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5月 10 2014

法を知ることの効果

この前、中日新聞に「カジノ解禁 危険な賭け」という記事が載っていました。

それを読むと、やはり複合型リゾート施設をつくってカジノをやれば、経済効果は莫大などということが、ただの幻想でしかないということがよく分かります。

東京で、そのような施設を開設した場合、運営業者の売り上げが年間一兆円で、それを全国展開すれば数十兆円規模との試算が出ているようですが、はたしてこの試算、そのまま信じていいのでしょうか?(見通し甘すぎませんか?)

だいたい、そんなカジノが入った複合施設など世界中どこに行ってもあります。ラスベガスくらい徹底してやるなら別でしょうが、少しばかり、カジノが入った施設を日本につくったところで、それで一変に外国の観光客が日本に来るようになるとは、とても思えませんが、そこはどうなんでしょうか?(日本でカジノが解禁されたくらいで、そんなに日本に外国人観光客が来るようになりますかね。隣の韓国にだってカジノはあるのです。それほどカジノが目新しいものとは思えませんが)

もし、外国の観光客が思ったほどでなく、国内の客の方が多ければ、結局それでは客の食いあいになるだけです。これではまったく意味がないでしょう。

それに一番の問題は、そのカジノが原因で起こる横領などの犯罪、労働生産性の低下、失業や破産、自殺、ギャンブル依存症などの副作用です。(それが原因で離婚なども増えて治安が一変に悪化します)

このようなカジノの副作用で現れる、社会的コストは莫大なものとなるのです。(それに国や自治体は、この社会的コストに加え、カジノのためのインフラ整備もしなければいけないのですから、カジノの収入が少々入ってきても財政は改善しません)

社会全体を考えるなら、カジノを解禁したからとはいえ、経済や自治体の財政が、とたんに好転するとはとても思えませんが、カジノ推進派の方々はそこはどうお考えなのでしょうか?(それに天も、マイナスの方が大きくなるといわれていますし)

このカジノのような事業では、もうよくならないのです。なぜなら、時代に合っていないからです。(このような事業は末法の事業でしかないからです)

すでに正法の世となり、正法の時代となっているのですから、その正法の時代に合った事業をやらないといけないのです。

それには先ほど書いた、反社会的コストが、莫大にかかるような事業では話しにならないのです。心が向上しないからです。

これからは、金儲けを主とするのではなく“心の進化”これを主とする事業を始めないと、長続きはしないのです。そのような時代となっているからです。

それには、昨日もいいましたが、この法を学んで仕事に生かさないと、心が進化する仕事などそうは出来ません。

では、法を学ぶしかないと思うのですが、前回も書きましたように、心が変わるだけで人はいくらでも呼べるのです。(外国の人々もです)

昨日書いたような世界が出来上がれば、人はたくさんくるようになります。それに法を実践する人が増えれば、様々な奇跡が起きるのです。

例えば、現在は医療費コストも莫大なのですが、この医療費を減らすことも出来ます。いちいち医者に行かなくても、少々の病気なら、祈ったり光を入れたりすれば治ってしまうからです。(園頭先生はもちろんのこと、高橋先生も、多くの人に光を入れられ病気を治されました。私だって、末期癌の人の癌の痛みをとったり、母の背中の痛みを取ったりしたことがあるのです。少し法を勉強するのであれば、こういう奇跡も頻繁に起きるようになります。では、必然的に医療費も減るということになります)

そうして、今一番世界的な問題になっている異常気象、これも抑えることが出来るのです。(出来ますよね。そのような気象は人の意識でどうとでもなるということを、私は何度も証明しています)

法を学ぶ人が増えれば、外国の観光客も増え、そのような観光客が増えれば、当然経済効果は莫大なものとなり、景気はよくなる、医療費は減る(ということは、医者の負担も減らすことが出来るということです)異常気象も減って、天啓を受ける人がたくさん出てきますから、科学も飛躍的に進歩する。(ということは、原発の核廃棄物の問題なども解消できるということになります)

それに法を知れば人格が向上する人が増えますから、おかしな犯罪も減って、健康で働く人がたくさん出てくる、ということは治安もよくなり、平和で安定した幸せな生活ができる人もたくさん出てくる、と書ききれないくらい、いいことだらけになるのです。(現在の日本とはまったく逆ですね)

そのような日本となれば、この法を学びたいという外国人が、さらにたくさん日本に来ます。そうなっても、先ほどのカジノのようなインフラ整備など必要なく、どこの自治体にも多目的ホールなどの無用な箱物はたくさんあります。

そのような場所を有効活用して、そこで法を説けばいいのです。(人が来ない温泉施設などたくさんありますし。〔笑〕そのような場所で、泊りがけの研修会も出来ます。法の勉強に特別な準備は必要ありません。今あるもので十分対応が可能なのです)

自治体のお荷物である、無用な箱物まで有効活用し(ということは、各自治体の財政改善がなるということです)さらに莫大な経済効果をもたらし(ということは、国の莫大な借金も減らせるということです)さらにさらに破格の心の向上までもたらして、異常気象を減らして世界に平和をもたらすことが出来るのです。

これ以上よいことが他にあるのでしょうか?

何か最後は、思いついたいいことを、次々に羅列していっただけですので、まとまりのない文章になりましたが、要は法を学ぶのはそれくらい、いいことである、ということがいいたかっただけです。(笑)

安倍政権の成長戦略にも、この法は欠かせないと思いますし、法さえ拡がれば、黙っていても日本は成長していきます。(それも考えられないくらい飛躍的にです)

安倍総理はじめ、日本の指導者の方々は、もう少し発想を変えられたらいかがでしょうか。(金儲けばかりを主眼とするのではなくです。神の力、これを有効活用されてはどうでしょう。決してここに書いたこと、夢物語ではありません)

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5月 09 2014

法を知ることの救い

しかし皆さん、私のいうことを知ったことで、考えも視野も広がって、聖書の中に書かれてあるような、奇跡も実際に見ているわけです。(体験されていられる人も、名古屋にはたくさんいますが)そのうえ私は日本まで救っているのです。(これはあくまで現時点までは、ということですが。いつまで救うことが出来るかは分かりません…いろいろ邪魔する人多いし)

日本がなくなれば、どれだけ仕事をしたかろうが、遊びたかろうが、幸せな生活をしたかろうが、出来なくなるんですからね、日本に住んでいる人たちは。

それを(とりあえずではありますが)一生懸命止めている者に嫌がらせして、そうして少々の布施のお願いさえ無視されるのです。それではいいこと起きるわけありませんよね、どう考えても。

あまりに心が狭いのではないでしょうか?考えをいくら広げても、それを実践しないと心は広がりません。もう少し実践されてはいかがでしょうか。

考えや視野が広がったのであれば、例えば、死の恐怖に囚われていた人が(これは年は関係ありません。人は皆、生まれた瞬間に死刑判決を受けるからです。生まれて死なない人は一人もいないのです。ですから年に関係なく、死への恐怖は誰でもあったはずです)それがやわらぐのです。まったくではありませんが、なくなるのです。それは非常に大きな出来事なのではないでしょうか。

老い先短いお年寄りも、死んでそれで終わりと思っていたのが、そうではないということが分かったのですから、前よりずっと希望がわいているのではないですか。

それに早く死に別れした人でも、それが親であろうと子であろうと、また親しい友人であろうと恋人であろうと、またあの世で会うことができるのです。(まず自分が天上界にちゃんと帰れないといけませんが)

そう考えることが出来るだけでも、その寂しさは半減するのではないでしょうか。

死という問題一つとっても、私のいうこと(法)を知ったお陰で、どれくらい救われる人がいるか分からないのです。

人は物質的に救われることより、心が救われることの方が、何倍も嬉しいことであり、また意味があることなのです。人は、心が救われなければ、結局救われたことにならないからです。(どれだけ大金持ちでも、悩みがあれば、その人は幸せでも何でもありません。物質がたくさんあっても、心が救われないと本当に救われたことにはならないのです)

では私は、その多くの人の心を救っているのです。どれだけよいことをしているか、分からないほどです。(その者の申し出を無視ですか、その者に嫌がらせですか、日本に異常現象が起き続けているのもよく分かります)

それに心が変われば物質的にも救われます。例えば、私に起きているようなことが皆さんに起きだしたらどうなるでしょう。

祈れば次々に奇跡が起きて、その祈りがきかれるのです。

自分の行きたい学校や会社には行けるようになる、いじめや悩みなどがあっても解決の道がついていく(神の光がその人に降りますので)自然と守られる、商売は繁盛する、といいことずくめです。(とにかく反作用がありません。神の教えを勉強し実践すれば、よい結果〔それは自分の心にとって、という意味ですが〕ばかりが得られるようになるのです)

もちろん法を勉強し、それなりの心になり、それなりの祈りが出来るようにならないといけませんが、今書いたことは、決して不可能なことではありません。法を知って実践できるようになるなら、このようなことはすべて可能なのです。

それに、私のように道を歩いていれば、鳥がたくさん寄ってくるということにでもなれば、例えば、名古屋にそのような人が増えたのなら、他の地域から来た人はどう思うでしょう。

「名古屋に行くと、不思議と鳥が寄ってくる人がたくさんいて本当に楽しそうだ」という噂は、当然されるようになります。そんな噂があちこちでされるようになれば、一度名古屋に行ってみようか、という話しに、これもまた当然なりますし、そういう人が増えれば名古屋に観光に来る人も増えて、名古屋の町も潤うということになります。

別に、宣伝費をかけて名古屋を宣伝しなくても、心のきれいな人が増えるだけで、名古屋に観光に来る人も増えるのです。(他の都道府県では、起きないような奇跡が起きるようになるからです。鳥は一つの例でしかありません)

よい事だらけではないですか?そんなカジノなどつくらなくても、心のあり方一つでいくらでも観光客など増えるのです。では、カジノなどの副作用があるものをわざわざつくり、少々の金儲けのために町の風紀を乱さなくても、町の人の心のレベルも上がり、町の収入も上がるのです。これ以上よいことはないのではないですか?

だから私は、この法を勉強しなくてはいけないといっているのです。

ここに書いたことは嘘ではありません。実際に私に起きていることだからです。そういうことが起きているせいで、私は名古屋中の人に知られたのです。

では、名古屋の多くの人が、私と同じことをするのであれば、名古屋は、日本中の、世界中の人に知られることになるのではありませんか?(荒唐無稽な話では全然ありません。すぐにでも実現する話です。河村市長、名古屋の人に法を学ぶよう呼びかけてください。名古屋の税収一発でアップします)

先ほどもサイレンがしていましたが、名古屋の人たちは私を誤解しているのです。私は悪魔ではありません。神の使いなのです。では、よいことしかしません。私のしていることは、すべてよいことなのです。(ただし先ほどもいいましたが、その人の心にとって、という意味ですが)

「あいつが祈ったから、不幸な人がたくさん出ている」ではなく「私が祈らなかったら取り返しのつかないことになっていた」なのです。

そのような現象を現し、多くの人々の心の向上を図ったから(こういうことが起きて心が変わらない人はいません。この名古屋でも、今のような現象が起こることにより、名古屋のすべての人の視野を広げたのです。これまで起きていなかったことが起きているのです。では、その視野は嫌でも広がります。その一人一人の視野を広げるということは、その人の心は向上しているということになります。それが、その人たち一人一人の後々の大きな救いとなるのです)日本はこの程度ですんでいるのであり、私が祈らなければ、もっとひどい結果が日本に現れていたのです。

それでも十分異常現象が現れていますが、この異常現象の現れ方で、逆に想像できるのではないでしょうか。日本はこのままでは滅ぼされるということが。(それはもう一人一人の人が想像してもらうしかないのです。「ならなければ信じない」では、日本が終わってしまうからです)

また、このような凄い現象が現れているのです。この法の凄さもよくお分かりいただけるのではないでしょうか。

本当の神の教えを信じ行ずれば、その国は繁栄し、その教えを信じず捨て去るのであれば、その国は滅びます。

現在の日本は、まさにそれを地で行っているのです。(神の教えを信じず捨て去る方ではありますけどね)

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5月 08 2014

人としての道

だから起きていないわけがないのです。このブログを書くのを邪魔しているところに、ひどい現象がです。

前の会社がパニッくって、ガンガンでかい音を立てていた時も、この会社は恐ろしい現象が、それこそ、ここの従業員がパニックになるほど現れたのでしょう。(それまでも現れていたはずですが、その時は、驚くくらい立て続けに現れたのではないでしょうか)だからそのような態度を取ったのです。

それほどこの会社は、大きな罪を自らつくっているからです。毎日のように、このブログを書くのを邪魔しているからです。

私が法の流布をやめたのなら、日本は潰されるのです。その日本を潰すようなことを毎日のように行っているのです。それでは恐ろしい現象が起きないわけがありません。

また、それほどの現象が現れているなら、自分たちのやっていることの罪の大きさが、いい加減分かりそうなものですが、それを一切認めようとせず「自分たちは何一つ悪いことはなく、悪いのはすべてお前」と、どれだけ恐ろしい現象が現れても、法の流布を邪魔し続けているのです。

日本を潰すほどの危ないことを散々していて、それが原因で、恐ろしい現象を天から起こされているにもかかわらず、それを逆恨みし、私を目の敵にして意地になって、よけいブログを書くのを邪魔しているのですから、一体どれだけ恐ろしいことをし続け、どれだけ恐ろしいことが起き続ければ、自分たちがしていることの恐ろしさが分かるのでしょうか。

しかし、どれだけ悪いことが起きるのを私のせいにしても、この会社のやっていることは、日本を潰そうとしていることに変わりはないのです。その罪の深さ大きさを自覚するまで、恐ろしい現象は続くでしょう。

哀れなものですが、特別それはこの会社だけではないでしょう。名古屋だけ見ても、どれだけ救急車のサイレンが響こうと、そのサイレンを聞いて反省する人はいないのです。それをすべて私のせいにして、嫌がらせを続けているからです。

私が日本を救っているというのに、そういうことは少しも考えようとせず、ただ表面だけ見て「そういうことをしているから、こいつは悪い奴」と思い込んでいるのです。

では、その表面上だけであれ、私と同じことができる人が他にいるのでしょうか?

私と同じような状況になって、それでもやるという人が果たして何人いるのでしょう?

私は、皆に嫌がらせをされるだけではないのです。こういうことが起きれば、どこでどういう恨みを買っているか分からないのです。では、どこで殺されるかも知れないのです。

嫌がらせだけではなく、命まで狙われているかもしれないのに、そういう状況で、それでも同じことを続けるという人が、私に嫌がらせをしている人の中で、どれくらいいるのでしょうか?

まずいないと思いますが、それに、私と同じように祈って大きな現象が現れる人がいるのでしょうか?

その現象でも、私がそれをただ自慢したいためだけに、たいして意味もなくやっていたとでも思っているのでしょうか?

だとしたら、本当に浅い見方しか出来ないんですね。そんな心が少しでもあるなら、祈って大きな現象など起せるはずがないのです。そのような自慢する心、怒り、ねたみ、ひがみなどの思いは自分の心を曇らすからです。

そんな思いが少しでもあるなら、自分の心に曇りが生じ、その祈りは即座に天に届かなくなります。起す現象が大きければ大きいほど、自分の心をよりきれいにしないと、高い世界に祈りが届かなくなり、より高い世界に祈りが届かなければ、大きな現象も現れなくなるということです。

大きな現象を現したいのであれば、心をよりきれいにしなければいけないのです。(小さな祈りなら、少々心が汚れていてもきかれますが)

つまり、私が祈ると大きな現象が現れて、他の人が祈っても大きな現象が現れないのは、それは、私の心がそのような人たちよりもきれいなのであり、祈って何の現象も現れない人たちは、それだけ心が汚れているということです。

私のいっていることが違うというなら、違うというだけの根拠と証拠を示してください。そんなことができる人がいるとは思えませんが、何でそんな心のきれいな男が、人より悪い奴なんでしょうか?

私が大きな現象を現していたのは、一にも二にも法の正しさの証明のためであり、その法を多くの人に伝えなければいけなかったからです。

だから、やっていたのです。それをあえてやらなければ(多くの人がこの法を信じなければ)より多くの人の命がなくなることを知っていたからです。(日本の滅亡)

そういうことを少しも考えようとせず、こういう祈りをして、多くの人が不幸になっているから、そんなことをしているこいつは悪い奴と、ただそう思い、だから、自分のしていることはよいことと思い込み(悪いことをしている奴に嫌がらせをしているのですから)実際は考えられないくらい悪いことをし続けているのが、名古屋の人なのです。

だから、名古屋に恐ろしい現象が次々に現れているのです。だから、この法の流布を邪魔しているところに、パニックになるような恐ろしい現象が連続して起きるのです。

それだけ大きな悪を、そのような人たちは犯しているからです。

そのような人たちは、あまりに物事を浅く見すぎて、本当の正しいことが分からないのです。

私が一番よいことをしているのです。だから、私が祈れば次々に奇跡が起き、鳥たちも寄ってきてくれるのです。

私が、私に嫌がらせをしている、誰よりも心がきれいで、高いことを鳥たちは知っているからです。

このような、起きている現象に嘘はありません。よい人によいことが起き、悪い人に悪いことが起きるのです。こればかりはごまかしようがないのです。

いつまで悪いことを続けるつもりですか?

少しは、よいことをしている人によいことを行ってはいかがですか?(その人は日本を救っているのですから)

これまで自分がしてきたことを、少しは反省されてはどうでしょう。

それが人としての当たり前の道だからです。

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5月 07 2014

これまでの経緯

現在の名古屋は、多くの人が奇跡の現象を信じています。そうして毎日のように起きる異常現象を(多くのサイレン)たった一人の者が起していると、本気で思っているのです。

その考えが正しいかどうかはともかく、このような発想が、これまでの唯物無神論の人々にあったでしょうか?

たった一人の者が、多くの人々を毎日病気にさせている、そのようなことをもし本気で考えている人がいたとしたら、数年前までは「こいつは頭がおかしい」そのように思う人ばかりだったのではないでしょうか。

それが、どれだけ私が「今起きていることは私のせいではない」といっても、名古屋のほとんどの人が信じないのです。皆が私のせいだと思っているのです。

変われば変わるもの、二~三年前まではとても考えられない状況です。

こうも変わるものでしょうか?しかし、現実に名古屋の人々の考えは変わったのです。(ということは、それだけ法が拡がったということです)

これほどの現象が起きれば変わらざるをえない、という現実もありますが、この現象が起きる前から、すでに名古屋の人たちは考えを変え始めていました。

私が奇跡の現象を次々に現していたからです。(日照りやら大雨やら地震やらです)

そうして、そのことを知った名古屋の人々が何をしだしたか、それが私に対する嫌がらせでした。何で私がそのようなことを始めたのか?その思いを一切理解せぬままです。

「そういうことを起すから悪い」とただ単純にそう思い、やり始めた人もいれば、ねたみやひがみも混じり、やり始めた人もいるでしょう。しかし、そのような人たちが出始めた頃は、まだ今のような現象(サイレン)は名古屋に起きていませんでした。

現在の名古屋で、毎日のように起きるサイレン、これがいつ始まったのか?それはバスやトラックの運転手が私に「ブシュ、ブシュ」やり始めた頃からです。

そのような連中が、それをしなければ、あるいはこれほどの現象が名古屋に現れなかったかもしれません。しかし、道を歩いていたら、走ってくるバスやトラックの、そのほとんどが私に向かって「ブシュブシュ」やっていくのです。

そうして線路脇を歩いていれば、今度は電車まで「ファンファン」やっていきます。

このようなことを、多くの運転手が私に始めた頃より、この名古屋で起きている「多くのサイレンが毎日響き渡る」という恐ろしい現象は始まったのです。

しかし、私が大きな現象を現し始めたのは、あの東日本大震災が起きた後くらいからです。

そうして、そのような大きな現象も『天の命』により始めたものであり、個人の意志から始めたものではありませんでした。(個人の意志で、そういうことが起こせるわけがありません。そんなことをすれば、多くの人が死ぬかもしれないからです。すべて天の命であり、やむにやまれず私はやったのです。このままでは『日本は潰される』と知らされていたからです)

そういう事情をまったく知らない人たちは、そんなことをしているからいけないと、ただ単純に「こいつは悪い奴」と思い、嫌がらせを始めたのかもしれませんが、そうではないということは、現在まで起き続けている、この異常現象が証明しているのです。

私には、次々に奇跡が起き続け、その反対に、私に嫌がらせをし続けている人々、私の悪口ばかりいっている人々には、次々に悪い現象が現れているのです。

神やあの世の存在、人の永遠の生命、そうして次々に起きる奇跡の現象を信じた名古屋の人たちが、今起きている恐ろしい現象は「いつまでも神の心を悟ろうとしない、そのような人々のせいである」ということだけは、信じなかったからです。

自分に、直接かかわりがないことは信じても、自分の責任に少しでもなることは一切信じなかったのです。

そうして、そのような自分の責任はまったく認めず、今起きている恐ろしい現象の責任を、すべて私に押し付けたのです。

その結果、恐ろしい現象は出続け、その恐ろしさを増しています。

先ほども書きましたが、私が大きな現象を現し始めたのは東日本大震災以降のことです。(そうして現在でも、大きな現象を現すことはできます。いってくだされば、その証明はいくらでもします)それは『この日本を潰してはならない』その一念より始めたものであり、そのような祈りをし続けなければいけなかったつらさを、私に嫌がらせをしている人たちは、少しでも考えたことがあるのでしょうか?

また、日本が潰される、ということを知っていなければ、これだけ多くの人から嫌がらせを毎日のように受けているのです。とっくに、こういうことはやめていますし、大きな現象をあれだけ続けて起せるはずもないのです。

何度もいいますが、多くの人が不幸になることが分かっているのです。死ぬ人まで出るかもしれないと知っているのです。それを承知で、堂々と多くの人の前で(このブログに書くとはそういうことです)そういう現象を起こすと宣言してやったのです。

多くの人の恨みを買うことを百も承知でです。早く多くの人がこの法を信じないと、日本を潰す、と天からいわれていたからです。だから、私は自分は殺されてもいいからと、少しでも早く一人でも多くの人に法を理解してもらおうと(それには、刺激的な方法を取るのが一番です)自分の体を張って、法の証明をし、法を多くの人たちに伝えたのです。

「自分は死んでもよい」そういう心でなければ、これだけ堂々と宣言して現象を現すわけはないですし、一人でフラフラ外を出歩くこともしないでしょう。(危なくて仕方ないですから)

しかし、そういう命がけで私が法を伝えた結果、前回も書きましたように、曲がりなりにも法は多くの人々に伝わり、まだ日本は潰されるまでには至っていません。(まだ危ない状況ではありますが)

私は、日本が潰されることを天から聞いていたから、こんな無理なことを一人でし、そうして現在もし続けているのです。個人的な考えから、こんなことをしているわけではありません。(どう考えても、個人の小さな考えだけで、これだけのことをするには無理があります。そこは誰も考えていただけなかったのでしょうか?)

そのようなこちらの心など、少しも理解しようとしない人たちが、起きる現象だけ見て、平気で私に嫌がらせをし、私が法を説けなくなったら、日本が潰されることが分かっているから「少しでいいですから、このブログを読んでいる人は寄付をしてください」と呼びかけているにもかかわらず、そんなこと知ったことかという態度で、自分たちのことだけをこれもまた平気でしているのです。

しかし、そのようなことを知らされていなければ、私が命がけで、このようなブログを書き、現象を現すわけがありませんし、これほど極端な現象の違いが現れるわけもないのです。

私の心を天はすべて知っているから、天は次々に私に奇跡を現し、そうして私に敵対する人たちに次々に災いを現すのです。

また、そういう捨て身の心で、日本を救いたいと一心にやっているから、鳥たちも私の周りに集まって来るのです。(日本が潰されたら、自分たちも死ぬことになります。それを鳥たちは知っているからです)

私は何一つ、個人的な考えから、この法の流布を行い、現象を現しているわけではありません。すべて自分のことより、日本のことを考えてです。日本に住む多くの人たちのことを考えてです。(もちろん日本の動植物のことも考えてです。すべて生きていますから)

私はとっくに、小我を捨て大我に生きています。

それに対し、私に嫌がらせを続けている人や、私の寄付の呼びかけを無視している人たちはどうなのでしょう?(もし、小さな考えのままでそんなことをしているなら、恥ずかしくないですか?)

しかし、今のままの考えを続け、同じような生活を続けるのであれば、やがて日本は潰されます。

これまで、そのことをここまではっきり書かなかったのは、何とか日本の人々が目覚め、自分で法の大事さを悟り、自分で立ち上がってほしかったからです。しかし、もうこのブログを再開し五年目になります。それに名古屋だけ見ていても、事態は悪くなる一方で、まったくよくなる気配はありません。

これ以上、このようなやり方をしていても道は開けないと分かったから『日本が潰される』ということを、はっきり何度も書きました。

私は、最初から『日本が潰される』ということを、天から知らされてやっていたのです。だから、これほどの現象が、私に反する人たちに起きているのです。

そういうことも含め、これまでの経緯を書きました。少しは皆さん反省していただけないでしょうか。

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5月 06 2014

時代の変化と思想の変化

しかし、よく考えてみれば、高橋先生が法を説いていられた時代、そうして園頭先生が法を説いていられた時代では、起こりえなかったようなことが、現在次々に起きています。

度を超えた異常気象もそうなら、名古屋に毎日のように起きる異常現象もそうです。これだけ名古屋で、私のことが知られたということもそうでしょう。

高橋先生や園頭先生がご存命の時にも、異常気象はありましたが、これだけ頻繁に起きるということはありませんでした。

そうして、高橋先生や園頭先生も毎日のように奇跡を起こされましたが、現在名古屋で起きている、毎日救急車で病人、けが人が運ばれて行く、などという恐ろしい現象は現れませんでした。

高橋先生や園頭先生も多くの人に知られましたが、一ヶ所で集中して多くの人が、高橋先生を知る、あるいは園頭先生を知る、ということもありませんでした。(高橋先生の地元である東京で、多くの人が高橋先生を知っていた、ということもありませんでしたし、園頭先生が〔園頭先生は福岡に住んでいられましたので〕福岡で多くの人に知られていた、ということもありませんでした)

しかし、私のことを、この地元名古屋の多くの人が知ることになりました。その他の地域の人も私を知っている人はいるでしょうが、名古屋ほど多くの人が、私のことを知っているということはないでしょう。何千、何万という単位ではないのです。名古屋では、すでに何十万という人が(下手すれば百万単位かもしれませんが)私のことを知っているからです。

それに今の私のように、高橋先生や園頭先生の周りに鳥が集まってきて、ピィピィ、ギャーギャー鳴いていた、ということもありませんでした。高橋先生のご著書にもそんなことは書かれていませんし、また園頭先生からもそんな話を聞いたことがないからです。

高橋先生や園頭先生は、私以上に奇跡を起こされ、そうして全国各地に法を説いて周られていたのです。それにもかかわらず、現在起きているような現象は現れていなかったのです。

なぜでしょうか?

このようなことでも分かります。時代が変わった、ということが。

時代が変わっているから、現れる現象も大きく激しくなっているのです。

高橋先生や園頭先生が法を説いていられた時代は、末法の世であったのであり、現在は正法の世であるのです。

如来が出世され、そうして多くの人々に法を説かれることにより、末法の世は終わりをつげ正法の世が現れるのであり、その如来が法を説かれすでに数十年の月日が流れています。

現在は、完全に正法の世となり、それで未だ末法の心のままの人々には、末法の世であればすぐには現れなかったであろう災い(気づきの現象)が次々に現れるようになった。

その気づきの現象が、数々起きる異常気象であり、異常現象であるのであって、その反対に正法の心を持っている人には、数々の奇跡の現象が次々に現れるようになり、私が起こした大きな現象の奇跡や鳥が集まってくる奇跡も、その一つの現象であるということです。

つまり、高橋先生や園頭先生在世当時に、完全な正法の世となっていれば、今以上の異常現象が起きていたのであり、高橋先生や園頭先生の名は全国に知れわたり、その周りにも、多くの鳥たちが集まっていたであろうということです。

すべて、時代が変わっているから、起きることも変わっているのであり、その時代の変化に応じて、心と行いを変えないと、人によってはその時代に生きるのは難しくなるということです。

だから私は、心と行いを変えないといけない、と何度もいっているのであって、異常現象が次々に現れているのは(私のせいではなく)そのような人たちの心(末法の心)が現象化しているのである、といっているのです。

考えてみて下さい。ほんの二~三年前までは、ほとんどの人が唯物無神論であり、この世はこの世だけ(天国や地獄がある、などといえば大笑いされました)腹(心)はどうでも、この世でうまいことをいって面白おかしく暮らせればそれでよい。人間は死ねばすべて終わりなんだから、この世で楽しんでおかないと損である、だから金や物がすべてであり、それをたくさんもっている人が偉いのであって、この世に不思議なことなどない、すべて科学で説明がついて、説明がつかないことは全部偶然。

そのように思っていたのです。

それがここ数年で、唯心有神論に変わる人がたくさん出始め、神の存在も信じるようになり、この世はこの世だけでなく、あの世(天国や地獄)もあり、そうして人は輪廻転生をする永遠の生命であって、人間は表面だけではなく、心からよくならないといけない、物金がすべてではない、科学で説明がつかないことは多々あって、不思議な現象は起きるのであり、本当か嘘か分からなかった、聖書の中で現れる奇跡が本当のことであった、ということも分かったのです。

よく考えてみるのであれば、二、三年前までの多くの人は、なんと視野が狭かったのでしょう。だって、この世がすべてで、人間は死ねば灰になってそれで終わりと思っていたのです。(ということは、せいぜい七~八十年の人生がすべてであり、当然あの世などあるわけないと思っていたわけです)

そうして、心などどうでもよくて、表面上だけうまくやっていればそれでいいとも思っていて、聖書に書かれた奇跡なども、あれはそのような信仰をしている人たちだけが信じていることであって、嘘か本当か分からない、科学以外は皆迷信、と思っていたわけです。

それが現在は、人は永遠の生命であり、この世だけでなくあの世の存在まで信じて、そうして奇跡まで実際目の前で見ている人もいるのです。(それだけでなく、この大宇宙には地球だけでなく、他の星にも人が住んでいるのではないか、とまで思い始めています)

二、三年前の自分と比べ、現在の自分の考えが、ずいぶん広がったと思われないでしょうか?

特別、宗教をしていようがいまいが、どういう思想をもっていようが、一切関係なく、多くの人が唯心有神論の事実を知ったのです。そうして多くの奇跡的現象を知ったのです。

この二、三年での、多くの人の考えの劇的変化はどうでしょう。まさにこれ以上の奇跡はない、といってもいいくらいに、多くの人の視野が劇的に広がったのです。(その実感がほとんどの人にありませんが)

では、そのこれ以上ない大奇跡を行ったのは誰でしょうか?

それは私です。私が一人でそれを行ったのです。

それほどの劇的な視野の広がりを、多くの人がしたにもかかわらず、それをそのようにさせた者には、何一つ感謝の言葉も行為もありません。(それどころか、その者に嫌がらせを繰り返している者までいるのです。話しにならないくらい愚かな行為です)

現在起きている異常現象は、末法の心の人の業が現れているのと、もう一つ、それほどの奇跡を起こした者に対する態度が、あまりに違っているため、起されているものです。

間違っているのは、私でしょうか?それともそのような視野の広がりを見せた、多くの人々の方なのでしょうか?

現在日本に起きている異常現象は、その間違いに気づくまで続くのです。

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