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4月 19 2015

次々に起きる不思議な現象

ついに野良猫や飼い犬まで拡がりましたね。何が拡がったのかといえば、私のことがです。

ここ一日二日変だったのです。というのも、こちらをジッと見ている飼い犬がいるかと思うと、やたら野良猫が私の前に出てきます。

何かこちらを意識しているようなので近づいて行くと逃げるのです。

「何か変だな」と思っていたら、昨日白鳥公園に行くと、一匹の猫が「ニャアー」と鳴きながら近づいてきて、私の目の前で腹を出して寝転がりました。

その猫を見て分かったのです。飼い犬や、そこらにいる野良猫まで私のことを知ったということをです。

その私の前に寝転がった猫は、少し前までは私になついていて、よく触らせてくれたのです。しかし、最近はあまり白鳥公園に行かなくなったので、その猫もあまり寄ってこなくなり、触ろうとすると逃げるようになりました。

それが昨日は急にまた私に近づいてきて、腹を出して寝転がり、私が触っても嫌がる様子も逃げようともしませんでした。むしろ前よりおとなしく触られているようでした。

この猫の私に対する態度が急に変わったことで分かりました。この二、三日の犬や猫たちの態度がおかしかった意味がです。

私のことを天から知らされたのでしょう。それで二、三日前から犬や猫たちの態度がおかしかったのです。

それに気づいて帰り道に、犬を散歩させている人の犬を意識的に見ていたのですが、こちらを気にしていない犬もいれば、やたら私の方を見ている犬もいました。

それで確信しました。飼い犬や野良猫たちも私のことを知らされたということをです。(この犬たちの態度は、動物園にいる動物たちの態度とよく似ていたのです。それで私のことを知っているなと分かったのです。動物園の動物たちも同じように、私にやたら興味を示す動物もいれば、興味を示さない動物もいました。しかし、その興味を示さない動物たちも遠くでフッとその動物たちの方に顔を向けると、私の方をジッと見ている動物がいました。私に興味を示さない動物たちも、私のことを知らないわけではなく知っているのです。知っていてわざと興味を示さないふりをする動物もいるようです)

前から思っていたのですが(このブログに書いたこともありますが)何で他の動物たちはみな知っているのに、飼い犬や野良猫たちは私のことを知らないのだろうと不思議でしたが、やっと分かったようです。(私の家にも一匹犬を飼っていますが、その犬は少し前から、外で鳥が大きな声で鳴いていると、私の顔をジッと見ていたことがありますので、前から私のことを知っていたのかもしれません。それを思うと家にいる犬も動画に撮っておかないといけませんね。〔笑〕)

この時間差はなぜだか分かりませんが、人間以外の動物たちはみな私のことを知ったようです。

家に犬(猫)を飼っている人は聞いてみてください。その犬たちはみな私のことを知っているはずだからです。

犬はしゃべれないので確認しようがありませんが、私が映っている動画があります。(動物の不思議の①か何かに貼り付けたと思いますが)その動画を犬たちに見せれば何か反応があるかもしれません。反応するかどうかは分かりませんが、それで犬たちが何か反応したらそれはそれでこの法の証明になります。やってみる価値はあるかもしれませんね。(笑)

どちらにしても、これだけ多くの動物たちに知られてしまうと、何で人間だけが私のことを知らないのだろうと、逆に不思議ですが、多くの人々は天の声を聞くことが出来ません。だから私のことが分からないのでしょう。

私に平気で嫌がらせをしていく人がいますが、後で私が誰だか分かり青くなっても遅いでしょう。これだけ動物たちが騒ぐのです。私が誰であるのか、早く気づくべきではないでしょうか。(別に青くなりませんか。傲慢な人が多いようですから「それがどうした」くらいにしか思わないかもしれませんね。〔苦笑〕)

しかし、このような動物たちを見ると思いますね。この動物たちの思考を知ることが出来れば、あの世のことも分かるのではないかとです。

私の周りでは、これだけ不思議なことが起きているのです。

動物を研究している科学者は、動物たちの思考を本格的に調べられてはどうでしょう。そうすれば意外なことが分かるかもしれないからです。

こういう研究から、あの世の存在がはっきり分かったら、それはそれで面白いですね。

しかし、意外なところから意外なことが分かるということはよくある話です。動物たちは大地震の予知なども出来るのではないかといわれています。動物たちの思考を調べることは決して無駄な研究にはならないでしょう。

私は動物の思考の本格的な研究をやるべきであると思います。それだけの価値はあると思うからです。(オウムか何かで調べることが出来ないのでしょうか?だってオウムはしゃべれるでしょう…そういう簡単な問題ではありませんかね)

今日からまた不安定な天気が続くようです。この天気も天の意識と繋がっているのです。

この法を知れば、このようなことから、先ほどの動物たちのことまで、あらゆることが分かり、あらゆる奇跡が体験できるのです。

皆さん方の普段の体験と、私の体験と、どれだけの違いがあるのかお分かりいただけるでしょうか。

心が変われば、このような貴重で楽しい体験も出来ることになります。

この法を学ぶべき価値は大いにあるのではないでしょうか。

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4月 18 2015

秘めた力

昨日はずいぶんブシュブシュする人がいました。(元気なさそうにです。〔苦笑〕)

昨日のようなブログを書くと、すぐそれに反応して、そのようなことをしてくる人がいますが、いつまで同じことを続けているのでしょう。

それでは名古屋の災いも止まらないでしょう。

ねたみやひがみから、悔しがってそのようなことをしているのかもしれませんが、私は何一つ悪いことはしていません。(むしろよいことばかりしています)

何も悪いことをしていない者に、八つ当たり的な嫌がらせを一方的にしているのです。何度もいいますが、その罪は重いでしょう。

すでに、恐ろしい現象が止まらなくなったところもあるようですが、その犯した罪はいずれ自分に返ってきます。その覚悟だけはしておいた方がいいでしょう。(起きなきゃ分からない人に何をいっても無駄でしょうが)

そのような人たちばかりでなく、名古屋で起きている悪いことの責任を、全部私のせいにしている人もいますが、そのようなことを私がしているという証拠は一つもないのです。

証拠もないのに、人の噂だけを信じて私に嫌がらせをし続けているのです。本当の悪人は一体どちらなのでしょうか?

どう考えても、がせねたを信じて人に嫌がらせをしている人の方が悪いと思いますが、それでも私が悪いという人は、では何で私に、キリストや釈尊と同じ奇跡が起きているのでしょう。

それを聞いても答えてくれる人はいないでしょうが、これこそ私が善人である何よりの証拠であり、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きている者が、悪い人であるはずがないのです。

もう自分たちの業が現れる時代となったのです。災いが現れている人は、自分が反省する以外、救われる道はないのです。

そのよう人たちはともかく、もし、私のいうことを少しでも聞いてみようと思う人は、少しでも早くそうされた方がいいでしょう。私が話す言葉の先に本当の救いがあるからです。

私はまだまだ発展途上です。(前にそのようなことを天にいわれたことがあります)ということは、まだこの先、どんな奇跡が現れるか知れないのです。

キリストのように、人を次々に癒すような奇跡が現れるかもしれないし、釈尊のような天上界と地獄界を多くの人の前に現せる、そんな神通力が現れるかもしれない、モーゼのように海を真っ二つに割る大奇跡が現れるかもしれない、そのような可能性は十分にあるのです。

この法を拡げれば拡げるだけ、その心も拡がっていくからです。

また、私に従った人は(法に従う人は)その証言者となれるのです。そのような奇跡が自分たちの目の前に現れるからです。

そればかりではありません。この法の勉強をするのであれば、その私がこれから現す奇跡と、同じような奇跡を自分たちも現すことになるかもしれないのです。

これもまたその可能性は高いのです。それは高橋先生の遺された予言で証明出来ます。

高橋先生は、これから日本に菩薩界が出来るといわれました。(それはもう何度もこのブログに書いています)

ということは、すでに日本には(多分、日本だけではないと思います。日本以外の国にも生まれていると思いますが)たくさんの菩薩たちが生まれているはずです。

菩薩(菩薩界から生まれている人たち)であるなら、その秘めた能力は皆それぞれ素晴らしいものがあるのです。

しかし、その菩薩の能力はこの世のことだけしていても現れません。

一部現れる人もいますが、それが天才といわれる人たちです。最近は若い人で、能力の秀でた人がたくさん出てきました。(スポーツの分野など見れば分かりやすいのですが)あのような天才的な能力が菩薩の秘めた力の一部であるのです。(だから、そのような能力がある人は菩薩界から出てきている人が多いということです。全員ではないと思いますが)

ただ、あのような能力は菩薩の一部の力なのであり、菩薩がこの法を学ぶなら、もっと素晴らしい能力がこの世に現れてくるのです。

それは、キリストの弟子たちが起こした奇跡を知るならば分かるはずです。キリストの弟子たちは(ペテロ、ヨハネ、パウロなど)ほとんどが、その菩薩界から生まれて来た人でした。

しかし、このキリストの弟子たちは、キリストに出会うまでは、ただの漁師であったり金貸しや役人などであり、別に特別の能力を持っていた人たちではありませんでした。

それがキリストと出会い、そのキリストの教えを勉強するうちに素晴らしい力を発揮するのです。

これは、キリストの力と、自分たちが元々持っていた力の融合が、弟子たちにあのような(使徒言行録に記録されているような)キリストと見まがうほどの奇跡の現象を現したのであり、このような菩薩の秘めたる力は、法を勉強しないと出て来ないのです。

このように法を勉強するなら、先の楽しみはどれだけあるか分かりません。

法を勉強するなら、自分の心も軽くなって幸せな生活が送れるばかりでなく、そのような奇跡の現象も心に応じて現れてきます。もちろん奇跡が現れるようになれば、死後の世界も、それに応じた世界に行くのですから当然天上界です。

法は、文証(神理を文字で書いて現す)理証(神理を言葉で伝える)現証(神理を奇跡として現す)この三つが揃って初めて法(釈尊の説かれ正法、キリストが説かれた福音と同じ神理という意味です)というのですから、これほど分かりやすいこともないわけです。(いうだけではなく、書くだけでもなく、いきなりおかしな現象が現れるだけでもなく〔こういうのはすべて悪魔の教えです〕口で神理を説いて、それを書いて遺し、その正しさの証明として奇跡が現れるのですから、その分かりやすさ、正しさは悪魔の教えとは雲泥の差なのです)

自分の罪を認めたくない、自分の間違いを認めたくない、などと意地を張っている場合でしょうか?

これだけの教えが出ていて、そうしてその教えを勉強すれば、自分がこの先どれだけよくなるか分からないのです。

過ちては改めるにはばかることなかれです。昨日までは、法を信じない自分であっても、今日から法を信じるようになれば、それでいいのです。

一日遅れれば、その一日だけ悟るのが遅れます。

法を知れば知るだけ幸福が得られ、その法に逆らえば逆らうだけ、不幸を得るのです。

幸福か、不幸か、どちらを得るのがよいのでしょうか?

それは聞くまでもないでしょう。

法を知ることにより得ることが出来る幸福は無限なのです。

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4月 17 2015

この世の修行

昨日の続きですが、結局、地位や名誉や金を得ることで増上慢になってしまっては意味がないのであって、高橋先生がよくいわれていましたが「実るほど頭が下がる稲穂かな」は神理なのです。

少し偉くなったり、有名になったり、お金がたくさん入って来たりすると、とたんに人柄が変わってしまう人がいますが、変わるのは別にかまいません。

むしろ変わらないといけないでしょう。(立場が変わっているんですから)

しかし、その変わり方が、天狗になったり、増上慢になったりするのは論外であり(神の子である人間であるならばです)それだけ偉く有名になりお金も入ってきたのであれば、それだけ周りにお世話になった人が増えたのですから(一人でそんな風になれるわけがありません。周りの協力があって、はじめてそのような立場になれたのです)より謙虚になり、お世話になった周りの人たちにお返しが出来る、そのような徳のある人とならなければいけないのです。(それが神の子である人間の当たり前の姿だからです)

何でも一生懸命やるのはいいのですが、やりすぎてしまって執着につながってしまっては、それもまたいけないのであり、すべてにおいて中道は大事なことなのです。

そのような立場がいいからと、もう他の勉強をしなければいけない時期に来ているのに、それでもまだ同じ立場にとどまっているのは、それは執着なのであって、そのような人は自分だけを見るのではなく、周りも見渡して周りのことも考え、そうして自分のしなければいけない心の勉強をしないといけないのです。

そのような現在の立場など、所詮は自分が決めてきた心の勉強の一つの手段にしかすぎないからです。

遊びも、心を楽にするような気分転換ならいいのですが、人生や仕事から逃げたいための自己逃避のような遊びなら、それはマイナスにしかならないのであって、また仕事より遊びと遊びを優先するようなら(遊びはどれだけやっても遊びでしかないからです。心の勉強にはならないからです)それは本末転倒であり、遊びはあくまで気分転換程度にとどめておかないといけないのです。

それが一番心にいいからです。(だからゲームのやりすぎとか、ディズニーランドみたいなところにいってばかりいるのもよくないということです)

外見などもそうですが(いいか悪いか知りませんが)そのような外見で心の勉強をしてくると自分で決めて生まれて来ているのです。(天上界にいた時は、みなイケメンであり美人であるからです)

そうであるなら、その外見に偏見を持つべきではないのであって、どんな外見であろうと、その外見に感謝し生活して行けばいいのであって、人の外見をねたんだりひがんだりするのは愚の骨頂なのであり、その外見で自分にしかできない心の勉強があるのですから、そのオンリーワンの外見に感謝すべきなのです。(だから安易に整形などするのは間違いなのです。化粧をするとか、プロポーションをよくするため努力するとかは別に悪くはありませんが、それでも女性がそれをするのはよいとして、男性があまり外見にこだわってしまうと〔芸能人などは別でしょうが〕自分のやるべき仕事がおろそかになってしまいます。男はほどほどでよいのです)

そのような立場にせよ、外見にせよ、私たちは何万回も、何十万回も、何百万回も輪廻転生を繰り返しているのです。

その自分の体験を知るのであれば、そういうことを気にして不平不満をいうこと自体、ナンセンスであり(私たちは、いろいろな立場や外見ですでに何度も生まれているからです。あの鎌倉幕府をつくった源頼朝が今生は百姓に生まれたり、江戸幕府をつくった徳川家康が、今生は俳優として生まれたりしていることでもその事実が分かります)今生生まれた、その立場や外見に感謝して生活していくのであれば、よい心の勉強が出来るのです。

そのような立場にせよ、外見にせよ、今生ただ一回限りのことであり、そのようなことに囚われていることがすでに間違いなのであり、そのようなオンリーワンの立場に感謝して、自分が出来ることを精一杯努力して、周りに愛と慈悲を示すのであれば、その人の人生は成功であったといえるのです。(だから〔何かをなしたという〕結果ではなく、そのように努力する過程が大事であると何度もいっているのです。結果が出る、出ないは、その人の今生の人生で何をするかで違ってくるからです)

私たち一人一人の人生とはこのようなもので、すべての人が生まれてきた目的と使命は違っています。

今現在、有名な人は、その有名な人の立場で、会社の社長である人は社長の立場で、社員の人は社員の立場で、また医者である人は医者の立場で、それぞれの心の勉強をするための努力をすればいいのであって、人のことをうらやましがる必要も、とやかくいう必要もないということです。

自分には自分にしか出来ない心の修行があるのですから、それに誇りを持って感謝して、自分の立場で出来ることを精一杯行えばいいのです。

それが自分の心の修行であるからです。

だから、その心の修行を行うのに、怒りやねたみやひがみの心は不要です。そのような心を持てば持つだけ、心の修行のじゃまになるからです。

だから、そのような心ばかり持っている人は、心の修行がほとんど進んでいないということになりますが、そのような人が多いように感じます。(この辺りは特にですが。〔苦笑〕)

せっかくこの世に生まれてきたのです。この世の修行はとても貴重な体験なのです。そうであるなら、そのような心は出来るだけ持たない方がいいでしょう。その方がよほど自分の修行になるからです。

しかし、こういうことが分かるのも、法が日本にあるお蔭です。

それを考えれば、自分の立場に感謝することは当然のことですが、その法があることに感謝するのはもっと当然のことでしょう。

その点でいえば、その現在の日本で唯一法を説いている私に、このブログを読んでいる人は、あまりに感謝が足りないといえるのではないでしょうか。(感謝どころか、読みながら怒っている人もいるくらいですから)

私が正しいことを説いているという証明は(鳥や魚が寄ってくるという)釈尊やキリストと同じ奇跡が起きていることでも分かりますが、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているということは、少なくともキリスト以降、この二千年の間は、このような奇跡が起きる人がいなかったということになります。

ということは、キリストと同じ奇跡が起きる者が、二千年ぶりにこの世に現れたということになりますが、そのような人に感謝しなくてよろしいのですか?

二千年ぶりに、釈尊やキリストと同じ奇跡が起きる者がこの世に現れたというのに、名古屋の人など、その者に感謝どころか嫌がらせを繰り返しているのです。それでは名古屋にこれだけの天罰が下るのも分かる気がします。

本当にそんな態度を続けていてよいのでしょうか?

もしかしたら名古屋の人たちは、大変な間違いをしているのかもしれません。

(名古屋だけではなく、このブログをずっと見ているのに、少しも布施しようとしない人たちも同じでしょう。そういう者に、そのようなせこい態度を続けていて本当によいのでしょうか?〔苦笑〕)

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4月 16 2015

天上界と地獄界に往く人の違い

昨日も長野県で突風が吹いたり、あちこちでカミナリやヒョウが降ったりと荒れた天気になりました。

今日は比較的安定した天気になるそうですが、それもつかの間のことで、またすぐ不安定な天気に戻るそうです。

おかしな天気が続いています。

そのような天気ばかりか、こちらのおかしな現象も続いているようです。

昨日も何か起きたみたいで、朝からやけくそ状態です。(どことはいいませんが)

しかし、もうどうしようもないでしょう。何をいっても聞かないのですから。(聞かないですよね。それとも気が変わった人でもいますか?)

どちらにしても、日本もこの辺りも、私のいうことを聞こうとしないのなら異常現象は起き続けます。(それは、今のままではいけないという気づきの現象なのですから)

気が変わった人がいるようなら、そのような人から私にご協力ください。この教えを勉強すればするだけ自分も幸せになり、幸せになる人が増えてくれば、日本に起きている異常現象も減っていくからです。

現に私は異常なことなど起きていません。よい意味での異常なことは起きていますが、それは心が癒されるのですから、異常とはいわないでしょう。

それは奇跡というのです。

家で、犬や猫などのペットを飼っていて、その犬や猫に癒される人はたくさんいるようですが、私の場合、そこらじゅうにペットがいるのと同じ状態なのです。

道を歩いていれば、あちこちからすずめや他の鳥が飛んできて「ピィピィ」鳴いてかまわれます。これは家で鳥を飼っているのと同じですし、川など行けば魚が寄ってきて跳ねています。これは魚を飼っているのと同じです。

おまけにコウモリやカニなどにもかまわれ、水族館や動物園に行けば、そこにいる動物たちにもかまわれるのです。

道を歩いているだけで、家でペットに癒されているのと同じ状況になるのですから、これだけ安らぐこともないわけです。(それだけ癒されても、人がいるとおじゃんですけどね。すぐに嫌がらせをしてきますので。〔苦笑〕)

例えば名古屋だけ考えても、法を勉強している私は、道を歩いているだけでドンドン心が癒され、法を勉強していない人たちは(例えば、どこかの会社の人たちなど)いつ自分が病気になるのかヒヤヒヤで、それを人のせいにしていますので心は怒りに満ちています。

法を勉強するかしないかで心の中はこれだけの差があるのです。

心にこれだけの差があるなら、一方は天上界に往き、もう一方は地獄界に往く、という話も納得がいくところではないでしょうか。

死後の世界であるあの世は心の世界であるからです。そのような自分の意識が、そのまま反映される世界であるからです。

あの世は、類は友を呼ぶ(波長共鳴の法則)がまともに現れる世界であり、同じ心を持った人が集まります。怒りで心が満ちている人は、怒りで心が満ちている人ばかりのところに集まり、心が安らいでいる人は、心が安らいでいる人たちばかりのところに集まるのです。

天上界に、怒りの心を持った人ばかり集まる世界などありませんから(もちろん心が安らいでいる人たちが集まる世界はあります)当然その人は地獄界に往き、そのような人たち同士の中で、そのような怒りの心を持っていてはいけないということを悟るまで、その世界で勉強するのです。

究極の「人のふり見て我がふり直せ」の世界が地獄界なのです。(誰も自分の悪いところなど教えてくれる人はいません。全部自分で気づかなければいけないのです。地獄界は、本当に大変辛い世界であるのです)

だから私は「早く気づかないといけない」というのであるし「反省しないといけない」ともいうのです。

地獄に堕ちれば、それを嫌でもしないといけなくなるからです。今の心のままでは地獄に堕ちる人がたくさんいるからです。

今日もお坊さんが家に来てお経を上げていきました。(月一の月参りです)

しかし、このようなことをいくらしても救われることはないのです。それを多くの人はすでに知っています。

心と行いを変えれば救われる、といわれても、では、どう変えればいいのか?それが分からなければ救われる道は結局分からないのです。

だから法を学ばなければいけないのです。その救われる心と行いの変え方を法が示しているからです。

しょっちゅう怒っていては死後確実に地獄に行きます。また、間違った信仰をしたままでもそれは同じなのです。(間違った信仰をしている人は、その間違った信仰をしている人たちばかりが集まって、一つの地獄界を形成していると高橋先生がいわれていました。例えば、お経を上げることで救われると信じて死んだ人は、そう思っている人ばかりが集まりお経ばかり上げているそうです。それが間違っていると自分で気づくまでお経を上げ続けるのです。それはそれできつい世界です)

そうしてそれは、神を神と思わない人生を送った人も同じです。(日本の大半の人がそうなのでしょうが)

地位や名声を得ることばかり考えていた人は、そのような人ばかりが集まる世界に、金儲けのことばかり考えていた人は、そのような人ばかりが集まる世界に集まって、その世界で、地位や名声や金儲けをするため必死に競争をし続けているのです。(もちろん、そんな安らぎのない世界は地獄界です)

そのようなことばかりやっていることがいかに間違っているのか、神の子である人間は、神を思うことや愛や慈悲の心がいかに大事であるのか、それに気づくまで、そのような地獄界で、同じような考えを持った人たちと競争をし続けるのです。(これはスポーツなどでも同じです)

私たちの本来の目的は、自分の心を磨き広く大きく豊かにすることであり、地位や名声や金儲けは、その心を磨くための手段であって、それが目的ではないのです。(例えば、地位や名声を得るにしても周りと調和しながら地位や名声を得ていって、周りの人も幸せにするとか、金を儲けて、その儲けた金で不幸な人を救うとかです。そのようなことをすればするだけ〔周りと調和すればするだけ、自分の金で人を救えば救うだけ〕自分の心は磨かれ広く大きく豊かになっていくのです)

ところが、その地位や名声を得ること、お金を得ることを最終的な目的にして、単に自分の欲望を満たしたいだけにそれをしていては、自分の心など磨かれるわけはありません。(それではかえって心を汚すだけです。自分の心を汚すなら、その心は逆に狭く小さく貧困になっていきます)

ですから当然、その目的と手段をはき違えている人は地獄に堕ちるのです。

そのように考えれば、なぜ私に奇跡が起きているのかも分かるはずです。

私は、このブログを人助けのために書いているのです。

このブログで自分が有名になりたいとか、お金を儲けようとかいう気持ちは一切ありません。

お金がほしいのは、この法を拡げたいからお金が必要なのであり、自分がいい生活をしたいからお金がほしいわけではありません。

法が拡がれば救われる人もそれだけ増えてくるんですから、だから協力してください、といっているだけであり、私の考えは何から何まで人助けであり、愛が満ちているのです。

だから、次々に奇跡が起きてくるのです。

そのような考えはずいぶん心が磨かれていくからです。(心を磨くことをしていれば、黙っていても天は協力してくれます。だから奇跡が起きるのです。またその奇跡が私がここに嘘を書いていない証拠です)

あまり自分のことを書いていてもいけませんが、ただ、このような考えで、私のような行いをすれば誰でも奇跡は起きてくるということです。もちろん、死後天上界にも往けるということです。

奇跡が起きることと災いが起きること、そうして死後天上界に往くか、地獄界に往くことになるのか、その違いを書いてみました。

少しでも皆さんの参考になれば幸いです。

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4月 15 2015

本当の意味

全国各地で天気がずいぶん不安定になっているようです。昨日は九州の鹿児島などでヒョウまで降ったそうですが、今日もまだ各地大荒れの天気になる予報が出ています。

落雷や突風などには気をつけないといけませんね。

それにしても最近の天気の悪さといったらありません。これを単に異常気象とか、その原因は温暖化などいっていては、いつまでたってもこの異常気象は収まりません。

このようなことが起きるには、起きるだけのちゃんとした理由があるのです。いい加減、その理由をしっかり理解すべきでしょう。同じことをいつまでもしていては、同じ結果しか得られないからです。(名古屋も同じですが)

昨日福井地裁で、高浜原発の再稼働を認めない決定が出ました。

しかし、高浜原発の再稼働は、原子力規制委員会が認めているのに(ということは科学的根拠に基づいて決めているのに)科学とは無縁の司法がそれを認めないというのは、一体どういう基準で、そのような判決を下したのでしょうか?(この決定を出した裁判長は大飯原発の運転再開も認めませんでした。単に自分が原発再稼働に反対しているので、このような判決を出しただけなのではないでしょうか。つまり私情を入れた判決なのではではないでしょうか。もし、そうであるなら裁判長失格ですよね。マァ、事実は分かりませんが、そのような心はみな天が知っています)

全く意味が分かりませんが、どちらにしても、この原発の再稼働を阻止するのはよいことではありません。なぜなら日本は、この原発事業を進めないといけないからです。

それは前から書いていますが、そのような事実は、それこそ、このような異常気象を見れば分かるのです。

この冬、北海道は、暴風雪などの大荒れの天気が続いたのですが、北海道は太陽光発電が全国一です。

昨日、ヒョウが降った鹿児島も同じで、国内最大のメガソーラーの発電所があり、メガソーラーの発電施設も続々とつくられています。(それは北海道も同じですが)

「地震の巣」といわれている茨木県南部には、大規模な風力発電の施設があります。

最近、愛知県も天気が悪いのですが、それは田原市に、やはり国内最大規模のメガソーラーの発電所などつくり、メガソーラーと風力のハイブリッド型の発電所までつくってしまったからであり、このように異常気象が起きている場所は、反原発の発電所がたくさんつくってある場所が多いのです。(茨木に地震が多いのは、あそこにあるのが大規模な風力発電所だからです。風力に天気がいい悪いは関係ありません。だから茨木は地震が多くなり、他のメガソーラーが多い場所では天気が悪くなるのです。メガソーラーは天気に大きく左右されるからです)

これは別にとってつけたような話ではなく、私はこのようなことを、もう何年も前からいっています。

去年くらいから北海道や九州は(九州などもっと前からですが)異常な大雨になることが多く、愛知県の三河地方も(田原市があるです)よく雨が降るようになりました。

三河地方はそれまであまり雨が降らず、よく水不足となって困っていたのですが、去年くらいからそういうこともなくなりました。

今年の東海地方の春の長雨は記録的だそうですが(岐阜で十三倍、名古屋で七倍の降水量だそうです)今後もこの雨模様の天気が続くそうです。

この東海地方の天気の悪さも、私は田原市にあるメガソーラーのせいであると思っています。

気がついたことを少し書いただけでも、これだけ天気が異常に悪い場所と反原発の発電所がある場所は一致しているのです。これがたまたまでしょうか?

違います。明らかに意識的にこのような天気にされているのであり、例えば北海道でもです。あの太陽光発電をやめてしまえば、あのような異常な天気にはならないのです。

嘘か本当か、一度実験されてはどうでしょうか。(今年だけで結構です。今年一年、北海道にある太陽光発電を全部止めるのです。それで今年が〔夏から冬まで〕どのような天気になるのか見ているのです。それで荒れた天気にならなければ、荒れた天気の原因は、その太陽光発電のせいだと分かります)

私は実験するだけの価値はあると思います。だってこの冬だけでも、あの何度も北海道を襲った暴風雪で、どれだけの被害が出ているか分からないからです。

これまでは、このような大自然はみな機械的に自動的に動いていると思われてきました。しかし、そのニュートンの説は間違っているのかもしれないのです。

それが二十一世紀になり分かってきたのです。(分かってきましたよね。このブログに書いたことと、起きる異常気象が一致することがよくあるからです)

私たちの心と行いで、その大自然をコントロール出来るかもしれないのです。この壮大な実験はやってみる価値が十分にあると私は思っています。

それもこれも、私に協力する人(法を学ぶ人)がたくさん出てくれば、実現できることなのです。(そういう声が大きくなれば、このような実験も可能になると思うからです。それこそ原発の再稼働の差し止めではなく、太陽光発電の差し止めです。そういう起訴を起こせばいいからです)

この法を学ぶ人が増えれば、この異常気象を収めることも出来て、人が進むべき正しい道も分かり、奇跡まで起きて、死後の世界まで安心が得られるのです。

現在、全国では異常気象に苦しむ人がたくさんいて、名古屋は名古屋で(さっきもサイレンがしていましたが)異常現象で苦しむ人がたくさんいます。

もう名古屋の人々は、既存の宗教では救われないと分かっている人ばかりなのです。

では、その後どうされるのですか?

今、全国で起きている異常気象の本当の意味が分かっているのは、この法を知っている人だけなのです。

その法を日本に拡げれば日本が、世界に拡げれば世界が救われるのです。

なぜ、ここまでの現象が現れているのに、それでもまだ何もしようとしないのですか?

一人一人が立ち上がらなければ、日本が、そして世界が救われることはないのです。

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