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2月 28 2013

総理の差

政権交代し総理が代わってから、完全に潮目が変わりましたね。なんだかんだいっても良い方に進みつつあるのではないでしょうか。

あれだけ円高を悪のようにいいながら、少し円安になると、とたんに円安はダメだと言い出したり、日米関係やTPPでも、安倍総理がうまく話をまとめても、元々そんな話であったとか何とかケチばっかりつけていますが、もう少し感謝の声はないのでしょうか?

もし、自民党が政権を取らず安倍総理に代わらず、まだ民主政権のままだったら、円安にも株高にもならず景気も浮揚していません。(そのくらいの予想は誰だってできますよね)

なんでそんな文句ばかりいうのでしょう。本当に感謝の心が足りません。依然として末法の心の人が多いようです。

しかし、安倍総理に代わってから、円安や株高が進んで景気は上向きになり、補正予算も(衆議院は自民党議員が多いので当然可決されたでしょうが)参議院でも(一票差のギリギリではありましたが)あっという間に可決されて成立し、内閣支持率も毎月上昇しているとのこと。

一体どうなっているのでしょう、何ぼなんでもうまく行き過ぎているのではないでしょうか? いくら安倍総理の政策がよかったとはいえ、これだけうまくいくものでしょうか? 前政権の時とはえらい違いです。(前政権の時はひどかったですからね。円高株安は進むばかりで、何をやってもうまくいかず決まらずで、何でこんなにダメなのかとしか思えませんでした)

あまりの変わりようですが、これが“天が協力する”ということなのです。

何か運がいい、何かついている、このような状況は(もちろんこの世の人が、正しい心で正しい努力をして初めて与えられるものではありますが)天上界の光の天使たちが、安倍政権に協力しているからこうのように良い方向にいくのです。

そうではないですか、安倍総理が自民党の総裁に就かれてから、もっといえば、あの自民党総裁選の時から(同じ派閥の町村さんが倒れられたり)安倍総理は不思議と運がよかったのです。(総選挙の時も自民党は異常な勝ち方をしましたし)

それは、ここに何度も書きましたように、安倍総理はこの日本の末法の政治を、正法の政治に変える使命を持たれた方であり、現在の日本を立て直せることができるのは安倍総理だけであり、であるからこそ、今回の総理は安倍総理になっていただかなければいけなかったのであり、それが実現したから、天が協力し、一変に円安株高になり、景気も上向き、内閣が発足後に支持率が上がるなどという有り得ないことも起き(こんなこと例がないんですよね)補正予算もあっという間に成立するという(衆参ねじれ国会で、これだけスムーズに予算が成立するということも珍しいんでしょう)奇跡が起きているのです。

こういうのを天の奇跡というのであり、天が協力してくれているというのです。

このようなことを偶然とか、たまたまなどと思っているから、天の光の天使たちの存在も分からず、神の心も分からないのです。

取り敢えず、このまま流れに乗って、安倍総理の邪魔をせず進められるといいでしょう。そうすれば(まだまだ紆余曲折はありますが)必ず日本は再生します。(もちろん安倍総理の心が変わらなければ、という前提ですが)少しくらい悪いことがあっても、それにオタオタしないことです。(心の低い人たちは、ちょっと悪いことがあると、すぐこれではダメだ、他に代えろと騒ぎますが、ある程度時間をかけないと正しい判断ができないものもあるのです)そういう時こそ、どっしり構えて智慧を出し合い、それを乗り越えることができたのであれば、もっとよい世の中が来るのです。

なぜなら時として天は、その人たちの心をもう一つ向上させるために、様々な困難を与えるからです。しかし、その困難を自分たちの努力で乗り越えた時、ああ、あのような悪いことがあったから、前以上によくなることができたと必ず実感できるのです。

それが天の配剤であり、私たちがより心を向上させる手段なのです。

今、安倍総理の周りでは次々に奇跡が起きています。このような時はへんに逆らわず、その流れに乗ることです。そうすれば日本はもとより、世界がよい方向に変わります。

現在の日本には、それだけ大きな使命があるということを知ってください。

追伸…今、周りで次々に奇跡が起きているのは私と安倍総理だけなのですが、私の方は誰も協力してくれません。そのため私の周りでは、安倍総理とはま逆の奇跡が起きています。

昨夜からまた急に、救急車のサイレンをよく聞くようになりましたが(今日の朝も何か凄かったですね)昨日の私のブログで、大きく心を動かした人がいるのではないかと心配です。

お前のいうことなど聞けるか、と思われた方が多いのではないでしょうか? (バスや電車の運転手の皆さん大丈夫でしょうか?)もしそうなら、また大変恐ろしい現象が立て続けに起きることになります。

安倍総理になってからの日本を考えてみてください。天の意に逆らわず皆が安倍さんを総理にしたから日本は好転したのです。それと同じで(いやでしょうか)私のいうことに従うことです。そうすれば、この近辺は好転しだすのです。それをいつまでもやらず、逆のこと(嫌がらせなど)をしているから、恐ろしいことばかり起きてくるのです。

前政権の民主党の時と自民党政権の今とでは、どれだけ世の中が変わったかお分かりいただけるはずです。それと同じことが、この近辺でも起きるのです。くれぐれも間違いのないようにしていただきたいものです。

皆様方の心と行い一つで、不幸な世界になるのか、幸福な世界になるのか、この近辺の人々の暮らしが大きく変わるということを自覚してください。

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2月 27 2013

続、もちろん妄想ですが…

昨日あのようなブログを書いたものですから、確認のため金山に行ってきました。

そうしたら雰囲気がかなり違ってましたね。やはり何か起きてるようです。(皆さんずいぶん私のブログ熱心に読まれているようで…もう一つご理解いただけないのか残念です)

そうですか、何か起きましたか。では、残念ではありますが、これから次々にそのような現象が起きることになります。その覚悟だけはしておいた方がいいと思います。

反省しないんですから、それはしょうがないと思います。(昨日も人の顔見てブシュブシュやった人いたし…その人たち決定です)

私は何度もそれを書き、そういうことが起きてもいけないから詫びてください(反省してください)といったのです。それにもかかわらず、無視しているのですからどうしようもありません。

もう一度確認しておきますが、私に散々嫌がらせした人が不治の病にでもかかれば、それはひどい苦しみを経て死ななければなりません。(普通の人以上に苦しみますよ、天がそうするからです)死ぬ間際など、それはそれはひどい痛みを伴うことになります。そうして死んでも、その痛みはなくならないのです。そのひどい痛みの意識を持ったまま、永い間地獄で苦しまなくてはならないのです。何度もそれは書いていますが、そのことだけは肝に命じておいてください。(少しでもそのようなことを理解していれば、多少は救われるのも早くなるでしょうからね)

嘘やただの脅しだと思いますか、ここに書いたことは現実に起きているのです。

私は園頭先生の悪口をいったばかりに、次々に癌になった人をこの目で見ました。そうして、この近所の人にも何か起きているはずです。(明らかに起きていますね。それも続けてです。それは皆さんの態度で分かります。これまでなら、昨日のようなブログを書けば、あちこちで嫌がらせをされましたが、今回はそんなことする人ほんの一握りの人たちです。〔一人すごいのがいるんですが、その人完全に悪魔に憑かれています。ああいう人危ないです。いつ何時不幸が襲うか分からないからです。悪魔に憑かれているということはそれだけ恐ろしいことなのです〕多くの人の態度がずいぶん変わっています。これは一度や二度何か起きたということではありません。何度も起きているのです)そればかりか、毎日何十回も救急車のサイレンが聞こえてくるという恐ろしい現象まで起きています。

この近辺だけでも、これだけ次から次に恐ろしい現象が現れていて、まだ、神を信じませんか? まだ、お前が悪いと私に嫌がらせを続けますか? まだ、自分が悪かったと反省される気持ちは出てこないのですか? それはそれで結構です。本人の自由ですからね。しかし、いつまでも、そのような神に従順な謙虚な心を持とうとしなければ、恐ろしい現象はいつまでも続くことになります。

取り敢えず、皆さんが救われる方法をまた書いておきます。やりたくなければやらなければよいし、やりたくなったらやればよい、それだけのことです。

まず、私に詫びをいれてください。(これも何度もいいますが、何も人の顔を見て詫びろとか、土下座しろとかいっているわけではないのです。メールでも何でもいいから詫びいれてくれて、そのお気持ちだけで結構ですから寄付してくれませんか、といっているだけなのです。私は一切相手の人の詮索はしません。そういうことをされないと、その人の罪は許されないからです。そういう心と行いをされるのであれば、私がそれがどこの誰か知らなくても、天はその人のことを全部知っていますので、その人の罪は許されます)そして、もう私の相手などしないことです。

そうして、これからはこれまでのような(物やら先祖やらの)神ではなく本当の神(全知全能の神)を信じることです。

そして、少しでも、その神の心を知るよう努力されることです。そのような心を忘れなければ不幸な人生を歩むこともないでしょう。いつまでも傲慢で人の意見に耳を貸さず、自分の考えがすべてなどど思っているから、恐ろしいことが次々と起きてくるのです。(間違った心でいつまでもいれば、恐ろしいことが次々に起きてくる、すでにそのような時代になっているのです。早くそのことに気づかないといけないのです) 

すでに、恐ろしいことが起きてしまった人がいるなら、その人を心ある人が祈れば、その人に奇跡が起きるかも知れず、また、その人を助けられないにしても、そういう人に祈られるなら、その後(死後)の救いも早くなります。

医者は肉体を救うことはできますが、心まで救うことはできません。お経ばかり上げて、奇跡一つ起こせない現代の宗教家も同じで、本当の人の救いはできないのです。

本当に人を救うことができるのは、人の心を癒し、奇跡を次々に起こせる者だけなのです。

そのような者に現代の人は、嫌がらせをしたり無視したりしているのです。それでよい世の中がくるのでしょうか?

現在日本に起きていることで、自分たちの罪の深さを知ってください。

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2月 26 2013

もちろん妄想ですが…

昨日栃木で、震度五の地震が起きて、その後ずっと栃木では一~四の地震が続いているようですが、ただの余震とばかりはいえないずいぶん奇妙な現象です。

気象庁は、東日本大震災の影響ではないかといっていますが、実際のところはよく分からないようです。(地震の予知がまるでできないのですから、実際地震がなぜそこで、その時期に起きたのか、本当の理由が分からないのは道理です)青森の異常な大雪も続いていますし、異常現象は収まりません。

異常現象といえば、私の周りでは異常なことが次々に起きているようですね。

そんなことありませんか? 私の勘違いでしょうか? (何せ私何も聞いてませんからね)今回のブログは私の妄想です、勘違いを書こうが何を書こうが別によいでしょう。

昨日も何か起きたようですね。この近所で起きたのかどこで起きたのか知りませんが、私が帰ってくる時(夜の九時ごろですが)あちこちに人がいて、こちらを見ているようでしたし、何か車でも私の近くを通り見ていく人もあり、私の近所そんな夜なのにずいぶん人でにぎやかでした。(普段はそのくらいの時間は、ほとんど人歩いていませんから)何が起きてるのか知りませんが、私に興味のある人が多いようです。(それなら神の運動を手伝われたらどうですか? その方がよほど功徳になりますよ)

昨日は少し金山にいたのですが(ほんの二~三十分ほどですが)それでも救急車のサイレンが何度も聞こえてきました。金山近辺ではまだ、ずいぶん救急車のサイレンが聞こえているようです。

ここら辺はゼロではないですが、それほどしょっちゅう聞こえてくるということはなくなりました。(まだ分かりませんけど)しかし、金山近辺でそれだけサイレンが聞こえるというのは、何か理由があるのではないですか? そこらへんにいる人たち心当たりありませんか?

あるでしょうね。どこやらの運転手の心が悪いからです。その運転手たちの心に原因があるからです。だから(救急車が走り回っているだけでなく)その運転手たちにも何か起き始めたのです。

昨日わずかばかり金山にいただけでしたが、バスや電車にブシュやらファンファンやらよくやられました。(最近はバスなど少し静かだったんですけどね)ずいぶんバスや電車の運転手の皆さん殺気だっていましたが、何か起きましたか? 何か起きたんでしょうね、きっと。だって、やってることがこの近所の人たちとそっくりだったからです。この近所の人たちも同じことを私にしていたからです。

何かこの近所で起きた時は私はすぐ分かりました。なぜ分かるのかといえば、先ほど書いたように、妙に帰りに人通りが多くなって、私が家を出る時の雰囲気と、帰ってきた時の近所の雰囲気が全然違うのです。それに何か起きたのではないかと思える会社の雰囲気も、まったく変わってしまうのです。それで何か起きたのではないかと分かるわけです。

その、何か起きた時の会社の人たちがやっていたことと、金山のバスや電車の運転手がやっていることがそっくりなのです。それで私は今金山にも何か起きているのではないかと思ったわけです。

バスや電車の運転手連中にいっておきますが、もし何か起きているのなら、おとなしくした方がいいですよ。でないと、その現象が止まらなくなるからです。(おたくたちたくさん人いますよね、下手すればあなたたちの会社の多くの人に、同じ現象が現れることになります。あなたたちだけではすまなくなるということです)

私の近所の人たちのことを少し書いておきますが、私の近所に、私に嫌がらせしたばかりに何か起きたのではないか、と思われる会社が数件あります。その会社の中で未だに私に嫌がらせを続けている会社もあれば、ほとんどやらなくなった会社もあるのです。この差はなぜだがお分かりですか?

一方の会社は自分たちで、嫌がらせはよくないと気づいて(反省して)それで私への嫌がらせをやめたとも考えられますが、どうもそうではないようです。

そのような理由で、そこの従業員が私への嫌がらせをやめたのであれば、その従業員たちは救われますが、そうではなく別な理由でやめているのであれば、その従業員は救われません。(恐ろしい現象はこれからも続くということです)

同じように何か起きて、一方の会社は嫌がらせをやめ、もう一方の会社は嫌がらせをやめなかった。その理由はなぜか? ということですが、簡単です。一方の会社は恐ろしい現象が続けて起きているのであり、もう一方の会社はそれが単発でしか起きなかったからであるということです。

つまり一度や二度悪いことが起きても、それではやめないが、何度も起きればやめるというだけのことです。すごく簡単な理由でしょう。

しかし、そんな人たちにいっておきますが、日本の今の状況を見てください。

次々に異常現象が起きているのです。

そうして、その異常現象があなたたちの周りにも起きているのです。(異常なことが起きていると思っているから、それを私のせいにして嫌がらせしているんですよね)その異常現象の真の意味をソロソロ悟られたらいかがでしょうか? いつまでたっても同じことをしていて、それでよくなったでしょうか? 現状を見れば分かりますが、よくはなっていないと思います。むしろ悪い方向にいっているのではないでしょうか。

まったく反省しようとせず、今の状態を続けるのであれば最後は命をおとすことになります。(それも十分お分かりではないでしょうか)

私は遊びでこのようなことを書いているのではないのです。もう少し、真剣にこのブログを読まれるなら読まれたらいかがでしょうか。そうしないと大変危険なのです。

なぜ最近この辺りでは救急車のサイレンが減ったのでしょうか?

その意味をよくよくお考えください。

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2月 25 2013

如来の愛

青森は観測史上最大の雪の記録を更新し続けているそうですね。今日もまだ雪が降り続くそうですが心配です。

そういえばここ二、三日は救急車のサイレンも(ゼロではありませんが)あまり聞こえてきません。(さっきはしてましたけど)このまま聞かなくなればよいのですが、相変わらず嫌がらせしてくるような人はいます。このような災難はすべて、そんな愛のない人がいるのが原因です。そういう人たちは、ちょっとやそっとで分かる人たちでもありませんが、そのような人たちの心と園頭先生のお心はどれくらい違うのか、もう少し書いておきましょう。

園頭先生はずいぶん人が良い方でしたので、何度も人に騙されたことがあるのです。(ある人が園頭先生に商売の話をしにきたのですが、横で奥さんが聞いてても、どうもこの人はおかしなこといっている、人を騙そうとしている、ということが明らかに分かるのに、園頭先生はその人のいうことを信じてしまい、奥さんが後で「あの人いってることおかしいんじゃない」といわれても「あの人も真剣に話をしにきているのだから、信じてやらなくてどうする」と人を疑うということをされなかったそうです。それで園頭先生は何度も人に騙されたことがあるそうです)

しかし、それを愚痴ったり、騙した人をそしったり、恨んだりされたことは一度もなかったそうです。それでもまだ園頭先生は、人を疑わず信じられた本当に真っ正直な方であったのです。

園頭先生はただ正直で人に気を使われるだけの方ではありませんでした。先生は自分にも厳しかったのですが、周りやご家族の方にも厳しい方でありました。人や家族はこうあるべきと決めて、それ以外はまったく認めようとはされませんでした。しかし、だからといって、周りの人やご家族の方がギスギスしていたわけではありませんでした。

前回も書きましたように、やさしいところはやさしく、厳しいところは厳しくと、一本筋の入ったやり方をされていましたので、皆園頭先生についていったのです。(ですから、変に甘やかして育てても、それは立派な子にはならないのであって〔そのような愛は本当の愛ではないからです。それは偏った愛、偏愛でしかないからです〕しっかり厳しく本当の愛を持って育てないと立派な人にはならないのです)

園頭先生は厳しい方でもありましたがこのようなところもありました。

先生が復員して、神の心を説いてそれでお金をもらい生活をしようと決められ、全国行脚を始めたまもなくのことです。最初は誰も園頭先生の話など聞いてくれず、布施もなかなかもらえなかったのですが、その日は昼間は仕事をしているので、夜に話が聞きたいといわれる人があり、その人の家の近くまで行って、その人の仕事が終わるのを待っていた時のことです。

園頭先生は、その人の家の近くの寺で時間が来るまで休んでいられたのですが、その寺の前を数人の中学生が通りかかりました。それを見られた園頭先生は、まだ時間もあることだし、こういう人たちは、将来の日本を背負って立つ人たちだからと、その中学生たちを呼び止めて、若い人たちだから飴や菓子など買ってやって、法の話を一生懸命されました。そうして、その子たちが帰った後、フッと自分の財布の中を見ると、数十円しかお金が残ってなくて、その後の食事代もなかったことがあったそうです。

園頭先生はこれと似たようなことを何度もしてしまい、三度の食事にも事欠くことがよくあったそうです。

このように自分のことなど二の次にして、世のため人のために尽くされたのが園頭先生でした。

そのような愛の心をこれっぽっちも持たず、自分のことだけやっている、そのような人が多いのが現代の人たちなのではないでしょうか。(私がもう何年も法の話をここに書き、それで少しでいいですから寄付してくださいと、いくら頼んでも平気で無視している人が多いのですから、愛の心がこれっぽっちもない人が多い証拠でしょう。そのような人たちは、何をするにしても〔それがたとえ人のためであっても〕それは自分が良くなりたいためにそうしているのであり、人を一としてそうしているわけではないのです。そのような偽善者が多くてはよい世の中はこないのです)

本当の如来の愛に目覚めなければ、真の平和はきません。

異常な世の中を何とかしたいのであれば、如来の愛に目覚めることです。

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2月 24 2013

続、如来は愛と慈悲の塊

もう少し園頭先生のことを書いておきましょう。

園頭先生は、どこかに法の話をされに行かれる時は、必ず何か手土産を持っていかれていました。手ぶらでいかれたことなどなかったそうです。

「何人かの人が法を聞きたいといっていますので」といわれれば、どこにでも出向かれ、それだけ何人かの人を集めてくださった人はさぞ大変だったでしょうと、その人を集めてくれた人たちに気を使われ、何かを買って持って行かれていたのです。普通そんなこと考えられるでしょうか。

普通なら、先生がわざわざ来てくださったと呼ばれた方が気を使い、お礼とは別に何かを買って先生に渡される、というなら話も分かりますが、まったく逆で、わざわざ行かれる先生の方が、人を集めてくださった人に気を使い、何かを買っていかれるというのですから驚きます。

現実に、名古屋で講演会をされる時なども、先生は必ず何か手土産を持ってきてくださり、講演会を手伝ってくれた何人かの人に、それを渡されていたそうです。(先生は福岡に住んでいられましたので、福岡名産の明太子とかポテトとかをよく買ってきていられたそうです)

そればかりか、そのような土産を十個も二十個も自分で買って、自分で持ってこられていたそうです。ご家族の方が、そんなの一人で持っていったら重いでしょうと、宅急便で送ってはどうかと何度もいわれたそうですが、園頭先生は、そんなことしなくてよいと、自分で持っていくからよいと、一度も宅急便で送られたことなどなかったそうです。

インドに行かれた時も(正法会では年に一度、必ずインドに行っていました。お釈迦様が当時法を説かれたところを回り、当時のことを思い、本当のお釈迦様の教えを園頭先生がいろいろ解説され教えてくださるのです)会員の人たちの写真を何百枚も撮ってあげて、それを日本に帰国されてから、会員の人が写ってる写真を何枚も現像され、その写真一枚一枚を丁寧に仕分けされて、そうしてその会員の方が写っている写真を、その会員の方宛てにわざわざ写真と手紙までつけて、封筒に入れて送っていられたそうです。

先生は家に帰られても、正法誌の原稿は書かなければいけない、個人指導の電話はかかってくる、講演会や研修会の打ち合わせはしなければいけないと、やられることはたくさんあり、お忙しかったにもかかわらず、そのインドの時の写真の手伝いを家族の者がするといっても、全部自分でするからいいと、一切ご家族の方に手伝わせなかったそうです。

奥さんが不思議がり「あなたは忙しいのに何でそんなことを手伝うのもいけないの」と聞かれると、園頭先生は、自分が直接それをやるのと、人にやってもらうのとでは、会員の方の嬉しさが全然違うだろうといわれたそうです。

つまり、同じように写真と手紙が同封されたものが園頭先生から届いても、それを人がやったものと直接先生がやったものとでは、受け取った会員の人たちの喜び方も違うだろう、だからお前たちは手伝わなくていいと先生はいわれたのです。

そこまで相手のことを考えられるでしょうか? 

先の手土産の件でもそうですが、普通なら先生が土産をくれたということで、それが宅配で届いても十分私たち会員には嬉しいはずです。しかし、それを園頭先生は自分が買って自分で持って行き、自分が会員の方一人一人に手渡しすれば、もっと会員の方は喜んでくれるだろうと思われ、そうされていたのです。インドの時の写真でも、人がやろうと誰がやろうと、先生から写真と手紙まで添えて送られてくれば、会員は誰だって嬉しいはずです。しかし、自分が直接それをすれば、会員の方はもっと喜んでくれるはずだ、園頭先生はそう考えられ、そのようなことすべてご自分でされていたのです。

私たちの考えからすれば、ちょっと信じられないくらい園頭先生は相手の気持ちを考えられ、人の喜びを我がことのように思われる方でした。(前回私は、園頭先生は食べ物の好き嫌いがなかったと書きましたが、この園頭先生のお心を知ると、本当はそうではなかったのではないかと思えます。園頭先生は甘党で饅頭やあんみつなどが大好きでした。であるならば、辛いものはあまりお好きではなかったのではないかと想像できます。しかし、先生は自分の嫌いなものを敢えていわれなかったのではないか、自分があれも嫌い、これも嫌いといえば、忘年会やら食事会やらを企画された人が気を使う、だから自分の好き嫌いなど一切いわず、出されたものはすべておいしくいただく、先生はそう思われ、自分の嫌いなものも、おいしい、おいしいといわれて食べていられたのではないか、私にはそう思えてなりません)

如来は愛と慈悲の塊、それをそのまま実践し見せてくれたのが園頭先生でありました。このような心一つとっても、園頭先生がどれだけ偉大な方であったかお分かりいただけると思います。

私たちは皆、この如来の心に学ばなければならないのです。

そうして、このような愛と慈悲の心を実践できた時、初めてそこで神の心を知るのです。

少しでも如来の愛と慈悲の心を知ってもらえれば幸いです。

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