれだけギョッとする人やムッとする人が多いのだろう」と前から不思議でした。

しかし、それも昨日この会社の連中に、それほどのペースで現象が現れているということを知るならば、そのような疑問の謎がすべて解けるのです。

自分が考えていた以上の凄まじいペースで私の周りには現象が現れていたということです。(しかも、想像以上の広い範囲にです)だからそこらじゅうに怒っている人がいるのです。

その怒っている人のいるところで何らかの神の業が現われていたからです。

それはあの何度もしてきたサイレンを知るならば分かったことかも知れませんが、あのサイレンは私の祈りとは関係ないと思っていましたから(実際そうだったのでしょう。私は今も同じように祈りは続けていますが、あれほどのサイレンはもうしていません。それが私〔の祈り〕とあのサイレンが何の関係もなかった何よりの証拠なのです)私の周りで起きている現象がそれだけ広がっているとは思いもしなかったのです。

しかし、私の周りで起きている現象は、私の想像をはるかに超える凄まじい勢いで拡がっているようなのです。

そのような現象を、私に逆らい嫌がらせをしている人たちも知らないのです。

そのような人たちもまたバラバラにしか見ていないからです。(自分たちの周りに起きている現象しか知らないですよね。そのような人たちはです)

私の周りのすべてに起きている凄まじい現象まではそのような人たちも知らないのです。

だから取れるのでしょう。そのような態度をです。(こういうことを知っても取ってくる人は取ってくるのでしょうが、それは自殺行為以外の何ものでもないのです。必ずそのような人には現象が現れるからです)

一社だけでも数百人です。では、あちこちで怒っている人たち(運転手連中やこの辺りではなくもっと遠くの人たち)など含めたら、一体どれくらいの人に癌が現れているのか分からないくらいなのです。

もしかしたら想像を絶する数の人が癌になっているかもしれないのです。(想像を絶する数の人に神の業が現われているかもしれないのです)

そういう者に逆らい、嫌がらせをし続けていて、そのような人たちによいことが起きてくるのでしょうか?

部分だけを見るのではなく、もう少し視野を広められ全体を見てはどうでしょう。そうすれば、その起きていることの凄まじさに驚愕するからです。

神を信じ、この教えに帰依されませんか?

そうすれば(災いばかりでなく)多くの奇跡が現れるからです。

私のいうことをきかない、無視するなら無視するで別にかまわないのですが、しかし、きかない人たちにはすでに凄まじい現象が次々に現れています。

少しは心を救われた者によいことをされてはどうでしょう。そうすれば(これだけの現象が現れているのです)必ず大きな奇跡も現れてくるからです。

また、それが人としての正しい道であるからです。

追伸…北朝鮮がまたミサイルを発射して、今度は日本の上空を通過させたそうですね。(そうして太平洋上に落下したそうですが)

数年のうちに数百、数千の人に癌が現れるような教えがここにありますが、それを活かさないでよいのですか?

皆がこの教えを勉強するなら、大きな奇跡が現れます。いつまでも多くの人がこの教えを無視しているからいいことが起きてこないのです。

このままでは北朝鮮は挑発をやめることはないでしょう。そうなると最終的には武力衝突ということにもなりかねません。(もちろんアメリカとのです)

そうなれば日本もただではすまないのです。

この法が拡がるなら、調和と安らぎのうちにこのような問題も解決できるのです。

いい加減やる気を出したらどうでしょう。そうしないとどちらにしてもよいことは起きてこないからです。

0コメント

8月 27 2017

すばらしい教え

くれぐれもいっておきますが、これ以上無視するのはやめてくださいね。これ以上、私のいうことを無視すれば、もうどれだけ悪い現象が現されるか分からないからです。

法を知らされた人は、それだけの責任が生じてくるのです。(それも何度もいっていますが)その責任を無視して、法を教えてもらうだけ教えてもらい知らん顔をしていては、天の怒りは激しいものとなるでしょう。

この法は、その天に通じている唯一の教えであるからです。(だから実践すると奇跡が起きるのです)

そのようなすばらしい教えを伝えてもらっているにもかかわらず、この辺りの人たちなど感謝するどころか嫌がらせをしているのです。

それでは、天の怒りはより以上の激しいものとなります。だからこの辺りは特に恐ろしい現象が現れているのです。

法を教えてもらっている人たちの態度があまりに悪すぎるからです。

昨日から、やたら怒っているどこかのマンションの人がありますが(何か起きたんでしょうか?昨日の夜中までバシバシやっていました)そういう自分たちの態度を棚に上げ(このマンションの人たちは一人として私に感謝した人などいませんから。このブログを読んでいる人はたくさんいるのにです)悪いことが起きるとすぐにそれを私のせいにして怒りまくっているというのですから、勝手なものです。(本当に自分たちの態度を棚に上げよく悪いことをすべて私のせいに出来るものです。〔ほんと面の皮が厚いです〕これだけ筋の通らないことをしていて人として恥ずかしくはないのでしょうか?)

その典型がどこかの会社の連中なのですが、昨日は一日窓を閉め切ってやっていましたね。(この暑いのにです)

それでも中から嫌がらせする音だけはきこえてきました。(たまにでかい音がです)一体この連中、何がしたのか意味が分かりません。(おとなしくしたいのか、やかましくしたのかです)

しかし、どれだけ窓を閉めようが、どこかに逃げようが、その恐ろしい現象から逃れることは出来ません。

その恐ろしい現象から逃れたいのであれば、心を入れかえるしかないのです。

残念ではありますが、そのままでは自分たちだけではなく、親戚にいたるまで多くの人が滅ぼされることになるでしょう。それだけこの会社の人たちがやっていることは罪が重いからです。(毎日のようにこのブログを書くのを〔法の流布を〕じゃましているのです。もうどれだけ罪をつくっているのか分からないくらいです)

私はこのような苛酷な状況の中でブログを書いているのです。(このブログは簡単に書いているわけではありません。凄まじいまでの悪魔がじゃまする中で書いているのです。本当の神の教えが説かれる時はそのようなものなのです。悪魔が凄い勢いでじゃましてくるのです)

このブログを読んでいる人たちは(法を伝えられている人たちは)そのようなことも考え(法を伝えるにせよ、決して楽に伝えているわけではないということです)報恩の行為くらいはしっかりやっていただきたいものです。

このブログを読んでいる人たちは、それほどすばらしいものを(実践すると奇跡が起き、悪魔が本気で伝えるのをじゃましてくる)伝えてもらっているからです。

それくらいすばらしい教えを学んでいるという自覚は持ってほしいものです。

そういう自覚のない(このブログを軽く考えすぎている)人があまりに多いのです。だから天がこれほどの怒りを現すのです。

どちらにしても、この辺りで怒っている人たち(不幸が起きている人たち)は自分たちの行いを反省して私に布施くらいしないと、その起きている不幸は止まらないのであるし、他の地域の布施など一切しようとせず、このブログを読み続けている人たちも、そのような行いを反省して布施してくれないことには、天気もよくなることはないのだし、もうそれをする以外にないのです。

このブログを読んでいる人たちが、そのような謙虚な態度を取らない限り、自分たちの周りに(この日本に)よいことは起きてこないからです。

いい加減気づきませんか?自分たちの力をです。

このブログを読んでいる人たちはまるで気づいていないのです。自分たちの力が日本に大きな影響を与えているとです。

その人たちが、心を入れかえるかどうかが、これからの日本の進む道を決めるのです。

本当にそうなのです。

自分一人が変わったくらいでは何も変わらないと思っている人が多いのかもしれませんが、とんでもありません。

このブログを読んでいる人たちは、みな法を知った人たちばかりなのです。

では、みな現象を起こせる人たちばかりであるということになります。

実際そうでしょう。奇跡も現象であるなら、災いも現象なのです。

では、このブログを読んでいる人たちの大半はすでに現象を起こしているということになります。

何度もいいますが、この全国各地の最近のひどい天気は、すべて、このブログを読んでいる人たちのせいであるからです。

では、このブログを読んでいる多くの人が天気を悪くする現象を、すでに起こしているということになります。

だから私はいっているのです。自分たちの力に気づいていないのかとです。

すでにこのブログを読んでいる人たちのほとんどは霊能者なのです。だから現象が現れるのです。

このブログを読んでいるほとんどの人たちは、そのことに気づいていないのですが、そういう現象を現せる人が、その町に一人いたらどうなると思いますか?

答えは簡単です。私のようになるということです。

それはそれはひどい目に遭い、超不幸になるということではありません。(マァ、今の私はそんな感じですが。〔苦笑〕)そういう人が一人いるだけで、それだけ多くの人の心を変えることが出来るということです。

実際ウナッシーさんだってそうなのです。ウナッシーさんに起きていることを多くの人が知るなら、その知った人たちは大いに心を変えるのです。

ただ、ウナッシーさんは、このブログを読んでいる人たちの中で知られているだけであるからあまり騒がれませんが、世間の人たちがウナッシーさんのことをもっと知るなら、ずいぶん話題になり、ウナッシーさんに習い心を変える人もたくさん出てくるということです。

それだけの奇跡がすでにウナッシーさんの周りに現われているからです。(この前の子供さんの湿疹が治った件でもそうですし、仕事が異様なはやさで終わったことでもそうです。気難しい上司とうまくやれていることでもそうです。すべて話題となることばかりです)

しかし、それは別にウナッシーさんが特別ということではありません。

このような奇跡は、このブログを読んでいる人なら誰にでも起きることなのです。

そのかわり少し心と行いをかえないといけませんが。〔苦笑〕

それほどすばらしい教えをすでに皆さんは学んでいるということです。だから多くの人が、それくらいの現象は起せるくらいの心にはなっているのです。

だから悪い現象も現れるのです。(まだ全然心が出来ていなければ何の現象も現れませんから)

だから私はいっているのです。(何度もです)心を入れかえてくださいとです。

すでにこのブログを読んでいる人の多くは霊能者であるからです。そういう人たちの心が悪ければ悪い現象が現れます。

だからこれほどの悪い現象が次々に日本に現れているのです。多くの霊能者の心が悪いままであるからです。

だからこのブログを読んでいる人が、心を正して祈るならすばらしい奇跡が現れるのです。すでに、それだけのすばらしい教えを、そのような人々は学んでそのような心になっているからです。(災いが現われるなら、それと同程度の奇跡も現れますから)

もうこの教えをずいぶん長く学んでいる人もいるようです。(もう何年も前からこのブログを読んでいる人がいますよね。あなたがそうです)そういう人たちは、すでにもう自分は偉大な能力を神から与えられているということを知るべきなのです。

そのことに自分が気づいていないだけなのです。

今日は(久しぶりに)全国的に晴れるということですが、こういう日が今日限りなのか、それともこれからも続くのかは、すべて(すべてです)このブログを見ている人たちの行いにかかっているのです。

いい加減、自分の偉大な使命に気づいて、法の実践を行ってください。

それが自分にとっても、そうして日本にとっても一番よいことであるからです。

(本当にもったいないですよ。悪いままでいてはです。よい実践をしてください。そうすればすばらしい現象が現れてくるからです。それほどの心に〔このブログを長く見ている人たちは〕すでになっているからです)

2 コメント

8月 26 2017

はっきりしない態度

今日の名古屋はドン曇で雨が降りそうで降らないはっきりしない天気です。

どこかの会社もやたら怒っているようですが(たまにでかい音がきこえてきますから)しかし、外から見ると窓をしめ切り何か休みのような雰囲気です。

こちらはこちらではっきりしない態度ですが、ずいぶん恐ろしい現象が出ていることだけは確かでしょう。(昨日も朝から晩まで怒りっぱなしでしたから)

そうでなければこんな態度は取らないからです。(何も起きていなければ窓を開けてガンガン嫌がらせをしてきますから)

そういうはっきりしない態度の人が多いから(このブログを読んでいる人は)よいことが起きないのです。

昨日も秋田では記録的な大雨になりました。今日もすでに九州(佐賀や長崎辺り)では激しい雨が降っています。

このブログを読んでいる人たちがはっきりしない態度を取り続ける限り、このような天気は収まることはありません。

だからはっきりした態度を取っていただけないでしょうか。(このブログを読んでいるあなたがです)

そうすれば、このような天気は収まるからです。

もちろん全面的に法に協力してもらえればいいのです。(中途半端じゃなくてです。中途半端なことをやっている人がたくさんいるようですから。〔苦笑〕)

まるっきり逆らっている人たちはともかくです。(そういう人たちは災いが起きまくっていますから)そうでもない人たちは(多少なりとも法によって救われたと思っている人たちは)何度もいいますが、しっかり布施してください。(別に、全面的に協力してくれなくても結構ですから。布施くらい誰だって出来るでしょう)

そういうしっかりした報恩の行為をいつまでもしようとしないから、天は怒っているのです。(だから中途半端な態度ではダメだということです。実際そうでしょう。そういう態度しか取らない人たちが多くいるところでは雨ばかり降っています)

では、そういう態度を(しっかりした報恩の行為を)皆がするなら、天の怒りは収まります。それをいつまでもしようとしないから天の怒りがますます激しくなるのです。

私はいい加減なことをいっているわけではありません。私がいっていることが嘘ではないということは起きている現象で証明できるのです。

いま起きていることをよく考えてみてください。

川の氾濫、土砂崩れ、冠水被害、そのような大雨被害が日本中のいたるところで起きているのです。(毎日ですよ。なんぼなんでもおかしいでしょう)

しかもこれだけひどい大雨被害が多発しだしたのは梅雨明けからなのです。(そうですよね。今年の梅雨はどちらかといえば空梅雨のような感じでしたから)

どう考えてもおかしくはないですか。梅雨が明けてから大雨被害が多発しだしたなどです。

いつもの年であるなら、梅雨が明けたこの時期は天気も安定し(たまの雷雨くらいはあるにせよです)猛暑が続いていないといけないのです。

しかし今年は、その時期に梅雨以上の激しい雨がいたるところで降り、その激しい雨が降ったところでは大きな被害が出ているのです。(しかも、その激しい雨は短時間に狭い場所で降るものですからよけい被害がひどくなります)

そればかりか、この時期にあの超ノロノロ台風の五号まで直撃し(普通はこの時期に台風など日本に来ないでしょう。しかもその直撃した台風が異常な遅さで日本を縦断したのです)輪をかけた大きな被害を日本中に出したのです。

何でこんなことが起きているのですか?(これだけひどいことが次から次にです)私がいっている通りではありませんか。

天の怒りが増しているとです。

天の怒りが増しているから、これだけの災いがこれでもかというくらい起きているのです。(なぜ増しているのかはもうお分かりであると思います。これも何度もいっていますが、このパソコンが壊れたら法を伝えることが出来なくなるのです。そういう状況にもかかわらず多くの人が態度を変えようとしないからです)

いつまでも法を説いている人のいうことを無視していてはいけないのです。

法とは神の心であるからです。

法を無視するということは神の心を無視するということであるからです。(だから法に逆らっている人たちには災いが起きているのです。そのような態度は神の心に逆らっていることであるからです)

法を伝えてもらい、心が救われたと、人生の指針が分かった気がすると、そのような思いを少しでも持った人は報恩の行為はちゃんとしないといけないのです。

それが最低限の法を教えてもらった人への礼儀であるからです。

しかし、このブログを読んでいる人たちのほとんどはその最低限の礼儀さえなっていないのです。だから、これだけ天の怒りを買っているのです。(おまけにウナッシーさんの怒りまで買っています。〔笑〕しかし、法をある程度勉強している人なら誰だって怒るのです。法を伝えてもらっている他の人たちのあまりの礼儀を知らない態度にです)

このブログを読んでいる多くの人が、このまま無神経な態度を続けるのなら、天の怒りはいつまでも続きます。(ますます増していきます。これでこのパソコンが壊れたら大変なことになりますよ。凄まじい現象を現されるかもしれません)

そうなればどれだけ多くの人が不幸になるのか分からないのです。(まだこの後は、今度は秋雨前線が南下して来るんでしょう。このままではまた来週後半くらいから大雨被害が続出しそうです)

このような不幸はすべて(すべてです)このブログを見ている人たちのはっきりしない、無神経な態度によるものなのです。(それは断言します。実際ここに書いた通りのことが起きていますし)

これ以上、私のいうことを無視しないでください。(本当にお願いします)

このブログを読んでいる人たちは最低限の礼儀くらい果たしてください。

それをいつまでも果たそうとしないことが、天を(これほどまでにです)怒らせている最大の原因であるからです。

0コメント

8月 25 2017

すべては自分の行い

北日本や北陸は激しい雨になっているようですね。(ほんと何も起きない日がありません)

愛のない人が多ければそのような(悪い)天気は現われてきます。もう少し愛を持つ人が増えればとつくづく思います。(前回のブログなど後ろめたくてあまり読めない人も多かったのではないでしょうか。〔苦笑〕そういう人がほとんどいなかった場合、このブログを読んでいる人は相当重症ですね)

それはそうと出まくっていますね。電話はじゃんじゃんかかってくる、キレまくっているのはいると何か凄まじいです。(この会社は特に愛のない人が多いですから)

もちろんどこかの会社なんですが、どこかの会社だけではなくまた出始めましたね。

怒り出すところがです。

一、二日前まで小さくなっている人が多かったのに(人のブログを読んでいて感謝もしなかったのかと、あちこちでいいまくっていたものですから)昨日は怒っている人がやたら多かったです。

怒っている人たちは、私のいうことなど聞く耳持たぬといった感じです。

しかし、自分たちの行いを棚に上げて本当によく怒ります。(この人たちは頭を下げるということを知らないんでしょうか?)人のブログを読むだけ読み、心が救われていながら、少しも感謝せず一方的に嫌がらせをし続けているのは、自分たちの方ではないですか。

そういう間違った行いをし続けていれば悪いことは起きるのです。そのしている間違いが自分に返ってくるからです。

私がどうこうじゃないのです。

自分の行いなのです。

それが自分に返ってきているだけだからです。

だから私は毎日、愛ある奇跡が起きているのです。このブログを書き続け、法を伝え続けて多くの人々の心を救っているからです。

またそれが愛の行為であるから、そのような愛ある奇跡が返って来ているのです。

すべて自分の行いなのです。私がこのようなブログを書かず、辻説法など行わなければ、鳥が寄ってくるような奇跡は起きていないのです。

普段、私が人を救うことを少しもやろうとせず自分のことだけしているのなら、祈ったところで何の奇跡も起きず、多くの動物たちが喜んで寄ってくることもないのです。

人のことまで考え愛ある行いをし続けているから、そのような愛ある奇跡が起き続けているのです。

自分のことしか考えない人に天は奇跡を現してくれることはないからです。

人の幸せを考えれば考えるだけ、そのための行いをすればするだけ、天はその人に奇跡を現してくれるのです。(その究極の方々が釈尊やキリストです)

だから私が、自分のことより多くの人を救いたいと、法を伝えることを主として、神を一として生活しているから(そのような生活の仕方が正しいから)次々に奇跡が起きているのであり、災いが起きている人たちは、その自分たちの生活の仕方が間違っているから自分たちに悪いことが起きているのです。

それにもかかわらず、この辺りの人たちは皆、悪いことが起きるとそれを私のせいにしているのです。

私がそんなに人に対し悪いことをしているのなら(例えば人を次々に病気になどしているのなら)それが自分に返ってこなければおかしいのです。

因果応報、善因善果、悪因悪果という「原因、結果、作用反作用の法則」は必ず作用するからです。

しかし、私に何の悪いことも起きていない、病気になることもない、このような事実が、私がそのような悪いことをしていない、何よりの証拠なのです。

そうして、普段から奇跡が次々に起きているのですから、その起きている奇跡を考えれば、私は普通の人以上に人のために尽くしているのであって、それが起きてくる現象(奇跡)として現われているのです。

これ以上の証拠はないのです。自分に起きてくる現象こそ、自分が普段からしている行い以外の何ものでもないからです。

それを思えば、その悪いことを私のせいにしている人たちは普段の行いはどうなのでしょう。

悪いことなどしていないとご本人はいわれるのでしょうが、では、よいことはどうなのでしょうか。

私のように法を勉強して、多くの人を救おうと人にその法を伝える努力などしたことがありますか?

別に法を伝えることばかりが人を幸せにすることではありませんが、そういうよいことを積極的に行う努力をする人はいたのでしょうか?

ほとんどの人は人のことより自分のことと、仕事や遊びに精を出し、面白くないことがあれば文句をいい、嫌なことをされればその嫌なことをやり返す、そういう不平不満の多い、本当の幸せを知らない人生を送っている人が多かったのではないでしょうか。(だから、思い出したようにいいことをする程度ではダメだということです。普段の行いが悪すぎるからです。それではよいことが返ってきても微々たるものです)

もし、そんな人生を送っていた人が多ければ、そんな人生はよいことも起きれば悪いことも起きる、一寸先は闇の人生以外の何ものでもないのですから、このような時代(正法の世)となればいいことは起きてこないのです。

それは現在の日本を見れば(もっといえば世界を見ても)分かるはずです。

天変地変が起きまくり、不幸がそこらじゅうで起きています。(多死社会)自分たちの心が現れる時代となったからです。(そういう生活の仕方では心はきれいになりませんから)

だから、この辺りでも多くの人が不幸になっているのです。そういう自分たちの自堕落な生活が自分たちに現われてくるからです。

だから自分たちの生活が間違っていたのです。そういう自分本位な生活をしていては、どこかで不幸が現われるからです。

自分のことばかりでなく、人の幸せも願って生きなければ幸せにはならないのです。そのような心が自分を幸せにするからです。(そんなこと知らなかったでしょう。自分が幸せならそれでいいと思っている人がほとんどだと思います。だから不幸が起きるのです。よいことも悪いことも起きるのが人生ではありません。自分の生活の仕方が悪いから悪いことが起きるのです。自分の生活の仕方を正せばよいことしか起きてこないのです)

私はただ、そのような(正しい)ことを皆に教えたあげただけなのです。

それをこの辺りの多くの人は、その私がいっていることを、ひねくれた取り方をして(素直にきけばよかったのにです)ねたみやひがみからか歪曲して悪意を持った噂を流して嫌がらせなどしてくるから、よけい悪いことが起きだすのです。

しかし、そのような結果が出ているのも、普段からの自分たちの行いが悪かったから、そういう結果が出ているだけであり、少しでも自分たちが人のことを思う愛ある生活を普段からしていたのなら(人の悪口など鵜呑みにせず)これだけ悲惨な結果も現われなかったのです。

それもこれもすべて自分たちの行いが原因なのであって人のせいではないのです。

悪いことを人のせいなどにしている暇があるなら、自分たちの行いを正してはどうでしょう。

その方が、よほどよいことは起きだすからです。(だから普段からの自分たちの行いをもっとよく考えるということです)

自分さえよければいいと、人の悪口をすぐに鵜呑みにするのではなく、相手の気持ちも少しは考え、その人がいっていることは本当に正しいことなのかを一歩引いて、第三者の立場になって考えてみることです。

そうすれば真実が分かってくるからです。

しかし、そういうことは非常に大事なことなのですが(本当にあまりに普段の生活を深く考えずに生活をしている人が多いですから)それよりも何よりも、もう少し愛を出されてはどうでしょう。

自分が愛を出せば出すだけ、その愛は自分に返ってくるからです。(愛の実践です)

これまではこの辺りの人たちはほとんど愛など出していなかったのです。(自分さえよければいい、自分たちさえよければいいという偏狭な愛は本当の愛ではありません)そこに持ってきて、人の悪口を鵜呑みにし、私に対する怒りばかりを多くの人が出すなら、その怒りはまともに自分たちに返ってきます。

その多くの人たちが出している怒りが、この辺りに多くの不幸を呼んでいるのです。

私はそのような心の法則を多くの人に伝えているだけなのです。

では、それを素直にきき、自分たちが幸せになれる方法を考えてはどうでしょう。その方法はさほど難しいことではないからです。(でもまあ、人によっては難しいことかもしれませんね。愛など出したことがない人にとってはです。〔苦笑〕)

すべては自分の行いなのです。では自分が幸せになりたいのであれば「愛」を出すことです。

その愛を出し、もらうことが(愛の循環)人にとっても自分にとっても一番の幸せであるからです。

何度もいいますが、もう少し愛を出されてはどうでしょう。その愛を出せば出すだけ自分が幸せになれるからです。

(けっして金ではないのです。金をどれだけ稼いでも本当の幸せはこないのです。金儲けが第一だと思っている人たちは、そこは誤解されない方がいいと思います。どれだけ金を稼いでも奇跡が起きてこないのが、その何よりの証拠なのです)

2 コメント

8月 23 2017

愛と良心

また昨日は凄いタイミングでした。

昨日夕方、帰ってきた時のことです。家に着く少し前くらいから空が真っ暗になり向こうの空では稲光がしています。

「これは一雨きそうだな」と思いながら帰ってきたのですが、何とか家に着くまでは雨が降ってきませんでした。

そうして家について私が家の中に入りドアを閉めようとしたその時でした。急に空がまた一段と暗くなって強い風が吹き始めたのです。

まるで私が家に入るのを待っていたかのように、強風が吹き始め、しばらくして雨が降り出したのです。

あまりにタイミングがよかったものですから、近所の人たちにわざわざ声をかけたくらいでした。(「凄いタイミング」とか何とかです。〔笑〕)

私はこういうことが何度もあるんですが、先週の土曜日でしたかね。あの東京の世田谷で凄まじいゲリラ雷雨が起きた時は、夕方の四~六時までの二時間で千発もの落雷があったそうですね。

千発って、どれだけ凄まじい現象を現されるのかという感じですが、完全に天を怒らせています。

そんなにカミナリが落ちてよく数人のけが人だけですみましたね。

本当に恐ろしいのですが、東京も昨日は雨が降らず長雨の記録も二十一日で止まったようですが、それにしても天が味方についていないということがよく分かる出来事です。(そのような長雨にせよ、カミナリにせよです)

天が味方についているか、いないかでずいぶん起きることが違うようです。

しかし、それはこちらも同じで、その昨日の雷雨で七千発もの落雷が愛知県で起きたそうです。(東京の七倍ですか。そのせいで何件も火事が出たそうですが、本当にこちらはこちらで終わっています)

しかし、昨日のウナッシーさんのコメントにも書きましたが、何で少しくらいの愛が出せないのでしょう。

心を救われているにもかかわらず、少しの愛も出そうとしない。

このブログを読んでいる人が少しの愛でも出してくれるのなら(ずいぶんいますからね。こちらだけでもこのブログを見ている人はです)そういう人が多ければその愛は大きなものとなり(少しの布施でも多くの人がしてもらえるのならよい金額になりますから)それだけでもこんなひどい天気にはならず、天も味方になってくれるのに、多くの人が、その愛を少しも出そうとしないばかりに、これだけの災いが現されているのです。

それだけ法を伝えてもらっている人に、報恩の行為をしないということは悪いことであるからです。

こちらの人たちなど、自分たちが悪いことを全部、法を伝えてもらっている人のせいにしているというのですから目も当てられません。

昨日など「何で人のブログを読んで心が救われているくせに嫌がらせなどしたのか」と歩いてくる人にきいていたのですが(もう、その歩いてくる人のほぼ全員が私のブログを読んでいるようでした)私からそう声をかけられると、ほとんどの人がいやらしそうな顔をして下を向いて足早に歩いていくだけです。(大人から子供までです)

何でそんなバカなことを皆が皆したのでしょう。

心を救ってくれた者に嫌がらせなどしていれば(そんな恩を仇で返すような行いをしていれば)悪いことが起きてくるのが当たり前なのです。

そんなことを多くの人がしたばかりに、凄まじい現象が現されているのです。(数々のサイレンなど)

それをずっと私のせいにし続けていれば、そういう人たちにいいことが起きるわけがありません。

最近、この辺りに怒っている人が(引いている人が)多いというのも分かります。そんなデタラメな(無反省な)態度を続けていれば、もっと凄まじい現象が現れるのは道理であるからです。

どこかの会社もひどいものです。

どうも、どこかの会社の連中に起きていることが、こちらが想像していた以上に凄まじいようです。

昨日でもよく電話がかかってきて、それで怒っている連中までいるので、昨日はこちらからいろいろ声をかけていたのです。(何が起きているのか探っていました)

「それだけ電話がかかってくるんだ。起きているのはお前らだけじゃないよな」とか「家族まで広がっているんだろう」とか「親戚までいってるんじゃないのか」とかです。

すると、どうも自分たちの家族だけではなく、親戚くらいまで起きている現象が広がっているようなのです。(「親戚まで広がっているのか」ときくとシーンとしていましたから)

親戚までって、ほんとムチャクチャですね。

この連中が、法の流布のじゃまをし続けているばかりに(家族だけではなく)親戚にまで血尿が出るような人たちが出ているというのです。(それでよく電話がかかってくるようなのです。「今度はあの人が病気なった」とかいう電話なのではないでしょうか)

なんてことをしているんでしょう。この連中が、天に逆らい続けているばかりに恐ろしい現象がドンドン広がっているのです。

自分の縁ある人たちにです。

つまり、この連中が法の流布のじゃまをすればするだけ、起きる恐ろしい現象は(自分だけではなく)自分に縁ある人々にまで広がっていくということです。

なぜ、こんなことが起きるのか?

それは、どれだけ法の流布のじゃまをしてもです。我の強い人にはなかなか現象が(天罰が)現れないからです。(その我の強さが自分を守るのです)

しかし、そうなると、その者が反省することはまずありません。そういう我の強い者は自分に何か現象が現れない限り、反省することはないからです。

すると、法の流布のじゃまなどを我の強い者が反省せぬまま続けていれば、どれだけその者は大きな罪をつくるか分からないのです。(この世で一番の大罪ですからね。法の流布のじゃまはです)

だから、その者にそれ以上罪を犯させないため、その者を反省させるため、天は恐ろしい現象を家族の誰かに現すのです。(あまり我の強くない人にです。例えば子供とかにです)しかし、それでも本人が分からない場合(反省しない場合)今度は親戚の誰かに現すのです。

そのような縁のある人々に段々恐ろしい現象が広がれば、その法の流布のじゃまをしている者は、嫌でもしていることの悪の大きさを知り反省せざるを得ないからです。

そのような方法しか、もうその我の強い者に、自分のしていることがどれだけ悪いことなのかを知らせる方法はないからです。

だから、そのような順序がつくのですが(だから、その者が法の流布のじゃまをすればするだけ縁ある者に恐ろしい現象が現れ、その者が、それをやめない限り、縁ある人々に現れる恐ろしい現象は止まらないということです)それでもこの連中は、それほどの悪を(法の流布のじゃまを)やめようとはしないのです。

これもまた恐ろしいことです。起きている現象の意味をまったく理解しようとしないからです。

しかし、我の強い者が大きな罪をつくっているばかりに、その罪が、その者の縁ある者たちに次々に現われてくる。

そういうものなのです。そういう(我の強い)者と縁があるということは、その縁が深ければ深いほど、それなりの責任がその縁ある人たちには出てくるからです。(例えば、その人が親であれば子供に対する教育の責任、子であっても親に対する何らかの責任はあり、それは親戚であっても同じなのです)

だから愛がないといけないのです。

愛があるなら、そういう縁ある人たちを不幸にしたのは自分の責任と、自分の態度を改めるからです。

しかし、愛がないと、どこかの会社のように縁ある人々の誰に何が起きても、自分の責任とは考えず(認めず)そんな病気になる方が悪いと電話がかかってくると怒っているような者まで出てくるのです。(あまりの冷たさに呆れます)

すべて自分たちの責任であるのに、自分たちが大罪を犯し続けているばかりに、縁ある人々が次々に病気になっているにもかかわらず、それでも反省しようとしない、本当に愚かで薄情な者たちです。

自分たちはその縁ある人たちにお世話になったことはないのでしょうか?

自分のおじやおばなら、小さい時にお年玉でももらった記憶はあるでしょう。またどこかに遊びにつれて行ってもらった記憶があるかもしれない。

家に呼ばれて食事をご馳走されたことがあるかもしれない、そんなことは誰だってあるはずです。

甥や姪なら、それこそ小さい時に遊んでやった記憶があるかも知れない、お年玉でもやった記憶があるかもしれない、服なども買ってやった記憶があるかもしれない、自分の家族でなくても親戚は、やはり小さな時から世話になったり遊んだりして楽しかった記憶があるはずです。

そういうおじやおば、甥や姪まで、自分たちの愚かな行為が元で苦しんで死ななければいけなくなるかもしれないのです。

どこかの会社の人たちは、そのような縁ある人々を苦しめているのが分かっているのに、それでも自分たちの態度を改めようとはしないのです。

私にはともかくです。少しくらいの愛をそのような身内にはかけてあげてはどうでしょう。自分たちが苦しんで死ぬのは仕方ないにせよです。(それだけ法の流布をじゃましているんですから、自分たちが苦しんで死ぬのは仕方ありません)

今のままの行いを続けるのなら、身内にまで迷惑がかかるのです。では、せめて身内に迷惑をかけるのだけはやめようと、その態度を改めてはどうでしょう。

いま態度を改めるなら、少なくとも親戚にまで広がっている災いは止まると思うからです。

せめて、そのくらいの愛は持つべきでしょう。

それさえもなくしてしまっては、何のためにこの世に生まれてきたのか、この世に生まれてきた意味がないからです。(この世に出てきた意味は愛を実践するためです)

あまりに愛がない人が多いため、このような災いは起されています。

このブログを見ている人たちは、愛だけではなく良心までなくしてしまっているのですか?

少しでもよいので、自分の良心にいま自分がしている行いをきいてみてください。

そうすればその分、気づくことも増えてくるからです。

愛の実践を行わなければよいことは起きてきません。良心に恥じないような行いをされてはどうでしょう。

それが人として神の子の人間として当たり前の行為であるからです。

(そういう当たり前の行為さえしていない人が多いと思うんですが…〔だからこんなに災いが起きているんでしょう〕そのような態度は恥ずかしくありませんか?もう少し人として、神の子の人間として恥ずかしくない態度を取られてはどうでしょうか)

0コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。