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3月 18 2017

愛があるなら悪いことは起きない

本当に呆れますね。

昨日でも夕方、私が帰ってくると、あちこちの家でガラガラ、ドーンとか音を立てて雨戸を閉めています。

一昨日もそんな家がありました。その家のオバちゃんが私の方をジロジロ見ながら雨戸を閉めているのです。(昨日もそんな感じでしたね)

大丈夫ですか?そんな露骨な嫌がらせをしていてです。(どんな悪いことが起きているのか知りませんが)

あのですね。皆さん方は一人として私にいいことをしていないのです。

「何でお前なんぞにいいことなどしなければいけないんだ」ではありません。私に心だけは救われているのですよ。(それは事実ですよね)

私に心だけは救われているくせに、そのお返しが嫌がらせではいいことが起きるわけがありません。そんな恩を仇で返す罰当たりな行いもないからです。(それに一方的に嫌がらせをしているのはそちらではないですか。私が嫌がらせなどしましたか?悪いことをしているだけしておいてよく悪いことを私のせいにしますね。都合よすぎませんか?)

何度もいいますが、自分たちの行いをまず反省されてはどうでしょう。

悪いことが起きる原因はそこにあるからです。(因果応報です。心から感謝して布施でもしてみなさいって。〔何度もいってますけど〕そうしたらいいことが起きますから)

しかし、その家にどういう悪いことが起きたのか知りませんが(または近所で悪いことが起きているのか知りませんが)そういう、これみよがしに私に対して嫌がらせしているオバちゃんたちにもっと愛があるなら、その悪いことは起きなかったのです。

女性の愛は神の愛に通じ、その女性の愛があふれているなら、その家は守られるからです。

私がこのブログに書いている、そのような女性としての役割をそのオバちゃんたちはしっかり果たしているのでしょうか?(百パーセント果たしていないでしょう。果たしていないからそのような悪いことが起きているのです。悪いことが起きることが、女性としての役割を果たしていない、愛を出していない、何よりの証拠なのです)

悪いことが起きたことを私に責任転嫁している暇があるなら、自分が女性としての役割をしっかり果たされたらどうでしょう。

そうすれば少なくとも自分たちに悪いことが起きることはないからです。(だから、悪いことが起きたと私に嫌がらせして来るオバちゃんたちは「自分には愛がありません。女性としての役割をしっかり果たしていません」といっているようなものなのです。かっこ悪いことこの上なしです)

そういう女性の愛があるかないかで、その家の幸、不幸は大きく変わります。

家を守っているのは女(母または妻)とよくいわれますが、それは、そういう部分でもいえるのです。(外の部分は男が守り、内の部分は女が守るということです)

だから夫婦は表裏一体というのです。どちらが欠けても愛が足りなくなるからです。(男は外で破壊の愛を出し女は家で神の愛を出す)

そのような愛があふれた家なら、その家の者に悪いことなど起きません。

この辺りで悪いことが起きていて、そうしてその悪いことをみな私のせいにしている人がたくさんいますが、それは裏を返せば、それだけ悪いことが起きているということは、それだけ愛のない人が多いということであり、もし、自分の子供に何か悪いことが起きた家があるなら、それはその家の親には相当愛がなかったということであり、その原因が何であろうと(私が関わろうが関わるまいがです)子供に悪いことが起きたのは、自分たちの愛が足りなかったせいであって、どちらにしてもその悪いことを人のせいにしているのはお門違いなのです。

自分たちが愛に満たされているのなら、自分たちに悪いことは絶対に起きないからです。

それは釈尊しかり、キリストしかりです。

釈尊やキリストは愛に満たされていられたから悪いことが起きなかったのです。奇跡しか起きなかったのです。

愛が多ければ多いほど奇跡が現れて来るからです。

ですから、この辺りで悪いことをみな私のせいにしている人がたくさんいますが、そういうことをいっている人が、いかに的外れかお分かりいただけると思います。

そういう人たちは自分たちの愛のなさを知らないだけなのです。(だから、最近は子供の自殺など増えていますが、その自殺した原因を、学校やら会社やらのせいにして裁判まで起こしている親がいますが、とんでもありません。そういう子供が自殺したような親は、まず自分の子供に対する愛の足りなさを反省すべきなのです。もし自分が子供に愛をたくさん与えていたのなら、その子供は自殺などせずどのような苦労にも堪えることが出来たからです。子供が親からたくさん愛をもらっているのなら、その子供は自分が死ねば親がどれだけ悲しむのか、それを嫌というほど知っています。では、自殺などするはずがないのです。親の愛に勝るものはないからです)

もう愛を出さなければ不幸になる、そのような時代になりました。

時代が変わって、自分たちの愛のなさが表に現れてきたことをいつまで人のせいにしているのですか?

そんなことをしている暇があるなら愛を出してはどうでしょう。

その方がよほど早くその起きている災いは止まるからです。

追伸…あの国有地格安問題はドンドン広がっていますね。今度はあの理事長を証人喚問されるそうではないですか。(もう徹底的に理事長は悪者ですね)

しかし、ここまで騒がれる前までは、あの理事長と保守といわれる政治家の人たちとはうまくやっていたんでしょうね。(だからあれだけ異例尽くしであったのでしょうし)

それが状況が悪くなると、とたんに手のひら返しです。政治家たちの恐ろしさをまざまざと見せられていますね。(私たち有権者はです)

こういうところでも愛のなさが分かりますが、この理事長が学校をつくるのにあまりに政治家などに頼りすぎた、その結果が、このような不幸を招いているのです。

それもまた自業自得といわざるを得ませんが、しかし、このような最悪の状況であってもです。

もし、あの理事長の奥さんにもっと愛があるなら、これだけ悪い結果は現れていないのです。

あの奥さんがもっと愛を出しているのなら、政治家に対しても、マスコミに対しても、自分たちの学校の生徒や親御さんに対しても、対応は違っていたはずだからです。

そうであるなら、これだけ叩かれることもなかったのです。そのような奥さんの愛が多くの人々を癒したからです。

しかし、あの奥さんはやたらきつくて、普段から誰に対してもきつい対応しかとっていなかったようではないですか。その奥さんの愛の足りなさが、今あの理事長が叩かれている状況に拍車をかけているのです。

どちらにしても、もっと愛があるならこういうことは起きません。

もっと愛ある世の中を願うばかりです。

(そういえば、総理夫人も今一愛がなさそうです。〔日本の最高権力者のご夫人に本当に失礼な言い方なんですが、法でいう女性の役割をどれだけ果たしていられるのでしょうか?〕だから総理もこういう時にこれだけ困られるのです。やはり夫人の愛が足りないからです。総理夫人にもっと愛があるなら、女性推進法など総理はいわれなかったでしょう。〔家に女性がいる大事さが分かられてです〕それが本当に残念です)

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3月 16 2017

正法神理でいう女性の役割

しかし、道など歩いていると、私の顔を見てムッとする人か顔を引きつらせる人がほとんどなんですが、中には渋い顔をしてこちらを見ている人がいます。

そのような人は、もし何か悩み事があるならご相談ください。私はアドバイザーですから。(変な噂が立って、そちらの仕事は上がったりなんですが。〔苦笑〕)

何でも人のせいにしているだけでは何も解決しません。勇気を出してききに来てください。もしかしたらそこから自分たちの運命がよい方に変わるかもしれないからです。

運命の別れ道はどこにあるのか分かりません。

同じ発想ばかりしているのではなく発想を変えてみてはどうでしょう。そうすれば本当の幸せの道がついてくるからです。(どこかの会社の人たちなど本当に大丈夫でしょうか?かなり、かなり、やばそうですが…)

しかし、ウナッシーさんのコメントを見て驚きましたね。 熟年離婚が二十五年前に比べて七割も増え、しかもその申し出の七十五パーセントが妻の方からであるとのこと。

そうして、その離婚理由が使用後の洗面が汚いとか、スリッパを揃えていないとか、ドレッシングを冷蔵庫に戻さないとかのたわいもないものばかり、それで数十年も尽くしていて堪忍袋の緒が切れたとのことですが、そんなことで切れてしまうなど、最近の妻はずいぶんか細い堪忍袋の緒なんですね。(苦笑)

だいたい、日常生活の不満はお互い様でしょう。

何で夫の悪いところばかりいうのでしょう。自分だって悪いところがあるのにです。気づいていないだけでです。

それに男がそういう細かいところがしっかり出来るなら、普段からも細かくて、細かいことをいちいち気にして何か妻にいってきたら、その妻は夫のことをどういうのでしょう。

きっと「男のくせになんて細かいんだ」「そんな細かい男とは一緒にいられない」とか何とかいって結局別れることになるのです。

愛がなければどちらにしても別れることになります。だから妻は夫以上に愛深くないといけないのです。

妻の愛がなければ、それこそ夫婦生活など続けられないからです。(内〔家〕は女が主役ですから)

しかし、数十年も夫に尽くしていて、夫のそんなところも直せないのでしょうか?

それでは尽くしているとはとてもいえません。本当に尽くすとはどういうことなのか、この法から見た女性の役割をちょっと書いておきましょう。

人に尽くすとは、その人を助けるという意味だけではなく、その人を向上させるという意味も含んているのですから、そういう悪いところがあるのなら、そこは智慧を出して直してやればいいのであって、それをずっと我慢して最後に不満をぶちまけて別れるなど話にならないでしょう。(しかも夫の退職金を狙ってです。熟年離婚なんて、夫の退職金狙いですよね)

それでは、それこそ、この前のウナッシーさんのコメントにも書きましたが、妻か泥棒か分かりません。

そんなたわいもないことなど妻であるなら簡単に直すことが出来るのです。だから直してやればいいのです。(それだけの話です)

また、これが友人、知人ということなら話も別でしょうが、妻であるなら、夫のその程度の悪いところなど簡単に直せないといけないのです。

そうではないでしょうか。妻には友人、知人にはない、その人(夫)に対する深い愛があるからです。(友人、知人にそんな深い愛はないですから。〔笑〕)

要は、その妻が深い愛を出すのか?出さないのか?それが夫の悪いところを直せるか、直せないかの違いなのです。

だから、夫のそんな程度の悪いところも直せず、我慢できずに別れるなど、いかにその人が妻としての能力がないのか、愛がないのかを世に知らしめているようなものなのです。(そんな熟年離婚などする妻は「私はダメな、本当に愛のない女です」と世間に公表しているようなものです)

それではあまりにカッコ悪いでしょう。(女としてです)

では、どのようにしたら、妻はこういう夫の悪いところを直せるのかちょっと具体的に書いてみましょう。

もちろん口でギャーギャーいってもダメです。そんな口だけでは男はきかないからです。

では、どうするのか?もちろん愛を出すことです。そうすれば夫はこの程度のことは簡単に直すからです。

その愛の出し方なのですが、心から愛を出しなさい、といったところでピンと来ない人も多いでしょう。

もちろん心からの愛も出さなければいけませんが、その心からの愛だけではなく、体から愛を体現することを忘れてはいけないのです。

それをしないから夫はいうことをきかないのです。

その愛を体現するとはどういうことなのか?簡単な話です。夫がしてほしいことをしてあげればいいのです。

そうすれば夫はいうことをきくからです。

そのしてほしこととは何か?それは妻が分からなければいけないことなのであり、一体、夫は何をしてほしいのか、まずそれをしっかり理解してそれをやってあげることです。

そうして、それをしてあげた後に「あなたこういうところは直してね」と優しくいうのです。

そういうことを何度か繰り返せば、そのうちに夫のそのような(細かい)悪いところは直っていきます。

要はそのやり方なのです。口でギャーギャーいうのではなく、まずしっかり夫に対し愛を体現する、そうして注意してやる、これなのです。

そればかりか、その愛の体現の仕方が本当によいものであるなら(それこそ夫の心に叶う行いであるなら)そういうことをいちいちいわなくても、そのうちに夫の悪いところは自然に直って行きます。

それが愛の効果であるのです。

その愛の体現を具体的いうならです。例えば、それこそ、家事、育児を半々でやっていたところをほとんど妻がやるとか、酒、たばこを控えさせていたのを、ある程度自由にさせてやるとか、何でもいいのです。

夫が一番したいことをして(させて)やるのです。(それが何かを察するのが妻の役目ですが)

そうしたあとに自分のやってほしいことをいうと、だいたいの夫(男)はいうことをききます。

そういう愛の体現が一番大事なことなのです。

その愛の体現は、このようなことばかりでなく性のことも大事なのです。(夫婦生活でいうなら、これが一番大事です)

妻が夫のしたい時に自由にさせるか、させないか、これだけでずいぶん夫の聞き分けが変わるのです。(そればかりか仕事ぶりまで変わります。夫婦生活にとって性生活の充実は一番大事なことなのです)

これをするかしないかで男は全然変わるのですから、やらせない手はないでしょう。(笑)これをやらせるだけでも男は一変にやる男に変身します。 だから性の充実は大事なのです。(男のエネルギー源ですから)

めんどくさいとか、自分がやりたくないとかではなく、夫に対する愛の体現として妻は夫に求められたら断ってはならないのです。

それが夫にいうことをきかせる、夫をやる気にさせる、一番よい方法であるからです。

例えば、最近よく芸能人の妻の夫が妊娠中に浮気をしたとかいわれて騒がれていますが、これなどもそうです。

男はおかしな生き物で、いつもやれる時はそれほどしたくならないのに、やれなくなると(妊娠という制限が出来ると)妙にしたくなるのです。

だから、そういう妊娠中など(だからそういう制限がある時などという意味です。だから生理の時などもそうなのですが)特に性のことは妻は夫に気を配らないといけないのです。

さわらせたりさわったりでもいいのです。(もちろんお腹の子供に負担がかからないようにです)男など抜いたら終わりなんですから簡単なものです。(笑)そういうところにまで妻が気を配っているなら、夫は妊娠中とはいえ浮気することはありません。

いま騒がれている妊娠中に浮気されたという芸能人は、そういうところまで気が回らなかったのではないでしょうか。

しかし、それではダメなのです。妻は夫の何から何まで知っていないといけないのです。それが妻としての役割であるからです。(だから料理が出来るとか、掃除、洗濯が出来るとか、それだけではダメなのです。性のことまですべて出来ないといけないのです。時には娼婦のようにという歌がありますが、妻は時には本当にそうならないといけないのです)

そういう妻の役割をしっかり果たしているのなら、小さな夫の悪いところなどすぐに直ってしまいます。(それどころか、見違えるくらい出来る男になる人もいます。男は女で変わるからです)

そこまでのことをその熟年妻たちはやっていたのでしょうか?

百パーセントやっていないでしょう。(断言)

そういうところどころ手を抜いていて、そうして夫のこういうところが気に食わないもないものです。

夫のことよりもまず自分(妻)のことなのです。

自分がしっかり妻としての役割を果たすのなら、このようなこと(熟年離婚)にはならないのです。

せっかく夫婦になったのなら、しっかりお互いの使命を果たしませんか?

キリストも夫婦とは人ではなく「神が合わせたもうもの」といわれているからです。

(法〔正法神理〕でいう女性〔妻〕の役割とはこういうものです。こういう妻の役割をしっかり果たしながら女性は仕事までやれると思いますか?〔この夫プラス子供まで出来るのですよ〕だから私は専業主婦は大事であるといっているのです。ここまでするなら夫〔男〕は考えられないくらいよくなるからです。〔だから収入もよくなるということです。仕事も出来るようになるからです〕世間でいっているような主婦では夫も伸びなければ何の奇跡も起きません。主婦になるならこれくらいやってはどうでしょう。そうすれば本当の〔女性としての〕幸せが得られるからです)

追伸…昨日テレビで面白いことをいっていましたね。 安倍総理は女難の相が出ているそうです。(笑)

女性のせいでずいぶん追い詰められているからです。(防衛大臣、奥さん、東京都知事、みな女性ですが、このような方々のせいで安倍総理は国会やら都政やらで追い詰められています)

これも女性推進法などのおかしな法案を通したからでしょう。

祟り(神の怒り)ですね。(苦笑)

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3月 14 2017

視野の狭さ

ずいぶんやばそうですけど大丈夫ですか?

もう無理しないでききに(詫びに)来てはどうでしょう。(本当にすいませんでした。どうやったら救われますか?とです。奇跡が起きているのは私だけですから)私にきく以外で、その災いを止める方法はないからです。

どこかの会社はもちろんですが(本当にひどそうですが大丈夫ですか?〔汗〕)他のところも最近は(怒っているところより)引いているところの方が多いようですし、運転手連中はまだ頑張っているようですが、そういう態度をいくらしたところで罰が当たるだけです。

ソロソロ認めませんか、自分たちが悪いとです。そうして私のいうことをきいてはどうでしょう。

そうすれば少なくともその起きている災いは止まるからです。

こればかりは無理やり従わせても意味がありませんので(自分たちの心が変わらない限り止まらない現象であるからです)心変わりを持つしかありませんが、いい加減気づいてはどうでしょう。

自分たちのひどい態度をです。(神に対しても私に対してもです)

それに気づかない限り(それを認めない限り)災いも止まらなければ奇跡も起きないからです。

本当にこの辺りの人たちは子供のようですが、どこもこのような物分かりの悪い子供のような人は多いようで、そういう人たちがいる限り世の中はよくならないのです。

前回書いたことでもそうです。

まるで子供がパンか何かを半分こにして食べるのに、その割方がそっちが大きいとかこちらが小さいとかいって怒っているかのように、何でも半分ずつにして公平にしないと気がすまない人たちがいます。

しかし、そのような考えは所詮は子供の発想でしかないのです。

大人であるなら、数が多かろうが少なかろうが、また性別が違っていようがいまいが正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると正しく判断出来るはずであるからです。

それが数が同じでないと正しい意見が通らないとか、男ばかりで女が少ないと女の気持ちが分からないとかいうのでは話にならないでしょう。

それでは子供たちがしている学校の委員会とさほど変わらないからです。

大人の集まりであるなら、例え、少ない人たちの意見であっても、それが正しい意見であるならそれを通さなければいけないのだし、男であろうと女であろうと男だけの考え、女だけの考え方だけではいけない、相手のことも考えて(それは異性であっても同じなはずです)そうして自分たちの意見をまとめるのは当たり前のことなのであるのだし(それとも男は女の気持ちがまったく理解できない、女は男の気持ちがまったく理解できないとでもいうのでしょうか。そんな小さな考えしか出来ない人たちなら、それこそ子供と同じです)自分たちの取り分が少々少なかろうが、それをこちらの方が少ないとかなんとか口から泡を飛ばして、文句をいうのはあまりにも大人げないことなのであるのだし、一番正しい意見を通して、自分のことよりもまず相手のことを考え、そうして自分たちの取り分が少々少なかろうがそんな小さなことを気にするのではなく、出来るだけ多くの人たちが納得するよう行おうとすることが大人としての態度なのであって、そのようなところが大人と子供の違いのはずです。

それなのに、その大人や子供の代表であるべき政治家がです。

何でも平等にして、そうして、男と女を同じ数にしないと自分たち(男や女)の意見が通らないというのでは、あまりに情けない、あまりに低レベルな話なのではないでしょうか。(テレビでそういう子供じみた議論はもうやめてください。子供に笑われます。〔苦笑〕)

マァ、それは政治家だけではなく、大人たちの集まりでも同じなんでしょうが、最近は何でも自分の意見だけを押し通す、そういう子供じみた人が増えました。

だからこれだけ災いも起きているのです。あまりに心が狭いからです。(それだけ心が狭くては罰も当たります)

そういう子供のような心の狭い常識(非常識?)はもう捨てないといけないのです。

世の中は持ちつ持たれつであって、自分のことばかり主張せず相手のことも考え、取り分が少しくらい少なくてもそれをよしとして〔少しくらいのことをギャーギャーいうのはみっともないです。〔笑〕何でもそうですが、均等に出来ることの方が少ないのですから〕そうして行うなら、それほど間違いもないでしょう。

また、それは善行なのです。相手のことを考え自分が引いているからです。

しかし、今の人たちはそれが出来ない(そういう善行を行う人が少ない)それが今日の多くの不幸をつくり出しているのです。

この辺りの人たちでもそうです。自分のことばかりいっているのです。(お前が悪い、すべてお前がやっている)自分たちの行いはまったく顧みることなくです。

これでは子供と同じでしょう。(小、中学生も同じ態度ですから)

そのような狭い心が災いの元なのです。

もっと心を広くして視野を広げるなら分かるのです。なぜ、この辺りにこれだけの不幸が起きているのかです。

心を広げ視野を広げるなら、もう日本が多死社会となって、天変地変も激しくなっていると分かるからです。(現在の日本は〔他国に比べても〕特に天変地変が激しいのです。それさえも視野が狭いと分からないのです。視野が狭いと他国も天変地変が激しくなっているから仕方ないとしか思わず、その差に気がつかないのです)

それが分かれば、この辺りでこのような災いが増えているということも理解できるのです。

何かおかしいと、もしかしたら世の中が変わっているのではないか?と気がつくはずであるからです。(そうして、自分たちの行いの悪さもです)

しかし、誰もそれに気がつく人がいない、これはやはり視野の狭い人が増えた(自分本位の人たちが増えた)何よりの証拠でしょう。

だから何も正しいことが分からない。

だからこの辺りの人たちは悪いことが起きると「あいつが悪い」とお題目のように唱え、悪いことをすべて私のせいにしているのです。

自分たちの視野が狭いからです。だから真実を見抜くことが出来ないのです。(視野が狭いからここのことだけしか見えていない)

しかし、それはこの辺りの人たちだけではないでしょう。男女平等、同権などという子供のような思想がドンドン広がっていたり(何でも同権、何でも平等、本当に子供のようです。〔苦笑〕)保育園をつくるな、風鈴がうるさいなどという人が増えていることでも、その事実は分かります。

視野が狭いため、自分たちのいっていること、やっていることのおかしさが分からないのです。

しかし、視野が狭くては不幸になるだけです。(いろいろ判断を間違えてです)

視野が狭いままなら、不幸なことは続きます。もう少し視野を広げ、心を広げてみませんか?

そうすれば真実が分かり幸福の道がついてくるからです。

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3月 12 2017

男と女の違い

もう少し男と女のことを書きましょう。

最近は性同一性障害とかいう病名で、ホモやレズが認められるようになってきました。病気であるから仕方がないとです。

しかし、病気であるなら治せるはずですが、そこは誰もいいません。

なぜでしょうか?

昨日書いた多様性の名のもとに、そういう同性愛まで認められ始めているからです。

しかし、これも昨日書きましたが、こういう同性愛が広がるなら世界は滅びてしまいます。(それは誰でも分かりますよね。同性愛者が増えれば増えるだけ子供が出来なくなるからです)では、そういうことを許していてはいけないのだし、そういう人たちが病気だというのであれば(またそれも失礼な言い方ですよね。「同性愛者は病気だ」といっているのですから。〔苦笑〕)治せばいいだけの話なのではないでしょうか。

病気であるなら治療すれば治るはずであるからです。(別に不治の病ではないのですから。〔笑〕)

実際そうなのです。

こういう同性愛者は今生は男で生まれて来たが前世は女であったとか、あるいはその逆であったとか(どこかの教祖ではありませんが)守護霊が異性であるとかすると(男に女の守護霊がついていたり女に男の守護霊がついていたりすると)その影響で体は男なのに自分は女だと思い込んで、同じ男を好きになったりとか、その逆に女であるのに男だと思い込み同じ女を好きになってしまったりするのです。

つまり同性愛者とは、前世の影響や自分の守護霊の影響を強く受けている人たちということなのです。

だから、こういう人たちは自分で同性愛者になると決めて生まれてきた人たちではないが、他の影響が強すぎることで泣く泣くそうなってしまっている人たちなのです。

そうであるなら、その間違いは正さなければいけないでしょう。その間違いを正さなければ、こういう人たちはこの世に生まれてきた意味がなくなるからです。(つまり、同性愛をしている間は、自分が決めて来たこの世の使命をしっかり果たすことが出来ないということです)

男としてこの世に生まれて来たのなら、男として果たすべきこの世の使命があるのであり、女としてこの世に生まれて来たのであれば、女としてこの世で果たすべき使命があるのです。

だから、肉体が男でこの世に生まれて来たのであれば、心がどれだけ女のようであっても、それは徹底的に男らしく生きなければいけないのであり、肉体が女としてこの世に生まれて来たのであれば、心がどれだけ男のようであっても、それは徹底的に女らしく生きなければいけないのです。

そうすることが、自分の使命役割を果たせるまず最低の条件であるからです。(男が男らしく生きる、女が女らしく生きる、これは当たり前のことですから。自分が何かやる前の話ですから)

しかし、同性愛者が病気であるというのなら治療所は当然必要であるのだし(私、失礼なこといってませんよね。世間ではそういわれているのですから)病気をそのままにしていては、その病気は悪くなる一方であるのですから、それ(同性愛者の治療の)専門の病院をつくっても何もおかしくはないと思うのですが、不思議なことに、同性愛者は病気だといわれ病名まであるのに、それを治療する場所がない、それどころか、その同性愛を勧めている人たちまでいるというのですから、何から何まで不思議なことばかりです。(そういう人たちはもっと病気になれといっているようなものです。そのうち罰が当たりますね)

こういうこともよく考えないといけないのです。やっていることが正しいかどうかをです。

同性愛者がいるなら、そういう考えは捨てて、自分の肉体通りの考えをしっかり持てと勧めてやることです。(男なら男らしく、女なら女らしく)

それが一番正しいことであるからです。そうして世を救うことでもあるからです。(何度もいいますが、同性愛など広がれば世は滅びます)

男と女のことを書こうとしたら、その中間の人たちのことを書いてしまいました。(苦笑)少し話を戻しますが、前回、前々回のブログから書いていますが、男と女では特性がまったく違います。

だから持っている能力も違います。では、必然的にやることも違って来るのです。(それが当たり前です)

例えば、前から書いていますが、女は男を変えることが出来ますが、男は女を変えることはなかなか出来ません。

それは持っている業の深さが違うからです。

業の深さが違うと愛の深さも違ってきます。それで人に影響を与える度合いが違って来るのです。

だから女の場合、たとえ自分の夫がダメ夫であっても、妻の愛が深ければそのダメ夫をよい夫に変えることが出来るのです。(これが女性の持っているすばらしい能力の一つです。ダメな人をすばらしい人に変えることが出来るのですから、これも一つの能力でしょう)

例えば仕事もあまりしない、飲んだくれの夫がいたとします。

そういう夫でも妻の愛が深ければ変えることが出来るのです。もちろん口でギャーギャいっても変わりません。(そんなことをいえば男はよけい反発して酒を飲みます)

口ではなく愛で変えるのです。

深い愛で神に祈り、そうしてダメ夫のよいところを褒める(どこかよいところ探してです)そうしてあなたは出来る子であると、ある時は子供のよう諭し、ある時は叱咤激励して、やる気を起こさせるのです。

そうすれば、その妻の愛でダメ夫は段々やる気を出し、いずれはよい夫に変わっていくのです。(実際、そのようなやり方でダメ夫だった人がよい夫に変わったなどという例は、たくさん園頭先生からきいています。そういうやり方をすれば神も協力してくれます。自分の愛と神の愛の両方の影響を受けてダメ夫はよい夫に変わっていくのです)

しかし、同じやり方をしても逆の場合は変わりません。(やれたとしても相当時間がかかります)

ここが男と女の違いで難しいところなのですが、マァ、男は外で大きな仕事をして、そうして妻を引っ張る、そういうやり方がいいのではないでしょうか。

中々妻に夫は口では勝てないからです。(苦笑)

こういう問題ばかりでなく、例えば、子供がほしくても長年子供が出来なかった夫婦がいたとします。

そういう夫婦も妻が夫を尊敬して(そういう夫婦は肉体的な欠陥がないのであれば、妻が夫のことを尊敬していない〔バカにしている〕そのような夫婦が多いからです)どこであっても妻が夫を立てるようにすると子供が出来るようになります。(どちらにしても夫を立てないことには子供は出来ませんし。〔笑〕)

そのような妻の(夫をバカにしている)心が子供を遠ざけているからです。

子供は神の授かり物とよくいわれます。そうであるなら神の心に合わせないといけないのです。神の心に合わせるなら子供は自然と授かるのです。

その神の心に合わせるということが、妻が夫を尊敬するということなのです。

二、三例を書きましたが、こういうことを考えても男と女では考えも違いますし役割も違います。(例えば、女は子供を産むことが出来るが男は出来ない)

同じことをさせようとすることがどだい無理な話なのです。

男と女の能力をもっと活かしませんか?

そうすればもっともっとすばらしい世の中が現れて来るからです。

追伸…だから男と女で何でも半々にしようとしなくてもいいのです。

女性管理職をもっと増やせとか、女性の国会議員を男性議員と半々にしろとか、そういうことを特別いわなくても能力主義でいいのです。

やれる人がやればいいのであって人数は関係ないのです。よい意見には男であろうと女であろうと賛成するのであるし、悪い意見には男であろうと女であろうと当然反対すると思うからです。

それともそういう良識さえ国会議員にはないというのでしょうか?よい悪いということさえも性別で決めてしまうとでもいうのでしょうか?

それでは国会議員となる資格も資質もないということになりますが(というか、その前に社会人失格です)そういう意見も極論にすぎないのではないでしょうか。

男でも女でもやる気と能力がある人が、管理職でも政治家にでもなってくれればいいのであって(男女の)数合わせではないのです。

男と女は何でも半々、そういう世界的な思想に日本発で風穴を開けませんか?

そのような考え方は子供の発想以外の何ものでもないからです。(何でも半分こなんて子供の発想ですよね。〔笑〕大人であるなら、数が多かろうが少なかろうが、性別も関係なくよいものはよい、悪いものは悪いと判断出来るはずであるからです。またしないといけないでしょう。それが出来ないような人は政治家や管理職などやってはいけないのです。資質がないからです)

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3月 11 2017

男女平等論のおかしさ

南スーダンでPKOの自衛隊部隊が撤退するそうですね。

それはよかった。今の状況ではいつ戦闘に巻き込まれるか分かったものではありません。(何せ、政府が神からソッポを向かれていますから)早く帰ってきた方がいいでしょう。

南スーダンから帰って来た自衛隊には日本の守りを固めてもらいましょう。何せ、日本の隣にはミサイルをボンボン撃ち込んでくる危ない国があるからです。

その危ない国を抑えてもらわなければいけない韓国が大混乱ですね。

韓国初の女性大統領が、その大統領の弾劾裁判で罷免(ひめん)が決定して失職となってしまったからです。

これでは危ない国(北朝鮮)への備えもあったものではありませんね。(おまけに次の大統領の有力候補が反日で親北朝鮮というではないですか。もう最悪ですね。よく韓国国民はそういう人を大統領に推しますね。不安はないのでしょうか?)

それもこれも女性などを大統領にしたからです。やはり女性は向かないのです。そういう役にはです。

何度もいいますが、別に私は女性蔑視の発言をしているわけではありません。向き、不向きの話をしているだけなのです。

他の国にも女性の指導者はいるではないかといわれる人もいるのでしょうが、どこかの国の女性指導者も何か自分のところばかりがよい政策をしていますし、昔、鉄の女といわれた指導者も私は極端な政策ではなかったかと思います。

そういう観点で見るなら、やはり女性が指導者になると極端に偏るか、どっちつかずになるのかのどちらかの傾向が強いのではないかと思われます。

今回罷免された韓国の女性大統領も周りの(政府内の)人たちの意見は一切きかず、よりにもよって自分が信じ込んだ人の意見だけきき、それが民間人ということでこれだけ問題になって罷免されたのです。(私はあの大統領の代行をしていた首相の方などよかったと思いますよ。ああいう人の意見をきいてやっているのなら、こんなことにはならなかったのに本当に残念です)

こんな極端なやり方はありません。これも女性特有の態度なのではないでしょうか。(男ならいくら頑固な人でも、ここまで極端なことはしないのではないでしょうか)

マァ、あまりこんなことばかり書いていても、今の時代の人たちは男女平等がしみついています。これは女性の悪口としかとらない人も多いのかもしれませんが、そうではありません。

私たちはもっと女性の特性、男性の特性を知らないといけないといっているのです。それを知っておかないと人は(男と女は)活きないからです。(そればかりか不幸にもなるからです。異性に過度の期待をしてもその期待が外れて不幸になる人も多いからです)

それを理解しないまま、今の世界が支持している男女平等論など信じていれば、ぶつかることはあっても調和することは出来ないでしょう。

男女平等論は男の特性、女の特性をまるで無視した、足して二で割ったような単純な理論でしかないからです。

一番大事な男の特性、女の特性を無視していては、そこに真の調和は現れないからです。

そんなことはない、現に世界は男女平等でうまくやれているではないか、といわれる人もいるのでしょうが、一見それでうまくいっているように見えて、実は男女平等論などいっている国はそこかしこで揉めているのです。(いろいろな部分で揉めていますよね。〔それも男女の問題が多いです〕そういう国にデモが多いのも揉めている証拠であるのだし〔揉めているからデモが起きるんですよね〕そういっている国に限って離婚も多い〔本当に男女平等でうまくいっているのなら離婚は減らないといけません〕暴動だってよく起きているのです。〔どこの国とはいいませんが〕)

私がいう真の調和された社会とは、そういう争いがなくなり奇跡が起きる世の中をいうのです。(だからもちろん離婚も減る世界です。自分の親が離婚していますから、それがどれだけ〔親以上に〕子供にとっても不幸なことかは私は体験して知っているからです)

今のような一見よさそうな世界ではなく、真の平和な世界です。それを目指しているから、私はよく男の特性と女の特性は知っておかないといけないというのです。それが分からないと本当の男の力と女の力は出て来ないからです。

そうして男と女が真の力を出さないことには、そのような真の平和な(調和した)世界は現れてこないからです。

だから書いているのです。こういう書き方をすれば反発する人が多いと分かっていてもです。多くの人が正しいことを知ってもらわなければ真の世界平和は実現しないからです。

よく考えてみてください。男と女では体力も違えば性質も違うのです。(前回のブログにも書いたようにです)

それだけ違う男女が同じ仕事をしていていいわけがないでしょう。たとえ男同士や女同士であっても、スポーツが得意な人もいれば勉強が得意な人もいるのです。

そうしてこまごまなことが得意な人もいれば、大ざっぱな人もいて、そういう得手不得手があるから、それをうまく組み合わせれば一たす一の結果よりも、何倍ものよい結果が得られるのであって(お互いによい面を伸ばせるからです。お互いによい面を伸ばし合って足らない面を助け合えれば、それをすればするほどよい結果が現れます。だから何倍ものよい結果が得られるのです)それをうまく組合すことが出来なければ大した結果は現れないのです。

同じ男同士や女同士であってもです。(何かのチームでもチームワークがいいと悪いとで全然成績は違ってきます。それと同じです)

それが体力や性格など全然違う男と女を組み合わせて、足して二で割ったような男女平等論が正しいわけがないでしょう。

たとえ男同士や女同士であってもそれではうまくいかないのです。(先ほども書きましたが、同性であっても得手不得手があるからです)それが異性との組み合わせで同じように半々で同じことをしていたら、これだけうまくいかないことはありません。

だから、いま世界でいっている男女平等論ではうまくいかないのです。

やれることとやれないことをごっちゃにして無理やりやらしている、無理、むら、無駄の三拍子そろった間違った思想が男女平等論であるからです。

そういう何でも平等ではなく男と女の特性を活かすなら、もっとよい結果が現れるということです。

その特性を活かすとは昔から連綿と伝わって来た男は外に働きに行き、女は家で家事をする、そういう思想であり、その思想が一番正しかったから、私たちは連綿と続いて来ているのでありますが、ただ、昔はそのような思想の強制力が強かったのです。(絶対こうでないといけないとです)

それが強すぎたため、その反発から最近はずいぶん多様性ということがいわれだして、そうして男女平等、男も女もすべてやることは半々でよい、何でも平等、同権とこれまた極端な論に傾いているのですが、何度もいいますが、この男女平等論は男と女の特性を無視した極論であり間違っているのです。

基本はやはり男は外に働きに行き、女は家庭に入って家事育児を行う、これなのです。(この基本があったからこそ、これまで人類は続いてきているのです。この基本は外せません)

しかし、最近は女で外に働きに行くのが好きな人もいれば、男で家でご飯をつくるのが好きな人もいる、女で体力のある人もいれば男で体力がない人もいるので、それは各個人の特性を活かし、各家庭の好きにしてもらえればいいのですが(だからそういう家庭は妻が外に働きに行き、夫が家事を行う)そういう一部の人を全部にまで広げて、こういう家庭がよいというのは間違いなのであり、そういう家庭もあって私たちは適材適所でやっていますと、そういういい方なら構わないのです。

そうしてまず基本を大事にして(男は外で働く女は家事育児)しかし、こういう家庭もありますと両方を認めればいいのであって、そういう心の広い社会こそ大事なのであり、こうでないといけないという頑なな思想こそいけないのであり、男のよさと女のよさをもっと認めないといけないのです。(だから男に生まれたことに感謝、女に生まれたことに感謝するということです。男でしかできない仕事、女でしかできない仕事が出来るからです。男女平等などといって男と女が張り合おうとするからいけないのです)

そういう意味では多様性といういい方をすれば出来ますが、その多様性もです。

同性愛から何から何まで認めてしまっては(例えば、結婚前に子供をつくってもそれもOKなどとです)それもまた極論なのであって、そいう同性愛が広がるなら世界は滅びてしまいますし、結婚という大きな約束をする前に(キリストは結婚は神が合わせたもうものとまでいわれているのですから)子供をつくってしまっては(子供は夫婦だけに許された愛の結晶でありますから)それもまたいけない、秩序のある行いをしないといけないのであり、多様性ということもやはり中道でないといけないのです。

このようなことを考えますと、男女は平等で同権、そうして何でもいいという過ぎた多様性を認めることのおかしさもよく分かると思います。

そうような中道の多様性を認め、そうして男の特性、女の特性を活かした適材適所の社会、そういう社会が出来るなら、先ほど私が書きました真の平和な世界が実現することになり、こういう行いをする人が増えれば、そこには神の光が現れますから(そのような行いは法ですから)奇跡もまた起きるということです。

少しは男女平等のおかしさがお分かりいただけるでしょうか。

別に私は女性蔑視の発言をしているのではなく、男と女の特性をもっと活かしましょうといっているだけなのです。

そうして、その男と女の特性を活かすのであれば男女平等論はじゃまでしかなく、男女平等を叫ぶ暇があるなら「男と女は自分たちの特性を活かした行いをせよ。そうすれば奇跡が起きる」とでも叫んだ方がよほどいいことが起きますよ、といっているだけなのです。

どちらがいいのかはこのブログを読んでいる人が決めればいいのですが、世界中で(男と女が)これだけ揉めているのは(何か最近もデモかなんかしていましたよね。女の権利を守れとかなんとかいって)男女平等論がまかり通っているからです。

そうであるなら、その男女平等論を潰しませんか。

そうすれば調和された奇跡が起きる世界が現れるからです。

(男女平等をいくら叫んでも何の奇跡も起きません。それはその男女平等論が間違っているからです)

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