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11月 25 2016

本物の教えと偽の教え

関東、東北などでは昨日はずいぶん雪が降ったところが多かったようですね。

東京など十一月の積雪は初の出来事であったそうですが、急に寒くなりました。本当に極端な天候が続いています。

それも中道の心でない人が多いからでしょう。

しかし、そのような寒さに反してずいぶん熱いのが大相撲なのではないでしょうか。

熱い戦いが連日続いているようだからです。

今場所は稀勢の里が復活してきましたね。毎場所こうですと(かわるがわる強い大関が出て来る)場所も盛り上がるでしょうね。

横綱が三人いると、必ず誰か調子がよくて(今場所は鶴竜がよさそうです)なかなか大関以下の力士が優勝することは難しいのですが、そのような中で強い大関がかわるがわる出て来ると、見ているこちらも面白いですし話題にもなります。(何せ綱とりまでかかりますから)

いやがうえにも大相撲は盛り上がるでしょう。

それにしても今年くらいからでしょうか、急に相撲は盛り上がり始めましたね。(もちろんより以上にという意味ですが)少しは力士にも法が拡がり始めたのでしょうか?

法を知る力士が増えれば、必然的に場所は盛り上がると思うからです。(そういう力士が増えれば神がいろいろ協力してくれますから)

それはどうか分かりませんが、番付が大関以下の力士には頑張ってほしいものです。その方が場所が盛り上がるからです。(何せ、三横綱は強いですから)

稀勢の里も、多分、私が祈るなら優勝できるのでしょうが(今年琴奨菊を祈りましたが、その時琴奨菊は優勝しましたから)しかし、私が祈って優勝したところで、それで横綱になれるわけでもありません。(私がずっと祈り続けるわけにもいきませんから)

だいたい、こんなところで私が祈って、これまでの稀勢の里の努力に水をさしては失礼です。

あと三番自力で勝って来場所の綱とりにつなげてほしいものです。(とはいえ、別に神に祈るということは悪いことでもなんでもありません。〔というか、いいことです〕そういう心だけは知ってほしいものです。そういう心を知るなら今場所優勝ということも無きにしもあらずであるからです)

しかし、園頭先生がつくられた正法会には、そういうところで(自分が苦しいところで)すぐに祈ってくださいと園頭先生に頼む、そういう人が多かったのです。

私がいた頃の正法会には、園頭先生に祈ってもらってこういう奇跡が起きました、ああいう奇跡が起きました、という人がたくさんいました。

別にそれはいいことなのですが、しかし、ずいぶん皆さん園頭先生に頼っていられるんだなと、少し違和感はありました。

正法は自力を説いていたはずであるからです。

自分で祈って、そうしてこういう奇跡が起きましたというのであれば、それは自力なので喜ぶのも分かるんですが、園頭先生に祈ってもらって、そうして奇跡が起きたと喜んでいる人たちばかりなのです。

何か違うんじゃないかと違和感を覚えたのですが、その違和感は的中しました。

そのような他力本願の人たちばかりであったため、正法会の人たちは園頭先生が倒れられると、とたんに多くの人が園頭先生を裏切り、他の人に頼ったのです。

ほとんどの人が自力本願ではなく他力本願であったからです。(園頭先生のことを神や仏のように思っていた人たちがです。平気で裏切るのです。本当に驚きました。こういう人たちは自分さえよくなればそれでいいからです。だから師は誰であろうと関係ないのです)

しかし、そのような人たちが現在どうなっているのか?みな不幸になっていると思いますよ。園頭先生以上の人など他にはいないからです。

それどころか、現在いる(神、仏などといわれている)人はすべて偽物であるからです。(偽物に頼っても不幸にしかなりませんから)

現在、私以外で(祈って次々に)奇跡が起きる人はいないのですから、私のところに来れば(園頭先生の時同様に)奇跡も起きて、幸せにもなれるのでしょうが、それ以外の人のところでは、たいした奇跡も起きないですし(だいたい、そういうところで起きたその現象は悪魔が起こしていますから)正しい法も分からないのですから、よい時もあれば悪い時もあり、そうして最終的には悪くなるのです。

もう、しっかり法を勉強しないと不幸になる、そういう時代に入っているからです。

偽の教えは、口ではああだこうだ、もっともらしいことをいうのですが、それを実践しても何も奇跡が起きません。普通のままか、または、もっと悪くなるのです。

その教えが間違っているからです。(間違ったことをしているのであれば、よいことが起きるわけがありません)

しかし、正しい教えは、それを実践すると必ず(何らかの)奇跡が起きるのです。(その奇跡が、その教えは正しいという何よりの証拠です)

もちろん正しく実践しないと奇跡は起きませんが、その奇跡は誰であろうと、またどこであろうと起きるのです。

正しい教えは人も場所も問わないからです。

だから法を実践するなら、多くの人から注目を浴びるような有名な人にも奇跡が起きるし(だから起きたのです)有名でない人にも奇跡は起きる。また日本であろうとアメリカであろうと、あるいはアフリカの奥地であろうと、そのような場所にかかわりなく、その人が正しく法を実践するなら、その場所に奇跡は起きるのです。

この地球の隅々まで神がつくられた神殿であることにはかわりがないからです。そうして、私たちすべての人間は、神につくられた神の子であることにはかわりがないからです。(だから奇跡が現れるのです。元々住んでいるところが神殿であり、神の子である私たちは元々は神であるからです。〔正確にいうなら神の一部ということです〕)

特別な場所も特別な儀式も必要ありません。

ただ、正しい教えの実践(神の心の実践)奇跡を起こすことはそれのみなのです。(神の心を実践するなら、神である私たちに奇跡が起きるのは当たり前のことです)

いつまで偽の教えに騙されているのですか?

正しい教えを実践しない限り、本当の幸せはやってこないのです。

(神が本当の神の教えを実践しなければ、当然幸せはやってこないでしょう。これもまた当たり前のことなのです)

追伸…大変そうですね。どこかの会社はです。いろいろ起きてです。(もうそういうところが多そうですけど)詫びを入れたらどうですか?

そういう心になる以外、救われる道はないからです。

神が本当の神の教えに逆らっているのです。不幸になるのはこれもまた当たり前のことでしょう。

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11月 24 2016

年寄りの使命、役割

東京は五十四年ぶりに十一月に初雪が降ったそうですね。

そうして、東北ではまた地震が起こり(福島、茨木で震度4)朝からいろいろ起きて騒がしいことです。

こちらも似たようなものなんですが(どこかのバカ会社が朝から騒がしいものですから…マァ、ずいぶんこちらはスケールが小さい)そういう正常ではないことが次々に起きるということは、やはりどこか正常ではないところがあるからでしょう。(その地域に住む人々の心にです)

だから、正常ではないことが起きて(起こされて)いるのです。その異常なところ(間違った部分)を直せということでです。

それはこちらも同じでしょう。正常でない部分が(間違った部分が)多いからこれだけ異常なことが起きているのです。

昨日私が歩いていると、またバスやトラックの連中がブシュブシュやってきたのですが、私はそういう人たちの顔も知らないのです。

しかし、このような人たちは、私が顔も知らなくて祈ったこともないような人たちに何か悪いことが起きても、それも私のせいにして怒っているのです。

私が全然知らない人を病気にして、それが一体何になるのでしょう。そんなことをしたところで人から恨みを買うだけで何もよいことはないのです。

何で、自分にとって一つもよいことがないようなことを(それは自分だけではなく誰に対しても悪いことでしかないようなことを)私が行うのでしょう。

そういうことを本気で信じて、怒って私に嫌がらせなどしている、その異常さがこの辺りに異常な現象を現しているのです。

この辺りの人たちは、そのような異常さがいつ分かるのでしょうか?

そうして歩いている人もそうです。

特に年寄りはそうなんですが、私の顔を見ると色をなして怒っている人がいます。(年寄りはそういう人が多いです。年を取ると頑固になり思い込みも激しくなりますから)

それで私は、そういうムッとして私の顔を見ている年寄りに向かっていうのです。

「爺ちゃん(あるいは婆ちゃん)あの世があるって分かってよかったな。心も救われただろう」とです。

そうするとビクッとする人が多いのです。(特に年寄りは救われているはずですから)

続けて「あんた因果応報という法則を知らないのか。もし俺が人を病気にしているというのなら、なんで俺は病気をしないんだ。俺は、ずいぶん多くの人を病気にしているんだろう」とききますと、ハッとする顔の人が多いです。

そうして「俺は人を一人も病気になどしていないからだよ。だから病気などしないんだ。それも因果応報」「何で俺には、すずめが寄ってくるような愛ある現象が次々に現れているんだ。それはそれだけ多くの人の心を救っているからだ。あんたも救われただろう。人の心を救うくらい愛ある行いはない、そういう愛ある行いを毎日のように行っているから、これだけ愛ある行為が毎日のように返ってきているんだ。これも因果応報」「じゃあ、なぜあんたらは病気になる人が多いんだ?それは、その心を救われている者に感謝もせず、ガセネタ真に受けて嫌がらせをしている人が多いからだよ。それだけ恩を仇で返す、罰当たりな行いはないからな。だから罰が当たっているんだ。これも因果応報。すべて法則通りのことしか起きていないんだけどな」と立て続けにいいます。

そうすると、さすがに頑固な年寄りたちも顔色を変える人が多いのです。

とたんに態度を変える人(頭を下げる人までいます)エッ、何の話をしているの、あなたは誰、みたいにとぼける人もいますが、中にはそれでもまだお前が悪いという態度を崩さない人がいます。(さすがにそういう人は少ないですけどね。年寄りはわりと正しい話をきくとそれを認める人が多いからです)

そういう人には続けて「あんたら年寄りが使命を果たさないからこういうことになっているんだぜ。そういうことが分かっているのか。そうじゃないのか。因果応報などという法則はあんたら年寄りなら誰でも知っていることだろう。その因果応報をよく知っている年寄りなら、俺の噂の間違いはすぐに分かるはずじゃないか。それなのにあんたらは若い者と同じようにそんな嘘話を真に受けて若い者以上に怒っている。それはどいうことだ。それでは年寄りがいる意味がないだろう。こういう時こそ年寄りは年寄りの知恵を働かせて、そうしてそういう噂の間違いを見破り、若い者たちに正しいことを教える、それがあなたたちの使命、役割だろう。あなたたちがそういう使命を果たさないから若い者たちが間違うんだ。あなたたち年寄りが、しっかり自分の使命、役割を果たしていたなら名古屋はこんなに混乱していなかったんだ。そういう責任をあんたらは分かっているのか」と、ここまでいうとさすがに下を向く年寄りばかりになります。

自分たち(年寄り)の使命、役割に、そこで初めて気がつくからです。

実際そうなのではないでしょうか。

昔は、亀の甲より年の劫(こう)とか、年寄りが亡くなると辞書三冊分の知恵がなくなったとかいわれて、年寄りが長年生きてきた、その貴重な経験を貴ぶことがよくありました。

昔は、そういう長年の経験(知恵)をよく年寄りは教えてくれたからです。

しかし、最近はそういうこともいわれなくなりました。なぜでしょうか?

年寄りがあまり若い者にそういうことを(自分たちの長年の経験を)いわなくなったからです。

若い者がそういう話をきかなくなった、パソコンが普及して、分からないことはすぐに自分で調べられるようになった、そういう時代の流れは確かにあるのでしょうが、こういう神の業が現れてきた時にはです。

年寄りの知恵が必要なのです。このような現象はパソコンで調べることが出来ないからです。

こういう神の業が次々に現れ出して、どうしたらいいのか分からない、そう多くの人が思っている時こそ(本音は皆そうだと思いますよ。この辺りの多くの人は実際どうしていいのか分からないのです。こういう経験をしたことがないからです)長年生きてきた自分たちの経験が生きるのであって、こういう時に年寄りが自分たちの経験を生かさないで、一体いつ生かすのでしょう。

年寄りは、他の人たちより生きている期間が長いのですから、こういうこれまで起たことがないことが起きて来た時こそ冷静になり、自分が長年生きて来た知恵を生かし、そうして冷静さを欠きバタバタしている若い者たちに正しい指導を行う、それが年寄りの使命、役割なのであって、先ほどもいいましたように、年寄りが少し自分の知恵を働かすのであれば、今いわれている私の噂の間違いはすぐに分かるのであるし、それが分かるのであれば、あの人(私)のいうことをきいた方がいいと、その方が絶対にうまくいくと、そう適切なアドバイスも送ることが出来、そういうアドバイスをきく人が多かったのなら、これだけこの地域が混乱することもなかったのです。

そういう意見こそ正しい意見であったからです。

ですから、そういう知恵を働かせる年寄りがもしあちこちにいたのであれば、この地域もこれだけ混乱することはなかったのです。

多くの人が、その年寄りの知恵で冷静さを取り戻し、正しい行いをすることは十分できたからです。

しかし、そういう自分の使命、役割に気づき、それを果たす年寄りがいなかった、それがここまで混乱を大きくしている一つの大きな原因でもあるのです。

この世に無用な人はいません。必ずそれぞれに果たすべき使命、役割があるのです。(しかも大事なです)

年寄りには年寄りでしか果たせない使命、役割があります。(長年生きてきた経験は年寄りにしかありませんから)それを果たしてください。

その使命を、それぞれの人がしっかり果たすのであれば、この地域に起きている混乱は次第に収まって行くからです。

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11月 23 2016

神(ゴッド)ファースト

アメリカのトランプ次期大統領がTPPからの離脱を表明をされました。

予想通りといいましょうか何といいましょうか、やはり荒れだしましたね。世界がです。

これからアメリカは、アメリカ第一主義のアメリカファーストを掲げて政策を推し進めるようですが(と、トランプ氏はいわれていますので)最近は日本でも都民ファーストとか、アスリートファーストとかいうことがいわれ(それは都知事がいわれているのですが)そのような政策を推し進めるような言い方をされていますが、こういうえらい方々に異を唱えるわけではありませんが、このような考えはやはり間違いでしょう。

なぜなら、人や国などを一としてしまうと考え方が偏ってしまうからです。

一とするなら全世界の人々が神を一としないといけないのです。神を一とするなら、考えが偏ることもないからです。

だから、それをいうなら「神(ゴッド)ファースト」でないといけないのです。そうであるなら、すべての国、人に公平であるからです。

現在の日本は、ゴッドファーストどころか、そのゴッドの神を否定して、神を便利屋のように扱っているばかりに凄まじい天罰がくだっているのです。

数々起きる天変地変(ほんと休みなしです)そうして人が次々に死んで行くという多死社会、これでアメリカショック(アメリカファースト)まで加わったら、本当に日本は立ち行かなくなります。

ソロソロ日本の人々も本物の神に気づいて、その神に頼らなければいけない、そのような時期に来ているのではないでしょうか。

いつまでも神にそのような不遜な態度を取り続けるのであれば、一体どこまで日本が悪くなるのか(悪いことが起きて来るのか)想像がつかないくらいだからです。

この辺りなどもう最近は、夕方、家に帰ってくると誰か彼か怒っています。(一昨日は向こうの人が、昨日はこちらの人が、そうして今日はここの人が怒っている、本当にそんな感じです)

怒って悪いことを人のせいにしている暇があるなら、自分の行いを反省し、これまでのことを神に詫びられたらどうでしょう。

そうしない限り、その起きている災いは止まらないからです。

そうして、そのような心と行いをするなら、今度は奇跡が起きて来るからです。

それをしないと、本当にやばい人たちがこの辺りはたくさんいるのですが、どうしても責任転嫁がやめられないようです。(これも業ですね)

悪いことはお前のせいと、子供のような泣き言ばかりいって騒いでいます。(今日は幸い休みのところが多いので静かですが)それでは悪いことは止まらないのです。

いつまでもモタモタしているのではなく(ほんと何年かかっているんでしょう)さっさっと反省すればいいのです。

そんな反省など難しいことでも何でもないからです。

そうして、このブログを読み、いろいろ(神のことや心のことを)教えられたことは事実なのですから、それには感謝の心を持って布施くらいされることです。(これも難しいことではないでしょう。誰だってやれることです)

そうすれば、その起きている災いは今日にでも止まるからです。

なんでこんな簡単なことがいつまでも出来ないのか不思議で仕方ありませんが、人の業とはこれほど深いものなのでしょうか。

本当に因果なものです。(命までかかっているというのに、それでも自分の〔小さな〕我を通すんでしょうか?まったく意味が分かりません)

しかし、その業を乗り越えるのであれば、次々に奇跡が起きるようになるのです。

その自分の(悪い)業を乗り越えるために私たちは生まれて来ているからです。(それがこの世の修行です)

そういう悪い業を乗り越えて善人になった人たちには、何か悪いことが起きても、祈るのであれば、その悪いことは調和と安らぎのうちに解決がついて来ます。(周りに様々な奇跡が起きてです)

そうして、自分の本当の進むべき道も理解することが出来(心の内よりいろいろな思いが上がってきて導かれて行くのです)その本当の進むべき道を進むのであれば、自分の果たさなければいけない本当の使命を果たせることになり、その自分の本当の使命を果たせるのであれば、死ぬまで幸せな人生を送れ、その後、死を迎えても死後の人生まで幸せに暮らせるのです。(もちろん天上界でです)

しかし、今のまま我を張り続けるというのであれば、いつ天罰がくだるのかとビクビクの人生を送り、末路も哀れで、死後も地獄行きと最悪のコースをたどることになるのです。

どちらがよいかは考えるまでもないでしょう。

これは何も我々庶民だけの話ではないのです。

先ほど書きましたがえらい人たちもそれは同じなのです。

自分の我ばかり出した政策を行えば、それは間違いなのですから、えらい方がそのような間違いを犯した場合、地位が高ければ高いほど、その罪は大きくなります。(地位が高まれば高まるほど影響を与える人は増えていくのですから、それは当たり前でしょう)

そうすると、たとえこの世の地位の高い人でも地獄に堕ちるということは当然あるのです。(実際にある総理大臣が地獄にいると高橋先生はいわれたことがあります)

ですから、政策は慎重の上にも慎重により人々のことを考え、ゴッドファーストを基本としてやっていただきたいものです。

そうすれば間違いも少ないと思うからです。(例えば、最近フィリピンの大統領も代わりましたが、代わった大統領がずいぶん極端な政策を取られています。治安が非常に悪いということはあるのでしょうが、あそこまで極端にやってしまってはやはりいけません。〔中道ではありませんから〕やったことは自分たちにも返って来るからです。〔人を殺せば、自分も殺されることになります。その同じくらいの程度のことが自分にも返って来るのです〕ですから、人が人を殺すのではなく、規則を厳しくしてあとは神に祈るのです。そうすれば、その規則の足らない分は神が足してくれるからです。そのようにするなら、フィリピンは調和と安らぎのうちに治安も回復して景気もよくなって行きます。大統領がゴッドファーストの正しいやり方をされるからです)

一にも二にもゴッドファーストです。(それは、神と、どちらにも偏らない中道の心ということです。神は中道という法秩序の中に住まわれているからです)

私たちは、それを忘れてはいけないのです。

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11月 22 2016

平和への道筋

今朝(けさ)広域で大きな地震がありました。(福島、茨木、栃木で震度5)

こちらまで揺れました。津波も観測されているようですが、本当に最近は悪いことばかり起きますね。

いよいよ日本も風雲急を告げてきましたね。いつまでも神を無視しているとこういう悪いことばかりが起こされるのです。

昨日ブログに書きましたように、もう日本全国の人々が、神を思い、神に許しを請うてはどうでしょう。

日本の人々の多くは無神論という大罪を、もう何十年も前から犯し続けているからです。

今回の地震をまた東日本大震災にからめ、その余震であるとか、千年に一度の大災害が起きればこういう大きな地震もたびたび起きるとか、後付けみたないことばかり学者連中はいうのでしょうが、そういう人たちは、その千年に一度の大災害を何も予想できなかったのです。

百年や五十年ではないのです。千年に一度といわれるくらいの凄まじい地震が起きることすら、現在の地震学では予想できないのです。

では、その千年に一度の大災害が起きることさえも予想できなかった人たちが、起きた後にああだこうだといったところで、それがどれだけ正しいものであるでしょう。

その人たちの研究が未だ遅れたままであるため、すでに多くの人たちの命が失われているというのにです。(それにしても凄まじい遅れ方ですね。そんな凄まじい災害さえまるで分らないというのですから)

私は前からいっています。物質面からだけではなく精神面からも調べた方がいいとです。(そこに住む人たちの普段からの心の在り方をです)

しかし、それを調べる学者はいないのです。(こういう人たちって、自分たちのせいで〔研究の遅れで〕多くの人の命が失われているという責任を感じているのでしょうか?感じているのであれば、たとえ私のようなシロウトの意見でも耳を傾けてもよいはずですが…)

私は、その心で(祈りで)この世に起きている自然現象といわれている現象を、すでに何度も現しているのです。

では、私のいうことをきいた方が正しいのではないですか?私は口だけではなく学者たちがすることはない証明までしているからです。(なら、私がいっていることの方がよほど科学的でしょう。原因と結果をはっきりいって、その通りのことを行っているからです)

実際そうです。私のいうことを誰もきこうとしないからいいことが起きないのです。

この辺りでもそうでしょう。私のいうことなど誰もきかないのです。逆らってばかりです。その結果、何が起きてきたのか?

恐ろしい現象ばかりが起きているのです。(具体的には書きませんが)

この辺りも日本も同じなのです。私のいうことをきこうとしないからいいことが起きないのです。

現にきいている人には奇跡が起きていますし、前にも書きましたが、ここには神の心を書いているのです。(しかも正しいです。奇跡が次々に起きるのがその何よりの証拠です)

では、その(正しい)神の心に従うのなら、当然、奇跡は起きるでしょうし(神が協力してくれますから)逆らうのならこれもまた当然、災いは起きるでしょう。

この世は神がつくられたからです。

その神がつくられた世で神の心に逆らっているのであれば、それではいけないという現象は当然、現されるのです。

それが神の愛の心であり、慈悲の心であるからです。(間違いをそのままにしておかないというです)

だから私はいっているのです。私がここに書いている神の心に合わせないといけないとです。そうすれば(災いどころか)奇跡が起きて来るからです。

実際、私には奇跡が起きていますし、私のいうことをきいた人にも奇跡が起きています。

こういう起きる現象の違いをもう何度も何度も見せているにもかかわらず、それでもまだ私のいうことを無視し続ける、これほど罪なこともまたないでしょう。

私のいうことをききさえすれば、奇跡が起きるようになるということはすでに多くの人が分かっていることであるからです。

しかし、それが分かっているのに無視し続けているのです。(中にはわざと逆らっている人までいます)

ではそれは、大きな罪になるのではないですか。その教えを実践すれば奇跡が起きると分かっていながら、敢えてその教えを無視して、災いが起きることばかりやっているからです。

それでは、そのような人たちが災いを起こしているといっても過言ではないからです。

では、それは当然罪になります。その人たちがこの教えに従うのなら、ずいぶん多くの災いを減らすことが出来ると思うからです。

とうことは、少なくとも、このブログを読んでいる多くの人は犯罪者ということになります。(心、つまりあの世から観たらです)一部の人をのぞいて、このブログを読んでいるほとんどの人が私のいうことを無視しているからです。

奇跡が起きる方法を知っていながら、敢えて災いが起きる方ばかりを選んでいるのです。それでは罪をつくっているのと同じでしょう。

このブログを読んでいる多くの皆さん、もう悪いことはやめましょう。(そういう自覚がないのかもしれませんが悪いことですよ、それは。死ねば分かります)

心を入れ替えてください。このブログを読んでいる人たちが心を入れ替えるなら(もしかしたら)ここに書かれた神の心(法)は世界中に拡がるかもしれないからです。

もし、この教えが世界中に拡がるのなら、世界中に奇跡が起きるようになるのです。

いま戦争やテロが起きているところも、段々そのテロや戦争が収まって行くのです。そのような場所に法が拡がるのなら、そのような悪い原因をつくっている人たちに次々に天罰がくだされるからです。(それはこの辺りの人たちが証人です)

また、それ以外でも世界を悩ましている激しい天変地変は当然収まっていきますし、他の様々な問題も(法が拡がるのなら正しい祈りが出来ますので天上界が導いてくださり)調和と安らぎのうちに収まっていくのです。

これだけよいことはないのではないですか?

私はそれが出来るという証明を、この名古屋の地ですでに行っているのです。祈りで様々な現象を現してです。(だからこの辺りも凄まじいことが起きていると思います。〔もう周りで怒りまくっています。うるさい、うるさい〕しかし、これも世界が平和になるための道筋の一つなのです。そのような過程を経なければ平和にはならないのです。それだけ多くの業をすでに多くの人々はつくっているからです)

この教えを実践して私に協力してくれませんか?

そうすれば平和への兆候はすぐにでも現れて来るからです。

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11月 21 2016

深まる正法の世

静かそうで、大きな音や小さな音が時々聞こえてくる、そのような何か異様な雰囲気の中、今日もブログを書いています。(苦笑)

本当にここら辺の異様な雰囲気、このブログを読んでいる皆さん方にも味わってほしいものです。(味わっている人もいますが)こういうおかしな雰囲気もです。この辺りの人たちがもっと神を思い、神に許しを請うのであれば、一変に解消するのです。(一変に災いは止まるということです)

いつまでも神を思わず、突っ張っているから、悪いことばかり起きるのです。

いい加減、偉大なる神を認められ、これまで神を思おうとしなかったことを神に詫び、そうして救いを求められたらどうでしょう。

そうすれば、必ず奇跡は起きるからです。

ここに奇跡が起きている者がいるにもかかわらず、その異常なまでの嫌いよう、異様な無視の仕方、まさに悪魔のなせる業です。

いつまで悪魔の虜となっているのですか?

それでは災いしか起きないのです。

本当に哀れですね。この辺りの人たちは、いつまでたっても悪魔のいうことしかきこうとしないからです。

そうして、その悪魔のいうことをきいて、神の側の私に対し悪いことばかりしている、だからそれだけ天罰を食らっているのです。

神の子の人間として、それ以上の悪い態度はないからです。

法を説いて多くの人の心を救っている私は、物をつくり与えている人たちより(だから、そこらの仕事をしている人たちより)もっと大事なことをしているのです。

この世で心を救うことほど大事なことはないからです。

その一番大事なことをしている私に毎日のように嫌がらせをし続けているのです。どうしてそれでよいことが起きるのでしょう。

その私に感謝して布施などしているというのであれば、それはよいことも起きて来るのでしょうが、その逆の行いを毎日続けている、それでは毎日のように悪いことが起きてきても仕方ありません。

それだけの(天罰を受けても仕方ないほどの)悪いことを、この辺りの人たちはし続けているからです。

だから、逆のことをしてはどうですかといっているのです。そうすれば(当たり前のことですが)逆のことが起きて来るからです。

災いの逆は誰でも分かると思いますが奇跡です。その奇跡が毎日のように起きて来るのです。よいことをされてはどうでしょう。

そのようなことが(奇跡も災いも)すぐに起きる(現れる)そういう時代にすでになっているからです。

これだけ災いが起きていて、それが急に奇跡が起き出す、そんなバカなと、そんなことが簡単に起きるわけがないだろうと、私のいうことを信じませんか?

逆でしょう。逆にこの辺りの人たちは、それが信じられるのではないでしょうか。

これほどの災いが毎日のように起きているのです。では、その逆もまたあるのではないかと想像できるはずであるからです。

奇跡も災いも、同じ神が現す業にはかわりがないのです。

しかし、この辺りの人たちは、誰一人私にいいことをしないのです。(私に布施した人、ゼロです)

だから奇跡が起きないのです。奇跡が起きている者によいことをしないからです。

奇跡が起きている者に、嫌がらせばかりしているからです。

だから、その行いを変えればいいのです。そうすれば、いいことが起きて来るからです。

布施されてはどうですか?この辺りの人たちの災いを止める方法で、一番早いのが、この私に対する布施であるからです。(よいことの実践、これが一番災いを止めるのには早いのです)

特にこの辺りの人たちはされた方がいいでしょう。この辺りの人たちは、あまりに悪い実践をやりすぎているからです。

いくら騙されている人が多いとはいえです。その聞いている噂が間違いだということは誰でも気がつくことが出来るからです。

鳥が寄ってくるような愛ある奇跡が私には毎日のように起きているのです。そういう奇跡が起きている者に悪い者はいないと、誰でも分かるのです。

それが分かるはずなのに分からない、では、この辺りの人たちは百パーセントと自分が悪いということになります。

私がそんな悪い者ではないといつでも気づけたはずなのに、それに気づこうとせず(それを認めようとせず)いつまでもたっても、こいつは悪者と、実際は善人である私に嫌がらせをし続けているからです。(その私に心まで救われているにもかかわらずです)

だから、この辺りの多くの人が(運転手も含めてですが)天罰を食らっているのです。

もう自分が悪いと分かっている人も多いはずなのに、それを認めるのが嫌で、未だに私一人を悪者にし続け、嫌がらせを続けているからです。

しかもそのようなことを法を説いている者にしている。これは最悪ですね。多くの人の心を救っている人は、それだけ大事な人であるからです。(それは、釈尊しかり、キリストしかりです)

その者をこれだけ悪人に仕立て上げ、毎日のように嫌がらせを続けている、これだけ悪い行いもありません。

それをもう何年も続けて来たのです。

では、ちょっとやそっとでその災いが止まるわけがありません。だから、私に布施されてはどうですかといっているのです。

そういう(法を説いている者に対し)よい実践を直接行う以外で、そのような悪いことをしている人たちの災いを止める手立てはもうないからです。

他の方法では、この辺りで起きている天罰はそう簡単には止まらないからです。(それだけ法を説いている人への布施は善いことであるということです)

試しに有名なパワースポットとか、お寺とか行って祈られてはどうですか?

あるいは名僧、高僧といわれている坊さんに祈ってもらってもよいのですが、それでこの起きている天罰が止まりますか?(先ほどキリスト教の人が訪ねてきました。その人たちより奇跡が起きている私にキリスト教をいわれても、逆に私がその人たちに〔本当のキリストの教えを〕教えてあげたいくらいです〔笑〕)

そんなことでは止まらないと、この辺りの人たちはすでに知っているのではないでしょうか。もうこの辺りで天罰がくだりだしてずいぶんたつからです。

そういうことをすでにやっている人などたくさんいると思うからです。(いろんな宗教団体の人もこの辺りにはたくさんいますから)

しかし、何も変わらないのです。むしろ起きる現象が激しくなっているのです。

それが何よりの証拠です。そういうことをしても何の効果がないというです。

それはそうです。この私が説いている法こそ、唯一無二の本当の神の教えであるからです。

他のものはどれも偽物であるのです。だから効き目がないのです。

本物の神の教えの前には、どんな偽物が現れようと太刀打ち出来ないからです。偽物など所詮は無力でしかないからです。(マァ、偽物にも悪魔の力は作用しますけどね)

本物しか神の力は現れないのです。だから現れているのです。次々に神の業がです。

私の説く教えこそ本物であるからです。

このブログを書いている間だけでも、何か起きているのではないですか?雰囲気が変わっているところもあるからです。(完全にまた何か起きましたね。〔もちろんどこかの会社です〕いじけてキレていますから)

もう次々に神の業が現れています。それは、この教えを伝えている私こそ本物の如来の系列であるからです。(如来の系列とは釈尊、モーゼ、キリスト、そうして高橋先生、園頭先生とつながる法の継承者という意味です)

だから私の周りにこれだけの神の業が現れているのであり、だから私に布施するなら、その災いは止まりますよといっているのです。

私に布施するということは、釈尊やキリストに布施するのと同じことであるからです。(ということは同じ功徳を得られるということです)

急がれてはどうでしょう。これ以降、いま起きている神の業は、激しくはなっても収まることはないからです。

このブログを書いている間だけでも次々に神の業は現れています。(どこかの会社がいい例です)

もう神の業が止まることはありません。

これからは正法の世が深まっては行っても浅くなることはないからです。

(神の業は、奇跡も災いも両方いうのです。正法の世が深まるということは、皆さん方の心次第で奇跡も災いもこれからはドンドン起きるということです。いつまで小さな心でいるのですか?そんなに怒っていても危ないだけなのです。〔本当にもう災いが起きまくりますよ。そのままでは〕あなたたちは許しを請う以外、もう救われる道はないのです)

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