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2月 28 2016

正しさの証明

昨日は堀川に行って、カモメたちを動画に撮っていたのですが、しばらくすると雨が降りだしました。

傘も持っていませんでしたし、雨が降ってきては動画も撮れません。(ビデオ防水じゃないですから)

それで白鳥公園まで行って、屋根があるベンチに座り雨がやむのを待っていたのですが、その時のことです。

私が雨宿りしていたのは白鳥公園の国際会議場がある前の広場でした。(国際会議場の前の広場には屋根と椅子があるところがあるものですから)

そこで座っていると、その広場に一人の人が(七十過ぎくらいの歳の人だと思います)紙袋を持って歩いてきて、その広場にいる人たちに何か説明しながら、その紙袋に入っているチラシを配っていました。

何だろうと思っていると、その人は私が座っている場所まで来て「明日ここで(前の国際会議場を指差してです)講演会があるのですが、よかったら来てください」といって私にチラシを渡しました。

何の講演会だろうと思い、そのチラシを見ると最初に「高橋佳子先生をお迎えして」と書かれてあります。

「ああGLAか」とすぐにピンときました。(この人は私のことを知らなかったようです。家は緑区にあるといわれていましたので「それだけ遠くては〔緑区は名古屋の一番端にありますので〕知らない人もいるわな」と思いました)

私は、この人まだGLAを信じているんだなと思い「高橋佳子先生を正しいと信じているのですか?」と聞きました。

その人は「もちろんです。佳子先生をご存知ですか?」と聞いて来ます。

その質問には答えず「では、高橋信次先生は正しいと信じていないのですか?」と続けて私は聞きました。

「信次先生ももちろん正しいです。佳子先生も信次先生も両方正しいです」とその人はいいます。

それで私が「信次先生と佳子さんがいわれていることは違っているではないですか。それなのになぜ両方正しいのですか?」と聞きました。

その人は、一瞬言葉に詰まったのですが「説き方は違いますが本質は同じなのです。如来の説き方は時代に合わせた説き方をします。その違いだけです」といわれます。

「本質が同じなら、同じような奇跡が起きないといけません。信次先生の時と同じような奇跡が今のGLAに現れていますか?」

「奇跡は現れていますよ。みな奇跡の話はします」

「では、なぜ佳子さんは霊道現象を行わないのですか?信次先生は講演会の都度に霊道現象を行われていたはずです。何で佳子さんはやらないのですか?出来ないからではないのですか?」

「いや佳子先生は霊道現象をやれると思います。今はやらないだけです。もう時代が違うからです」

「時代が変わっても過去世の証明になるのですから、霊道現象をやらないのはおかしいでしょう。口で人の生まれ変わりをいうだけでは、それを信じない人も多いと思うからです。実際にその証明をした方がよいのではないですか?それなのに、なぜ霊道現象をやらないのですか?」

そういう私の質問に対し、この人は「時代が違うからやらない」という一辺倒の答えでした。「佳子先生は霊道現象をやれるはずです」ということしかいわないのです。

この人は、高橋先生の娘さんである佳子さんが霊道現象を行ったのを一度も見たことがなようでした。(この人はGLAにもう四十年以上もいるのにです)

では佳子氏は、高橋信次先生がやっていられた霊道現象など出来ない、と思うのが普通なのでしょうが、どうもこの人はそれを認めたくはないようです。(それはそうでしょう。GLA会員から見たら佳子先生は神様なのですから)

話していると、この人はGLAにいて奇跡をまじかに見たことがなさそうでしたので「奇跡が起きないのなら、いっていることが正しいかどうか分からないでしょう」と私がいうと、金粉がどうのという話をしていました。(それも佳子さんが現したとは、はっきりいわなかったんですが。〔笑〕)

「そういう奇跡は地獄霊でも起こします。本当の奇跡とはこのようなことをいうのです」と、私は回りを指差しました。

私の近くにはもう鳥が何羽も飛んできていたからです。

このように話している間だけでも、すずめは飛んでくる、ムクドリは飛んでくる、カラスは飛んでくると、入れかわり立ちかわり鳥たちが私たちの近くに飛んできていました。

その人は、それに気づいていなかったのですが(鳥が寄ってくるなど思いもしないでしょうから)「私は、このように鳥がたくさん寄ってくるのです。これはお釈迦様やイエス様にも起きていた奇跡なのではないですか」と聞きました。

少し驚いたようですが、その人は「それはそうでしょうが、足元近くまで寄ってこなければ寄ってきたとはいわないでしょう」といいます。

そこで私は「足元まで寄って来る時もありますよ。今日はあなたがいるのでこの程度ですが、私はこのような鳥や魚がたくさん寄って来ます。その映像を動画に撮ってありますので私のブログを見てください。これと同じことが佳子さんに起きますか?」

「たしかに如来は時代に合わせた法の説き方をしますので、その時代によって説き方が違いますが、説いている神理の本質は同じなのですから、説いていることの本質が同じなら、同じ奇跡が起きないといけません。佳子さんは私と同じ奇跡が起きているのですか?」と立て続けに聞きました。

しかし、その人は佳子氏に、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているとはいいませんでした。

「そういうことも起きると思います」という曖昧な返事しかしなかったのです。

そんな奇跡など起きていないから「起きています」とはっきりいえなかったのでしょう。

釈尊やキリストと同じ神理を説いているのなら、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きないといけません。

しかし、その釈尊やキリストと同じ、私に起きているような奇跡が起きている人は、特別このGLAの佳子氏だけではなく、どの宗教の教祖にもいないのです。(と思いますよ。誰かいますか?)

そうであるなら、その人たちは釈尊やキリストと同じ神理を説いていないということになります。

では、そのような人たちがいっていることが正しいのでしょうか?釈尊やキリストと同じ奇跡が起きないのにです。

こういう奇跡が目の前で現れているというのに、その人は私のいうことをなかなか認めようとはしませんでした。(四十年以上も信じて続けて来たGLAを、すぐに間違っていると認めろという方が無理なんでしょうが。〔苦笑〕)

しかし、口でいっているだけではなくこのような現象が現れているのです。

これ以上の私がいっていることの正しさの証明はないと思います。(もちろん、これ以外の奇跡もたくさん現れていますし)

昨日も私が歩いていると、嫌がらせをしていく人はいる、思いっきりブシュとやって行くトラックはいる(それは私のブログを見ているという証拠ですよね。昨日ブログに書いたことと反対のことをすぐにしてくるのですから。〔笑〕)やたらに怒っている人たちはいると様々でした。

正しい法を説いている者にそのようなことをすれば天罰はくだります。それもまた私が正しいことを説いている一つの証明でしょう。

正しいことを説いている人の周りには、必ずお蔭が現れるからです。(それは釈尊しかり、キリストしかりです)

これほどのお蔭が現れているのです。この正しい法をいい加減きかれてはどうでしょうか。(逆らうばかりではなくです)

そうすれば必ずよいことが起きてくるからです。

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2月 27 2016

人のせいではなく自分のせい

いやはや朝からもう凄い怒りようです。昨夜からそうでした。やたら怒っていたのです。

ここ数日は特に激しいのですが、それにしても勝手な話です。

自分たちが散々嫌がらせをしておいて、悪いことが起きだすとそれを全部私のせいにして、それで、そういうことをしているから災いが起きるのだと、嫌がらせをやめて詫びを入れるなら、その災いが止まるよう私も祈るといっているのに、そう私がいうのを一切無視して嫌がらせをやり続け、それでなお災いが起き出したのを、それも全部私のせいにしてよけい怒っているというのですから、これだけ勝手な話もないわけです。

しかし、それはどこかの会社だけではないでしょう。

この辺りの人など皆そうであるからです。

法を説いている人に嫌がらせなどしてはいけない、それでは罰が当たると、どれだけいっても私に対する嫌がらせをやめないのです。

それで私が祈ると、なんと祈られた方がムッとして怒っているのです。

私は、そういう人たちが間違った行いをしていると思うから、天に「この人を正しくお導きください」と祈っているだけなのです。(私は嫌がらせをして来た人に対し、それを嫌がらせで返すのではなく、正しい祈りで返しているのですから、これだけ正しい行為もないわけです)

そのような正しい祈りには怒るくせに、自分がしている嫌がらせは悪いとも何とも思わないというのですから、これ以上、自分の悪に気づいていない人もいないわけです。

だから私は、そういう人たちを祈っているのに(口でどれだけいっても分からないからです)では、こういう人たちの間違いを正すにはどうしたらいいというのでしょう。

腕ずくで殴ってでもやめさせろとでもいうのでしょうか?(そういう行為が間違っているということは明らかなのです)

それとも大きな心で許してやれとでもいうのでしょうか?

しかし、それは大きな心ではないのです。間違った心でしかないのです。

そういうことに知らぬ顔をするということは、間違ったことをしている人を見て見ぬ振りをするということと同じだからです。

だいたい、一人の者によってたかって大勢の者が嫌がらせをしているのです。

そのような行為が正しいことでしょうか?どう考えても、そういうことをしている人たちの方が悪いでしょう。

なのになんで、そういう人たちに災いが起きていることが私のせいになるのでしょう。その起きている災いは、どう考えても天罰でしかありません。

人のせいではないのです。自分のせいでそのような災いが現れているのです。

それをこの辺りの人たちはどうしても認めようとしませんが、認めないなら認めるまで、その災いは続くでしょう。

災いの原因をつくっているのは、嫌がらせをしている人たちの方であるからです。

ずいぶん、その災いが激しく現れだしたように感じますが、よいのでしょうか?いつまでも人のせいにし続けていてです。

昨日は金山に行っていたのですが、その帰り道でもです。この辺りに比べずいぶん静かになりました。(それは対照的ですね)

わりと広い通りを歩いて帰ってきたのですが、ブシュとやって行くトラックやバスもありましたが、皆ずいぶん元気がありませんでした。(やったかやらないか分からないくらいです)

ここ数日は、そのような人たちに対して、わざと刺激的なブログばかり書いていたのですが、それでも前のように思いっきりブシュとやって行く人はいませんでした。

どうしたのでしょう?少し前までなら、こういう内容のブログばかり書いていたら、意地になってブシュブシュやって行く人が多かったのにです。

この近所の人たちと違って、運転手の皆さんは、そういうことは悪いことだと反省されたのでしょうか?

そうではないでしょう。やはりこれまで以上に災いが起きて来ているからでしょう。

だから、態度が変わっているのです。(静かになるか、やたら怒りだすか、両極端にです)

もう相当な現象が現れだしていると思いますが、それでもまだ、この法に逆らうのですか?

この法に従うのなら、次々に奇跡が起きているというのにです。

一日、二日前に大阪の梅田で車が暴走して死傷者が出た事件がありました。あの車の運転手だった人は病死であったそうですが、アクセルを踏んだまま病死したのです。

こういうことが過去あったでしょうか?

車のアクセルを踏んだまま病死して大勢の人をはねるなど、これまでにはちょっと考えられないような事件まで起きているのです。(しかもよりにもよって繁華街でです)

これもやはり人々の心が関係していると思います。

間違った心が、そのようなこれまででは考えられないような事件まで引きよせてしまうのです。(だから、車の性能ばかりうんぬんいっているより、人々の心を変えないといけないのです)

これからは、法がないところには災いが起きます。自分たちの間違った心がそのような災いを呼ぶからです。

この法を実践するなら、奇跡が起きるということは、すでに多くの人に実証されています。

これほど分かりきった現象が現れているのに、なぜいつまでも逆らっているのですか?

逆らえば逆らうだけ、自分たちが危なくなるというのにです。

追伸…もうパワースポットだの、霊験あらたかな場所だのいっている場合ではないですよ。本気の神の業が次々に現れだしているからです。

こちらにいるとそれが一層よく分かります。(かなりやばそうな人たちが一杯いますから)

だいたい、この地球自体がすでに神につくられた神殿なのです。

その神殿の中にすでに住んでいる私たちが、あそこがいいだの、ここがいいだのいったところで、そのようなところも含めてすべて神がつくられているのですから、よいも悪いもないということです。

パワースポットだの、霊験あらたかだのという場所は自分(の心)でつくるのです。人に(あるいは神に)つくってもらうものではありません。

そこはお間違いのないようにしてください。

霊域がよい場所は自分たちの心がつくるのです。だから心を正せば、そこが知らず知らずのうちにパワースポットになり、霊験あらたかな場所になるのです。

そのような場所には次々にお蔭が現れます。

この辺りが、そのよい例ですね。

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2月 26 2016

理不尽な人たち

一昨日の話です。

私が歩いていると、後ろからゴホゴホやってきた人がいました。振り返ると二十代後半くらいの兄ちゃんです。

それで私が「もうサイレンなんか日本中でしているぜ。いつまで人のせいにしてるの」と話しかけると、なんとその兄ちゃん「え、何かいいました」と話しかけてきました。

あまり私が話しかけてもまともに聞いてくる人はいないんですが(ほとんどの人が無視して行ってしまいます)そういわれたので「いや独り言で辻説法してるんだけど聞くかい」というと「へぇ、じゃぁ聞きましょうか」と、その兄ちゃんは私の話に乗ってきたのです。

こういう態度を取る人でも私の話をまともに聞く人はまずいません。いろいろ話しても、分からないふりをしたり、とぼけたことをいったり、はぐらかしたりする人がほとんどなのです。

だから、差しで話しても無駄になることが多いのですが、この兄ちゃんも最初はそうでした。

私がいろいろ話すと「うそー」とか「ほんとかよー」とか、はじめは散々冷かして、私の話をまともに聞こうとしなかったのです。(私のことなど、ろくなこと聞いていないでしょうから無理もありません)

しかし、くどいくらい今の状況を説明しました。

「このサイレンは名古屋だけではなく、日本中でしだしている」「救急車のサイレンは毎年増えている」「浜松など火葬場が一週間待ちだそうだ」「私の周りでも癌が多発しだしている」「もう日本中で怖いことが起きている」

そういう悪い話を散々して「しかし、私には鳥や魚がたくさん集まってくる奇跡が毎日のように起きている」「私のブログで動画を公開しているから観れば分かる」「この奇跡はお釈迦様やイエス様にも起きていた」「もう自分たちの心が現象として現れる時代になった」「だから、私に起きていることと私以外の人に起きていることがこれだけ違う。心が違うから」「時代が変わった。二十一世紀は心が現象として現れる、そのような時代である」という話をして、最後に「だから心を変えないといけないのである」と話しました。

「心を変えないと、必ずあなた自身にも災いが起きるからだ」とも話して「あなたは自分の心がきれいだと思うか」と聞きました。

少し考えていましたが、その兄ちゃんは「いや、自分の心はきれいではない」と答えたのです。

「心がきれいでないと災いが起きる時代になった。では、いま起きている災いは誰のせいなのか?」と私は立て続けに質問しました。

その兄ちゃんは、その質問に窮していましたので答えはあえて聞きませんでした。答えずらいと思ったからです。(ずっと、この災いは私のせいだと思い続けているのです。そういう人が、いきなり考えを変えるのも難しいと思うからです)

そのような話をして「マァ、今こういうことが起きているのは事実だから気をつけてな」といって帰ろうとすると、その兄ちゃんは「また教えてください」と頭を下げて帰って行きました。

最初の態度とはえらい違いですが、しかし、しっかり今の状況を話し、それを理解するなら誰だって今のままではいけないと分かるのです。

それを理解しようとせず、頭から「お前が悪い」とやっているから、いつまでも悪いことが起きるのです。

昨日家の近くまで帰って来ると、何人かの人が前から歩いてきてすれ違いましたが、そのすべての人がでかい足音など立てて嫌がらせをしていきました。

なにか意識してこちらに歩いてきた気がしましたので、その中の一人に「悪いことが起きたんだろう」と声をかけると、ビクッとしていました。

この辺りの人は、自分たちに悪いことが起きると、わざわざ私に嫌がらせをしに来るのです。呆れてしまいます。私はそのような人たちを見たことも話したこともないというのにです。(そういう私が全然知らない人たちでも、悪いことが起きたら、それは私のせいになるようです)

私は、自分が会ったこともない多くの人に悪いことをしているようです。(?)

しかし、それだけ悪いことをしている私には次々に奇跡が起きているのです。そうして、その奇跡は、私のいうことを聞いている人たちにも起きているのです。

私や私のいうことを聞いている人たちには、次々に奇跡が起きているのに、私のいうことを聞かない人、逆らう人には災いが次々に起きているのです。

そうして、その災いは私のせいであると、その災いが起きている人たちはいっている(思っている)のです。

私のいうことを聞こうともしないくせに、なぜその災いが私のせいなどというのでしょう。普通は逆なのではないでしょうか?

私のいうことを聞いて、それで災いが起きたというのなら、それは確かに私のせいなのでしょうが、私のいうことを聞かずにいて、それで災いが起きて、その災いが私のせいなどというのはメチャクチャな理論なのではないでしょうか。(いちゃもん以外の何ものでもありません)

いってはいけませんが、こういうでたらめな理論を私に嫌がらせをしている人たちはいっているのです。こういう理論が普通通るでしょうか?

こういう非常識なことをいっているから災いが起きるのです。

いっていることが(思っていることが)あまりに理不尽であるからです。

「災いが起きている人は自業自得」そう私がいっている意味が少しはお分かりでしょうか?

そういう責任転嫁丸出しの考えを反省しないといけないのです。そのような人たちは普段からそういう考えを持っているからです。

そのような考えを持っていては、もういつ災いが起きるか知れないのです。そのような時代になっているからです。(昔からいわれている「悪いことをしたら罰が当たる」その通りの現象が現れているだけなのです)

昨日、遠くから私の方を見ていた中学生が何人かいました。

私を遠くから見ていても何も変わりません。その恐ろしい現象が自分たちに現れたくないのであれば、そうして奇跡を現したいのであれば、私のいうことを聞くことです。

そうすれば、そうなるからです。(災いは起きず、奇跡が現れる)

私にしっかり詫びを入れ、この教えを教えてくださいといいに来ることです。そうすれば、そこから本当の救いの道が始まるからです。

中途半端なことをしていても救われないのです。(回りがどういおうが、自分がそれが正しいと思うならそうすればいいのです。回りに流されていては救われないからです。自分を救うのは自分しかいないのです。自分でどうにかする、そのような自力がないと救われないのです)

この辺りずいぶん激しく災いが起きだしたようです。(昨日のどこかの会社も悲惨でしたね。何回災いが起きたのですか?本当にそのまま怒っているだけだと滅ぼされますよ。バスやトラックの人たちは大丈夫でしょうか?)

結局、そのような責任転嫁をしている人ばかりなのです。(まったく反省しません)このような荒療治も必要なのでしょう。

これくらいのことが起きなければ、誰も神を思おうとしないからです。(こういうことが起き出したから、みな神を意識するようになったのです。こういうことが起きなければ日本の人々は誰も神など意識しません。では、今頃は滅ぼされていたでしょう。すべて神がつくられたところで、その神を全然意識しなかったというのですから)

神が現す奇跡は次々に現れています。

あとは私たちが神の心に合わせるだけなのです。

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2月 25 2016

先はどうするのか?

昨日は白鳥公園に行ってきました。

横の堀川をずっと歩いて行くとカモメたちがたくさん寄って来て、最後には回りがカモメだらけになりました。(笑)

私の近くにカモメが飛んでくるだけではなく降りてくるのもいます。(すぐ近くまでです。動画に撮りたかったのですが、昨日はビデオを持っていかなかったものですから)ギャーギャー鳴いているのもいて本当に可愛いものでした。

そういう元気なカモメたちに比べ、ずいぶん元気がなかったですね。運転手の皆さんは。

特にバスの運転手の皆さんはどうしたのでしょう?

無理してブシュとやって行く人もいますが、暗い顔をして下を見ている人、真正面を見てまったく目をそらさない人(大丈夫ですか、いっちゃてませんか?)私を見るとビクッとする人など、少し前とはずいぶん態度が変わった人が多いのです。(ちょっと前までは、眉間にしわを寄せ「この野郎」という感じでブシュとやっていく人が多かったものですから)

何か、余命いくばくもないと癌の告知でも受けて、もう先がないと自覚しているような人が多そうで、哀れにも見えました。

実際そうなのではないでしょうか。そのままでは本当に先がないと思うからです。

だって考えてみてください。起きている現象をです。

その現象は減っているのではなく増えているのです。(だから皆さん態度を変えたんですよね)

段々、現象が減っているというのであれば、そのうち止まるだろうと気楽な見方も出来ますが、段々、現象が増えているということであるならば、止まる見込みはまずありません。

そのまま態度を変えないというのであれば、これからその起きている現象が増えることはあっても減ることはないでしょう。

では、全員に現象が現れるまで、その現象は止まらないということになります。

それでは先がないと考えるのも無理もないことだと思うのです。

本当に先がないからです。(ないと思いますよ。反省もしないのに、この神の業が止まるわけがないからです)

これは、電車やトラックの運転手にもいえることだと思います。バスの運転手と同じようなことが起きているから、皆さん態度を変えられたと思うからです。(トラックも昨日はわりかし静かでしたし)

それで本当によろしいんですか?

そのままでです。

私はこのままでもかまいませんよ。起きる現象といえば、先ほどのカモメが寄ってくるような可愛らしい現象ばかりであるのであるし、あとは嫌がらせの問題だけですが、その問題も解決しつつあるからです。(そのうち歩いている人たちにも、激しい現象が現れてくるだろうし〔どこかの小、中学生みたいにです〕そうなれば私に嫌がらせをする人はいなくなります。そういう人がいなくなれば問題解決です)

だから、私はかまわないのですが、そちらに起きている現象はずいぶん恐ろしそうですが、それはそのままでもよいのでしょうか?

私には、次々に奇跡が起きているというのにです。

私の教えを信じている人たちにも続々と奇跡が起きています。

それに対し(誰がいいだしたかは知りませんが)そちらの教え(お前が悪い教)を実戦している人たちには、ずいぶん悪いことが起きているようですが、それでもまだその教えを実践されるのですか?

悪いことが起きると分かりきっているのにです。

ソロソロ悔い改められてはどうでしょう。間違っているのはそちらの方と、もう誰が見ても明らかであるからです。

やけくそになればなるだけ、よけい恐ろし現象が現れてきます。(罰を何度当てても分からないというのであれば、天はもっとひどい罰を当てるからです)もうそういう子供のような態度はやめられたらどうでしょう。

どう転んでも損にしかならないからです。

この教えを信じれば(私のいうことを信じれば)奇跡が起きてきます。この奇跡が起きること以外で、自分たちが救われる道はもうないのです。(それを分かっている人は多いと思いますが)

何度もいいますが、自分は自分だけで生きているのではないのです。あなたを頼っている人もいれば、あなたを好いている人もいるでしょう。

そういう人が、あなたの回りにはたくさんいるのです。

自分たちのその頑なな態度は、そのような人たちの思いも裏切ることになるのです。そのような態度を続けるのであれば、最後には滅ぼされてしまうからです。

神は(天は)そのような不遜な態度を続ける限り、その現象を止める気はないのです。それがその人の心にとって一番よいことであるからです。(天はこの世のことだけを観ているわけではありません。だから、大人、子供に関係なく現象を現すのです。その人の頑なな心にとって現象を現すことが一番よい勉強になるからです。この世の肉体しか見ていない人には、その天の〔心まで観ている〕愛が分からないのです)

そのままの態度を続けるのであれば、もう先はありません。(それは確実です)

いつまで意地を張り続けるのですか?

そのような態度は、自分にとっても、また周りの人たちにとっても裏切りの行為でしかないのです。

追伸…民主党と維新の党が来月合流するらしいですね。(まったく政策無視です)

ただでさえ民主党はまとまっていないのに、これでまた他党と合流するなら、民主はよけいまとまらなくなります。

党名をどうこういっている場合でしょうか。(何かずれてる感じがしますが、中は大丈夫ですか?)

どちらにしても有権者から見たら、さえない合流であることはだけはたしかでしょう。この合流は選挙対策(参院選対策)以外の何ものでもないからです。

まったく国会そっちのけですが、その国会も、何かあげ足取りみたいなことばかりやっていますが、そういうことよりも政策第一でやっていただきたいものです。

そういう議論は、国益にかなっているとはとても思えないからです。(ただの党利党略でしょう)

アベノミクスは成功だの、失敗だの、ケチなことをいっているのではなく、アベノミクスはどうやったら成功するのか?

そのような議論を与野党全体でやってもらえないでしょうか?

そのような議論を深めてこそ、国益にかなうと思うからです。

(結局、景気をよくしないことにはどうしようもないのですから)

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2月 24 2016

お前が悪い教

昨日は、庄内川の帰りに中学生にはバカにされる、市バス連中にはブシュブシュやられると散々でした。

急にどうしたんでしょう???

なんてね。理由はだいたい見当がつきます。よほど昨日のブログが面白くなかったのでしょう。(笑)

確かに面白くなかったかもしれませんね。こんな私に救われているというのですから。(笑)プライド(だけ?)が高い人たちにはこれくらい面白くないブログもないわけです。(笑)

しかし、事実は事実です。

私が、私が、私が(どこかの国会議員のマネしてみましたが…まずかったですか?)あなた方を救ったのです。もっと感謝してください。

私がいなかったら、あなたたちはとっくに地獄行きです。まだ地獄に行っていないだけでも幸せなのです。(早いか遅いかの違いだけかもしれませんが)

だいたい、これだけ天罰をくらっていて一体何のプライドでしょう。まったく意味が分かりませんね。

くだらないプライドばかり高くても天罰は止まらないのです。少しは反省してはどうでしょう。それ以外で天罰を止める方法はないからです。

今の名古屋の人たちは、いってみれば「お前が悪い教」という新興宗教に入信した信者と同じなのです。

その「お前が悪い教」は、悪いことばかりしている奴が名古屋にいて、そいつのせいで次々に日本に悪いことが起きている、だから、そいつを見たら嫌がらせをしなさい、という教えなのです。(まったくどんな教えでしょう)

その教えを聞いた名古屋の人たちは、その教えを何の疑問も持たずに信じた人が多かったのです。(その時点で、お前が悪い教の信者になります)そのような時期に、日本に次々と異常現象が起きていたからです。

その結果、その異常現象のほとんどが私のせいと、お前が悪い教の信者たちは信じてしまうのです。

日本に起きる異常現象と相まって、この名古屋から始まった教えは大きく拡がっていきます。

名古屋から愛知県に拡がり、そうして隣の三重県や岐阜県にも拡がって、全国各地にも(それはまだ少数の人たちだと思いますが)拡がっていったのです。(いやいや凄まじい拡がり方でした。私もあちこち行ってそれを実感しました。〔苦笑〕)

そのような拡がりをみせたお前が悪い教の信者たちは、すぐに実践を始めました。そのターゲットになった者を見つけると、必ず嫌がらせをしてきたのです。

その嫌がらせを受けている者が、どれだけその教えは間違っているいっても、聞く耳を持たずにです。

しかし、しばらくすると、そのお前が悪い教を実践している人たちに(それは即ち私に嫌がらせをしている人たちに)おかしな現象が現れだします。

そのような人たちが次々に病気を発症しだしたのです。

それで被害を受けている者が「その教えは間違っているから信じてはいけない。私のいう教えを信じなさい」と、病気になりはじめた人たちに再三警告を発したのですが、お前が悪い教の信者たちはその者のいうことを一切聞こうとせず、間違った教えを信じ続け、あいつが悪いと、その者の悪口をいい続けて嫌がらせを続けたのです。

すると、病気になる人が凄い勢いで増え続け、その病気は大人から子供までまんべんなく現れだしたのです。

そうして、それとは反対に、その嫌がらせを受けている者のいうこと(法)を聞いた人には、次々に奇跡が現れだし、その勢いは増すばかりです。

今の状況を分かりやすく書くとこのようなことなのです。

お前が悪い教の信者の人たちには、次々に災いが現れだし、法を聞いた人たちには次々に奇跡が現れだしているのです。

このような状況を見るだけでも、どちらが正しいかは一目瞭然なのです。

間違った教えを信じているから、災いが起きているのです。

私に嫌がらせをしている人たちは、お前が悪い教の信者なのであり、その間違った教えを信じて実践した結果、不幸になっているということです。

ずいぶんその教えを信じているようですが(ほとんどもう盲信、狂信状態ですね)もう少し疑問を持ってください。

その教えが(いっていることが)正しいかどうかのです。

間違った教えを信じていれば、その人は不幸になるのです。世に氾濫している間違った宗教を盲信、狂信している人たちが不幸になっている事実を見ても、それは分かるはずです。

そのおかしな宗教を盲信、狂信いている人たちと、私に嫌がらせをしてくる人たちは同じことをしているのです。

本当にいま起きている悪いことは私のせいなのですか?

どうして、そんな悪いことをしている者に、次々に奇跡が起きているのですか?

その者のいうことを聞いている人に奇跡が起きているのでしょう?

普通は、悪いことをしている人のいうことを聞いたら、悪いことが起きるのではないでしょうか?(それに悪いことをしている者に奇跡は起きないでしょう)

それが当たり前の順序であるからです。

私は、正しいことをしているから正しいことが(奇跡が)起きているのです。(だから悪いことが起きているのは私のせいではないということです)

少し考えれば、どちらが正しいかは分かるはずです。

いつまでも間違ったことを信じているのですか?

間違ったことを信じている限り、不幸(天罰)は止まらないのです。

追伸…ある有名俳優が、脳腫瘍になったということがニュースになっていました。

この人がなった脳腫瘍は、小さいが出来たところがやっかいで、手術するには高度な技術が必要であるとのことです。

例えば、このような高度な手術をすることになってもです。

法を知って祈るのであれば、まずうまくいくのです。

天が導いてくれるからです。(天が導いてくだされば、高度な手術も不思議と簡単に早く終わるのです。そのように自然に導いてくれるのが、天の導きであるからです)

このような点から見ても、早く法を拡げなければいけないとつくづく思います。

間違った教えを信じている人たちは、この教えを信じてはどうでしょう。そうすれば、そこかしこで奇跡が起きてくるからです。

(だから、この人を私が祈れば、このような難手術もまずうまくいくのでしょうが、マァ、頼まれてもいないのに祈っても迷惑なだけでしょう。だからよくなることを願い、見守るしかありませんね)

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