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11月 20 2016

無神論の呪縛(じゅばく)

しかし、折れませんね。

私がどれだけ危ないブログを書いても、皆さん意地になって怒っているだけです。(特に運転手連中などそうです)

名古屋の人たちの我の強さには呆れるばかりです。

昨日も怒っている人がたくさんいました。今日などすでに(どこかのマンションですが)バシバシやって怒っています。(何か起きて怒っているのか、それとも昨日のブログを読んで怒っているのか、それは知りませんが)

そういうことをやればやるほど危なくなるのです。いい加減理解されてはどうでしょう。今がどれだけ危ない状況であるのかということをです。

よほどのことが起きていなければ、あちこちの人が烈火のごとく怒っているのはおかしいですし、前の会社が急に静かになるのもおかしいのです。

中途半端な災いの起き方であるなら、前の会社はキレて怒っているだけであるはずだからです。

しかし今回は、その何年にもわたり同じような態度を取り続けていたところが、急に静かになったのです。

では、よほどのことが起きてきたと想像できます。そうでなければ、もう開き直っているこの会社が静かにするなどおかしいからです。

これまで以上の災いが起き出している、そう考えなければ、あの連中が静かにするわけがないからです。

では、よほどの危ない現象が現れているということになります。(…どんな現象でしょう。〔汗〕)

河村市長、名古屋に非常事態宣言でも出してくれないでしょうか?そうしないと、この辺りの人たちは今がどれだけ危ないのか、その危なさがいつまでたっても分からないようだからです。

これも無神論の呪縛ですね。

その無神論の呪縛が解けない限り、この辺りの人たちが神の業を恐れることはないのです。存在しないものが力を現すはずがないと思っているからです。(だから、悪いことが起きているのはお前のせいとなるようです)

しかし、いい加減分かりませんかね。(神の力がです)これだけの奇跡も災いも起きているのです。

こういうことが一個人の力で出来るとでも思うのでしょうか?

何か無理やりそう思おうとしているとしか思えませんが(今さら神を肯定できないからです)それは特別この辺りの人たちだけではないでしょう。

他の人も似たり寄ったりであると思うからです。

だからほとんどの人がまだ無神論の呪縛が解けていないということです。そうではないでしょうか。

このように意地でも自分たちが悪いと認めない人たちもそうですが、心を救われ奇跡まで起きているのに、布施一つしようとしない、そのような態度の人たちもまた無神論の呪縛が解けていないのです。

無神論でない人たちなど(つまりこの法を少しでも知っている人たちは)すぐにでも寄付してくれるからです。(私に寄付してくれた人はすべて、すでに法を知っていた人たちばかりでした)

法を教えてくれた人に対しては、そうすることが当たり前のことであるからです。

つまり神の心を教えてくれた人に対しては、何かのお礼をするのが当たり前と無神論でない人たちは知っているのです。

それが、そのまま神へのお礼になると知っているからです。

しかし、無神論の呪縛が解けていないとこれが分からない、存在していないものにお礼をいう必要などないと思ってしまうからです。

だから、布施すること(神へのお礼)がどれだけ価値あることなのか、それも分からないのです。

存在しないものにお礼をいっても意味がないと思うからです。

しかし、その間違いはいずれ分かるのです。そのような思いが間違いであると様々な現象を現し、神は気づかせてくれるからです。(この辺りで起きている災いも、その一つの現象です)

だからこのブログを読んでいて(奇跡まで起きたのに)私に一切布施しようとしない人たちも、いずれその自分たちがしている間違いは分かるのです。

そのような態度は間違いであると分かる現象が、何らかの形で必ず現れて来るからです。

例えば、この前のリオオリンピックで日本はいい成績を収めました。

そのリオオリンピックに出た日本選手の中でです。私は、このブログを読んで(心を変えて)よい成績を残した選手もいると思っていますが、しかし、オリンピック選手の中で誰一人、私に寄付した選手はいません。

オリンピック選手がお前のブログを読んで心を変え、それでいい成績を残した?寝言は寝ていえと、お前のブログなどオリンピック選手が読んでいるわけがないだろうと、そのようにいう人もいるでしょう。(そういう人が大半なんでしょうが。〔苦笑〕)

では予言しておきます。

もし、このまま、この前のリオオリンピックに出た選手が誰も私にお礼もいわず、寄付もしないというのであれば、次回の東京オリンピックは日本は惨憺(さんたん)たる結果に終わることになります。

今のままなら必ずそうなると、そう予言しておきましょう。そのような気づきの現象は当然現れると思うからです。

少なくとも私は、このブログを読んで心を変え、そうしてよい成績を残した選手もいると思います。

そういう選手が私に何もしないというのであれば、それは即ち神へのお礼もないということになりますから、それだけ不誠実なことはありません。

そういう不遜な態度の選手ばかりであるなら、当然、次の東京オリンピックは(もし、その選手が出られればという話ですが)その選手はよい成績を残すことはないでしょう。

今度は神は、その選手に力を貸すことはないからです。(むしろマイナスの力が働きます。それが、その選手のためになるからです。それが神を無視してはいけないという気づきの現象であるからです)

今回リオで日本選手はよい成績を残しました。(なにせ史上最多のメダルですから)

だから次回の東京オリンピックではもっとよい成績を残そうと、ずいぶん盛り上がっていますが(別な面でも盛り上がっていますが。新都知事のせいでです。〔笑〕)残念ではありますが、このままいくなら、次回の東京オリンピックは日本勢は散々な結果に終わるでしょう。(それはどれだけトレーニングを積んでも同じです)

このままなら次回の東京オリンピックは日本の選手に神が協力しないからです。

この前オリンピックに出た選手は、四年後の東京オリンピックまで神を信じようとせず、今のままの態度を続けるというのであれば、そうされるとよいでしょう。

そうであるなら、神の力は今度は逆の面に作用するからです。

早く無神論の呪縛から抜け出すことです。そうすれば、私に布施することなど当たり前のことであると思えるようになるからです。

神の心を教えてもらうくらい有難いことはないのです。その本当の神の心を教えてもらい続けているのです。

無神論でなければ、逆に何かしたくていられなくなります。それが神の子の人間として当たり前の思いであるからです。

神の心を知るなら、神の子である私たちは心から嬉しさがこみ上げてきます。だからこのブログを読むと嬉しい人がいるのです。本当の神の心がここに書かれてあるからです。(それを心は知っています。だから心の奥から嬉しさがこみ上げてくるのです)

そうして書かないと怒っている人もいます。同じ理由ですね。また読めると思っていた神の心が読めないと、それだけ面白くないことはありません。(この世で一番面白くないことでしょう。神の子の人間が読めると思っていた神の心を読むことが出来ないということはです)

だから怒りがこみ上げてくるのです。

だから、少しも布施しない人がブログを書かないと怒っている、本当に勝手なものだと私は思うのですが、そのような人たちの心を思えば、そのような態度も仕方がないかとも思えるのです。

神の子の人間として、これ以上がっくり来ることはこの世にないからです。(苦笑)

そういう心では、すでに神の心を知りたくて仕方がないという人も出てきています。しかし、そういう人でも未だ私に布施しようとはしないのです。

なぜでしょうか?

それはまだ完全に無神論の呪縛が解けていないからです。まだ心の隅に「神などいない」そのような心があるからです。

だから私に布施出来ないのです。存在しないものに布施などしようと思わないからです。

だから本当の価値あるものも分からないということになりますが、早くその無神論の呪縛から抜け出すことです。

そうすれば、本当の価値あるものが何かよく分かるからです。

神の心ほど価値のあるものはこの世にないのです。

その本当に価値あるもの(神の心)が分かった時、そこから初めて本当の幸福な人生が始まるのです。

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11月 19 2016

心の広さ

いやはや凄いですね。

何が凄いかって、昨日も私が家の近くまで帰ってくると、あちらでガンガン、こちらでドンドン、あちこちから音が聞こえてきました。

私はまた祭りでも始まったのかと驚きました。(ずいぶん時季外れではありますが)

この辺り、そこらじゅうで怒っていますね。(ほんと段々怒る人が増えています)凄い形相でにらみつけてくる人もいたようですが、本当に何度いえば分かりますか?

「その起きている災いは私のせいではない」とです。(皆さん、バカじゃないですよね?)

もう、みな私のせいです。何か、そこらじゅうで怒りたくっています。そうかと思うと、どこかの会社のように急に静かになってしまったところもあり本当に極端な人が多いのです。(あそこ本当にやばいんじゃないですか?静かになったとはいえ、ところどころで怒っています。相当起きているのではないでしょうか。恐ろしい現象がです)

いつまでも突っ張らずに詫びを入れたらどうでしょう。それ以外ではもう救われる道はないからです。(運転手の人たちもそうしたらどうですか?そういう運転手の人たちもやたら怒っているか、静かになってしまったかの両極端な人が多いからです)

この辺りで、そのような(極端な)態度を取っている人たちは、まずこのブログを読んでいます。

だからはっきり書いておきますが、どうあっても私のいうことに耳を貸さず、そのまま突っ張り続けるというのであれば、近いうちに百パーセント癌か何かで苦しんで死ぬことになります。(もちろん、その後は地獄往きです)

それでも、私のいうことをききませんか?

これほど多くの現象(災い)がこの辺りで現れ始めているというのにです。

ここに書くことは嘘ではありません。嘘を書く者に奇跡など起きないからです。(嘘を書いている人に天が味方しますか?本当のことしか書かないから未だに奇跡が起き続けているのです)

本当にそうなるのです。すでにそうなっている人がたくさんいるのではないですか?だから、そこらじゅうで怒っている人がいるのでしょう。

しかし、何度もいいますが、その現象はどれだけ怒っても止まらないのです。(そうして私のせいでもありません。因果応報という法則は絶対であるからです。私がもしそれだけ多くの人を病気にしているのであれば、もうとっくに病気になっています。私が未だに健康でいるのが、私が人を病気にしていない何よりの証拠です)

自分たちが悪かったと反省しない限り止まらないのです。その現象は自分たちが悪かったため、起きていることであるからです。

自分たちの心と行いが正しかったならば、そのような災いが現れるはずがないからです。逆に奇跡が起きて来ないといけないからです。(それは私が証明しています)

自分たちが悪かったのです。だから、そのような恐ろしい現象が次々に現れ始めたのです。

神がつくられた世の中で、その神を思わず、自分本位なことばかりして、そうして、そういう態度はいけないと、もっと神を思わなければいけないと、正しいことをいっている者のいうことを聞こうともせず、その正しいことを説いている者に罪まで擦り付け、我を張り続けている、これだけの悪いことをしていていいことが起きるわけがありません。(それが悪いことだという自覚がある人が少なそうですが、それは知らないだけで〔心の法則を〕実はこの辺りで私に対しやっていることは大変な悪いことなのです。だから、これだけのことが起きているのです。その起きていることで理解してください。自分たちがしている大変悪いことをです)

そんな悪いことをし続けたため、それをしているこの辺りの人たちに次々に天罰がくだり始めたのです。

それだけの罪をこの辺りの人たちは(未だに)つくり続けているからです。

だから、そのような(怒り、恐怖する)現象が次々に現れ始めたのであり、そうであるなら、そのやっている悪を反省しない限り、その現象は止まらないのです。

いい加減自分の罪を認めてはどうでしょう。それを認めない限り、恐ろしい現象から逃れる手立てはないからです。

「そんなに多くの人にそんなことは起きないだろう」「自分は大丈夫だ」何の根拠もないのに、そんな甘い考えで突っ張り続けるのなら、その人には確実に天罰がくだるでしょう。

神の力は無限であるからです。

もし世界中の人が、そのような態度を取るのなら、世界中の人にその恐ろしい現象は現れるのです。

この大宇宙を創造された神が、その大宇宙から見たら、チリやほこりのような小さな存在でしかない地球の人々を消し去ることなど、造作もないことであるからです。

そう考えるのであれば、私たちが思っていることなど、どれだけ小さなことであるのかお分かりいただけると思います。

私たちが住んでいるこの地球は、無限の広さを持つ大宇宙から見たらチリやほこりのような存在でしかないのです。

では、その小さな小さな地球に住んでいる私たち人間はどうなるのでしょう。

地球がチリやほこりなら、それだけ小さな地球に住んでいる私たちなど、それこそ微生物程度のものなのであり、どれだけ小さいか分からないほどなのです。

その(顕微鏡で見なければ分からないほどの)小さな人間が、人間同士で我を張りあって、少し頭を下げ反省する程度のことが出来ないというのです。

では、そのようなことは、大宇宙から見るなら一体どれほど小さなことなのか分からないくらいです。(あまりに小さすぎて想像すらつきません。〔苦笑〕)

何でそんな小さなことに、それほどこだわるのですか?そのままの心では天罰がくだるのは確実であるにもかかわらずです。

もう少し大きな心になってはどうでしょう。

そうすれば、自分たちがどれだけ小さな心の中でこり固まっているのかよく分かるからです。

少し空を見上げるだけで、誰にでも広大な宇宙は分かるのです。

しかし、そのような宇宙の広大さを認識できるのは、それだけの心の広さを持っているから出来るのであり、それだけの心の広さがなければ、それは分からないのです。(宇宙の広さが分かるのは、それだけ広い心を人間は持っているから分かるのです。それだけの心の広さがなければ、宇宙の広さも分からないのです)

人間は誰でも、宇宙大にまで広がる大きな心を持っています。

その大きな心を少し広げてみませんか?

そうすれば、もっともっと素晴らしい世界が現れてくるからです。(また、心を広げるなら、それぞれに持っている素晴らしい能力も現れて来るからです)

追伸…この辺りはもう相当危ない人が多そうで、それで今回、ずいぶん危ない内容のブログになってしまいましたが、それは、それだけこの辺りは緊急事態であるということでご了承ください。

先ほどから二度、三度と公衆電話から電話がかかって来て私が出ると切れてしまいます。

そういうことをしている人に何かあったのか、それとも自分たちの身内や仲間に悪いことが起きて、それで腹いせにそんなことをしているのか、それとも詫びでもいれようと思い(その決心がなかなかつかずに)そういうことをしているのか分かりませんが、どういう気持ちであるにせよです。

私に電話をかけてくるのであれば「助けてください」「許してください」という電話がいいでしょう。

そのような心の人に私が祈るなら、その人には必ず何らかの奇跡が起きるからです。(そういう心以外で電話をかけてきているのであれば、このような状況です。一発で災いが起きます。当然そういうことをして来る人を私は祈るからです)

何度もいいますが反省して、改めてこの教えを学びませんか?

そうすれば、黙っていても奇跡は起きて来るからです。

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11月 18 2016

気づき

しかし、昨日は呆れましたね。(マァ、普段から呆れることは多いんですが)

夕方、家の近くまで帰ってくると、色をなして怒っているところがありました。近くで家かなんかをつくっている大工連中です。

もう私が歩いていると分かるとガンガンやってきます。しかし、私はこの連中を全然知らないのです。

その大工たちが作業している道など通らないし(いくら近所でも通らない道はありますよね)その人たちを祈った覚えもありません。

顔も見たことがない人たちが、何か悪いことが起きたからとそれを私のせいにして怒りたくっているのです。

だから呆れたといっているのです。悪いことが起きるとこの辺りの人たちは、それを何でもかんでも私のせいにしているからです。(だからいってやりました。「あんたら誰?顔も知らないし祈ったこともない、そういう人たちに何かあっても俺のせい?」とです。そうしたら、静かになりました。〔苦笑〕)

どうして私がそんな知らない人たちまで病気にするのでしょう?そんなことをやたらめったらしたところで、それで一体私にどんなメリットがあるのですか?(そんなことをしても恨みを買うだけだと思いますが…)

人を次々に病気にして、何がそんなにうれしいんでしょう。人が次々に不幸になることを喜んでしているようなら、その人は相当頭がおかしいと思いますが、では私は人の不幸を喜び、人を次々に病気にしているいかれた男だとでもいうのでしょうか?

もし、私がそんな男なら、なんでそんないかれた者にいろいろな生き物が寄って来る(それも喜んでです)愛ある現象が起きているのですか?

分かりませんか?そういうことをいっている方がよほど頭がいかれているのです。

あまりにいっていることが常識外れであるからです。そうして、法則も何も知らない、無知としか思えない話を本気で信じているからです。

いい加減理解してください。自分たちが騙されているとです。

この辺りの多くの人はありえない話を信じて、感謝しなければいけない者を悪人と思いこみ、嫌がらせをしているのです。

だから、そのような人たちに悪いことが起きているのです。

自分たちが(騙されて気づいていないだけで)大変な悪を犯しているからです。その悪が自分たちに返ってきているだけなのです。(騙されてドロボーをしても、そのドロボーの罪は消えません。それと同じです)

そうして、これまでして来た悪がいま次々に自分たちに返り始めたのです。そういう時代になったからです。

現在の日本の多くの人々は、これまで大変な悪を犯してきたのです。

それが無神論という思想です。

神がつくられたこの世にいて無神論という思想ほど悪い思想はありません。そういう最悪の思想をこれまでの日本の人々は持ち続けて来たのです。

では、罰が当たるのも当然なのではないですか?

日本の多くの人々が神の子である人間としては、もっとも悪い、神などいないという無神論思想を未だ持ち続けているからです。

この辺りで私にちょっかいをかけて起きている災いは、それは私に対する感謝が足りないから起きていることもあるのでしょうが、それ以外のことは(例えば、先ほどの私の知らない大工さんなどそうですが)私のせいではなく、自分たちの思想が悪いために、そのような悪いことが起きているのです。(無神論思想だけではなく自分たちの無神経から来る不摂生とか、逆にあまりに神経質とか、そういう理由でも病気にはなりますから。それもすべて自分の責任です)

そのような自分たちのこれまでの足りなかった考えが、いま多くの災いとなり現れているのです。(だからそれは病気ばかりではありません。最近激しさが増している天変地変も同じなのです)

心が現象として現れる、そういう時代になったからです。(正法の世)

時代が変わったから、こういうことが起き出したのであり、そのちょうど時代の変わり目に私が出て来たから、この辺りの人たちは、その時代が変わって起きてきたことを私のせいにしているだけであり、いま起きていることは時代が変わったから起きているのであって、だから私がいなくても結局、起きたのです。

ただ、私がいたため、その時代の変わり目がよくこの辺りの人たちには分かった、それだけのことなのです。

私がもしいなかったら、いま起き出した激しい現象も(多くの人が病気になることにせよ、激しい天変地変にせよです)ただ「最近は癌で亡くなる人が増えたね。多死社会になったんだから、それも仕方ないか」とか「温暖化で台風やゲリラ豪雨が激しくなって最悪」程度にしか思わなかったのです。

そんなことは自然に起きているだけだと頭から思っていたからです。

だから、まだ日本のほとんどの人が(これほどの現象が現れてきても)その程度にしか思っていないと思いますが、この辺りの人たちは、私がいたため、そのようなことはおかしいと気づいたのです。

私が様々な現象を現し、多くの神理を語ったからです。(その神理はすべて高橋、園頭両先生から教えられたものです)

だから、この辺りの人たちは気づけたのです。(それは、このブログを読んでいる他の地域の人たちも同じでしょうが)

しかし、起きていることが不自然であると理解はしても、それが時代が変わったために起きてきたことであるとまでは理解せず、それを全部私のせいにした、それがこの辺りの人たちの不幸であったのです。

私のいうことの都合のいい部分のみ理解し、都合の悪い部分は(自分たちが悪いという部分は)まったく聞こうとせず、その都合の悪い部分を全部私のせいにして「お前は悪い奴」と私に嫌がらせを繰り返している。

これだけ悪いことをしていては、いいことが起きるわけがありません。だから、この辺りは不幸になる人が多いのです。それだけ多くの悪を重ねているからです。(よくそんな悪いことをしますね。まったく気づいていなかったことを気づかせてもらった者にです)

それもまたこれまでの業でしょう。多くの人には責任転嫁という悪い業がしみついているからです。

そのような心をすべて直さないと、もういいことは起きて来ないのです。何度もいいますが、そういう時代になったからです。

まだ全国の多くの人たちは何も気づいていないのです。

しかし、このブログを読んでいる人たちは、やっとそれに(時代が変わったことに)気づき始めたのです。

それをいつまでスルーしているのですか?

この気づいたことを一人でも多くの人に話し、その時代に合わせた心になるなら、いま起きている多くの災いは減り、多くの奇跡が現れて来るというのにです。

(今日はどうしたんでしょう。前の会社が異常に静かです。何か相当やばいんじゃないですか?これだけ静かなのは、初めてであるからです。〔汗〕)

追伸…だから、例えば、佐川急便でもそうなのです。

私に嫌がらせをしないだけではいけなかったのです。私のことを知り、私に嫌がらせをしなかったのなら、なんで寄付までしなかったのでしょう。(佐川の中にも私のことを知って心が救われた人はいたと思うからです)

そうすれば、佐川に災いは起きなかったのです。そのような(大変)よい行いをする人がいる会社には神の光が降りたからです。(神の光が降りているところに災いは起きません)

しかし、佐川は私に嫌がらせをしなかっただけで、それ以上のよいことをしなかった、それが災いが起きた原因なのです。(しかし、その災いも少ないと思いますよ。もっと起きているところがありますから。ありますよね。どこの運送会社とはいいませんが)

いまからでも遅くありません。私に寄付されたらどうですか?

それが災いが起きない、一番の方法であるからです。(もちろん、感謝の心を持って寄付しなければ意味がありませんが。感謝の心もないのに〔ただ災いが起きてもいけないからと〕寄付されるだけでは、災いは止まりませんから。〔形だけの寄付では災いは止まりません〕)

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11月 17 2016

時代が変わったことにいつ気づくのか

昨日は東山動物園に行ってきました。

特別な理由があったわけではありませんが、久しぶりに動物たちの顔も見たかったし、SDカードの整理をしていますので、また動物たちの不思議な映像が撮れるようにもなったからです。

そういう「面白い映像がまた撮れないかな」とあてにして行くと、また面白い映像が撮れるのです。(これが法を勉強している人としていない人の差でしょう。そういうあては普通は外れるのですが、法を勉強しているとズバリと当たるのです)

昨日もいくつか面白い場面が撮れました。

まずゾウです。

そのゾウたちが(母子二頭のゾウです)私が見ていると、急に水飲み場に入っていってバシャバシャやり始めたのです。(この寒いのにです)

その水飲み場は、少し広い池のようなスペースになっているのですが、そこに浸かるというより、体を沈めてバシャバシャやっています。(私の目の前です)

この寒いのに大丈夫か?と思い「お前らそんなことしていると風邪ひくぞ」とかなんとかいいながら、動画に撮っていました。(笑)

そこでバシャバシャ水浴びをしているという生易しいものではありません。ガバッと水の中に体を沈めて顔だけ出して、鼻から水をまき散らかしたり、その顔までつけて水の中でバシャバシャやっているのです。

最初は何をやりだしたのかと、また(水飲み場で)溺れだしたんじゃないのかと驚きました。(笑)

しかし、この寒いのに、ゾウが頭から水の中に入りますかね。(頭まで沈めていたのです。尻を出して頭は水の中に沈めていましたから)ゾウって寒くないのでしょうか?(というか、頭までもぐって大丈夫なんでしょうか?耳から水が入らないんでしょうか?)

ゾウの生態など知りませんからよく分かりませんが、本当に珍しい映像であると思います。

もう一つ珍しい映像が撮れたのですが、それはナマケモノです。

ナマケモノってあまり動きませんよね。実は私もこれまでそのナマケモノが動いているのを見たことがなかったのです。(いつも寝ているのか、見ていてもまったく動きません)

ところが昨日はよく動いたのです。(昨日は起きていたんでしょうね。きっと)

私が見ていると、あっちにウロウロ、こっちにウロウロして、ジッとぶら下がっていても、尻などかいて動きを止めようとしないのです。(二頭いたんですが、そのうちの一頭がです)

「元気だな」とかいいながら、そのナマケモノたちも動画に撮りました。

他にもチンチラとか(このチンチラも最近は私が行くともう喜んで動き回りますから)リスとか、可愛らしく動き回るのがいたんですが、そういうのはもう何度も撮っていますので撮りませんでしたが(リスはちょっと撮りました。直接見られるところがあるものですから)本当に普段そんなことはしないだろと思うようなことを、いろいろやってくれる動物たちがたくさんいました。

そういう動物たちを足早に見て早めに動物園を出ました。(ゆっくりなんて見ていられません。来ている人から飼育員から、そこにいるスタッフ、工事現場の作業員に至るまで、そこらじゅうの人からちょっかいをかけられますから。〔苦笑〕)

そうして歩いて帰ってきたのですが(四時間もかけてです。〔笑〕)途中、鶴舞公園によると、そこにもまた可愛らしい動物たちが待っていました。

鶴舞公園の中にある池に行くと去年いたカモたちが今年も来ていました。呼ぶと嬉しそうに寄って来ます。

そうして池に向かって声をかけていると、あちらでガボガボ、こちらでガボガボ鯉が泳ぎ回っています。

その可愛らしいカモや鯉たちも動画に撮りました。(それもまた面白い動画ですよ。私のすぐ横でカモがバシャバシャやっている。あちこちでガボガボやっている鯉や、その鯉が私の方に泳いできて、私のすぐ近くでバシャとかやる場面が撮れていますから)

周りを見ると、そういう実際の生き物に興味を持たず、バーチャルの生き物ばかりに興味を持っている人がたくさんいます。(ポケモンGOをやっている人がたくさんいるという意味です。なにせ鶴舞公園は聖地らしいですから。〔苦笑〕)

実際の生き物を相手にするなら、まだ愛など出て来て心が豊かになって心の勉強にもなるのでしょうが、バーチャルの生き物ではそういう心の勉強にもなりません。

せっかく、この世に出て来て本当に無駄なことをしている人が多いなとつくづく思いました。

そんな愛のかけらもないことをしているより、もう少し愛を出す勉強をされてはどうでしょう。

そうしないともう危ない時代になっているからです。

その鶴舞公園を出て帰って来ると、家に近づけば近づくほど怒っている人が増えます。最近は運転手もバスなどよりトラックの方が怒っていますね。(前は市バスの連中がやたら怒っていましたが)

最近は、特に怒っているトラックの運転手が多いのですが(一体何が起きているんでしょう?)その中で佐川急便の運転手まで怒っているのです。(昨日も怒っている運転手がいましたし、二、三日前にもいました。そういう運転手がです)

なぜ、佐川急便の運転手までと断って書いたのかといいますと、はっきり書きますが、この佐川急便の運転手は実は私に何もしてこなかったのです。

もちろん、そういう運転手がゼロではありませんでしたが、他の運送会社に比べれば段違いで、なぜだか分かりませんが、佐川の運転手だけは、これまで私に嫌がらせをしてこなかったのです。(社内でそういうお達しでも出ていたのでしょうか?〔バカの相手はするなとかのです・笑〕他の運輸会社や運送会社のトラックは、もう私の顔を見ればブシュブシュやってくる、そういうところばかりでしたから。〔苦笑〕)

そういう会社まで、最近はやたら怒って私に嫌がらせをして来るのです。

なぜでしょうか?

ということは、つまり、私に何もしてこなかった会社まで災いが起き出しているということなのでしょう。

それを私のせいにして怒っているのでしょうが、こういうことでも分かります。この災いが私のせいではないとです。

そうではないでしょうか?

先ほども書きましたが、佐川急便は私に何もしてこなかったのです。ということは、私は佐川急便の運転手を祈ったことはないということです。

しかし、私が祈ったこともない会社にも災いが起きているのです。

ということは、この災いは私のせいではないということです。私が祈っていないところにも他のところと同じように災いが起きているからです。

もし、私の祈りで(祈りだけで)その災いが起きているのであれば、佐川急便に災いが起きるのはおかしいからです。

だから私はいっているのです。もう時代が変わっているとです。

いま起きていることは、もちろん私に対して嫌がらせをして起きている天罰もありますが、そればかりではなく、時代が変わって起きていることもあるということです。

むしろそっちの方が多いということです。そうでなければ多死社会になどなるわけがないからです。

もう心を正さないと、そうしてこれまでの行いを反省しないと天罰がくだる時代になったのです。

だからそこらじゅうで恐ろし災いが起きているのです。心が悪いままであるからです。

そのような心のままで(無神論のままで)本当のよいのですか?

そのような心では、いつ災いが現れるのか、もう分からない時代となったのです。

それにいつ気づくのですか?

(ずいぶん私と起きていることが違いますが、いっていることをいい加減理解していただけないでしょうか?怒っていてはダメなのです。反省しないと、その災いは止まらないのです)

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11月 15 2016

民意より神意

しかし、韓国は凄いですね。百万人規模のデモです。ニュースで見ていても迫力ありますね。

とはいえ、高橋先生はデモなどしてはいけないといわれていました。では、韓国の人たちは百万人規模で間違ったことをしているということになります。

いくら韓国の伝統とはいえ(伝統みたいですね。韓国は昔からデモばかりしていたようで、それで韓国の歴史まで変わってしまったそうです)間違ったことは早くやめた方がいいでしょう。

そんな、間違ったことばかりしていてはよいことが起きないからです。(日本のようにです。〔苦笑〕)

別に韓国にケチをつけるわけではありませんが、私はただいけないものはいけないといっているだけです。

そのようなやり方は間違っているからです。

なぜ、デモがいけないのか?

結局それは、力ずくということには変わりがないからです。

そうではないでしょうか。権力者は権力を使って何かを変えれば力ずくといわれます。

しかし、それは民衆も同じであり、数の力で何かを変えようとするなら、それは力ずくで物事を変えているのであって、ただ権力者と権力を持たない民衆ではやり方が違うだけで同じことをしているのです。

別にデモは韓国だけではなく(日本も含めた)どこの国でもしていることで、力のない民主はデモでも起こさないと世の中を変えることは出来ない、デモは戦争をするわけではないので、平和的でよいなどと思っている人が多そうなので(それでも民衆の力に任せて物を投げたり壊したりしてますけどね)このように分かりやすく書いているのですが、はっきりいうならデモもやってはいけないのです。

何度もいいますが、そのやり方が違うだけで力ずくで物事を変えることには変わりがないからです。

力ずくで物事を変えることは正しことではありませんよね。よく皆さんそういわれますが、それは正しいことであって、ではデモもいけないということになります。

デモも力ずくであるからです。(デモは民衆の数を頼った力です。だから高橋先生はデモなどしていてはいけないといわれたのです)

ではどうすればいいのか?ということになりますが、簡単な話です。話し合いをすればいいのです。

それは、話し合いで解決出来ないものはないと皆さん方がいわれている通りであると思うからです。

その話を権力者が聞かないから、デモをしているんだろうといわれますが、それは熱意が足りないのではないですか?

もっと強い気持ちを持って多くの人が声を上げるなら、その熱意は権力者にも届きます。では、どんなえらい人とも話し合いが出来るのではないでしょうか。

民主主義の世の中であるからです。

お前はアホかと、そんな話し合いだけで何でも解決出来れば世話はないと(いつもは、話し合い、話し合いとばかりいうくせにね。特に共産党などです。〔笑〕)たとえ民主主義の国であれ(では、民主主義でない国はもっとひどいのでしょうが)どうやっても私たち(民衆)の話を権力者がきいてくれないから、デモをしているのであり、戦争をしているわけではないのだからデモはいいのだと、デモくらいしなければ世の中は変わらないのだと、そう言い張る人もいるでしょう。(だから共産党などやっていることが矛盾しているのです。一方で話し合えといいながら、一方でデモを先導しているのです。話し合いとデモ〔力ずく〕ではやっていることが対極にあります。矛盾もはなはだしいですね。この一点を見ても共産党の間違いがよく分かります)

他に平和的な(?)解決方法がないからです。

しかし、本当に他に方法がないのでしょうか?話し合いがどうしても通じない相手にはです。

そんなことありません。他に方法はありますよね。それも一番平和的な方法がです。(これだから法を知らない人は困ります。そう思わないでしょうか?このブログを読んでいる皆さんはです。〔苦笑〕)

そうではないでしょうか。そういうことをいう人たちは祈るということを知らないのです。(私が祈りでこれほどの成果〔?〕を上げていることを知らないのでしょうか?〔多分、知らないでしょう・笑〕)

だからデモなどせず祈ればいいのです。その祈りが正しければ、必ず天はきいてくださるからです。

例えば、今回の韓国大統領の機密漏えい、職権乱用事件などもそうです。

大統領に直接話が出来ないというのであれば、なぜ祈らないのでしょう。

あれだけ多くの人が(何せ百万人規模ですから)あそこでデモなどせずに全員で静かに天に祈りを捧げたなら、なんと韓国の人は神を思い、大統領を思っているのかと世界の人は感動したはずです。

そのような真摯な祈りは見ている人の感動を呼ぶからです。

違いますか?多くの人が「神よ、大統領を正しくお導きください」と心静かに祈るのです。これほど感動を呼ぶシーンはないのではないでしょうか。

その祈りが「大統領が獄につながれますように」などという祈りでは、もちろんいけませんが、もし、百万規模の人があそこで正しい祈りを行ったなら、そこに即座に神の光が降り(しかもたくさんのです)それこそ、その場所に奇跡が現れたかもしれないのです。

多くの人の正しい祈りは天をも即座に動かすからです。

だから私はいっているのです。デモをするなど間違いであるとです。

それほどの人が、その場に集まってデモなどする暇があるなら、祈りをした方がよほどいいのです。(というか、祈りが正解です)

祈りは力ずくではないからです。天の(正しい)導きを得る行為でしかないからです。

人がすることは間違いがあります。しかし、天がされることに間違いはありません。だから祈らないといけないのです。正しい祈りが出来るなら、その後、天が正しい導きをしてくれるからです。

その導きに従い、行うなら、その行いは正しいものであるからです。

今の韓国だけではありませんが、どこの国の人もです。「デモは正しい」このような思想は捨てた方がいいでしょう。

デモも力ずくであることには変わりがないからです。

こういう時は祈ることが正しいのです。では(今デモなどしている韓国も)デモなどやめて、みなで正しい祈りをしませんか?

そうすれば、その祈りだけでも大きく世の中を変えることが出来るからです。

(どこかの会社の人たちも相変わらず大変そうです。それだけ起きていて〔もうパニック状態ですね〕それでも嫌がらせだけはやめない。本当におみそれします。しかし、そのままでは起きる現象は激しくなるばかりです。いつまで進歩のないことを続けるのですか?本当に滅ぼされますよ)

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