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1月 18 2014

顕著な現象

今日はまた凄いですね、朝からサイレンが響きっぱなしです。(朝起きた時から、すでにしていました)

昨日また名古屋の坂梨さんですか、コメントをいただきましたが、この人も名古屋がおかしくなっているのは感じていられるようです。

私以外で、このように名古屋の人で、名古屋に起きていることの異常さを感じている人がいるわけですから、他の地域のこのブログを見ている人にとって、これ以上の証人はないわけです。私がいっている名古屋のことを、少しは信じていただけるのではないでしょうか。(これでやっと、私のいう名古屋で起きていることの異常さが、少しはご理解いただけるんではないでしょうか、他地域の人にも)

それだけ異常なことが名古屋には起きているのですが、しかし、昨日は頭きましたね。あそこまで嫌がらせされると、さすがに切れました。

家でブログを書いている時に、すでに前の会社の連中が、またガンガン始めていたものですから(この連中、少し何も起こらないと、すぐまたガンガンやり始めるようです。何度恐ろしい目に遭っても学習できないようです)少しイラついて家を出たんですが、そうしたら道を歩いていたらオバちゃんにはにらまれる。(それも相当です。あまりにこちらをにらんでいたものですから「何か文句があるのか」とやさくし〔?〕問いかけたら、それも無視してにらんでいます。「散々罰が当たっているのを人のせいにするな」といったら、ビクッとして下を向いて行ってしまいましたが、こういう人が多いのです。どうも自分は少しも悪くないと思っている人が大半のようです)

歩いていたら、私と気づいて回りの会社にはガンガンやられる、その会社に来ていたトラックに、ブッシュと思いっきりやられたものですから、さすがに切れてしまい「うるせえな」と怒鳴ってしまいました。(さすがにこれだけやられると私も切れました。もう何年も前から、毎日のように多くの人にされますから)

「ああん」とか何とか、そのトラックの運ちゃんもいってましたが、トラックから降りてこなかったので、結局けんかにはなりませんでした。(しかし、私に直接文句いわれた人、まず何か起きます。その運ちゃん、せいぜい気をつけてください)こういうことが重なって、完全に頭にきたものですから、昨日はもうそこらじゅうで祈りました。走って来るトラックも片っ端からです。

そうしたら、今日は朝からこれです。恐ろしいことです。

マッ、だからとはいえ、私が片っ端から祈ったから、今日の名古屋はサイレンが多いということでもないと思います。最近の名古屋は特にサイレンが多いのですから、状況的にはさほど変わっていません。(もし、お前が祈ったせいでこうなっている、という人がいたら「私の祈りと、このサイレンが関連しているという科学的根拠を示せ」といってやります。この科学の世にアホらしい、言いがかりもいいとこです)

どちらにしても、現在の日本に異常現象が多発しているのは事実でしょう。

異常寒波による大雪は続いていますし、昨日の浜松の食中毒の件は、給食のパンが原因とのことですが、やはりこれなど私はただの食中毒とは思えません。

千百人(また感染者が増えたそうですが)以上もの人が、一変にノロウイルスに感染するのです。いくらなんでもこの事件を、ただの食中毒ですませられることではないでしょう。(異常気象と同じです。明らかに異常な出来事です)

ノロウイルスなどの感染は、夏より冬の方が流行るらしいですね。私は夏の方が流行るとばかり思っていましたが、しかし、食中毒など、これまで夏に気をつけろとはよくいわれましたが、冬に気をつけろなどといわれましたかね?

最近ではないですか、こんなこといわれるようになったのは。

最近は、インフルエンザはもちろんのこと、このノロウイルスや風疹、手足口病など、昔はそれほどうるさくいわれなかった病が、急に流行りだし、予防を声高にいわれるようになりました。

このようなことを考えますと、日本は異常気象だけでなく、感染症などの病も急増しているということになります。

昨日は新日鉄住金の名古屋製鉄所で大きな火災もありました。(火災は短時間だったそうですが、大量の黒煙と異臭は凄かったそうです)

日本中で起きている異常気象に、次々発症する疫病、名古屋に毎日起きる異常現象、今日本に何が起きているのでしょうか?

なぜ、これだけ異常なことが次々に起きるのでしょう?

もうそれは申すまでもないでしょう。何度もいっていますので、その理由は書きませんが、私がいえることはただ一つです。

「いつまで神に逆らわれるのですか?」

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1月 17 2014

責任転嫁の罪

日本には、異常現象が起きていると書いていましたら、昨日はまた異常な現象が報道されましたね。

あの浜松で起きた食中毒のことです。

静岡県浜松市の小学校(十四校)の生徒九百五人が、下痢や嘔吐の症状を訴え欠席したとのこと。教師も含めれば、九百五十人近くの人が同じ症状を訴えているとか、これ本当にただの食中毒なんでしょうか?(何人かの子からノロウイルスは検出されているようですが)

だって、食中毒なら給食が一番疑われますが、その給食は、各学校の校内でそれぞれつくられていたそうですから、その給食が原因で、食中毒になるというのもおかしな話です。(十四校が、同じ会社がつくっていた給食を食べていたわけではないんですから)

では、食材が原因では?ということになりますが、その十四校だけが使っている共通の食材があるのでしょうか?それがあれば、その食材が原因ということも考えられますが、その十四校に限って使っている食材などあるんでしょうか?

その十四校が使っている食材なら、他の学校も(また他の人たちも)使っているように思いますが、そこはどうなんでしょう。

それ以外でも、空気感染したかもしれないといっている医者もいましたが、空気感染したのなら、そのノロウイルスに感染した子がいる家族から、感染者が出てもおかしくはありませんが、今のところそんな人はいません。

不思議といえば不思議な事件です。

なぜ、これだけ多くの人が一変に食中毒になるのか、というのも不思議なら、小学校の十四校からしかそのような症状が出た人がいない、というのも不思議です。

浜松市の教育委員会は「経験したことがない異常事態。これ以上、拡散しないように徹底したい」と話していますが、この言葉が物語っていますね、今回の事件を。

「経験したことがないような異常事態」だそうです。

現在の日本は、このような経験したことがないような異常事態が頻繁に起きている、ということです。(では名古屋はどうなるんでしょうか?言葉がないような異常事態とでも表現すればいいのでしょうか?想像を絶する異常事態とでも表現すればいいのでしょうか?浜松のこの事件がニュースで報道されるなら、何で名古屋の、この連日響くサイレンは報道されないのでしょう?)

私には、このような事件も天罰としか思えませんが、そういうことを書いていると笑われますかね。(もうそういう状況でもなくなってますけどね、特に名古屋は)

名古屋などひどいものです。(今日も朝から何度もサイレンが響いています)それでもまだ人のせいにしています。だから最近の私は、嫌がらせしていく人に「どれだけ罰が当たれば分かるのか」とか「いい加減自分たちの罪を認めろ」とかいって、啓蒙しながら歩いています。(決して文句ではありません〔笑〕)

何度もいいますが、日本には大きな使命があるのです。また、日本だけではありません。他の国で、このブログに気づき興味を持って読んでいる人たちは、法に縁が深い人たちなのです。

法に縁が深いということは、それだけ法に対する責任も重いということです。そのような人たちは十人が十人、その国に生まれたら、その国で法に気づき(ここまでは、このブログに興味を持って読んでいる人たちは合格です)そうして、法を学んで自分の生まれた国に法を拡げてきます、と約束して生まれてきた人たちなのです。

その使命を果たさなければ、その人たちは、自分の本当の使命を果たしたことにはならないのです。だから、このブログに気づいたら、より以上に法の勉強をして(日本の人たち以上に努力しないと、他国の人たちは法が学べませんが、それに文句をいっても仕方がないのです。自分たちが承知でそのような場所を選んで出てきているからです)この本当の神の教えを、自国の人たちに伝えないといけないのです。

日本の人たちは(他国の人から見れば)これほど恵まれた環境にいるにもかかわらず(高橋先生、園頭先生の本も自由に読めるのですから)法の勉強をしようとしません。

その結果、先ほども書きましたが、経験がないような異常事態が、頻繁に起きているのです。

それもこれも、すべて自分達が悪いのですが、それをすべて他のせいにして(私や温暖化など)一向に勉強しようとはしないのです。

その責任転嫁の罪たるや計り知れませんが(それが日本に起きる異常現象に現れています)もう他国の人は、日本をあてにしてはいけないでしょう。

日本を他山の石として、この法の勉強を続けていただきたいと思っています。

そうすれば、私がいう奇跡をご自身で経験されると思うからです。他国に法が拡がるのを願ってやみません。このブログを読んでいる他国の方々には、頑張っていただきたいと心から思います。

現在の日本は異常な現象が起き続けています。しかし、それもこれもすべて日本の人たちの責任なのです。

(この前、電話をいただいた方からコメントがありました。〔祈りの万能さ、のブログにです〕少しでもやる気のある人はまだ救われます。少しでもやる気のある人が出てきてくれることを願ってやみません)

追伸…しかし、韓国大統領も問題ですね、あちこちの国に行って日本の悪口(慰安婦問題など)をいってるようではないですか。

ああいうことをほっておくのも罪でしょう。(釈尊が生まれられた国の評判がドンドン悪くなります)日本ももっというべきではないでしょうか。

そうしないと韓国のためにもならないからです。(韓国が罪をつくりすぎてしまいますからね。そうなると韓国にも天罰が降りかねませんから)

悪いことを見過ごしているのもまた罪なのです。

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1月 16 2014

法の縁を切ることの大罪

本当に凄いですね、このサイレン。昨日でも次から次にサイレンがしてきて、今日も朝からよくしています。

これは本格的に、神の業が降り始めたのではないですか、あまりに皆さん聞きわけがないからです。

しかし、よくこれだけのことが起きていて、そのような態度が取れますね。(怒って私に嫌がらせしているだけで、一切、心も行いも変えようとしない)

この神の業が怖くもなんともないんでしょうか?ちょっと、その神経が分かりませんが、それにしても、わずか数十年この世にいただけで、ずいぶん心が神から離れてしまうものです。(この日本に、如来や菩薩がたくさん生まれるということで、大騒ぎして日本に生まれるのを希望された方々ばかりなのに)

現在の日本に生まれてきている人たちは、選ばれて生まれてきた人ばかりなのに、よくこれだけ多くの人たちが失敗するものです。(多くの人たちが、この日本に生まれることを希望されたのです。〔今回は大チャンスということで殺到したらしいです〕その中から選ばれたのが、現在日本に生まれてきている人たちなのです)

外国にいて(あるいは外国に生まれ)このブログに興味を持って読んでいる人たちもいますが、そのような人たちは、やはり法に縁が深い人たちであり、その人たちも、もちろん日本に生まれるのを希望したのです。しかし、その人たちは今回選ばれることなく、仕方なくその国に生まれ、そうして、その国で法を学びます、と約束して生まれてきた人たちなのです。

そういう人たちが、まだたくさん外国にはいるのです。そのような人たちに法を伝えることも、この日本に生まれた人たちの使命なのです。

日本の人たちが動こうとしなければ、自分たちだけでなく、そのような外国に生まれ法に縁がある人たちの法の縁まで、断ち切ってしまうことになるのです。

だから、日本の人たちが法が出ているのを分かっていながら、それでも何もしようとしないなど、どれほど大きな罪となるのか分からないのです。(自分だけでなく、世界中の多くの人々の法の縁を切ってしまうのですからね)

だから、これほどの現象が日本に現れているのです。(名古屋を含めた、毎日のように日本に起きる異常現象)

現在は、世界中で異常現象が起きているのだから、日本に起きるのも仕方ない、ではないのです。日本の人たちが何もしないから、世界中に異常現象が起きているのです。

すべてにおいて、日本の人たちのせいなのです。それをすべて温暖化のせいにしているに過ぎないのです。

昨日もニュースで、地球温暖化のせいで海水温が上がり、それで世界中に起きる異常気象が激しさを増しているだの、何だのいっていましたが、何度もいいますが、それは二次的作用に過ぎません。神が(天が)そのような状況をつくって、世に異常現象を現しているのであり、多くの人の心が変わるのなら、そのような異常現象は収まるのです。(温暖化と異常気象が、結びついているという科学的根拠はありません。ここ最近、急に異常気象が増えたため、そのようにいわれるだけです。温暖化は百年も二百年も前から始まっています。しかも、その温暖化自体、人為的な温室効果ガスの影響ではなく、自然が要因でそうなっているだけという、温暖化懐疑論まであるくらいです。異常気象が温暖化のせいだなど、皆さん得意の責任転嫁でしかないのです)

もし、異常気象が温暖化のせいと言い張る人がいるのなら、それは違うという証拠を見せましょうか?(祈りで天気が変わるなら、人の思いで気象は変わるという証拠になるのではないですか?いくらでもしますよ、そんなこと。後の責任持てませんけど)

多くの人の心が変われば、天気さえ変えられるのです。(ということは、異常気象も抑えることができるということです)

その心をどのように変えたらいいのか?それはこの法を知らないと、その基準が分からないのです。だから、私はこの法を早く世界中に伝えないといけないといっているのです。(世界中で異常現象が起きているといっても、その異常現象が一番起きているのは日本です。では、一番最初に神に滅ぼされる国はどこか、お分かりいただけると思います)

先日書いたブログの中に、霊的運動を通してのみ世界平和は実現すること、そうしてその霊的運動は、日本が中心となりやらなければいけないことを書きましたが、その大きな意味を、日本の人たちはもっと真剣に考えないといけないのです。もっと重く受け止めないといけないのです。

物質面から世界平和を唱えても、あれがほしい、これがほしいということになり、結局できないのです。しかし、霊的な面、心の面から唱えるのであればどうでしょう。

この法が世界に拡がるのであれば、あれがほしい、これがほしいということはなくなります。(自分が心を高め悟ることが一番と分かるからです。物質への執着はなくなります)そうして神の実在を知り、あの世はあり、そこに住む光の天使の実在も知ることになり、さらに人の輪廻転生も分かり、人は永遠の生命であることも分かります。

そうして心を高めれば、そのような光の天使の協力を得られようになるのですから、常に奇跡が起きるようになります。さらに、異常現象も起きなくなります。(もちろん、怒り、ねたみ、ひがみという心もなくなります。そんな心を持てば自分が損をするだけと分かるからです)

争うことの愚かさもより一層分かることになり、それなら、もう人の心を高めるにはどうすればいいのか?問題はその一点になります。

各国の多くの人たちが、そのような心になれば、世界平和は調和と安らぎのうちに明日にでも実現するのです。

絵空事ではありません。現実にその法がある日本には、これだけの現象が起きているではないですか。この現在の日本に、毎日のように起きる現象がただの自然現象でしょうか?

そうではない、と思っている人はすでにたくさんいるはずです。

現在の世界で起きている異常現象は、そのように思っている人たちが、法に関して何もしようとしないからそうなっているのです。

法を知りながら、それでも何もしようとしないのは、大きな罪でしかないのです。

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1月 15 2014

祈りの万能さ

それにしても凄いですね、サイレンが止まらないようです。(昨夜など、家のすぐ近くの人が運ばれたようで、家の前を救急車が走っていきました)

昨夜は、同じ名古屋市に住む人から電話をもらい、話していたのですが(その人、神のことを聞きたかったようです。最近はちょくちょく、電話やメールをもらい質問を受けるようになりました)その人は、緑区に住んでいるといわれていましたが、救急車のサイレンはよく聞こえてくるそうです。(私の噂は聞いていないとのことでした。そうでしょう、聞いていたら多分電話などかけてこなかったと思いますから。〔笑〕)

名古屋市緑区といえば、もう隣は大府や東海市などの知多地域ですからね。その緑区でも、救急車のサイレンがよく聞こえるということは、どこまでこの恐ろしい現象が拡がっているのか分かりませんね。(しかし、静岡まではいっていないようですが)

何とか名古屋だけで、この現象収めたと思いますが、しかし、皆さん変わりません。それでは収めようがないでしょう。

怒って、人のせいにしているだけの人がほとんどですからね。しかし、このような現象が始まり、その後、心を入れかえた人がどれくらいいるのでしょうか?

ゼロとはいいませんが(トラックなどもブシュとやる人も減りましたからね。前の会社も妙に最近静かですし…たまに切れたように「ガン」とかやってますが)これくらいでは、心を入れかえたことにはならないんでしょう。(というか、何か起きても嫌だから我慢している、という人が多いでしょうから)

サイレンが減るどころか増えているんですから、やはり、心から反省し、この教えを学ぶ人が増えないと、この現象は収まらないようです。

考えてみて下さい。この現象が収まるとか、収まらないとかだけでなく、この教えを勉強するなら、前回書きましたように功徳も得られ、本当の幸せの道がついてきます。

間違った信仰をしていても救われないのです。(日本は無宗教じゃないんですから、真剣にやっているかどうかは別にしても、仏教やらキリスト教やら、何か皆さんは信仰をしているはずです)

それならどう考えても、この教えは学ぶべきなのではないですか?その方がどちらにしても得(徳)でしょう。

幸せといっても、もちろんそれは、物質的な面で幸せになるということではなく、精神的な面での幸せが実感できるということです。(法は現世利益を説きませんから)

しかし、だからといって物が何も入ってこないのか?といえば、それも違います。自分の生活に足る金やら物やらは確実に入ってくるのです。法を勉強し実践しているなら、自分の分にあった金や物は入ってくるのですから、それが入ってくるなら、人はそれで十分なのではないでしょうか。

必要以上に金などほしがるから、そこに歪ができて人間関係もおかしくなるのです。自分だけが儲けなくても、自分に入らないお金は他の人に分配されるのだから、それはそれでよしとしておけばいいのではないでしょうか。

金などいくら入ってきても、例えば、今問題になっているストーカーとかされていたら、その人は幸せといえるのでしょうか?あるいは(この前、ある会社の社長さんが銃で撃たれて亡くなりましたが)命を狙われているとしたら、その人は幸せなのでしょうか?

どれだけお金があり、地位や名誉があっても、そんなことをされていたら、幸せでもなんでもないでしょう。しかし、法を知っているのであれば、そのような道も自然と解決されていくのです。

法を勉強するのであれば、心が変わりますし祈りも知るからです。

祈りとはいえ、法を知るのであれば、その祈りは天に届きます。そうすれば、天上界の光の天使が動いてくれますので、自然に解決の道がついてくるのです。

その解決の道も自分だけが助かる、というものではなく、そのようなことをしていた人も助かる、そのような道なのです。前にも書きましたが、光の天使の起こす現象には愛があります。ですから、祈った人だけを助けるのではなく、祈られた人も助けるのです。(この世的に見て、祈られた人が不幸になっているように見えても、心の面では、その祈られた人は救われているのです)

法の祈りとはそういうもので、すべての人が救われる、そのような祈りなのです。(私はそのような実績がたくさんあります。祈られて不幸になっているようで、その実、そのような人たちの心は救われているのです。私がその人たちを祈らなければ、その人たちはもっとひどい不幸となったのです。そのような人たちは私が祈らなければ、神の心、神の業を知ることなく一生を終えたからです。〔そうではないですか?だから人に平気で嫌がらせができるんでしょう〕しかし、私が祈り現象が起きることにより、神の業を知ることができたのです。それを知ることによっての、その人の心の成長は計り知れないのです。法の祈りはこの世がよければそれでよいではありません。その人の心を救う祈りなのです)

この名古屋で起きている現象を知るのであれば、どのようなことが起きても、祈れば解決が可能だと思われないでしょうか?

名古屋で起きている現象は、私に嫌がらせを始めた人たちが原因で起きはじめました。そのような人たちが、あまりに多かったため私が祈ったからです。

もし、私が祈るのが悪いという人がいたのなら、では、私は黙って人の嫌がらせを受け続ければよかったと、その人はいわれるのでしょうか?

私は、一人や二人の人から嫌がらせを受けた、というのではないのです。この近所の人から、そうして道を歩いていれば、バスやトラックの連中が私を見つけると、狙ったようにブシュブシュやってきたのです。(どれだけやられたか分かりません。そういうことをいう人は、私と同じ状況になったら、その状況を我慢することができますか?)

それを黙って私が見ているだけなら、私ももちませんが、そのようなことを平気でしている、その人たちのためにもならないでしょう。

だから天に祈ったのです。「どうぞ、このような人たちに気づきをお与えください、正しくお導きください」と。私は、そのような人たちの不幸を祈ったわけではありません。そのような人たちに、自分の間違いに気づかせ正しくお導きくださいと、祈っているだけなのですから、一体、その祈りのどこが悪いというのでしょうか?

もし私の祈りでおかしな現象が起きた人がいるなら、その起きた人が悪いのではないですか?天にそのような指導をされたのですから。

このように、本当の神の教えを知り、その祈りを知るのであれば、たとえ、このような理不尽なことを多くの人にされていても、解決の道はついてくるのです。

では、この祈りを知るなら、凶悪事件はもちろんのこと、学校のいじめなどにも解決の道がついてくると思われないでしょうか。(そうではないですか?これだけの現象が名古屋で起きているのです。いじめられている子が祈りを知るなら、いじめられることもなくなると思われないでしょうか)

どのような困難な道でも、解決の道がついてくる、それが法を知ることによる正しい祈りの効果なのです。

これほどの教えはないのではないでしょうか。

なぜ、これだけの現象が現れているのに、それでもまだ、この教えを学ぼうとはされないのでしょうか?

私には不思議でなりません。

このブログを書いている間にも、救急車で運ばれていく人がいます。これ以上の罰当たりな行為はやめて反省されてはいかがでしょうか。

それ以外、もう救われる道はないのです。

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1月 14 2014

正しい基準

まだいくつか新興宗教批判はできますが(創価学会、霊友会、立正佼成会、GLA、阿含宗など)取りあえずこれくらいにしておきます。

あまり一変に書いても、これまで宗教とはそういうものと思い込んでいた人たちには、理解できないことも多々あるでしょうし、いろいろ支障が出てもいけません。(もう出てますかね?)

また間をおいて書きたいと思います。

それで、間違った教えはよく分かったはずですが、では、正しい教えとはどのようなものなのか?その基準を少し書いておきましょう。(そうしないと比較できませんからね)

正しい教えは、この世には神がつくられた次の五つの法則があることを、必ず説きます。

一、原因・結果の法則

物理学でいう動・反動、作用反作用の法則です。

釈尊がいわれた「善因善果 悪因悪果」「因果応報」のことで、悪いことをすれば、悪いことが、よいことをすればよいことが自分に返ってくる。一つの作用に対し、それに等しい力の反作用が必ずあり、この反作用のない力は存在しないということです。(この世に単独で存在する力はないのです。つまり自分が悪いことの原因をつくらなければ、自分に悪いことが起きるわけがないということです。では、名古屋で起きている現象を、名古屋の人たちはどのように考えるのでしょうか?)

二、慣性の法則

スピードを出している車が、急ブレーキをかけてもすぐには止まりません。(何メートルかは必ず走ります)これは慣性の法則が働いているからです。

ある物体が一定の方向に力を加えられると、その物体はその方向に進もうとします。これを慣性といいます。この物理の法則が精神の世界でも同じように作用しています。それをカルマ(業)というのです。

心がある一定の傾向性を持つと、無意識にそのことを行ってしまう、心の習慣性、一般にいわれるクセというものです。

このクセというものは人には必ずあるのですが、それが人それぞれの性格を作り出しているのです。業というと何か悪い意味のように感じますが、業には善業もあれば悪業もあります。どのような業を持つかは、自分自身の心が決めるのです。

三、循環の法則

地球は自転しながら公転しています。水も水蒸気となって蒸発し、それがまた雨となって降ってくるのであり、これも循環しているのです。空気も同じで、私たち人間や動物が吐き出した炭酸ガスを、植物が吸って酸素を出します。これも空気の循環なのです。

これと同じように私たち人間も循環しています。それを「輪廻転生」といいます。私たちは、あの世の意識界とこの世の物質界を循環し魂を磨いていくのです。

四、波長共鳴の法則

昔から「類は友を呼ぶ」といいます。

ラジオやテレビなど、電波の波長が合わないと、そのラジオを聞くこともできないし、テレビも観ることができません。

これと同じように、人も心の波長が合うもの同士が寄り集まってくるのです。類をもって集まる、それはそこに波長共鳴の法則が働いているからです。

五、エネルギー保存の法則

物理学でいうエネルギー保存の法則とは、この世のエネルギーは、いろいろな形態に移り変わるが、その総量は変化しない一定である、ということです。この地球上のエネルギーは、増えることも減ることもなく、ただある形から別の形に変わるだけなのです。

この法則は私たち人間にもあてはまります。

この物質界で、生活している時の私たちの肉体は、時が過ぎればその姿を変え、他のエネルギーに変換されますが、私たちの生命(霊魂)は消えることなく、現在・過去・未来の三世を循環し、永遠不滅なのです。

正しい教えとは、この五つの法則が物質面だけでなく、心の(精神の)法則としても働いていることを説き、そうして次の二つの条件が揃っていなければいけないのです。

その二つの条件とは、

一、永遠不変性

何万年、何十万年前であろうと、あるいは何万年、何十万年後であろうと、永遠に変わらない。

二、普遍妥当性

日本であろうが、アメリカであろうが、中国であろうが、ヨーロッパであろうが、もし、他の天体に人が住んでいるならば、その天体に住む人間も正しいといえる、どこでも正しく当てはまる。

この条件に当てはまるものが、本当の神の教えである『神理』(しんり)というものなのです。

したがって、アメリカやヨーロッパでは、あげもしないお経を上げている宗教も正しいとはいえず、一貫性のないくるくる変わる教えを説いている宗教も、正しいとはいえないのです。

五つの法則を説いて、二つの条件が揃っているものこそ、本当の正しい教えといえるのです。

この正しい教えを、分かりやすく(あるいは人々の生活に即して)説いているのが、釈尊の教えであり、キリストの教えであり、高橋先生、園頭先生が説かれました、この法なのです。

間違った教えをいくら勉強し実践しても、それが功徳になるわけではありませんし、それで救われるわけでもありません。(当然、悟りも開けません)

正しい教えをしっかり勉強し実践して、はじめて功徳も得られ救われもするのです。正しい教えを勉強していかれるのであれば、その証明として、それなりの神通力も備わってきます。(それは釈尊の弟子たち、キリストの弟子たちを知るのであれば、お分かりいただけると思います。悪魔が起こす現象と本当の神通力は全く別なのです)

そうして正しい教えを勉強し続けるのであれば、それが私たち人間の究極の目的である“宇宙即我”(悟り)の境地に到達できるのです。

正しい教えを勉強するのと、間違った教えを勉強するのとでは、後々、天と地ほどの差が出てきます。

正しい基準、正しい教えを知るということは、本当に大事なことであるといえるのです。

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