>>ブログトップへ

3月 05 2013

高橋先生の弟子たちへ

久しぶりに福岡のオジちゃんからメールが来ました。この人自ら白状したのですが、私のブログを毎日見ているそうです。

支離滅裂だの何だの書いていますが、支離滅裂なブログを毎日読むわけありません。この人たちは、ここに法が書かれてあるから毎日このブログを読んでいるのであり、それを自ら認めたのです。

どうですか法を知らない皆さん、高橋先生の弟子たちでさえ、このブログを毎日見ているのです。そういう人たちは、法がまったく書かれていなければ、絶対毎日読むということはありません。つまり、この人たちは自らしている行いで、ここに法が書かれているということを証明しているのです。

それを素直に認めたくないし、自分の知らないことまでここに書くものですから(それに次々に奇跡も起きていますし)悔しくて仕方がないのです。それで、なんやかんやいちゃもんをつけてきているわけですが、あなたたちのいうことはよく分かりました。

もう、あっちが正しい、こっちが正しいと、そんなこといつまでもいいあってても仕方ありません。ではどちらの言い分が正しいのかその証明を行いましょう。(そうしないときりがないし)

何度もいっていますが、十日なら十日、二十日なら二十日、日を決めて、お互いが祈り、どういう現象が現れるか見てみましょう。正しい法を説いている方に現象が現れるはずです。(文証、理証、現証、この三つが揃って初めて正法といえるのですからね。あなたたちが正しい法を説いているといわれるなら、当然現象は現れるはずです)

私は、あなたたちのいっていることは間違っていると思いますので、どれだけ祈っても現象は現れないと思いますし、あなたたちは、私のいっていることは間違いだといっているのですから、私がどれだけ祈っても現象は現れないはずです。

どちらに現象が現れるのか、またはどちらにも現象が現れないのか(そうなると両方偽者ということになります)実験してみれば分かるでしょう。法を知っている者であるなら、口だけでああだこうだいっていても誰も信用しません。やはり、それなりの奇跡は現さなければいけないと思います。

釈尊、キリスト、モーゼはもちろんのこと、その弟子たちも次々に奇跡を現したのです。私たちがそれをしないということは、そのような歴代の偉大な預言者やその弟子といわれた人たちの、業績にまで疑いを持たせ、傷をつけるといういうことになります。そればかりか、高橋先生の顔にまで泥をぬることになるのです。ここは現象(奇跡)を現せるかどうかで勝負を決するしかないでしょう。いつから祈るかその日時をご連絡ください。

ただしあなたたちは、何人で祈っていただいても結構です。(いますよね、奇跡を現している猛者が。高橋先生のお弟子さんたちの中にはたくさんいるはずです。その誰を何人連れてきていただいても結構です。私は一人でお相手しますよ。一人でね〔笑〕)

これでも乗れないというのであれば、あなたたちは皆偽者です。その証明を自ら行ったということになります。どのような形でも結構ですので、この挑戦をお受けください。今回また逃げていくようなら、ここに散々あなたたちの悪口を書きます。毎日見てるんでしょう、このブログ。腹が立って仕方なくなりますよ。でも、読むのはやめれない。他に法が書かれたものがないからです。だから、あなたたちは読まずにはいられない、しかし、読めば腹が立つ。そのような状況になりますがよろしいですか?

とにかく、この挑戦お受けください。そうしないと、このブログを読んでる大勢の人に笑われます。

私がなぜ、こんなことを書くのか? というと、何か次々にこの辺りで現象が起き始めたように感じるからです。(何か起きていませんか?)

もう、急がないといけないと感じるからです。

しかし、誰も動こうとしません。危ないですね、ここら辺の人、軒並みやられるのではないかと心配ですね。嫌がらせした人はもちろんですが、神の心から遠い人、やらなければいけない使命があるのにやろうとしない人、そのような人たちにです。現れるのではないですか、次々に現象が。

今現在現れていませんか? そんな現象が? 何か明らかに変ですね雰囲気が。(何かパニッくってるような人いません?)

私の勘違いならいいのですが、もし、次々に現象が現れ始めていたとしたら、一人でも多くの人にこの運動を手伝ってもらわねば、その恐ろしい現象は止まりません。だから、やるしかないのです。大きい祈りも。

大きい現象が起きないと、他の地域の人などやる気になりませんもんね。(ここでいくら恐ろしいことが起きている、といったところで、対岸の火事ですもんね。自分たちには関係ないと思っている人がほとんどです)このまま誰も私に協力しないということになると、ここら辺に起きている恐ろしい現象が次々に起きるということになります。(それにここらの人、そういう現象に怒り、私に嫌がらせする人もいますから、よけい拡がるのが速くなります)しかし、この地域だけでいくらそれをいっていても、なかなか協力する人も出てこないでしょうし、全国に呼びかけるしかないのですが、全国の人も何も起きなきゃ、そんなの関係ないと思っている人ばかりです。

どちらにしても、他の高橋先生や園頭先生の弟子など、ダメな者ばかりということも証明しておかないといけません。それには同じ土俵に上げて、比較してもらうしかないのです。

他の弟子たちのダメさも分かり、また、改めてこの法を勉強しないと、よいことは起きないということをよく知っていただかねばなりません。もう大きい祈りもやるしかないでしょう。(でないとここら辺の人かなり危険です)

高橋先生や園頭先生の弟子たち、あるいは我こそはという人誰でも結構です。この挑戦を受けてください。

(本当に何か次々におかしなことが起き始めているように感じますが…そんなことないですか? 私の気のせいならいいのですが、そうでないのなら本当に危ないです。私のいうことを聞いた方がいいです。これ以上、怒ってわけの分からないことをやれば、一気に拡がりかねません。恐ろしい現象が。手伝ってくれる気がある方はお急ぎください)

2 コメント

3月 04 2013

続、正しい判断

立川のオバちゃんも相変わらずおバカなコメントしてきています。(笑)まだ、何も起きてない人は気楽でいいです。大丈夫です、あなたもそのうちいやでも参加することになりますので。(あんなどうでもいいメールはいいので、早くいつから祈るか連絡ください〔笑〕)

おバカなオバちゃんはともかく、こちらの人は早く反省された方がいいのではないでしょうか。何か昨日も大分救急車か消防車か知りませんが、サイレン聞こえていました。

何度もいいますが、このまま反省もなく知らん顔していてもことはすみません。この世に生まれているすべての人が、この法は勉強しなければいけないからです。法を知らないばかりに、大きな間違いを犯してしまうことはよくあることだからです。その間違いが取り返しのつかないことにもなるからです。

そうではないですか、そのいい例が民主政権であったのではないでしょうか。四年前に多くの人が、法を知らないばかりに民主政権(共産主義政権)を選び、その結果、私たちは大変な損害をこうむることになったのです。これは人的被害だけでなく物的被害も大変な額に上るのです。

円高株安の景気低迷だけでなく、あの民主政権の三年間の異常気象は度を越えていましたし、東日本大震災のような考えられない複合災害まで起きて、未だに復興も原発事故の収束もいつになるか分からない状態なのです。

私はこの間、何度も政権を替えた方がいいとこのブログに書いてきました。しかし、多くの人は法を知らないばかりに、共産主義が政権を取っている時の恐ろしさを知らず、どれだけ恐ろしいことが起きても、それは自然現象だから仕方ないですましていたのです。

しかし、その共産主義が倒れた現在、日本はどのようになったでしょうか?

円は安くなり株も上がりだし景気が上向き始めたのです。(もちろん政策の違いも大きかったのですが)そればかりか気象も、少々の不安定さはありますが(これはしょうがないでしょう、法が拡がっていないのですから)民主政権時のような異常気象は収まっています。

これは、政権が替わったからこうなったのであり、政権が替わっていなかったら、こうはなっていないのです。

私はそれを知っていたから、もう何年も前から民主政権(共産主義政権)を替えないといけないと、いい続けてきたのであるし、現実にこのようになって初めて理解できるのではないでしょうか、共産主義政権はいけなかったと。

これが偶然こうなったと思われますか? このブログを読んでる人なら分かるでしょう、このようなことはすべて必然で起きていたのです。(起こされていたのです)

それだけ共産主義はいけなかったのであって、神の心からもっとも遠い思想なのです。そんな思想の政権が与党になったばかりに日本は大変な目に遭ったのです。

だから多くの人が法を知らないといけないのです。正しい判断ができないからです。

今回のことでもそうでしょう、もし、多くの人が法を知っていたら、民主政権など絶対選ばなかったであろうし、民主政権を選んでいなければ、これほど次々に不幸なことが起きることはなかったのです。(自民政権のままで、自民党を改革していった方がよかったということです)

つまり、法を知っている人が多かったのなら、民主に政権を取らせなかったであろうし、民主が政権を取っていなければ(自民党の改革の度合いによりますが)景気も徐々に上向いたであろうし、あれほどの異常気象も起きなかったであろうし、もちろん(皆さんの心の違いがありますので、何らかの災害は起きたかもしれませんが)東日本大震災クラスの、巨大複合災害など絶対起きなかったということです。

そうであるならば、今のように国内はもとより、世界に影響を与えるような原発事故の事故処理で悩むこともなかったでしょうし、自然災害が少なければ、その分景気に集中できますので、景気が上向くのも早くなり、もっとよい生活がとっくにできていたということになるのです。

これは結果論ではないのです。このような出来事は、間違った判断をしたら、これだけひどい目に遭うという教訓としなければならないのです。

多くの人が法を知ってるのであれば、起きなかった考えられないような大きな不幸が起きたのです。これが事実であり、これを偶然そうなった、と思っているようでは、いつまでたっても救われないのです。

このような結果を知るのであれば、正しいことを知っているのと知らないのとでは、天と地ほど差があるということがお分かりいただけると思います。

だから私は、早く多くの人が法を知らないといけないといい続けているのです。

法をいつまでも知ろうとしなければよいことも起きてきません。(政権が替わりましたので、よいことも起きますが、それと同時に悪いことも起きて、アンバランスな世の中が続くということです)それを裏付けるような出来事が次々に起きている現代、一人一人の正しい判断がより求められる時代となっています。

もう気づかなければいけないのではないでしょうか。そうしなければ不幸な出来事は止まらないのです。

4 コメント

3月 03 2013

正しい判断

それにしてもおかしな状況になっていますね。昨日でも私が家の近くのスーパーに入ったとたん、そのスーパーの雰囲気が変わりました。いくら夜で人が少なかったとはいえ、何かシーンとしてしまい、そこに来ているお客さんまで、ギョッとした顔で、私を見ている人がいるのですからかないません。(どれだけ悪い噂が流れているのでしょうか)

皆さん完全に私を、神の使いとは思わず死神の使いとでも思っているようです。

それでいて、コソコソ嫌がらせをする人がいます。電車やバスの運転手でもそんなのいますが、また恐ろしい現象が、一気に拡がってしまうのではないかと心配でなりません。そんな噂になっている現象が次々に現れているというのに、何で多くの人は、いつまでたっても考えを変えようとしないのでしょうか? 本当に不思議です。

自分たちが罰当たりな人間とはまったく考えないのでしょうか? 自分たちは全然悪くなくて、悪いのはすべておまえと考えている人が多いのでしょうか?  では何で悪いことをしていない人たちに、恐ろしい現象が次々に起きているのでしょう?  道理が分からない人が多くて残念です。

そんな(私にコソコソ嫌がらせしているような)匹夫の勇の持ち主はいても、本当の勇気ある人はいないのでしょうか? 本当の勇気がある人とは、自分が悪かったところは悪いと認め、もうそのような心は持たないと反省し、これだけのことが起きているのだからこの人は正しい(匹夫の勇の持ち主には悪いことしか起きていませんからね)だから、この人に神の心を教えてもらおう、この人の協力をしよう、そう思う人です。

これだけ次々におかしな現象が現れていて、それでもまだ嫌がらせしているという選択肢は、どう考えてもおかしいでしょう。そんなおかしなことが起きる原因が、仮にその人にあると考えられるなら、最初はその人に嫌がらせしても、それをどれだけしていても、そのおかしな現象が止まらないと分かれば、普通は自分たちにも何か悪いところがあったんではないかとか、逆にその人に協力すればよいことが起きてくるのではないかとか考え、別の態度を取ろうとするのではないでしょうか? ところがここら辺りの人、ずっと同じ態度を取り続けているのです。

同じ態度を取り続けているから、同じように恐ろしいことが起き続けている、とは誰も考えないのでしょうか?

私がスーパーに入っただけで、あれだけ雰囲気が変わるようなことが起きていて、態度を一向に変えようとしない人が、これだけ多いということはちょっと信じられませんが、もう気づく人が出てきてもいいのではないでしょうか。

うつ病や自殺したがっている人の心に気づいて、その人たちを救いましょう、などとは最近よくいわれることですが、神の心にも早く気づいて自分たちがまず幸せになりましょう。

神の心に気づき、それを勉強するということは、そのような(うつ病や自殺したがっている)人たちも救うことになります。(それはそうです。神の心を知るのであれば、そのような人たちの心も救えることになりますからね)

神の心を知るということは、自分を救うだけでなく、人をも救うことになるのです。それは安倍総理を見れば分かります。末法の政治を正法の政治に変える使命を持たれているということは、すでに過去世で法を知っているということになります。(だから、そのような使命を与えられているのです)すると天も協力してくださり、次々に奇跡が起きて、円安株高になり景気もよくなりつつあるのです。そのようになるのであれば、もちろん多くの人が救われます。

前政権の総理の時を考えてみてください。どれだけの多くの人が不幸になったことでしょう。(円高株安はもちろんですが、数々の異常現象、東日本大震災など、誰も幸福になどなっていないではないですか)

これは多くの人が判断を間違えたから不幸になったのであり(共産主義政権などを選んでしまったから不幸になった)今度は判断を間違えなかったから幸福になりつつあるのです。(自民党政権そして安倍総理を選んだから、次々に奇跡が起きている)

政治など関係ない、自分は関係ない、ではないのです。関係大ありなのです。一人一人の判断がどれだけ大事かこのようなことでも分かるのです。

いつまでも人のせいにしていても現状がよくなることはありません。(すべて自己責任だからです)一人一人の正しい判断が、より多くの人を救うことになります。

現在の日本ほど一人一人の正しい判断が求められている時はないのです。

2 コメント

3月 02 2013

狂信、盲信者と無神論者

何でもかんでも、神様といえばすぐ信じてしまい、疑い一つ持たずにはまり込んで盲信、狂信している人たちも哀れですが、時代が神の心を現す時代(正法の世)となっているのに、いつまでたっても神を信じず、神の運動をしようとしない人たちも哀れです。結局それではどちらの人たちも不幸になるからです。

しかし、このような両極端な人たちは昔からいました。釈尊在世当時もそのような人はたくさんいたのです。

特にシャリー・プトラーなど、そのような人たちを見て哀れさを深め、最後に釈尊の弟子となって悟りを得るのです。

久しぶりにシャリー・プトラーの話を書いてみましょう。

シャリー・プトラーは八歳から師がついて、インドの古典であるヴェーダやウパニシャードを学びますが、たちまちにして、そのような聖典を暗記してしまい、各派の宗教哲学まで研究し、十六歳の頃には学識は師を超え、その名声は近隣に鳴り響いていました。

わずか十六歳で、天才の名をほしいままにしていたシャリー・プトラーではありましたが、しかし、その心の内は、様々な苦悩により疑問ばかりがつのる毎日でした。

熱心に信仰をしている人たちもいますが、その反面、信仰などそっちのけで仕事だけして、あとは遊んでばかりいる人もいる、しかし、その熱心に信仰している人たちも、祭祀をつかさどるバラモンだけが羽振りをきかせて、盛大な儀式を行っているだけで、人の本当の救いである心と霊の救いを説く人はいませんでした。

自分が勉強したヴェーダ聖典やウパニシャード聖典との、あまりの違いに愕然とする日々が続いていたのです。

当時のインド人はお祭りが好きでした。日を決めて各部落でお祭りの集会をするのですが、あまり信仰心が深くない人たちは、そのような祭りがあれば必ず参加して踊り狂っていました。

いくら天才の名をほしいままにしていたシャリー・プトラーも人の子です。他の十六、七の子たちと同じように、浮世の歓楽をむさぼりたいという強烈な欲望が胸の中にはありました。

そのような子らと、今、目の前でやっている踊りの輪の中に入り、自分も皆と同じように踊り狂えばどれだけ楽しいであろう、祭りを目にするたびに、シャリー・プトラーはそのように思っていましたが、その一方で、インド哲学の真髄に触れた理性は、それは破滅の道であることを知っていて、その思いを否定しようとします。しかし、否定すればするほど皆と一緒に踊りたいという、激しい欲望に襲われるシャリー・プトラーでありました。

その悩みに翻弄され、この二つの相容れない自己矛盾、自己分裂の結果、いつしかシャリー・プトラーもその祭りの人となっていたのでした。楽しそうに踊り狂っている人たちがいる。自分もあんなに夢中になり、何もかも忘れて踊れたらどんなに楽しいであろう、そう思い皆のマネをして踊りの輪の中に加わり、踊り狂ってふざけてみたシャリー・プトラーでしたが、その心はたちまちむなしくなり、激しい嫌悪感に襲われるのでした。

いたたまれなくなったシャリー・プトラーは、踊り狂っている人の輪からはずれ、誰もいない森の中の木の下に座りました。笑いさざめく声、太鼓や笛の音がかすかに聞こえてきます。その場所でしばし考えていたシャリー・プトラーに、次のような考えが浮かびました。

「人はいつかは死ぬのである。今、この山に集まって歌い踊っているあの人たちも、あと百年もすれば誰一人生きている者はいないのである。では、あそこにいる人たちは何のための人生なのか。死んだらどこに行くのか、そんなことも考えないで、ただ歌って踊って楽しんでいるが、それが人生にとって何ほどの価値があるのであろうか。今はああして浮かれている人たちも、この祭りが終われば、また人を憎んだり恨んだり愚痴ったりして、少しも人としての進歩のない堕落の道を歩むのである。なんとバカな時間を過ごしていることか」

うかうかと人の波に浮かれて、祭りの踊りの輪の中に入ってしまった自分が悔やまれて仕方ありませんでした。

こうして、そのようなことをしていても、意味がないと悟ったシャリー・プトラーは、正しい教えを求め疑問追求の毎日を送ることになります。

そうして、最後に自分の本当の師である釈尊に巡り合い悟りを得ることになるのです。

この当時と今とでは人の心も環境も違っていて、一概に比較はできませんが、その本質である“神の心を知る”という目的は、昔も今も変わっていないのです。

シャリー・プトラーの時代も間違った教えが横行し(肉体行などその最たるものでしょう)盲信者、狂信者もたくさんいたのです。その反面、そんな神を求めることなどほどほどにして、遊びほうけている人もたくさんいました。(現代の日本とさほど変わりませんでした)

しかし、そのような両極端はおかしいと、疑問追求、疑問追求と毎日のように正しいものは何かを知る努力をした結果、シャリー・プトラーは自分の本当の師である釈尊と巡り合い、その疑問も解消され悟ることができたのです。

今の生活に、ただ流されているだけでは進歩も成長もありませんし、まったく疑問一つ持たず、盲信、狂信していてもやはり進歩しません。

正しいこととは何か、という疑問を持つことは当然として、そのための努力も惜しんではならないということです。

盲信、狂信をしていても真実は分かりませんし、今の生活だけに満足していても真実は分かりません。やはり現状に満足するのではなく、疑問追求の心を忘れてはならないと思います。

0コメント

3月 01 2013

もちろん私の妄想ですが…

また何か起きたんですかね。ここら辺りの雰囲気、昨夜からずいぶん変わっているようですが…? (だとしたら次々に何か起きはじめたように感じますが)

普通であれば誰かが病気になり、それを「あの人は私が祈ったから病気になったのです」などといえば、皆にアホかと思われ笑われますが、ここら辺の人、誰かが病気になると全部私のせいにしているのではないでしょうか。(その場合一体誰が笑われるのかよく分かりませんが)

何かこの辺り、立て続けにそんなことが起きてるようですし、起きてることも妙にこのブログと一致していますので(ここら辺はただの私の勘なんですが)今さら、私は知らないだの、関係ないだのいっていても仕方ないでしょう。私もグダグダいい訳しません。

はっきりいいますが、不幸になるのがいやなら私のいうことを聞けばいいのです。それを聞こうとしないから、次々に恐ろしい現象が起きるのです。

しかし、都合のいい人たちが多いのですね。このままでは何か起きますとか、恐ろしいことが起きますとか、そういうことだけは聞いて、神の運動を手伝ってくださいとか、このようにすれば悪いことは起きません、ということは一切聞かないのです。

ご都合主義の最たるものだと思いますが、悪いことが起きた時だけ私に嫌がらせして怒っているんですから、これでは子供と同じなのではないでしょうか。

子供でも二、三回そんなことが起きれば理解できるはずなのに、だいの大人が何回も同じようなことが起きているのに、いつまでたってもそれを理解しないで、何度も同じことを繰り返しているというのは、一体どういうことなのでしょうか? (そのような人たち子供以下と思われても仕方がないと思うんですが…)

このような、まったく神の心を理解せず、神の運動などしなくていいと、勝手に思い込んでいる人たちはともかく(救いようがありませんからね、そのような人たちは)それ以外の皆さんも、いつまでたっても同じような考えの方ばかりなのでしょうか? 考えを変えられる人はいないのでしょうか?

私たちは神の子であり、神の心を勉強するためこの世に生まれてきているのです。

その神の心を伝えている者に、もっと素直に従順に従わなければいけないのです。それを誰もしようとしないから、次々に恐ろしいことが起きているのです。だとしたら、この恐ろしいことが次々に起きている原因は、神の心を伝えている者にあるのでしょうか? それとも、その者のいうことを聞かず、嫌がらせなどしている者にあるのでしょうか?

答え明らかです。

こんな簡単な答えさえ正解できないという人など、まだまだ子供なのです。(もちろん心が幼いという意味ですが)そんな心の幼い人の意見など聞いていれば自分が不幸になるだけです。所詮、子供のいっていることなど間違いが多いからです。

その人が、どれだけ年をとっていようと、どれだけいろいろな経験をしていようと、もちろん親子、夫婦であっても、魂はまったく別なのです。そんな今生の体験だけでは量れないのです。(今生だけの体験など知れたものだからです)皆、過去世の体験が違うのです。大人であろうと心の低い人はいますし、子供であろうと心の高い人はいるのです。老若男女まったく関係ないのです。皆すべての人は過去世の体験の違いで、大きく心に差がついているからです。

ここに書いてあることは正しい、私のいっていることに素直に従った方がいいのではないか、そう思える人が心の高い人なのです。

現実に私に逆らった考えを持っている人が、不幸になっているのではないですか。 「あいつのいうことなど聞かなくていい」などといっている人は、何も分かっていないのです。(神の心がです)そんな神の心が何も分からない人のいうことを聞いていて、幸福になれると思いますか? 

なんでもそうでしょう、その道の専門家に道を聞かず、まったくの素人に道を聞いているのと同じなのです。素人が正しい道が分かるわけがないのです。だから多くの人が不幸になっているのです。何も知らない人に道を聞いているため間違った道を進んでいるからです。(そういう人たちとは対照的に私には次々に奇跡が起きているのです。なぜ、これほどの違いが出るのでしょうか? 私が間違ったことをいっているのであれば、私に不幸なことが次々に起きなければおかしいはずです)

男も女も年も関係ありません。私がいっていることは正しいと思える人はご協力ください。そのような行為が、自分を救うだけでなく、多くの人をも救うことになるからです。

0コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。