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3月 28 2015

心の勉強の合格者の成否

昨日は、ずいぶん怒っている人が多かったんですが、前回のようなブログを書くと必ずそういう人がいます。

何度もいいますが、怒った後、ではどうされるんですか?

名古屋の多くの人はそこで考えが止まっているのです。私が悪いと私に嫌がらせをして、そうしてあいつが悪いと、あとは私の悪口をいってそれで終わりです。

それではいつまでたっても同じ結果しか出ません。

その後のことを、もう少し考えられてはいかがでしょうか。これだけ災いが続いているのですから。(奇跡が続いているなら、そのままでいいんでしょうが、災いが続いているのです。それを、そのまま続けていては災いがずっと続くことになるからです)

しかし、凄い心の勉強を名古屋の人たちはしていると思いますが(まともに神の業が現れているんですから)それにしても、この勉強はよほど難しいようです。

だってまだこの名古屋で、この心の勉強の合格者は誰もいないからです。(合格しているなら、私に協力するでしょうし、自分の周りに起きて来ることも変わってきます。〔もちろん奇跡が起き始めます〕そういう人はまだ誰もいないでしょうからね。名古屋では。逆の現象〔災い〕が起きている人はたくさんいるようですが…もちろん、そのような人たちは不合格者です)

しかし、この心の勉強に合格しないと天上界には行けません。どうされるのでしょうか?

釈尊やキリストも大変だったでしょうね。釈尊やキリストの在世当時も、昔からの考えを頑として変えない人は多かったでしょう。そういう人たちの心を変えることは並大抵のことでは出来ないからです。

並大抵のことでは出来ませんが、しかし、当時の人は神を信じている人ばかりであったし、奇跡を現せば心を入れ替える人も多かったでしょう。(純粋に神の業に対しては驚く人が多かったでしょうから)

釈尊やキリストほどの神通力を持たれている方々であれば、普通以上のことを次々にされるのですから、そうであるなら、釈尊やキリストを信じる人も多かったでしょう。

しかし、現在の日本くらい、神に対し無知で、神の業に興味を示さない人たちはいません。(というか、逆に神の業に対し怒っていますけど。〔汗〕)これでは法を拡げようがないですね。(苦笑)

特別名古屋だけではありませんが、このブログを読んでいる人たちでも、心の勉強に合格している人はほとんどいません。

とりあえず、ウナッシーさんや北海道の賛助会員の方など合格ラインにいますが、この二人の方でさえ、そこからどこまで心を成長させることが出来るか、単にスタートラインに立っているにすぎません。

それにどれだけ先を走っていようと、途中で道を間違えてしまう人や、こけてリタイヤされてしまう人もたくさんいます。(高橋先生や園頭先生の弟子たちがそうです。法を間違えてしまう人や法の勉強をやめてしまう人などたくさんいます。当然そのような人たちは不合格ですが、あの人たちが不合格であるということは、奇跡が起きなくなったことでもそれがよく分かります)

今生の心の勉強はそれほど難しいということです。(今生は、法がなくても生きては行けますし〔心の部分があまり重要視されていません。唯物論の弊害です〕また、心の部分一つとっても選択肢が千年、二千年前と比べてはるかに多くなっています。現代は、心のことを説く人は宗教家だけではなく、精神科学という分野がありますように、医者や科学の世界の人たちや、またカウンセリングやコーチングといわれるますように、自分で精神面を勉強した人たちまでいうようになりました。昔のように、心のことを説くのは宗教家だけではなくなっているのです。これだけ多くの心を説く人たちがいる中で、本物の人を探さないといけないのです。これは昔と比べてはるかに難しいのです)

それだけ難しい時代に生まれているということですが、しかし、どれだけ難しい時代に生まれても、その中で本物を見つけて、そうしてしっかり心の勉強をしてきます、と誓って、この世に出てきている人ばかりなのです。

「今生の修行は難しかった」などと、いくらあの世に帰ってからいっても、それは泣き言以外の何ものでもありません。

せっかく名古屋など、その心の勉強がしっかりやれる、そんな環境が整っているのです。(これ以上の場所はないと思うんですが、なぜみなさん怒ってるのでしょう?)やらなければ損でしょう。

これだけ分かりやすい現象が現れていて(正しい人には奇跡が、悪い人には災いが現れている)それでもまだ心の勉強をしようとしない(今度は自分の我が邪魔をしてです)どれだけ心の勉強とは難しいのかとつくづく思いますが、それをしなくて後悔するのは自分自身なのです。(並みの後悔ではありません。大変な後悔を後ですることになるのです)

毎日のように災いが現れているところもあるようです。それをどれだけ怒ろうと、それでその現象が止まるわけではありません。

心を入れ替え、行いを変える以外、その災いを止める方法はないのです。では、心と行いを変える以外ないのではないですか?

現に、この法に合わせた生活をしている私には、一切災いは起こらず、奇跡が次々に起きているのです。

この法が正しいと、私は身をもって皆さんに伝えているのです。これ以上の証明が他にあるのでしょうか?

私は口だけではありません。身をもって、この法の正しさを皆さんに伝えているのです。そうであるなら、もういい加減それを理解する人も出てきてもいいのではないでしょうか。

どれだけ金を儲けても、それで心がきれいになるわけではありません。どれだけ地位や名声を得ようと、それで心がきれいになるわけではありません。当然ではありますが、どれだけ責任転嫁をしようと、人の悪口をいおうと、それで心がきれいになるわけではないのです。

どれだけ金や地位や名声を得ても、それをあの世まで持って行けた人は一人もいません。責任転嫁や人の悪口などいっていては心は汚れるばかりです。

人はいずれあの世に帰ることになります。

そのあの世に帰る時に(死ぬ時に)汚れた心のままでは、自分が一番後悔するのです。

反省されてはいかがでしょうか。

心の勉強の合格者、その人のみが救われるからです。

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3月 27 2015

新しい季節

昨日は暖かかったですね。(今日はもっと暖かいそうですが)

昨日は季節が変わったなと改めて思いました。というのも、それを実感するようなことがいろいろ起きたからです。

まずツバメが飛んでいたことです。昨日白鳥公園に行って、しばらくするとツバメが私の頭上を飛んで行きました。

「あれ、ツバメだ」と思って「おう、もう来たのか」と声をかけていると、そのツバメが何度も私の頭上を飛んでいました。

それだけでも春を実感できますが、堀川沿いを歩いていると、今度はその堀川で魚が跳ね出したのです。

あっちで跳ねたり、こっちで跳ねたりしています。あちこちで川に向かい声をかけていると、五匹も十匹も一変に魚が跳ねたところもありました。

水鳥もほとんどいなくなって(カモメがほとんどいなくなったのは少々さびしいのですが)ツバメが飛び出し、魚も跳ね始めたのですから、季節が変わったのを実感しないわけがありません。

桜はまだ咲いていませんが(白鳥公園の桜は、昨日の時点ではまだほとんど咲いていませんでした)そのような花ではなく、このような鳥や魚で季節の変わり目を実感するところが、私らしいですね。(笑)

昨日、一昨日と動画を公開したのですが、どうですか、なかなか愛嬌がある動物たちが多いのではないでしょうか。

何が一番可愛く感じられたのかは人それぞれでしょうが、愛を与えれば、必ず愛が返ってきます。この愛の少ない世の中で(愛をもらうことばかり考えるのではなく)もう少し自分から愛を出されてはどうでしょうか。

一人一人が少しずつでも愛を出されるのなら、今のような殺伐とした世の中も、もう少しよい世の中に変わるからです。

特に名古屋にいるとそれを実感するのですが(まだサイレンも止まっていませんし)私に嫌がらせをしている人たちなど、では、その後はどうされるのですか?

いっている意味分かりますか?

私にどれだけ嫌がらせをしようと、それで自分自身が救われるわけではありません。むしろ地獄に堕ちる確率がドンドン高まるだけです。(それだけ罪をつくることになるのですから)

だから私は「私に嫌がらせをしている人たちは、その後どうするのですか?」と聞いているのです。(「地獄に直行じゃ」とか開き直られても困りますが)

特にお年寄り連中はどうされるのですか?もう先が短いのだし、下手すれば明日にでも死ぬかもしれません。(それだけよぼよぼの人も私に嫌がらせをしていきますので)

正しい信仰も正しい祈りも知らず、地獄極楽もよく理解せぬまま、その正しい信仰から正しい祈りから、神からあの世のことまで、すべて教えてくれた人に嫌がらせをしたまま、それを少しも反省せず死ぬのです。

そのような心のまま死ねば、まず地獄行きです。それでもよろしいのですか?

名古屋にいて、私に嫌がらせをしていくような人は、もうお経を上げようが、何をしようがそのままでは救われないと知っているはずです。

それとも、私に嫌がらせをすれば救われるとでも思っているのでしょうか?そう思っている人はまずいないでしょう。これまで信じてきたことをことごとく否定され、そうして病人がこれだけ続出しているのです。

これだけのことが起こり、平常心でいられる人がいるわけがありません。名古屋の人たちは、そういう諸々のことが起きたので、それが面白くなくて、私に八つ当たりしているだけなのです。

しかし、私に八つ当たりしているだけでは救われません。

これだけのことが起きているのです。では、どうすれば救われるのでしょうか?

それがはっきり分からないまま死んでいくのなら、そういう中途半端な心の世界に堕ちて行きます。

そのような迷いの心で死んで、救われることは百パーセントありません。今のように迷いに迷い中途半端な心のまま死ねば、その迷いに迷った世界に行くだけなのです。

お前が迷わしたのであろうという人がいるなら、これまで通りの間違った信仰を信じたままあの世に行っても、どちらにしても地獄行きです。今のように、疑問を持ったまま地獄に堕ちた方がまだ早くその地獄から上がれるのです。(救いはそのような疑問、追求から始まるからです。間違ったものを信じていては永遠に救われません)

だから、今のような状況になった方が早く救われる人が多いのですから(それに名古屋の人はすでに神もあの世の存在も知っています。そういうことを知っているだけで悟りも早くなります)今のような状況になったことに感謝してもらわないといけませんが、しかし、今のような状況では、単に前よりはましになったという程度でしかありません。

迷う心があってはどちらにしても天上界には行けないのです。

天上界に行ける心とは、私のようにすべての動物たちが喜んで寄ってくる、そのような愛があって反省が出来る、素直な心にならないと行けないのです。

そうであるなら、死んでストレートに天上界に行ける人などほとんどいないのではないですか?何せ、この辺りは小さな子供でさえ素直に私のいうことを聞かないからです。平気で私に嫌がらせをしていくからです。(ということは、それだけ大人から子供まで愛のない人が多いということです。鳥が寄っていかないのも道理ですね)

特別、年寄りだけではないでしょう。すべての人に死は訪れるのです。早いか遅いかだけです。

それに不慮の事故や病気もあります。若い人でも明日死ぬかもしれないのです。そういう自覚(明日死ぬかもしれないという)は誰でも持っていないといけないでしょう。そういう考えが全くなくいきなり死ぬことになると、それはそれで心が混乱し、やはり地獄に堕ちないといけなくなるからです。

これは誰に対してもいえることですが、大丈夫なんですか?この期に及んでまだ何もしようとせずにいてです。

これだけの動画を公開しているのです。それに名古屋に起きている現象だけでも尋常ではありません。これほどの現象が現れていて、それでもまだ誰が本物で誰が偽者か分からない、では救われようがないのではないでしょうか。

ここに公開している動画は作り物ではありません。すべて、動物たちの自然な姿を撮ったものばかりなのです。その動物たちが、大変嬉しそうな姿を私には見せているのです。

これは一体どういう意味なのでしょう。

動物たちは、大災害など起きる前にそれを予知する力があるといいます。(だから、大災害が起きる前などに動物たちは、異常な態度を取るのです)動物たちは、人には感じない何かを感じて、このような嬉しそうな態度を私に取っているのではないのでしょうか。

動物たちが感じている何か、そうして、これほどの現象が(特に名古屋に)起きている、本当の理由を、もういい加減理解しなければいけないのではないでしょうか。

その本当の理由を理解した時、初めて天上界のへの道が、迷いのない正しい道がついてくるのではないでしょうか。

どちらにしても、私に嫌がらせをしているだけでは少しも救われません。(何度も書いていますように迷うだけです。何で迷うのですか?私に逆らっているからです。私に従うのならその迷いの道は解消されるのです。私が正しい道を知っているからです。だから動物たちは私のもとに喜んで寄ってくるのです。私が唯一の正しい道であると動物たちは知っているからです。何度もいっていますが、この現象は釈尊やキリストにも起きています。同じ理由からです)

私に嫌がらせをした後、ではどうするのですか?

季節も変わりました。(冬から春にです)では、季節と同じように自分の心も変えられてはどうでしょう。

そうすれば本当の春がやってくるからです。

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3月 26 2015

動物の不思議16(野間、堀川、山崎川、その他)

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3月 26 2015

動物の不思議17(名古屋港水族館)

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3月 26 2015

法の導き

昨日はずいぶん珍しいことが起きました。

私は初めてですね。こういうことはです。そこの警察署の人も「こういうことは私も初めてです」といっていたくらいですから、よほど珍しい出来事であったようです。

昨日は、この前行った運転免許の更新の新しい免許証が出来てきたようなので、それを取りに行ったのです。

そうしたら、私の運転免許証は出来ていたのですが、なんと、その運転免許証の有効の年が全く変わっていませんでした。

珍しい出来事とは、そのことだったのです。(免許証の有効期限が、本当なら今年は平成二十七年ですから、それから五年間有効になるはずですので、平成三十二年まで有効となっていなければいけなかったのが、平成二十七年まで有効のままになっていました)

私に免許証を渡す前に、その警察署の人が気づき(今回は初めて警察署で免許の書き換えをしたものですから)運転免許試験場の方に問い合わせをしていたのですが、その返事がなかなか来ませんでした。

そのせいで私は、そこの警察署で三~四十分も待たされたのですが(免許に問題がなければ、その場で免許をもらいすぐに帰るのですから、その警察署には一分もいないくらいだったのですが)そこで待っている間中、私は辻説法をやりっぱなしでした。(もちろん小さな声でですけどね。そこは警察署ですので)

その警察署は書いています通り、運転免許の書き換えも出来るところなのです。ですから、免許の書き換えに入れかわり立ちかわり人が来ます。それでそのようなことになったのです。(だって来る人、来る人、私の顔を見れば何かやって行きます。〔鼻をズルズルすすったり、ゴホゴホ咳をしたりです〕それでそういうことになったのです)

「何でそんな悪い者に鳥が寄ってくるんだ」「何で知らない人を次から次に病気にさせるんだ。そんなことしても恨みを買うだけだろう」「漫画じゃあるまいし、こんな大きな現象を一人でやれるわけないだろう。何でこの現象をたった一人の者のせいにするのか」「神やあの世のことまで教えてもらって、散々心を救ってもらっておいて、悪いことは全部こちらのせいか。どんだけ都合がいいねん」「鳥や魚が寄って来る奇跡は釈尊やキリストにも起きていたことだけど、そういう釈尊やキリストに起きている奇跡と、同じ奇跡が起きている者に嫌がらせしていて大丈夫か」とか、そういうことをいいっぱなしでした。

私も、まさか警察署で辻説法をすることになるとは思いもしませんでした。(苦笑)

しかし、ずいぶん珍しいことが起きたようです。このブログを読んでいる人でも、私のような経験をした人はまずいないのではないでしょうか。(運転免許の書き換えに行って、出来てきた新しい免許の有効期限が変わっていなかったなんて、そうあることではないでしょうから)

そのあまり起きないことが昨日私には起きたのです。

何でこういうことが起きたのでしょうか?

こういう珍しいことが起きた時は、必ず何か理由があります。その理由を昨日は考えていたのですが、警察署を出てその理由がすぐに分かりました。

というのも、警察署を出る時に、このようなことが起きた理由も天が教えてくれたからです。

三~四十分ほど待たされ、そうして結局「ちゃんとした免許証が出来てきたらこちらから連絡します」といわれて「それだったら待たされた意味ないじゃん」とか、ブツブツいいながら警察署から出てきたのですが、私がその警察署から出てくると入れかわりに二人の警察官が、その警察署の中に入ってきました。

ところが、その警察官二人も私の顔を見ると、そこらにいる人と同じように、足で「ザッ」と音と立てながらすれ違って行ったのです。

どこの奴も同じだなと思い、先ほどの辻説法と同じようなことを、その警察官二人にもいいながら帰ったのですが、その時「そうか、それでこういうことが起きたのか」とピンと来たのです。

というのも、私のことを誤解しているのは、何も一般市民の人たちばかりではありません。

警察官も同じなのです。(消防署員もそうです。消防署の前を通った時、思いっきりでかい音をたてられたことが何度もあります)

それでこのような順序をもらったのです。警察署で辻説法をするという順序をです。(当然、そこにいた警察官も私の説法を聞いていたはずだからです)

「なるほどそれでか、それでこんな普通ではありえないことが起きたんだな」と妙に納得して帰ったのですが、法を勉強していると、このような道もついてくるのです。(説法をし足りないところで説法をさせられる、という道です)

その後、その警察署の近くにある名古屋港水族館に行きました。(なんせ年間パスポートを買いましたからね。これで今年はイルカやペンギンたちに何度でも会いにいけます。〔笑〕)

相変わらず、ベルーガやイルカ、シャチなど可愛かったのですが(昨日はシャチが大きな声でピーピー鳴いていました。シャチの鳴き声をまじかに聞いたのは初めてですが、その貴重な場面、しっかりビデオに撮りました。〔笑〕)そのような動画がまだ残っています。

それも公開しておきます。

とにかく、法を勉強していると、不思議なことや、自分が足りていないところを足してくれるような順序をいただくことがよくあります。

こういうのを法の導きというのでしょうね。

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