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1月 29 2013

法を知っている者と知らない者の差

まだ誰もご協力いただけませんが、その意味が昨日初めて分かりました。そうして、その意味が分かった時、なぜ天が『法を説いてはいけない』といったのか、その意味も分かりました。

昨日までの私は、この法の正しさは多くの人が理解してくれたはずだし(ブログを読む人がどんどん増えていますので)それに、この法がどれだけ偉大かも次々に起きる奇跡により分かるはずだ、これだけ多くの人が、私のことを知るようになったのもその証拠である、それなのになぜ嫌がらせする人はいても、協力してくれる人はいないのだろうと、不思議でなりませんでした。

それは今始まったことではなく、ずっと前からの疑問であったのです。

本物の神の教えと分かったのなら、勉強するのが当然であって、協力するのが当然であると私は思うのですが、このブログを見ている人の多くは、それをやろうとしないのです。ただ、私のブログを読んでいるだけなのです。それがどう考えても不思議で、そのような考えがまったく理解できなかったのです。

では、興味本位で読んでいるだけの人が多いのかといえば、それもまた疑問で、興味本位ならなぜ毎日、このブログを読む人がこんなに多いのだろう(それは周りの人の反応で分かりました。それに若い子たちのブログを読んでも、私のブログを毎日読んでいるのではないか、と思える子がたくさんいたのです)興味本位でないなら、なぜもっと積極的に勉強しないのだろう、それに私の周りの人たちも、私にこれだけ現象が起きているのに、なぜ嫌がらせするのだろう(ねたみやひがみのはんちゅうを超えてますよね、祈って地震や大雨を降らせる者にそんなことしたら、最悪死ぬかもしれないと思わないのでしょうか?私なら余計なことしませんが…)また、そのような人たちが出てくるのは仕方がないことかもしれないが、これだけ多くの人が私のことを知ったにもかかわず、なぜ協力してくれる人が誰もいないのだろう、と疑問だらけだったのです。

いろいろな心の段階の人がいるので、嫌がらせする人がいるのは仕方がないかもしれませんが、解せないのは協力者も皆無であるということです。なぜ、協力する人が誰もいないんだ?それが不思議でなりませんでした。先ほどもいったように、いろいろな心の段階の人がいるのです。心の低い人はともかく、何で心の高い人も協力してくれないのだろう、私のブログを読んでる人は心の低い人ばかりなのか?

そのようにも思いましたが、しかし、心の低い人ばかりがこのブログを読む(それはすなわち法に縁を持つ)というのもまた解せない話です。

何か足りないことがあるのであろうか、法の偉大性がこの人たち分からないんだろうか、と考えていた時です。フッとあることに気づきました。

それが何気なく考えていた「法の偉大性」ということです。

私が協力をこのブログで呼びかけて、誰もそれに反応しなかったのかといえばそうではありません。数人の方ではありますが、寄付してくれた人もありますし、賛助会員になってくれた人もいます。しかし、この私に協力してくださった方は、すべて法をご存知の方ばかりでした。(園頭先生の弟子であったとか、自分で高橋先生や園頭先生の本を読み、法を理解していられる方ばかりだったのです)ということは、高橋先生や園頭先生の起こされた奇跡や説かれた法のことも、よくご存知の方ばかりということになります。(ということは法の偉大性もよく分かっていられる、ということになります)

ところが、現在私のブログを読んでいる人の大半は法を知らないのです。ということは、高橋先生や園頭先生の本を読んだこともなければ、その起こされた奇跡や法の大事さも知らない人がほとんどなのです。(ということは法の偉大性も分からない、ということになります)

原因はそこにあったのです。

つまり、私に協力してくれた人は、法の偉大性も、その法を説く人の大事さも、すでによく分かっている人たちなのです。(だからすぐに協力してくださったのです)それに反し、私がいくら呼びかけても動こうとされない方たちは、どの人もあまり(というか中には全然)法を知らない人ばかりなのです。

それでは、私がいくらここで呼びかけても動かないはずです。法を知らない人たちは、法の偉大さがまるで分からないからです。法の偉大さが分かっていないので、私が何をいおうとまたどんな現象を起こそうと、もうひとつ深く理解できないのです。

そのような人たちは、高橋先生のことも知らなければ、園頭先生のことも知らないのです。それに、釈尊やキリストは知ってはいますが、それは神格化された釈尊やキリストを知っているに過ぎず、その説かれた法の偉大さを知ってる人は誰もいないのです。(それはつまり釈尊やキリストが偉大であったから、あのような奇跡が起き、後世にその名とその教えが遺った、と思っている人ばかりで、釈尊やキリストが説かれた法が偉大であったから、後世に名を遺し教えも遺ったとは誰も思っていないわけです)

それでは私が何をいっても、またどんな現象を起こそうと理解できないわけです。法の偉大性を理解していないわけですから。

つまり、私のブログを見ている大半の人が、私のことを神の使いとは思わず、得体の知れない奴が、得体の知れないこといい、得体の知れないことをしている、と思っているわけです。正しい教えを知らず、その法の偉大さが分からないからです。だから、法を知っている人(それは法の偉大さを知っている人)以外の人が協力してくれないのです。

それが分かった時、なぜ天が私に「法を説いてはいけない」といったのか、そのわけも分かりました。

それは、まだ法を十分理解していない人に、次々に法を説いてしまっては、その法の理解が深まらず、すべて法を浅くしか理解せぬまま知識だけしかついていかないからです。それではいけないのです。

法は実践しないと、本当の意味は分かってこないのであって、その法を実践してもらうためには、ある程度の法の証明をしたのであれば、その次にやることは、その法の偉大性を多くの人に知らせることなのです。そうして、より深く法を知ってもらい、実践してもらわねばならないのです。

私は、それを飛ばしてしまったのです。次々に法を伝え、現象を現せば多くの人は、この法が本当の神の教えであるということを理解し、協力してくれて、自然に拡がっていくであろうと思い込み、次々と法を伝えて現象を現してしまったのです。

その結果、やることが早急すぎて誰もついてこれない、というのが現状のようです。

私が今やらなければいけないことは、法の証明ではなく、法の偉大さを多くの人に教えなければいけなかったのです。その法の偉大さが多くの人に分かれば、それを実践することの大事さも分かり、それを説いている人の必要さもわかって、自然に布施をしてくれるようになったはずですが、あまりにやることが早すぎで、私のやっていることを深く理解している人がほとんどいないようです。(法を理解している人たち以外は)

これから少しの間は、釈尊、キリストが説かれ、そうして高橋先生と園頭先生が説かれた、この法がどれだけ偉大であったのか、ということを重点的に書いていきたいと思います。

そうして、ここに書いている法の偉大さが多くの人に理解できた時、初めてそこから法は拡がり始めるのではないか、と思います。

それまでは誰の協力を得られなくてもやるしかありませんね。

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1月 28 2013

使命を果たさないことの不徳

ずいぶん強い寒気が入ってきているようで、日本海側など大雪になっているところもあるようです。(名古屋も先ほど雪が降っていました)去年ほどの異常な寒気ではありませんが、今年も例年以上に寒い冬のようです。(温暖化はどこにいったんでしょうか?)

朝方、茨城で震度五、沖縄で震度四の地震が起きたようです。久々ですね、そんな大きな地震が起きたのは。沖縄などこれからプロ野球のキャンプも始まります。プロ野球選手など、すでに移動している選手もいたのではないですか。怪我をしている選手がいないか心配です。

マァ、プロ野球選手もこの神の運動に協力しようとしません。そのようなことが起きても仕方がないでしょう。

ネ、私が前回いったとおりいいこと起きてこないでしょう。誰もこの運動に協力されないと。

まだ、誰もご協力いただいていませんが、ソロソロいただけませんかね、お布施を。あまり都合のいいことばかりしていると(神の運動そっちのけで、自分たちの金儲けばかりしていると)やはり異常なことが起きてきます。(これも前回書いたとおりです)無茶なことをお願いしているわけではありません。いい加減それにお気づきください。

だいたい私、すでに一千万以上はもらっていないといけないんですからね。嘘ではありません、大分前でしたか、このブログにトヨタが一千万くらい寄付してくれないかと書いたことがありますが、ちょうどその時に天からおまえはもう一千万ほどの金額は寄付してもらっていなければいけない、ということを教えられたのです。だから私はあのようなことをブログに書いたのです。(私はこのブログに思いつきなど書きません。それらしいことを書くのは、必ず何か教えられているか、知らされているから書くのです。安倍総理の時もそうだったでしょう)

それがわずか数万ですからね、寄付された額が。呆れてしまいます。これではいいこと起きないでしょう。(ということは、前に書いたプロ野球選手やゴルフ選手など、誰一人使命を果たしていないということです。そりゃ沖縄に地震も起きます…茨城はやはり関東の人もということでしょう)

これだけ多くの人が自分の使命を果たそうとしなければ、悪いことしか起きないでしょう、ほとんどの人が生まれる前の約束を果たそうとしないんですから。

祈って、地震が起きたり、大雨が降ったりする者に協力せず、嫌がらせするってどう考えてもおかしいでしょう。そういうこと多くの人理解できないんでしょうか?ちょっと不思議でなりませんが、地震や大雨を降らすことが偉大とは思わず、余計なことと思うんでしょうか?それとも妬みやひがみの心が強いのでしょうか?それとも、そんなことたいしたことないと思っているんでしょうか?(なら、おまえやってみろといいたいんですが…)どちらにしても、多くの人が間違った思いを持ち続けているのは確かなようです。

困りましたね、これでは。いつまでたってもほとんどの人が動こうとしないため、神の運動が遅れに遅れることになります。

もう証明の必要はありませんよね。(それともまだ証明が必要ですか?)私は多くの人の前で多くの神の御業を行ったのです。今度はそれを知った人たちが協力する番ではないでしょうか。(そうしないと本当に命を差し出さなければならなくなりますよ)

再度お願いします。ご協力ください。特に私のブログを何年も前から読み続けている人は、一度は協力していただかねばならないのです。そうしなければ、一生よくないことが続くことになります。(それだけ不徳を行っているということです)明らかに考え方が間違っているのです。神の御業を現す者に嫌がらせなどもってのほかなのです。そんなことをすれば何世代にもわたり、罪の償いをしなければならなくなるのです。私に嫌がらせしている人が考えているほど甘いことではないのです。それはすべての人にいえることなのです。すべての人にです。(考え方の甘い人たくさんいます)

キリストや釈尊、あるいはモーゼが出世されても、今私のブログを読んでいる人たちは協力しないでしょう。それがどれだけの不徳か少し考えればお分かりいただけると思います。

そのような愚かなことを、このブログを読んでる多くの人が行っているのです。

何度もいいますが少しで結構です。ご協力ください。

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1月 27 2013

法を伝えることの大事さ

悲惨な結果に終わったアルジェリアの人質事件を見て、日本だけでなく世界各国で、あのような行為は許されない、テロの撲滅を叫ぶ人は多いと思います。

では、どうしたらあのような事件は起こらなくなるのでしょうか?

武装の強化やテロ集団を捕らえろ、などといわれていますが、そういうことも大事ですが、より大事なことは、そのような行為を起こさない心をつくることです。もっと根本的な心の問題を重視した方がいいのではないかと思えます。

それには、本物の神の教えを拡げた方がいいと思うのですが、肝心の本物の神の教えはちっとも拡がりません。嫌がらせはするのに、何で協力はしてくれないのか不思議でなりません。

嫌がらせは即実行するくせに、協力を即実行してくれる人はいません。これではよいことも起きてこないでしょう。ほんと不思議ですね、これだけ現象が起きていて、この教えを本物の神の教えと思わないのでしょうか?それとも本物の神の教えと思っていても、協力などしなくていいと思っているのでしょうか?それとも、そういう考えが一切なく、おまえがムカつくから嫌がらせしているんだ、という子供の発想そのままなのでしょうか?

本当に、私のブログを読んでいる人たちの考えが分かりません。やる気がない人は見ない方がいいといっても、それは聞く気がない(最近は一日にブログ読む人が百人を超えましたので)では、ここに書いてあることを信じないのかといえば、何か起きるとか、何かを祈るとか書けば、即嫌がらせや祈りを邪魔する人が出てきますので、ここに書いたことを信じていないわけではない。人のいうことは聞かないくせに、人のいうことは信じているのです。

それではダメでしょう、どう考えても都合がよすぎるのではないでしょうか?そんな勝手なことをしているから、これだけ異常なことが起きている、といってもそこは信じずに、それはおまえのせい、お前が悪いといっているのです。どこまで都合がいいのでしょうか。(本当に子供の発想ですね)

いいですか、よく考えてみてください。一日百人以上の人がこのブログを読んでいるのです。ではトータルでどれくらいの人が私のブログを読んでいるのでしょうか?

仮にトータルで五百人の人がこのブログを読んでいたとします。その人たちが年に一回一万円を寄付してくだされば年間五百万、五千円だとしても年間で二百五十万はGTS心の研究所にお金が入ってくることになります。

それだけ入ってくるのであれば、私は生活もちゃんとできますし、事務所を借りて個人相談もできます。小さな会場を借りることもできて、そこで座談会や法の講演会などもできるのです。つまり、神の運動ができることになります。だから私は年に一度でいいから寄付をしてください、といっているのです。(それくらいの金額、きれいなお姉さま方でも何とかなるでしょう。海外旅行でのお土産をちょっと減らすとか、化粧品代を少し減らすとか、元がいいんですから、それほど厚化粧しなくてもいいでしょう〔笑〕)

それに、ここに書くブログは、そこらの人が書いている内容ではありません。(それはご理解いただけると思います)昔でいう辻説法を、このブログを通して行っているのですから、よい話が聞けたと思ったら布施してください、といっているだけなのです。

このようにいう私の一体どこが間違っているというのでしょうか?

私が毎回寄付を強要しているとか、金を十万も百万もよこせといっているわけではないのです。お気持ちだけで結構ですからいただけませんか、といっているだけなのです。何で、そのようにいっているだけの私が間違っていて、悪いことが起きるのも皆私のせいなのでしょうか?あまりにそのようにいう人は理不尽でしょう、説法を毎日のように聞いていて、いつまでたっても一銭も払おうとしない人の方がよほど悪いではないですか、どう考えても悪いことが起きるのはその人たちのせいです。

何でこういうことも理解できないのか、不思議で仕方ありませんが、理解しようがしまいが結果は出ています。(出ていますよね、悪いことが起きているのはそのようにいう人たちです)

しかし、いつまでたっても理解していただけないのでいっておきますが、お金を出していただかねば、命を出していただくほかないのです。命を出していただいても法の証明になるからです。(いってる意味お分かりですよね、神の使いのいうことを聞かず、誹謗中傷した人に何か起きれば、その人が本物神の使いであると多くの人が分かるわけであり、それはすなわち法の証明となるわけです)

そのようなことは現在だけでなく、これまでにも行われてきたことであって、それは聖書などの過去の文献に記されてあります。(ということは、そのようなことが起きたということは事実である、ということです)それほど、法(本物神の教え)を知った人の責任は重大であり、法を知ったのであれば、その流布に協力することが当然の責務なのです。

どれだけそれを否定しようと、ここに書かれたことは現実に起きているのです。

否定している暇があるなら、早くその事実を認め、神の運動に協力されることです。そのような人こそ勝利者となり、歴史に名を刻む者となります。

神の教えを知ることの重大さ、拡げることの大事さを知ってください。

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1月 26 2013

超集団ストーカー

少し前に、集団ストーカーに遭われている人から相談を受けたことがありますが、その人、自殺も考えているといわれていましたが、今の私の状況はその人以上でしょう。

だって、道を歩けばあちこちの人から見られる、バスやトラックの運転手は私のことを知っている(どこかの全国区の運送業者のトラックなど、そこらじゅう走ってますからね、どこ歩いてても見ます)どこかの店に入れば、その店の従業員も知っているんですから、おかしなとこ入れません。(笑)

見られているだけなので(たまに、いやな顔されたり、嫌がらせされたりはするんですけどね〔笑〕)こちらは痛くもかゆくもありません。気にしなければいいのですが(別に集団ストーカーに遭ったからとはいえ、自殺するほどの大げさな話でもないでしょう、何でそこまで思いつめるのかよく分かりませんが?)しかし、それだけ多くの人が私のことを知っていて、嫌がらせする人しかいないというのも残念な話ですね。神の教えに興味がある、従順になる、というレベルの高い人は一人もいないのでしょうか?

あまりにそのような人が少ない(というか、今のところ皆無です)ので、もう私に嫌がらせなどしようものなら即座に祈っています。(男女、子供に年寄り関係なしにです。すべて心は大人ですから)

もちろん私に祈られれば、それなりの現象はある程度の時間内に現われると思いますよ。何せ祈って地震が起きたり、台風や大雪を降らせたりしたことがある者ですからね(そういえば、ちょうど去年の今頃でしたね、あの超異常寒波に襲われ大雪が降ったのは)何らかの形で祈られた人は結果が現れると思います。

そのようなことが、理解できない人も気の毒だとは思いますが、やはり一番よくないのはその人でしょう、私のことを知っていてそのような嫌がらせをするのですから。(祈って、地震が起きたり、台風や大雪を降らせることができる人も、そうはいないと思うのですが、それを承知でその人に嫌がらせするのです。普通はそんな人にそんなことをすれば、何か起きたら怖いと考えるはずですが、そういう考えはまるでないんですね。自分にだけは何も起きないと思ってやっているのでしょうか?というより、そのような人はやはり感情が先にきてしまうんでしょう)

何が起きても別によいと思ってやっているのか、私のやっていることが間違っている(または面白くない)と思ってやっているのか知りませんが、少なくとも、自分のやっていることは間違っていないと思ってやっているんでしょう。しかし、人に嫌がらせをすることが間違っていないとは私には思えません。そんなことする人はたぶん、他の人にもそんなことやっているんでしょう。人に嫌がらせすることが正しいか間違いかは、口でいって分からなければ天にきくほかありません。そのような人たちはやはり徹底的に祈るべきだと思います。(そういう人たちを私はいい人だとは思いませんから。というより、そんな性格は直した方がいいと思いますので遠慮なく祈れます)

それに私、近所で何が起きているのかまったく知りません。ということは、自分の祈りがどれくらいきかれているのか分からないんですから、祈りを加減するということもできません。もし、ひどい現象が近所に現れているということを知れば、さすがに祈るのをやめようと思うかもしれませんが、自分の祈りなど全然きかれていなくて、何も起きていないかも知れないのです。そうであるなら、もっともっと真剣に必死に祈らなければいけませんので、天にも「どうぞ、今以上の現象を現してください」としか祈れないわけです。(当然ですよね、私のことをなめて嫌がらせする人はいても、畏れて神の教えに従順になる人はいないんですから。ということは、たいして現象も現れていないとしか思えません)

従って、これまで以上の祈りは当然必要だと思います。(だって、たいしたこと起きてないんですよね、皆さんの態度を見ていれば分かります。どう考えてもたいしたこと起きてません。私に嫌がらせはしても、誰一人協力してくれないんですから)

ずいぶん救急車のサイレンも聞こえてきますが、きっと、ノロウイルスか何か流行っているんでしょう、私の祈りとは何のかかわりもありません。マァ、私のように超集団ストーカーに遭ってるわけでもないのですから、皆さん気楽なものでしょう。うらやましい限りです。

神の教えを勉強しないことが悪いことなんだ、と分かってくれる人がたくさん出てくるまで、やり続けるしかありません。

それが神の命なのですから。

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1月 25 2013

心の程度

それにしても私のブログは話題沸騰ですね(一日百人くらいの人しか読んでいないというのが信じられません。もっといるんじゃないか?と思ってしまいます)少し危なそうなことを書いただけで、あちこちで嫌がらせされるんですからね、笑ってしまいます。(そんなに怖いなら神の運動を手伝えばいいのに、それはしないんですね〔笑〕)

特にバスの運転手は反応がいい、昨日など二、三の人に同じようなことされました。(ブシュとね…何か打ち合わせでもしてるんですか?)そんなことしてくるものですから、私がその運転手を祈ると、ムッとした顔をしてこちらをにらんでくるんですから呆れます。なら、そんなことしなきゃいいのに、なぜそんなことをしておいてこちらをにらむのでしょうか?ほんと不思議です。

一人とぼけた運転手がいましたね。おもいっきり私の横でふかしておいて、さも私がいるのに気づかなかった、という顔でこちらを見ていましたので、その運転手もおもいっきり祈ってあげました。すると、その運転手、すごい顔でこちらをにらんでいました。(笑)

私がする祈りの意味をよく分かっていないようなので、その運ちゃんに一言いっておきます。あなたがもし私がいることに気づかず、そのようなことをしたというのであれば、私がどれだけ祈ろうと、あなたに何か起きることはありませんのでご安心ください。しかし、私に向けて嫌がらせしたにもかかわず、とぼけてそのような態度をとったというのであれば、あなたは二重の罪を犯したことになります。(私に嫌がらせしたことと、それをごまかそうとしたことです)あなたに起きる現象はよけい早まるでしょう。それはご了承ください。あなたが悪いのです。

私の祈りは絶対に間違いはないのです。それはどういう意味かといえば、私が何かされたと思い、その嫌がらせをしたと思った人を祈っても、その人にそんな心がなければ、その人に何か起きることはないからです。すべて、私たちの心は天から見通されています。私が嫌がらせされたと勝手に勘違いして、どれだけその人を祈ろうと、その人にそんな心が少しもなければ、その人に何か起きることはありません。だから私は片っ端から祈っているのです。

間違いがないし(私は間違えても天は間違えません。おかしな心がない人にいくら私が祈ろうと、天が何か起こすはずがないのであって、もし、何かその人に起きたとしたら、それは反省しなければならない心がその人にあるからです。それを謙虚に反省するしかないのです)口で(ブログで)いっていても誰も私のいうことなど聞かないからです。(これだけいろいろな現象が、次々に起きていてそれでも聞かないのに、口だけでいっていては誰も聞くわけありません)それではいつまでたっても法は拡がりません。逆にいえば私には祈るしか手がないのです。だから、片っ端から祈るのです。

しかし、私もずいぶん有名になったようで、私に嫌がらせする人、道など歩いていれば、そこらの会社からバスにトラック、はては電車までたくさんいます。(よほど嫌われているんでしょう〔笑〕)しかし、そんな中でも、前から見ていて感じたことなのですが、まったく私に嫌がらせをしようとしない会社もあるのです。(もちろん一人、二人はそんなことする人いますが、それは仕方がないでしょう)むしろ私に気を使っているように見えるところもあるのです。

例えば、同じトヨタ系の近所のディーラーなどでも、私に嫌がらせする従業員のいるところと、私が通るとむしろ気を使うところがあります。大きな運送会社でも(全国区の誰でも知ってる会社です)そこのトラックの運転手は、私に嫌がらせをしないで気を使っているところもあります。

なぜ、これだけ人により(会社により)やることが違うのでしょうか?

答えは簡単ですね、その人(またはその会社の従業員)の意識レベルが違うからです。

つまり、心の程度が違うということです。結局、私に嫌がらせしない気を使うという人は、私がやっていることの価値が分かっているのです。(その人たちがどのような言い方をしていようとです)価値が分かっているから何もしないのです。価値が分からない人(心が低い人)は、私は一人でやっているだけですので、何だこいつと、何かおかしなことが起きれば短絡的に、それはおまえのせいと平気で嫌がらせをしてくるのです。意識レベルが低いから、起きている現象の意味も価値も分からないからです。

こいうところにも意識の差、心の程度の差が現れるわけですが、やはり意識の低い人は、どれだけ現象が起きても分からないのです。これだけ現象が次々に起きているにもかかわらず(それも、それはおまえのせいと自ら認めていながら)それでもまだ私に嫌がらせをしてくるのです。それをして悪いことが起きた人がいるということを知っていても、やらずにいられないのです。

なぜそうなるのか?

心の程度の低い人は感情が先に来るからです。そういうことをしてはいけない、なぜこのようなことが起きたのか、と思うより、この野郎という気持ちが先に来てしまうのです。これでは正しい判断はできないでしょう。(こういう人は小さいところばかり見て大きいところは見えません。心が狭いからです。だから、私がしていることの価値がまったく分からないのです)

このような人を救うには、意識レベルの高い人が私に協力してもらうほかないのです。(私に協力してくれる人が増えれば、そんな多くの人が協力しているなら自分も、と思うからです。意識の低い人は、多くの人が動かなければ自分も動こうとしないのです)

昨夜から今日にかけて、救急車のサイレンがなりっぱなしですね(今もしていますが)明らかに何か始まったようです。

世は正法の世にすでに替わっています。正法の世に末法の心の人はいられません。もう心を変えるしかない時代が来ているのです。(そのような現象も次々に起き始めました)もちろん末法の世の心が深い人(心の程度が低い人)から現象が現れてきますが、しかし、私に嫌がらせをしない人(それはすなわち心の程度の高い人)も、すぐに現象が現れることはありませんが、いずれはそのような人にも現象は現れます。(結局そのような人も、法をしっかり勉強しなければ、正法の世の人とはなりえないからです)

そのような人から立ち上がらなければ、心の程度の低い人も救えないのです。このブログを読まれている方で、この教えに賛同できる方は少しで結構です。ご協力ください。

そうしなければ恐ろしい現象は止まらないからです。

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