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8月 21 2017

愛のない行為

いやもう相当やばそうです。

昨日も朝(日曜日にもかかわらず)誰か来て(社長か誰かでしょう)怒っていましたが、今日など引きまくってずいぶん静かです。(もちろんどこかの会社です)

本当に出まくっているのではないでしょうか。(恐ろしい現象がです)普通に出ているだけなら(普通ってどの程度なのかよく分かりませんが)この連中は居直ってやたらキレているだけであるからです。

試しにブログを書いているんですが、細かいことをしてくるだけで全然たいしたことはありません。

やはり相当危ない現象が起きているようです。

そのような危ないことが起きているのはどこかの会社だけではないと思うんですが、まだ、皆さん神に頭を下げようとは思わないのですか?

愛の行為(布施など)を行おうとも思わないのでしょうか。

もう相当に危ないですよ。そういう恐ろしい現象がたくさん現れているのは、そういう自分たちの(愛のない)行為に問題があるからです。

そのような愛のない行為が自分たちに返ってきているだけであるからです。

このブログを読んでいる人たちは、誰に何が起きようが、他の人がどれだけ困ろうが、自分には関係ないとそしらぬ顔をしているだけなのです。(または善人ぶって売名行為の寄付は行う)

そういう愛のない態度ではいけません。もうすでに、このブログを読んでいる人たちを私は徹底的に祈っています。

そのような自分さえよければいいという愛のない態度を直してほしいからです。何年にも渡り、そういう態度を取り続けていてはこのブログを読んでいる意味もないからです。(法を伝えてもらっている人たちが、そういう冷たい人たちばかりではこちらが神に怒られてしまいますから)

だからもう徹底的に祈ることにしたのです。天に、私のブログをいつまでもただで読んでいる人たちを徹底してお導きくださいとです。

そうすれば、天がそのような(いつまでも愛のない行為を続けている)人たちに、次から次に現象を現して正しい道に導いてくださるからです。

そうしないとそのような人たちはいつまでたっても変わらないからです。(そういう人たちがいつまでも変わらなければ、いつまでも不幸は続きます。どこかで変わってもらうしかないのです)

それで(盆の)休み明けくらいから前の会社など激しく現象が現れだしたのかも知れませんが、それは自業自得です。自分たちが愛のないことをしているから愛のないことが起きてくるのです。

早くその愛のない行為に気づいて(心を救われている者に徹底的に嫌がらせしているなど愛のない最たる行為です)その行いを直してください。

そうして、愛ある行為を行ってください。そうすれば今度は愛ある行為が自分たちに返ってくるからです。

そうしないともう滅ぼされてしまうのです。

この会社の連中だけではありませんが、このブログをいつまでもただで見ている人たちは、それだけ多くの罪をつくっているのです。

ここ数年の間、このブログをただで読んでいる人たちが私のいうことを無視していたばかりに、どれだけの災いが起きたと思いますか?

凄まじい台風や凄まじいゲリラ豪雨、地震や竜巻、現在の東京のように異常な長雨や日照りなど、このブログをただで読んでいる人たちのせいで起こされた天変地変は数知れません。

それらは、皆このブログを読んでいる人たちに愛がなかったから起されたものであり、その責任はすべてこのブログを見ている人にあるのです。

しかし、それをどれだけいってもこのブログを読んでいる人たちは理解しようとしないのです。

そうであるならよほどのことをしない限り、この人たちは正しいことに目覚めないということになります。

だから徹底的にこのブログをただで読んでいる人たちを祈り始めたのです。

徹底した現象を現さない限り(口だけでは)このブログをただで読んでいる人たちは絶対に(死ぬまで)変わらないと思ったからです。

だから、早く気づいてください。今この辺りの人たちの起きている災いは、それが(自分たちのした愛のない行為が)自分たちに返ってきているだけだとです。

この辺りの人たちはずいぶん多くの人がこのブログを読んでいるのです。それにもかかわらず、そのほとんどの人が私に感謝一つせず、嫌がらせをし続けているのです。

そのような愛のない行為をし続けているのですから、その愛のない行為はドンドン自分に返ります。

それが自分たちに起きている災いなのです。

愛のない行為とは人によいことをしていないということですから、当然自分によいことが返って来るわけがないのです。(つまりそういう人は災いしか返らないということです)

それは特別この辺りの人たちだけではありませんが、それで、また一つ心に浮かんできたことがあります。

それをお知らせしておきます。

この辺りの人たちだけではなく、すでにこのブログを見ている「東京の人たち」の中にも癌になっている人がいるそうです。(だから近々血尿が出る人でもいるんじゃないですか。このブログをただで見ている東京の人たちにもです。この辺り、そのような人たちばかりですから。先ほどもどこかの会社など電話がかかってきて、急にまた静かになりましたから…出まくっているようです。恐ろしい現象がです)

だいたい、東京の人たちがいいことをしているのなら、そんな天気になるはずがないではないですか。(今日で二十一日連続の雨でしょう)

何で自分たちがしている愛のない行為がいつまでも分からないんでしょうか?東京の人たちも愛のない人が多いのですね。本当に残念です。(涙)

だから他の地域の人たちも、あまり他人事のようにこのブログを読んでいてはいけないということです。

このブログを何年も前からただで読んでいる人たちは(どこにいようと)みな当事者であるからです。

そのような人たちは(自分が気づいていないだけで)ずいぶん愛のない行為をし続けているのです。(その愛のない行為は必ず自分に返ってきます。〔そういう自覚がある、ないにかかわらずです〕お気をつけください)

何かもう続々と(愛のない行為、即ち災いが)現われているようですが(どこかの会社などドンドン電話かかってきてドンドン引いています)このブログをもう何年も前からただで見ている人たちは、みな同じなのです。

もういつ自分がトイレに行き、血尿が出るの分からないのです。(リアルな書き方ですが、事実であるから仕方ありません)そういう現象がこちらは次々に現れています。(そうですよね、どこかの会社の皆さん)

いつまで愛のない行為を続けるつもりですか?

そのような行いが神を怒らせ、災いを呼んでいるのです。

愛ある行為を行ってください。そうすれば愛ある行為が返って来るからです。

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8月 20 2017

それ以外に道なし

昨日夕方、家に帰って来ると、また烈火のごとく怒っていましたね。(もちろんどこかの会社です)また出た人が出たようです。

いいにくいのですが血尿がです。昨日書いたブログが間違っていないことをどこかの会社に確認しましたから。(ブログ間違っていないよな、とです。シーンとしていました。文句ないということでしょう)

やはり次から次に出ているようです。恐ろしい現象がです。しかし、そんな恐ろしい現象が次々に現れていてよく怒っていられるなと呆れます。(そんな現象が周りに次々に起きていて怖くはないのでしょうか?私なら怖くて合掌して神に祈りますが)

本当に恐ろしい話です。心に浮かんできた恐ろしいことがそのまま起きているというのですから。(そんな不遜な態度を取っていて、もっと怖いことが心に浮かんで来たらどうするんでしょう?ほんとに怖いです。神の心を知らない人たちはです)

もう心から神に詫びを入れ布施する以外、救われる道はないと思うんですが、他の道があるんですかね。

だって、そういうことでもしない限り(愛の実践)悪いことが次々に起きるのです。(因果応報です。怒って嫌がらせばかりしているから悪いことが止まらないのです)それはどこかの会社だけではないと思うのですが、何で皆そこまで無理をするのでしょう。

昨日も堀川の帰り、あちこちから人が出てきていました。怒っている人もいれば、渋い顔をした人もいます。

しかし、どういう顔をしていてもです。私に嫌がらせをすればするだけ危ない現象が現れるのですから(何度もいいますが、因果応報です)腹を立てて嫌がらせをしていても仕方がないでしょう。

悪いのは自分たちの方であるからです。

そういう人たちのほとんどは(全員といっても間違いではないと思いますが)私のブログを読んでいるのです。

そういう人たちがみな感謝一つせず、嫌がらせを繰り返しているからこういうことになっているのです。(私など、このブログを書いて常に人の心を救っています。だからよいことが起きてくるのです。これもまた因果応報です)

一昨日の岐阜で起きたゲリラ豪雨もひどかったですね。瑞浪の中央自動車道で起きた土砂崩れなど、復旧のメドが立っていないそうではないですか。

あの辺りは冠水被害もひどようですし、ほんとろくなことが起きません。

この辺りの人たちの多くは、私のブログを読んで心が救われているのですから、それに素直に感謝して、少々の布施くらいするのなら、そのよい行いが自分に返ってくるのです。

そういう人として、当たり前の行為を当たり前に行うなら、よいことが連鎖して、自分の周りに奇跡も起きてくるのです。(実際ウナッシーさんなど、そのようなことが起きていますから)

そのような当たり前の行為さえ出来ないから、悪いことが起きているのです。

よい連鎖を自分で止めているから悪いことが起きているのであって、それを私のせいになどするから、今度は悪い連鎖が始まり、それで多くの人が不幸になっているのです。

では、その自分たちのしている悪いことに自分で気がついて、自分でその悪いことをやめない限りは、その自分たちに起きている悪いことは止まらないということになります。

その自分たちに起きている悪いことの原因は(私にではなく)自分たちにあるからです。

それを認めて反省してください。それ以外で救われる道は(その災いが止まる道は)ないからです。

しかし、この辺りだけではなく昨日は東京もまた凄い天気になりましたね。(東京も相変わらずです。〔苦笑〕)

世田谷区かどっかでしたっけ、凄い雨と風で落雷までありけが人まで出たとか、いやはや東京もまた凄まじいことが起き続けています。(昨日で十九日連続の雨でしょう)

関東や東北など、今週少し天気がいい日もあるようですが、来週には今度は秋雨前線の影響で(もう秋雨前線が発生するのでしょうか。少し早くないですか?)また天気の悪い日が続くとかいわれていますが、大丈夫ですか?

東京の方々、関東、東北をこれほどの天気にしてしまってです。(これは下手すると記録的な日照不足となって、農家など大打撃ですよ。ほんとムチャクチャしています。〔大汗〕)

東京の人たちも、いい加減、不義理はやめて、このブログを見ている人が感謝の心で私に布施くらいしてもらえませんか?(東京など儲けている人が多そうですし。〔苦笑〕)

そうすればそんな天気など一変に変わるからです。

皆さん方が、報恩の行為を実践されるなら、悪い予報も大外れするのです。一度試されてはどうでしょう。

こちらの人たちと同じようにいつまでも神の心に逆らっているばかりではなくです。(そうすれば多くの人も救われるからです。天気がよくなれば救われる農家の人たちも多いですよね)

そうしないと、今のままでは(誰も布施しなければ)その天気予報は当たるでしょう。そうして記録的は日照不足となってまた大きな被害が出るのです。(そればかりか、その秋雨前線の影響でまた大雨になるかもしれませんし…多分なるでしょうね。それは起きているゲリラ豪雨を見れば分かります)

どちらにしても、このブログを読んでいる人々が神の心に逆らい続けているせいで、もう日本中に大きな天罰がくだり続けているのです。(それだけは確かですよね。見れば分かります)

ウナッシーさんのように、神の心に従ってください。

そうすれば、このような天気は変わり、起きている災いも収まってくるからです。

しかし、それには従わないと、自分は自分で勝手だろうと、このブログを散々見ていながら、そのような態度を取り続けるのなら、別にそれはそれでかまいませんが、そういう人が多ければ多いほど、ひどい天気は続き、また恐ろしい災いも起きる頻度が増してくるということです。

法にかかわった人は、程度の差こそあれ、その法に協力するのが当たり前のことであるからです。

本当の神の教えを知らされて何もしない選択肢など、神の子の人間としてありえないからです。

その当たり前のことを(無神論であった)日本の人々はただ知らないだけなのです。

それをいつまでも知らないままでいるなど、これもまたありえません。

これほどの現象が現れ続けているのです。(しかも、もう何年にも渡ってです)もはや神の教えに従う他ないと分かりませんか?

いつまでもそれを(多くの人が)分からないふりをしているから、よいことが起きてこないのです。

最初からこの道しかなかったのです。この神の教えに従う道しかです。

それが分かっていながら、いつまでも逆らっているから、いつまでもよいことが起きてこないのです。

この神の教えに従って、その教えが示す道を進んでください。それ以外で幸せになれる道はないからです。

(その道から多くの人が外れているから、多くの人が不幸になっているのです)

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8月 19 2017

因果応報

昨日は東海地方のあちこちで激しいゲリラ豪雨となりました。(愛知県や岐阜県などで川の氾濫や土砂崩れが相次ぎ、冠水被害もずいぶん出たようです。相当な局地的大雨であったようです)

私は昨日、庄内川に行っていたのですが、ついたとたんに凄い雨になり、仕方がないので一号線にかかる一色大橋の下で雨がやむのを待っていましたが、三十分くらいは凄い降り方でしたね。

昨日は庄内川の水位が異様に高く(あれだけ水位が高かったのは初めてですね。岸まで水が来ていましから。岐阜県で雨がたくさん降ったのでその影響ではないかと思われます)そのうえ激しい雨です。少々ビビりましたね。

こういう時に遭難するんだろうなと思ってです。(苦笑)

しかし、それほどの凄い雨にもかかわらずです。気がつくと何か動くものがあちこちにいます。「んっ」と思ったらそれは全部カニでした。(全部で十匹くらいいましたかね)

「お前らこんな天気なのに出てきたのか」と少々驚きました。

何で私が来ているのが分かったのか(それとも元々そこにいたのか)よく分かりませんが、どちらにしても可愛いものです。

凄い天気の時でも無表情な顔をして平気で寄ってくるからです。

そのようなカニたちが寄って来たのでこちらも元気つけられましたが、しかし、目の前は凄い水量の川で周りは激しい雨です。

まったくなんて天気だと呆れましたね。

だからといって、別に天気に呆れたわけではありませんが。こういう天気を何度も現している、このブログを読んでいる人たちに呆れていたのです。

意地でも布施など出来るかということでしょうか。誰一人布施しようとしないのですから、呆れるのを通り越してもう恐れ入ってしまいますね。(苦笑)

このブログを見ている人は誰も心が救われたことを恩とも思わないのでしょうか?

昨日東海地方が激しい雨になったのも、それだけこの地方にはこのブログを読んでいる人が多いからではないでしょうか。(この辺りだけでもずいぶん多くの人が読んでいます。東海地方の多くの人が私のことを知っているのです。では、このブログを読んでいる人も〔読んだことがある人も〕東海地方には多いでしょう)

そういう人たちが無視を決め込んでいる、これ以上、天に対する不遜な行為もありません。

だから昨日の東海地方は、あのような天気になったのではないかと思われますが、これ以上、天を怒らせない方がいいのではないでしょうか、というのも一昨日のことです。

その日ブログに、どこかの会社の連中を「ずいぶんやけくそでキレている」と書いたのですが、実際そうでした。

ブログを書いていると凄い怒りようなのです。ドンドンガンガン、あまりにうるさかったのでこちらまでキレたくらいです。

それほどうるさかったので、ブログを書き終えるとさっさと違う部屋に行って昼飯を食べていました。すると、昼にも何か起きたようでまた騒いでいるようでした。

その前の日くらいから(だから盆休み明けの十六日の水曜日くらいから)何かこの連中(いつも以上に)様子がおかしいのです。

何か社内で起きっぱなしのようで(次から次に何か起きているようで)ずっと騒がしいのです。

それが何かよく分からなかったんですが、一昨日ブログを書いた昼からのことです。あることが心に浮かんできました。(ゾッとするようなことでしたが)

それでその日、家を出て行く時に前の会社に向かってそのことを確認したのです。

「ちょっと確認するけど、便所に行く奴が次から次に血尿が出ているんだな。それで間違いないな」とです。(そういう思いが上がってきたものですから)

そうしたら一変で引いていました。

どうもその通りのことが起きているようでした。その前日から、そういう恐ろしい現象が次々に現れていたようで、それで社内が騒がしく、この会社の連中がやたらキレていたのです。(あまりに恐ろしい現象が次々に現れたからパニくっているのでしょう)

そうして、その現象は今もって続き(昨日も起きていたようですし、今日もすでに起きています)もうどうしようもないような状況のようです。(怒りながら引いています。先ほどそのことを確認したら〔いった通りのことが起きているのかとです〕やはり間違いないようでした。確実にそのような恐ろしい現象は起きています)

どうも凄まじい現象が起きだしたようです。さすがのどこかの会社も真っ青のようです。(ほんと大丈夫なんでしょうか。そんな状況でまだ嫌がらせなどしていてです)

しかも、そのような現象は(どこかの会社だけではなく)この周りのあちこちで起きているようなのです。(どうもそんな感じですね。この近所は)

しかし、そういう恐ろしい現象を私のせいにしてキレられてもです。それは私のせいではありません。どう考えても自分たちのせいでしょう。(ずいぶん天も怒らせているのだし)

よく自分たちの行いを考えてみて下さい。

この辺りの多くの人が、私のブログを読んでいて、私に神や心のことを散々教えてもらい、心まで救われていたにもかかわらず、そのことには少しも感謝せず、その私に嫌がらせをし続けているのです。

そうして、そのような(恩を仇で返す)行いを続けていたために起きだした、サイレンや悪いことまで全部、私のせいにして、私を怒り憎んで、もっとひどい嫌がらせをし続けているというのです。

しかも、そういうことをしていたのは一人や二人ではありません。多くの人が、そのような悪い行いを何年にも渡り私にし続けていたというのですから、あまりといえばあまりの行いでしょう。

これだけ悪いことを多くの人が何年にも渡りしていれば、そういう人たちにそれなりの恐ろしい現象は現れてくるのです。

その悪いことを自分がしている自覚がある、ないにかかわらず、自分のしている行いは必ず自分自身に返って来るからです。

因果応報です。

そういう(恐ろしい)ことが起きている人は自分の行いをよく考えてみることです。自分が気づいていないだけで、ずいぶんひどいことをしている人が多いと思うからです。

私が人を病気にしているわけではないのです。

自分の行いが自分に返ってきているだけなのです。

私のこと一つ取ってもそうでしょう。ほとんどの人が私に対する態度はみな悪くないと(間違っていないと)思っていたのです。

しかし、私に問い詰められると(人のブログを見ていて散々心が救われたくせに、感謝一つせず、嫌がらせをしていたのか)顔を青くして下を向く人がほとんどなのです。

ほとんどの人が自分の悪いことにまるで気づいていなかったのです。私にそういわれて初めて自分が悪いことに気づく人が多いのです。

では、普段の行いなど考えたら(自分が気づいていないだけで)どれだけ悪いことをしているのか分からないくらいです。

そういうしている行いが自分に返って来ているだけなのです。

だからこの辺りの人に悪いことが多く起きているのなら、それは、それだけ悪いことをしている人が多いからでしょう。

もし、どこかの会社で起きているようなことがこの辺りに次々に起きているのなら、その意味はお分かりでしょうか。

なぜ、自分たちは次々に癌になっているのか、という意味がです。

癌の末期は薬では痛みが取れないそうです。癌になって死ぬ時は、痛みが死ぬ間際まで続くそうですが、つまり癌になれば最後は苦しんで死ななければいけないということです。

そういう苦しみの順序をもらうということは、それだけ人を苦しめているということなのです。

つまり、この辺りで癌になる人が多いのは、それだけ私に嫌がらせをしている人が多いからです。

そのような行いが自分自身を癌にしているのです。

私は多くの人から嫌がらせを受け苦しんでいるからです。

その苦しみも考えず、平気で私に嫌がらせをして来る、だから、そのような人は私と同じ苦しみを味あわなければいけなくなるのです。

それも因果応報なのです。

「何で嫌がらせしたくらいで…」と多くの人は軽く考えているのでしょうが、私に嫌がらせをするということはです。

恩を仇で返しているということであり、それでは自分に返ってくるお返しも(苦しみも)当然倍になります。

嫌がらせで私に与えた苦しみプラス心を救われた恩を仇で返した分。それに私は多くの人から嫌がらせを受け、その人が思っている以上に苦しんでいます。

そのような諸々のお返しが一変に私に嫌がらせしている人に返るのです。

そのお返しは、自分が考えているような(たかが嫌がらせしただけという)軽いものではないのです。

だから、私に嫌がらせをしている人に癌になる人が多いのです。

その人が理解していないだけで、私に対する嫌がらせは必要以上に悪いことであるからです。

まして、どこかの会社の連中など、その嫌がらせが激しいばかりでなく、私に嫌がらせをするためにどれだけ大きい音を立てているのか分からないくらいなのです。(下手すれば、町中に響くくらいのでかい音を立てますから)

ということは、どれだけ多くの人に苦しみを与えているのか分からないということになります。

では、必然的にそのお返しも大きなものとなります。している悪が大きいからです。

いま起きている現象は(トイレに行くたびに次々に血尿が出る)その(私だけではなく)多くの人に与えている苦しみが自分たちに返ってきているだけなのです。

だから、そのことをよく反省し、よいことを行わない限り、その現象は止まらないということです。(それがよく分からなければ私にききに来た方がいいでしょう。私が祈らない限り、その現象を〔とりあえずでも〕止める手立てはないからです)

これは何も、どこかの会社だけではありません。このブログを見ている人たち全員にいえることなのです。

私は何度もいっています。このような激しい天気になっているのはこのブログを読んでいる人たちのせいであるとです。

では、このような天気になって苦しみを与えられている人は、一体どれくらいいるのかお分かりなのでしょうか?

例えば、この一ヶ月だけでもそうです。

激しいゲリラ豪雨が何度も起こり、川の氾濫や土砂崩れが相次いで、冠水被害は数知れず、そうしてあの超スロー台風の五号のせいでどれだけ大きな被害が出たのか分からないくらいで、その後もしっかり晴れることなく、日照不足などで農家や消費者から悲鳴が上がっています。

そういう多くの人に苦しみを与えているのは、まぎれもなくこのブログを読んでいる人たちなのです。

それは、どれだけとぼけようが、知らん顔をしようが、事実は事実なのです。(それが間違っていないということは、私に起きている奇跡が証明しています。私は間違ったことを書いていないから奇跡が起き続けているのです)

だから、どこかで必ずこのお返しはあるということです。このブログを読んでいる人たちにです。(すでにお返しを食らっている人もいるようですし)

つまり今のままでは、このブログを読んでいる人は誰も幸せになれないということです。それだけの不義理を天に向かってしているからです。

心を救われているのに何の報恩の行為をしないではこれほどの不義理はありません。

そうして、そのような態度を長年続けたばかりに、これだけ天を(神を)怒らせ、これだけの多くの人に苦しみを与えているのです。

それはごまかしようがない事実なのであり、だから私はいっているのです。布施してくださいとです。

何度もいいますが、これは私のためではないのです。私に対する布施は自分たちが(このブログを読んでいる人たちが)している天に対しての不義理を反省する行為でもあり、その布施でこの教えが大きく拡がっていくのであれば、それだけ救われる人も増えてくるということで、自分の徳にもなります。

それに、そのような善の行為は必ず自分に返ってきます。

これまでの反省も出来、徳にもなり、そうしてよいことも自分に返ってくる、これ以上のよい行いもありません。

だから、それを行わなければいけないと私は何度もいっているのです。

それ以外では、これほどの罪を償う方法もないからです。

そうして、もし、このまま布施を無視する態度を続けるのであれば、必ず、そのつけは自分自身に返ってきます。

その罪は、自分が考えている以上に大きなものであると自覚しないといけないのです。

そんなバカな、と思っている人は必ず後で大きな苦しみを味わうことになるのです。それだけの苦しみをこのブログを見ている多くの人はすでに(多くの人たちに)与えているからです。

どちらにしても、そのような行い(反省の行為)をしない限りすでに自分たちが負った罪は(そういう自覚がある、ないは別にしてです)消えることはありません。

すでに、そのよな恐ろしい現象が(恐ろしいお返しが)激しく現われ出している人もいます。

このブログを見ている人たちは、いい加減、理解してください。自分たちがしている罪の大きさをです。

それを理解し反省の行為を行わない限り、天気がよくなることも、恐ろしい現象が止まることもないのです。

このブログを読んでいる人たちの(神に対する)自覚を促すほかありません。それ以外で、起きている恐ろしい現象を止める手立てはないからです。

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8月 17 2017

続、おかしな信仰

今日も無理してやっています。(いつもの嫌がらせです)

昨日は休み明けでした。どうせやってくるだろうと思ったら案の定、いろいろちょっかいをかけてきたものですから、ずっと祈っていたら、その後いろいろ起きたようでした。

社内で大騒ぎをしていましたから。(夕方も帰って来ると怒っていましたから)

そういうバカの相手もほどほどにして、まだ時期も時期ですし(お盆)もう少しおかしな信仰のことを書いておきましょう。

同じく正法誌の1979年十月号より抜粋します。

<女の信仰

お産は女の大厄であるという言葉は、今でも地方に行くとよくきく、女が無事出産をして、無事に育児することが出来ることは女にとっては最高の喜びであった。こうした女の心にこたえるようにしてつくりだされた信仰が、子供がお腹の中にいる時は地蔵様が守ってくださるという子育て地蔵の信仰であり、また無事出産し育てることが出来るようにという願いによって生まれたのが、子安観音、子育て観音の信仰であった。また、子供が授かりたいという人のためには子授け観音がつくられた。また「間引き」と称して、生まれるとすぐ窒息死、圧死された子供の霊を慰めるために、女の人たちは悲しい思いを持って、小さな地蔵を刻んで霊を慰めた。便所神はきれいであることを喜ばれるから、便所をきれいにするとお産が軽いという便所神の信仰もあった。

当時の人にとっては、お陰があるものであれば信仰の対象は、神であろうが仏であろうが、石であろうが、何でもよかったのである。日本全国津々浦々にある小さな祠は、庶民のささやかな幸せを願う心から生まれたものである。

5、菩提寺

先祖の供養をすることを目的としている菩提寺は、寺領を取り上げられても一変膨張した寺の経営を、急に縮小することは出来なかった。本来なら縮小しなければならないところであるがそれをしなかったばかりか、さらに檀家から金を取る方法を考えた。それが戒名に段階をつけることと、年忌供養の回数を増やすことであった。

戒名をつけるという風習はインドにはない。まして、金額の多い少ないによって戒名が違うということもない。値段の高い戒名をつけたからといって、亡くなった人がそれだけ救われるということはない。位牌は中国の儒教の影響でつくられたものである。死後の年忌供養もインドにはない。身内の者一同が一緒に集まって故人を偲び、生きている身内がそういう機会に親しみを図るということは、日本独特のうるわしい風習ではあると思うが、一回忌、三回忌、十三回忌、三十三回忌、五十回忌などの年忌供養をしなければいけないとは、お釈迦様は教えられていない。特定の日に、特定の人が坊さんに頼んで廻向することは、お釈迦様の意志に反すると親鸞上人はいっていられる。

「親鸞は、父母のためとて、一変も念仏したること、いまださふらはず」と歎異抄にのべられている。お釈迦様はその人の死後の運命は、その人の生前の行為によって定まるもので、他人が関与することは出来ない、まして、僧が死者の葬式をしてはならないといっていられます。

仏教が葬式仏教であり、観光仏教であるといわれるようになってから久しいにもかかわらず、仏教界自体の中からは、いまだに改革の声はあがってきていない>

園頭先生が書かれていますように現在行われている信仰は、人の弱みに付け込んだり、情に訴えたり、自分たちの金儲けのために行われているものがほとんどで、本当の正しい信仰ではないのです。

だから、そういう信仰をいくらしても奇跡らしい奇跡が起きないのです。

釈尊は僧が死者の葬式などしてはいけないといわれていたのです。(釈尊在世当時のインドでは、僧が死者を埋葬するのではなく在家の信者が死者を埋葬していました)

僧は亡くなった人を救うのではなく、生きている人を救わないといけないからです。(生きている人を救うのなら、必然的に亡くなった人も救われていくのです。亡くなって地獄に堕ちている人など生きている人を見本にするからです。だから生きている人が立派な生き方をしていれば、それを見習って地獄に堕ちている霊も自分たちの生前の行いを反省し救われていくのです)

だから、いま亡くなった人にお経を上げている坊さんなど間違ったこと(意味のないこと)をしているのであり、まして戒名にせよ、位牌にせよ、年忌供養にせよ、坊さん側の商売以外の何ものでもないのであって、ああいうことをしなくても、天上界に行ける人は行けるし、地獄に堕ちる人は堕ちるのです。

死後、天上界に行くのも、地獄界に行くのも、すべて、生前の自分の行い次第なのであり、死んだ後、坊さんが何をしようが亡くなった人には一切関係ないということです。

今年の盆を境に正しい信仰に目覚められてはどうでしょうか。

それが一番、救われていく道であるからです。

(正しい信仰をしているから祈ると現象が現れるのです。お分かりですか?どこかの会社の皆さん…ずいぶんやけくそでキレいているようですが、だから悪いことが起きるのです)

追伸…東京は今日も雨のようですね。

今日で十七日連続の雨ですか…これほどの天気が現されているというのに、誰も神の心に気づかない(気づこうとしない)というのですから驚きますね。

その東京の天気などもです。来週からよくなるようなことを天気予報ではいっていますが、そういうのを信じてもあまり意味はないですよ。

別に天気予報が当たらないといっているわけではありませんが、天気など、このブログを読んでいる人たちの行い次第でいくらでも変わるからです。(よい方にも悪い方にもです)

東日本は日照不足で雨が降り続き、西日本は猛暑、そうしてところどころでゲリラ豪雨(しかも凄まじいです)こんな極端な天気になっているのは、すべて(すべてです)このブログを読んでいる人たちが(法を伝えてもらっている人たちが)法に協力しようとしないからです。

実際、二、三ヶ月前に出ていた天気の長期予報がまったく外れているのです。(その長期予報では今年の夏は記録的な猛暑となりかんかん照りが続くといわれていましたから。東日本など大外れです)長期予報がこれだけ外れるのも珍しいでしょう。

最近の天気予報はわりと正確であるからです。その天気の長期予報を大外れさせたその原因は、もちろんこのブログを読んでいる人たちであるということです。

台風五号もそうです。すべて、このブログを見ている人たちが法に協力しなかったからこれだけの不幸が起きたのです。

皆さん方が不義理を繰り返しているため、日本中で災いが起きているのです。

何度もいいますが、法を教えてもらうということはそういうことなのです。大きな責任がついてくるのです。

自分さえよければいいなど通用しないのです。そんなことを法を知らせてもらった人がしていたら、法は拡がらなくなってしまいます。

それは一番天が(神が)望んでいないことであり、そういうことを多くの人がしているから、これほどの天気を現されるのです。(天気ばかりではありませんが)

法を伝えられた人は、それなりの責任は果たさないといけないのです。

布施が集まらねば法が説けなくなります。布施をお願いします。皆さん方が、それを無視しているからこれだけの不幸が起きているのです。

何度もいいますが、布施してください。お気持ちだけで結構ですから。私は決して無茶なことをいっているわけではないのです。

当たり前の筋をいっているだけなのです。

(どれだけ不幸が起きたら分かりますか。このようなひどい天変地変が法を伝えてもらっている人たちのせいであるとです)

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8月 15 2017

おかしな信仰

昨日のコメントにも書きましたが、今年のウナッシーさんなど見てもらえれば分かると思いますが、この法を実践して感謝の心で布施されると次々に奇跡が起きてくるのです。

こういうのを「お陰がある」というのであって、どこどこのお寺が霊験あらたかだから、そこにお参りしたからお陰があるとか、どこどこの有名なお寺でお参りしたからパワーをもらったとか、そういうことをいっていても、後で奇跡が起きてこないようでは何のお陰もないのであって、そういうあちこちのお寺や神社に行ってお参りすれば、それでお陰があると思い込んでしまう、このような無節操な信仰の仕方が一体いつから始まったのか、ちょっと書いておきましょう。

正法誌の1979年十月号から抜粋します。

<3、祈祷寺、流行仏

徳川幕府は1631年(寛永八年)宗教統制の必要上、新しく寺をつくることを禁止する、新地建立禁止令を出した。幕府の保護を受けられない寺が、寺の経営を成り立たせるためには祈祷寺としていろいろの祈祷(きとう)をして祈祷料をあげる以外になかった。檀家がないから、いきおい多数の人を集めて、その霊験を説くことに熱中し、また霊験あらたかだとして諸仏菩薩などの像を安置して拝ませてお賽銭をあげさせる以外になかった。

本尊の外に、不動明王、勢至、観音、薬師、弁天、水天、聖天、大黒天、愛染明王など、とにかく何でもかんでも寺の境内に祭って収入をあげることを考えた。そうして縁日をこしらえた。八日は薬師、十五日は阿弥陀、十八日は観音、二十四日は地蔵、二十八日は不動明王の縁日として開帳して人を集めてお賽銭をあげさせる。正月と盆の十六日は「やぶ入り」と称してお参りをさせる。

縁日をひらいて開帳しても足を運ばない人からも金を集める手段として考え出されたのが「お札」を配るということであった。「お札」をはってそれを拝むと、直接、お寺や神社に足を運ばなくても足を運んだのと同じことであるというのである。

現世利益を願い、苦しみから逃れたいと思っている民衆に対して、坊さんたちは、仏教とは関係のないバラモンの神々である帝釈天、弁財天、吉祥天、水天、聖天などを拝ませたことが、ますます仏教というものを分からなくさせてしまった。

江戸時代の民衆の「おかげがあれば見境いなしに何でも拝む」という江戸時代独特の信仰は、今でも続いている>

この園頭先生が書かれた正法誌を読まれれば、お寺や神社に行ってお参りしても何のお陰もないと分かるはずです。

なぜなら、このようなことは(いろいろな寺などに行ってお参りさせることは)宗教的な意義があって始まったことではなかったからです。

仏像を拝ませたり、縁日などと称して人を集めたのは、その寺の生活のために始めたことであり、ただの商売であったからです。(人によっては衝撃の事実でしょうが、しかし、事実は事実です)

宗教的な意義がまったくなく、商売でしているものにいくら祈ったところでお陰があるわけがありません。

だからそういうところにいくら行って祈っても、何の奇跡も起きないのです。まったくお陰がないからです。

それをあるように見せているだけなのです。その寺の生活のためにです。

だから現在の寺は(はっきりいうなら)詐欺団体であるということです。そうして、そのようなところにお陰があると思いこんでお参りに行っている人たちは、詐欺に騙されお金を取られている(お賽銭など出してです)哀れな被害者であるということです。

今の坊さんたちが、このような事実を知っているのかどうかは知りませんが、知らずにやっていたとしても悪いことは悪いことです。(寺が、このような宗教とは縁もゆかりもない商売を江戸時代から急に始めたのですから)

そこに来てくれた人を本当に救いたいのであれば、こんなことをやらせているより、自分が説法されることです。

本来、坊さんとは、人の心を救ってその代償として布施をもらって生活するのが、正しい坊さんのあり方であるからです。(釈尊やキリスト、皆そうです)

そういう点でいうなら、私がしていることこそ本来坊さんがしなくてはいけないことなのであり、その坊さんたちがしなくなった本当の正しい信仰の仕方を実践しているのが私なのであり、だから、私のいっていることを実践すると奇跡が起きるのです。

私がしていることこそ、正しい信仰の仕方であるからです。(物に祈るのではなく〔こういうのを偶像崇拝というのです〕正しいことの実践)

とはいえ、別に私が特別なことをしているわけではありません。昔から坊さんたちがしていたことをしているに過ぎないのです。

今の坊さんたちが(坊さんたちだけではありませんが。今の宗教家といわれる人たちがです)大きな間違いをしているだけなのです。

おかしな信仰をいつまでも続けていても何のお陰もありません。

正しい信仰に目覚めませんか。

正しい信仰を始めない限り、本当に救われる道はついてこないからです。

追伸…あちこち回ると本当によく分かります。私のブログを読んでいる人たちの多さがです。(昨日でもそうです。「このブログを見ている人がコロコロ…」といって回っていたら、ゴロゴロ私のブログを見ている人が見つかりました。この脅し文句は〔本当の脅しかどうかは知りませんが〕私のブログを読んでいる人を見つける分には本当に効き目があります。〔笑〕)

しかし、これだけ多くの人が私に心を救われているにもかかわらず、感謝の変わりに嫌がらせをし続けていたというのですから呆れますね。

昨日も、そういう話をするといやらしそうな顔をして歩いていく人がたくさんいました。(ほとんどの人がそういう態度ですね。〔少しは良心があるようです〕怒り出す人もいますが、そういう程度の低い人は十人に一人くらいです)

それで、そういう人たちは、ただいやらしそうな顔をして歩いていくだけでそれでよいのですか?いまだ私に心を救われ続けていてです。(そういう人の中にも、まだ、このブログを読んでいる人も多いんでしょう)

布施くらいされたらどうですか。それだけ罰当たりなことを続けていたのだし(というか、心が痛みませんか?私に対してです)どちらにしても、それくらいの愛の行為は行わないと、そのままではもうよいことは起きないからです。

せっかく法と巡り合う幸運を得たのです。少しくらいの愛の実践は行うべきでしょう。

それに東京の人たちもそうです。

何か東京は今日で十五日連続の雨だそうですね。八月にこれだけ雨が降るのは四十年ぶりとのことですが、前に発表された天気の長期予報では今年は記録的な暑い夏となるということでした。(だから、その暑さのせいで景気もよくなると期待されていました。それだけ暑ければエアコンなどもよく売れて、ビールなどの飲食も、そうして海や山やプールなどにも人がよく出てです)

その予報が大はずれして(まったく真逆の天気ですから)売れるものも売れず、人も出てこず、また農家の人たちも大迷惑している(夏野菜がこの天気で不作でです)その原因はすべてこのブログを見ている東京の人たちにあるのです。(それはもう自覚のある人も多いのではないでしょうか。だからテレビのニュースなど出ている人は「今日も天気が悪いですね」というのではなく「この天気が悪いのは私のせいです。どうもすいません」と謝らないといけないのです。〔苦笑〕)

だから東京の人たちも心を入れかえ少しくらいの報恩の行為はされるべきなのです。

すべては法を教えてもらっていながら、報恩の行為をしようとしない人々が原因でこのような災いは起きているからです。

正しい信仰とはこういうものなのです。(必ずお陰があるのです。よい方も悪い方もです)

本当の神の教えを教えてもらったのなら必ず(必ずです)報恩の行為はしないといけないのです。

それが教えてもらった側の義務であるからです。

それをしないから(その義務を果たそうとしないから)悪いことが起きてくるのです。(それも、もうとっくに気づいている人が多いと思いますが。気づいていてやらないのです)

その悪いことは、自分たちの間違いに気づくまで続きます。(その間違いを直すまで続きます)

早く気づいてください。(早く直してください)法を教えてもらっている人たちが間違いに気づかなければ(間違いを直さなければ)災いはいつまでも続くからです。

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