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4月 24 2014

オバマ大統領

今日はまた一段と雰囲気が変ですね。(すごい静かだったり、急にうるさくしたり)

昨日の昼間にも、何か起きたようですが(どこかの会社、それまでうるさかったのが、一変に雰囲気変わってしまいましたから)このブログに書いていることが、次々に起きているのではないでしょうか?

もしそうなら、ここに書いていることをされてはどうですか?そうしないと、一気に恐ろしい現象が現れだすかもしれません。(特にこの辺りの人、心配です)

その次々に恐ろしい現象が現れだしてもいけませんから、もう一度書いておきます。

私に嫌がらせなどしてはいけません。また怒りの心なども持ってはいけません。(それは責任転嫁の八つ当たりにしか過ぎないからです。悪いのは自分だからです)私には感謝しないといけないのです。この世に出て一番知らなければいけない(普通では、まず知りえなかったであろう)法を教えてもらえたからです。

ですから、このブログをただで読んでいてはいけません。読むのであれば(法を教えてもらうのであれば)それなりの布施はしなければいけません。過去、法を教えてもらった人には(釈尊やキリスト、高橋先生や園頭先生でもそうです)皆そうしてきました。そうするのが当たり前のことだからです。

やらないといけないことと(感謝の心を持つことや布施)やってはいけないこと(怒りの心を持つことや嫌がらせ)を書いておきました。

次々に現象が起きはじめたようです。間違っても、やらなければいけないと書いたことをせず、やってはいけないと書いたことを、するようなまねはしないことです。子供ではないのですから。(子供も、このブログを読んでいるかもしれませんが、そういう子供はもはや子供ではありません。大人なのです。〔肉体は別にして心がです〕ですから自分で大人の判断をしてください。法に、子供だから、などという甘えは一切ありません)

もし、ここに書いたことに従わず、それで予想以上の悪いことが起きても、それは自分の責任であり自業自得です。それを責任転嫁したところで、自分の罪が増えるだけでしょう。何が正しいことであるのか、自分で気づくしかないのです。

さて話題を変えましょう。アメリカのオバマ大統領が来日されました。

ニュースを観ていましたが、すごいですね、東京は厳戒態勢です。

しかし、現在はそのアメリカも、世界の警察と宣言していた頃のような勢いがなくなり、世界は混迷のさなかにありますが、やはり世界の中心であった国が衰えると、このようになるのでしょう。

アメリカが、初の黒人大統領を出したことは画期的なことでしたが、その黒人大統領になるのと時を同じくして、アメリカの勢いが衰え始めたというのも、何か理由があるような気がしてなりません。

このオバマ大統領になって、イスラエル、サウジアラビヤ、インド、日本もそうなのでしょうが、同盟国や友好国との関係が全部悪くなったそうですが、これは一見悪いように思えますが、実はいいことなのかもしれませんね。(特に、イスラエルとの関係が悪くなったのはいいことでしょう。なんだかんだいっても、中東の一番の問題はイスラエルです。アメリカの勢いがなくなれば当然イスラエルの勢いもなくなります。それに加え、アメリカとイスラエルの関係悪化ということになれば、イスラエルの没落も始ります。中東の混乱はこれから拍車がかかるでしょう)

どの国も、アメリカのいいなりではいられなくなるからです。それこそ自分たちで同盟国、友好国を拡げないと、もう自国の平和も守れなくなるからです。(もうアメリカ一国と同盟していればいい時代ではないでしょう)

そういう意味では、安倍総理がされていた地球儀外交は、先を読んだよい政策であるとは思いますが、どちらにしても、まだ当分は世界の混迷は続くことになります。

これからの外交は、これまで以上に大変であることだけは確かでしょう。

それはそれとして、先ほどのオバマ大統領の話しに戻りますが、私は、このアメリカ初の黒人大統領であるオバマ氏は、何か大きな使命を持たれた方であるような気がしてなりません。

このような、アメリカの勢いが衰え始めたことといい(あのアメリカの勢いが衰えるなど、数年前まで誰が予想したでしょうか)各国との関係が悪化したことといい(世界のアメリカ一国依存主義からの脱却)そうしてオバマ大統領は、核兵器の廃絶や銃の規制までいわれています。

これまでのアメリカ大統領で、ここまでのことをいった人がいるでしょうか?

それをやれるかやれないかは別にしても、アメリカ大統領がこのようなこと(核兵器の廃絶や銃の規制など)を堂々と宣言すること自体、これも画期的なことであり、これまでのアメリカ大統領とは、やはり何か違っているように思えてなりません。

高橋先生が、アメリカの没落とキリストのアメリカ出世の予言をされたのは、昭和四十八年頃のことです。

その高橋先生の予言の実現をサポートする、そのような使命が、このオバマ大統領にはあるのではないか、私にはそう思えてなりません。

(核兵器の廃絶や銃規制は、当然キリストがアメリカに出世される百五十年後まで、同じ状態のままならキリストがそれを行わなくてはいけなくなります。アメリカの没落のきっかけをつくられ、核兵器廃絶、銃規制のきっかけまでもオバマ大統領はつくられているのです。どう考えても、法の流布を助ける使命を持って、生まれられているとしか思えませんね)

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4月 23 2014

正しい判断

前回のブログでお分かりのように、なかなか天上界に行くということも難しいことでしょう。このブログを読む多くの女性の方々は、その難しさを実感されたと思います。(笑)

優しくて素直、などという言葉、とうの昔に忘れてしまった女性もいるでしょうが(元々、知らない人もいるかもしれないし〔笑〕)思い出していただかねば天上界には行けません。せめて死ぬ前までには思い出していただきたいものです。(笑)

しかし、どうしてもそのような心にはなれない(なりたくない)という女性もいるでしょう。かまいませんよ、無理してそんな心にならなくても。出来ないなら出来ないでいいのです。(無理難題、みたいに思う人もいるでしょうから〔笑〕)

優しくて素直な女になろうと努力するのもしないのも、その人の自由です。そういう女性になろうと思う人だけ、なれる努力をすればいいのです。所詮、修行とはそのようなものです。ついてこない人はこなくていいのです。ついてこれる人だけついてくればいいのです。

決して無理はされませんように。(無理してすると体壊しそうな子もいるし〔笑〕)

それはそれとして、それにしてもこの辺り、何が起きているんでしょうか?

今日もずいぶん雰囲気の違う会社があります。(邪魔する気があるのかないのか、よく分からない態度ですが?…ずいぶん腰が引けています)

ある工事現場でもそうですが、私が近くを通っただけで、ガンガンでかい音を立てていたところがあるのですが(マンションか何か建てているんでしょうか?ずいぶん大きなものつくっています)それが数日前でしたか、近くを通ると(普通の日であったにもかかわらず)物音一つしないのです。

「アレッ、今日は休みか?」と思ったくらい、音がしませんでした。しかし、現場の中を見ると車がたくさん止まっているので人はいるようでした。

「何か変だな」と思いながら、その日は通り過ぎていったのですが、昨日同じ道を通ってその理由が分かりました。どうも、この工事現場で何か起きたようです。

というのも、昨日は私が近くを通ると、ハンマーの音か何かがカンカンしていました。そうして私が近づいていくと急に音がやんだのです。そうかと思うと、また急にガンガンやりだしたり、明らかにやっていることに一貫性がありません。(何か中の人たちが焦っているようなのです)

それでピンときました。これは何か起きたな、と。

この前、近くを通った時も、この人たちいたようです。しかし、自分たちに何か起きたので、私に嫌がらせをしなかったようです。

何か起きると、それまでの態度が必ず変わります。それで分かるのですが、そのように思うと、このような工事現場や会社、バスやトラックの運転手にいたるまで、ずいぶんコロコロ態度が変わるものだな、と改めて思います。

一体、何が起きているのか知りませんが、ソロソロそのような態度、変えられたらどうでしょうか?

同じような態度を続けても、同じようなことしか起きません。それに、これ以上名古屋の人が、同じような態度(無反省な嫌がらせ)を取り続けるのであれば、今以上の現象を一気に現す、ということも、実は私はいわれているのです。(別に脅しでも何でもありません。それは名古屋の人たちならお分かりいただけると思います)

もう態度を変えられてはどうでしょう。自分たちが間違っていたということは、ほぼ確実なんですから。

それは起きる現象で分かります。昨日でもそうですが、昨日は金山の銀行まで行く用がありましたので、散歩がてら歩いて行ったのです。(家から金山まで、歩いて一時間くらいかかります)

行き帰りの途中で公園などたくさんあります。ですから、いくつかの公園で休みながら行ったのですが、そのどの公園でも、私がその公園のベンチに座ると、すずめが大騒ぎです。近くで騒いでいるすずめの集団もいれば、少し離れたところで騒いでいる集団もいました。

中には、私の近くの木にとまって「ピーピー」鳴いてるすずめもいましたし、すぐ近くまでよってくるすずめもいて可愛いものです。

私の近くで、すずめが大騒ぎしているところを見ていた人も、また、そのすずめの騒ぎを聞いていた人も(もう私が近くにいることは、すぐに分かります。すずめの鳴き方が変わるからです)たくさんいるはずです。

では、そのようなことが、その人たちに起きるのでしょうか?

自分たちに、まったく起きないような奇跡の現象が目の前で起きているのです。しかも、それを見ている人は、もう何十人も何百人も(下手すればもっと)いるのです。

何で、自分たちにまったく起きないような奇跡の現象が、起きている者が目の前にいて、その者のいうことを無視したり、その者に嫌がらせしたりしているのでしょうか?

そのような、奇跡が起きている者のいうことを聞かないで(あるいは逆らっていて)自分によいことが起きると思いますか?自分には一切そんな奇跡が起きないというのにです。(皆さん方には災いしか起きませんよね。あまりに違ってないですか、起きる現象が)

そういう奇跡の現象が起きている人のいうことは、聞くべきなのではないですか?これまで、そんなことが起きた人はいないのですから。(そんなこと起きる人、他に見たことありますか?)

あまりに判断が悪いのではないでしょうか。

名古屋の人たちが、今起きている異常現象(人が次々に救急車で運ばれている)を皆私のせいにして、私を親の敵のように思っているのであれば、それほどの責任転嫁はないでしょう。

だって、もし私が、そんなことを起こしている張本人であり、そんな悪魔のような男であるなら、それほど多くのすずめや他の鳥たちが、私に寄ってくるなどということはありえないからです。

逆に、このようなことが起きていることが、私が神の使いである、というよい証拠なのではないですか。他の誰にもこんなこと起きないのですから。

これほど起きている現象に差があるのです。いつまでも、同じような間違った判断をし続けるのであれば、今以上の異常現象が名古屋に現れることになります。

それだけ名古屋の人々は、間違った判断を長い間している人が多いからです。

ここまでの現象が現れているのです。もう正しい判断をしなければいけないし、どう考えても、間違っているのは皆さん方であるとしか思えません。(というか、そうでしょう)

どれだけ自分たちが正しいと主張したところで、どちらが正しいかは、起きている現象が物語っています。もう反省するしか道はないのです。(今日は朝からずいぶんサイレンも聞こえてきています。反省を急がれた方がいいと思います)

追伸…このブログを読んでいる女性の方々、さっそく、優しくて男性のいうことを素直でよく聞く女になる実践をつまれたらどうでしょう。(だって私男ですから)

私に協力してください。(笑)

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4月 22 2014

天上界に行ける女(ひと)

我の強い女が地獄に行くということは分かりましたが、では、どんな女なら天上界に行けるのでしょうか?

それを書いておきましょう。

園頭先生のご著書「正法と人生の原点」に書かれてある「絹の心」のところを参考に書いてみます。

それは、名随筆家で参議院議員もされた森田たまさんの知り合いの方の話です。

その方は、生涯で二人の嫁をもらわれたそうですが、その方の一人目のお嫁さんは次のような人でした。

深窓に育ったその人は、今まで一度もご飯を炊いたことがなかったそうです。ですから当然、弁当というものもつくったことがありませんでした。

しかし、そのお嫁さんは毎日一生懸命、その方のために弁当をつくっていられたそうです。

そんなある日、その方(夫)が出勤したあと戸棚をあけると、弁当に入れたはずのおかずが出てきました。弁当におかずを入れ忘れたのです。

会社に出勤されたその方が、昼になって弁当をあけると、おかずが何もない白飯だけが出てきました。握り飯でも梅干くらいはいっています。ご飯ばかりの弁当は、その方も初めての経験で、腹が立つより先に、おかしさがこみ上げてきたそうです。

家に帰ってみると、若い妻はまぶたを赤く泣きはらして出てきました。そうして「ごめんなさい、おかず入れるのを忘れちゃった」といいました。

彼女の話を聞くと、彼女は昼のご飯をたった一人で、おかずなしで食べたそうです。

「おかずなしで食べるのってとてもつらいのね。お湯をかけて流し込んだけど、それでものどにつかえるような気がして、一膳がやっとだったわ。ごめんなさい」

自分の落ち度を素直に認めて、自分の罰を自分に科したこの新妻の、やさしくもきびしい心情には、どんな夫であろうと心をうたれるでしょう。彼女は、その後もしばしば間の抜けたことをしましたが、そのたびに「ごめんなさい」「すみません」とやさしく詫びるのでした。

それだけに、その方の、妻への愛情はますます深まっていったそうです。

いまどきの女性はこのようなことをされるでしょうか?

夫の弁当におかずを入れ忘れて「あの人だけに、おかずなしの弁当を食べてもらうのは申し訳ない。すまないことをした」と思い、自分の昼食を、おかずなしでご飯だけ食べるということをされるでしょうか?

こんなことをする女性など、逆に世間知らずと笑う人も多いのかもしれませんね。こんなことをされる人はまずいないでしょう。「たまには忘れることもある」とか「あの人もコンビニで何かおかずを買って食べているわ」くらい思って、さして気にも留めない人が多いのではないでしょうか。

別にそのような考えは間違いではありません。誰だって忘れることはあるのだし、これだけ日本中にスーパーでもコンビにでもあるのです。そこで何か買えばいいだけのことで、それほど目くじら立てる話でもないでしょう。

だから、家に帰って「おかず入れ忘れたわ、ごめん」でよいといえばよいのですが(これが一言もないと、それはそれで腹が立つでしょうが)しかし男は、悪かったことは悪かったと素直に認め、同じ罰を自らに科すような、素直で愛深いそのような女の心に惹かれるのであり、だから、そのようなことをする、その方の妻への愛情は、ますます深まっていったのです。

その素直でおっとりした、その方の優しい妻は早く死んでしまいました。その妻への思い出があまりに深かったので、その方は、一生独身を通すつもりでしたが、年とともに会社での地位も上がり、独身でいられなくなって二度目の妻を迎えることになります。

そうして迎えた二度目の妻も、やはり名門の出であったそうですが、その妻は料理から裁縫まであらゆる点で、できないことは何一つないという、実に優れた賢妻であったそうです。

天地が逆さまになっても、夫にご飯だけの弁当を持たすようなへまはしない、実によく気のつく人であったそうです。

そうして、その二度目の妻を迎えたその方が、森田たまさんのところに来ていわれたのは、意外なことであったそうです。

「前の妻は、絹のような暖かさを通わせてくれる優しい妻でした。やることなすことへまだらけで、何も出来ない妻でしたが、そのたびに『すいません』『ごめんなさい』と、自分の失敗を素直に認めて謝ってくれる優しい妻でした。しかし、それに反し今度の妻は、何でも出来ないことはないというすばらしい妻ですが、前の妻が絹のような心を持っていてくれたのに比べ、今度の妻はズックの袋ですよ」

その方は、よく出来る今の妻が、ズックのようにガサガサした荒っぽい妻で、前の何も出来なかった妻が、絹のような暖かさを通わせてくれる優しい思いやりのある妻であった、と森田たまさんに語ったそうです。

それを聞いて、森田たまさんは次のようにいわれたそうです。

「気性の勝った、どんな落ち度もない女というものは、他人からはほめられるかもしれないが、夫の愛情は、そういう女からは薄れていくものであるらしい」

そうして続いて次のようにいわれたそうです。

「七十になろうと、八十になろうと、女というものがどういう存在であるべきかを忘れないでいる人の心には、羽二重のようなすべすべした、きめの細かな思いやりが潜んでいるのであって、お弁当にご飯ばかりを持たせた新妻の、あのおっとりとした素直な気持ちが一生続いているようであってほしい。それは、人の中にしゃしゃり出て、なんでも牛耳るという社交婦人でなく、といって家庭の中で、子供の勉強を励ます教育ママでもなく、格別内助の功のある良妻でもなく、ただいつも涙もろく、人の憐れな話を身にしみて聞くという普通の優しい女、私はその心を絹の心と思うのである」

絹のものは、肌にふれた瞬間は少しひんやりしていますが、そのうちに、心の中からほのぼのとした暖かさがうかんでくるような、暖かさを通わせてくれます。

天上界に行ける女性とは、このような暖かさを男性に感じさせてくれる、男性の心を癒やし和ますことができる、そんな女性であるのです。(決して自分が、自分が、という女性ではありません)

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4月 21 2014

一念三千(いちねんさんぜん)

妻が夫のいうことを聞いて、夫婦の調和が深まれば、子供もよく出来るでしょうし(愛を確かめ合うための夫婦の性行為は大事なことですから)夫も成長して社会も成長します。

保育所をつくれとか、女性が働きやすい環境をつくれとか、形を整えることばかり皆さんいいますが、やはり一番大事なことは、それぞれの人の心です。

人の心が整わないと、そのようなすべてのことは前に進みません。まず心を直す、それが一番に優先されなければいけないことなのではないでしょうか。

多くの人が心を法に合わせるなら、今の安倍内閣が、望むとおりの結果が出てくるのですから、政府もこの法の流布を手伝ってくれればいいのです。そうすれば、政治から経済から外交、教育にいたるまですべてうまくいくからです。(マァ、誰も信じないでしょうが、そんなこといっても)

園頭先生は、よく「カチカチの鉄のような女を、柔らかくするのが私の仕事です」といっていられました。正法会もご多分にもれず、男より先に出て、男を尻に敷くような強い女性が多かったからです。(笑)

そういう女ではいけない、と園頭先生が教えていられるにもかかわらず、それでもそういう強い女性が多かったのです。女の業、恐るべし、といったところでしょうか。(笑)

しかし、あの高橋先生の本に出てきた鬼婆のことをよく考えてみてください。

あの鬼婆がいた地獄には、同じようにヤクザもいました。ヤクザですから、生前、人を傷つけたこともあるでしょうし、人を殺したこともあったかもしれません。そんな生前、人殺しまでしたかもしれないヤクザと、生前は何も悪いことはせず、ただ心の中で、人を恨み自分を憐れんでいただけの鬼婆が、同じ地獄にいるのです。

しかも、地獄に行ったら、その人を殺したかもしれないヤクザを手下にして、鬼婆の方が親玉になり人を殺して食べているのです。この状況をどのように思われるでしょうか?

それだけ、女の業は深いということです。(ということは、それだけ悪が深いということです)

この世は力が強い者が上に行きますが、地獄界も同じです。精神力の強い者が上に行くのです。あの地獄界で、鬼婆がヤクザをはじめとした多くの男たちを手下にして、自分が親玉になっていたのは、そこにいた誰よりも悪を思っている心が強かったからです。

つまりそれは、あの場にいたどの男よりも、悪い人間があの鬼婆であった、ということです。

信じられますか、この世で何も悪いことをしていなかった女が、この世で人殺しまでしたかもしれない男たちより、悪い人間だなんて。

しかし、それが事実なのです。

ある人が釈尊に聞きました。

「この世で人を殺した人と、この世では何も悪いことをしませんでしたが、心の中で何人もの人を殺した人と、どちらが悪い人でしょうか?」

「それは、この世では何も悪いことをしなかったが、心の中で何人もの人を殺した人である」

この釈尊の答えが、すべてを物語っているのです。

私は正法会にいる時「園頭先生は、ずいぶん女性に厳しいことをいわれるな」と思っていましたが、法をよく知れば知るほど、その意味が分かってきました。

やはり、男より女の方が業が深く、また悪を深く思いすぎているからです。

女の我が強いということは、それだけ悪が深いのであり、絶対に直さなければいけない部分なのです。

これは何も女性ばかりではありません。最近は、人を殺して遊ぶゲームなどもありますが、あれなど最悪ですね、心の中で多くの人を殺すのです。あんなゲームばかりやっていれば、心の中でどれだけ多くの人を殺すか分かりません。

そのような心のまま死ねば、どんな深い地獄に堕ちるか分からないのです。

心が天上界に向くのであれば、どんな奇跡が起きるか分かりませんが、その心を地獄界に向けると、どんな災いが起きるか、これも分からないのです。

心は、神から天上の世界から、地獄のどんな深い世界にまで向けることが出来ます。

一念三千、この言葉はまさにそれで、思いは無限に広がるという意味です。

その心の持ち方一つで、奇跡も災いも起こせるのです。それだけ心は偉大なものですが、その心のあり方を少し間違えただけで、大変な不幸にもなりえるということです。

心のあり方を間違えては、絶対にいけないのです。

(そう考えるのであれば、私に何も手を出していないからと、平気で嫌がらせをしている人が、多々いますが、それが心の世界から観たら、どれだけ悪いことをしているかお分かりですか?〔これだけのことが名古屋に起きているのです。その悪の深さをいい加減自覚してくださいね〕今日も朝から、やたら邪魔している会社もあります。法の流布を邪魔しているのですから、それがどれだけ深い悪の行為かお分かりいただけると思います。〔プラス心の中では、さぞ私に怒っているでしょうし〕ですから、その会社には、立て続けに恐ろしい現象が現れているのです。いつまで同じような最悪の心を持ち続け、最悪の行為を続けられるのですか?)

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4月 20 2014

男の仕事と女の仕事

年を取って丸くなった、といわれる人もいれば、年を取って我が強くなった、といわれる人もいます。

前者のタイプに男が多く、後者のタイプに女が多いのは、前回書いた、男女それぞれの性質が違っているため、そのように分かれるのです。

このように男と女は、性質から性格から肉体からすべて違うのですから、当然、自分たちがするこの世の修行も違ってきます。(男と女を同じように考える方がおかしいのです)

このような違いがありますので、当然ではありますが、男のやる仕事と女がやる仕事は違うのです。

例えば、結婚相手を選ぶ時など、女は結婚相手の男を、五十パーセントほど好きであれば十分結婚してかまいませんが、男はそれではいけません。少なくと八十パーセントは好きでないと、うまくいかなくなるのです。

それはなぜか?

男は女のいうことを聞きますが、女は男のいうことを聞かないからです。

つまり、女は結婚相手が半分くらいしか好きでなくても、結婚後、その男を自分の好きなように変えることが出来ますが、男はそうはいきません。女(妻)を自分の好きなように変えることは、よほどのことがないと出来ないのです。(これも性質の違いです)

だから、男は結婚相手の女があまり好きでないと、結婚後益々嫌らいになります。(笑)男はよほど好な女ではないと、結婚してはいけないのです。

この辺りも男女の修行の違いがでるのですが、ですから結婚して夫が全然いうことを聞いてくれない、といっている妻は、それは自分の結婚後の修行がうまく出来ていない証拠なのですから(本来男は女のいうことを聞くからです)夫が自分のいうことを聞いてくれるよう、自分が変わらないといけないのです。

そのいうことを聞かす方法も、口でギャーギャーいって聞かせるのでは、これは正しく聞かせたことになりません。(男でいえば、力ずくで聞かせたのと同じことだからです)

夫が快く、妻のいうことを聞いてくれるにはどうしたらいいのか?それが妻としての本当の修行であるのです。

口を出して、いうことを聞かせてはいけないのですから、では、何を出せばいいのでしょうか?(まさか手とかいわないでしょうね、最近の女性は強いですから〔笑〕)

もちろん愛です。愛より他に、夫が快くいうことを聞いてくれる方法はないのですから、愛の出し惜しみはよくないでしょう。女が愛を出せば出すほど、家庭内はうまくいきます。間違っても口や手を出さないことです。(笑)

夫に愛を出す、ということはまず夫のいうことを聞く、ということです。夫のいうことを何でも聞いて、そうして聞きながら夫を自分の思うとおりに動かす、そのような智慧のある女にならないと、妻としての修行はうまく出来ないということです。

夫を一とすることが、妻としての一番最初の修行だからです。

これが夫を妻の下(尻に敷く)とする方が、家庭内はうまくいくというように勘違いされていますが、それは違います。夫婦不仲の原因で一番多いのはカカア天下なのです。(意外でしょう)

男は頭から女にギャーギャーいわれるのを一番嫌います。(母親からいわれても腹が立ちます)また、そのような態度は男の成長を妨げます。夫が成長してほしいのであれば(それが自分の幸せに当然なるのですから)口を出すのではなく、愛を出すことです。それが一番、夫がいうことを聞いてくれる方法であり成長する方法でもあるのです。(妻が愛を出すとは、家庭内のこと〔家事、育児など〕をしっかりやって、そうして夫の要求にはすべて応えるということです。〔特に性の要求はしっかり応えないといけません〕それが夫婦円満の秘訣です)

女はそれでいいのですが、では、男はどうするのか、ということになりますが、本当は男はあまり家庭内のことばかりかまっていてはいけないのです。

それよりも、外でどれだけ仕事が出来るかに重きを置かなければいけないのですが、それはそれとして、だからといって家庭をほっとくわけにもいきません。家庭を持ったなら妻にも気を使うのは当然のことでしょう。(だからといって、最近のイクメンですか、あれは賛成しません。何度もいうように、男は外で仕事をしてなんぼだからです)

主婦業は、男が外で仕事をするのと同じ位の価値があるのですから、その主婦業を毎日してくれる妻に感謝し、家庭内のことは妻に任して、よく働くことです。

そうして、妻から家庭内のことを相談されたら、その時は「働いていて疲れている」ではなく、よく相談に乗ってやることです。そうして手伝える部分は手伝い、あまり必要以上にはやらないことです。家庭内のことをやりすぎても、今度は妻の成長を妨げることになるからです。

夫は夫としての仕事があり、妻は妻としての仕事があります。それをお互いに自覚して、自分の仕事は、自分でしっかりやらないといけないのであり、今のように男女平等で同権だから、何をやるにも一緒では、それぞれ夫として妻としての成長はないのです。

男がまず間違ってはいけないことは、全然男のいうことを、聞こうとしない女とは結婚しないということです。少しでも聞く耳を持つ女を選ばないといけないということです。

女が、男のいうこと聞くというのは幻想であり、若い時は、母のように自分の妻になる人も、何でもいうことを聞いてくれると勘違いします。ところが、実際は自分の妻は自分の思い通りには動いてくれません。

そうなると、自分の思いと現実の違いに愕然とするのですが、それは、相手も一人の人間であり、考えの違いは当然あるのであり、互いの考えを尊重して、そうして調和していくにはどうすればいいのか、その智慧を出すのも夫の勉強なのです。(これが、全然男の意見を聞かない女では、どれだけ智慧を出そうと、どうにもならないのです。少しでも男のいうことを聞く女でなければ、男の智慧はその女に通用しないということです。それだけ女の業は深いからです)

男は男としてのやるべき仕事があり、女は女としてのやるべき仕事があります。

現在のように、それをゴッチャにしていては、お互いの成長はないのです。

(このようなことは、釈尊やキリスト、そうして高橋先生、園頭先生が説かれた法の中に教えられていることです。最近の不調和は、ここ最近、世界で言い出した教え〔共産主義〕を参考にしているから起きていることです。こういうことを考えましても、私たちが参考にしなければいけないのは、世界なのか、それとも数千年も説かれ続けている聖者の教えなのか、どちらがいいのかよく分かります)

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