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8月 14 2017

哀れな国

ウナッシーさんには次々に奇跡が現れているようですね。(祈りで子供さんのひどい湿疹が治ってしまうなど、キリスト並みの癒しですね。〔笑〕)

法の実践をされる人が少ない中、特に布施の実践など誰もしていない中(このブログを読んでいる人たちはです)月に一度必ず布施をされる、そのような(多くの徳を得る)実践をされているウナッシーさんの祈りを神がきいてくれないはずがありません。

キリスト並みの祈りの奇跡も起きるでしょう。

この辺りの人たちも少しは見習えばいいのに(皆、私のブログを見ているのですから。〔苦笑〕)そういうところは頑として見習おうとはしません。(というか、逆らいまくりです)

それではモーゼ並みの災い(過越の祭り)が起されるのもまた仕方がないことでしょう。それほどの悪いことをこの辺りの人たちはし続けているからです。

さて、それはそれとしてです。

昨日北朝鮮のことを少し書きましたが、その北朝鮮が今度は潜水艦のミサイルの発射準備まで進めているとか何とか、また昨日ニュースでいっていました。(もう連日〔盆だというのに〕北朝鮮のニュースばかりです)

なんでも力ずくで解決しようという哀れな行いを、この国はし続けているようですが、そんな哀れな北朝鮮のような国にどう対処したらいいのか、ちょっと書いておきましょう。(政府が用意しているPAC3でも潜水艦からぶっ放されたらどうしようもありませんよね。どこから撃つか分からないんですから)

園頭先生が書かれていた正法誌の1979年(昭和五十四年)の九月号に次のようなことが書かれてあります。

<昭和四十九年十月であった。私は「なぜお釈迦様が二千五百年して日本に生まれることを予言されたか」ということについて、高橋信次先生にきいたことがあった。

その時に「如来は、未来のこともすべて見通す力を持つのである。日本に生まれることを予言したのは、二千五百年たった時に日本が世界に大きな影響力を持ち、正法(法)を説くにふさわしい国になることが、分かっていたからである。日本という国があって、正法が全世界にひろがっていくのであり、日本という国がだめになれば正法が説けないことになるから、日本という国は、どんなことがあっても守られるということになるのである。たとえばソ連が、日本を侵略しようと意図すれば、必ずソ連には食料飢饉が起こり、ソ連の国内に問題が起こって、日本に手を出すことが出来なくなってくるのである」といわれた。

ソ連は昨年も小麦が不作であった。今年もすでに大不作である。先般、ソ連が、アメリカの小麦を大量に買付けたことが新聞に載っていた。

ソ連がどんなに軍隊を持っていても食料がなければ軍隊を動かすことは出来ないだろうし「いよいよという時には、ソ連には国内に暴動が起こるのである。日本は米がたくさん取れることになっているのである」といわれた。

日本という国は、全世界に正法をひろめる基礎となる国なのであるから、日本という国は愛していかなければならないのである>

実際に釈尊の予言の通り、現在の日本は世界に大きな影響力を持つ国になっていますが、しかし、釈尊の教えは説かれてはいません。

この正法誌に書かれた部分の「ソ連」(現在はロシア)のところを北朝鮮に置き換えて考えてもらえれば(あるいは中国にでもいいんですが)分かると思います。

この法さえ日本に拡がるなら、このようなことが(食料飢饉や暴動が)その国の国内に起きてきて、日本にかまっていられなくなるのです。(もっというなら、米が毎年豊作なのは、日本に法を説く使命があるからです。その使命がなければ、日本人の主食である米が毎年食べきれないほど取れるということもないのです。ひどく不作の年があってもおかしくはないのです。そういうところでも日本の人々はこの法に感謝しないといけないのです)

しかし、日本にどれだけちょっかいをかけても、このような国々(北朝鮮や中国)にそのようなことは起きてきません。(実際は起きているのですが〔食料飢饉や暴動などはです〕日本にかまっていられなくなるほどのことは起きていません)

それは日本が真の使命を果たしていないからです。(釈尊が〔高橋先生が〕説かれた法を世界に拡めていないからです)

二千五百年前からすでに決められている大きな使命を(正法神理を世界に伝える)日本の多くの人々が反故(ほご)にしようとしているのです。これでは日本にいいことが起きてくるわけがありません。

だから悪いことばかりが起きているのです。(数々の天変地変や多くの災い)

そのことを分かっている人がたくさんいるにもかかわらず、それでも無視している。

本当に哀れな国とは、神から与えられた大きな使命が分かっているのに、それを無視し次々に災いを受けている、この日本であるのです。

追伸…最近、奇跡ばかりが起きている(別に災いばかりが起きている人たちへの皮肉ではありませんが。〔苦笑〕)ウナッシーさんにちょっとおききします。

去年はウナッシーさんは私に布施をされませんでした。そうして今年は毎月のように布施してくれています。

その去年と今年で(つまり私に布施をしている時としていない時で)起きてくることに何か違いはありますか?

もし、あるようならその違いを教えてください。(なければ別にいいです)

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8月 13 2017

奇跡と災いの境目

さすがに今回ばかりはずいぶん静かになったようです。(運転手以外の人たちはですけど)反省する人もいるのではないかと思われます。(心を救われている人に嫌がらせを続けていた、さすがに負い目はあるでしょうね)

それでもまだ怒って嫌がらせして来る人もいるにはいますが、少ないですね。そこまで程度の低い人たちはです。(だから昨日、怒って私に嫌がらせをしてきた人たちは一部の心の低い人たちであるということです。少しは反省されてはどうでしょう。そのような心の低い人たちもです)

これでまた元に戻ってしまっては意味がありません。(そういうことがこれまで何度もありましたから)今回は(今だけではなく)心から反省される人が出て来ることを願ってやみません。

そうしないと、今回もまた戻るようなら(また、お前が悪いと多くの人がいい始めるようなら)天の怒りは相当なものとなるからです。

それこそ一変に多くの人が実在界に引き上げられかねません。

今回ばかりは、素直に反省されてはどうでしょう。何度もいいますが、悪いのはすべてそちら(このブログを読んでいる人)の方であるからです。

この辺りの多くの人たちが(それもかなりいますね。大人から子供までです)このブログを読んで心が救われていたにもかかわらず、それには一切感謝しようとせず、嫌がらせをし続けていたのです。

しかも、そのような自分たちの悪行が原因で起きてきたサイレンなどの悪いことを、すべて私のせいにして本気で怒って、大勢でよってたかって嫌がらせを繰り返していたのもまた事実なのです。

しかし、そういうひどい嫌がらせを私にしておきながら、このブログだけは読み続け、神や心のことを私からきき続け、自分たちの心だけは救われていたというのですから、これだけ都合のいい話もありません。

そんなひどい(わけの分からない)ことを多くの人が平気でしているから、ドンドン悪いことが起きてくるのです。

そうして、それ(その悪いこと)まで私のせいです。いくらなんでもやりすぎでしょう。

そんな態度を取っていた人たちは、そのままでは全員が不幸になるのです。自分たちの態度があまりに悪すぎるからです。(あまりに愛がなさすぎるからです)

だから今回こそは反省しないといけないと私はいっているのです。

ここまでの(悪い)ことを何年にも渡り続けていて、それでも反省しないというのであるなら、さすがに天もここまでと、多くの人を引き上げてしまうであろうからです。(もちろんあの世、実在界にです)

そのような傾向がすでに出ているのです。(どこかの会社やこの近辺にはです)

だから怒っている人や引いている人が増えたのです。それだけ恐ろしい現象が起きる頻度が増しているからです。

そのようなこの辺りの人たちだけではなく、ただでさえ日本はひどい目にあっているのです。

よく考えてみて下さい。日本の隣には中国のような大国や北朝鮮のような独裁国家が存在しているのです。(今回その北朝鮮がグアム近郊にミサイルを発射するとか何とか騒いでいますが、今はそちらよりこちらの人たちのことを優先しなければいけません。そうしないとこの辺りの多く人たちに不幸なことが今日にでも起きるかも知れないからです。いつ発射するか分からないミサイルのことより、今日にでも起きるかもしれない不幸を抑える方がやはり優先されるでしょう)

しかし、日本は、そのような国よりも天変地変がたくさん起きているのです。

いっている意味がお分かりですか?

そのことを少し詳しく書きますが、例えば中国は国が大きいだけではなく多くの人々が住んでいます。

そういう国であるなら、天変地変がたくさん起きるのはある意味当然なのです。

それだけ多くの人が住んでいるということは、それだけ多くの心の(レベルの)人がいるということであり、では、心の低い人もたくさんいるからです。(心の低い人が多いところには天変地変は起きますから)

そうして、中国も北朝鮮同様(共産党一党支配の)独裁国家であり、では、不平不満を持つ人はどれだけいるのか分からないくらいなのです。(何せ、人口が十三億といわれていますから)

そうして南シナ海問題や東シナ海問題、チベットなどへの侵略行為などで他国にもちょっかいをかけ、それは北朝鮮なども同じで国内の粛清の激しさはもちろんのこと、日本近海にまでボンボンミサイルを撃ち込み、世界を不安に陥れています。

だから私はいっているのです。

こういう国に天変地変がたくさん起きることはある意味当然であるとです。天変地変は天罰(気づきの現象)であるからです。

気づかなければいけないことがたくさんある国に、気づきの現象がたくさん起きるのは当然のことなのです。

それにもかかわらず、日本にはこのような(気づかなければいけないことがたくさんある)国以上に天変地変が起きているのです。(起きているでしょうね。日本は災害国家とまでいわれているのですから。こんな国は他にありません)

これは一体どういうことなのか?ということです。

ということは、このような国(中国、北朝鮮)以上に気づかなければいけないことが日本にはあるということです。

それが何かはもうお分かりでしょう。このブログを読んでいる人たちにはです。(というか、このブログを読んでいる人にしか分かりません)

だから私はいっているのです。反省しないといけないとです。

そのような天変地変が最近はなお一層激しく起きだしたのは、多くの人がいつまでも神のことを思わず、無反省な態度を(私がどれだけいっても)取り続けているからです。

そのような態度が直るなら、起きている災いも減ってくるのです。いつまでも直そうとしないから災いも激しくなるのです。

何回でもいいますが(また、バシバシが始まりましたので。どこかのマンションの連中がです。急に始めます。この連中もどこかの会社と同じように情緒不安定ですね)私のブログを読んでいて(自分たちの心が救われていて)一切感謝しようとしないことは(一切報恩の行為をしようとしないことは)悪いことなのです。

そういうことを続けているからよい事が起きてこないのです。(それプラス嫌がらせです。悪いことが起きるのが当たり前でしょう)

しかし、そういう態度を反省するなら、災いは止まり奇跡まで起きてくるのです。(もちろんそれは愛の行為を行えばということですが)

だから、間違った態度を反省できるか否かが、災いが起きるか、それとも奇跡が起きてくるかの境目ということになります。

間違った態度を反省し、愛の行為を行えば行うだけ奇跡が起き、間違った態度を続ければ続けるだけ災いが起きるのです。

今のような(間違った)態度を続けるのは自由ですが、あなたたちは人として、神の子の人間として「愛」という心はないのですか?

もし、少しでも愛の心があるのなら、私にこれだけ心が救われ、その私にこれだけ多くの迷惑をかけているのです。

少しくらいの愛の行為はしても当然なのではないでしょうか。(それにこのブログを楽しみにしている人も多いのではないですか?特に年寄りなどこのブログは老後の楽しみ程度ではすまないはずです。心がドンドン救われ、死後の世界まで教えてくれているからです。老い先短い年寄りにとってこれだけ希望がわくブログもないはずです。このブログを書くだけでも私は多くの愛の行為を行っているのです)

そういう心がまったく出てこないというのであれば、それだけ愛のない人もいないでしょう。そういう人は無理して報恩の行為などしていただかなくて結構ですが、しかし、愛がなければ多くの不幸を呼ぶのです。

そのような愛のない行為を続けている人が多いから災いが多く起きているのです。

愛の行為を行えば行うだけ愛が自分に返ってきます。

愛の行為は人のためではなく、自分のために行うのです。そうして、その愛の行為が広がれば広がるだけ災いは減っていくのです。

「悪いことはお前のせい」といっている暇があるなら、愛の行為を行ってください。

それが一番、悪いことが起きない方法であるからです。

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8月 12 2017

心が救われることの有り難さ

昨日は名古屋で激しいゲリラ豪雨がありました。(熱田区で一時間に七十五ミリ)

私も外にいて降られたんですが(ほんと凄い雨でした。傘など役に立ちませんでした)昨日のブログに、このブログは天まで動く、あまり皆さんが動こうとしないとまた天の怒りが爆発する、などと書いたとたんの激しい雨です。

名古屋の人たちはもう少し動かれたらどうでしょう。(せっかく多くの人が法を知らせてもらっているのですから。このブログでです。〔笑〕)

そうしないとやはり天の怒りは激しそうであるからです。(でしょうね。本当の神の教えを教えられて感謝も何もないなど〔何もないどころか、その恩を仇で返しています〕これ以上の過ちもありませんから)

世は盆休みのようですが、私に休みはありませんね。法を伝えられた多くの人々が大きな間違いを犯しているからです。(その間違いを正さないと天の怒りも激しいでしょうから。ということは悪いことが起きる人がたくさん出るということですから)

今日も朝から怒っているマンションの人がありました。(朝からバシッという〔窓を閉める〕でかい音を何度も立てていましたから)

私が人を病気に出来るのなら、前の会社の連中はとっくに全員が病人です。(この連中がどれだけ私に嫌がらせをしているのか知っていますよね)しかし、いまだ元気な者も多いのです。

このような事実が私が人を病気にしているわけではないということを物語っています。(私が人を病気に出来るのなら、嫌がらせをして来る者を片っ端から病気にします。どれだけ私が普段から嫌がらせを受けているのか、あなたたちは知らないのです)

人が病気にするのでなく、自分たちの心がその病気をつくっているのです。(病気という漢字をよく見てください。気の病と書かれているではないですか)

その間違いに早く気づかなければいけないのです。

昨日も私はあちこちでいい回っていました。「このブログをただで読んでいる人がコロコロいっている」とです。

するともうあちこちの人がビクついています。そういう人に畳み掛けます。

「人のブログ読んで散々心が救われたくせにまったく感謝もせず、嫌がらせばかり、そういうことをしていて悪いとは思わないのか」「そういう態度を皆が皆していて、それで自分たちに悪いことが起きて来ると、それは全部俺のせい。皆さん、自分のしていることがお分かりですか?」「何で自分たちがそんな恩を仇で返すようなことをしていて、あのサイレンが皆、俺のせいなの」「自分たちのやっていることを棚に上げ、よってたかって俺一人を悪者にして心は痛まないんですか?」「皆さん、良心はないんですか?」など、もうここぞとばかりにいいたい放題いいます。

するともう多くの人がいやらしそうな顔をして逃げるように歩いていきます。(実際に逃げていく人もいますし)

別に憂さ晴らし(うさばらし)でやっているわけではありません。(マァ、少しくらいはそういうのもあるかもしれませんが…)気づいてほしいからやっているのです。(とにかく凄まじい勘違いぶりですから。これだけ罰当たりなことをしていては、この辺りにたくさん病人が出るはずです。しかし、その病人まで私のせいです。ほんとどこまで行ってしまうのでしょう。この辺りの人たちはです)

このことに(自分の大きな間違いに)気づかないと、その人は絶対に幸せになれないからです。

心が救われることの有り難さをこの辺りの人たちはまったく理解していないのです。(それはこの辺りの人たちだけではありませんが)

「心が救われることの有り難さ」それは普段の生活から考えてみても分かるはずです。

普通に生活をしていて、心が救われることがありますか?そんなに頻繁に心が救われているのなら、これだけ思い悩む人は多くはないでしょうし、自殺者が年間三万人も出ることもないでしょう。

それに普段は悩みがないような顔をしている人たちでも、実際は悩みを持っている人は多く、それを遊びか何かでごまかしているだけなのです。

だから多くの人が救われたいと、神社やお寺などのパワースポットに行ったり、占いなどに頼ったりしているのです。

それは多くの人が心が救われたいと願っているからです。(肉体が救われたいのなら病院に行くはずですから)

では、その心が救われるブログがあるのなら、誰もそのブログを読むのではないでしょうか。その心を救われたいと願っている人が一番多いからです。

その心をこのブログを読んでいる多くの人は救われているのです。(程度の差こそあれです)

このブログには神のことや心のことが詳しく書かれ、死後の生(あの世の存在)まではっきり書いて、奇跡から災いまで実際に起こしているのです。

これだけ物質以外の(精神の部分、つまり心の)部分が分かるブログはありません。(実際に書いた通りのことが起きているのですから)では、それだけ心の部分が分かってくれば、その心が救われた人は多いのではないでしょうか。

このようなブログに巡り合ってです。

それにもかかわらず、感謝する人がほとんどいないというのはどういうことでしょうか?

自分が一番救われたいと願っていた心が救われているにもかかわらずです。

そういうことをしていれば、いいことは起きないと、ちゃんとこのブログの中に書いています。

その書いた通りのことが起きているだけではないですか。それが何で私のせいになるのでしょうか?

このブログをしっかり読まなかった(それを行おうとしなかった)自分たちの責任でしょう。私のせいではありません。

このブログは多くの人の心を救っているのであり、感謝されこそすれ、恨まれる筋合いのものではないのです。

ここに書いた通りのことを行えばちゃんと奇跡は起きるのです。(それを証明した人は私以外でもたくさんいます)

奇跡が起こせるはずのブログに書いてある通りのことをせず、それで悪いことが起きて、それを私のせいにされても、それは(自分たちの智慧が足りないばかりの)逆恨み以外の何ものでもないのです。(智慧が足りないからやろうとしないのです。〔智慧が足りないからこの教えの大事さが分からないのです〕)

だからよけい悪いことが起きてくるのです。ただでさえ悪いことをしているうえに(この教えに逆らってです)悪いことを重ねているからです。(逆恨みして嫌がらせをしているからです)

このブログは小さな子供から(それこそ小学生くらいから見ていますね)年寄りまで広い範囲の人が読んでいるのです。

では、それだけ多くの人の心を私は救っているということになります。(正確には救い続けているということですね。いまだブログを続けているのですから)それなのに、そのような人々が感謝一つしない、それではそのような(感謝もしない)人々にいいことが起きるはずがないのです。

自分の行いが間違っているからです。心を救ってもらったのなら、少しくらいの報恩の行為は当然しないといけないからです。(報恩の行為があって初めて感謝したといえるのですから)

それくらいのことはしないといけないのです。こちらはこちらで人々の心を救うための努力はし続けているからです。

そこまで広い範囲の人々に読まれるためには、それだけの努力は(勉強は)していますし、そういう正しい努力をし続けているから、それだけの奇跡もまた起きてくるのです。(善因善果、悪因悪果)

何度もいいますが、私の周りに多くの奇跡が現れていることが、私が正しいことをしている証拠でありますし、また、それだけ多くの人々の心を救っている証拠でもあるのです。

それだけ多くの人の心を救っているから(それだけのよい行いをしているから)それだけ多くの奇跡も現れて来るのです。(それだけのよい行いが返って来るのです)

起きていることの大きな違いが、やっていることの大きな違いなのです。それを起きて来ることが教えているのです。

大きな間違いをしているのは自分たちなのです。(いつまで〔自分たちの悪い行いを棚にあげ〕悪いことを人のせいにして怒っているつもりですか?それでは悪いことしか起きないのです)

心が救われることの有り難さをもう少し理解されませんか?

その理解が深ければ深いほど、自分も救われていくからです。

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8月 11 2017

救われていく道

今日はどこかの会社も休みのようです…この連中、最近はおかしいのに拍車がかかっています。

ずいぶん出ているんでしょうね。(もちろん恐ろしい現象がです)朝から晩までテンパっているのがいますから。

それは恐ろしい現象がたくさん出ると思いますよ、この会社にはです。だってずいぶんこのブログを読んでいる人がいるようだからです。

このブログを読めば心が救われるのです。では、多くの人の心を救っている、このブログを書くことのじゃまをし続けているどこかの会社に罰が当たらないわけがありません。

だから最近は罰が当たるのがまた一段と増えたのでしょう。それだけ多くの人に影響を与えているこのブログのじゃまを天が許すはずがないからです。

昨日もたくさんいましたね。私のブログを読んでいる人たちがです。(もうそこらじゅうで確認していますから。〔苦笑〕)

昨日は堀川の辺りを歩いていたのですが、あそこを歩いている人たちはみな私のブログを読んでいるようです。

本当に呆れてしまいました。私に散々心を救われていながら、この人たちは嫌がらせしかしなかったというのですから。

それでは悪いことが起きるのが当たり前です。何でこんなことが分からなかったんでしょうか?皆いい年をした大人ばかりであるのにです。(昨日あの辺りを歩いていた人たちは爺ちゃん婆ちゃんが多かったものですから)

あの辺りは私もよく歩いていましたので、私の顔を見ると本気で怒っている人がたくさんいました。(そりゃ悪いこともたくさん起きたでしょう。悪いこと〔嫌がらせ〕をして来る人が本当にたくさんいましたから)

しかし、自分たちの行いが悪いから、そういうことが起きていると考える人は一人もいなかったんでしょうか?

いなかったんでしょうね。昨日も私が「何であんたら俺のブログを読んで心が救われているくせに、嫌がらせなんかしていたの」ときいても、答えられる人は一人もいなかったんですから。

皆(顔を引きつらせて)黙り込むか、逃げるように歩いていくかする人たちばかりであったのですから。

よく考えてみれば分かりますよね。このブログのことを知れば誰でも読むとです。

だって、天まで動くブログなどそうはないからです。(というか、このブログだけでしょう。そんなブログはです)では、このブログのことを知れば読む人も多いでしょう。

また、誰にでも読めるような書き方をわざとしています。

だから難しい漢字はあまり使わず、出来るだけ分かりやすく書いているのです。大人から子供まで読めるようにです。

実際に大人から子供までこのブログは読んでいます。ある意味そこはねらい通りですね。

しかし、ねらいではなかったことは、まさかこのブログを読んでいる人たちの多くが、感謝もせずに嫌がらせをして来るとは思いもしませんでした。

そのようなことを多くの人がしたばかりに、凄まじい災いが現われたのです。

最初私は、法を知る人が増えるのなら奇跡が起きてくる人も増えると、それしか頭になかったのです。(だからそのようなブログの書き方をしたのです。大人から子供まで法を知ってほしかったからです。その法を素直に知って行うなら、大人から子供まで奇跡が起きて来るはずだからです)

しかし、この辺りは時間がたてばたつほど逆の現象が次々に現れて来るのです。

何でこんなにこの辺りは災いばかりが起きてくるのか不思議でしたが、この辺りで私のブログを読んでいる人が増えたのはいいんですが、その人たちが誰も私に感謝せず、嫌がらせをしながらこのブログを読んでいたというのですから、それでは奇跡が起きるわけがありません。

そんなことを大勢の人がしてしまったばかりに、奇跡どころか、凄まじい災いが起きだしたのです。

法に従えば奇跡が起きますが、その法に逆らうなら災いが起きるからです。

法を伝えてもらっている人に感謝もせず、嫌がらせを続けながら、その法を学んでいる(私のブログを読み続けているということはそういうことになります。私に法を教えてもらっているのです)これだけ法に逆らっている行為もないのです。

その間違った心と行いを直さない限り、このブログを読めば読むほど災いが起きてきます。

心と行いが間違っているのに、どれだけ正しいことをきいても、その間違った心と行いをし続けている間は、正しいことは出来ないからです。

自分たちが間違ったことをし続けている限り、どれだけ正しいことをしても、それは正しくはならないからです。

間違ったことをやめて、正しいことだけをしないと、正しいことをしているとはいわないからです。

つまり、私に嫌がらせをしながら(悪い感情を持ちながら)このブログを読み続けている人は意味のないことを続けているということです。

意味がないどころか、そういう人はどこかで災いが起きるのです。そういう間違った心を正すのがこの法であるからです。

その災いとは気づきの現象であるからです。

だから、この辺りでたくさんの人が私のブログを読んでいるということはよいことでありますが、私に反目するような心で読んでいるようでは、決してよいことは起きてこないということです。

そういう心を直されたらどうですか。せっかく奇跡が起きる教えを教えられているのですから。

これまでのことを反省し、私に感謝して(そうしてもちろん神にもです。この法とめぐり合わせてくださったのですから)このブログに書かれてある心になるなら(そういう法の心に〔それは即ち神の心〕なればなるだけ)多くの奇跡が現れてくるのです。

では、そうされたらどうですか。そうしない限り(奇跡が起きない限り)この法を知った意味も価値もないからです。(この法を知って周りに奇跡が現れてこないようでは法を知った意味がないということです)

そうして心がきれいになり、そのような心が死ぬまで持続できるなら死後の世界は確実に天上界に行けるのです。

このブログは年寄りの人もたくさん見ています。そういう人たちは死後の世界はもうすぐそこに迫っているのです。

決して(若い人たちのように)無視してよいという問題ではないのではないですか。そういう人たちにはです。(別に年寄りに限ったことではありませんが)

もう死後のことを真剣に考えなくてはいけない世代なのです。(ただ怖がっているだけではなくです)

お経をどれだけ上げても、どれだけ有名な仏像に祈っても、天上界には行けないのです。

それは、そのようなことをした後、何の奇跡も起きないということがその事実を物語っています。

本当によいことをしたのなら、その後に奇跡が起きてこないといけないのです。そのような奇跡が起きる心にならないと天上界には行けないからです。

だから心をきれいにしないといけないということです。(お経や仏像にどれだけ祈っても心はきれいになりませんから)

心をきれいにするなら奇跡は起きてくるからです。奇跡は心で起こすものであるからです。

それは釈尊やキリストを知れば分かります。

釈尊やキリストが天上界に行かれていないはずがありませんが、釈尊もキリストもお経を上げたり仏像に祈ったりしたことはないのです。(お経も仏像も釈尊がいられた時にはありませんでした。釈尊滅後につくられたものです。キリストももちろんそうです。キリストがお経を上げるわけがありませんし、祈りもキリストは天に向かってされていただけです。決して〔仏像のような〕物に向かってされてはいなかったのです。〔偶像崇拝〕)

ただ祈りと反省をされて心をきれいにし、そうして数々の奇跡を起こされたのです。

では、その釈尊やキリストに習えば天上界には行けるということになります。(そうして奇跡も起きるということになります)

だから、意味のないお経や仏像を拝むより、心をきれいにしなさいと私はいっているのです。(法ではいっているのです)

釈尊やキリストと同じことをいっているのは、ここに書かれてある法(正法神理)だけなのです。

だから天まで動くのです。釈尊やキリストが説かれた神理は天まで動かすからです。

最近の天気予報など見ると、一変に天気が悪くなっています。(何か梅雨に戻ったかのような天気の悪い〔雨や曇りの〕日がこの後も続くようです)

この時期は一番天気が安定し晴れが続かないといけない時期なのに、それがこれだけ悪い天気が続くということの意味を分かっているのは、このブログを読んでいる人たちだけなのです。

即ち法を知っている人だけなのです。

少し前の天気予報は梅雨明けのこの時期は、今年は暑い日が(ということは天気のいい日が)続くと予想されていたのに、それがこれだけ外れるのは、もちろん法を知っている多くの人がこの法に非協力的であるからです。(それはもう前からいっています)

今のまま、多くの人が法に対す態度を変えないでいるなら、この天気が悪いのはまだまだ続き、また凄まじい現象を(この前の台風五号のようなです。あまりに皆さんが動こうとしないとまた天の怒りが爆発するからです)現されることになるのです。

それが分かっているのもまた、このブログを読んでいる人(法を知っている人)だけなのです。(だから私に布施する人が増えれば一変に天気もよくなるということです。やってみたらどうですか。私がいっていることが嘘か本当かはやってみればすぐに分かるからです。どちらにしてもこの辺りの人たちはそのままでは罰が当たります。〔ずいぶん嫌がらせをしましたよね、私に〕布施くらいはしないといけないのです)

このブログを読んでいる人が(法を知っている人が)心を入れかえ行いを変えるしか、この先、自分たちも日本もよくなる道はないのです。

それももう、このブログを見ている多くの人たちはご存知でしょう。

心を入れかえ、行いを変えませんか。このブログを見ている人たちが(法を知っている人たちが)それを行わない限り、日本がよくなる道はないからです。

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8月 10 2017

衝撃の事実

昨日衝撃の事実が分かりました。

その事実を知って本当に驚きましたね。人のいい私には理解できないことであったからです。(自分でいうのもなんですけどね。しかし、今日のブログの内容を知るなら私の人のよさは分かると思います…というか、周りの人たちのあまりの異常さが分かると思います)

ここ二日、三日前から私はこの辺りであることをいい回っていたのです。その時のことです。

その衝撃の事実が分かったのはです。

その衝撃の事実とは……その前に順をおってこれまでのことを書いていきましょう。

私がここ二、三日この辺りでいい回っていたこととは「このブログをただで見ている人たちがコロコロいきだした」ということでした。

別に嘘ではありません。そういうことが頻繁に起きだしてきたから(ネェ、どこかの会社の皆さん…今日も朝から大変そうです。もう起きている状況を言葉にすることが出来ません。あまりに怒ったり引いたり情緒不安定さがひどくてです)そういう話をあちこちでいい回ったのです。

この辺りで、私のブログを読んでいる人たちが、皆あの世に行って誰からもブログ代がもらえなくなっても困るからです。(ほんと、それでは私が困ります)

それで辻説法がてらそういう話もしていたのですが、何か変なのです。

道行く人たちが私の辻説法にはあまり反応しないのに(もうしすぎましたかね)「このブログをただで見ている人たちがコロコロ…」という話には妙に反応するのです。

向こうの家に向かって話していたのに、私の横を通って行く人が、その「ただでブログを見ている人がコロコロいきだした」という話をすると、急にこちらを驚いたように見たり、自転車で通っていった爺ちゃんが、その部分をきいたとたん驚いた顔で振り返り自転車から降りて、こちらをジッと見ていたりと何か様子が変なのです。

「何か変だな」と思ったので、途中からその話ばかりしだしたのです。

「オイオイ、俺のブログをただで見ている奴がコロコロいきだしたぞ」みたいなことを、そこらじゅうでいい回ったのです。

そうしたらです。驚いたことに、あちこちで歩いている人や自転車に乗っている人が皆「えっ」とか、ビクッとか反応するではありませんか。

何でこんなに周りの人たちが反応するのか、最初は不思議だったんですが、何のことはない、この人たちはみな私のブログを読んでいるようなのです。

それで、私がいったことに驚いたのです。その人たちは、私のブログを「ただ」で読んでいる人たちばかりであったからです。

「オイオイ、こんなに多くの人が俺のブログを読んでいるのか」と声をかけると、ほとんどの人が向こうを向くか、下を向くかしています。

そういう人が行く道、行く道、たくさんいます。

それどころか、私がそういう話をしていたら、あちこちから爺ちゃん婆ちゃんが、私の歩いている道に出てくるではありませんか。(中には不安そうな顔をしている人もいましたし、怒っている人もいました)

本当に多くの人がこのブログを読んでいるんだな、とその時、呆れました。

なぜ呆れたのか?

私はこれまでその辺りはどれだけ歩いたか分かりません。(高畑の辺りだったんですが)しかし、嫌がらせはたくさんされましたが、誰一人、私にお礼をいった人はいなかったからです。

「何だあんたら、俺のブログを読んで心を救われたり、知らないことを知ったりしたのに少しも感謝しなかったのか。俺はこの辺りを歩いていて嫌がらせはされたことはあっても、お礼をいわれたことなど一度もなかったからな」

というと、皆が皆いやらしそうな顔をします。

よく考えてみればです。多くの人が私の顔を知っているということは、多くの人が私のホームページを見ているということになります。(ホームページの写真を見なければ私の顔は分かりませんから)

多くの人がホームページを見ているのなら、その中のブログを見ている人も多いでしょう。(私のホームページを見た全員がブログを読むわけではないのでしょうが)

では、私の顔を知っている人がこれだけ多いということは、私のブログを読んでいる人もそれなりに多いということになり、そうであるなら私のブログを読んだ人たちは程度の差こそあれ、私に心が救われているということになります。

それなのに、この私の顔を知っている人たちは(私のブログを読んでいる人たちは)誰一人、私に感謝しなかったというのです。(少しもです。先ほども書きましたが、この辺りで私に嫌がらせをしてくる人は数多くいましたが、お礼をいってきた人は一人もいなかったからです)

私は半ば呆れて「あんたら俺のブログをずっと読んでいたくせに、少しも感謝せずに嫌がらせばかりしていたのか」と周りの人たちに確認すると、みな顔を引きつらせたり、下を向いたりしています。(中には脱兎〔だっと〕のごとく逃げ出したオバちゃんもいました。それには笑いましたが)

「自分たちはそういう態度を取り続けていて、それでサイレンなどの悪いことはみな俺のせいなのか」と続けてきくと、皆が皆、顔を引きつらせ足早に歩いていきます。

どうりでこの辺り病人が多かったはずです。これだけの悪いことを、これだけ多くの人が平気でしているからです。(この辺りの人たちは、私に散々心が救われているくせに〔それは現在進行形です〕それには一切感謝せず、悪いことをみな私のせいにして嫌がらせを何年にも渡って続けているというのですから、これだけ悪いこともありません)

こんな悪いことを続けていたら、罰が当たらない方がおかしいのです。

これでは病気などの悪いことが起きない方が逆におかしいでしょう。ある意味この辺りの人たちは悪いことが起きて当たり前なのです。

それだけの悪い原因を自分たちでつくり続けているからです。

「あんたらそんなことをしていて悪いとも思わなかったのか。そういう自分たちの行いが病気を呼んでいると思わなかったのか」と続けてきいても誰も答える人はいません。

皆、逃げるように歩いていきます。

その後、そういう話をあちこちでしましたが、みな同じような態度でした。

本当に衝撃の事実を知りました。

この辺りの人たちの多くが、私にいろいろなことを教えられ(神や心のことをです)そうして心まで救われているというのに、そのことには少しも感謝せず、この辺りで起きてくる悪いことを全部私のせいにして、嫌がらせをし続けているのです。

これだけ筋の通らないことを、これだけ多くの人が(もうそういう人がどれだけいるか分かりません。東海三県の多くの人が私のことを知っているからです)一人の者に対し何年にも渡り、続けていたというのです。

これだけ衝撃的な事実もないでしょう。

ちょっと言葉も出てこないのですが、こういう人たちは自分たちの行いを少しも悪いと思わないのでしょうか?

だとしたら、よほど血も涙もない人たちがこの辺り(東海三県)には固まっているのでしょう。

よそから見たら、とてもまともな人たちとは思えないはずであるからです。(そう思いませんか?他の地域の人たちはです)

もう少し人としての常識を持たれてはどうでしょう。(あなたたちはそれでも神の子の人間ですか?とても人とは思えない行いをし続けているのですよ)

そうしないと必ず不幸になるからです。

この辺りでこれだけ多くの不幸が起きているのは、不幸なことが起きる原因をそれだけ多くの人がつくっているからです。

人のことをあれこれいうより、まず自分たちの行いをよく振り返られてはどうでしょう。

そのような不幸になる原因は必ず自分にあるからです。

その不幸になる原因を自分で知って、自分でその原因を取り除かない限り、その不幸はなくなりません。

では、それをされてはどうですか?それ以外で幸せになる道はないからです。

(特にこの辺りの人たちはです。人の道から外れた行いをし続けているからです。神の道を実践されませんか。〔それはもちろん愛ある行いです〕それ以外であなたたちが救われる道はないからです)

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