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6月 29 2016

神への反省

今日は微妙ですね。(苦笑)

そんなに無理しなければいいのにと思いますが、昨日も金山辺り行ったんですが、その帰りにずいぶん静かになってしまったところがありました。(中部電力の下請けのわりと大きな会社なんですが)

私が近くを通るとずっとでかい音を立てていたところです。そこが私が近くを通っても昨日はずいぶん静かで(私が歩いているのはすぐに分かります。そこらのすずめが騒ぐからです)なんと中にいた従業員で私に頭を下げた人までいました。

ちょっと驚きましたね。あそこは怒っている人がずいぶん多かったからです。あれだけ怒っていたところが変われば変わるものです。(昨日だけたまたまかもしれませんが)

しかし、そこだけではなく他にもありました。これまでは私が近くを通ると、異様に怒ってガンガンやっていたのが静かになってしまったところがです。

変わらないところも多いんですが、変わったところはもう少し変わってはどうですか?もう少し変わらなければ、その恐ろしい現象は止まらないからです。

散々嫌がらせをしてきたのはそちらなのです。子供だましのつくり話に騙されてです。

そんな人を次々に病気に出来る者などいないのです。

そんなことをし続けていればもの凄い雰囲気に変わってしまうでしょうし、そんな人を何十人も何百人も(あるいは何千人か何万人か知りませんが)平気で病気に出来る者など存在しえないのです。

生身の人間が、そんなことをし続けていたら精神的に参ってしまうからです。

人一人、自分のせいで病気をしたりけがをさせたりしただけでも「悪いことをした」と悔やむのです。

それなのに何十、何百、何千、という人を(少しも悔いることなく)平気で病気に出来る者などいるはずがありません。

狂ってでもいなければ、とてもそんなこと出来ることではないのです。

もし私が狂っているのなら毎日ブログなど書けないでしょうし、大体そんな狂って凄い雰囲気の者に鳥が喜んで寄ってくるはずがありません。

だから、どこをどうとっても、いま次々に病気をしている人たちが私のせいということはないということです。

今現在、もし次々に病気になっている人たちがいるとしたら、その病気になっている人たちは私が原因ではなく、何か他の原因でそうなっているということです。

では、何が原因なのでしょうか?

もう理解しないといけないでしょう。自分たちの不信心をです。

日本の多くの人たちは神など思おうともせず金儲けが第一でした。(何せ日本は無神論でしたから)

そうでなければ、戦後あれだけの経済大国になどなり得ないでしょう。

現在はアメリカが世界で一位の経済大国で中国が二位、三位が日本なのですが、少し前までは日本は世界で(アメリカに次いで)二位の経済大国であったのです。

日本ほどの小国がです。長い間アメリカに次いで世界で二番目の経済大国だったというのですから、どれだけ日本は経済を優先していたかが分かります。

日本人は勤勉でよく働いた、だからそこまで行けたのである、それは確かにいえるでしょうし、その部分だけ見るなら誇ってよいでしょう。

しかし、それはあくまで部分でしかないのです。

では、神に対してはどうであったのか?ということです。

日本は世界でも稀な(というか、共産国以外ではあり得ない)唯物無神論という思想であった国であり、そのような思想が、どれだけ神をないがしろにしてきたかということを物語っているのです。

つまり日本の人たちは神のことなど少しも考えてこなかったということです。

しかし、では神を全然思わなかったのかといえばそうではなく、普段は無神論をいっているくせに、自分が困った時とか、もっと金儲けをしたい時などは神を思うのです。

なんと勝手な思想でしょう。

日本の人々はこと神に関していうなら、これだけ不遜で傲慢な人たちはいなかったということです。

そのような神に対する不遜さ、傲慢さ、それを反省しなければいけない時が来ているのです。その時をいつまでも無視しているから、このような恐ろしい現象を次々に現されるのです。

その恐ろしい現象はこの辺りのことだけではありません。

あの頻繁に起きる異常な大雨も、ゲリラ豪雨や突風も、最近は続けて起きている(東日本大震災や熊本地震などの)異様に大きな地震も火山の噴火などもそうです。

すべて神の怒りなのです。

あまりに日本の人々が神に対し傲慢不遜であったからです。

そのような神に対する傲慢不遜を反省しない限り、このような恐ろし現象は止まらないのです。

この辺りで次々に病気になっている人がいるようですが、そのような人たちに真に神を思っている人がいたのでしょうか?

真に神を思う人がいるのであれば、そんな病気になることはなかったでしょう。

それは他地域の人たちも同じなのです。

いま大きな地震の被害を受けている人たちの中に真に神を思う人はいるのでしょうか?

西日本などの大雨の被害を受けている人たちの中にはどうでしょう。水不足の関東の人たちはどうでしょう。

真に神を思う人はいるのですか?残念ではありますがそういう人は一人もいないでしょう。

そういう心の人がもし一人でもいるなら、私と同じ奇跡が起きていないといけないからです。

では、いま日本に次々に起きている異常現象は一体何が原因なのですか?

温暖化でしょうか?それとも地震の活動期(?)に入ったからでしょうか?それとも(この辺りの人たちがいっている)私が原因なのでしょうか?

そのどれも違っているということです。

日本の人々の神を思う、その心が原因であるということです。

その神への思いが間違っているのです。だから、このような異常現象を起こされるのです。多くの人が神に対しあまりに不遜であるからです。

日本の人々は、そのような神への間違った思いを反省しないといけないのです。

そうしなければ、この異常現象は止まりません。すべてはその神に対する傲慢不遜な心が原因であるからです。(そういう心が天罰を受けているのです)

いつまで科学者の言葉を信じ、無神論をいい続け、責任転嫁をし続けるのですか?しかし、それではこの異常現象は止まらないのです。

むしろひどくなるばかりなのです。

では、ソロソロ私のいうことも信じられたらどうでしょう。

私は、その科学者のいうことの多くが間違いであるとすでに証明しているからです。

(していますよね。例えば、天気のこととか動物のことなどもそうです。新しい事実を、このブログを読んでいる皆さんは次々に知ったはずです。〔祈って現象など現していますから〕では、もう少し私のいうことを聞かれてはどうでしょう。そうすれば、この異常現象は収まるからです)

追伸…昨日もそうですが、小中学生の態度の悪さは呆れますね。(昨日も中学生を何人か見ましたが、完全に私をなめてバカにしてきます。大丈夫ですか?あんな態度を取っていてです。ああいう態度全部天が観ていますけどね)

どういう噂を聞いているのか知りませんが、目上の者にあまりに横柄な態度を取るのはやめた方がいいでしょう。

そのような態度の悪さがいずれ全部自分たちに返ってくるからです。(もう返っている人もいるようですが)

このような小中学生もそうだし、災いばかり起きている人たちもそうです。あなたたちは私に心を救われているのです。

では、もう少し謙虚になって感謝して、その聞いている噂が正しいのかどうかよく吟味すべきなのです。その噂が(まったく)違っているかもしれないからです。

この辺り災いが激しく現れだしたようですが、それもすべて自分たちの心と行いが悪かったからです。原因はそれのみなのです。(決して人のせいではありません)

悪いことはいいません。反省出来た人から私に詫びを入れたらどうでしょう。そうしないと(そのような心のままだと)まず災いは現れるからです。

他の人の目が気になるなら個人的にされればいいのです。匿名で詫びられても天はすべて知っているからです。

とにかくそういう人が増えてくれば、そう思わなかった人も気が変わり救われる人もたくさん出てきます。

一人でも反省する人が出てくることが大事なことなのです。(それがのちに多くの人の救いにつながるからです)

反省して詫びられませんか?

それが唯一の救われる道であるからです。

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6月 28 2016

もっとも尊いもの

昨日は知多の海に行ってきました。(内海、野間、知多奥田の辺りです)

特別理由はありませんが、海水浴客が来て海が混む前に行っておきたいと思ったからです。

名鉄で行ったんですが、名鉄の運転手や車掌で怒っている人もいれば頭を下げる人もいました。

頭を下げる人は救われますが怒っている人は救われません。しかし、頭を下げている人も下げているかどうかよく分からない中途半端な態度ではダメでしょう。

しっかり私に頭を下げ反省しないとダメだからです。そうしない限り、その罪は許されないからです。

私にちゃんと頭を下げに来てはどうでしょう。悪いことをしているのはあなたたちの方であるからです。

その名鉄電車に乗っていた時の話です。

行きは内海まで乗って行ったんですが、内海につく一つ二つ前の駅を過ぎた頃でしょうか「こんにちは」と声をかけてきた人がいました。

「ん」と思い顔を上げるとどこかで見た顔です。

そうして、その人の後ろにはテレビカメラまで持っている人がいてスタッフが十人ほどいました。

どうも電車の中でテレビ番組の撮影をしているようで、それでその人が「お話聞かせてもらっていいですか?」と私に聞いてきたのです。(「ゴリ夢中」という〔この中部地区だけしかやっていない番組なんでしょうが〕番組のロケをしていたようです。その番組のゴリさんが私に話しかけてきたのです)

私はてっきり法の話が聞きたいのかとばかり思い、いきなりテレビ番組で法の話をするのかと戸惑いましたが(そんなわけはないのですが。〔笑〕)聞くと内海の話を聞きたいというので(この内海の辺り〔南知多〕のロケをしていたようです)なんだと思って「地元ではないので内海のことは知らないです」というと「ああそうですか」と行ってしまいました。(あれではテレビに映らないでしょう。残念です。〔苦笑〕)

それだけの話なんですが、有名人と会えたのはラッキーでしたね。(笑)

それで内海について、内海から知多奥田の辺りまで歩いて行ったんですが喜んでいる鳥や魚たちがたくさんいました。(人はずいぶん嫌っているようですが。〔苦笑〕)

それで辻説法もしながら(もう海岸は人がちらほらいますので)動画も撮りながら行きましたが、どうも気が入っていないと(もう空いているSDカードがほとんどないので〔全然動画を公開していませんので〕動画を撮る気があまりないのです)よい動画も撮れないようで、いくつか撮るには撮りましたが後で全部消しました。

ついでに南知多ビーチランドにも行ってきましたが、あそこにいる生き物たちも相変わらず可愛かったです。

その生き物たちの態度が私と他の人たちでは全然違うのに(私の顔を見ると寄って来る動物、じっと私の方をみている動物がたくさんいました)その違いを見ても、誰も自分たちが悪いとは気づかないのです。(それだけ動物に愛されている者を悪人にしているのですから)

南知多ビーチランドに来ている人たちも、そこのスタッフも相変わらずお前が悪いという態度を取る人ばかりです。

この人たちはいつになったら自分たちが悪いと気づくのでしょう。

それは名古屋に帰ってきても同じでした。

やたら怒っている人があちこちにいるのです。市バスの運転手もそうですが(市バスの運転手はかなり怒っていますね)ある場所を通るとオバちゃんが私が通るのを待ち構えていたように(私が歩いてくるのを遠くから見ていましたから)家の雨戸を閉め始めました。

私が近くを通ると、私の方を見ながらガタガタ大きな音を立てて閉めています。

それで私が「オバちゃん、悪いことが起きるとみな俺のせいだな。あんたたち散々俺に嫌がらせをしたけど、それを詫びたことあるか?」と聞いたんですが、一切無視です。(ちょっとビクッとしましたかね)

何か悪いことが起きたんでしょう。それで私に八つ当たりしているのです。こういう人が最近は多いのですが、先ほどの市バスの運転手もそうですし名鉄の運転手もそうです。

私に心を救われているくせに(運転手の中には私のブログを読んでいる人も多いですから)それには少しも感謝せず、私を見かけると嫌がらせだけはしてくるのです。

自分のそういう心と行いをまったく反省しようともせず、悪いことが起きるとそれをみな私のせいにしているのです。

ちょっと聞きたいのですが、こういうことばかりしている人たちに悪いことは起きないのでしょうか?

こういうことしかしてこない人たちに悪いことが起きなければ逆に不思議ですよね。やっていることがあまりに自己中であるからです。

その自覚がまったくないようですが、自分たちはずいぶん悪いことをしているのです。だから自分たちに悪いことが起きているのです。(簡単な話なんですが…)

人に散々嫌がらせをしているのに、それを謝ろうともせず、悪いことが起きたら、その嫌がらせをしている者のせいにしている、しかもその者に散々心を救われているというのにです。

これでは凄まじいお返しがあるのも当然でしょう。一つの罪だけではなく、二重、三重の罪をつくっているからです。

私に奇跡が起きているのは、それだけ多くの人の心を救っているため、自分たちに災いが起きているのは、それだけ多くの悪を働いているため、それだけのことなのであり、それ以上のものでも、それ以下のものでもないのです。

その自分がした通りのことが自分に返ってきているだけのことなのです。

しかも法に対する悪は、その二重三重の罪をさらに倍加させます。

だからそれだけ恐ろしいお返しが返ってきているということです。

それだけ法に関する悪の罪は重いということです。他の罪などとは比べ物にならないくらいです。

他のことでこういうことをしても大して罪にはなりません。だからお返しも少ないのですが(罪が軽いからです)こと法に関してはダメなのです。同じことをしても、その罪が数倍、数十倍の重さになるのです。

それだけ法は尊いものであるからです。

自分たちに返ってきているお返しで、その尊さが分からないのでしょうか。もっとも尊いものを汚し続けているから、それだけきついお返しが自分たちに返って来ているのです。

折れないなら折れないでかまいませんが、あなたたちはこの世界でもっとも尊いものを知ったのに、それに感謝もせず(嫌がらせなどして)汚し続けています。

その罪の重さは計り知れないのです。

これほどの罪をつくっていながら、それでも折れないというのであれば、そのまま深い地獄に堕とされ、地獄で無理やり反省させられるのですが、その苦しみは言語に絶します。(それほど深い地獄に堕とされ深い苦しみを味わうということです。それほどの罪をあなたたちはすでにつくっているからです。考えてみてください。そうでなければ、これほど凄いお返しがあるはずがないでしょう。人が次々に病気になっているのです。こんな異常なことはこれまで起きたことがないくらいなのです。それだけ大きな罪を自分たちがつくっているからです。無神論であった人たちはその罪の自覚がないだけなのです。神の心をまるで知らないからです。本当に恐ろしいことを自分たちは自らしているのです)

頭を下げたらどうでしょう。何度もいいますが、悪いのはあなたたちの方であるからです。

(無神論だった人たちは自覚がないだけですさまじい悪をすでに犯しているのです。〔あなたたちは神の恐ろしさを知らなさ過ぎるのです〕どこかの会社もずいぶん腰が引けているようですが〔昨日帰ってくるとやたら怒っていましたが〕詫びを入れたらどうでしょう。そうしないとみな滅ぼされるからです)

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6月 26 2016

寛容、不寛容(かんよう、ふかんよう)

昨日の六月二十五日は高橋信次先生が昇天された日でありました。

このような偉大な方が、もし、この世に出て来られていなかったら、私も法を知ることはありませんでした。

私が法を知らなければ、これだけ多くの奇跡を体験することも、これだけ多くの人の心を救うことも(それはなかなか皆さん認めませんが。〔笑〕)ありませんでした。

本当に高橋先生には感謝の心しかありません。(それは園頭先生も同じですが)

しかし、せっかく高橋先生が説かれた法を知っても、まったく奇跡が起きない人たちもいます。

それどころか、災いばかり起きている人たちもいます。法を知っても、心が狭いと逆にそのような人には災いになるのです。

これだけもったいない話もありませんね。(私とえらい違いです)

もっと広く大きく豊かな心にならないといけないのです。そうしないと法の本当の効果は現れて来ないからです。(広く大きく豊かな心が神の心であるからです)

最近は不寛容な世の中になったとよくいわれます。(これでは法の効果がまったく現れません)

それは、例の保育園をつくるなとか、やたら文句ばかりっているネットなどの反応を見ても分かりますが、結局それは昨日のウナッシーさんのコメントに書いたことと同じで、この世に出てきても、この世の勉強にならない、心が成長しない、そのような人が多いからです。

そういう心が成長しない人(狭く小さく貧困な心の人)が多いから、不寛容な世の中になっているのです。

しかし、こういう人たちは不寛容といえば不寛容なのですが寛容なところもあります。

それがまたまずいのです。

寛容ならいいだろうと思う人もいるかもしれませんが、そうではないのです。寛容の方がいい部分と不寛容の方がいい部分の両方があるからです。

心が狭い人たちはその区別がよく分からず、ごっちゃにしてしまう、これが一番いけないのです。

つまり、心が狭く小さく貧困では正しい判断が出来ないということです。

例えば、何でも自由で平等で、同性愛とか、同性愛でなくても、ちゃんと結婚もせずに同棲のようなパートナーの関係でいいと世間でいい始めると、すぐそれを認めてしまう。(こういう部分は凄く寛容ですね)

これがいけないのです。

しかし、そのいけないことを平気でしてしまう。心の狭い人たちは、深く物事を考えないからです。

このようなことは昔からの偉人といわれる人たちは(釈尊やキリストなど)誰も認めていないのです。

釈尊やキリストは自由や平等も確かにいわれましたが、そんな極端な自由や平等をいわれたわけではなく、中道をいわれ、そうしていい加減な態度を改められたのです。(だから、男女が一緒にいるならちゃんと結婚する〔キリストは結婚してはじめて男女は一体になるといわれたのです〕同性愛などもちろん認めていません)

だから何でもいいわけではなく、ちゃんとけじめはつけないといけないのであり、寛容と不寛容なところを分けないといけないのです。

しかし、このようなところをごっちゃにし、そればかりか、このような人たちは自分にはやたら寛容ですが、人にはやたら不寛容なのです。(それも極端にです。これもダメですね)

今日もブログを書いていると、どこかのマンションの連中がバシバシやっています。このパソコンを打つカチカチというの音がうるさいようです。(それが証拠に、このブログを書き終えてカチカチという音がしなくなると静かになります)

家の中でパソコンを打っているだけで怒るのです。(外でしているわけでもないのにです。しかも、そのマンションまでの距離は〔バシバシやるのは上の階の人が多いですから〕結構あるのにです)

それでいて、そういうことをやる人に限ってこのブログは読んでいるのです。

では、これだけ勝手な話もありません。

これは、このマンションの住人だけではなく、どこかの会社の連中も同じなのです。このブログを読むくせに、ブログを書くのを散々じゃまするのです。

やはりこのカチカチという音がうるさいようです。

自分たちはもっとでかい音を立てているのに、こちらが立てる小さな音に腹を立て嫌がらせをしてくる。

しかも、その腹を立てている者の書いているブログは読んでいる、これだけ自分には寛容で人には不寛容な行いもありません。

それは、どこかの運転手連中も同じなのです。

散々私のブログを読んで心が救われているのに、それには少しも感謝せず、私の顔を見るといさんで嫌がらせをしてくる、そうして悪いことが起きるとみな私のせいです。

自分たちの行いは棚の棚の棚に上げ、悪いことだけ私のせいにしているのです。

これだけ勝手な話もありません。

結局、こういう人たちは皆そうなのです。

自分にはやたら寛容で、人にはやたら不寛容なのです。

そういう人たちが多いから(昔、自分たちも通っていた)保育園をつくるのを反対も出来るし、少し気に食わない人がいると、そういう人をネットにボロカス書けるのです。

自分には超甘く、人には超厳しくがモットーであるからです。

モットーというより、自然にそのようなことが身についてしまっているようです。それが当たり前のような世の中になってしまっているからです。

だから、これだけ異常現象が起きるのです。(天気も大荒れです)

そのような心は異常であるからです。(異常ですよね。そんな超がつくほど自分本位な考えは)

つまりそのような心は間違っているのです。

そういう間違った考えの人たちばかりだから災いが起きるのです。間違ったことばかりしていたら罰が当たるのは当然のことであるからです。

自分がいろいろ教えてもらった人には感謝しないといけないし、その教えてもらっていることを書いているのです。

少々のことは我慢するのが当たり前ですし(また我慢なんて書くと、我慢はいけないと口から泡を飛ばしていう人もいますが、そういう極端な人はもうほとんど病気ですね。〔苦笑〕)自分も音は立てるのです。

では、お互いさまという心はないのでしょうか?(しかし、隣の家のパソコンの音がそうも気になりますか?〔しかも昼間に書いているだけなのにです〕では、自分たちが見ているテレビの音はどうなるのでしょう?)

そういう思いやりの心がまるでなくて、嫌がらせだけはしっかりしている。(悪いことだけはしっかりしている)そうして何か自分に悪いことが起きると、それは人のせい(責任転嫁)これではよいことが起きるわけがないでしょう。

こういう人たちに天罰がくだらなければ逆におかしいですよね。これだけ悪いことをしているのにです。(自分に自覚がないだけでです)

結局、心が狭く小さく貧困な人が増えてくるとこうなってしまうのです。

自分がしている悪いことが分からなくなり(あまりに心が狭すぎてです)知らず知らずのうちに悪い方に行ってしまうということです。

だから悪いことばかり起きているのです。そういう悪い心の人が増えているからです。(狭く小さく貧困な心など所詮は悪でしかないのです)

災いが起きている人は、自分が悪いから災いが起きているのであり、その災いは決して人のせいではないのです。その自分がしている悪いことを、自分が自覚していないだけなのです。

正しいことをしているのなら奇跡が起きてきます。

現にその奇跡が起きている人がいるのです。では、その人のいうこと、やることを見習ってはどうでしょう。

そうすれば(災いばかり起きている)自分にも奇跡が起きてくるからです。

追伸…これはこの辺りの人たちばかりではないと思います。

このブログを読んで心が救われた人は、この辺りの人たちだけではなく、他の地域にもたくさんいると思うからです。

では、その人たちは何をしたのですか?

そのような遠くの人たちは私に嫌がらせはしませんが感謝もしません。(何度もいいますが、感謝するとは感謝の心と報恩の行為、この二つが揃って初めて感謝したというのです)

私は何度も書いています。お気持ちだけで結構ですから布施してくださいとです。

しかし、誰一人その布施をしてくれた人はいないのです。(お金がないなら仕方ありませんが、そのお金があるにもかかわらずです)

それもまた寛容、不寛容といえるのではないでしょうか。

自分の都合のいいところには恐ろしく寛容で、都合が悪いことには恐ろしく不寛容だからです。

そうではないでしょうか。

私は、気持ちだけでいいといっているのです。別に金額を指定したり、毎月払えとかいっているわけではないのです。

「このブログを読んで心が救われた、少しでも知らないことを知ったと思われる方は、お気持ちだけで結構ですから布施をお願いします」といっているだけなのです。

「そちらの名前を知られたくなければ匿名でも結構です。どのような形でもいいから、お気持ちだけ布施してください」といっているだけなのです。

それにもかかわらず頑として布施することはないのです。それも何年にもわたってです。

何年も私のブログを読み続けている人もいるのに、そのような人たちも一切布施はしようとはしないのです。

それでいて、ここに書いていることだけは実践しているようで、中には奇跡まで起きた人がいます。しかし、それでも布施はしません。

では、これだけ不寛容な人たちもいないということになります。

しかし、そのような人たちは騒がれている(例えば、熊本地震や東日本大震災)ところには気前よく寄付をして、ボランティアなどにも行っているのです。

これはあんまりなのではないでしょうか。

私はあなたたちの心を救っただけではなく、奇跡まで起こさせたというのにです。(ということは肉体まで救ったということになります)

過ちは改めるにはばかることなかれです。

それに気づいているのに、いつまでもそのような(極端な寛容、不寛容な)間違った態度を取り続けることこそ大きな過ちなのです。

正しい態度を取られませんか?

そうすれば、もっと奇跡は起きるからです。(奇跡が起きるとか起きないとかではなく、これだけいろいろ教えてもらったのです。少しくらいの布施をすることは人として当たり前のことだと思いますが…違いますか?)

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6月 25 2016

子供だましのつくり話

三週連続の土、日休みですか。

珍しいですね。どこかの会社がこれだけ連続で連休を取るのはです。

よほど暇なのか、それともよほど仕事だけをやっていられない事情でもあるのか知りませんが、こちらは助かります。

うるさいのがずいぶん軽減されるからです。(ほんと毎日異常な怒り方でうるさくて仕方ないですから)

マァ、あの会社に何が起きていようがこちらには関係ありません。静かなうちに昨日のことを書きましょう。(またどこかのマンションもバシバシ始めるでしょうし)

昨日私は区役所に参院選の期日前投票に行ってきました。(私は日曜日も関係ありませんから。〔苦笑〕)

そのついでに区役所の辺りを辻説法して回ったのですが、ずいぶん静かになったところもありますね。(辻説法が効いているようです)

しかし、未だ私が歩いていると怒ってガンとかゴンとかやって来るところもあります。(もちろんそういうところの方が多いんですが。〔苦笑〕)何度いっても聞かない人は聞きません。

本当に哀れです。

何度いっても聞かない人には最近は次のような話をしています。

「オバちゃん(あるいはオジちゃん)ちょっと考えてみろよ。俺が本当に人を次々に病気にしているのなら、物凄い雰囲気になっちゃうぜ。だって、人を一人、二人殺している人など、それだけで一変に雰囲気がおかしくなるんだ。もし俺が、人を何十人か何百人か何千人か知らないけど、それほど多くの人を病気にしているのなら、もう凄い雰囲気になって人など怖くて寄ってこれなくなる。だけどあんたらは平気で寄って来て嫌がらせをしているんだ。あんたらだけではなく小さな子供まで平気で寄って来て嫌がらせしていくんだ。この雰囲気だけ取ったって俺が人を病気にしているわけではないと分かるはずだ」

「だいたい、一人の者が人を次々に病気にするなど漫画でもあるまいし出来るわけがないだろう。何でそんな子供がつくったような噂話をまともに信じるんだ。オバちゃん本当に大丈夫か?」

こういう話をすると、相当怒っている人もまず静かになります。

自分が聞いている噂のおかしさを理解するからです。

それはそうです。もし私が次々に人を病気になどしているのなら、それはもう凄い雰囲気になっているはずです。

口ではどれだけごまかすことが出来ても、この雰囲気だけはごまかすことが出来ません。

少々の犯罪を犯しているだけでも雰囲気がおかしくなるのです。もし私が多くの人を病気にしているのだとしたら、もうどれだけおかしな雰囲気を醸し出しているのか分からないほどです。

人はもちろんのこと、あの敏感で気の小さいすずめなど寄ってくるはずがないでしょう。しかし、私は人はもちろんですが、どんな生き物でも喜んで寄ってくるのです。

これこそ私がおかしな雰囲気を出していない、人を病気になどしていない何よりの証拠なのです。

こういう証拠があるにもかかわらず(それを目の前で感じているにもかかわらず)それでもまだ私が人を次々に病気にしていると本気で信じている人も多いのです。

だから私は「大丈夫ですか?」といっているのです。

しかし、ここまでいわれると冷静になる人も多いのです。さすがにここまでいえば、その聞いている噂のあまりのおかしさを気づく人も多いからです。(だって、こういう話をすると小さな子供でも冷静になりますから。ここまでいって、それでもまだ分からないということになれば、その人はもう子供以下の考えの持ち主ということになります。〔苦笑〕)

ちょっと考えてみれば、聞いている噂のおかしさは誰でも分かるのです。

しかし、その子供だましのようなつくり話を皆がいいだすと、その噂がどれだけあり得ないような話であっても信じてしまうのです。

物事を深く考える、そういう人が少ないからでしょう。しかし、それがいけなかったのです。

その多くの人が物事を深く考えなかった、それがこれだけの悲劇を生んでしまっているのです。

今この辺りの人が信じている噂は、まったく感謝のない、私へのねたみやひがみが入っただけのただの子供だましのつくり話なのです。

そのただのつくり話をまともに信じて、多くの人が(心を救ってくれた)私に恩を仇で返してしまった、それがおかしな病気が多発している何よりの原因なのです。

これだけ多くの人が恩を仇で返していれば当然罰も当たるでしょう。

もし、そんな子供だましのつくり話を真に受けず、多くの人が心を救われたことに感謝し、私に報恩の行為でもしてくれていたのなら、こんな災いが多発することもなかったのです。

災いどころか多くの奇跡が現れていたのです。(それは確かであると思います。現に、私のいうことを聞いた人に次々に奇跡が起きているからです)

しかし、多くの人はねたみやひがみが入った、その子供だましのつくり話に騙され、感謝するどころか、私に対し、なんと嫌がらせをしてしまったのです。

普通であるなら、自分の心が救われたのです。その恩は恩で報いなければいけなかったのに、それを仇で報いてしまった、その結果が、現在起きている数々の災いであるのです。

いい加減理解されませんか。(認めませんか)自分たちの間違いをです。

自分たちがそんなくだらない噂を信じたのが悪かったのです。だから自分たちに災いが起きたのです。

それだけ大きな間違いを自分たちが(自分たちがです。決して私ではありません)犯したからです。

その間違いを反省し、私のいうことを聞かれるなら、今度は奇跡が起きてきます。(これは保証します。現に奇跡はいくらでも起きていますから。皆さんもよく知っているようにです)

災いが起きた分は奇跡を起こさないと割に合わないでしょう。そうであるなら、一刻も早く反省されてはどうでしょう。

それが自分自身も世の中も幸せになる一番の早道であるからです。

ここから奇跡を起こしませんか。

そうすれば世界が救われるからです。

追伸…イギリスのEU離脱は世界に衝撃が走りましたね。(予想に反しての離脱派の勝利でしたのでよけいにです)

日本でも株が急落し、円高が一時は99円まで加速しました。

参院選の最中でもあり、アベノミクスは株と円安で持っていた、だからアベノミクスはもうダメだと、この時とばかりに野党は一斉に声を上げるのでしょうが、そういう野党もちゃんとした対案などないのです。

こういうことが起き、アベノミクスがダメなのはいいんですが、では、何をするのですか?次の手はどうするのでしょう。

だから私は対案を出せといつもいっているのです。

これでは有権者は比べようがないからです。他に乗り換えようがないからです。

それに、このイギリスのEU離脱の衝撃は経済だけに与えるものではないのです。外交から安全保障から何から何まで影響するのです。(これで今年はアメリカの大統領まで代わるというのですから、さらに混乱に拍車がかかります)

こういう全体を見て、それで日本はどうするのかということを考えないといけないのです。

では、どうしたらいいのですか?

今は参院選の最中です。そうであるなら、一番力のある自民党の(与党の)安定政権をまず目指さないといけないということです。

そうしないと、他の野党が力を持てば、世界の混乱は大きく日本にまで波及するからです。(これで日本の政権が安定しなかったら、もう日本は大変なことになります)

では、今回の参院選は票をどこに入れればいいのか、おのずと答えは出てくるはずです。

今回の参院選は絶対に間違えてはいけないのです。

なぜなら、これまで以上にこの先世界が混乱することは、もう目に見えているからです。

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6月 24 2016

責任転嫁

朝からあちこちでお怒りです。

特にどこかの会社は、今日はまた一段とお怒りのようですが(毎日毎日そうやって怒っているのも大変でしょうね)それにしても変ですね。

何が変かといえば、あちこちの様子がかなり変なのです。

私は昨日、一昨日と白鳥公園に行ったのですが、最近は庄内川に行くことが多いのに、なぜ昨日と一昨日は白鳥公園に続けて行ったのか?

やはりあの辺りの様子が変であったからです。

一昨日のことです。白鳥公園と横の堀川で鳥や魚たちと遊ぶこともほどほどにして、白鳥公園の近くを辻説法して回っていました。(久しぶりに熱田神宮まで行きました。あの中ではあまり大きな声で辻説法も出来ませんが、それでもそこそこはしていました。〔笑〕)

その白鳥公園の辺りを辻説法している時には感じなかったんですが、白鳥公園から帰る時のことです。

何かおかしかったのです。

白鳥公園から出て歩き始めると、やたら怒って音を立てている会社があります。(それは普通なんですが)

その会社の横を通っていると前から三人の男子中学生が歩いて来ました。

この連中もやたら怒っています。その時、傘をみな持っていたのですが、その傘を三人が三人、私とすれ違う時に地面にガンガン叩きつけながら歩いて行きます。

それで私が少々辻説法をしたのですがまるで聞きゃしません。かなり怒っているのです。

「あいつら何であんなに怒っているんだろう?」とちょっと違和感を感じたんですが、その次に一人の女子中学生が歩いて来ました。

その女子中学生は顔が引きつっています。しかし、何か私にしていくのです。

それで私が何かいっても無視です。

こいつら相変わらずだなと思っていると、また前から一人の男子中学生が歩いて来ました。その中学生も、私の顔を見ると急にムッとなって足をザッザッと引きずりだします。

それで私が、その中学生に「神からあの世から生まれ変わりから、学校の先生や親にも教えてもらえないようなことを教えてもらって心が救われているのに、それには少しも感謝しないで何だその態度は。そんなことをしているとどれだけ天罰を食らうか分からないぞ」と声をかけたのです。

そうしたらです。それを聞いたこの中学生、急に態度を変えたのです。

そういう話を聞き、態度を変える中学生は多いのですが、この中学生は、その態度の変え方が明らかにこれまでの中学生たちとは違っていました。

どう違っていたのか?

そんなことをいってもです。どうせまた私の話を無視して行くか、バカにするかのどちらかくらいだろうと思っていたのですが、この中学生は違いました。

バカにするどころか、急に直立不動になり私の話を真剣に聞きだしたのです。

「なんだ、この態度は?」と逆に私が戸惑ったのですが(こういう態度を取った中学生はこれまでいませんでしたから)直立不動で私の話を聞き、私が何かいうたびに「ハイ」「ハイ」とうなずいています。(真剣な顔をしてです)

「何でこいつこんなに真剣に聞いているんだろう」と不思議でした。これだけ真剣に私の話を聞く中学生はこれまでいなかったからです。(ヘラヘラ笑って聞いている中学生はたくさんいましたが)

しばらく、その中学生に辻説法をして最後に「どうだお前、反省するか」と聞くと、その中学生は少し言葉に詰まっていましたが、しばらくしてうなずいていました。

それで私が「反省するんだな」ともう一度聞くと、今度は「ハイ」と答えます。

「反省するなら、自分は救われるだろう。しかし、自分だけ救われてもいけない。だから、今日の話はちゃんと皆にするようにしてくれ。そうしたら友達も救われるからな」といっておきました。

その中学生は「ハイ」と答えて帰って行きましたが、表面上だけかもしれませんが、これまでこのような態度を取った中学生はいませんでした。

これまでは、ほとんどの中学生が私がなにをいっても無視するか、バカにするかのどちらかだったのです。

それがこの中学生は(一人だけでしたが)私の話を真剣に聞いていたのです。

その中学生の態度が気になったので、昨日も白鳥公園に行ったのです。

昨日の帰りも白鳥公園を出ると数人の中学生と会いました。(昨日は女子ばかりでしたが)しかし、その中学生たちは私とすれ違うのを嫌がっているようで、みな私を見ると別な道に歩いて行くのです。(急に曲がったりしてです)

一人だけ私とすれ違った中学生がいたのですが、その中学生はほとんど顔が引きつり、私が少し声をかけたのですが(よかったな、学校で教えてもらえないようなことを俺に教えてもらって、とかなんとかです)引きつった顔で愛想笑いを少しした程度で歩いて行きました。(その中学生は何もしていきませんでした)

明らかに、あの白鳥公園の近くの中学校では何か起きていますね。中学生一人一人の態度がおかしいからです。(みな違っていてです。やたら怒っているのはいる、逃げて行くのはいる、顔が引きつっているのはいる、急に素直になる奴はいるとです)

大丈夫なんでしょうか?(そこの中学生も散々私に嫌がらせをしましたから)中学生が次々におかしな病気になりだしたら、一体どうするつもりでしょう。

だから私はいっているのです。

悪いことを人のせいにしていてはいけないとです。

結局、悪いことをいくら人のせいにしたところで、その悪いことが起きているのは自分たちなのです。

その悪いことを人のせいにしていて、その悪いことは止まるのでしょうか?

悪いことを人のせいにするのはいいのですが、その悪いことが止まらなかったらどうするのでしょう。

どうやってその悪いことを止めるのですか?

それどころか、その悪いことがもっと激しくなってきたらどうするのですか?(そうなっているところが多いようですが…)

西日本の大雨は今日も続いています。九州だけでなく、昨日など広島でも大雨で堤防が決壊し、ひどい冠水被害が出ました。

この雨は東北や北海道でもよく降っていて、北海道など日照不足の心配まで出てきています。

そうかと思うと、関東などは水不足でもっと雨がほしいくらいなのですが、雨がほしいところには雨が降らず、雨がこれ以上降ってほしくないところには大雨が降り続いる、こう見てみますと、もはや日本中で悪いことが起きているのです。

その起きている悪いことはみな人のせいなのですか?

皆さんの理論で行くとそうなりますが、それどうするのですか?(怒っているだけでは何も解決しませんが)

いつまでも責任転嫁をしていては救われないのです。

追伸…もう日本中で(もっといえば)世界中で悪いことが起きているのです。

何でこんなことが起きているのでしょう。皆さんの(皆さんのです)心と行いが悪いからです。

それを直されたらどうでしょう。その悪い心と行いを直すのであれば、悪い天気も自然とよくなって行くからです。

恩を仇で返していては、天罰を食らうのは当たり前のことでしょう。(そういう人が多いということです。だから天気も悪くなるのです。そういう人の心が現れているからです)

恩には恩で報いる、こういう当たり前のことをしないから悪いことばかり起きるのです。

怒っていても何も解決しません。怒っている暇があるなら自分たちの(恩を仇で返しているような)心を反省することです。

自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きているからです。

その自覚がない間は悪いことは続きます。

何度もいいますが、私のいうことを聞いてはどうでしょう。災いが起きている人はたくさんいますが、奇跡が起きているのは私一人であるからです。

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