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2月 23 2016

詫びられたらどうでしょう

昨夜もお怒りでしたが(急に怒りだしましたのでね。また何か起きたのでしょう)今日も朝からお怒りです。

怒っていても仕方ないのではないでしょうか。それで災いが止まるわけでもないからです。

このようなどこかの会社だけではなく、あちこちでずいぶん怒っている人が多いようですが、それで私に嫌がらせをして何かいいことでもあるんでしょうか?

私に嫌がらせして、それで奇跡でも起きるのであればやればいのでしょうが、怒って人に嫌がらせをしたところで何の奇跡も起きないのです。(それどころか、災いがひどくなるのではないですか?)

では、別のやり方をされてはどうでしょう。別のやり方をされるなら、また奇跡も起きてくるからです。

昨日も庄内川でやたら怒っている爺さんに帰りがけ会いました。

前から歩いてくるのですが、もう表情からして怒っています。

近くまで来ると、私の顔を見て「チッ」と舌打ちまでして、急に足を引きずりながら歩きだしました。(明らかにケンカを売っています。爺さんにまでケンカを売られるのですからこちらも大変です。〔苦笑〕)

そのケンカを買うことはないと思い(私は大人ですから。〔笑〕)黙ってその人を祈りながら歩いて行くと、その爺さん、すれ違いざまに私の祈りに文句をつけてきました。(何をしとるか、みたいな感じでです)

こういう頭に血がのぼっている爺さんに何かいったところで聞く耳は持たないでしょう。

そりゃ申し訳ない、という感じで、私はまともに相手をしませんでしたが(でも、祈りはしっかりしましたけどね。〔笑〕)こういう人が多いのです。

「お前がすべて悪い」と感情的になり怒っている人がです。(こういう年寄りから小さな子供にまで、いろんな人にケンカ売られますから。〔苦笑〕)

しかし、怒っていたところで何も解決しません。もう少し考えてはどうでしょう。どうやったら災いがなくなるかをです。(そういう人たちは、お前が祈りをやめれば災いはなくなると単純に思っているのでしょう。確かにそうでしょう。私が祈りをやめれば災いはなくなると思います。だって私が何も祈らなかったら、今頃日本はなくなっていたからです。〔日本がなくなっているのであれば災いもないでしょう。日本自体がないのですから日本に災いが起きようがないからです〕現在の日本の人たちは神の怒りにふれまくっているのです。〔ふれている程度ではありません〕こういう感情的な人たちは、私が何もしなかったらもっとひどいことが起きるという事実を理解しようとしないのです。結果しか見ないからです。しかし、そうではないということは、動物たちがこれだけ私に寄ってくるということでも分かります。動物たちは私が日本を救っているということを知っているのです。動物たちは天の心を知っているからです)

とういうか、最近は両極端ですね。

静かな人が増えた半面、やたら怒っている人も増えています。よく現象が現れてきた証拠でしょう。だから、両極端の態度を取る人が増えたのです。

どれだけ怒ろうが、静かにしようが、それで災いが止まるものではないのです。

悔い改め詫びを入れたらどうでしょう。(命の恩人の私にです)悪いのは自分たちであるからです。(これほどの災いが起きているのがそのよい証拠です。〔私には奇跡しか起きていないのですから〕早く理解しないと本当に滅ぼされてしまいますよ。こういうことでも「日本は滅ぼされていた」という私のいっていることが嘘ではないと分かります。嘘でないから、これほどの災いが神を冒涜している人たちに起きているのです)

この辺りは天罰を食らっている人たちの方が威張っています。(災いが現れている方が胸を張って怒りながら歩いていて、奇跡が起きている私の方が小さくなって歩いているのですから)まったく世も末ですね。(本当にそうです。こういう人たちは私がいなければ、もうとっくに滅ぼされていたからです)

しかし、そんな調子ずいたことが出来るのも、体が健康なうちだけなのです。

その健康な体が、いつ恐ろしい病気になるのか分からないのです。心と行いが悪い人には、そのような天罰がもうそこかしこで起きているからです。

それなのに、そうならないと分からないでは(そうなっても分からない人もいるようですが)あまりに智慧がないでしょう。

これだけの体験をしているのです。いい加減、謙虚に反省されてはどうでしょう。「自分が悪かった」とです。

そうしないと確実に現れるからです。天罰はです。(天罰の意味を知っていますか?)

ある人は癌になり、ひどい痛みで苦しみながら死ぬことになりますし、ある人は、誰も知らぬまに死んでいて、変死ということにもなるのです。(実際にそうなった人たちを私は知っています)

法を説いている人の悪口をいったり、その人に嫌がらせなどしていては、そのような天罰は確実にくだるのです。法を説く人への悪は、それほど悪いことであるからです。(しかもその人に自分たちの命を救われているにもかかわらずです)

だから、そのようなことをした人の末路は哀れなのです。

それだけ重い罪を負っているからです。

悪いことが起きている人が悪いのです。何で奇跡が起きている人が悪いのでしょう。この辺りの人は、その自分が悪いせいで起きていることまで、法を説く人のせいにしているのです。

その罪は計り知れないでしょう。(本当に二重、三重の罪をつくっています。ということは、末路に起きてくることはどれだけ悪いことが起きてくるのか分からないということです。想像を絶するほどの悪いことが起きてきます。〔例えば、家族全員が癌になるとか、そういうレベルのです〕)

これは脅しでもなんでもないのです。事実そうなるのです。それほどの罪をつくっているからです。(だから、子供でも簡単に癌になっているのです。子供までそのような大きな罪を自らつくっているからです)

早く詫びられてはどうでしょう。そうしなければ(特にこの辺りの人は)後々、大変なことになるからです。

(段々追い詰められているのはそちらなのです。〔市バスも、電車も、ずいぶん静かになってしまいましたし…早く詫びないとやばいでしょう〕たった一人の私の方が追い詰められているのではなく、たくさんいる人たちの方が追い詰められているのです。このような状況を見てもどちらが悪いかは分かります。天は正しい人に味方するのです。いつまで天に逆らうのですか?そのような人は確実に滅ぼされるのです)

追伸…いよいよ花粉症のシーズンに入りましたね。(もうテレビなんかでしょっちゅういっています)

私はこの時期、花粉症の薬を飲まないなんて何年ぶりでしょう。(ほんと、十年、十五年ぶりくらいじゃないですか)本当にブルガリアヨーグルト様様です。(笑)

少々の鼻水やくしゃみは出ますが、これくらいなら全然大丈夫ですね。まさかこれほどヨーグルトが花粉症に効くとは思いませんでした。(しかも花粉症にいいとはいわれていないブルガリアヨーグルトでです)

こんなことならもっと早くから、これくらいの量(一日ワンパック、450グラムです)食べていればよかったです。ずいぶん前からヨーグルトは食べていたからです。(ブルガリアヨーグルトは、はちみつを混ぜて大分前から食べていましたね。〔その時は150グラムくらいづつですが〕腹の調子がよくなるものですから)

どれくらい(これくらいの量を)食べ続ければ花粉症がよくなるのか分かりませんが、一年ほどは食べ続けてみようと思います。段々症状が軽くなってきている気がするからです。

私はずいぶん花粉症には悩まされました。ここ数年は、全然鼻水が出ないのは六、七、八月の暑い時期だけで、後の時期は鼻水やくしゃみが出っぱなしでした。(特にひどかったのが、二月から五月までで、その間は薬を飲まないといられませんでした)

その花粉症が今年に入り、ヨーグルトをよけいに食べるようになって一変でよくなってきたのです。

しかし、このような順序をもらうのもまた、私がよいことをしている結果でしょう。(毎日のように法を伝え、人を祈っているのですから、これ以上のよいことはありません)

よいことをしていればよい結果が、悪いことをしていれば悪い結果が、必ず現れてきます。

いつまでも悪いことを人のせいにしているなど、本当に愚の骨頂なのです。

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2月 22 2016

知らないことの怖さ

皆さん梨のつぶてですが大丈夫なんでしょうか?

現れる天罰は、激しくはなっても止まることはないと思うんですが、早めに謝られてはどうでしょう。くだらない意地を張っている場合ではもうないと思うからです。(このままだと大変な被害が出ますよ)

罪をつくった人が一人や二人ではありません。(こちらも、いちいちそういう人たちを祈るのも大変ですから)会社単位で詫びたらどうでしょう。そうすれば、その会社は将来にわたり安泰であるからです。(心から反省されればということですが。GTS心の研究所に寄付していただけませんか?そうしたら、その会社を祈るからです)

しかし、真正面から神に逆らうというのであれば、どれだけ大会社であろうと(たとえ親方日の丸であろうとです)潰されますよ。

神は日本を潰すことさえ簡単なことであるからです。

またシリアで連続テロが発生しました。百人以上の人が亡くなったということですが、こういう悲惨なこともです。

まだ多くの人が爆弾の怖さを知っているから、これくらいで収まっているのであり、もし、人々が爆弾の怖さを知らなかったら、もっと被害は大きくなっているでしょう。

爆弾の怖さを理解しようとしなければ、その爆弾がどれだけ近くにあっても怖くはないからです。

爆弾を怖がらないなら、近くに爆弾が置いてあっても、誰も何の警戒もせず(爆弾から逃げようともせず)そのまま普段の生活を続けているでしょう。

しかし、そんなことにでもなれば、爆弾の被害者はどれだけ出るか分からないのです。

爆弾があると(あるいは持っている人がいると)みな逃げるから、被害もこれで済んでいるのであり、もし、皆が爆弾の怖さが分からず爆弾があっても逃げようとしなかったら、被害はもっと深刻になるでしょう。

今の日本の人たちは、この爆弾の怖さを知らない人たちと同じなのです。

神の怖さをまったく理解しようとしないからです。

だから、誰も頭を下げようとしないし、逃げようともしません。(私の顔を見ると向かってくる小学生までいるのですから、話になりません。どれだけ恐ろしい現象が現れていてもです)

神の業の怖さ(それは爆弾以上に怖いのですが)を理解していないからです。

ですから、凄まじい被害も出るであろうし、それほどの被害が出ていても、それでも怖さより、腹が立つ方が勝ってしまうのです。

何度もいいますが、神の怖さをまったく理解していないからです。

これが無神論の怖さです。

日本の人たちは神など存在しないと思っているから、その(いないはずの)神が業を現すはずがありません。だから、神の怖さが分からないのです。

存在しないものは怖がりようがないからです。

しかし、神は存在しているのです。現に不思議な現象が現れているではないですか。なぜそれをいつまでたっても否定するのでしょう。

神の業を人の業とです。

神を認めてしまうと、さすがにその神には逆らえません。それで神の業を人のせいにしているのでしょうが、しかし私には、その神の力が作用しているのです。

だから、これだけの現象が起きているのであり、この現象をたった一人の者が自分の力で行うなど、ナンセンス以外の何ものでもないでしょう。

人一人が、このようなことを行うなど出来るはずがないからです。人の力を完全に超えることが起きているからです。

このような神の力が作用している人たちは過去にも存在していました。

それが預言者といわれる方々です。

あのような方々は、神の力が作用していたと分かるのに、なんで実際にそのような業が、もう何度も現れているのに、それを神の業と認めようとしないのでしょう。

それこそ傲慢の極みなのではないでしょうか。それは自分の間違いを認めたくないだけだと思うからです。

間違いを認めたくないから、意地を張っているのです。(どれだけ恐ろしい現象が現れてもです。それだけ頑なであるということです)

しかし、謙虚になり私のいうことに耳を傾けなければ、もう救われることはないのです。次々に現れる神の業がそれを教えているのです。(どれだけ現れたら分かりますか?自分たちの間違いがです)

自分たちが大きな間違いをしていたのです。(神など存在しないなどとです。信じられないくらい大きな間違いです)それだけの話なのです。

神は存在するのです。

いい加減、神の恐ろしさを理解されてはどうでしょう。この現れている神の業はどのようなテロよりも恐ろしいものであるからです。

神の存在を認め、その恐ろしさを理解するならば、いま起きていることがどれだけ恐ろしいことかが分かります。(それこそ、身の毛もよだつような恐ろしいことが繰り返し起きているのです)

いま起きていることの恐ろしさを早く理解していください。

そうすれば、助かる人もたくさん出てくるからです。

追伸…最近は海外でも、日本のスポーツ選手が次々に優勝しているようですね。法を実践する人としない人ではずいぶん起きることが違います。(優勝している選手たちが法のことを知っているかどうかは分かりませんが…多分知っているでしょう)

プロ野球もオープン戦が始まりましたが、地元のチームは今年も調子が悪そうです。(あの監督、私がいったことを反省していませんね。これでは今年もBクラスでしょう)

しかし、オープン戦がナゴヤドームで行われるようになったら、一度観に行こうと思っています。

久しぶりに会いたい選手もいるからです。(久しぶりって、今生ではまだ会ったことありませんが。〔笑〕)

法を実践するなら奇跡が起こります。

いつまでくだらない意地を張り、法に逆らい続けているのですか?これだけもったいない話もないのです。

(もったいないだけではなく、もう命にもかかわりますし)

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2月 21 2016

地獄界

園頭先生のご著書「現代の釈尊 高橋信次師とともに」より抜粋します。

<地獄界は、この現象界で、人々を怨んだり、そしったり、また争ったり、常に心に安らぎのなかった人々が行く世界である。色情が強く、常に肉体的な欲望の強い、その欲望を満たすことの出来ない、女性に強い欲望を持っていても、好きな人とも引き離された孤独の、常に精神的に不安定な人の行く世界である。この世でいっしょになれないからあの世でと心中しても、絶対にあの世でいっしょになることは出来ないし、この世が苦しいからあの世へ行けばその苦しみから逃れられるだろうと思って自殺しても、絶対にラクにはなれない。その反対に、もっと生きて魂の勉強をしなければならなかったのに、自らその死期を早めて、神の定められた法則に反したということで、孤独の永い苦しみを経験しなければならないのである。

六 煉獄(れんごく)---無間(むげん)地獄

常に心の中に闘争と破壊の渦巻いている人、そしる人、怒る人、ひどく悲しむ人、うらむ人、偽善者、エゴイスト、狂思想者(一つの思想に固執〔こしゅう〕して、自分の信じている思想以外の思想を持つ人を敵視し攻撃した人)狂宗教家などの陥る世界である。集団で闘争を計画した者、戦争の計画者、権力を持って大衆を間違った方向に指導した者、間違った教えを説いた宗教家は、煉獄の一番底の無間地獄に行く。

(中    略)

七 餓鬼界

金銭欲の強い人、この世に未練や執着を持つ人、足ることを知らず常に不足の思いを持った人、いくら食べても、いくら持っても、満足することを知らない欲望の塊みたいな人が行く世界。

八 畜生界

動物と同じような性格を持った人、ねちねちと蛇みたいに執念深い人、親子兄妹の見境なく性欲に狂う人、狐みたいに人を騙(だま)す人、動物の本性丸出しの人を我々は「あいつは犬畜生みたいだ」といっている通りである。

九 修羅界

栄達を望み、そのためには平気で人を陥れ、利用し、自分たちのためには人がどんなに傷ついても平気でいる人、闘争に明け暮れている人、例えば、ストの計画指導者、常に人を争わせて面白がっている人、組織の細胞となってその組織のためだけに行動する人、思想団体、政治団体、また宗教団体であっても、その組織のためには忠実であるが、他に対しては闘争対立の心を持つ者等、常に心の中に争いの心を持つ者の行く世界。>

以上、園頭先生のご著書より、地獄界が書かれたところを抜粋しました。

法を説く者に嫌がらせをしたまま死ぬことになれば、このような地獄に堕ちて行くことになります。

その人の心の程度により、どの世界に行かなければいけないかは分かりませんが、法を説く者に嫌がらせなどすれば、確実に死後、このような世界に堕ちて行くのです。

それほどしていることの罪が重いということです。

だから天罰も当たるのです。やっていることの罪が重いからです。

それは少し考えてもらえれば分かると思います。釈尊やキリストに嫌がらせなど続けていれば、天罰もくだるし地獄にも堕ちます。(ダイバー・ダッタしかり、ユダしかりです)

法を説いている人への悪は、それだけ罪が重いのです。

こういう当たり前のことさえ、現代の人々は知らなかったのです。

金儲けばかりにうつつを抜かしていたからです。真剣に神の心を知ろうとしなかったからです。

それどころか、神の心を教えるはずの宗教まで金儲けに利用しているのですから、これだけ罰当たりな話もないわけです。(現世利益信仰などその最たるものでしょう)

こういうことをしていては、当然、天罰はくだるし地獄にも堕ちるのではないでしょうか。あまりに神を冒涜しているからです。

これからは神の心を知らないと、どれだけ不幸になるか知れないのです。そういう時代がもう来ているからです。

いつまで責任転嫁を続けるのですか?

そのままではどれだけ不幸になるのか分からないのです。

追伸…園頭先生が書かれた地獄に行く人の心の基準を知るならば、現在の多くの人が、死後どれほど地獄に堕ちて行かなければいけないのかよく分かると思います。

どこかの国の独裁者など、地獄で一番深い無間地獄に堕ちて行かなければいけないし、ストばかりやり闘争に明け暮れている共産主義者なども、修羅界などの地獄に堕ちるのであるし、また口先三寸で人を騙している者たち(例えばオレオレ詐欺などやっている連中です)も同じように、煉獄や修羅といった地獄に堕ちて行かなければいけないのです。

また、おかしな思想を説く宗教家なども無間地獄に堕ちます。

間違った教えを説く宗教家などは、その罪は特に重く(そのような宗教家は人の心を腐らせてしまうからです。宗教はアヘンなどといわれますが、間違った教えは人の心を腐らせるのです)自分の間違った教えを信じている信者の最後の一人が天上界に上がるまで(自分の間違いに悟るまでということです)その宗教家は無間地獄から上がることは出来ないのです。(だから間違った教えを説く宗教家は、相当長い間〔下手すれば数百年〕無間地獄で苦しまないといけないということです。大丈夫ですか?そういう人多そうですけど)

心をそっちのけにして、この世の栄耀栄華だけ楽しんでいることが、いかに愚かかお分かりいただけると思います。

逃げ得、やり得、などということは絶対にないのです。

この世で間違ったことをし続ければ、その罪は死後、数倍、数十倍(人によっては)数百倍の規模で自分に返ってくることになります。(倍返しどころの騒ぎじゃありません)

心と行いを正されてはどうでしょう。

それが人間として一番大事なことだからです。

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2月 20 2016

天罰

今日二月二十日は、園頭先生が亡くなられた日であり、生まれられた日でもあります。

この日は園頭先生を偲び、しっかり園頭先生から教えられた法が説けているのか再確認する戒めの日でもありますが、どうやら先生から教えていただいた法は間違いなく説けているようです。

これだけの奇跡が現れていることが、そのよい証拠ですし、それだけではなく、最近は特に天上界からの園頭先生のお導きをヒシヒシと感じるからです。

昨日は衝撃的でしたね。私の予想に反しあまりに静かであったからです。(あんなブログを書いたにもかかわらずです)

昨日私は白鳥公園から金山まで歩き、そうして帰ってきたのですが、電車やバスのあの静かであったこと、驚きました。

白鳥公園から、わざわざ線路沿いまで歩いて行って(バスだけではなく、電車も確認したかったものですから)そうして線路沿いに私は金山駅まで歩いたのですが、その間一両の電車もファンファン鳴らしませんでした。

いつもであるなら、私がそのようなコースを歩いていれば、ひっきりなしに横を通る電車にファンファンでかい音をたてられるのです。(そうですよね、名鉄電車の皆さん)

しかし、昨日は何両もの電車が私の横を走って行ったにもかかわらず、一両の電車もそれをしなかったのです。(金山駅に着いた時、私は違う駅に来たのかと思いました。あまりに静かであったからです)

微妙に何かしていたのもいたかもしれませんが、とにかくバスだけでなく、電車の運転手まで態度が変わっているのです。(本当に「なんで?」と思いました)

もちろんバスも同じでした。

昨日はわざと広い通りばかり歩き、バスの様子を見ていましたが、何十台と私の横を通っていきましたが、ブシュとやったのは二、三台でした。

しかもその二、三台は、私の横を通っていく時に、私が「あんなブログ書いたのに無視かい」とか「あれだけやっていたのに寂しい話だな」とか散々冷かしたのです。

そうしたら運転手が怒って、それでブシュとやってきたのですから、私が黙ってバスを通していたら、もしかしたら、一台のバスも私にブシュとやってこなかったかもしれません。

少し前までは、考えられないことが起きているのですが(あれだけやっていましたからね)一体何が起きているのでしょう?

バスだけではなく電車まで静かになってしまったからです。(これはよほどの異常事態ですね)

この前、私が金山に行ったのは、今月の八日か九日でした。その時はまったく変わらなかったのです。

バスにはブシュブシュやられる(トラックもそうです)電車にはファンファンやられる。もう、うるさいことこの上なかったのですが、それが昨日はまったくであったのです。(バスや電車はですが)

昨日は十九日でしたが、この十日ほど間に一体何が起きたのでしょう。このような状況はもう何年にもわたり続いていたことなのにです。

マァ、よほどのことが起こり始めたのでしょう。

そうでなければ、電車やバスの運転手連中が静かになることなどあり得ないからです。

だって、凄い形相で怒っている人がたくさんいましたから。(よほど私が憎かったんじゃないですか?この間、天罰を食らう人もちょこちょこいたようですから…それみんな私のせいでしょうから)

それが昨日は、暗い顔をして下を向いている人が多かったのです。

まさか反省して、そのような態度に変わったとは思えませんので(何度もいいますが、反省するのならもうとっくに反省しているはずだからです)その天罰がすさまじいまでに起こりだしたのでしょう。

よほど起きて来なければ、そのような怒っていた人たちが暗い顔をするなどあり得ないと思うからです。(少々のことくらいならよけい怒るだけです。もう怒れないくらい起き出したら、そういう暗い顔にもなるんじゃないですか)

これは私の推測でしかありませんが、もし、そうであるなら反省される以外ないでしょう。

そのまま、そのすさまじいまでに起きて来た現象をほっておくなら必ず滅ぼされるからです。

それほどの罪をあなた方はすでにつくっているからです。(昨日も説明しましたが、法を説いている人にそれほどの嫌がらせをしてしまったのです。しかも自分たちにくだった天罰の罪までかぶせてです。お蔭で私の評判もがた落ちです。〔ということは法が拡がらないということです。そんな評判の悪い奴のいうことなど誰も聞かないからです〕どれだけ罪をつくっているのですか?もう考えられないほどの罪です)

法に逆らい、滅ぼされた人たちはたくさんいます。(それは聖書でもお読みいただければ分かると思います)今のままでは、あなたたちにも同じことが起きるのです。

その滅ぼされた人たちに匹敵するほどの罪をすでにつくっているからです。

法を説いている人に悪いことをすれば、必ず、その報いはあるのです。

皆さん方は、その悪いことをしすぎています。

何度もいいますが、早く反省されたらどうでしょう。それ以外もう救われる道はないからです。

追伸…どちらにしても、もう私が祈る以外、その天罰から逃れる術はないのではないですか?他に方法があるならやってみてください。(お祓いでも何でもです)

何をしても、そのすさまじい天罰に拍車がかかるだけだからです。(それ以上拍車がかかれば一変に滅ぼされてしまいますね。名古屋の交通機関が大打撃です。バスと電車の運転手がいなくなるからです)

しかし、そういうことは起こりますよ。すでにそれに近い現象が現れているのですから分かるはずです。

だから私があなた方を祈るしかないのです。それ以外で救われる道はないからです。

私に祈られて、それでも現象が現れたのなら、そういう人はよほど心が悪かったのでしょう。そのような人は諦めることです。

しかし、仮に癌などなっても、私は末期癌の人の癌の痛みを祈りでとったことがあります。(これは医者でも無理です。末期の癌の痛みはどんな薬を飲んでもとれないからです)

そうであるなら、私に祈られれば、仮に死ぬことになってもまだ救われる道は残るということです。痛みがとれるのですから、反省しようと思えばいくらでも出来るからです。

だからどちらにしても、救われる道は、私に祈ってもらう以外ないのです。(私が祈れば、どちらに転んでも救われる道はあるからです)

昨日ブログに書いたことを早く実行されたらどうでしょう。それほどの天罰がくだり始めたということは、もうどこにも逃げ場がないということだからです。

もう一刻の猶予もないのです。

早々に実行してください。そうすれば、すぐにでも祈るからです。

(怒ってばかりいる〔今日も朝から大変お怒りです〕どこかの会社の人たちも同じです。すでに怒ることが出来なくなった人たちも出て来ているのです。いつまでも怒ってる場合でしょうか?すさまじいことが起き始めているのにです)

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2月 19 2016

市バスの皆さんへ

いやいや大人ですね。どこかのバカ小学生たちとは違います。

昨日のようなブログを書いても、運転手の方々は怒ってやり返すようなことはされないからです。

……などということはありませんでしたよね、これまでは。(小学生以上に怒ってむきになってブシュブシュやってきたはずですが?)

どうしたのですか?何か相当やばそうですけど大丈夫ですか?

特に市バスの運転手の変わりようは異常ですね。だって市バスの運転手連中は何が起きていようと必ず誰か彼かブシュブシュやってきました。

市バスの運転手で、私の顔を見て何もしない運転手などまずいなかったのに、昨日など十数台の市バスを見ましたが、その中で一台だけです。私にブシュブシュやってきたのはです。

その一台も、運転手が何か必死の形相でブシュブシュ(しかも小さめに)やっています。

切羽詰まったような表情で、ずいぶん危なそうな運転手でしたが、お客さんを乗せているのにあれではまずいでしょう。(何か変な薬でもやってませんか?いま流行っていますから)

その運転手に「おい、ずいぶん癌が出てるんだってな」と声をかけると、ひと際でかい音でブシュとやっていきました。

どうやらその運転手は、癌が運転手の間でたくさん出始めたのを私に教えてくれたようです。(苦笑)

しかし、あれだけ嫌がらせをやめなかった市バスの運転手たちが急に嫌がらせをやめてしまうのですから、よほどのペースで現れ始めたのではないでしょうか。(癌か何か知りませんが)

たしか先週の金曜日からでしたよね。そのような極端な態度を取り始めたのは。(東山動物園に行った帰りからでしたのでよく覚えています。急に市バスの運転手たちの態度が変わりました)

最初の三日、四日くらいはやたら怒っていました。(思いっきりブシュと何度もやられましたから)それが一昨日くらいから急に静かになったのです。

昨日でも運転手の顔を見るとみな引きつっているようでした。私が手を上げるとビクッとする運転手やムッとする運転手もいます。(祈ると思ってでしょうか)

どうしたのですか?

ずいぶん静かになってしまってです。これまでこんなことはありませんでした。

もしかしたらみな反省されたのでしょうか?一人の者によってたかって嫌がらせするのはかわいそうとです。

そうではないでしょう。(そんな心の人がいるならもっと早くからそうしているでしょう。何年もしてから急に反省するわけがありません)本当に凄いペースで癌になる人が現れ始めたのではないのですか?

そうであるなら、すぐにでも私に詫びを入れないと、これからどれだけ多くの運転手が癌になるか分かりません。

それだけの罪を市バスの運転手の人たちはつくっているからです。

私は今でも覚えていますが、一番最初に私にブシュブシュやってきたのは市バスの運転手たちでした。

市バスが始めて、それからトラックの運転手や他のバスの運転手、電車の運転手にまで、私への嫌がらせが広がって行ったのです。(それからです。あのサイレンが鳴り始めたのは)

つまり、私へのたくさんの嫌がらせの最初のきっかけをつくったのは市バスの運転手たちなのです。(サイレンのきっかけもあなたたちかもしれません)

そうであるなら、市バスの運転手たちが一番初めに滅ぼされることになるでしょう。

なぜなら、法を説いている者に嫌がらせをするという(そうして大変な神の業をこの世に現してしまったという)大変大きな罪の最初のきっかけをつくったのは市バスの運転手たちであるからです。

法を説いているということは、釈尊やキリストを見ていただければ分かります通り、今生の人だけではなく、後世の人、そうしてあの世で地獄に堕ちている霊たちまで救うのです。(地獄に堕ちている霊たちが、釈尊の説法を聞いて心を入れ替え天上界に昇ったということはたくさんあります)

つまり法を説いているということは(もちろん正しい法を説いていなければいけませんが)その人は天文学的な数の人を救うということになるのです。

その天文学的な数の人を救う人に嫌がらせをしているのです。その罪がどれだけ重いかは想像に難くないでしょう。

その最も重い罪を先導してやってしまったのです。では、一番初めに滅ぼされても仕方ないのではないでしょうか?

それほどの罪はすでにつくっているからです。

そうして、あななたちが滅ぼされれば、さすがに反省する人も出てくるでしょう。

私に嫌がらせをしている人たちを反省させるという意味でも、最初に大きな原因をつくった人たちが、一番大きな責任を取らされるのは当然のことなのではないでしょうか。

だから、どこをどう考えても、その現象が止まるということはないでしょう。これからさらに恐ろしい現象が、次々に現れてくるのはもう目に見えているのですが、どうされますか?

それでも反省はされないのですか?

それでも「お前のいうことなど聞けるか」といわれるなら、どうぞそうしてください。それは本人の自由であるからです。

しかし、もしです。もう今回はさすがに反省するという人がいるのでしたら、すぐにでも私に詫びを入れ(直接でも、電話でも、メールでも結構です)慰謝料を振り込んでください。(当然、慰謝料はいただきますよ、これだけの精神的被害を受けているからです。それが布施の代わりです)

そうすれば私はその人を祈ります。(「神よ、どうぞこの人をお許しください」とです)

私が祈るのであれば、もうその人に災いが起きることはないでしょう。(少なくとも今すぐに癌になるなどということはないでしょう)

私が祈ると必ず奇跡が起きるからです。

しかし、また私の忠告を無視し、態度を変えないというのであれば、もうすぐにでも災いは現れるでしょう。それは周りの人を見ていただければ分かると思います。(だから、おとなしくしていても同じであるということです。それだけでは、その犯している大きな罪は消えないからです)

それでも反省されませんか?

もう時間は限られているのです。

追伸…こういうブログを書けば、いつもなら烈火のごとく怒りまたボコボコにされる(そこらじゅうでブシュブシュされる)のでしょうが、今回はどうでしょう。(私もこりません。〔苦笑〕)

マァ、する人はするのでしょうが、ずいぶん雰囲気が違ってきています。(バスだけではなくトラックもです。そうしてどこかの会社もです。〔もう尋常じゃないくらい怒っています〕)

ソロソロ本当にやばいのではないですか?だから態度が変わってきている人が多いのではないかと思いますが、そのようなそちらの事情にかかわらずです。

無反省な人はドンドン祈ります。(「汝を責め憎む者のために祈れ」とキリストからもいわれていますので)

祈ってこれだけの現象が現れているのです。それだけこの法は偉大な教えであるということです。

反省されてはどうでしょう。悪いのはあなたたちの方であるからです。

この教えを学ぶのであれば、それだけ起きている災いの分以上に奇跡が現れてくるのです。

ここらで反省されてはどうでしょう。

そうすれば一変に状況は変わるからです。

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