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9月 19 2016

神に逆らうのか、それとも従うのか

それにしても多いですね。怒っている人がです。(今日も朝からやたら怒っている人がいましたし)

どこかの会社の連中も毎日のように急にキレて大騒ぎを始めるのです。(今日は休みだからブログを書いていますが)一体、何をそんなに怒ることがあるのでしょう。

私からすれば不思議で仕方ないですね。私の周りに起きることといえばです。愛らしい現象しか起きないからです。(愛らしい現象が起きて怒ることはないですから)

といっても、その愛らしい現象は人は関係ありません。みな他の動物が起こすことばかりですが(苦笑)一体全体怒るような現象ってどんな現象なんでしょう?

そんな現象、私には起きたことがないので分かりませんが(人に怒るようなことをされるということはよくありますが。〔笑〕)それもこれも心と行いの違いでしょう。

その心と行いが違うから起きることが違うのです。

私に怒っている人たちは皆です。私に多かれ少なかれ心が救われているのです。

しかし、誰一人、私にその恩を返した人はいません。

受けた恩をまったく返そうとせず、また、その恩のお返しをしたとしても、それを仇で返しているようではよいことが起きるわけがありません。

だから、私に対し怒っている人は悪いことが起きているのです。受けた恩をしっかり恩で返そうとしないからです。

私が多くの人を病気にしているなど、デマ以外の何ものでもないのです。

因果応報、善因善果、悪因悪果という法則を知るなら、それは分かるはずです。私が人を病気になどしているのであれば、もうとっくに私は病気をしていなければいけません。(私はずいぶん多くの人を病気にしているようですから)

しかし、病気をするどころか、私には奇跡ばかりが起きているのです。

この起きている奇跡こそ、私が何も悪いことをしていない、普通の人以上によいことをしているという何よりの証拠なのです。(この起きて来る現象ばかりは嘘もごまかしも出来ませんから。それともこの辺りの人たちは善因悪果、悪因善果などという法則があるとでもいうのでしょうか?もし、そんなことをいう人がいるのなら勝手に法則をつくるなといいたいです。そういうのを屁理屈というのです)

よく考えてみてください。未だに起きているサイレンでもそうです。

何度も書いているように、あのサイレンは運転手連中が私に対しブシュブシュやり始めてから始まったのです。

私がまだ多くの人に知られる前には、こんなにサイレンなどしていなかったのです。

しかし、私は(多くの人に名前が知られる前から)祈りもし、同じようなブログを書き続けていました。

私は昔も今も同じことをしかしていないのに、途中から急にこのようなサイレンがするようになったのです。

その始まりが、私の名前が多くの人に知られ始めた頃でした。

バスやトラック(電車)の運転手連中が、急に私の顔を見るとブシュブシュ嫌がらせを始めたのです。(私のブログが気に食わなかったのか、やっていることが気に食わなかったのか、それは知りませんが)

それからです。この恐ろしいサイレンが始まったのはです。そうして、このサイレンは段々増えていったのです。

では、何でこのような恐ろしい現象が(次々に人が病気になり救急車で運ばれるということが)起き出したのでしょう。

その理由は何でしょうか?

よく考えてみてください。私の名前が拡がり始めた頃ということは、多くの人たちの心が救われ始めた頃ということです。(私の名前が拡がると同時に曲がりなりにも法も拡がり、多くの人の心が救われたからです)

ということは、これから多くの人の心が救われようとしているその時に、その多くの人の心を救おうとしている者を、この運転手たちは潰そうとしたのです。(よってたかって私に嫌がらせをしてです)

これだけ天を怒らせる行為があるのでしょうか?これだけ罰当たりな行為があるのでしょうか?

私の名前が拡がれば拡がるほど、多くの人の心が救われるというのにです。

だから始まったのです。このような恐ろしい現象がです。

それだけこの運転手たちは天を怒らせたということです。そうでなければ、これほどの現象を天から現されるはずがないからです。(これほどの現象を人が出来ると思いますか?この現象は人の業なのではなく天の業なのです。人がこれほどのことをやれるはずがないからです)

この運転手連中がやっている行為が、どれだけ天を怒らせたのか?

それは、その後のこの現象の拡がりを知るなら分かるはずです。

最初、この辺りで起き出した多くのサイレンは、その後、名古屋中に、愛知県中に、そうして東海三県中に広がり、現在はどの程度広がっているのか分からないほどなのです。

これほどの恐ろしい現象が、これだけの広がりを見せているということは、それだけの悪の行為を(それだけの天を怒らせる行為を)多くの人々が行っているということです。

だからこれだけの神の業が(天罰が)現在現されているのです。それだけの神を怒らせる行為をこの辺りの人たちが行っているからです。

そうでなければ、これだけの神の業がこの辺りに現れるはずがないのです。

そのそれだけの悪の行為とは(神を怒らせる行為とは)運転手連中のブシュブシュだけではありません。その運転手連中に騙され、このサイレンをすべて私のせいにして、そこら中の人が私に嫌がらせをするようになった、その行為も含めてです。

そのような行為自体が(いくら騙されている人が多いとはいえです)大変な悪なのです。(大変神を怒らせているのです)

その大変な悪をすでにもう東海三県の多くの人たちが私に行っているのです。だから、それだけ恐ろしい現象も広がったのです。

それだけ多くの人が間違った噂を信じ、大きな悪を(神を怒らせる行為を)平気で行い続けているからです。

いい加減気づいてください。自分たちの間違いをです。自分たちがどれだけ神を怒らせているのかということをです。

よほど神を怒らせていなければ、これだけの現象がこの辺りに現れるわけがないのです。この辺りに現れている現象は世界のどこにも起こり得ない現象であるからです。(こんなに次々に人が救急車で運ばれるなど、戦争でも起きていない限り起こり得ないでしょう)

その大きな悪の原因をつくった運転手たちは次々に病気になっています。(それはやたら怒っている態度や、急に静かになってしまった態度で分かります)

この連中は自分たちも心が救われているくせに、それに少しも感謝せず、私に自分たちの罪を全部かぶせ、未だに間違った噂を流し続け、まだ私に嫌がらせをし続けているのです。

このような(無反省な)態度が大いに天を(神を)怒らせ自分たちを病気にしているのです。(だからこの運転手連中は、これからまだドンドン病気になって行きます。私に嫌がらせをしているだけではなく、多くの人を騙してもいるからです。自分たちの罪を全部私にかぶせてです)

この辺りは世界でも起きえない神の業が現れているのです。それほどの業を現した原因は何なのか?それをしっかり知らないといけないのです。

この辺りの人たちは、それだけ大きな悪を犯し神を怒らせたということです。

ではなぜ、これほど神が怒り世界でも起きえない神の業がこの辺りに現れているのか?

それは、この場所に唯一の本当の神の教えが存在するからです。

その唯一の本当の神の教えが存在するのに、その教えの有難さが分からず、都合のいいところだけは聞き(だからこの教えを聞いた分は心が救われているはずです)後は聞かずに、感謝もせず、人の噂を簡単に信じて、その唯一の神の教えを説いている者を悪人と思いこみ、嫌がらせをし続けている、これだけの悪もないのです。

そうして、これだけ神を怒らせる行為もないのです。

だから、騙した人、騙された人に関わらず、悪いことが起きているのです。

これほどの悪を犯させる騙す方も悪いが、騙される方も悪いからです。(それほど罪が大きいということです)

私に嫌がらせをし続けているのなら災いしか起きません。(現にそうでしょう)しかし、私に協力するのであれば(それは、この法に従うということになりますので。それは即ち神に従うということになりますので)自ずと奇跡は起きてきます。

この私が唯一、その本当の神の教えを説いている者であるからです。(それは私の周りに起きている愛ある現象を見れば分かるはずです。それをいつまでも認めないからいけないのです)

いい加減目を覚まし、この教えに従いませんか?そうすれば(自分ばかりでなく)これだけ災いばかりが起きている世の中まで救うことが出来るからです。

神に従うのか、それとも逆らい続けるのか、その判断次第で、その後の人生は大きく変わるのです。

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9月 18 2016

愛を持つことの大事さ

二日ほど前の話ですが、女子プロゴルフのトーナメント(マンシングウェアレディース)を観に行ってきました。

しかし、相変わらずあちこちで怒っている人がたくさんいます。(本当に何年たっても変わりません)

そういう態度の人たちに、こちらは辟易(へきえき)しているものですから、昼頃トーナメント会場を出て近くにある野間の海に行ったのですが、そこではまた不思議なことが起きました。(これもまた恒例ですね。〔笑〕)

海岸につくと私はコンビニで買ったおにぎりを食べ始めたのですが、近くにカモメの集団がいました。(たしか二~三十羽いたと思います)

その集団が、私が近くにいたからかどうか分かりませんが(多分私が近くにいたからでしょう)大騒ぎを始めたのです。(その中の半数くらいのカモメがです。後の半分は知らん顔をしていたようですが、そのギャップがまた面白かったです。〔苦笑〕)

ギャーギャー鳴き始めるもの、水面で堀川のカモメたちのようにバシャバシャし始めるもの、近くを飛び回っているものと、にぎやかなものです。

「お前ら少し静かにしろ」と声をかけながらおにぎりを食べていました。

しばらく、そのカモメたちを眺(なが)めながらおにぎりを食べていたのですが、ふっと目の前の波打ち際を見て驚きました。

なんとそこに、また小魚が来ていてバシャバシャやっていたからです。

いつからいたのか気づきませんでしたが「……?何やってんのこいつら、すぐそこにあれだけカモメがいるのに」と私は少し呆然として、その小魚たちを見ていました。

少し離れたところにたくさんのカモメたちがいるのです。(また近くにサギも二、三羽いました)それにもかかわらず、この小魚たちは平気で波打ち際まで泳いできてそこでバシャバシャやっているのです。

私は驚いて、おにぎりを持ったままで「お前らこんなところにいると危ないぞ。早く沖に帰れ」と近くまで行って小魚たちを追っ払おうとしましたが、その小魚たちは私が近くまで行くと、逃げるどころか嬉しそうに泳ぎ回っています。

何度追っ払おうとしても逃げて行かないのです。

「困ったな」と思っていると、少し離れた場所ではカモメたちがまだ大騒ぎしています。

私が近くにいればカモメも寄って来ないだろうと、そこでおにぎりを食べ少し休んでいましたが、小魚たちは逃げるどころか段々数が増えて来ました。(最初は小さな一団が波打ち際で騒いでいただけでしたが、そのような集団が、あちこちに出来はじめ、最初にいた小魚たちの集団の数も知らぬ間に増えていました)

それでしばらくはそこにいましたが、あまり小魚たちが寄ってくると、さすがにカモメたちもこちらに飛んできかねないので(だって、魚をとっている漁師の回りなどカモメたちがたかっていますからね。餌がそこにあれば人がいようがいまいがカモメたちは飛んできます)私は「お前らまたな」とその小魚たちやカモメたちにいって、その場を離れました。

私があそこにいつまでもいては、小魚たちがどれだけ波打ち際まで寄ってくるか分からなかったからです。

しかし、私はあまりの違いに愕然(がくぜん)としました。

何の違いに愕然としたのかといえば、その海にいた魚やカモメたちと、先ほどのトーナメント会場にいた人たちとの心の違いにです。

一方は、私が悪いことをやっていると信じ込んで怒って嫌がらせばかりして来るのに対し、もう一方は、なんと自分たちの命が危険にさらされていても、それでも私の近くまで喜んで寄ってくるのです。

これだけやることが違っていては、それは愕然とします。

あまりにその心が違っているからです。

動物たちは法の偉大さを理解しているから命を懸けても私の近くに寄ってくるのであり、人間たちは、この法の偉大さが理解出来ないから、いつまでたっても多くの人が私に対し怒っているのです。

そうして協力しようともしないのです。

法の偉大さが分からないからです。

法の偉大さが分かるのであれば、率先して私に協力するでしょうし、私が悪者か、それとも普通の人以上の善人かは分かるのです。(だから動物たちは命懸けで私の近くに来るのでありますし)

しかし、それがいつまでたっても分からない、これこそ法が理解出来ない、典型的な例なのであり、だから不幸が続くのです。

では、何で今いる人たちは法をいつまでたっても理解出来ないのでしょう。その理由は何か?ということですが、それはやはり愛がないからでしょう。

愛がない人に法は理解出来ないのです。

最近の多くの人の狭量さは目に余るものがあります。

例えば、子供がうるさいので保育園をつくるなとか、最近は風鈴の音さえうるさく感じる人も多いとか。

昔は自分も同じように周りに迷惑をかけ世話になったはずなのに、そんなことはなかったかのように振る舞い、風流と思えるようなことまでうるさいと感じてしまう。

昔では考えられないことですが、それだけ最近の人は狭量になり愛がなくなったということです。

こういう事例は、その典型であると思うからです。

これでは法は理解出来ないのです。心があまりに狭く小さくなっているからです。

法はその心を広く大きくするものです。あまりに心が狭く小さくなっている人たちばかりでは、その法の偉大さを理解出来ないのは至極当然のことであり、だからたくさんの不幸が起きているのです。

そういう法を理解出来ない、狭く小さな心は多くの不幸を呼ぶからです。

愛を持とうとしないから不幸になるのです。愛があるなら、そんな不幸は寄ってこないのです。

愛は不幸を遠ざけ、幸福を呼ぶからです。

少し愛を持つなら、自分たちがお世話になり、自分たちも迷惑をかけた保育園をつくるな、などとは決して思わないはずです。

自分も過去同じことをしてきたからです。同じように小さい時は周りに迷惑をかけ、周りに世話になってきたからです。

では、お互いさまという心は当然あるはずです。

しかし、そういう心がまるで出てこない、これこそ愛がない証拠なのです。

しかし、結局、そのような愛のない心は損なのです。そのような心が回り回って自分に返ってくるからです。

愛のないことをしていると、愛のない人生しか送れないのであり、愛のない人生しか送れないのであれば、結局その人は不幸な人生であったということになるのです。

愛のない人生など不幸以外の何ものでもないからです。

少し心を広げ愛を持たれてはどうでしょう。そうすれば、その愛が自分に返って来て、幸福な人生を歩むことが出来るからです。

(その究極の愛が先ほどの命を懸けても近くに寄ってくるという魚たちの愛であり、その対極にあるのが、命を懸けても神に逆らうという、この法の流布をじゃましている人たちです。毎日のように悪いことが起きているようですが〔何か本当に凄そうです〕いつまでそんなことを続けるのですか?本当に滅ぼされますよ)

追伸…2018年のNHKの大河ドラマが「西郷(せご)どん」に決まったそうですね。

私が尊敬する西郷さんが大河ドラマの主役ということになると本当に楽しみなのですが、今回は女性の方が脚本を手掛けるとのこと。

そうであるなら女性ならではの視点で、西郷さんの深い愛をぜひ多くの視聴者に伝えてほしいものです。

西郷さんは人以上に愛深い、慈悲深い方であり、天を思いながら行動された方です。(その西郷さんの心は「敬天愛人」を知るなら分かります)

それをより深く伝えてほしいのです。

女性はそのような愛の深さを伝えるにはうってつけであると思うからです。(男では、なかなか西郷さんの愛深さまでは伝えることが出来ないと思いますから)

この愛がなくなった世の中に西郷さんの広く深い愛を伝えることは、まさに時代に即したドラマであると思います。

それを思うなら再来年のNHKの大河ドラマは本当に楽しみですね。

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9月 11 2016

騙され続けている不幸

昨日あんなブログを書いたら、早速怒っている人がいましたね。(苦笑)

この辺りの人もそうですが(すぐに反応してバシバシやってきた、どこかのマンションの人たちもいましたし)私が可愛そうなどとは少しも思わず、お前のことなど知るかと、薄ら笑いを浮かべてブシュブシュやってきた運転手もいれば(何かわざとらしかったですけどね)やたらムッとしてブシュブシュやってきたのもいる、私が近くにいると分かると、急にでかい音を立ててブルドーザーを運転しだすのはいると、いろいろ怒っている人がいました。

自分たちが悪いのがばれるのが嫌なのか(そりゃ嫌でしょうが)自分たちが祈られるのが嫌なのか(祈られて困るようなことをしなければ何も問題ないはずですが…)それはよく分かりませんが、もし、私のブログを読んでそういうことをするなら、これからは二重に祈られるということになります。(そうですよね。その場でも祈られ、家でも祈られるんですから)

そうすると悪いことが起きて来る確率も高く早くなります。

そういう心を早く直された方がいいのではないでしょうか?ただでさえ、そういうお返しの現象が早くなっているのです。それでそういう態度では、そのお返しがよけい早くなるからです。

少しはよいことをされてはどうでしょう。そうすれば、そのお返しも早いと思うからです。(どういう理由があるにせよ、怒っての嫌がらせなど悪いこと以外の何ものでもないですから)

それにしても昨日でも、未だ私が悪いと嫌がらせをしてくる人がたくさんいました。しかし、サイレンが始まった経緯や因果応報の話をすると、だいたいの人は、その嫌がらせをやめてしまいます。

それはそうでしょう。私の話の方が(私の悪口をいっている人たちよりも)よほど話の筋が通っていると思うからです。

悪いことをしているから悪いことが起き、よいことをしているからよいことが起きる、これが当たり前のことなのです。

では、私は悪人なのでしょうか?これだけ奇跡的な現象が起きているのにです。(悪人に奇跡が起きるとは思えませんが…)

しかし、私のことを悪人だと思い込んでいる人がこの辺りは多いのです。

なぜでしょうか?

例えば、オレオレ詐欺などに騙され続けている人が幸せになれるでしょうか?

詐欺に騙され続けている人が幸せになれるはずがありません。そういう人は、自分のお金を取られ続け、最後には破産して不幸になるのです。

それと同じで、間違ったことを信じ続け、騙され続けているのなら、その人は最後には不幸になります。

その通りのことがこの辺りで起きているのではないでしょうか。

この辺りで、私が原因で悪いことが起きている、すべて悪いことはあいつのせいと思い込んでいる人たちが、次々に不幸になっているのです。(病気になどなってです)

その反面、私のいうことを一部でも信じ行った人には奇跡が起きています。

しかし、不思議なことにこの辺りの人たちは、それを知っているにもかかわらず、その事実を誰も理解しようとしないのです。

奇跡を無視し、悪いことだけを私のせいにしているのです。

では、この辺りは騙されている人が多いのではないですか?だから、そういう偏った見方しか出来ないのです。(騙されてでもいなければ、そういう偏った見方などしないでしょう。この辺りの人はまるで詐欺にでも騙されているかのような一方的な見方です)

この辺りの多くの人が間違った噂を信じ、その噂に騙されているのです。だから私のいうことが素直に聞けないのです。

悪人のいうことなど聞けるかとなってです。しかし、悪人に奇跡は起きません。

悪人どころか、私は普通の人以上の善人なのです。(だから奇跡が起きているのです)早くそれに気づいてはどうでしょう。

そうしないと知らず知らずのうちに不幸の道を進むことになるからです。

だからこの辺り多くの人が不幸になっているのです。目の前にある幸福の道を進まずにわざわざそれに逆らって不幸の道を、それと理解せず進んでいるからです。

幸せの道は、この法を実践する中にこそあるのです。

しかし、それをそうと思わせず、あいつのいうことを聞いては不幸になると逆のことを教える、それが悪魔の噂であるのです。

人を憎ませ、自分の罪を認めず、すべてその罪を人に転嫁する、そうしてよけいに憎悪を増していく、そういう話を聞けば聞くほど人を憎み周りが見えなくなります。

これこそ悪魔の手法なのです。

その悪魔の毒牙にかかり、まったく周りが見えなくなっている人が、この辺りにはたくさんいるのです。

そんなことはない、周りはちゃんと見えているというのなら、なぜ、この辺りの多くの人が私の奇跡を認めないのですか?

私は多くの人の目の前で奇跡を現しているはずです。

そうして、この法を少し実践しただけで奇跡が起きた人がたくさんいるということも、この辺りの人は知っているはずです。

しかし、そういうことを知っているにもかかわらず、それでも私を認めず、逆らい続けている、これこそ悪魔が憎悪で周りを見えなくさせている何よりの証拠なのです。

憎悪でこり固まった心は、よいことなど一つも認めようとせず、よいことをすればするほど憎しみがわいてくるのです。

そのよいことを悪いことだと思わされるからです。だから、こいつは悪いことばかりしている、そう悪魔は思わせるからです。(だからこの辺りの人たちは、このブログも悪いことを書いていると思いながら見ているのかもしれません)

もっと視野を広げ周りをよく見てください。何も悪いことが起きているのはこの辺りだけではないのです。

すでに日本のあちこちで次々に起きる天変地変で大変な被害が出ているのです。それに日本は多死社会になっているということも知っているはずです。(テレビでもいっていますし、このブログにも書きましたから)

ということは、日本のあちこちで多くの人が死んでいるということになります。では、この辺りだけではないのではないですか?

不幸が増えているのはです。

ところが、その不幸の原因をこの辺りの人は、私一人のせいにしているのです。どう考えても、その考えはおかしいと思わないでしょうか?間違っていると気づかないのでしょうか?

だから私はいっているのです。

憎悪で周りが見えなくなっているとです。そうして、間違った噂を信じ騙され続けているとです。

この辺りの多くの人は、そういう間違った考えに支配されている人が多いのです。

だから不幸になる人が多いのです。先ほどから何度もいっているように騙されていては不幸にしかならないからです。

誰だって自分が騙されているなど思いたくもないし、思わないでしょう。しかし、実際に悪魔の噂に騙されているのです。

だからそれほどの憎しみが私にわいてくるのです。この辺りの多くの人が悪魔に騙されているからです。

騙されていなければ、その人を憎むということ自体、すでに間違っていると気づくはずだからです。(もちろんそんな考えを持っていれば、その考えが自分に返って来て自分も不幸になります)しかし、それさえも気づかない(私だけではなく)すべての人を不幸にする、これこそ悪魔の業なのです。(神の業とえらい違いです)

不幸になっているのは、私のせいではなく、その私を出しにして悪魔が多くの人を騙しているからなのです。

いい加減自分たちが騙されていることに気づいてはどうでしょう。今のこの辺りの多くの人たちは、詐欺に遭っているのと同じくらい(それどころか、それ以上の)不幸な道を(知らず知らずのうちに)突き進んでいるからです。(詐欺師は金を取るだけですが、悪魔は心を腐らせてしまうのです。悪魔の噂を信じていれば憎悪で心を腐らせてしまいます。本当に悪魔の噂は恐ろしいのです)

もっと視野を広げてみてください。そうすれば私のいっていることが分かると思うからです。

もっと視野を広げるなら、私にどれだけ多くの奇跡が起き、そうして、私のいうことを聞いている人たちにも次々に奇跡が起き、そうして、この法を実践することこそ幸せの道であると分かるのです。

しかし、騙されたままでは必ず不幸になります。(それどころか、その悪魔の噂を信じたままでは本当に恐ろしいことになるのです)

その騙しから早く目を覚ましてください。そうすれば、幸せの道はすぐ目の前に広がっていると分かるからです。(法がここにありますから)

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9月 10 2016

百の言葉より一の行い

今日は前のバカ会社は休みですか…今週もよく怒っていました。

昨日など朝からカンカンでした。(凄い怒りようで)しかし、昨日は朝から出て行きましたので(内海に行ってきました)よかったです。家にいたら凄かったでしょうね。(苦笑)

あれだけ怒っていては悪い現象がよけい現れます。逆のことしかやりませんね。本当に哀れなものです。

しかし、怒っているのはこの連中だけではありません。

前回のブログを書いた翌日、外を歩いていると、やたらトラックの運転手連中にブシュブシュやられました。(あのブログのあてつけでしょうか?)

それが頭に来たものですから、この一週間というもの、そこらじゅうで前回のブログに書いたようなことをいいまわりました。

そうしたらここ一日、二日は妙に静かです。さすがにやらしいんでしょうか。(苦笑)

しかし、事実ですからね。あの連中が多くの人を病気にしたから、自分たちが今、次々に病気になっているのであり(因果応報)私は一人として人を病気になどしていないから健康でいられるのです。

もし、私が人を一人でも病気にしていたら、今頃、私も同じように病気になっています。(疑う人は自分で実験してみてください。憎んでいる人に〔憎んでいる人など一人や二人誰だっているでしょう〕丑の刻参りをするのです。〔もう、わら人形に憎しみを込めてガンガン釘を打ち込んだってください〕それで、その憎んでいる人に何か起きたら、自分にも必ず何か起きます。自分の念が自分に返って来る実験などすぐにでも出来るのです)

いま私が健康でいて、多くの奇跡が起きているのは、私が人を一人も病気になどしていなくて、多くの人(の心)を救っているからです。

このような結果が、その何よりの証拠なのです。

よい原因を自分でつくっているから、よい結果が自分に現れているのです。(善因善果です。法則は嘘もつかないし間違うということもありません。必ず正しく現れるのです)

悪い結果が現れている人たちは、自分たちが悪いことをしているから悪いことが現れているのであり(悪因悪果)正直にその悪いことを皆にはなして心から反省し詫びを入れることです。

そうすれば、その悪い(恐ろしい)現象は止まるからです。

などと簡単に書きますが、それは「あのサイレンの原因は自分たちです。私たちが多くの人を病気にしました。本当に申し訳ありませんでした」ということをはっきりいえということです。

そんなことをいえるわけがありませんよね。運転手の連中がです。(そんなことをいったら周りの人たちの態度が一変するでしょうし、自分たちの信用もなくなるでしょうから)

しかし、それをいわなければ、自分たちに起きている現象は収まらないのだし、そのサイレンの原因は私一人に疑いが集中しています。(というか、もう私が犯人にされていますが)

あなたたちが、これから受ける苦しみをすでに私一人が受けているのです。少しくらい自分も悪かったと思わないのでしょうか?(こちらは無実の罪を着せられているのですよ)

しかし、遅かれ早かれ、その嘘はばれます。(私がばらしますから)

早く自分たちの罪を反省し、詫びた方がいいのではないでしょうか。どちらにしても、その自分たちがつくった罪は自分たちで償わなければいけなくなるからです。(この世に逃げどくはありません。この世で、その罪のしらを切り通したとしても、あの世でもの凄い苦しみが待っています。〔あの世の地獄で償う苦しみはこの世の数倍、数十倍です〕この世での償いの方がずっと楽なのです)

ですから、一刻も早く、このような人たちは反省してもらわなければいけませんが、しかし、これで私の疑いも晴れたと思います。

私が祈って人を病気にしているなどというあらぬ疑いがです。

何度もいいますが、私の祈りで、もし一人でも病気になっている人がいるのであれば、私もとっくに病気になっているからです。

それで書きますが、私は毎日のように祈っているのですが(いろいろなことをです)その祈りを一つ増やそうと思います。

その増やす祈りとは、このブログをもう何年も前から見ている人たちについてです。

そういう人たちは、私が何度「お気持ちだけで結構ですから、布施してください」と頼んでも、その頼みを聞いてくれません。

一人、二人の人は、それを聞いてくれますが、それ以外の人は私の申し出を一切聞こうとしないのです。

果たして、そのような態度が正しいのか否かです。それを祈ろうと思っているのです。(というか、もう祈っているんですけどね。このブログが書けなくなった一週間ほど前からです。このままではブログが書けなくなると思い「どうぞ、何年も前からこのブログをただで見ている人たちを正しくお導きください」とです)

このままでは何年たっても、今のまま変わらないでしょうし、今のままではいつかはこのブログも書けなくなります。

このブログが書けなくなるということは、法を伝えること、拡げることが出来なくなるということですし、それでは日本が滅びてしまいます。(もう滅びかけていますけどね。いろいろな異常現象が次々に起きてです。私はその原因は、そのような、このブログをボッーと見ている人が多いからだと思っていますが)

だからそういう祈りも加えて、そういう人たちの態度が果たして正しいのかどうなのか、天に聞いてみようと思っているのです。

ですから、別に今の態度を変えてもらわなくても結構ですが、そういう祈りだけはこれからします。(というか、もうしています)

そこはご了承ください。そのような人たちは自分たちの態度が悪いとは思っていないと思うからです。(自分たちの態度が悪いと思っていたらこんなこと平気で出来ませんから。〔笑〕)

しかし、自分が悪いことをしていないと思っていても、悪いことをしていることは多々あります。(それはこのブログを読んでいただければ分かると思います。〔苦笑〕)

自分はボッーとこのブログを読んでいるだけではない、自分なりに法の流布に協力している、とそう思われている方は大丈夫なんでしょうが(それも勘違いかもしれませんが)まったく自分はそういうことをしていないという自覚のある人はやばいかもしれません。

私が祈ると何か起きるからです。(天に導いてもらいましょう。このままでは法が説けなくなりそうだからです。あれだけ怒っているのです。〔ということは毎日のように何か起きているということでしょうから〕あの会社、もう何が起きてもやめないでしょうね。このブログのじゃまはです〕)

それこそ、布施くらいされてはどうでしょう。(せっかく寄付のページもつくったことだし、分かりやすくなったでしょう。振込先がです。〔笑〕)そのような行いを天は喜ばれるからです。(匿名でも何でもかまいませんよ。すべて天はお見通しですから)

別にこのままでよいと思っている人はかまいませんが、やはり今のままではまずいだろうと、少しでも反省される人は、すぐにでも布施してください。

何度もいいますが、すでに私は祈っているからです。(手遅れになってからでは遅いですから。私の祈り、自分たちで味わってみますか?このブログを読んでいる人たちだけの特典ですね。〔笑〕)

先ほども書きましたが、別に私の祈りでどうこうなるわけではありません。すべて自分に起きて来る悪いことは自分に責任があるのです。ただ私の祈りは、そのお返しを早くする作用はあります。

そこはご了承ください。悪いのは悪いことが起きる、その人自身であるからです。

ソロソロ次の一手を打たなければ、本当に日本が危ないのです。

現在日本で起きていることは、天変地変だけではなく、北朝鮮のミサイルや核実験など、それが本当に日本に向かって来たのなら、どれだけ被害が出るか分からない、もしかすると滅びるかもしれない(核など撃たれたら日本は終わりです)そういう深刻な状況なのです。

こういう危ない状況も法が拡がるなら変わってくるのです。

そのためにも法の流布は必要であり、法が拡がることが自分だけではなく日本も守ることになるのです。

百の言葉より一の行いです。

どれだけ口でうまいことをいっても、一つの行いもなかったら、その人は信用されません。

法に対し、一の行いをされている人が果たしてどれだけいるのでしょう?

この法は、そのような人たちの心も含め、多くの人たちの心を救っているのです。

そのような偉大な法にいつまで甘えているのですか?(このブログを読み奇跡が起きた人たちなど特にそうです)

法のために一の行いをしてください。

多くの人がそれをするなら、それが大きな行いとなり、日本を、ひいては世界を救うことになるからです。

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9月 04 2016

起きている現象の意味と価値

何か久しぶりのブログで書き方を忘れましたね。(笑)

今週一週間ブログを書かなかった理由は、もちろん前のバカ会社がうるさかったからです。

しかし、この一週間は凄かったですね。(前の会社ですが)昼前後に必ずキレ出すのです。急に烈火のごとく怒りだす奴がいて、その後、怒りたくっています。

何であんなに(しかも急にです)怒りだすのがいるのでしょう。

毎日のように癌になる人が出ているとでもいうのでしょうか?だとしたら、ずいぶん恐ろしいことが起きているようですが、しかし、そんなことが起こり得るでしょうか?

毎日、人が癌になるなど、なかなか漫画でもそういう発想は出て来ないと思うからです。

漫画でも書かないことが実際に起きている。もし、そんなことが本当に起きているのだとしたら、それだけ恐ろしいこともありませんし、また、それだけ稀有なこともありません。(そんな現象が起きているところなど、多分、世界中のどこを探してもないと思うからです)

もし、そんなことが起きているのなら、なぜ、それほどのことがこの場所で起きているのでしょう?

その起きている現象の意味と価値をもっと知るべきなのです。(だって、もし、そんなことが起きているのなら、世界でも起きたことがないようなことがこの場所でだけ起きているということになります。よほど大きな意味があるのでしょう)

そのような現象はもう神の業としか思えないのです。(人がそんなこと出来るわけがありません。もし、そんなことが起きているのなら、それはもう神の仕業です)

その多くの神の業がこの場所でだけ起きている、その意味をもっと知るべきなのです。

その多くの神の業は前の会社だけに現れているわけではなさそうです。

相変わらず、バスやトラックの運転手連中の怒りようも半端ないからです。

最近はやたらブシュブシュやられますが、昨日歩いていると、トラックが止まっていて積んでいる荷物の上げ下ろしを運転手がしていました。

その運転手が私が歩いていることを知ると、急にでかい音を立てたのです。

そこで私はチャンスだと思い、散々いってやりました。

「オイオイ、どれだけ人に嫌がらせをして病人を増やすつもりだ。自分たちがそんな嫌がらせを俺にやるから、あの救急車のサイレンが止まらないんだよな。あの救急車のサイレンは、自分たちがブシュブシュ嫌がらせを俺に始めたから始まったって知っているよな。あのブシュブシュを始める前は救急車のサイレンなどしていなかったんだからな」

「神からあの世から生まれ変わりから、何から何まで教えられて心を救われているのに、そのお返しがブシュブシュでは罰も当たるわな。自分たちが間違ったことをしているため多くの人が病気になっているのに、まだそんなことをしているのか。多くの人が自分たちのせいで病気になっているのに平気なのか」

「ずいぶん運転手に病気になる奴が多いようだけど、それは、それだけ多くの人を自分たちが病気にしているからだろう。その罪が自分たちに返ってきて、それで病気になる奴が多いんだ。因果応報だよな。俺に鳥が寄ってくるなどの奇跡が起きているのも同じ因果応報だよな。俺が多くの人の心を救い、人を病気などしていないからそういう奇跡が起きてくるんだ。その起きている現象がやっていることを教えているんだよ」

「皆さん、これが事実なのです。それは起きている現象で分かるはずです。そんな悪い者に鳥が寄ってくるでしょうか?私は悪いことをしていないから、これだけ愛ある現象が出ているのです。あのサイレンの本当の原因はこのような運転手連中がつくっているのです。だから、その罪が自分たちに返って来て、自分たちが苦しんでいるのですが、そのようなすべての罪をこの連中はみな私にかぶせているのです」

「ひどい連中でしょう。だからこの連中に病気が多発しているのです。因果応報です」

周りにいる人たちは、ギョとしている人、私をさげずんだ目で見ながら聞いている人、私のいうことを無視している人とたくさんいるのですが、運転手の顔を見ればどちらが本当のことをいっているのかは分かるのです。(もちろん、その運転手はすごい罰の悪そうな顔をしていました)

このことでもそうでしょう。この辺りのサイレンはもうこの辺りでは誰でも知っているのです。

何でこれだけ多くの人が、この辺りは病気になっているのでしょう。

それだけ本当の神の業が現れているからです。

では、なぜ、これだけ多くの神の業がこの辺りに集中して現れているのでしょう?

それは法が存在するからです。

それだけの意味と価値が(多くの人が天罰を食らうほどのです)法にはあるからです。

だからこの法に従う人には奇跡が起き、逆らう人には災いが起きているのです。

それほどの力が法にはあるからです。

このブログを書かなかった一週間の間に台風十号が東北を直撃し、岩手や北海道に甚大な被害をもたらしました。

そうして今また台風十二号が九州を直撃しようとしています。

このような場所には法がありません。だからそういうこと(大きな災い)も起きるのですが(この辺りは、そういう大きな災いはまったく起きませんから)しかし、このような甚大な被害をもたらす台風も、この法を実践する人が増えるのであれば、いくらでもコースを変えることが出来るのです。

台風のコースなど法を知っている人が祈れば簡単に変えることが出来るからです。園頭先生はもちろんそうですが、実は私も台風のコースを変えたことがあるのです。

それは十年ほど前の話です。十年ほど前に私はある場所に引越したのですが、その引越しの日に、ちょうど台風がこの東海地方を直撃しそうであったのです。

引越しの日に台風が直撃してはまずいと思い、そのことが分かった引越しの一週間ほど前に私は祈りました。

もちろん、台風が日本を直撃しないようにとです。

すると、その台風がです。引越しの二、三日前になんとUターンしたのです。(今回の十号と同じようなです。しかし、その時は太平洋の辺りから日本に向かって進んで来た台風が、また太平洋上に逆戻りして行ったんですが)

私はその時、偶然そうなっただけなのか、それとも祈ったからそうなったのか分かりませんでしたが、今なら分かります。

あの時は私が祈ったから、あの台風は東海地方を直撃せずにUターンしていったのです。(そういうことが本当にあったと、十年ほど前の台風のコースを調べてもらえれば分かります。その年はその台風だけではなく、異様に台風のコースが変わる、そんな年でした。その時にそういうことが起きたのです)

いま現在、私の祈りがきかれないのは、多くの人がこの法に逆らっているからです。(その当時は法に逆らっている人はいませんでした。それだけ法を知っている人がいなかったからです)

このように法は多くの奇跡的な現象を現すことが出来るのです。

繰り返しますが、いま現在、多くの災いが日本に起きているのは、その法に逆らっている人が多いからです。(逆らわないまでも、無視している人、自分の都合のいいところだけ聞いている人も多いからです)

法に逆らってはいけません。法には従わないといけないのです。

この法に従い、私に協力していただけませんか?

そうすれば、この日本に次々に起きている災いはすぐにでもなくなるからです。

(だから、この法の流布をじゃましている人たちはもちろんですが、法に逆らっている人、無視している人や都合のいいことだけ聞いている人たちにも、いずれ災いは起きてきます。それは正しいことではないからです。〔これだけ天罰が現れてきたのですから、それは時間の問題でしょう。今回、法が書けなくなったこともそれを教えているのです。このブログを読んでいる人たちがいつまでもボケっとしていてはダメだということをです。いつまでもボケっとしていれば、いずれ法を知ることが出来なくなるからです〕しっかり従われてどうでしょう。そうすれば、奇跡の起き方が尋常ではなくなるからです)

追伸…今回のブログにも書きましたように、この法を実践するなら、必ず奇跡が起こります。

もし、本当に体が悪い人がいるのであれば、この法を実践し、あとは神に心を全託して(すべて神に心を委ねるということです)治療にベストを尽くされてはどうでしょう。

そうすれば奇跡は起きるからです。

この法を知って実践した結果、多くの奇跡が起きた人がいることはもうご存知であると思います。

もう少し、この法を勉強し、私に協力されませんか?そうすれば必ず奇跡は現れるからです。

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