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6月 01 2015

神を思う

今日はどこかの会社が静かそうなのでブログを書きましょう。(何かあったんでしょうか?心配です)

しかし、いつまた書けなくなるかもしれません。(何せ豹変〔ひょうへん〕しますので)書ける時には書いておきます。このままでは日本がやばいからです。

ブログを書かなくなったここ二週間で、日本の危なさに拍車がかかったようですね。土曜日に起きた地震など、全国で揺れた異常な地震であったようですし。(こんな広範囲で揺れた地震は観測史上初だったようですが、そのような地震が起きたということは、このままでは天は日本を潰すと警告を受けたようで少しビビりました。)

火山活動の活発化や地震の多発など、いってはいけませんが、一番科学が遅れている部分であります。このような現象を次々に起こされたら、もう私たちはどうすることも出来ませんね。

大雨や台風なら、予測が出来ますので先に避難することも可能でしょうが、この火山の噴火や地震は予知も予測もできないんですよね。(口永良部島の噴火でも、こんなに急に噴火するなど予想していなかったそうですし)

だいたい、火山の噴火など専門家のいうことが皆違っているし、地震学者もあの東日本大震災の時に比べれば、このくらいの頻度で地震が起きるのも珍しいことではない、とかトンチンカンなことをいっています。(千年に一度の大震災時と比べたらだめでしょう。〔苦笑〕)

これでは危なくて仕方ないですね。

日本は、かなり危ない状況になっているのですがまだ分かりませんか?皆様方の不信心がです。

それに今日から六月で、いよいよ雨の季節になりました。今年は梅雨に入るのが遅いとかいっていますが、気象庁がこのよう発表をしますと最近は必ず逆の目が出ます。

何か六月に入ったとたん、こちらは薄曇りの状況で(五月は朝からカンカン照りで異様に暑かったんですが)今月は、また先月とは違う現象が現されそうな気もします。(ということは、六月は大雨になるかもしれないということです)

火山の噴火に地震に大雨では目も当てられなくなります。もう少し神を思われてはどうでしょう。そうすれば、このような天気もそれほどひどくはならないからです。

もう、このブログを知っている人で、私のいうことを一笑に付せる人もいないでしょう。

皆様方の考えは逆なのです。神などに頼っても仕方ない、ではなく、このような状況になった時には神に頼らないといけないのです。

最近、芸能人で癌で亡くなる人が続きましたが、その誰も神のかの字もいいません。神どころか死の間際になっても仕事のことをいっているのです。

まったく話になりません。こういうことが偉いとか、立派だとか世間ではいわれますが、こういう発想もソロソロ変えられたらどうでしょう。このような心のまま死ねば、そのような人は百パーセント地獄に堕ちるからです。

それはそうです。死の間際になってもまだ神のことを思おうともせず、仕事がしたい、仕事がしたい、と仕事に執着しているのです。ということは、この世に強い執着(未練)があるということであり、そのような心のまま死ねば当然地獄行きです。(それか、その執着の強い場所で地縛霊となるかです)

そのような執着の強い心では救われないからです。神を思うことが出来る安らかな心にならないと死後は救われないのです。

生前、ほとんど神を思おうとしなかった人たちは、せめて最後には神を思う(思いだす)そのような心にならないと、死後の世界も不幸なものとなるのです。

日本の人々はあまりに神を思う心が足りません。それが、このような恐ろしい現象を次々に現される理由なのです。

私の周りでは、次々に神の奇跡が現れています。(私はずっと神を思っているからです)

その神の奇跡とは、いろいろな動物にそれが現れたり、一方的にひどいことをしてくる人たちにそれが現れたり、あるいは気象に現れたりしますが、神を思う心があるのであれば、それが自分自身にとって最高の導きとなるのです。

この世のことばかりに執着し、死後地獄に堕ちることがよいのか(この世のことだけしか見ないのであれば、当然そうなります)それとも神を思い、その神の心を実践し、そうして神に導かれることがよいのか(そうなれば当然、死後の世界は天上界です)神の子の人間であるならば、どちらがよいのかは聞くまでもないでしょう。

いい加減、神の心に目覚められてはどうでしょう。

そうしなければ日本は、最後にはその神に滅ぼされてしまうからです。

(それは当然そうなります。あまりに神を思おうとしなかった人たちは、もう一度やり直しということで「ご破算で願いましては」になるからです)

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5月 31 2015

奇跡は正しさの証明、災いは間違いの証明

昨日はブログを書こうとしたら、また前の会社がじゃましだしましてね。(物を思いっきり叩き付けてるんですから、うるさいうるさい)

とても書けそうになかったので書くのをやめたのですが、ここまで露骨に法の流布のじゃまをしているのです。(先週も次々に何か起きていたようですが、それが悔しくてでしょうが)

もう普通の祈りではダメだということで「今日は少し違う祈りをするからな」と、わざわざこの連中に断り祈り始めたのですが、そうしたら、即、現象が現れたようで(しかもそれが一度ではなく二度、三度とです)午前中と午後では人が(会社が)変わったようでした。

もうこの会社、祈るとすぐに現象が現れるようになりました。これほどの現象がすぐに現れ始めたのです。自分たちがどれだけ間違ったことをしているのか、まだ分からないのでょうか?(普通は祈ってもこれだけ極端な現れ方はしません。〔普通なら反省の期間が必ずありますから〕しかし、これだけすぐに天が現象を現すということは、相当悪いことをしているのです)

自分たちがしている行為が、どれだけ日本を危うくさせているのか、早く気づかなければいけないのです。

先週も本当にいろいろ異常なことが起きました。

まずあの異様な暑さです。(五月の観測史上最高が続出しましたが)どう考えても真夏の気温ですよね。(少なくとも五月の気温じゃないでしょう)

先週も(ブログを書かなかったので)一日外にいる日が多かったのでこたえました。

それに月曜日(二十五日)には茨城南部で震度5の地震があり、一昨日にも震度4の地震があったようですが(これは余震でしょうが)昨日もまた神奈川で震度5の地震が起きました。

それに口永良部島(くちのえらぶじま)の新岳(しんだけ)の噴火です。

わずか一週間でこれだけの災いが起きたのです。私も少し驚きました。(私も「ブログを書かなくなったら日本に何が起きても知らないからな。地震や火山の噴火くらい起きるぞ」とかいっていたのですが、それプラス異常な暑さです。もはや私の予想を超えています)

自分のところだけではなく、日本中に異常現象が多発し出したのです。それでもまだこのブログのじゃま(法の流布のじゃま)をし続けるのでしょうか?

本当に恐ろしいことです。今週もまた何か起きなければよいのですが。(というか、起きるでしょう)

少しは、私がいう「この法を拡げないと日本は滅びる」といったことがお分かりいただけるでしょうか。

それは、ここ最近の日本の状況を知るなら、決してそういうことが嘘ではないと分かるはずです。

最近の火山活動の活発化はどうでしょう。今回噴火した口永部島の新岳だけではなく、箱根もそうですし、長野県と群馬県の境にある浅間山、山形県の蔵王山なども危ないといわれていますし、鹿児島県の桜島も大きな噴火を繰り返しています。

それに富士山もいつ噴火するか分からないといわれています。(高橋先生が予言されていますので、どこかで噴火はするのでしょうが)

この火山活動の活発化だけでも危ないのに、それに加えて気になるのは地震です。先週は特に大きな地震が多かったんですが、その大きな地震が、あの地震の巣といわれる茨木南部の辺りでよく起きているのです。

あの辺りは、私は前からいっていますが(大規模な風力発電所があるため)相当危ないのです。

その場所に続けて大きな地震が起き始めたとなると、いよいよ天は、あの辺りに大きな地震を起こす気でいるのではないかと思えてならないのです。(東京も含めた関東圏にです)

法の流布を止めてしまったことに加え(日本は)原発を進めなければいけないのに、それに反する行為を行っている場所(風力発電)そういうところに天は災害を現します。

この一、二週間でそのような場所が急に危なくなったのです。これは法の流布を止めてしまったことと大いに関係があると思います。

法の流布を止めたのは、名古屋の会社なんだからこちらは関係ないだろうと思うかもしれませんが、とんでもありません。関係大ありなのです。

なぜなら、法の流布を止めてしまったのは前の会社だけの責任ではないからです。このブログを読んでいるすべての人に責任があるからです。

そうではないでしょうか?私は前からいっています。「このブログを見ている人は少しで結構ですから布施していただけませんか」とです。

しかし、それをほとんどの人が無視しているのです。では、このブログを止めてしまった責任は、そのような人たちにもあるのではないでしょうか?だって、そのような人たちが、私の言葉に従って快く布施してくれていたのなら、このようなことにはならなかったからです。

そのように布施してもらえたお金があれば、どこか他の場所を借りるなり何なりして、いくらでも法の流布など継続して行えたからです。

しかし、ほとんどの人がそれをしようとしなかったのです。だから、そのような人が多いところに災いが集中して起きているのでしょう。(私はどの地域の人が、このブログをたくさん見ているのか知りませんが、今週は関東に災いが多かったのです。そちら方面の人が案外多いのかもしれません。名古屋はもちろんですが)

このような災いが多いということは、間違った考えの人が多いからです。

なぜなら、自分の考えが正しければ奇跡が起きるからです。それは釈尊やキリストを見ていただければ分かると思います。

あの方々が、なぜ奇跡ばかり起こされたのか?それは、そのような人格者であられたということはもちろんですが、自分たちの考えに間違いがなかった、それが一番の理由であるからです。

どれほどの人格者であろうと、自分の考えに少しでも間違いがあるならばあれほどの奇跡は起きません。

釈尊やキリストは自分の考えに間違いがなかった、神の心そのものであったから、あれだけの神の奇跡が現れたのです。

つまり、あれほどの奇跡を現されたということは、それほど正しいことをいわれていたという証明はないのであり、その反面、最近は災いが現れる人たちが増えています。

では、その災いがよく現れる人たちは、どうしてそのような災いが現れているのでしょうか?

それはもうお分かりだと思います。釈尊やキリストが正しいことをいわれていたから奇跡が現れたように、その人たちに災いがよく現れるようになったのは、その人たちの考えが間違っているからです。

その人たちの考えに間違いが多いから災いが現れているのであり、その人たちの考えが正しければ奇跡が現れるのです。

つまり、奇跡が現れるのはその人が正しいことをいっている(している)証明であり、災いが現れるのは、その人が間違ったことをいっている(している)証明であるのです。

そうであるなら、最近は災いが多いということは、それは即ち間違ったことをしている人が多い証明なのではないのでしょうか。

口で自分はいいの悪いのいうのではなく、実際に現象として現れる、これほど正確なことはないのではないでしょうか。口では何とでもいえるからです。

先週の私はまた奇跡の連続でした。

先週は木曽川と長良川に行ったのですが、長良川に行って声をかければ多くの小魚たちが底から上がってきたり、沖から泳いで来たりしてたくさん岸辺に寄って来て泳ぎ回っていました。

それも一キロくらいにわたってです。もちろん動画に撮りました。(だから、数千、数万の小魚たちが岸に寄って来ていたと思います。長良川を見ていると、沖の方から、大きなさざ波や小さなさざ波がいくつかスッーと岸側に寄ってくるのです。そのさざ波が小魚たちなのです。何か凄いことが起きているように思えました。私が声をかけただけで、川のあちこちから多くの小魚たちが岸辺に寄ってきたからです)

それとは対照的に木曽川で声をかけると、今度は大きな魚ばかりがあちこちで飛び跳ねるのです。(本当に木曽川と長良川では対照的でした。長良川はほとんどが小魚でしたが〔大きな魚は少し跳ねただけです〕木曽川は大きな魚ばかりが跳ねるのです。〔逆に小さな魚は少ししか寄って来ませんでした〕)

なんで、すぐ近くにある二つの川でこうも起きることが違うのか?それはそれで神の奇跡に驚きました。(神が現しているとしか思えませんもんね。このような現象は)

堀川にも行きましたが、堀川に行って声をかけると数十万、数百万匹の小魚が現れました。(実際に私はそれをこの目で見ました。川のいたるところに小魚が上がってきて、泳いだり飛び跳ねたりしているのです。こんなにたくさんの小魚があの堀川にいるなど誰も知らないのではないですか?それもわずか一キロくらいの間にだけです。だからもっといますね。あの川には)

庄内川に行き、川岸をずっと歩いて行くと、変わった鳥やキジやカワウソにまで出くわしました。(それは動画に撮り損ねたので今度撮ろうと思います)

本当に不思議なことが次から次に起きています。

もちろん、すずめは相変わらずよく寄って来ます。最近は、私が辻説法をしているとよく近くに飛んできます。

これもまた「釈尊が説法をしていると、すずめなど飛んで来て釈尊の説法を聞いていた」と仏典などに書かれてありますので、それと同じ現象が起きているものと思われます。

これだけ私には、釈尊やキリストと同じような現象が現れているのですから、これは私がいっていることの正しさの証明であると思いますし、もし私がいい加減なこといおうものなら、このような奇跡は一変に起きなくなります。

つまり、奇跡が起き続けていることが私がいうことの正しさを現しているのですから、だから私のいうことを聞かれてはどうですかといっているのです。

私のいうことなど聞けるか、と思っている人、またはあいつのいうことをは違っていると思っている人は、では、自分が正しいと思う根拠は何なのですか?

何をもって自分の方が正しいと主張されるのでしょうか?何の奇跡も自分たちには現れていないにもかかわらずです。(むしろ災いが現れているのではないですか?災いは自分の考えに間違いがある証拠なんですが…)

釈尊やキリストがそうであったように、常に奇跡が現れる人は、それはその人が常に正しいことをいっている証拠であり、災いが現れる人は、自分の考えのどこかに間違いがあるのです。

今現在日本にこれだけの災いが起きているのは、この法を皆さんが勉強しようとしないからです。

もし、口永部島の人たちが法を知っていたのなら、あの噴火は起きることはありませんでした。もし、関東の人たちがもう少し法に協力的であれば、先週の大きな地震は起きなかったのです。

法の勉強を始められてはいかがでしょう。

奇跡が起きている人のいうことほど正しいことはないからです。

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5月 24 2015

不信心

いま私の周りで次々に起きる奇跡と災い、これは昔から起きていることであった、昨日のブログでこう書いたのは嘘でもなんでもありません。

本当に起きていたのです。釈尊やキリストがこの世に出ていられた時にはです。

つまり昔から残る仏典や聖書などの神にまつわる書物には、この名古屋で起きていることと同じようなことが、いくつも記されているのです。

そうではないでしょうか。釈尊やキリストはもちろんのことですが、神の使いといわれる方々に罪を擦り付けたり、嫌がらせなどした人々は必ずといってよいほど悪いことが起きています。(不慮の事故に遭ったり病気をしたりです)

それと同じことが、名古屋で(その周辺で)起きているだけのことなのではないでしょうか?

だって、聖書や仏典に書かれている天罰を受けている人たちと、同じようなことを名古屋の人たちはしているからです。

だから同じ現象が現れているのです。だとしたら、それほど不思議な話ではないのではないでしょうか。

私が神の使いであるのか、ないのかは、これだけ次々に起きる現象を見ていただければ分かると思います。(動物たちの不思議だけではなく、私に嫌がらせをしている人たちに起きている現象も含めてです)

そればかりではありません。私が説いたこと(神の存在、あの世の存在、人の輪廻転生などです)を、そのまま信じている人々が多かった時には、名古屋にまだこれほどの災いは現れていませんでした。

それどころか、それを聞いて心が救われた人も多かったのです。

神は存在し、この世はこの世だけではなく、あの世もあり、人は永遠の生命を持って輪廻転生を繰り返し、死んだ人とも、子供や孫ともまたあの世で再会することが出来る、私はそのようなことを、事細かに、いろいろな事象も交えてこのブログに書いたのです。

その結果、多くの人がそれを信じ、唯物無神論から唯心有神論に考えを変えたのです。

そう考えを変えたことで、多くの人の心が救われたのです。(それこそ大人から子供までです。もっというなら、小さな子供からもう先も長くない年寄りまでです。そのようなすべての人に死への恐怖、すべての人との別れの寂しさ、そのような心はあったからです)

これだけの多くの人の心を変えるだけでも、並大抵のことではないのです。これだけの心の大転換など、そう簡単に人はするものではないからです。

しかし、私は常に神に祈りながら、そのようなことは宗教的にはこのように書かれてありますが、実は科学的にもこのような根拠があるのです、という書き方を何度もして、そうして祈って奇跡も現して、それでようやく多くの人の意識を改革をすることに成功したのです。

私は、このようなことをそんなに簡単にやったわけではありません。自分なりに努力を重ねた結果、やっと多くの人の心を変えることが出来たのです。

それなのに、そのこちらの努力など考えようともせず、その心を変えた人たちは、そのことに感謝することもなく、そのようなことを知ったら知ったで、もっと教えろ、もっと教えろと、聞くだけ聞いて一切報恩の行為などしようとしません。(ブログを書かないと怒るような人までいるのですから呆れます。自分は報恩の行為など少しもしないくせにです)

そればかりか、このブログに書いたことが自分の意に沿わないと、嫌がらせする人までいるのです。

これだけでもいけないのに、それにとどまらず、自分たちの心を救ってもらったことなどすっかり忘れたかのように、そのような現象がいけないと、見当違いのことをいって私に嫌がらせをする人まで出てきてしまうのですから、聖書や仏典に書かれてある天罰は当然起きてくると思います。

心を散々救ってもらった人に対し、やっている行為があまりにひどいからです。(無視に嫌がらせに見当違いな悪口などです。悪いことのオンパレードです)

心を救ってもらった人に、少しのお返しもしないことはよいことなのですか?

散々知らないことを教えてもらいながら、それにはお礼一ついわず、自分と考えが違うからと嫌がらせをすることは正しいことなのでしょうか?

自分たちがまったく神を信じようとしなかったから、神は恐ろしい現象を現して、その神の存在を多くの人に知らしめたのです。

その神の命により、現象が現れるよう祈ることがそれほど悪いことなのでしょうか?

この世のすべてをつくられた、全知全能の神を信じようとしなかったのはあなた方の方ではないですか、その罪の重さは私の比ではありません。

このような現象(地震や台風など)を私が現したのは、私の祈りのせいではありません。皆さん方がいつまでも神を思おうとしない、その心が、このような恐ろしい現象を現したのです。(だからさっき見当違いだと書いたのです)

先ほども書きましたが、私のいうこと(神の存在やあの世の存在、人の輪廻転生)を信じていた時までは、このような災い(サイレン)は現れていませんでした。(天変地変はありましたが。それは先ほども書きましたが、日本の人たちの不信心のせいです)

それどころか、私のいうことを信じていた時までは多くの人の心が救われ「あの世でもまた会える」「死んでもまだその先があるのだ」と希望ある生活ができていたのです。

それこそ、そのことを知った老若男女のすべての人がです。

しかし、その後、名古屋の多くの人たちが、私のいうことを聞かなくなり私に嫌がらせをする人が増えてきました。

それからではなかったでしょうか。このサイレンがよく響くようになったのはです。

このサイレンは、まだここ一~二年の話です。そのことを覚えている人も多いのではないでしょうか。

私のいうことを聞いていた時には(私のことを悪く思っていなかった時には)多くの人が希望をもって幸せな心でいられたのに、名古屋の多くの人が私に嫌がらせを繰り返すようになってから(私に罪を擦り付け、私を悪魔のように思い、私のいうこと聞かなくなってから)このサイレンがしだして不幸な人が続出するようになったのです。

つまり、私のいうことを聞いていた人が多かった時には幸せな人が多かったのに、私のいうことを聞かなくなったとたん、不幸な人が続出しだしたということです。

これは何を意味しているのでしょうか?

これだけ書けば、はじめに私が「このようなことは過去に何度も起きていることである」と書いたことは嘘ではないと、お分かりいただけるのではないでしょうか。

現代の人たちは、仏典や聖書に書かれている不信心な人たちと同じようなことをしているのです。(名古屋の人たちは特にですけどね。だから、これほどの現象を現されたのです。しかし、日本人の不信心は名古屋だけではありません。全国的にそうなのです)

だから、この名古屋で激しく起きた現象が全国に広がりつつあるのです。

「私は信仰をしているからよい」などと考えている人は、それもまた大きな間違いなのです。

なぜなら、間違った信仰をしている人は、それはどこまでいっても間違いなのですから(正しい信仰ではないのですから)信仰をしているとはいえないのです。(既存の宗教では救われないと、すでに名古屋の人たちみな知っています)

つもりそれも不信心なのです。(正しく神を思っていないからです)

私には釈尊やキリストと同じ奇跡が現れています。そうして私のいうことを素直に聞いていた時には、希望ある幸せな人がたくさんいたのです。

しかし、私のいうことに逆らい始めてから、不幸な人が続出し出したのです。

私に釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているということは、私は釈尊やキリストと同じ神理を説いているということになります。(だから同じ現象が現れるのです)

釈尊やキリストが説かれた神理に従えば幸せになり、逆らえば不幸になります。

その通りのことが名古屋に、もっといえば日本全国に現れているのです。

この教えに従われてはどうでしょうか。

それが唯一幸せになれる道であるからです。

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5月 23 2015

奇跡と災い

今日は週末で、どこかの会社も人が少ないようですのでブログを書きましょう。

今週は(も、ですかね)かなりいろいろ起きたようですが、法の流布を止めてしまったのです。

もうどのような恐ろしいことが起きても仕方がないでしょう。それこそもう不幸な現象は止められないということです。

それはそれとして、今週私はブログも書かなかったのであちこち行ってみました。名古屋以外の状況も知りたかったからです。

といっても豊田や南知多に行っただけですが、南知多はともかく、なぜ豊田などに行ったのかといえば、今週は女子プロゴルフのトーナメントが豊田であったので、その下見がてら行った次第です。(昨日も行ってきましたけどね。そのトーナメントを観にです。午前中で帰りました。もちろん、いろいろな人にいじめられるからです。午後から矢作川に行き魚を撮っていました。また面白い映像が撮れました)

火曜日に、その豊田に行ってきたのですが、皆さん私のことをよく知っているようでした。名鉄の梅坪駅で電車から降りるともうすずめが騒ぎます。

近くにいる人などすぐ私が分かったようでした。とたんに何かしてきます。歩きながらあちこちで辻説法をしました。まだこの辺りは名古屋ほど悪魔の噂に洗脳されていないように感じたからです。

それは南知多も同じでした。名古屋ほどはひどくはないと思います。それどころか、その洗脳にかからなかった人もいるようです。

わりと対応が柔らかな人もいたからです。

しかしどこでもそうですが、トラックやバスの運転手などはひどいものです。一方的な嫌がらせを次々にしてくるんですから、これでは災いも止まらないでしょう。現に豊田でも南知多でも救急車のサイレンは聞こえてきました。

いよいよこのサイレン(神の業)が全国的に広がり始めたようですが、なぜこんなことが起きてきたのでしょうか?

それは後で書くとして、その災いとは逆に、私は行く先々で奇跡が起きました。

駅につけば、もうそれだけで鳥たちが騒ぎ始めます。これは梅坪の駅でも南知多ビーチランドがある知多奥田の駅でも同じでした。

私が駅についたとたん鳥たちが大騒ぎしていました。

これだけでも十分奇跡なのですが、もちろんこれだけではありません。まず南知多の方から書くなら、南知多ビーチランドの中ではそれほどでもなかったのですが、外での出来事です。

南知多ビーチランドに行く前にまた海岸で昼飯を食べたのですが、その日はずいぶん潮が引いていて砂浜が大きく広がっていました。

それで私は少し海の方に行って昼飯を食べていたのですが、そこにすずめはもちろんですが、カラスは寄ってくる(トコトコ歩いてきて海藻か何か食べていました)トビも飛んできて近くの魚の死骸をつついていました。(そこでカラスとトビで魚の取り合いでケンカを始めるのですから笑いました。〔笑〕)

そこまでは(私からすると)普通の出来事にすぎませんが、驚いたのはその後です。

「お前ら飯くらいゆっくり食わせろよ」とかいいながら、カラスやトビを動画で撮っていたのですが、何気なく横の砂浜を見ました。

そうしたら驚きました。何で驚いたのかといえば、横の砂浜が来た時とまったく様子が変わっていたからです。

どう変わっていたのか?

私が来た時は、ただ砂浜が広がっているにすぎなかったのですが、私が飯を食べている間に、横の砂浜一面に何かがたくさん頭を出していたのです。

それで驚いたのですが、もちろん「何だこれ?」とかいいながら動画に撮りましたが、どうもマテ貝ではないかと思います。そのマテ貝が横の砂浜一面に頭を出していたのです。(びっくりしました。多くのマテ貝が一斉に砂浜から頭を出していたからです)

マテ貝って、潮が満ちて来ないと頭を出さないのではなかったですか?

よくマテ貝は、マテ貝が住んでいる穴に塩をふって、頭を出したところで捕まえるという取り方をします。あれはマテ貝の穴に塩をふることで、マテ貝が潮が満ちてきたと勘違いして、頭を出したところで捕まえるという取り方ですが、もちろんその時は潮など満ちてきていませんでした。

これも当たり前の話ですが、私が砂浜に塩をまいたわけでもありません。(砂浜に塩をまくだけでマテ貝が一斉に頭を出すのか、それはよく知りませんが…そんなことでマテ貝が一斉に頭を出すならマテ貝など取り放題でしょうが。〔笑〕)

とにかく私が何かしたわけでもないのに、私の横の砂浜にマテ貝が一斉に頭を出していたのです。

そうして、すぐ近くで私がそのマテ貝たちを撮影しているにもかかわらず、そのマテ貝たちはまったく頭をひっこめようとしなかったのです。それどころか、だんだん頭を出すマテ貝が増えているようでした。(「あれ、さっきより増えたんじゃないか」とかいいながら撮影しましたから)

私の顔や声を聞いて鳥や魚たちが私に寄って来るように、貝たちまで私の声に反応して頭を出したとしか思えませんでした。

鳥や魚たちだけではなく何と貝まで私の声に反応する、こういう不思議なことが起きたのです。これは奇跡とはいわないのでしょうか?(ちゃんと動画に撮れていますのでね。これはありがたいです。こんなこと口でいっただけでは誰も信じないでしょうから)

豊田を流れる矢作川でも同じでした。川で魚が跳ねただけではなく、多くの小魚が岸辺に寄ってきて、私の前で嬉しそうに泳いでいるのです。

この小魚がたくさん寄ってくるという奇跡は堀川でも起こりました。堀川などなんと何千、何万(下手すれば何十万)という小魚が、水面に上がってきて私の前を次々に嬉しそうに泳いでいくのです。(嬉しそうに泳いでいるということは、その小魚たちが飛んだり跳ねたりして泳いでいきますのでよく分かります)

もちろんそれも動画に撮ってあります。(ただ堀川の方は水が汚いので、そこまで多くの小魚がいるのか分かりにくいのです。それが残念といえば残念ですが、私が驚いている声の調子でご想像ください。あまりに多くの小魚たちが、私のすぐ足元の水面に上がってきたので驚きました)

たった一週間です。(実際は火曜から金曜までのわずか四日の間にです)これだけの奇跡が起きるのです。(これ以外でも、ツバメの親子が飛び回る映像や、南知多ビーチランドのウミガメが、私の前にたかってくる映像など面白くて不思議な映像がまだまだ撮れています)

そうして、そればかりではなく動画には撮れていませんが、私が南知多ビーチランドに行って帰る時に知多奥田の駅で電車を待っていると、すずめがたくさん飛んで来て、知多奥田の駅で鳴いていました。

その中の一羽が、私のすぐ前の電線にとまって大きな声でピィピィ鳴いているのです。それも五分も十分もです。(後のすずめは駅の屋根の上とか、少し離れた場所で鳴いていました)

その時駅には大勢の人がいました。(近くに大学があるので、そこの大学生がほとんどでした)その駅の人はみな私のことを知っています。

すずめがうるさいと怒っている人もいましたが(本当に愛がありません)多くの人は、こういうことが目の前で起きているのを見て、どのように感じたのでしょうか?(ほとんどの大学生がスマホをしていたようですが)

別に私は、自分の自慢話をここに書いたわけではありません。

私に次々に起きる奇跡と、また同じように次々に起きる災い。

現在、名古屋を中心として起きている、このような現象。よく考えてみれば、これは不思議なことでもなんでもなかったのです。

過去に何度も起きた現象にすぎなかったのですが、それを多くの人が知らなかった。

それが現在の悲劇につながったのです。

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5月 18 2015

動物の不思議27(鶴舞公園その他)

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