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4月 19 2014

男の性質と女の性質

前回、前々回のブログに書いた心の基準を知るのであれば、かなり危ない人が多いのではないでしょうか。(地獄ギリギリとか、地獄往き確実みたいな人です。〔笑〕)

自分の心は自分が一番よく知っています。間違っても贔屓目(ひいきめ)に見ない方がいいでしょう。後で自分が泣くことになるからです。

この世で悪いことをしなくても、心のあり方一つで、死後、地獄に行くことも十分ありえるのです。

この世での心のあり方が、いかに大事かお分かりいただけると思います。

若い時は、やんちゃでけんかばかりしていたのが、年を取るに従い、おとなしく優しくなる人がいます。

そうかと思うと、若い時はおとなしくて優しかったのに、年を取るにつれて出しゃばりになり、きつくなる人もいます。

前者のタイプは男性に多く、後者のタイプは女性に多いのですが、この差はどこから来ていると思われますか?

これが男と女の性質の差なのです。

男は、若い時は自分の性格がまともに外に現れますが、その性格も年を取るに従い段々内側に入っていきます。

逆に女は、若い時は心の内に秘めていた性格が、年を取るに従って、段々外に現れてきます。

これが、女が年を取ると豹変する理由です。(笑)

よく「うちの女房は、若い時はおとなしくて優しかったのに、年を取ったら気の強い我の強い女に変わった」と愚痴をいっている人がいますが、残念ではありますが、その人は女性の性質を知らなかったのです。

自分の嫁さんが、気の強い、我の強い女に変わったのではなく、その嫁さんは元々気が強くて、我の強い女だったのです。それをその人は分からなかったのです。若い時は、そのような性格が、まだ表面に表れていなかったからです。(それを考えると、やばそうな女性がたくさんいます。〔笑〕こういう話を聞くと、まだ独り身の男性はさぞ心配でしょう。私も心配です。〔笑〕)

人のことですので、よけいなお世話かもしれませんが、道を歩いていて、気が強くて我が強そうなオバちゃんが、よく私に嫌がらせをしていきます。(もう見るからに分かります。それが)

しかし、そのような人はもう若い時から、そのような性格なのであり(外面はどうだったか知りませんが)その性格を優しく控えめに変えないと、この世に出てきた意味がないのであり、そのままの性格で死ぬのであれば、まず地獄行きだということです。

最近は、男が優しくないといけないような言い方をする人が多いのですが、どこまでおかしな世の中になっているのでしょう。まず優しくなければいけないのは、女の方ではありませんか。(違いますか?)

まさか女は、きつくて我が強い方がいいとはいわないでしょう。(そう思っている人がいたとしたら、完全に間違っていますね、女のあり方を)

私は何度も書いています。女の愛とは、すべてのものを生かし、育み、浄化する、そのような愛でなくてはならないのであり、女の愛こそ神の愛であり、男の愛は破壊の愛である、と。

女がきつくて我が強いのであれば、優しい神の愛など出てこないのであって、そのような性格で出す愛など、破壊の愛しかないのです。

女が破壊の愛しか出せないというのであれば、これは女として、この世に出てきた意味がないのでありますから、だから私は、女は優しくて控えめな心にならないといけないといっているのです。(正論でしょう)

だから、オカマのような男もいけないし(それでは破壊の愛が出ません)きつくて我の強い女もいけない、男は男らしくないといけないし(勇気や行動力など)女は女らしくないといけないのです。(優しさ、控えめさ、よく気がつくなど)

そういう男女の役割の元、この世は成り立っているからです。その役割が強まれば強まるほど、この世は調和されるし、弱まれば弱まるほど、この世は不調和になるのです。

なぜ現在の世の中が不調和なのか?

その理由もお分かりいただけると思います。男女平等の言葉の下、男女の役割が非常に弱くなり、男の役割、女の役割をゴッチャにしてしまっているからです。

何度もいいますが、男と女では、神がつくられた目的と使命が違っています。男と女を同列で見るのは間違いで、必ず分けて考えないといけないのです。

男と女では、その姿かたちが違うように、性質から能力まで、すべて違うように神がつくられているからです。

そのようなことを考えるのであれば、やれ日本は責任者に女が少ない、とか何とかいいますが、それは適材適所でそのようになっているのですから、性別の部分だけでそれを語るなら、それこそ性差別になるのではありませんか?

男に比べ、女は責任者に適しているようにはつくられていません。(それは釈尊もいわれています)日本に男の責任者が多く、女の責任者が少ないのは、それは正しい判断をその会社の人々がしているからであり、女性の責任者がいない、というのであれば、それは女性差別であろうといわれても仕方ありませんが、多い少ないという点だけでいうのであれば、女性の責任者が日本に少ないということは、正しい判断をしている人(社長や役員など)が日本には多いのではないかと思えます。(先ほど、男女の性質の差を書きましたが、その性質だけ見ても、男は年を取るにつれ、おとなしく優しくなります。女は逆です。どちらが責任者に向いているでしょうか?)

現在日本の政府は、女性の社会進出を促すようなことをしていますが、では家庭は誰がするのですか?家は誰が守るのでしょう。

男の性質、女の性質をよく知って、男女それぞれの役割を忘れてはならないのです。

追伸…ずいぶん恐ろしい現象が立て続けに起きているところがあるようです。(もうその会社、天は法敵と観ています)今のような行いを続けるなら、次々にその恐ろしい現象は起こります。

もう詫びをいれられたらどうでしょう。意地だけで天に逆らうなど愚か以外の何ものでもないからです。

勘違いをしていませんか?皆さん方は、私に逆らっているのではないのです。神に逆らっているのです。

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4月 18 2014

心のあり方の大事さ

昨日、高橋先生のご著書「心の指針」に書かれてある、地獄に堕ちた鬼婆の生前のことを書きましたが、もう一つ生前は何も悪いことをしていないのに、死んで地獄に堕ちた人の話を書いておきましょう。(多くの人の参考になると思いますので)

釈尊在世当時、釈尊の右腕といわれたのは、シャリー・プトラーでしたが、そのシャリー・プトラーとともに、釈尊の二大弟子として有名な、シャリー・プトラーの親友でありましたモンガラナー(目蓮・もくれん)の母の話です。

ある時、目蓮は、死んだ母はどうしているのであろうと、母を霊視してみました。(目蓮は、神通第一といわれるくらい霊力に優れていましたので、亡くなった自分の母をすぐに霊視することができました)

すると、自分の家のすぐ近くに母は一人で立っていました。母を観ると水がほしそうでしたので、水を与えようと、手で水をすくって母の口元まで持っていくと、その水がボッと火に変わってしまったのです。

目蓮は不思議に思い何度も試しましたが、何度やってもダメなのです。目蓮の手元では水であったものが、母の近くまで持っていくと、その水がすべて火に変わってしまうのです。

それで釈尊に、なぜこんなことになるのか聞いてみました。

すると釈尊は次のようにいわれました。

「目蓮よ、お前の母は、バラモンの家に生まれたため気位が高く、周りの者に威張りちらし人から布施されても、感謝の心も行為もなく、貧しい人を見ても慈悲の心もなかった。生に執着し死を嫌がった。そのような心のまま死んだため、死後火炎地獄に堕ちたのだ」

釈尊にそのようにいわれ、目蓮は母の生前を思い出しました。

目蓮の母は我の強い人でした。釈尊のいわれるとおり、いつもバラモンであることを鼻にかけ、尊大な態度で、人から布施してもらっても、それに感謝の心もなく、貧しい人を見てもバカにするだけで、慈悲の心で、そのような人たちに布施を与えたことなど一度もなかったのです。

そうして死を怖がり、死ぬ時には「死にたくない」「死ぬのは嫌だ」と苦しみながら、鬼のような形相で亡くなったのです。

そのような生前の心と行いが、死後、火炎地獄を自ら作り出し、家のすぐ近くで、目蓮の母は地縛霊となって苦しみ続けていたのでした。

そのような母の生前の行いを思い出しながら「どうしたら、母を救うことが出来ますか」と目蓮は釈尊に尋ねます。

すると釈尊は「母を救いたいのであれば、そなたの母が生前行わなかった、貧しい者への布施の行為を、一年のうちのせめて三日ほどは、そなたがやってあげなさい。そうすれば、そなたがする慈悲の行為を母が見て、自分の生前の行いを反省し、いまいる地獄界より救われていくであろう」といわれました。

それを聞いて目蓮は、一年のうちの三日間は日を決めて、貧しい者への布施を行うようになります。

この目蓮の「貧しい者への布施」の行為が後世に伝わって、今のお盆の習慣になっていくのですが、現在日本にあるお盆の習慣は、死んだ人(自分の先祖)への布施に変わっています。

しかし、元々お盆の習慣は、目蓮の生きた人(貧しい人)への布施からはじまったのです。

それが、釈尊の教えが中国にわたり、日本に入ってきた時には、死んだ人への布施に変わってしまっていたのですが、よく考えてみれば、死んだ人にいくら布施しても、その死んだ人が、この世の食べ物を食べられるわけでもなければ、この世のお金を使えるわけでもありません。

亡くなった人に、いくらこの世の物をあげようと意味がないのです。

もし、亡くなった人が本当に成仏してほしいのであれば、目蓮が行ったように、生きた人(貧しい人、生活に困っている人)に布施してあげることです。それが一番、亡くなった人の救いになるからです。(そのような慈悲の行為を見て、成仏できていない人が慈悲の心を思い出すからです)

そう考えるのであれば、今やっているお盆の習慣(死んだ人への布施)は、まったく意味がないのです。所詮は間違った習慣でしかないからです。それを正しいと信じて、ずっと同じことを続けているだけなのです。

盆には、家族や親戚が集まり、故人を思い出して昔話に花を咲かせる、時にはそのようなこともいいでしょう。

しかし、本当に意味があることは何か、そのような正しいことを知らなければ、いつまでたっても故人も、そうして生きている人たちも、心から救われることはないのです。

お盆はお盆の習慣として、また変えられる時がきた時、変えればいいのですが、とりあえず、今の人たちの常識です。

目蓮の母は、生前何も悪いことはしていませんでした。ただ我が強く、傲慢で慈悲や愛の心が余りなかっただけです。(こういう人多いと思いますが…)

それでも地獄に堕ちるのです。

心の中がどうあろうと、行いさえ悪いことをしなければそれでいい、と思っている人も多いと思います。

しかし、残念ではありますが、このブログに書きましたように、心が怒りや憎しみや恨み、ねたみやひがみなどに満ちていれば、その人は死後、確実に地獄に堕ちるのです。

そうしてこのような心は自身の心を汚しもします。表面上はどうあれ、心の中が真っ黒では、そのような人はとても善人とはいえず、むしろこの世的には偽善者、詐欺師のような扱いを、あの世に帰ればされるのです。(地獄に行くのですから、それはこの世的にいえば刑務所に入るのと同じことです。では、顔と心が裏腹な人など、あの世から観たら犯罪者と同じということになります)

怒りや憎しみ、恨みやねたみなど、そのような心を持ち続けることが、いかに悪いことかお分かりいただけるでしょうか?

よく人の悪口をいう人など、そのような悪心が常に自身の心にあるということです。では、そのような人も、死後地獄に堕ちるということになります。

多くの人は、悪く思うことを軽く考えて過ぎているのです。思うことくらい自由にさせてくれ、と思う人もいるでしょう。しかし、それが一番いけないのです。

その人が思っている以上に、悪い心を持つことは悪なのです。

心から良い人間にならなければ、自信も救われない、ということです。

追伸…、韓国フェリーの沈没事故は、天候が悪くなかなか救助が進まないようですね。

救助に一時の時間も無駄に出来ないこのような時に、よりにもよって、天気が悪いなど、ずいぶん運が悪い話です。

このようなところでも、日ごろの行いが現れます。

今日のブログの話ではありませんが、日ごろから人同士だけでなく、国同士の心と行いも気をつけたいものです。その心と行いさえ間違わなければ、どのような時でも天が味方してくれて、予想以上の良い結果が得られるからです。

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4月 17 2014

心の基準

群馬で、大きな山火事が起きているとのことですが、毎日のように起きますね変事が。

それもこれもすべて皆さん(このブログを見ている人、私のことを知っている人)が何も(神の運動を)しようとしないせいなのですが、昨日のこの辺りの人の態度を見ていても分かりますが、まったく反省がありません。そういう態度で大丈夫なんでしょうか?

昨日でも、あんなブログを書けば、意地になってブシュブシュやってくる運ちゃんがいましたが(それもかなり多くの)そんな子供のような反応をされてもね、もう少し大人の反応をしてもらえませんか?

そのせいで、ずいぶん昨日はサイレンが聞こえてきました。今日は今日で、明らかに昨日と雰囲気や態度が違うところもありますし。(癌になる人が出ているみたいです。「癌になる奴がまた出たのか」と声を出したら、やかましかったのが、とたんに静かになりました。〔図星だったようです〕ずいぶん恐ろしいことが立て続けに起きているようです。その会社)

この辺り、かなり恐ろしいことと、そうして(私の周りに鳥が集まってくるような)奇跡的なことが混在して起きているようです。つまり、地獄界で起きるようなことと、天上界で起きるようなことが両方起きているということです。

片方には、次々に奇跡的な現象が起きて、鳥たちもたくさん寄ってきますが、もう片方には災いばかり起きて、病気やけがをする人が数知れずということになれば、もうどちらが正しいことをしているかは明白だと思いますが、これだけ分かりやすい差が出ていても、それでも私に協力しようとしないんでしょうか?

この辺りの人たちは、そのようなことが目の前で展開されているのです。それでも私を認めようとせず、自分たちの非を認めないんでしょうか?

「自分たちは何も悪いことはしていない、悪いのは全部お前」ですか?では、何で自分たちに悪いことばかり起きるんでしょうか?

この前、地獄界のことを高橋先生のご著書から抜粋しましたが、あそこに出てきた鬼婆は生前どのような人であったのか、あの「心の指針」の中に書かれてあります。

あの鬼婆は、百姓の家に生まれ、家が貧しかったため吉原に売られたそうです。

そうして吉原では、毎晩のように遊び人や武士が、あの鬼婆(その時は、若くきれいな女であったのでしょうが)の下に来て、鬼婆の体をもてあそび、それはそれはつらい毎日であったそうです。

病気をしても休むことが出来ず、客を取らなければひどい仕打ちを受けます。生きる希望もなく、親を恨み、人を恨み、身の憐れを悲しみ、そのような心のままで死を迎えたのです。

そのような心の状態で死んで、気がついたら地獄で人を殺しては食べる、鬼婆になっていたのです。

あの鬼婆は、生前、人を殺したわけでも悪いことをしたわけでもありません。ただ、貧しい家に生まれて吉原に売られ、恨みつらみの人生を送っただけです。

それでも、死ねば、あのようなひどい地獄界で暮らさなければいけないのです。(それも何百年もです。あの鬼婆は江戸時代の人だったそうですから)

このようなことを考えるのであれば、現在、自分たちは何も悪いことをしていない、といってる人たちは、本当に悪いことをしていないといえるでしょうか?

悪いこととは、行いだけではないのです。この世の法律では、行いだけでしか裁かれませんが、それはあくまでこの世だけの法律であり、死後の世界、生まれて来る前のあの世の基準は、悪いこととは心の問題が主なのです。

つまり、行いよりも、一人一人の心のあり方を重視するということです。(そうでなければ、先ほどの鬼婆が地獄に堕ちるのはおかしいでしょう。生前は何も悪いことをしていないのですから)

この世に生まれた真の目的は、自分の心をきれいにすることなのです。狭く小さな心を、広く大きく豊かにすることが、この世に生まれた最大の目的であり目標であって、どれだけ金持ちになっても、どれだけ有名になっても、この世に生まれた自分の本当の目的を達したことにはならないのです。

そうして、怒り、恨み、憎しみ、ねたみ、そのような心は持つだけで罪となるのです。

そのような心の基準を知るのであれば、皆さんは本当に悪いことをしていないのでしょうか?(この近辺の人、悪いことをしっぱなしの、罪をつくりっぱなしの人もいるようですが)

金がほしい、あるいは出世したいがため、無理をして、人を怒ったり、恨んだり、ねたんだりしていなかったでしょうか?

あるいは嘘ばかりついていなかったでしょうか?そのようなことは皆罪となって、自分の心に残るのです。

心を大きくしよう、豊かにしようと思われたでしょうか?心をきれいにしようと思われたでしょうか?そういう心を持とうともせず、小さい心のままで責任転嫁ばかりしていなかったでしょうか?(そういう人もたくさんいるように思いますが…)

このようなことすべて悪であり、罪となります。

では、悪を犯していないと、胸をはっていえる人はどれくらいいるのでしょうか?

自分は悪を犯していないなど、とんでもない間違いなのです。そのような人は心の基準をまるで分かっていないのです。

自分たちが悪を犯しているから、自分たちに悪いことが起きる。

これが神理なのです。

追伸…韓国で、乗客が四百人以上も乗った大型客船が沈没したようですね。

死者も出て、行方不明者がまだ二百九十人もいるそうですが、これだけの規模の大事故が起こるなど、よほどのことです。

いってはいけませんが、韓国大統領が日本を平気で陥れるようなことをしているのです。その国の長がそんなことをしていては、このような事故も起きかねないといえます。韓国はこの前も雪の重みで建物が崩壊し、百人もの人が下敷きになるという事故がありました。

中国でもそうですが、あまりに露骨に、よその国を陥れて自国の利益を伸ばそうとしても、その反動の方が大きくなります。

韓国大統領も、もう少し日本との関係をよくするよう努力されてはいかがでしょうか?

日本に対し、今のような態度を続けるのであれば、また、このような大惨事が起きることになるからです。

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4月 16 2014

人の目と鳥の目

今度は、はしかが流行っているそうですが(すでに去年の患者数を超えてるらしいですね。まだ四月です)このブログを読んでいる人が、ここに書いたことを無視するのであれば、このような異常現象はまだまだ続きます。

昨夜は、こちらもサイレンがよくしていましたが、昨日でもバスやトラックの運ちゃんが、人の顔を見ればブシュブシュやってきました。(歩いている人たちも同様ですが)異常現象が止まらないのも無理のない話でしょう。

今日も朝からよくサイレンが聞こえてきます。自分たちの罪を認めたくないのは分かりますが、皆さんの罪は罪です。(その事実は、遅かれ早かれ分かります)

「自分たちの心と行いが悪いせいでこういうことが起きている」異常現象が起きるたびに自分の責任を自覚してください。

とはいっても、どうも、その自覚が持てない人も多いと思いますので、この辺りの人限定の話題で、私がいっていることが事実かどうかを、分かりやすく書いてみましょう。

私など、昨日でも歩いていて、何羽のすずめにかまわれたか分かりませんが、私に嫌がらせをしている人で、そんなことが起きている人がいるのでしょうか?

あまり私以外で、それだけすずめにかまわれる人を見たことないんですが、だとしたら不思議な話です。

だって、私に嫌がらせをしてくる人たちは、私が悪いことをしている、こいつは悪い奴だと思っているから、嫌がらせをしてくるんですよね。まさか、ひがみやねたみから、そういうことをしてくる人も少ないでしょう。

ということは、当然自分たちは善人で、私は悪人だから皆に嫌がらせをされても仕方がない、と思っている人が多いんでしょうが、では、何でそんな悪人にすずめがこうもなつくのでしょうか?

そうして、私に嫌がらせをしている善人に(善人が人に嫌がらせをするというのもおかしな話ですが)すずめが興味を示さないというのは、どういうことなのでしょうか?

普通であれば、私は悪人なんですから、すずめから何から嫌われないといけないはずです。

しかし、実際は逆の現象が起きています。悪人と思われている私が異常なほどすずめになつかれ、善人だと思われている、私に嫌がらせをしている人たちにすずめはなつかないのです。

何でこんなことが起きているのでしょうか?

この現象だけを見るなら、私がすごい善人で(すずめたちにこれだけなつかれるのですから)他の人たちが悪人のように見えますが、この現象をどのように説明したらいいのでしょうか?

すずめの目など当てになるか、という人もいますが、すずめほど臆病な鳥はいません。私が危害を加えると少しでも思うなら、そんな人間には寄ってもこないでしょう。それこそ人以上に、すずめは人を観る目があるのではないでしょうか。

私を悪人と思っているのは人だけであり、不思議なことにすずめは、そのような人たち以上に私のことを善人と思っているようです。

この差はどこから来るのでしょうか?

もう大分前から、すずめは私に寄って来ていましたので分かりますが、すずめは人の心が分かるようです。しかし、人は人の心の中が分かりません。その違いでしょう。

私が他の人より心がよいから、喜んですずめが寄ってくるのであり、他の人は、心が私より悪いからすずめは寄っていかないのです。

至極簡単です、それだけの差です。(特別私は、すずめが寄ってくるだけではありません。他の鳥も寄ってきます。そのような鳥たちは、人の心が分かるからです。だから、私に寄ってくるのです)

だとしたら、本当に悪い人は、私なのでしょうか?それとも私に嫌がらせをしている人たちなのでしょうか?

人は人の心の中が分かりませんし、仲のいい人が、あいつは悪い奴で、あいつのせいでこういうことが起きているといわれれば、自分でそれをしっかり確かめもせず、その話を信じてしまう人も多いでしょう。同じ人に対するねたみやひがみの心もあるでしょう。お金をもらったり、その人の世話にでもなっているなら、どうしても、そのようにいう人の側に立って、決して相手の側に立って(第三者の立場に立って)冷静に何が起きているか見る人も少ないでしょう。

つまり、両方の側に立って冷静に物事を見られる人など、ほとんどいないのです。近くにいればいるほど、そのような正しい見方は出来なくなります。(どうしても偏った見方になってしまうということです。それだけ回りに影響されるからです)

しかし、そういうことに一切影響されず、心の中を見ることが出来る人がもしいたとしたら、はたして、このようなことが起きている名古屋で、本当に悪いことをしているのは、私と見るでしょうか?それとも、それ以外の人と見るのでしょうか?

そういう釈尊やキリストのような、常に第三者の立場に立って、冷静に相手の心の中まで観られるような人など、現在の名古屋に存在しません。所詮はないものねだりに過ぎませんが、しかし、そのような冷静な判断を鳥たちはしているのではないかと思えます。(鳥は人とのしがらみはないですからね。正直に態度に表すでしょう)

人間ほど鳥たちは、人を理解しないでしょうが、しかし、人の心を鳥たちは本能的に知ることが出来るのではないでしょうか。

もちろん、これは私の憶測に過ぎませんが、鳥たちなど、もしその見方を間違えたら自分の生死にかかわってくるのです。(そうでよね、おかしな人間に平気で近づいていったら、自分たちが何をされるか分からないのです。よほど自分たちが安心できるような人しか近づかないでしょう)

では、私たち人間以上に人を観る目はあるのではないかと思えます。

もし、人間以上に人間を観る目がすずめなどの鳥たちにあるとしたら、本当の善人は、私なのでしょうか?それとも私に嫌がらせをしている人たちなのでしょうか?

その正しい答えを、鳥たちが出してくれているように思えてなりません。

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4月 15 2014

法の偉大さ

しかし、今年も本当にいろいろ起こりますね。もちろん異常現象がです。

鳥インフルに豚伝染病(豚伝染病は、ずいぶん拡がっているようですが)そのような動物がかかる病気だけではなく、今年はノロウイルスなど、異常なほどの集団感染が起きました。

数百人単位です。(千人超えたときもありましたが)あれほど多くの人の集団感染が、しかも何度も起きるとは、一体誰が予想できたでしょうか。

インフルエンザにかかる人も相変わらず多かったし(今年はピークが過ぎても減らなかったそうですが)風疹、手足口病(これって今年でしたっけ?)とにかくいろいろな病気が異常な流行り方をしたのです。

それ以外でも、異常な大雪、極端な温度差(今年は一日で気温が、十度も二十度も変わるという日がありました。これもあまりに極端な現象なのではないでしょうか)ヒョウも降りましたし(竜巻のような)突風も吹きました。

そればかりか、ちょっとしたことで大火事になり、多くの人が大混乱を起こしたということもありました。

まだ、四月半ばです。いくらなんでも異常なことが起きすぎていないでしょうか?

いい加減、反省されてはどうですか?(もちろん、このブログを読んでいる多くの人がです)今年だけではありません。もう何年にもわたり、このような異常現象が続いているのです。

そうして、このような現象が起きる原因は、このブログを読んでいる人(即ち法と縁があった人)が何も(法の勉強や流布を)しないせいだと何度もいっています。

それが違うと誰が否定できますか?ここに書いていることが、これだけ起きているのですから。

このようなことだけではなく、名古屋の人は知っていますが、毎日サイレンが何度も聞こえてくるのです。(救急車で運ばれる人、火事、何らかの事件が毎日起きているということです。救急、消防、パトカーなどのサイレンが毎日響いてくるのですから)

この辺りの人は、もっとよく知っているでしょう。私の周りで何が起きているのかを。(普通のことが起きているとは思えません。前の会社など、毎日のように態度が変わるからです)

それに、私が歩いているとすずめが異常な騒ぎ方をするのです。やたら私の周りを飛び回ったり、異様な鳴き方をしたり、何十羽というすずめが集まってきたりです。

そのようなことも、この辺りの人は皆知っています。

こういうことが起きる者が他にいるのでしょうか?こういうブログを書ける者が他にいますか?

そのようなことが起きている者のいうことを無視し、嫌がらせをしている、このような異常現象が起き続けている、その原因は、そこにあるのではないですか?(何度もいっていますが)

普通では、起きないようなことが起きている者に対し、そのような(間違った)態度を取っているため、このような異常な現象が、連続して起こされているのではないのでしょうか?

何度も同じことを、クドクドいっていても仕方ありませんが、そこに気づいてもらわないと異常現象は止まりません。この異常現象を止めなければいけないし、それだけ多くの現象が起きるほど、ここに書いている法は、多くの人が勉強し、流布してもらわなければいけない価値あるものなのです。

とにかく、この法の価値を多くの人が知り、やってもらわねばどうにもならないのです。

すべてのことにおいて、知ってもらわねばならないのは、この法なのです。

このような異常なことが起きている、すべての原因は、この偉大なる法(本当の神の教え)を多くの人が無視し、自分のことばかりやっているからということです。

これだけのことが起きているのです。もうそのことに、とっくに気づいている人はたくさんいるはずです。

では、このような異常なことが何年にも渡り、起き続けた(起こされ続けた)その責任も一体誰にあるのかも、理解している人も多いでしょう。(当然ではありますが、分かっていて、いつまでたっても私のいうことを無視していた“あなた”にあるのです)

多くの異常現象が、毎日起きています。この異常現象を抑える方法は、このブログを読んでいる人が動くしかないのです。

すでにそのことは多くの人が理解しているはずです。

では、それを行ってください。

(昨日の、ウナッシーさんのコメントではありませんが、自分の間違いを間違いと認める度量がない人が多いのですかね。〔だって、もう多くの人が分かっているはずです。このようなことが起きている原因は自分たちにあると〕しかし、最低限それくらいの度量は持ってもらわないと話になりません。これほどの現象を天より起こされているからです。自分が間違っていたと認めることで、自分の心は一段レベルアップするのです。では、世のため人のため、自分の間違いを素直に認め反省してください。そのような心で反省できるのであれば、また自分の心はレベルアップしますし、異常現象も収まり、今度は奇跡が起きはじめるからです。では、そのような反省をもうしていただく以外ありません。やってもらわねば、異常現象は起き続けるし、それだと不幸になる人々も出続けるということになるからです。もうこのブログを読んでいる人は、反省し、法の実践を行ってもらう以外、道はないのです。そうしないと世の中が収まらないからです。このブログを見ている責任は、それだけ大きいということです)

追伸…配偶者控除の見直しの議論が始まったようですが、私は見直しに反対ですね。女性の社会進出の促進とかなんとかいっていますが、あんなのただの増税でしょう。(だいたい女性の社会進出など、そんなに促進しなくてもいいですし)だから増税するなら、宗教法人に課税すればいいでしょう。(やってくださいよ、それを。週刊誌も取り上げていたくらいですから)

それに成長戦略は女性の力を借りなくても出来ます。本当ですよ、嘘だと思うなら、この法を日本中に拡げてみてください。いやでも日本の産業など成長しますから。

これから、法の実践を行う人がたくさん出てきます。(出てきますよね、今回のブログを読んだら)

そうなれば、いやでも日本の社会は成長していくのです。(安倍総理、その心配は無用です。この法さえ拡がれば、第三の矢はほっといても達成できます。ですから安倍総理も、この法の流布にご尽力いただけないでしょうか?)

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